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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈憲法 配点28点/300点〉 人権

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384/701

[憲法28条・労働基本権]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 夕方の片桐行政書士事務所。


 昼間より電話が減って。


 来客も途切れて。


 西日が机の端まで伸びてくると。


 法律は、少しだけ素直な顔をします。


「……団結権」


 私はノートに書きました。


「団体交渉権」


 二行目。


「団体行動権」


 三行目。


 そして、その三つを大きな括弧で囲みます。


 ――労働基本権。


「よし」


「何がよしなんだ」


 向かいの机で、相馬先輩が新聞を畳みました。


「昨日の復習です」


「勝手にやれ」


「付き合ってください」


「嫌だ」


「所長」


「付き合え」


 奥から即答。


「毎回それやるのやめません?」


 相馬先輩が煙草を取り出しました。


「民主的な手続を要求する」


「じゃあ多数決します?」


「お前と所長が組んだ時点で二対一じゃねえか」


「これが団結権です」


「違う」


 即座に否定されました。


 まあ。


 違います。


 私はノートの一番上に書きました。


 ――日本国憲法第二十八条。


 そして、その下。


 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。


「短いですね」


「何が」


「条文」


 これだけです。


 でも。


 昨日、浜名食品工業で起きたことを思い返すと、この短い条文の意味が急に重くなります。


 野口さんたちは、残業や人員配置について会社と話したかった。


 一人ずつではなく。


 みんなで。


 だから労働組合を作ろうとした。


 すると会社は、


 家族的経営。


 職場の和。


 従業員間の融和。


 そんな言葉を並べた。


 社長は朝礼で、


 組合を作って会社を混乱させるなら工場を閉める。


 そんな発言までした。


 組合結成を進めていた六人には、


 ここでは働けない。


 そう受け取られる言葉まで投げられた。


「所長」


「何だ」


「そもそも、なんで労働者にこんな特別な権利があるんです?」


「考えろ」


「ですよね」


 教えてはくれない。


 いつものことです。


 私は鉛筆を回しました。


 会社と労働者。


 契約だけ見れば、


 使用者と労働者が合意して労働契約を結ぶ。


 嫌なら契約しなければいい。


 条件が嫌なら交渉すればいい。


 理屈だけなら対等です。


 でも。


「現実には、完全に対等とは限らない」


 私は言いました。


「そうだな」


 相馬先輩が答えます。


「会社は雇う側」


「ああ」


「労働者は働いて給料をもらう側」


「ああ」


「一人で社長に『残業減らしてください』って言っても」


「嫌なら辞めろ」


「昨日まさにそれでした」


 一人では弱い。


 だったら。


 束になる。


 私は昨日書いた一文を見ました。


 ――一人では届かない声を、束ねるための権利。


「つまり二十八条は」


 私は言いました。


「労働者が使用者と対等な立場で労働条件を決められるようにするための保障なんですね」


 片桐所長が頷きました。


「そこから三つに分けろ」


「はい」


 私は一つ目に丸をつけます。


 ――団結権。


「労働者が労働組合を作る権利」


「それだけか」


「……入る権利も?」


「そうだ」


 労働者が団結する。


 労働組合を結成する。


 既にある組合へ加入する。


 使用者から、


 組合を作るな。


 組合に入るな。


 そう押さえつけられない。


「昨日の浜名食品工業で最初に問題になったところですね」


「ああ」


 社長が、


 うちは家族的経営だから組合はいらない。


 そう考えるのは自由かもしれない。


 でも。


 その考えを使って、


 労働者が団結する権利を潰すことはできない。


「つまり」


 私は言いました。


「団結するのに、社長の許可はいらない」


「そういうことだ」


「野口さん、会社に許してもらうものだと思ってました」


「そこが怖えんだよ」


 相馬先輩が言いました。


「何がです?」


「権利を知らねえと、許可制じゃねえものまで許可制に見える」


 私は鉛筆を止めました。


「……それ、いいですね」


「何が」


「ノートに書きます」


「勝手にしろ」


 私は端に書きました。


 ――権利を知らないと、「許可はいらないこと」まで許可を求めてしまう。


「長い」


「いいんです」


 次。


 二つ目。


 ――団体交渉権。


「組合と使用者が、労働条件などについて交渉する権利」


 昨日。


 野口さんたちは要求書を作りました。


 残業時間。


 休憩時間。


 人員配置。


 休日。


 そうした勤務条件について、


 二十三人の労働者を代表して会社側と話し合う。


「これが団体交渉」


「ああ」


「ただし」


 私は鉛筆を止めました。


「団体交渉権があるってことは、要求が全部通るって意味じゃない」


「当たり前だ」


「ですよね」


 労働者側が、


 給料を二倍にしろ。


 週休五日にしろ。


 と言えば、


 憲法二十八条によって自動的に実現する。


 そんな話ではありません。


「保障されているのは」


 私は言いました。


「交渉する権利」


「そうだ」


「要求内容そのものが必ず実現する権利ではない」


「そこを間違えるな」


 昨日、相馬先輩が言っていました。


 まだ何も決まっていない。


 まさにそれです。


 労働基本権は、


 労働者を絶対に勝たせるための権利ではない。


 使用者と交渉できる場所まで持っていくための権利。


 その先は交渉です。


「じゃあ三つ目」


 私は書きました。


 ――団体行動権。


「ストライキなどの団体行動をする権利」


 ここで。


 私は少し考えました。


「これ、改めて考えるとすごいですね」


「何が」


「ストライキですよ」


「だから?」


「労働者って、働く約束をしてるじゃないですか」


「ああ」


「それなのに、みんなで働かない」


「そうだな」


「普通に契約だけ見たら」


 働く義務がある。


 それを履行しない。


 だったら、


 債務不履行では?


 会社に損害が出たら、


 損害賠償では?


