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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈憲法 配点28点/300点〉 統治

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422/613

[憲法・財政民主主義と租税法律主義]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 税金は、国民の財布から出ていきます。


 でも。


 その財布を開ける鍵を、誰が持っているのでしょう。


 総理大臣?


 市長?


 税務署長?


 それとも、役所の偉い人?


 答えは、どれも少し違います。


 権力を持つ人が、自由に国民の財布を開けられないようにする。


 そのための仕組みが、憲法には書かれているのです。



 昭和六十三年。


 夕方の片桐行政書士事務所。


 窓の外では、駅前の街灯が一つ、また一つと灯り始めていました。


 机の上には、使い込まれた六法全書。


 赤鉛筆。


 消しゴム。


 それから、宮田さんのうどん屋でもらった割り箸の袋。


「……捨てろよ、それ」


 相馬先輩が言いました。


「記念です」


「何の」


「財政民主主義を理解した記念です」


「うどんの袋で?」


「忘れないためです」


「お前の勉強法、たまに不安になるな」


 失礼な。


 私は割り箸の袋をノートの端へ置きました。


 今日の見出しは、


 ――憲法第八十三条・第八十四条。


 財政民主主義。


 租税法律主義。


 課税要件法定主義。


 課税要件明確主義。


「……漢字が多い」


 私は呟きました。


「法律だからな」


 相馬先輩が答えます。


「もうちょっと優しい名前にできないんですかね」


「何にするんだ」


「勝手にお金を取るな法則」


「雑だな」


「でも、分かりやすいでしょう?」


 先輩は煙草をくわえたまま、少し考えました。


「……まあ、方向は間違ってねえ」


「褒めました?」


「気のせいだ」


 いつものやり取りです。


 でも。


 昨日までの私なら、この単元は退屈だと思っていました。


 国家財政。


 国会の議決。


 法律の留保。


 課税要件。


 難しい言葉を覚えて、試験で正誤を判断する。


 それだけ。


 ところが。


 駅前のうどん屋さんが、月三千円の協力金を求められた。


 払わなければ、今後の行政指導で不利になるかもしれない。


 市長が決めた制度だから。


 町のためだから。


 みんなが払うから。


 そんな言葉に押し潰されそうになっていた一人の女性を見たあとでは。


 この条文は、もう暗記用の文字列ではありません。


「よし」


 私は赤鉛筆を握りました。


「今日は、国民の財布を守る仕組みです」


「大げさだな」


「大げさじゃありません」


 私は六法を開きました。


「憲法って、ちゃんと財布まで守ってくれるんですよ」


 片桐所長が帳簿から顔を上げました。


「こはる」


「はい」


「財布そのものを守るのは、もっと広い話だ」


「え?」


「税を課す権限を、民主的に統制する。その仕組みを理解しろ」


「……はい」


 さすが所長。


 私の雑な理解を、開始三十秒で修正してきました。



 まずは、憲法第八十三条。


 私はノートに書きました。


 ――国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。


「所長。財政って、結局何ですか?」


「国が金を集め、管理し、使うことだ」


「歳入と歳出ですね」


「そうだ」


 私は大きく二つの欄を作りました。


 歳入。


 歳出。


「歳入は、国に入ってくるお金」


「例えば?」


 相馬先輩が聞きます。


「税金です」


「ほかには」


「国債を発行して調達するお金などです」


「じゃあ歳出は?」


「公務員の人件費、公共事業、社会保障、教育、防衛……」


「なるほど」


 先輩が頷きました。


「入る金と出る金か」


「そうです」


 国家も、活動するにはお金が必要です。


 道路を造る。


 学校を運営する。


 警察や消防の体制を支える。


 福祉サービスを提供する。


 そのためには、財源が要ります。


 でも。


「ここが重要なんですよね」


 私はノートに線を引きました。


「国が使うお金は、結局、国民が負担する」


「そうだな」


「だから政府が勝手に集めたり使ったりするのは困る」


 例えば。


 ある日、総理大臣がテレビに出てきて、


『立派な道路を造りたいので、明日から全国民から一万円集めます』


 と言い出したら。


 どうでしょう。


 立派な道路。


 いいことです。


 でも。


 だからといって、総理大臣の一存で税金を増やせるわけではありません。


