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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈憲法 配点28点/300点〉 統治

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398/614

[憲法・国会の権能]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 国のお金は、誰が使うのでしょうか。


 内閣。


 役所。


 国会。


 どれも正解のようで、どれも少し違います。


 お金を集める人。


 予算を作る人。


 予算を認める人。


 実際に使う人。


 使い道を検査する人。


 憲法は、その仕事をわざわざ分けています。


 なぜでしょう。


 答えは、意外と単純です。


 ――全部を同じ人に任せたら、怖いから。


 昭和六十三年。


 夕方。


 片桐行政書士事務所。


 窓の外では、商店街の街灯が一つずつ点き始めていました。


 机の上には、憲法の六法全書。


 その隣には、一冊のノート。


 私は赤ペンを握りしめていました。


「……国会って、思ったより仕事が多いですね」


「何だ、また勉強か」


 相馬先輩が新聞を畳みました。


「はい。今日は国会の権能です」


「昨日やっただろ」


「昨日は現場です。今日は法理です」


「何が違う」


「現場で使った知識を、試験で間違えない形に整理するんです」


「最初からそうしろ」


「それができたら苦労しません!」


 私はノートの表紙を開きました。


 昨日まで。


 国会の権能。


 その言葉は、単なる暗記項目でした。


 法律の議決。


 内閣総理大臣の指名。


 条約の承認。


 財政の監督。


 ……はい、覚えましょう。


 そんな感じです。


 でも。


 宮原修一さんの補助金申請。


 商店街の会合で、税金の使い道を質問したこと。


 その質問が、地域との協調性を欠く行為として不利に評価されていたこと。


 市役所が審査を見直し、補助金四十五万円の採択につながったこと。


 そこまで経験したあとでは。


 国会の権能が、ただの暗記問題には見えません。


「所長」


「何だ」


「国会って、国民の自由を守る仕組みの一部なんですね」


 片桐所長は帳簿から顔を上げました。


「そうだ」


「法律を作るだけじゃなくて、行政が勝手なことをしないように監督する」


「そのとおりだ」


「じゃあ今日は、それを整理します」


 私はノートの一番上に、大きく書きました。


 ――国会の権能。


「まず、国会って何なんですか」


 私が尋ねると、相馬先輩が呆れた顔をしました。


「そこからか」


「基本が大事なんです」


「国会だろ」


「説明になってません!」


 片桐所長が口を開きました。


「憲法四十一条だ」


 私は六法を開きました。


 日本国憲法第四十一条。


 ――国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。


「これですね」


「ああ」


 国権の最高機関。


 国の唯一の立法機関。


「最高機関ってことは、国会が内閣や裁判所に命令できるんですか?」


 相馬先輩が笑いました。


「だったら三権分立はどうなる」


「……ですよね」


 危ない。


 ここ、行政書士試験で引っかけられそうです。


 私は赤ペンを持ち直しました。


 国会は国権の最高機関。


 しかし、だからといって内閣や裁判所に対して、一般的な指揮命令権を持つわけではありません。


 最高機関という言葉は、国会があらゆる国家機関を自由に支配できるという意味ではない。


「国民の代表機関として、国政上の重要な地位を持つ」


 片桐所長が言いました。


「ただし、権限は憲法に従って行使する」


「はい」


 私は頷きました。


 国会。


 内閣。


 裁判所。


 それぞれ役割が違う。


 立法。


 行政。


 司法。


 どれか一つが、全部を独占するわけではありません。


「でも、国会が唯一の立法機関なら」


 私は言いました。


「法律を作るのは国会なんですね」


「原則として、そうだ」


 そうです。


 ここも注意。


 国の唯一の立法機関だからといって、地方公共団体が条例を制定できなくなるわけではありません。


 条例制定は憲法九十四条などに根拠があります。


 国会の立法権と、地方公共団体の条例制定権。


 同じようで、位置づけが違う。


 私はノートに書きました。


 国会は国の唯一の立法機関。


 ただし、地方公共団体には条例制定権がある。


「……一行覚えるだけで、もう注意点が出ました」


「憲法を甘く見るな」


 相馬先輩が言いました。


「はい」


 私は素直に頷きました。


 憲法。


 短い条文ほど、油断できません。


「では、国会の権能です」


 私はノートの次のページを開きました。


「教材では、七つに整理されていました」