「……ってなりますよね」


「契約だけ見ればな」


 相馬先輩が答えました。


 そこです。


 私は憲法二十八条を指しました。


「だから団体行動権がある」


 正当な争議行為として行われるストライキなどについては、


 単純に、


 働かなかった。


 契約違反だ。


 損害を賠償しろ。


 そういう処理をしてしまえば、


 団体行動権は意味を失います。


「つまり」


 私は言いました。


「憲法が労働者に、『集団で行動する』ための強い保障を与えている」


「そうだ」


「会社側が損害を受ける可能性があっても?」


「正当な団体行動ならな」


 そこ。


 大事です。


 私は大きく、


 ――正当な争議行為。


 と書きました。


「何でもありじゃない」


「ああ」


「暴力を振るっていいとか、会社の物を壊していいとか、そういう話じゃない」


「当然だ」


 団体行動権が保障されている。


 だから何をしても免責される。


 ではありません。


 目的。


 手段。


 態様。


 そうした事情を見て、


 正当な組合活動として認められる範囲で保護される。


「権利って」


 私は言いました。


「いつもそうですね」


「何がだ」


「ある、ない、だけじゃ終わらない」


 どこまで保障されるか。


 どこから外れるか。


 他の利益とどう調整するか。


 そこまで考えて、


 初めて憲法になる。


「ちょっと受験生らしくなったな」


「元から受験生です」


「昨日まで『憲法なんて実務で使わない』とか言ってただろ」


「過去の私を攻撃するのやめてください」


 私はページをめくりました。


 そして。


 大きく書きます。


 ――二十八条は私人間に直接適用。


「ここ」


 私は言いました。


「昨日、一番びっくりしたところです」


「そうか?」


「そうですよ」


 憲法上の人権。


 普通に考えると、


 国家対国民。


 国や自治体が、


 個人の自由を不当に侵害しないためのルールです。


 でも。


 民間人同士。


 私人対私人。


 そこでは話が少し変わる。


「例えば」


 私は言いました。


「会社が思想を理由に採用しなかった、みたいな私人間の問題で、憲法の人権規定をそのまま直接ぶつけるわけではない」


「うん」


「私法の一般条項なんかを通じて、人権の価値を反映させる」


「いわゆる間接適用だな」


「はい」


 代表的な判例として思い浮かぶのが、


 三菱樹脂事件。


 憲法の人権保障は、


 私人相互の関係へ当然に直接適用されるわけではない。


 そういう基本的な考え方があります。


「だから昨日」


 私は言いました。


「最初、迷ったんですよ」


「会社相手に憲法持ち出していいのか、ってか」


「はい」


 浜名食品工業は国ではない。


 市役所でもない。


 民間会社です。


 でも。


「二十八条は違う」


「そうだ」


 労働基本権は、


 使用者と労働者との関係そのものを念頭に置いた権利。


 だから。


 私人である使用者との関係でも直接に効力を持つ。


「これ、試験で狙われそう」


「試験のことばっかだな」


「受験生なので!」


 私は赤線を引きました。


 ――労働基本権は私人間にも直接適用される。


 そして横に。


 ――一般的人権規定の私人間効力との違いに注意。


「昨日の事件そのものですね」


 会社が、


 これは民間会社の内部問題です。


 そう言えば憲法が消えるわけではない。


 団結権。


 団体交渉権。


 団体行動権。


 それらは、


 会社と労働者との関係でこそ意味を持つ。


「憲法が会社の休憩室まで入ってくる」


 私が言うと、


 相馬先輩が笑いました。


「昨日も似たようなこと言ってたな」


「気に入ったんです」


「じゃあ試験答案に書け」


「『憲法は休憩室まで来る』って書いたら落ちます」


「分かってんじゃねえか」


「でも」


 私は次のページを開きました。


「一個、気になります」


「何だ」


「二十八条って、『勤労者』って書いてありますよね」


「ああ」