「国民の代表が決める必要がある」


 私は言いました。


「そこで国会です」


 片桐所長が頷きました。


「財政民主主義だ」


 財政民主主義。


 国の財政を、国民の代表で構成される国会の統制のもとに置く原則。


 国会議員は、国民が選挙で選びます。


 その国会が、法律や予算などを通じて財政を統制する。


 つまり。


 お金を集めたり使ったりする権限を、行政権だけに独占させない。


「なるほど」


 私は頷きました。


「財政民主主義は、単に節約しろって話じゃないんですね」


「当然だ」


 相馬先輩が言います。


「金を使うなって話なら、役所は何もできねえだろ」


「ですよね」


「誰が決めるか、って話だ」


 そうです。


 国民の負担に関わる財政活動だからこそ、


 民主的な統制が必要になる。


 私はノートに書きました。


 ――財政民主主義=国の財政は、国会の議決に基づく民主的統制を受ける。


「でも所長」


「何だ」


「八十三条には『国の財政』って書いてありますよね」


「そうだ」


「宮田さんの事件は、市の財政でした」


 片桐所長が頷きました。


「そこを混同するな」


 私は赤鉛筆を止めました。


 重要なところです。


 憲法八十三条は、直接には国の財政について定めています。


 一方、地方公共団体の財政には、地方自治の保障や地方自治法、地方税法などの仕組みが関わります。


 憲法九十二条。


 地方自治の本旨。


 憲法九十四条。


 条例制定権など。


「地方公共団体にも、地方議会があります」


「そうだ」


「地方税は、地方税法に基づき、原則として条例で定められる」


「うん」


「だから、市長が一人で新しい税金を作っていいわけではない」


「そういうことだ」


 私はノートに二つの図を書きました。


 国の財政。


 国会による統制。


 地方の財政。


 地方議会による統制を含む、地方自治法・地方税法上の仕組み。


「これ、試験で引っかかりそうですね」


「どういう問題だ」


 相馬先輩が聞きました。


「『地方公共団体の税金も、すべて国会が個別に決定しなければならない』とか」


「違うな」


「はい。地方税には条例による決定の仕組みがあります」


 もちろん。


 地方議会が決めれば、どんな税金でも自由に作れるという意味でもありません。


 法律による枠組みや制約があります。


「上にも下にも、勝手にはできない」


 私は呟きました。


「そういう仕組みなんですね」


 片桐所長が頷きました。


「権力を分け、手続を踏ませる。それも憲法の役割だ」



 次。


 憲法第八十四条。


 私は大きく書きました。


 ――あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。


「これが租税法律主義ですね」


「そうだ」


 片桐所長が言いました。


「なぜ必要だと思う」


「勝手に税金を取られないためです」


「もう少し正確に」


 うっ。


 また来た。


 所長の『もう少し正確に』。


 受験生にとって、最も怖い言葉の一つです。


「税金を新しく課したり、既存の税金を変更したりするときには、法律または法律が定める条件に基づく必要がある、ということです」


「そうだ」


 私は頷きました。


 例えば。


 総理大臣が突然、


『明日から昼寝税を導入します』


 と発表したとします。


 昼寝一回、百円。


 一日三回寝たら、三百円。


 休日に寝だめしたら、大変なことになります。


「……何だ、その税金」


 相馬先輩が言いました。


「例えです」


「お前が真っ先に課税されそうだな」


「昼寝なんてしてません!」


「昼休みに机で寝てたろ」


「あれは目を閉じて憲法を思い出してたんです!」


「便利な勉強法だな」


 ともかく。


 総理大臣がどれほど熱心に昼寝税を導入したくても、


 法律上の根拠なしに、勝手に課税することはできません。


「租税法律主義は、国民の財産に対する重要な保障なんですね」


「そうだ」


 所長が言いました。


「ただし、税を一切課してはならないという原則ではない」


「はい」


「国民の代表が定めたルールに従って、課税するということだ」


 ここは大事です。


 税金が嫌だから、憲法八十四条を持ち出せば払わずに済む。


 そんな話ではありません。


 適法に成立した租税については、納税義務が生じます。


 憲法三十条にも、


 ――国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。


 とあります。


 国民には納税の義務がある。


 でも。


 その納税義務は、法律に基づくものでなければならない。


「三十条と八十四条、つながっていますね」


 私が言うと、所長が頷きました。


「納税の義務と、課税権への制約だ」


 私はノートに書きました。


