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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈憲法 配点28点/300点〉 統治

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394/701

[憲法・国会の会期と議決の原則]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)


 多数決は、数え方を間違えると暴力になります。


 百人のうち、何人が賛成したのか。


 百人のうち、何人が出席したのか。


 そもそも、その百人は何を決めようとしていたのか。


 同じ五十一人の賛成でも。


 ある決定は成立し、


 ある決定は成立しません。


 その違いを知らなければ。


 法律を勉強しているつもりで、ただ数字を暗記しているだけになってしまいます。


 昭和六十三年。


 六月。


 夕方の片桐行政書士事務所。


「……四分の一、三分の一、過半数、三分の二」


 私はノートを見つめていました。


「四分の一、三分の一、過半数、三分の二……」


「呪文か」


 向かいの机で相馬先輩が言いました。


「国会の議決に必要な数字です」


「知ってる」


「覚えにくいんですよ!」


「声に出してりゃ覚えるだろ」


「それだと順番しか覚えません」


 私は赤鉛筆を置きました。


 三浦美代子さんたちの集会。


 市民会館の使用を事実上止められかけた事件です。


 国会が閉会しているから、国への陳情活動には意味がない。


 政治的な集会は地元の和を乱す。


 そんな理由で、市役所は使用許可を差し控えていました。


 でも。


 私たちは憲法第五十三条を確認し、臨時会という制度があることを指摘した。


 さらに、憲法第二十一条と地方自治法第二百四十四条を根拠に、集会を具体的な管理上の支障なく制限することの問題を意見書にまとめた。


 結果。


 市民会館の使用は認められました。


「……あのとき、ちょっと感動したんですよね」


「何にだ」


「国会の条文って、ちゃんと少数派のことも考えてるんだなって」


 相馬先輩が新聞を畳みました。


「だったら、数字を覚えるだけで終わるな」


「はい?」


「なぜその人数が必要なのか。そこまで考えろ」


 私はノートを開き直しました。


 見出しを書く。


 ――国会の会期と議決の原則。


 その瞬間。


 奥の机から片桐所長が声をかけました。


「こはる」


「はい」


「まず、会期からだ」


「はい!」


 今日も始まりました。


 片桐事務所の、夕方の憲法講座です。


「そもそも、会期って何だ」


 相馬先輩が尋ねました。


「国会が活動する期間です」


「一年中じゃねえんだな」


「はい」


 私はノートに書きました。


 国会の会期。


 国会が召集されてから閉会するまでの期間。


「国会には、四つの種類があるんですよね」


「言ってみろ」


「常会、臨時会、特別会、緊急集会」


 そこで、所長が口を挟みました。


「最後の一つは、厳密には違う」


「え?」


「緊急集会は、常会、臨時会、特別会と同列の国会の会期ではない」


 私はペンを止めました。


「……そうなんですか?」


「衆議院が解散している間に、参議院だけで開く特別な仕組みだ」


「あっ!」


 そうでした。


 受験テキストでは四つ並べられることが多いけれど、厳密には整理が必要です。


 国会の会期の種類は、


 常会。


 臨時会。


 特別会。


 この三つ。


 そして、衆議院解散中の非常措置として、


 参議院の緊急集会。


「ここ、試験で引っかけられそうですね」


「引っかかるなよ」


「まだ始まったばかりなのに厳しい!」


 私は見出しを書き直しました。


 ――三種類の会期と、参議院の緊急集会。


 これなら正確です。


「まず、常会」


 私は憲法第五十二条を開きました。


 国会の常会は、毎年一回これを召集する。


「簡単ですね」


「本当にそうか?」


 相馬先輩が言いました。


「え?」


「いつ召集する」


「一月です」


「……何?」


「あ」


 しまった。


 私は固まりました。


 またやった。


 令和の行政書士受験生が、昭和六十三年に転生すると定期的に踏む地雷。


「……十二月です」


 小さな声で訂正しました。


 相馬先輩が眉を上げます。


「何で一月って言った」


「未来の……いえ、勘違いです」


「お前、時々妙な勘違いするよな」


 私は額を押さえました。


 そうなのです。


 現代の国会法では、常会は毎年一月中に召集されるのが常例です。


 でも。


 昭和六十三年の国会法では違います。


 毎年十二月中に召集するのが常例。


 実際、第百十二回国会は昭和六十二年十二月二十八日に召集され、昭和六十三年五月二十五日に閉会しています。


 会期は百五十日。


「憲法は改正されていないのに、国会法のほうは時代によって違うんですね」


 私は呟きました。


「憲法第五十二条は、毎年一回召集しろと言っているだけだ」


 所長が答えます。


「具体的な召集時期は国会法で決める」


「なるほど」


 ここが重要です。


 憲法に書かれている原則は同じ。


 でも、それを具体化する法律は改正されることがある。


 私はノートに大きく書きました。


 ――昭和六十三年の常会は十二月召集が常例。現代の一月召集と混同しない!