「十三条みたいに『すべて国民は』じゃない」


 片桐所長が帳簿から顔を上げました。


「そこは重要だ」


「ですよね」


 私は囲みます。


 ――勤労者。


「つまり労働基本権は、国民一般に保障された権利じゃない」


「そうだ」


「勤労者という立場にある人に保障される」


 誰でも、


 私は団体交渉権があります。


 と言えるわけではありません。


 労働者が、


 使用者との関係で弱い立場になり得る。


 だから。


 労働条件を対等に決めるための権利として保障される。


「じゃあ社長には?」


「労働者としての立場になければ、同じ意味で二十八条の保障を受けるわけじゃねえ」


「ですよね」


 対象者。


 ここも大事。


 私はノートに書きました。


 ――28条=勤労者の権利。


 十三条や十四条などとは、


 条文の主体から違います。


 そして。


 私は昨日、相馬先輩に余韻を破壊された論点へ進みました。


「……公務員」


「嫌そうな顔すんな」


「昨日いいところで出してくるからですよ」


「試験は待ってくれねえ」


「分かってます」


 私は書きました。


 ――公務員と労働基本権。


「まず」


 私は確認します。


「公務員にも労働基本権の保障は及ぶ」


「そうだ」


「公務員だから憲法二十八条の外にいる、というわけじゃない」


「そうだな」


 でも。


 ここからです。


「民間企業の労働者とまったく同じように保障されるわけではない」


「なぜだ」


「公務員の地位の特殊性と、職務の公共性」


 相馬先輩が頷きます。


 公務員の仕事は、


 国民全体の生活と深く結びついています。


 行政。


 公共サービス。


 その仕事が集団的に止まったとき、


 影響を受けるのは使用者だけではありません。


 国民です。


「だから争議行為について制約がある」


「そうだ」


「でも」


 私は鉛筆を止めました。


「ここで『公務員には労働基本権がない』って覚えたら駄目」


「落とし穴だな」


 保障は及ぶ。


 しかし、


 一定の制約を受ける。


 ゼロではない。


 無制限でもない。


「憲法って」


 私は言いました。


「こういう問題ばっかりですね」


「どういう」


「全部かゼロかで覚えると死ぬ」


「いい教訓じゃねえか」


「嫌な教訓です」


 そして。


 重要判例。


 私は書きました。


 ――最大判昭和四十八年四月二十五日。


 ――全農林警職法事件。


「名前からして強そう」


「判例名に強い弱いあるのか」


「全農林警職法事件って、ボス戦感ありません?」


「知らん」


 事件では、


 国家公務員の争議行為などをめぐり、


 労働基本権への制約が憲法二十八条に反するかが問題になりました。


 最高裁大法廷は、


 公務員にも労働基本権の保障が及ぶことを前提としながら、


 公務員の地位の特殊性。


 職務の公共性。


 国民生活全体への影響などを考慮し、


 争議行為等に対する法的規制を合憲としました。


 そして、


 国家公務員法の争議行為をあおる行為などに対する罰則についても、


 憲法二十八条に違反しないと判断した。


「つまり」


 私は整理しました。


「公務員にも二十八条はある」


「ああ」


「でも公共性が強いから、民間と同じようにストライキできるわけじゃない」


「そうだ」


「一定の制約は合憲になり得る」


「そういうことだ」


 私は矢印を書きます。


 公務員。


 労働基本権あり。


 ↓


 地位の特殊性・職務の公共性。


 ↓


 一定の制約が許される。


「『公務員だから人権なし』じゃない」


「当然だ」


「『二十八条があるから公務員も自由にストライキできる』でもない」


「そうだ」


「真ん中」


「法律はだいたい真ん中が面倒なんだよ」


「名言みたいに言わないでください」


 そこで。


 私はふと昨日の沢渡課長を思い出しました。


「そういえば」


「何だ」


「沢渡課長も公務員ですよね」


「今さら何言ってんだ」


「いや」


 私は想像しました。


 市役所前。


 鉢巻きを巻いた沢渡課長。