 憲法三十条。


 法律の定めるところによる納税義務。


 憲法八十四条。


 法律又は法律の定める条件による課税。


「表と裏ですね」


「そういう理解でいい」


 国民は、適法な税金を納めなければならない。


 その一方で、国は法的根拠なく税金を課してはならない。


 どちらか一方だけではありません。



「では、こはる」


 片桐所長が言いました。


「宮田さんの協力金は、税金だったのか」


 私はペンを止めました。


「……そこなんですよね」


 月三千円。


 駅前環境整備協力金。


 市長決裁。


 条例なし。


 でも、沢渡課長は言いました。


 税金ではない。


 任意の協力金だ。


「税金じゃないなら、八十四条は関係ないんですか?」


 私は尋ねました。


「そう単純には言えん」


 所長が答えました。


「まず、何のために、どのような法的性質の金を、どういう仕組みで徴収しているのかを見る」


 相馬先輩が腕を組みます。


「名前だけ変えりゃいいなら、何でもありだからな」


「ですよね」


 例えば。


 税金とは呼ばない。


 協力金と呼ぶ。


 寄附金と呼ぶ。


 負担金と呼ぶ。


 だから法律は関係ない。


 そんな理屈が通るなら、


 租税法律主義は簡単に骨抜きになります。


 もっとも。


「逆もありますよね」


 私は言いました。


「名前が協力金だから、必ず税金だとも言えない」


「そうだ」


 所長が頷きました。


 実際に任意で払う寄附金なら、税金とは異なります。


 特定のサービスを受けた対価として支払う使用料や手数料も、一般に税金とは別の性質です。


 ただし、それぞれに必要な法的根拠や手続が問題になる場合があります。


 そして。


 税ではない公的な負担であっても、その性質に応じて憲法八十四条の趣旨が及ぶかを検討すべき場合があります。


「要するに」


 相馬先輩が言いました。


「看板だけで判断すんな、ってことだな」


「はい」


 私はノートに丸をつけました。


 宮田さんの事件で大切だったのは、


 協力金という名前そのものではありませんでした。


 本当に任意なのか。


 払わない自由があるのか。


 払わないことで、役所から不利益を受けないか。


 実質的に義務づける仕組みになっていないか。


 そこです。


「だから、沢渡課長に確認したんですね」


 私は言いました。


「任意なら、納付しないことだけを理由に不利益を与えないと明示してください、って」


「そうだ」


「もし税として義務づけるなら、適法な根拠が必要になる」


「そこもそうだ」


 市役所は、その問題を受けて徴収開始を延期しました。


 協力金の法的性質を再検討する。


 任意性を明確にする。


 納付しないことのみを理由とする不利益取扱いをしない。


 従前の案内を撤回する。


「結局、協力金そのものが違憲だと確定したわけではありません」


「当然だ」


 所長が言いました。


「行政書士が違憲判決を出すわけではない」


「はい」


「われわれがやったのは、制度の法的問題点を整理し、行政に再検討を求めたことだ」


 裁判ではない。


 違憲判決でもない。


 それでも。


 憲法の論理が行政の判断を動かした。


 私はそこに、少し感動していました。



「では、次です」


 私はノートをめくりました。


 ――課税要件法定主義。


「名前が長いですね」


「文句を言うな」


 相馬先輩が即答しました。


「覚える前から疲れます」


「現場では疲れたなんて言えねえぞ」


「はいはい」


 課税要件法定主義。


 租税法律主義の具体的な内容の一つです。


 納税義務が成立するための要件や、税の賦課・徴収に関する基本的な手続は、法律で定めなければならない。


「所長。課税要件って、何があるんでしたっけ」


「言ってみろ」


 私は指を折りました。


「納税義務者」


「うん」


「課税物件」


「うん」


「課税物件の帰属」


「うん」


「課税標準」


「うん」


「税率」


「そうだ」


 私は五つを書き並べました。


 まず、納税義務者。


 誰が税金を払うのか。


 次に、課税物件。


 何に対して税金を課すのか。


 課税物件の帰属。


 その課税対象が、誰に帰属するのか。


 課税標準。


 何を基準に税額を計算するのか。


 税率。


 どの割合や金額で税を課すのか。


「具体例で考えましょう」


 私は言いました。


「宮田さんのうどん屋に、仮に売上げに応じた税金を課すとしたら」


「おう」


「誰が納めるかを決める」


「うん」


「何を課税対象にするかを決める」


「うん」


「誰の売上げとして扱うかを決める」


「うん」


「課税標準となる金額を決める」


「うん」


「最後に税率を決める」


「そうだ」


 相馬先輩が頷きました。


「全部決まってなきゃ、計算できねえな」