「言ってみろ」


 相馬先輩が腕を組みます。


 私は指を折りながら答えました。


「一つ目。憲法改正の発議」


「うん」


「二つ目。法律の議決」


「うん」


「三つ目。内閣総理大臣の指名」


「うん」


「四つ目。弾劾裁判所の設置」


「うん」


「五つ目。財政の監督」


「うん」


「六つ目。皇室の財産事項に関する議決」


「うん」


「七つ目。条約の承認」


 相馬先輩が頷きました。


「まあ、覚えてるな」


「昨日の事件のおかげです」


 ただし。


 ここで、私は一つ線を引きました。


 この七つは、国会の重要な権能を学習用に整理したもの。


 憲法上の権能が、厳密にこの七項目だけに限定されているわけではありません。


 例えば、両議院には憲法六十二条に基づく国政調査権もあります。


「試験では」


 私は言いました。


「単に七つを丸暗記するだけじゃなく、それぞれ誰が何をするのかが重要ですね」


「そうだ」


「特に、国会と内閣の仕事を混同しないこと」


 所長が頷きました。


 私は最初の項目に丸をつけました。


 憲法改正の発議。


 憲法九十六条第一項。


「国会は、憲法改正を発議できます」


「それで憲法が変わるのか」


 相馬先輩が尋ねます。


「変わりません」


「なぜだ」


「国民の承認が必要だからです」


 憲法改正。


 各議院の総議員の三分の二以上の賛成。


 その上で国民に提案し、国民投票などによって承認を得る。


「つまり、国会だけで憲法を書き換えられない」


「そうだ」


「憲法は普通の法律より、ずっと改正のハードルが高いんですね」


 私は六法を眺めました。


 日本国憲法。


 昭和二十一年公布。


 昭和二十二年施行。


 そして、私が知っている未来に至るまで、条文は一度も改正されていません。


「……不思議ですよね」


「何がだ」


「この憲法、ずっと同じなんです」


「そうだな」


「でも、人権に対する社会の意識や、判例の積み重ねは変わっていく」


 私は少し考えました。


 同じ条文。


 違う時代。


 同じ言葉。


 違う社会。


 昭和六十三年の宮原さんは、税金の使い道を質問したことで、地域の和を乱す人として見られました。


 現代だって、同調圧力が消えたわけではありません。


 それでも、行政による不利益な取扱いを憲法上の権利と結びつけて検討する意識は、判例や制度の積み重ねとともに発展しています。


「憲法が変わらなくても」


 私は呟きました。


「憲法の意味を、社会が考え続けるんですね」


 片桐所長が頷きました。


「条文を守るというのは、ただ眺めることではない」


 その言葉が、少し胸に残りました。


「次は法律の議決です」


 私はページをめくりました。


 憲法五十九条第一項。


 ――法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。


「国会は法律を議決する」


「そうだ」


「でも、衆議院だけで決められる場合もありますよね」


 相馬先輩が頷きます。


「衆議院の優越だな」


 例えば、法律案。


 衆議院で可決。


 参議院で否決。


 この場合、一定の条件の下で衆議院が出席議員の三分の二以上の多数で再可決すれば、法律となる。


「つまり、法律案は原則として両院で可決するけど、例外もある」


「そういうことだ」


「衆議院だけが法律を作る、ではない」


「当たり前だ」


 私はノートに二重線を引きました。


 原則。


 両議院で可決。


 例外。


 衆議院の再可決など。


「ただ、今日の事件は、法律の議決そのものが問題だったわけじゃありません」


「そうだな」


「でも、補助金制度の根拠や、財政の仕組みを考えると、立法権も無関係じゃない」


 片桐所長が言いました。


「税金を課すにも、法律による根拠が要る」


「憲法八十四条ですね」


 租税法律主義。


 税金を集めるにも、勝手は許されない。


 法律または法律の定める条件が必要。


「集める入口から、憲法の統制があるんですね」


「そうだ」


 私は小さく丸をつけました。


「三つ目。内閣総理大臣の指名」


 憲法六十七条第一項。


 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で指名する。


「ここ、引っかけがあります」


「何だ」


「国会が内閣総理大臣を任命する、という問題です」


 相馬先輩が笑いました。


「違うな」


「はい」


 国会がするのは、指名。


 天皇がするのは、任命。


 憲法六条第一項により、天皇は国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命する。


「指名と任命」


 私は赤ペンで囲みました。


「二文字しか違わないのに、役割が全然違う」


「それが憲法だ」


「しかも、天皇は政治的な選択をして総理大臣を決めるわけじゃない」


「そうだ」


 国会が指名する。


 天皇が、その指名に基づいて任命する。