「で、会期は?」


「百五十日です」


「どこに書いてある」


「国会法です」


「憲法じゃないんだな」


「はい」


 私は頷きました。


 憲法第五十二条。


 毎年一回召集。


 国会法。


 常会の召集時期と、百五十日間の会期。


 ここを混同しない。


「ただし、延長されることもあります」


「そうだな」


「つまり、百五十日が絶対的な上限というわけではない」


 私はノートに丸をつけました。


 受験生時代の私は、数字だけ覚えていました。


 百五十日。


 それだけ。


 でも、現場で考えると意味が違います。


 常会は一年中開いているわけではない。


 だからこそ。


 閉会中に重大な問題が発生した場合、別の仕組みが必要になる。


「そこで、臨時会ですね」


「そうだ」


 私は憲法第五十三条を開きました。


「ここ、三浦さんの事件で使ったところです」


「ああ」


「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる」


「うん」


「そして、いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣はその召集を決定しなければならない」


 相馬先輩が頷きました。


「大事なのは?」


「四分の一です!」


「それだけか」


「……え?」


「誰の四分の一だ」


 私は条文を見ました。


「衆議院か参議院の、どちらか一方の総議員の四分の一以上です」


「そうだ」


「両院を合計した四分の一じゃない」


「うん」


「両院それぞれで四分の一以上集める必要もない」


「そのとおり」


 なるほど。


 ここ、かなり大事です。


 衆議院でもいい。


 参議院でもいい。


 どちらか一方の総議員の四分の一以上。


 それだけで、内閣には臨時会の召集を決定する義務が生じる。


「でも」


 私は顔を上げました。


「三浦さんたちが二百三十七人分の署名を集めても、内閣に臨時会の召集義務が生じるわけではないんですよね」


「そうだ」


「要求権を持つのは国会議員」


「そのとおり」


「だから、国会議員に陳情する」


 私は少し微笑みました。


 あの日。


 三浦さんは言っていました。


 国会が閉まっていても、声を届けたい。


 それは、憲法の制度を使うための第一歩だったのです。


「ただし」


 片桐所長が言いました。


「第五十三条だけで、議員の要求から何日以内に召集しなければならないと決まっているわけではない」


「はい」


「召集を決定する義務と、具体的な召集日の問題は区別しろ」


 私は頷きました。


 憲法の数字は精密です。


 けれど、書かれていないことまで勝手に補ってはいけません。


 私はノートに書きました。


 ――臨時会は、いずれか一院の総議員の四分の一以上の要求で、内閣に召集決定義務が生じる。


「次。特別会」


 相馬先輩が言いました。


「はい」


「どんなときに開く」


「衆議院が解散され、総選挙が行われたあとです」


「期限は?」


 来ました。


 数字問題。


 私は指を折りました。


「解散から四十日以内に総選挙」


「うん」


「総選挙の日から三十日以内に国会を召集」


「そうだ」


 憲法第五十四条第一項。


 四十日。


 三十日。


 この二つはセットです。


「つまり、衆議院を解散したまま、いつまでも選挙をしないわけにはいかない」


「そうだな」


「選挙が終わったあとも、いつまでも国会を開かないわけにはいかない」


「そういうことだ」


 私は頷きました。


 衆議院の解散は、政治的に重大な行為です。


 国民に新しい議員を選び直してもらう。


 けれど。


 解散したまま、国会がずっと動かなければ、国民の代表による政治が機能しなくなる。


 だから期限がある。


「四十日と三十日にも、ちゃんと意味があるんですね」


「数字は飾りじゃねえからな」


 相馬先輩が言います。


 私は続けました。


「ちなみに、衆議院議員の任期満了による総選挙のあとに召集されるのは、特別会ではなく臨時会ですね」