「そうなんです」


 誰が払うのか分からない。


 何に課税するのか分からない。


 税率も分からない。


 それなのに、


『役所が適当に判断します』


 では困ります。


「宮田さんの件では?」


 片桐所長が聞きました。


 私は実施要領の写しを広げました。


 そこには、こう書かれていました。


 ――駅前環境整備事業によって相当の利益を受けると認められる事業者。


「この『相当の利益』が問題でした」


 私は言いました。


「何をもって相当とするか、はっきりしていなかった」


「そうだ」


「もし租税として課す仕組みなら、徴収対象を役所の自由な判断に丸投げすることはできません」


 課税要件法定主義。


 税金を取るための基本的なルールは、立法によって定める。


 行政庁が勝手に作らない。


「つまり」


 私はノートに書きました。


 ――誰から、何に、どんな基準で、いくら税を取るかは、法律で定める。


「これで覚えられますね」


「それだけだと少し足りん」


 所長が言いました。


「賦課や徴収の手続も忘れるな」


「あっ」


 そうでした。


 納税義務が発生する条件だけでなく、


 税額の確定や徴収などの手続についても、法律による規律が必要です。


「税金の額さえ正しければ、どんな取り方でもいいわけじゃない」


「そうだ」


「重要ですね」


 私は赤鉛筆で書き足しました。


 ――課税要件だけでなく、賦課・徴収の基本的手続にも法的根拠が必要。



「でも、所長」


「何だ」


「法律が全部、細かい数字まで決めなければならないんですか?」


「いい質問だ」


 あ。


 褒められた。


 珍しい。


「法律が、下位の命令に細目を委任することはある」


「政令や省令ですね」


「そうだ」


 法律ですべてを細かく決めるのは、現実には難しい場合があります。


 技術的な計算方法。


 申告書の様式。


 具体的な手続の細目。


 そうした事項について、法律が政令や省令に委任することはあります。


「じゃあ」


 私は言いました。


「法律で『税金のことは全部、役所が自由に決めてよい』と書いたら?」


「駄目だ」


 片桐所長が即答しました。


 早い。


「なぜです?」


「それでは法律で決めた意味がない」


 そうです。


 租税法律主義なのに、


 法律で決めたことが、


『具体的なことは、全部行政にお任せします』


 だけだったら。


 結局、行政が勝手に税金を決められることになります。


「白紙委任ですね」


「そうだ」


 一般的・白紙的な委任は許されない。


 委任するなら、


 具体的・個別的な委任でなければならない。


 しかも。


 委任の目的。


 委任の内容。


 委任の程度。


 これらが、法律から明確に読み取れる必要があります。


「……なるほど」


 私は頷きました。


「国会が税率を決める役割を放棄して、行政に丸投げするのは駄目なんですね」


「そういうことだ」


 私は試験用の例を考えました。


 仮に法律に、


『税率は一パーセント以上三パーセント以下とし、具体的な税率は、法律に定める基準に従い政令で定める』


 という仕組みがあったとします。


 もちろん、実際にその委任が適法かどうかは、税の性質や法律全体の規定などによります。


 でも少なくとも、


 何の制限もなく行政に決めさせる場合とは違います。


 一方。


『税率その他税金に関する事項は、すべて大臣が自由に決める』


 では、どうでしょう。


「……さすがに駄目です」


 私が言うと、相馬先輩が笑いました。


「当たり前だろ」


「でも、試験で文章を長くされると迷うんですよ!」


「言い訳すんな」


 私はノートに二重線を引きました。


 ――租税に関する委任立法は可能。ただし、白紙委任は許されず、具体的な委任が必要。


 そして。


「宮田さんの件では、市長決裁の実施要領だけでした」


「そうだ」


「市長が『協力金だから任意』という制度を作ることと、法的義務として新しい税を課すことは別問題」


 片桐所長が頷きました。


「そこが分かればいい」



「さて」


 私は次の見出しを書きました。


 ――課税要件明確主義。


「また似た名前です」


 相馬先輩が笑いました。


「法定と明確だろ」


「二文字違いで全然違うこと言いますよね」


「法律じゃよくある」


「受験生泣かせですね」


 課税要件明確主義。


 法律や適法な委任に基づく命令で定められる課税要件や徴収手続は、明確でなければならないという原則です。


「こはる」


 片桐所長が言いました。


「法定主義との違いは」


「法定主義は、法律で決めること」


「うん」


「明確主義は、決めた内容を明確にすること」


「そうだ」


 私は赤と青の鉛筆で書き分けました。


 法定主義。


 誰が決めるのか、何を法律で決める必要があるのか。


 明確主義。