 役割を取り違えないこと。


 私は頷きました。


「じゃあ、内閣総理大臣が辞めたら、国会がまた指名する」


「ああ」


「国会が行政のトップを選ぶ仕組みなんですね」


 片桐所長が言いました。


「議院内閣制の重要な部分だ」


 なるほど。


 国会と内閣は、完全に切り離された関係ではない。


 国会が内閣総理大臣を指名する。


 内閣は国会に対して責任を負う。


 そして。


 国会は予算を審議し、行政を監督する。


 昨日の事件で見えた財政の仕組みも、その大きな関係の中にありました。


「四つ目。弾劾裁判所の設置」


 私はノートをめくりました。


「これ、最初に見たとき、ちょっと怖かったんですよね」


「何がだ」


「国会が裁判所を作るって」


 相馬先輩が眉を上げました。


「普通の裁判所と混同してねえだろうな」


「してません!」


 ……少しだけ、していました。


 憲法六十四条第一項。


 国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。


「裁判官が非行などを理由に罷免の訴追を受けた場合、罷免するかどうかを判断するための特別な裁判所です」


「そうだ」


「普通の民事裁判とか、刑事裁判をするわけじゃない」


「当たり前だ」


 私はノートに書きました。


 裁判官弾劾裁判所。


 衆議院から選ばれた国会議員七名。


 参議院から選ばれた国会議員七名。


 合計十四名の裁判員。


「十四人!」


 私は言いました。


「衆議院と参議院から七人ずつですね」


「覚えたか」


「はい」


「じゃあ裁判官の非行を訴追するのも、弾劾裁判所か」


「違います」


 私は首を振りました。


「訴追を行うのは、裁判官訴追委員会です」


「よし」


 訴追する側。


 裁く側。


 ここも分かれています。


「裁判官を辞めさせる仕組みを、普通の裁判官だけに任せていないんですね」


「そういうことだ」


「でも、国会議員なら誰でも自由に裁判官を辞めさせられるわけでもない」


 憲法七十八条。


 裁判官は、一定の場合を除き、その意思に反して罷免されない。


 司法権の独立を守るためです。


 裁判官が政治家の顔色をうかがって判決を書く。


 そんな制度になったら、裁判は成り立ちません。


 しかし。


 裁判官に重大な非行があっても、誰も責任を問えない。


 それも困る。


「だから弾劾裁判がある」


 私は呟きました。


「裁判官の独立と、責任を問う仕組み。その両方を考えてるんですね」


 片桐所長が頷きました。


「権力の独立と、無責任は違う」


 短い。


 でも、よく分かる言葉でした。


「五つ目」


 私は赤ペンを置きました。


「今回の本題です」


 財政の監督。


 憲法八十三条から九十一条。


 相馬先輩が椅子にもたれました。


「宮原さんの事件だな」


「はい」


 私はノートの中央に、大きく書きました。


 ――国会は、国の財布を監督する。


「まず、憲法八十三条です」


 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づいて行使しなければならない。


「これが基本原則ですね」


「そうだ」


 財政民主主義。


 国のお金の使い方を、行政だけで決めない。


 国民の代表機関である国会による統制を受ける。


「宮原さんの件でも」


 私は言いました。


「最初、市役所の担当者は『国の予算で認められた事業だから、市の運用に従ってください』と言っていました」


「ああ」


「でも、国の予算が認められたからといって、個別の補助金を好き嫌いで配っていいわけじゃない」


「そうだな」


「逆に、国会が予算を議決したからといって、宮原さんに補助金を受け取る権利が当然に生まれるわけでもない」


 片桐所長が頷きました。


「そこを分けて考えろ」


「はい」


 私は二本の矢印を書きました。


 国会の予算議決。


 国の財政に対する憲法上の統制。


 市の補助金採択。


 市の関係法令・要綱や、国の交付条件などに基づく個別の行政判断。


「国会の権能と、市の審査権限は別」


 私は言いました。


「でも、国の財政から市の補助事業へ、お金の流れがつながっている」


「そういうことだ」


 この区別が、今回の事件の鍵でした。


「次は八十四条」


 私は六法を開きました。


 租税法律主義。


 新しく税金を課す。


 今ある税金を変更する。


 そのためには法律、または法律の定める条件が必要です。


「つまり、役所が突然『来月から税金を倍にします』なんて勝手には決められない」


「そうだ」


「税金って、国民の財産から強制的に集めるものですもんね」


 私は頷きました。


「だから、民主的な統制が必要になる」


 相馬先輩が言いました。


「金を取る方にも法律が要る。使う方にも統制がある」


「入口と出口ですね」


 私は次の条文を指しました。


 憲法八十五条。


 国費を支出する。


 国が債務を負担する。


 その場合にも、国会の議決に基づくことが必要です。