「そうだ」


「特別会は解散総選挙のあと」


「覚えとけ」


 ここも試験で間違えやすいところです。


 私は赤鉛筆で囲みました。


 ――解散総選挙後は特別会。任期満了による総選挙後は臨時会。


「次は、参議院の緊急集会です」


 私は少し姿勢を正しました。


 この制度には、三浦さんたちの高潮被害を聞いて以来、特別な印象がありました。


「衆議院が解散されたとき、参議院はどうなる」


 所長が尋ねました。


「同時に閉会となります」


「なぜだ」


「国会として通常の活動をすることができなくなるからです」


 衆議院が解散すれば、衆議院議員は全員その地位を失います。


 当然、衆議院で審議も議決もできません。


 参議院は解散されませんが、憲法第五十四条第二項によって、同時に閉会となります。


「ところが」


 私は続けました。


「その間に大災害が起きたら?」


 相馬先輩が答えます。


「困るな」


「困りますよね」


 国会が活動していない間に、緊急の立法措置や財政措置が必要になることがあります。


 でも衆議院は存在しない。


 そんなとき。


 憲法第五十四条第二項ただし書。


 内閣は、国に緊急の必要があるとき、参議院の緊急集会を求めることができる。


「ここ、重要ですね」


 私は言いました。


「求めるのは内閣」


「ああ」


「参議院議員の四分の一の要求じゃない」


「そうだ」


「臨時会と違う」


 私はノートに並べました。


 臨時会。


 いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求で、内閣に召集決定義務。


 緊急集会。


 衆議院解散中、国に緊急の必要があるとき、内閣が参議院に求める。


「ちなみに、国会の召集は天皇の国事行為ですが、緊急集会は同じ召集手続ではありません」


 私が言うと、所長が頷きました。


「緊急集会を求めるのは内閣だ。そこを混同するな」


 私は赤丸をつけました。


 そして、次の条文。


 憲法第五十四条第三項。


「緊急集会で採られた措置は、臨時的なもの」


「うん」


「次の国会が開かれたあと十日以内に、衆議院の同意がなければ効力を失う」


「そうだ」


 私は首をかしげました。


「じゃあ、参議院だけで決めたことを、永久にそのままにしてはいけない?」


「そういうことだ」


「緊急時には動ける。でも、あとで衆議院の同意が必要」


「うん」


「緊急性と、二院制の原則の両方を守ってるんですね」


 片桐所長が頷きました。


「緊急だからといって、何でも許されるわけではない」


 私は、あの日の三浦さんの顔を思い出しました。


 台風が来る。


 工場に水が入る。


 早く何とかしてほしい。


 その声を聞いたとき。


 私は、行政が動かないことへの怒りを感じました。


 でも憲法は、急いで動ける仕組みを用意する一方で、その後の確認も求めています。


 ――緊急時にも、歯止めを忘れない。


 私はノートの端に書きました。


「さて」


 相馬先輩が椅子を引きました。


「ここから本番だ」


「え?」


「定足数と表決数」


「……ああ」


 来ました。


 数字地獄。


 私は覚悟を決めました。


「まず定足数」


 相馬先輩が言います。


「何だ」


「議事を開いて議決するために必要な、最低限の出席人数です」


「根拠は?」


「憲法第五十六条第一項」


 私は条文を読みました。


 両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。


「つまり?」


「総議員の三分の一以上の出席が必要です」


「両院を合わせてか?」


「違います!」


 私は即答しました。


「衆議院は衆議院で三分の一以上。参議院は参議院で三分の一以上です」


「そうだ」


 ここ。


 現場編でも危うく混同しそうになった部分です。


 衆議院と参議院の合計人数を基準にするのではありません。


 各議院ごと。


 それぞれの総議員の三分の一以上。


「じゃあ、問題だ」


 相馬先輩が紙を取り出しました。