 その内容が、どれほど明確でなければならないか。


「分かったような、分からないような……」


 私が呟くと、相馬先輩が机を叩きました。


「昨日の課長の説明を思い出せ」


「相当の利益を受ける事業者、ですね」


「そうだ」


 駅前環境整備協力金。


 対象は、


 相当の利益を受けると認められる事業者。


「相当って、いくらですか?」


「知らねえ」


「どれくらい得をしたら対象ですか?」


「知らねえ」


「誰が決めるんですか?」


「役所だろ」


「基準は?」


「曖昧だったな」


 私は頷きました。


「だから問題になったんです」


 仮に、そのような基準で納税義務を課す制度だったなら。


 役所が、


 あなたは利益を受けている。


 あなたは受けていない。


 あなたは払え。


 あなたは払わなくてよい。


 と恣意的に判断する余地が生まれてしまいます。


「それじゃ公平じゃありません」


「そうだな」


「納税する側も、自分が対象になるのか予測できない」


「そこだ」


 片桐所長が言いました。


「国民が事前に、自分の納税義務を予測できることが重要なんだ」


 予測可能性。


 この言葉が、頭の中で光りました。


 税金がいくらかかるのか。


 自分に納税義務があるのか。


 どんな取引をしたら課税されるのか。


 それが分からないと、人は安心して生活や事業を営めません。


 法律で決めてあっても、内容が曖昧すぎれば困る。


「つまり」


 私はノートに書きました。


 ――法定主義は『役所が勝手に決めるな』。明確主義は『何を決めたか、はっきりさせろ』。


「これ、どうですか?」


 相馬先輩が覗き込みました。


「分かりやすいじゃねえか」


「褒めましたね?」


「たまにはな」


 珍しい。


 明日は雪かもしれません。


「ただし」


 片桐所長が続けました。


「明確主義について、一つ注意がある」


「何でしょう」


「法律に抽象的な言葉があるからといって、すべて直ちに違憲になるわけではない」


 私は頷きました。


 例えば。


 正当な理由。


 通常必要な費用。


 相当な金額。


 こうした言葉は、法律の中でも使われます。


 税法でも、事実関係に応じた評価が必要な場合があります。


 抽象的な言葉が一つあるだけで、すべて違憲になる。


 そんな単純な話ではありません。


「法律全体の規定や、その言葉の解釈、客観的な判断基準があるかどうかも考える」


「そうだ」


「課税庁が好き勝手に判断できるほど不明確なのか、ということですね」


「その理解でいい」


 私はノートに注意書きを足しました。


 ――抽象的な文言=直ちに違憲、ではない。合理的な解釈が可能か、恣意的な課税を防げるかを考える。


「これも試験で狙われそうですね」


「お前は全部試験に結びつけるな」


 相馬先輩が言いました。


「行政書士受験生ですから!」


「今は見習いだろ」


「両方です!」


「欲張りだな」


 でも。


 この違いは、本当に大事です。


 法律に書いてある。


 それだけでは足りない。


 何が書いてあるのかが明確でなければならない。


 そして、その明確さは、単に文章が短いとか長いとかでは決まりません。


 国民が予測できるか。


 行政による恣意的な運用を防げるか。


 そこが問題なのです。



 私は、ノートの中央に二つの言葉を書きました。


 ――法定。


 ――明確。


「所長」


「何だ」


「この二つって、セットですね」


「どういう意味だ」


「法律で決めても、曖昧すぎたら困る」


「うん」


「逆に、ものすごく明確でも、役所が勝手に決めた税金なら困る」


 例えば。


 市長が、


『駅前の全店舗から、毎月三千円を税として徴収する』


 と決めたとします。


 誰から。


 いくら。


 いつ。


 それが全部明確だったとしても。


 適法な課税根拠がなければ、それだけで税を課せるわけではありません。


 一方。


 法律で、


『相当な利益を得た者に、適切な税額を課す。具体的な基準は行政が自由に決める』


 とした場合。


 法律には書かれています。


 でも、委任や課税要件の内容に重大な問題があります。


「なるほどな」


 相馬先輩が頷きました。


「どっちか片方だけじゃ駄目ってことか」


「はい」


 私はノートに大きく書きました。


 ――課税要件法定主義+課税要件明確主義=恣意的な課税を防ぐ二つの柱。


 受験生時代は、似た名前の二つの用語でした。


 でも今なら、区別できます。


 誰が決めるのか。


 どれほど明確に決めるのか。


 その両方が必要なのです。



「じゃあ」


 私は六法を閉じかけて、ふと手を止めました。


「所長。もう一つ気になっていることがあります」


「何だ」


「国会が予算を決めれば、税金を自由に取れるんですか?」


 相馬先輩がこちらを見ました。


「何だ、その質問」