「これが出口」


「ああ」


「税金を集めるときも、使うときも、行政の自由にはしない」


「そういうことだ」


 国会。


 法律。


 予算。


 国民の代表。


 全部がつながってきました。


 私はさらにページをめくりました。


「次。八十六条です」


 内閣は、毎会計年度の予算を作成する。


 国会に提出する。


 国会の審議を受ける。


 議決を経る。


「ここ、重要です」


 私は相馬先輩を見ました。


「予算を作るのは誰ですか」


「内閣」


「予算を議決するのは?」


「国会」


「正解!」


「俺を受験生扱いすんな」


「教えると覚えやすいんです」


「迷惑な勉強法だな」


 でも、本当に重要です。


 予算の作成。


 内閣。


 予算の議決。


 国会。


 似ているようで、仕事が違います。


「じゃあ、内閣が作った予算は、そのまま必ず通るんですか」


 私は自分で問いかけました。


「そんなわけないですね」


「何を一人で納得してる」


 国会が審議する。


 必要に応じて修正を検討する。


 そして議決する。


 ただし、予算には内閣の予算提出権との関係もあり、国会が無制限にどんな予算案でも新しく作れるというわけではありません。


「予算の作成権と議決権」


 私はノートに線を引きました。


「ここは絶対に取り違えない」


「じゃあ、急に災害が起きた場合はどうするんです?」


 私は尋ねました。


「年度の最初に決めた予算で、全部対応できるとは限りませんよね」


 相馬先輩が答えました。


「予備費があるだろ」


「はい」


 憲法八十七条。


 予備費。


 予見し難い予算の不足に備えるため、国会の議決に基づいて設ける。


 内閣の責任で支出できる。


 そして。


 支出したあと、国会の承諾を得なければならない。


「ここ!」


 私は赤ペンで大きく囲みました。


「事後承諾です」


「そうだ」


「先に国会の議決に基づいて予備費を設けて、実際の支出は内閣の責任で行う」


「うん」


「その支出について、あとから国会の承諾を求める」


 私は頷きました。


「つまり、緊急対応はできる。でも使いっぱなしにはできない」


「そういうことだ」


 ただし。


 ここにも試験の罠があります。


「事後承諾が得られなかったら、支出が当然に遡って無効になるんですか?」


 相馬先輩が私を見ました。


「どうなんだ」


「当然には無効になりません」


 私は答えました。


 国会の承諾を得られなくても、すでに行われた支出の効力が当然に失われるわけではない。


 ただし、内閣の政治的責任が問題になります。


「ここ、引っかけられそうですね」


「覚えとけ」


「はい」


 予備費。


 内閣の責任。


 事後の国会承諾。


 承諾が得られなかった場合の政治的責任。


 私は一つずつ丸をつけました。


「次は八十八条」


 私は六法をめくりました。


 皇室財産。


 すべて皇室財産は国に属する。


 すべて皇室の費用は予算に計上し、国会の議決を経なければならない。


「ここも財政民主主義につながりますね」


「そうだ」


「皇室の費用も、国会の議決による予算統制の対象になる」


 さらに、国会には憲法八条に関係する権能があります。


 皇室に財産を譲り渡すこと。


 皇室が財産を譲り受けること。


 皇室が贈与すること。


 これらは、国会の議決に基づかなければなりません。


「ただし、皇室経済法に定められた範囲の例外もあります」


 私は書き添えました。


「憲法八条と八十八条、混同しそうです」


 相馬先輩が言いました。


「だったら分けて覚えろ」


「はい」


 憲法八条。


 皇室に関する財産の授受と国会の議決。


 憲法八十八条。


 皇室財産の帰属と、皇室費用の予算統制。


「同じ皇室と財産の話でも、見ているものが違うんですね」


「そういうことだ」


「次は八十九条です」


 私は、そこで少し手を止めました。


 公金の支出制限。


 宗教上の組織や団体のために、公金その他の公の財産を使うことは、憲法上制限されています。


 また、公の支配に属しない慈善、教育、博愛の事業についても、同条の規律があります。


「これ、補助金の話に似てますね」


 私は呟きました。


「公のお金を、どこに出していいのかという問題」


 片桐所長が頷きました。


「ただし、宮原さんの事業が直ちに八十九条の問題になるわけではない」


「はい」


 私は頷きました。


 宮原さんの補助金は、一般の商業振興事業。


 八十九条が直接禁止する支出類型とは別です。


 でも。


 公金の支出には、憲法上の制約がある。


 その考え方は共通しています。


「国会が予算を通したからって、憲法に反する支出まで何でも許されるわけじゃない」


「そうだ」


 私は赤ペンで一行書きました。


 予算があることと、支出が憲法上許されることは、同じではない。


 これも大事です。


「そして、憲法九十条」


 私は少し声を大きくしました。