「ある議院に総議員三百人がいるとする」


「はい」


「出席九十九人」


「議事を開けません」


「百人」


「開けます」


「百一人」


「開けます」


「当たり前だろ」


「聞いたの先輩です!」


 定足数。


 三分の一。


 ここまでは簡単。


 問題は次です。


「じゃあ、百人出席しているとする」


「はい」


「普通の議決には、何人の賛成が必要だ」


「五十一人です」


「なぜだ」


「出席議員の過半数だからです」


 憲法第五十六条第二項。


 議事は、憲法に特別の定めがある場合を除き、出席議員の過半数で決する。


「総議員三百人の過半数、百五十一人じゃないんですね」


「そうだ」


「出席した百人の過半数」


「うん」


「だから五十一人」


 私はノートに書きました。


 総議員三百人。


 出席百人。


 定足数を満たす。


 通常の議決。


 賛成五十一人で可決。


「……なんだか少なく感じますね」


「だから定足数と表決数は分けて考えるんだ」


 相馬先輩が言いました。


 定足数。


 会議を開いて議決できるか。


 表決数。


 その議案を可決できるか。


 別々の問題。


「じゃあ、百人出席して賛成五十人、反対五十人だったら?」


 相馬先輩が尋ねました。


「可否同数なので、議長が決します」


「正解」


 私はほっとしました。


 これも憲法第五十六条第二項。


 通常の議決で可否同数となった場合は、議長が決する。


「じゃあ所長」


 私は少し調子に乗りました。


「三百人の議院で、五十一人の賛成があれば憲法改正もできるんですか?」


「できん」


 即答。


「ですよね」


「特別の定めがある」


 来ました。


 例外です。


「まず、出席議員の三分の二以上が必要な場合」


 私はノートに書きました。


 資格争訟によって議員の議席を失わせる。


 秘密会を開く。


 議員を除名する。


 衆議院で法律案を再可決する。


「……四つ」


「覚えろよ」


「覚えますけど、意味も知りたいです」


 相馬先輩が頷きました。


「じゃあ、一つずつだ」


 まず。


 資格争訟。


「資格争訟って、何ですか?」


「その議員が、議員としての資格を持っているか争いがある場合だ」


 憲法第五十五条。


 両議院は、それぞれ自分の議員の資格に関する争訟を裁判する。


 そして。


 議席を失わせるには、出席議員の三分の二以上の多数が必要。


「なるほど。議員の資格を争う問題ですね」


「そうだ」


「当選した議員を、簡単に辞めさせてはいけない」


 私は頷きました。


 議員は、有権者によって選ばれた人です。


 その議席を失わせるということは、選挙で示された民意にも関わります。


 だから、重い議決が必要になる。


「次。秘密会」


 私は憲法第五十七条を開きました。


「国会の会議は公開が原則です」


「うん」


「でも、出席議員の三分の二以上で議決すれば、秘密会にできます」


「そうだ」


 なぜ公開が原則なのか。


 それは、国会が何を議論し、何を決めたのか、国民が知る必要があるからです。


 国会は国民の代表機関。


 代表者が何をしているか見えないのでは、国民はその働きを評価できません。


「だから秘密会には、普通の過半数より厳しい人数が必要なんですね」


「そうだな」


「……あれ?」


 私は資料をめくりました。


「国会の会議録も公開するんですよね?」


「原則としてな」


 憲法第五十七条第二項。


 会議の記録を保存し、秘密会の記録のうち特に秘密を要すると認められるもの以外は、公表し、一般に頒布しなければならない。


「なるほど」


 秘密会を開いたとしても、その記録がすべて永久に秘密になるわけではない。


 ここも大事です。


 そして、第三項。


「出席議員の五分の一以上の要求があれば、各議員の表決を会議録に記載する」


 私はペンを止めました。


「……五分の一?」


「そうだ」


「また新しい数字!」


「忙しいな、お前」


 でも、この五分の一。


 考えると、面白い数字でした。