「八十三条は国会の議決って言ってますよね」


「そうだな」


「だったら、国会が予算を決めれば、それで新しい税金も取れるのかなって」


 片桐所長が、少しだけ目を細めました。


「そこは区別しろ」


「はい?」


「予算の議決と、課税の法的根拠は別だ」


 私は慌ててノートを開き直しました。


 そうです。


 予算は、国の歳入歳出の見積りや支出の枠組みに関わるもの。


 税を課す根拠となる法律とは、役割が違います。


 国会が予算を議決した。


 その予算に新しい税収が見込まれている。


 だからといって、


 それだけで新税を課せるわけではありません。


「新しい税金を取るなら、八十四条に従った法律上の根拠が必要」


「そうだ」


「予算だけでは駄目」


「うん」


 私は赤鉛筆で大きく囲みました。


 ――予算の議決≠新税を課す法律の成立。


「危なかった……」


 思わず呟きました。


「何がだ」


 相馬先輩が聞きます。


「国会が決めれば何でもいい、って覚えるところでした」


「雑に覚えようとするからだ」


「反省してます」


 でも。


 財政民主主義という大きな原則の中にも、いろいろな仕組みがある。


 課税には法律上の根拠。


 国の支出には予算などを通じた国会の統制。


 決算については、会計検査院の検査と国会への提出。


 どれも、政府のお金の扱いを民主的に統制するための仕組みです。


「お金を集める段階だけじゃないんですね」


「そうだ」


 所長が言いました。


「使う段階も、その後の確認も重要だ」


 私は頷きました。


 憲法八十三条。


 財政民主主義。


 憲法八十四条。


 租税法律主義。


 八十四条は、八十三条の財政民主主義を、税の側面で具体化したもの。


 だからこそ、二つを一緒に学ぶ意味があるのです。



 ここで私は、六法のページを少し撫でました。


「……やっぱり不思議です」


「何がだ」


 相馬先輩が聞きます。


「この条文、私が生きていた時代と一字一句同じなんですよ」


「また未来の話か」


「はい」


 昭和六十三年。


 そして令和の時代。


 日本国憲法は、一度も改正されていません。


 八十三条も、八十四条も同じ。


 財政民主主義。


 租税法律主義。


 その基本原則も変わりません。


 ただ。


「現代なら、もう少し説明が丁寧になるかもしれませんね」


 私は言いました。


「何がだ」


「行政が住民に負担を求めるときの説明です」


 昭和六十三年の地方都市では、


 町のためだから。


 皆さん協力しているから。


 市長が決めたから。


 そんな言葉が、想像以上に強い力を持っています。


 でも。


 そうした社会の空気が、法的根拠の代わりになるわけではありません。


「昔から同じ憲法があったのに」


 私は呟きました。


「それをちゃんと使えるかどうかは、また別なんですね」


 片桐所長が頷きました。


「条文が変わらなくても、制度の運用や社会の受け止め方は変わる」


 現代では、行政手続の公正さや透明性、説明責任がより強く意識される場面が増えています。


 もちろん、現代だから理不尽な行政がなくなったわけではありません。


 昭和だから、すべての役所が乱暴だったわけでもありません。


 でも。


 宮田さんの事件で感じた、あの重苦しい空気。


 全員払う。


 払わない店は協調性がない。


 役所に逆らうのはよくない。


 それが、法的な義務とは別のところで人を縛っていた。


「公共の福祉って言われると、黙ってしまいそうになります」


 私は言いました。


「でも、何でも許される言葉じゃない」


「そうだ」


 所長が静かに答えました。


「公共の福祉は、法的根拠を不要にする魔法の言葉ではない」


 その一言で、私は少し笑いました。


 まさに、それです。


 公共の福祉。


 地域の秩序。


 町の発展。


 どれも重要です。


 でも、その目的が正しければ、手段も何でも許されるわけではない。


 財政を民主的に統制すること。


 税を法律に基づいて課すこと。


 負担の基準を明確にすること。


 そうした手続は、目的が立派でも省略できません。


「宮田さんの件も」


 私は言いました。


「駅前を綺麗にする目的自体は、否定しませんでした」


「ああ」


「問題だったのは、お金を集める方法」


「そうだ」


「任意と言いながら、事実上断れないようにしていた」


「うん」


「しかも、誰が対象なのかも曖昧だった」


 その運用を見直してもらうために、


 私たちは憲法を使った。


 最高法規を振りかざして勝ったのではない。


 最高法規が要求する統制の原則を出発点にして、


 地方税法や条例との関係、


 協力金の任意性、


 徴収対象の基準、


 そうした問題を一つずつ整理した。


 だから、沢渡課長も動いたのです。


「憲法って」


 私は呟きました。