「会計検査院です」


 相馬先輩が顔を上げました。


「何だ、急に元気になったな」


「今回の事件で、かなり印象に残ったので」


 憲法九十条。


 国の収入支出の決算は、毎年、会計検査院が検査する。


 内閣は、その検査報告とともに、次の年度に国会へ提出する。


「ここ、誰が何をするかが重要です」


 私はノートに書きました。


 決算を検査する。


 会計検査院。


 検査報告と決算を国会に提出する。


 内閣。


 それを受け取って審査する。


 国会。


「じゃあ、国会自身が全部の領収書を検査するんですか?」


 相馬先輩が笑いました。


「そんな暇ねえだろ」


「ですよね」


 会計検査院は、内閣から独立した地位を持つ機関です。


 その検査によって、国の会計が適正に行われているかを調べる。


 そして、その結果が国会へ提出される。


「予算で事前に統制する」


 私は言いました。


「決算で事後に確認する」


「そうだ」


「つまり、使う前と使ったあと、両方に仕組みがある」


 片桐所長が頷きました。


「それが財政統制だ」


 私は、宮原さんの顔を思い浮かべました。


 税金の使い道を知りたい。


 その素朴な質問。


 国の財政全体でも、同じ問題があります。


 どれだけ集めたのか。


 何に使ったのか。


 予定どおり使われたのか。


 不適切な支出はなかったか。


 そして、その結果を誰が確認するのか。


「宮原さんは、国会の議員でも会計検査院の職員でもありません」


 私は言いました。


「でも、税金の使い道を確認したいという気持ちは、財政民主主義の根っこにあるんですね」


 所長が頷きました。


「そうだ」


「最後に九十一条」


 私は六法を開きました。


 内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少なくとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。


「……あ」


 私は思わず声を上げました。


「どうした」


 相馬先輩が聞きます。


「これ、すごく大事じゃないですか」


「何がだ」


「国会だけじゃない」


 私は条文を指しました。


「国民にも報告するんです」


 相馬先輩が頷きました。


「ああ」


「つまり、財政は国会にだけ説明して終わりじゃない」


「そうだな」


 私は少し考えました。


 宮原さんが尋ねたのは、市の補助事業の使い道です。


 憲法九十一条は、内閣による国の財政状況の報告を定めた条文。


 だから、宮原さんがこの条文を直接根拠にして、市のあらゆる内部資料を請求できるわけではありません。


 そこは区別しないといけない。


 でも。


「国民にも知らせる」


 私は呟きました。


「財政が国民のためのものだから、なんですね」


 片桐所長が静かに頷きました。


「説明を受ける相手に、国民が入っていることを忘れるな」


 私は赤ペンで囲みました。


 国会及び国民。


 大事な言葉です。


 ここまで書いたところで。


 私はペンを置きました。


「……多い」


「何がだ」


「財政の条文、多いです!」


 相馬先輩が笑いました。


「八十三条から九十一条までやったんだ。そりゃ多いだろ」


「しかも全部つながってる!」


 私はノートを見返しました。


 八十三条。


 財政民主主義の基本。


 八十四条。


 租税法律主義。


 八十五条。


 国費支出・国の債務負担。


 八十六条。


 内閣の予算作成と国会の議決。


 八十七条。


 予備費。


 八十八条。


 皇室財産と皇室費用。


 八十九条。


 公金支出の制限。


 九十条。


 会計検査院による決算検査と国会提出。


 九十一条。


 国会及び国民への財政報告。


「……これ」


 私は呟きました。


「全部、お金の流れを監督する仕組みなんですね」


 片桐所長が頷きました。


「そうだ」


 税金を集める。


 予算を作る。


 議決する。


 支出する。


 検査する。


 報告する。


 どの段階にも、統制がある。


「お金って、権力そのものなんですね」


 私が言うと、相馬先輩が少し真面目な顔になりました。


「そうだ」


 そして続けました。


「役所が何かやるには、だいたい金が要る」


「はい」


「金の使い道を自由に決められるってことは、何をするかも自由に決められるってことだ」


 ……なるほど。


「だから国会が監督する」


「そういうことだ」


 財政民主主義。


 難しい四文字の言葉。


 でも、その意味は。


 国のお金を行政だけのものにしない。


 ということでした。


「さて」


 私はノートをめくりました。


「六つ目の権能。皇室の財産事項の議決は、さっき確認しました」


「憲法八条だな」


「はい」


「じゃあ七つ目は?」


 相馬先輩が聞きます。


「条約の承認です」


 私は答えました。


 ここも引っかけがあります。


 条約を締結するのは誰か。


 国会?