「つまり、多数派が賛成しなくても、一定数の議員が要求すれば、誰がどう投票したか記録に残せる」


「そういうことだ」


「少数派にも、議決の記録を残すための権限があるんですね」


 あの日の三浦さんたちの集会を思い出しました。


 自分たちの意見を、記録に残してほしい。


 国会議員に伝えてほしい。


 議論してほしい。


 その願いが、今は少し違って見えます。


 国会は。


 ただ決定するためだけの場所ではない。


 何が議論され、誰がどう判断したかを国民に示す場所でもある。


 私はノートに書きました。


 ――五分の一は、表決の記録を残すための少数派の権限。


「次。議員の除名」


 相馬先輩が言いました。


「はい」


「資格争訟と何が違う?」


 私は少し考えました。


「資格争訟は、議員としての資格があるかどうかの問題」


「うん」


「除名は、議員が非行などを行った場合に、懲罰として議員の地位を失わせること」


「そうだ」


 憲法第五十八条第二項。


 各議院は、院内の秩序を乱した議員を懲罰することができる。


 ただし。


 除名には、出席議員の三分の二以上が必要。


「例えば」


 私は言いました。


「多数派に反対する議員が気に入らないから、過半数で除名する」


「できねえな」


「ですよね」


 もちろん。


 議員の非行があれば、懲罰は必要です。


 議場の秩序を守らなければならない。


 でも、懲罰権を使って少数派の議員を簡単に追放できるなら、民主政治は危うくなります。


 だから除名には、重い多数が必要。


「……三分の二って、議員を守るためにもあるんですね」


「そうだ」


 私は少し笑いました。


「でも、先輩」


「何だ」


「事務所の掃除をサボった人を、三分の二で除名するっていうのは……」


「その話を蒸し返すな!」


 相馬先輩が即答しました。


 昨日のことを、まだ気にしていたようです。


「次は、衆議院の法律案の再可決」


 私は憲法第五十九条を開きました。


 原則。


 法律案は、衆議院と参議院の両方で可決されると法律になります。


「でも、衆議院で可決した法律案を参議院が否決したら?」


 相馬先輩が尋ねます。


「衆議院で再可決できる場合があります」


「必要な人数は?」


「出席議員の三分の二以上」


「そうだ」


 私はノートに矢印を書きました。


 衆議院で可決。


 参議院で異なる議決。


 衆議院で三分の二以上による再可決。


 法律成立。


「これも総議員じゃないんですね」


「そうだ」


「出席議員の三分の二以上」


 私は強調しました。


 衆議院には、法律案についての優越が認められています。


 でも。


 参議院が反対した法律案を、衆議院が普通の過半数でもう一度通せばよいわけではありません。


 より重い議決が必要です。


「衆議院の優越にも、条件があるんですね」


「当然だ」


 片桐所長が言いました。


「二院制を採っている意味を考えろ」


 なるほど。


 衆議院の意思が優先される仕組みがある。


 でも、参議院の意思を簡単に無視できないようにもなっている。


 私は頷きました。


 憲法。


 思った以上に、力の使い方を細かく決めています。


「さて」


 片桐所長が言いました。


「最後に、一番間違えてはいけないものがある」


「……憲法改正ですね」


「そうだ」


 私は憲法第九十六条を開きました。


 憲法改正の発議。


 各議院の総議員の三分の二以上の賛成。


「ここが決定的に違いますね」


「ああ」


「さっきまでの三分の二は、基本的に出席議員」


「うん」


「憲法改正は、総議員の三分の二以上」


 私は赤鉛筆で囲みました。


 例えば、総議員三百人の議院。


 出席議員が百人だとします。


 出席議員の三分の二以上なら、六十七人の賛成があれば足ります。


 でも。


 総議員の三分の二以上なら、二百人の賛成が必要。


「……全然違いますね」


「そうだ」


「そもそも百人しか出席していなければ、二百人の賛成は集められない」


「そういうことだ」