「大声で叫ぶより、静かに突きつけるほうが強いこともあるんですね」


 相馬先輩が笑いました。


「やっと分かったか」


「はい」


「三流は、すぐ違憲だ違憲だと騒ぐ」


「所長も言いそうですね」


「一流は、逃げ道を塞いでから言う」


 私は頷きました。


 沢渡課長は、感情論では動きません。


 でも。


 法的に問題のある徴収を始めれば、


 行政の信頼が傷つく。


 制度の再検討が必要になる。


 場合によっては、徴収の適法性が争われる。


 そのリスクを理解すれば、


 無理な制度を押し通す必要はない。


 それが、沢渡課長の合理性です。


「課長、賢いですよね」


 私が言うと、相馬先輩が鼻を鳴らしました。


「ああいう相手のほうが、話は早い」


「どうしてです?」


「こっちが筋を通せば、向こうも筋で考えるからだ」


 なるほど。


 法律の敵は、いつも悪人とは限りません。


 前例。


 慣習。


 組織の都合。


 予算不足。


 そういうものが、法的な原則を見えにくくすることもあります。


 だから。


 事実と法理を整えて、相手が見直せる道を示す。


 行政書士の仕事は、そういうところにあるのかもしれません。



 私はノートの最後のページを開きました。


「よし。まとめます」


 相馬先輩が椅子を傾けます。


「長かったな」


「まだ終わってません」


「まだあるのかよ」


「最後です!」


 私は今日の内容を、順番に確認しました。


 まず。


 財政民主主義。


 憲法八十三条。


 国の財政は、国会の議決に基づいて行使される。


 次に。


 租税法律主義。


 憲法八十四条。


 新たに租税を課したり、既存の租税を変更したりするには、法律または法律の定める条件による必要がある。


 そして。


 課税要件法定主義。


 誰が、何について、どの基準で、いくら税を負担するのか。


 課税要件や賦課・徴収の基本的手続には、法律による根拠が必要。


 課税要件明確主義。


 その定めは、納税者が予測でき、課税庁の恣意的な判断を防げる程度に明確でなければならない。


 さらに。


 法律から命令への委任。


 具体的・個別的な委任は認められるが、一般的・白紙的な委任は許されない。


 委任の目的、内容、程度が明確でなければならない。


「……以上です!」


 私は勢いよく言いました。


 相馬先輩が拍手を一回だけしました。


「お疲れさん」


「雑!」


「ちゃんと聞いてたぞ」


「じゃあ質問です」


「何だよ」


「課税要件法定主義とは?」


「誰から何にいくら取るか、基本は法律で決めろ」


「課税要件明確主義は?」


「決めた内容を曖昧にするな」


「白紙委任は?」


「駄目」


「租税法律主義は?」


「勝手に税金を作るな」


「財政民主主義は?」


「国の金を、政府が好き勝手に扱うな」


 私は黙りました。


「……先輩」


「何だ」


「全部、すごく分かりやすい」


「だろ?」


「最初からそう説明してくださいよ!」


「お前が勝手に長々と勉強してただろ!」


 理不尽です。


 でも、たぶん。


 最初にその短い説明だけ聞いても、私は本当の意味では理解できなかったでしょう。


 宮田さんの事件があった。


 月三千円の協力金。


 市長決裁。


 曖昧な徴収対象。


 払わなければ不利になるかもしれないという不安。


 それを見たあとだから。


 今なら、短い説明の後ろにある意味が分かります。



 窓の外を見ると、すっかり暗くなっていました。


 駅前の街灯が、通りを照らしています。


 あの街灯も、誰かのお金で設置されています。


 道路も。


 公園も。


 学校も。


 役所の建物も。


 どこかで、誰かが負担しています。


 だからこそ。


 その負担を誰が決めるのか。


 どのようなルールで決めるのか。


 そこが重要になる。


 私はノートの最後に、大きく書きました。


 ――税金は、必要だから取れるのではない。法律に基づき、明確なルールで取る。


「……よし」


 私は頷きました。


 今日の一行の覚え書き。


 これで完成です。


「相馬先輩」


「何だ」


「できました」


「見せろ」


 先輩がノートを覗き込みます。


「……悪くねえな」


「褒めた!」


「うるせえ」


 私は笑いながら、ノートを閉じました。


 財政民主主義。


 租税法律主義。


 課税要件法定主義。


 課税要件明確主義。


 難しい名前です。


 でも。


 そのすべてが、たった一つのことにつながっています。


 ――権力が、国民の負担を勝手に決めてはならない。


 日本国憲法は、昭和六十三年も令和も同じです。


 条文は一字一句変わっていません。


 でも。


 法律が本当に人を守るかどうかは、


 その条文を知っている人が、現実の問題にどう向き合うかで変わります。