 違います。


 内閣です。


 憲法七十三条第三号。


 内閣は条約を締結する。


 ただし、事前に、時宜によっては事後に、国会の承認を経る必要があります。


「先輩」


「何だ」


「条約を締結するのは?」


「内閣」


「承認するのは?」


「国会」


「正解!」


「お前、俺を何だと思ってる」


「優秀な受験生です」


「殴るぞ」


「暴力反対!」


 私は笑いながらノートに書きました。


 条約の締結。


 内閣。


 条約の承認。


 国会。


「これも、役割分担なんですね」


「そうだ」


 外国との交渉や条約締結は、内閣の仕事。


 しかし、重要な国際約束については国会の承認を必要とする。


「国会が全部の外交交渉をするわけじゃない」


「そうだ」


「でも、内閣だけで何でも決められるわけでもない」


「そのとおり」


 私は大きく頷きました。


 国会と内閣。


 別々の仕事をしながら、互いに関係している。


 財政と同じです。


「ところで、こはる」


 片桐所長が言いました。


「国会の権能を七つ挙げたな」


「はい」


「では、国政調査権はどうした」


「……あ」


 来ました。


 八つ目のように見える権能。


 憲法六十二条。


 両議院は、それぞれ国政に関する調査を行い、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求できる。


「これも重要ですね」


「そうだ」


「国会の権能として学ぶこともあるけど、厳密には両議院それぞれに認められた権能」


 私はノートに書き添えました。


 国政調査権。


 衆議院と参議院が、それぞれ行使する。


「これ、今回の補助金の事件とも関係ありそうですね」


 相馬先輩が尋ねます。


「どういう意味だ」


「国政の問題として、国の補助金の使われ方を調査することも考えられるんですよね」


 片桐所長が頷きました。


「国政調査権の対象となり得る」


「ただし、国会が市の個別審査を直接やり直すわけではない」


「そうだ」


 私はまた頷きました。


 何でも国会。


 ではありません。


 国会には国会の仕事。


 内閣には内閣の仕事。


 地方公共団体には地方公共団体の権限。


 裁判所には裁判所の仕事。


 どの機関にも、権限の範囲があります。


「最高機関だからといって、何でもできるわけじゃない」


 私は呟きました。


「そういうことですね」


 そこまで整理したところで。


 相馬先輩が、ふと尋ねました。


「で、こはる」


「はい」


「今回、宮原さんを救ったのは何条だ?」


 私は口を開きかけました。


 八十三条。


 財政民主主義。


 ……いや。


 違います。


「一つの条文だけじゃありません」


 私は答えました。


 相馬先輩が頷きます。


「続けろ」


 私は資料を取り出しました。


 宮原さんの補助金申請。


 市の交付要綱。


 審査基準。


 商店街の議事メモ。


 市の回答。


「まず、憲法八十三条以下は、国のお金が行政の自由になるわけではないという基本を示していました」


「ああ」


「でも、それだけで市の不採択が違憲になるわけではありません」


「そうだ」


「個別の不採択については、市の要綱や審査基準に沿って判断したかが問題になった」


 私は続けました。


「そして、質問したこと自体を不利益に評価したのであれば、表現の自由や平等原則との関係でも問題になります」


 憲法二十一条。


 表現の自由。


 憲法十四条。


 法の下の平等。


「宮原さんは、補助金の使い道について質問しただけです」


「そうだな」


「もちろん、補助金には審査があります。事業計画が悪ければ、不採択になることもある」


「当然だ」


「でも、役所に質問したことを理由に落とすなら、話が違う」


 私は机の上の通知を指しました。


「だから私たちは、採択してほしいと感情で訴えたんじゃありません」


「何を求めた」


「審査記録を確認し、適切な基準で再評価してほしいと求めました」


 片桐所長が頷きました。


「それでいい」


 私は少しだけ笑いました。


 憲法違反だ。


 その一言で全部が解決するなら、行政書士の仕事はもっと簡単です。


 でも、実際には違う。


 どの権限が問題なのか。


 どの条文が関係するのか。


 どんな事実があるのか。


 どんな法的評価ができるのか。


 それを、一つずつ積み重ねる。


「所長」


「何だ」


「憲法って、最初から抜く刀じゃないんですね」