 憲法を改正する。


 それは、普通の法律を作ることとは違います。


 国の根本的なルールを変えること。


 だからこそ、非常に厳しい要件が設けられています。


「しかも、国会で三分の二以上の賛成を得れば、それで改正成立というわけじゃない」


 私は続けました。


「そのあと国民の承認が必要なんですよね」


「そうだ」


 片桐所長が頷きます。


 国会が憲法改正を発議する。


 そのあと、特別の国民投票または国会の定める選挙の際に行われる投票で、国民の承認を得る。


 憲法第九十六条。


「つまり、国会だけでは憲法を改正できない」


「そのとおり」


 私は考え込みました。


 法律は、国会が制定します。


 でも、憲法は違う。


 国会の議員だけで、国民の根本的なルールを変えることはできない。


 最後には、国民の意思が必要になる。


「……国民主権ですね」


 私は呟きました。


 所長が頷きました。


「そうだ」


 私は赤鉛筆を持ちました。


 そして、書きかけて止まりました。


 現代の受験テキストには、国民投票の具体的な手続についても詳しい説明があります。


 憲法改正案に係る国民投票法。


 投票期日の定め。


 憲法審査会。


 でも。


「……危ない」


 思わず声が漏れました。


「何がだ」


 相馬先輩が言います。


「また未来の制度を持ち込みそうになりました」


「未来?」


「いえ、何でもありません!」


 ここは昭和六十三年。


 現代の国民投票法は、まだ存在しません。


 憲法第九十六条の仕組みはある。


 しかし、現代と同じ具体的な手続法が整備されているわけではない。


 そして。


 実際に、日本国憲法は公布以来一度も改正されていません。


「条文は同じなのに」


 私は小さく呟きました。


「法律や制度は、時代で変わるんだなあ」


 相馬先輩が首をかしげました。


「また変なこと言ってるぞ」


「転生者の宿命です」


「意味が分からん」


「私も時々分からなくなります」


 そこまで書いたところで。


 私はノートを見直しました。


 常会。


 臨時会。


 特別会。


 緊急集会。


 定足数。


 通常の議決。


 資格争訟。


 秘密会。


 議員の除名。


 法律案の再可決。


 憲法改正。


 多い。


 とにかく多い。


「先輩」


「何だ」


「数字がごちゃごちゃしてきました」


「整理しろ」


「どうやって?」


「何をするための数字か、で分けろ」


 なるほど。


 私は新しいページを開きました。


 そこに大きく書きます。


 ――国会を動かす数字。


 四分の一。


 臨時会の召集要求。


 五分の一。


 各議員の表決を会議録に記載させる要求。


 三分の一。


 議事を開き議決するための定足数。


 出席議員の過半数。


 通常の議決。


 出席議員の三分の二以上。


 資格争訟で議席を失わせる。


 秘密会を開く。


 議員を除名する。


 衆議院で法律案を再可決する。


 総議員の三分の二以上。


 憲法改正の発議。


「……あ」


 私は顔を上げました。


「これなら覚えられます」


「だろ」


 相馬先輩が笑いました。


「ただし、五分の一と四分の一は可決に必要な賛成数じゃないからな」


「はい」


 四分の一。


 臨時会の召集要求。


 五分の一。


 表決の会議録への記載要求。


 これらは、多数決によって議案を可決するための人数ではありません。


 一定数の議員が要求することで、特定の手続を動かす仕組みです。


「だから少数派の権限なんですね」


「そうだ」


 私は小さく頷きました。


 三浦さんたちの事件で、私が感じたこと。


 少数派が声を上げること。


 その声を、最初から無意味だと決めつけないこと。


 その大切さが、数字の中に込められている。


 そう思うと。


 数字が、少しだけ温かく見えました。


「こはる」


 片桐所長が言いました。


「もう一つ、忘れるな」


「何ですか?」


「憲法は、数字だけで人権を守っているわけではない」