 宮田さんは、法律の専門家ではありません。


 憲法八十三条も。


 八十四条も。


 きっと、普段は意識していないでしょう。


 でも。


 そんな人の生活を守るためにこそ、


 憲法は存在しています。


 私は、小さく息を吐きました。


「……今日の憲法、ちょっと好きです」


 相馬先輩が笑いました。


「昨日も同じこと言ってなかったか?」


「毎日好きになるんです」


「安い女だな」


「法律への愛情です!」


 片桐所長が帳簿を閉じました。


「終わったなら、片付けろ」


「はい」


 私は六法を本棚へ戻しました。


 そして。


 机の上に残っていた、宮田さんの割り箸の袋を拾い上げます。


「これ、やっぱり取っておこう」


「まだ言ってるのか」


 相馬先輩が呆れました。


「記念ですってば」


「何の」


「憲法で、うどん屋さんの三千円を守った記念です」


 相馬先輩は少し笑いました。


「三千円だけじゃねえだろ」


「え?」


「来月も、その次もだ。曖昧なやり方で取られるはずだった金を、いったん止めたんだ」


 私は黙りました。


 確かに。


 月三千円。


 一年なら三万六千円。


 何年も続けば、もっと大きくなる。


 もちろん、将来、適法な制度で負担を求められることはあるかもしれません。


 でも。


 少なくとも今は、


 根拠の曖昧な徴収に、そのまま従わなくて済む。


 それだけでも大きい。


「先輩」


「何だ」


「憲法って、長期的に見ると節約効果がすごいですね」


「そういう話じゃねえ!」


 怒られました。


 でも、そのとき。


 片桐所長が静かに言いました。


「こはる」


「はい」


「さっきのまとめ、もう一度言え」


 私は背筋を伸ばしました。


「税金は、必要だから取れるのではない。法律に基づき、明確なルールで取る」


 所長が頷きました。


「そうだ」


 そして、少し間を置いて。


「もう一つ、覚えておけ」


「何でしょう」


「国民から集めた金は、権力者のものではない」


 私は顔を上げました。


「国の財政も、地方の財政も、預かった権限として適法に扱わなければならない」


 その言葉を聞いて。


 私は、ノートの表紙をそっと撫でました。


 最高法規。


 日本国憲法。


 法律の一番上にある、国の基本ルール。


 それは、壮大な政治の話だけではありません。


 駅前の小さなうどん屋さん。


 毎日働く人。


 家族を養う人。


 商売を続けたい人。


 そんな人たちの、


 たった三千円にもつながっているのです。


 私は、最後にもう一度だけノートを開きました。


 そして。


 今日の一行を、赤鉛筆で囲みました。


 ――税金は、必要だから取れるのではない。法律に基づき、明確なルールで取る。


 これだけは。


 もう、忘れないと思います。


「こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい」


「今日のうどんの話だけどな」


「何です?」


「宮田さん、また差し入れ持ってきてくれるかな」


「先輩!」


「何だよ」


「まだ食べる気ですか!」


「いや、あれ美味かったからな」


 私は腕を組みました。


「では、差し入れ協力金を徴収します」


「は?」


「一回につき、五百円です」


「誰が決めた!」


「私です!」


「法律の根拠は!」


「ありません!」


「じゃあ払わねえ!」


 そこで私は、にやりと笑いました。


「でも、任意の協力です」


「だったら断る!」


「断った場合、今後の先輩のうどんの分配に際し、参考とする場合があります」


「おい!」


 相馬先輩が立ち上がりました。


「それ、まんま昨日の市役所じゃねえか!」


「よく覚えてますね!」


「お前が今日、一日中説明してたからな!」


 私は笑いながら、ノートを抱えました。


 片桐所長が、呆れたように首を振ります。


「こはる」


「はい」


「その協力金制度は却下だ」


「ええっ!」


「理由は分かるな」


 私は少し考えてから、笑いました。


「……任意と言いながら、断る自由を実質的に奪っているからです」


「そうだ」


 所長が頷きました。


「分かったなら、もう帰れ」


「はい!」


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


 どうやら、この事務所では。


 新しい税金を作ることはおろか、


 うどんの協力金を集めることさえ、


 憲法の壁を越えなければならないようです。


 もっとも。


 私は、その壁が少し好きになっていました。


 なぜなら。


 権力が勝手に越えられない壁があるということは、


 その向こう側で、


 誰かの小さな暮らしが守られているということなのですから。

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