「そうだ」


「まず、事実と法律を揃える」


「ああ」


「それでも行政が越えてはいけない線を越えていたら、憲法を示す」


 片桐所長は静かに言いました。


「憲法を振り回すのは三流だ」


「はい」


「だが、必要なときに抜けないのも三流だ」


 私は、その言葉をノートの隅に書きました。


「じゃあ最後に」


 私は赤ペンを握り直しました。


「試験対策です」


「まだやるのか」


 相馬先輩が顔をしかめます。


「ここからが大事なんです」


「ずっと大事って言ってるな」


「法律は全部大事なんです!」


 私はノートに、問題を書き始めました。


 第一問。


 ――国会は、憲法改正を単独で確定させることができる。


「バツ」


 相馬先輩が即答します。


「正解。国民の承認が必要です」


 第二問。


 ――国会は、内閣総理大臣を任命する。


「バツ。指名だ」


「正解。任命は天皇です」


 第三問。


 ――条約の締結は国会の権能である。


「バツ。内閣だ」


「正解。国会は承認です」


 第四問。


 ――国の予算は、国会が作成する。


「バツ。内閣が作る」


「正解。国会が審議・議決します」


 第五問。


 ――予備費の支出について、内閣は事後に国会の承諾を得なければならない。


「マル」


「正解!」


 第六問。


 ――国の決算を検査するのは国会である。


「バツ。会計検査院だ」


「正解!」


 第七問。


 ――弾劾裁判所は、衆議院と参議院から選ばれた国会議員によって組織される。


「マル」


「正解!」


 第八問。


 ――国会は国権の最高機関なので、裁判所に対して自由に判決内容を命令できる。


「バツ」


「理由は?」


「司法権の独立があるからだろ」


「正解!」


 私は赤ペンを置きました。


「……先輩」


「何だ」


「全問正解です」


「当たり前だ」


「行政書士試験、受けません?」


「面倒くせえ」


「もったいない!」


 相馬先輩が笑いました。


「資格を取るのと、実務ができるのは別だぞ」


「……それはそうですね」


 ぐうの音も出ません。


 私は机の上のノートを見返しました。


 受験生だったころ。


 国会の権能は、語句の暗記でした。


 今は違います。


 国会が憲法改正を発議する。


 国民が最終的に承認する。


 国会が法律を議決する。


 内閣が行政を行う。


 国会が内閣総理大臣を指名する。


 天皇が任命する。


 内閣が予算を作成する。


 国会が議決する。


 会計検査院が決算を検査する。


 内閣が国会へ提出する。


 それぞれ、役割が違う。


 権限が分かれている。


 なぜか。


 一つの機関に、すべての権力を集中させないため。


 国民の代表による統制を働かせるため。


 そして。


 国民の権利と暮らしを守るため。


「……やっと分かりました」


 私は呟きました。


 片桐所長が顔を上げます。


「何がだ」


「国会の権能が、どうして憲法に書かれているのか」


 所長は黙っていました。


 私は続けました。


「国会が偉いから、できることを並べているんじゃない」


「……」


「国家権力が勝手なことをしないように、誰が何を決めるかを定めている」


 片桐所長が頷きました。


「そうだ」


「国会の権能って、国民を守る仕組みの一部なんですね」


 所長は少しだけ笑いました。


「そこまで分かれば、忘れん」


 窓の外を見ると。


 商店街の灯りが、すっかり夜の色になっていました。


 宮原さんの工房も、そろそろ改装が始まるころでしょう。


 古い作業台。


 父親が残した工具。


 新しく塗り直される壁。


 そして、もう一度開く小さな店。


 国会の財政監督。


 教科書で読むと、壮大な話です。


 国家財政。


 予算。


 決算。


 租税法律主義。


 会計検査院。


 でも、その先には。


 誰かの生活があります。


 税金は、勝手に集められていいものではない。


 勝手に使われていいものでもない。


 そして、国会が予算を認めたからといって、個々の行政判断が何でも許されるわけでもない。


 そこには、法律がある。


 基準がある。


 憲法がある。


 誰かが「おかしい」と声を上げたとき。


 その声を、地域の和という言葉だけで押しつぶしていいわけではありません。


 昭和六十三年。


 今よりも、ずっと世間の目が重い時代。


 余計なことを言うな。


 昔からこうしている。


 みんながそうしている。