 私は顔を上げました。


「はい」


「今回、三浦さんたちが市民会館を使えるようになった直接の理由は、何だった」


「憲法第二十一条と地方自治法第二百四十四条です」


「そうだ」


「国会の会期や定足数は、集会の使用許可を直接決める条文ではありません」


 所長が頷きます。


「そこを混同するな」


 私は改めて、事件を振り返りました。


 国会が閉会している。


 だから政治的な集会には意味がない。


 その説明は、臨時会などの制度を踏まえれば正しくない。


 でも。


 それだけでは市民会館の利用許可を当然に受けられるわけではない。


 使用許可を争うには、施設の管理条例や地方自治法、憲法第二十一条を検討しなければならない。


 そして、集会によって具体的にどのような危険や支障が生じるのか。


 そこまで確認する必要がある。


「所長」


「何だ」


「憲法違反って、言えば勝てる言葉じゃないんですね」


「当たり前だ」


「でも、本当に役所が一線を越えたときは、使える」


「そうだ」


 所長の声は静かでした。


「憲法論を振りかざすだけでは三流だ」


「はい」


「だが、下位のルールや行政の運用が憲法に反するなら、遠慮する必要もない」


 私は頷きました。


 あの日。


 沢渡課長は、公共の福祉という言葉を使いました。


 地域の和。


 意見の対立。


 秩序の維持。


 でも、公共の福祉は、単に役所が不都合だと考える意見を排除するための便利な言葉ではありません。


 具体的な事情を踏まえた、法的な検討が必要です。


「憲法の条文は、昭和でも令和でも同じ」


 私は呟きました。


「でも、それをどう現実の問題に当てはめるかは、社会の変化や判例の積み重ねとも関わってくる」


 相馬先輩が首をかしげました。


「令和?」


「あっ」


 しまった。


「……遠い未来の話です」


「またか」


「気にしないでください」


「無理があるだろ」


 私は笑って誤魔化しました。


 でも本当に。


 憲法は変わっていない。


 社会の空気は変わる。


 政治的な意見を述べることに対する感覚も、時代によって違う。


 それでも。


 憲法第二十一条は、昭和六十三年にも存在する。


 憲法第五十三条も。


 第五十六条も。


 第五十七条も。


 条文は同じなのです。


 法律を使う人間が、その意味を考えるのをやめなければ。


 私はノートの最後のページを開きました。


 そこに、一行の覚え書きを書く。


 ――国会は「四分の一で開く道を作り、三分の一で議事を始め、過半数で決め、重要なことは三分の二で守る」。


「……どうでしょう」


 相馬先輩に見せました。


 先輩はしばらく眺めていました。


「悪くねえ」


「褒めました?」


「気のせいだ」


「またそれ!」


 私は笑いました。


「でも、厳密には四分の一で国会が自動的に開くわけじゃないですよね」


「そうだな」


「だから、『開く道を作る』にしました」


 相馬先輩が少しだけ頷きました。


「そこまで分かってりゃ十分だ」


 よし。


 私は満足してノートを閉じました。


 そのとき。


 電話が鳴りました。


「はい、片桐行政書士事務所です」


 受話器を取ると、聞き覚えのある声がしました。


『三浦です』


「あ、三浦さん!」


『先日はありがとうございました』


「いえいえ」


『実は、国会議員の事務所から連絡がありまして』


「え?」


『私たちが送った資料を、関係する議員の方々にも伝えてくださるそうです』


 私は思わず立ち上がりました。


「本当ですか!」


『はい。まだどうなるか分かりませんけど』


 三浦さんの声が、少し明るくなりました。


『少なくとも、何もできないってわけじゃなかったんですね』


 私は窓の外を見ました。


 夕方の町。


 家々の屋根。


 遠くに見える海。


 あの向こうで、三浦さんたちは明日も働きます。


 国の予算がつくかどうかは分からない。


 護岸工事が早まるかどうかも分からない。


 でも。


「はい」


 私は答えました。


「何もできないわけじゃありません」