 その言葉に、多くの人が黙ってしまう。


 でも。


 憲法の条文は変わらない。


 国会は国民の代表機関。


 国の財政は、国会の議決に基づいて処理される。


 行政権は、無制限ではない。


 それは、昭和六十三年にも存在する原則です。


 私はノートの最後のページを開きました。


 今日の一行の覚え書き。


 少し考えます。


 そして。


 大きく書きました。


 ――国会は法律を決め、総理を指名し、国の財布を監督する。権限を分けるのは、国民を守るため。


「……長いな」


 相馬先輩が言いました。


「一行です!」


「長い一行だ」


「内容が大事なんです!」


「試験直前に読むには長いぞ」


「じゃあ短くします」


 私は少し考えました。


 そして、もう一度書きました。


 ――国会は、国民の代表として、国の決定と財布を統制する。


「どうです?」


「まあ、いいんじゃねえか」


「褒めましたね」


「気のせいだ」


 またそれです。


 私はノートを閉じました。


「終わったか」


 相馬先輩が尋ねます。


「はい」


「じゃあ帰るぞ」


「待ってください」


「何だ」


 私は机の上を指しました。


 そこには、宮原さんが持ってきた焼き菓子が一つ残っていました。


「これ」


「何だ」


「最後の一つ、誰が食べるんです?」


 相馬先輩の目が光りました。


「俺だな」


「なぜですか!」


「一番腹が減ってる」


「そんな基準ありません!」


「じゃあ所長に決めてもらえ」


 片桐所長が帳簿を閉じました。


「こはるが食べろ」


「え?」


「今日、一番勉強した」


「やった!」


 私は思わず焼き菓子に手を伸ばしました。


 すると。


「待て!」


 相馬先輩が叫びました。


「何ですか!」


「俺にも意見を言わせろ!」


「どうぞ」


「その配分は不当だ!」


 私は焼き菓子を抱えました。


「では、配分を決める権限は誰にありますか」


「所長だろ!」


「所長が決めました」


「納得できねえ!」


「じゃあ不服申立てします?」


「する!」


 片桐所長が静かに言いました。


「却下」


「早い!」


「これが最終決定だ」


「所長、独裁じゃねえか!」


 私は吹き出しました。


「先輩」


「何だ!」


「国会の財政監督って、こういう権力の集中を防ぐための仕組みなんですよ」


「分かってる!」


「じゃあ、うちの事務所にも議会を作ります?」


「作る!」


「議員は?」


「俺とお前だ!」


 私は少し考えました。


「……二人だと、意見が割れたら決まらないですね」


「じゃあ所長も入れる!」


「結局、所長の意見が決め手になりそうですけど」


「くそっ!」


 片桐所長が、珍しく小さく笑いました。


「こはる」


「はい」


「菓子を食べる前に、机を片付けろ」


「……え?」


「仕事が残っている」


 相馬先輩が笑い出しました。


「ほら見ろ。結局、所長が一番強え」


「権力集中反対!」


「事務所の仕事は国会の議決事項じゃねえぞ!」


 そのとおりです。


 国会の権能は、国家の統治機構に関するもの。


 片桐行政書士事務所の焼き菓子の配分にまで、憲法が直接適用されるわけではありません。


 でも。


 今日学んだことは、きっと忘れません。


 国会は、ただ法律を作る場所ではない。


 総理大臣を指名し、条約を承認し、憲法改正を発議し、裁判官の弾劾裁判所を設ける。


 そして、国の財政を監督する。


 その権能の一つ一つが。


 国家権力を、誰か一人の自由にさせないための仕組みになっている。


 私は焼き菓子を一口かじりました。


 甘い。


 とても甘い。


「……おいしい」


「くそっ、俺も食いたかった」


「先輩」


「何だ」


「来週、宮原さんの工房が開いたら、お祝いに行きません?」


 相馬先輩が少しだけ笑いました。


「そうだな」


「自転車の整備、お願いしましょう」


「ああ」


「それから、商店街のお菓子屋さんにも寄って」


「おう」


「今度は自分で買いましょうね」


「分かってるよ!」


 窓の外では、夜の商店街に自転車のベルが響いていました。


 遠い国会議事堂から、小さな町の修理工房まで。


 法律は、確かにつながっています。


 そして。


 憲法が守ろうとしているのは、建物でも、役所でも、権力者の面子でもありません。


 その先で暮らす、一人一人の人間なのです。

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