 それだけは、確かです。


 電話を切ったあと。


 私は、もう一度ノートを開きました。


 四分の一。


 三分の一。


 過半数。


 三分の二。


 ただの数字。


 ただの分数。


 受験生だったころは、そう思っていました。


 でも、今なら分かります。


 四分の一は、少数派が国会の召集を求めるための数字。


 三分の一は、議事を進めるために最低限必要な参加を確保する数字。


 過半数は、通常の意思決定を行うための数字。


 三分の二は、重要な決定に慎重さを要求する数字。


 そして。


 五分の一は、各議員の表決を記録に残させるための数字。


 どれも違う。


 どれも必要。


 憲法は、多数派に決定する力を与えると同時に、その力が無制限にならないようにしている。


 少数派が議論を求める道を残す。


 重大な決定を軽々しく行わせない。


 国民に議会の活動を見えるようにする。


 それが、国会の手続に置かれた数字の意味なのだと思います。


「こはる」


 所長が言いました。


「今日の勉強は終わりか」


「はい」


「なら帰る支度をしろ」


「分かりました」


 私はノートを鞄にしまいました。


 そのとき。


「そうだ、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「何ですか」


「明日の掃除当番、やっぱり多数決で決め直さねえか」


 来ました。


 またです。


「嫌です」


「何でだよ」


「もう交代制で合意したじゃないですか」


「でもよ」


 相馬先輩がにやりとします。


「俺と所長の二人が賛成したら、三人中二人だ。三分の二だぞ」


「……はい?」


「憲法改正だってできる数字だ」


 私は、ゆっくり振り向きました。


「先輩」


「何だ」


「憲法改正の発議は、各議院の総議員の三分の二以上です」


「おう」


「しかも、国民の承認も必要です」


「……ああ?」


「事務所の掃除当番を憲法改正に例えるなら、せめて私にも最終的な承認権をください」


 相馬先輩が固まりました。


「何でお前が国民なんだよ!」


「掃除を押しつけられる当事者ですから!」


「そんな理屈があるか!」


 片桐所長が、静かに帳簿を閉じました。


「二人とも」


「はい」


「掃除当番は、交代制のままだ」


 私は笑いました。


「決定ですね」


「そうだ」


「先輩、残念でした」


「くそっ!」


 相馬先輩が悔しそうに煙草を消しました。


 私は勝ち誇って言いました。


「多数決って、何でも決められる魔法じゃないんですよ」


「今日の勉強を、俺に使うな!」


「実務で使ってこそ法律です!」


 所長が、ほんの少し笑いました。


 窓の外では、夕日がゆっくり沈んでいきます。


 昭和六十三年。


 町の小さな行政書士事務所。


 今日も私は、憲法を勉強しました。


 条文は、現代と変わらない。


 けれど、その数字の向こうにいる人々の姿が見えるようになったことだけは。


 受験生だったころの私とは、少し違っていました。


 最後に私は、ノートの余白へもう一行だけ書き足しました。


 ――多数決で決める前に、その多数決をしてよい条件を確かめる。


 これが、今日の本当の教訓です。


「こはる!」


 相馬先輩が叫びました。


「はい?」


「その理屈なら、掃除当番を決める権限は誰にあるんだ!」


 私は所長を見ました。


 所長は無言で、机の上の掃除当番表を指しました。


 そこには。


 片桐。


 相馬。


 こはる。


 三人の名前が、週ごとに並んでいました。


「……もう決まってますね」


「ああ」


「先輩、残念でした」


「だから何で俺だけ損するんだよ!」


 相馬先輩の悲鳴が、夕方の事務所に響きました。


 多数決は万能ではありません。


 そして、どうやら。


 昭和六十三年の片桐行政書士事務所では。


 一度決まった掃除当番を覆すことは、憲法改正より難しいようです。

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