『要求が通るまで仕事はしません』


「……似合わない」


「何想像してんだ」


「沢渡課長のストライキ」


「本人に言うなよ」


「絶対言いません」


 その瞬間。


 電話が鳴りました。


 私は固まりました。


 嫌な予感しかしません。


「はい、片桐行政書士事務所です」


『沢渡です』


「うわっ」


『何ですか、その反応は』


「いえ!」


 危ない。


 昭和六十三年にも盗聴技術が完成しているのかと思いました。


『浜名食品工業の件ですが』


「はい」


『来週、労使間で団体交渉が行われるそうです』


「聞いてます」


『市としても、給食納入への影響についてだけ確認することにしました』


「組合そのものには口を出さない?」


『当然です』


「地元の和は?」


『まだ言いますか』


「すみません」


 少し間がありました。


『朝比奈さん』


「はい」


『あなたは昨日、憲法二十八条をずいぶん強調していましたね』


「はい」


『では質問です』


 嫌な予感。


『公務員にも二十八条は適用されますか』


 来た。


 私は相馬先輩を見ました。


 相馬先輩がにやにやしています。


 絶対助ける気がない。


「……保障は及びます」


『では、市職員も自由にストライキできますか』


「できません」


『なぜです』


 試験!


 突然の口頭試験!


「公務員の地位の特殊性と、職務の公共性があるからです」


『それで?』


「国民生活への影響などから、労働基本権について民間労働者とは異なる制約を受けることが認められています」


『判例は』


「全農林警職法事件。最高裁大法廷、昭和四十八年四月二十五日」


 沈黙。


「……どうです?」


『及第点です』


「なんで課長に採点されるんですか!」


『昨日ずいぶん威勢がよかったので』


「根に持ってる!」


『では』


「待ってください!」


『何でしょう』


「課長」


『はい』


「ストライキしたいと思ったことあります?」


 相馬先輩が噴き出しました。


『……朝比奈さん』


「はい」


『公務員の労働基本権について勉強が足りないようですね』


「法律じゃなくて気持ちの話です!」


『切ります』


「あ!」


 切れました。


「怒らせたな」


「先輩が笑うからでしょう!」


「俺は何も言ってねえ」


「笑いました!」


「表現の自由だ」


「憲法を盾にしないでください!」


 私はノートへ戻りました。


 今日の論点を整理します。


 憲法二十八条。


 保障されるのは勤労者。


 目的は、


 労働者が使用者と実質的に対等な立場で労働条件を決定できるようにすること。


 三つの権利。


 一つ。


 団結権。


 労働組合を結成し、加入するなど、労働者が団結する権利。


 二つ。


 団体交渉権。


 労働組合などが使用者と労働条件等について交渉する権利。


 三つ。


 団体行動権。


 ストライキなど、目的達成のために団体として行動する権利。


 この三つを合わせて、


 労働基本権。


 そして。


 労働基本権の保障は、


 私人間にも直接適用される。


 だから昨日のような、


 民間会社と労働者の関係でも問題になる。


 ただし。


 団体行動権があるから何をしてもいいわけではない。


 正当な団体行動として認められる範囲が問題になる。


 さらに。


 公務員にも労働基本権の保障自体は及ぶ。


 しかし。


 公務員の地位の特殊性。


 職務の公共性。


 国民生活への影響などから、


 民間労働者とは異なる制約を受ける。


 全農林警職法事件では、


 国家公務員の争議行為等に対する規制について合憲とされた。


「……よし」


 私はノートを眺めました。


 相馬先輩が覗き込みます。


「一個抜けてるぞ」


「え?」


「昨日の話だ」


「何がです?」


「昭和と今」


「あ」


 そうでした。


 今回のテーマ。


 ここが少し特殊です。


 私は六法を開きます。


「昭和六十三年の憲法二十八条」


「ああ」


「現代の憲法二十八条」


「ああ」


「同じ」


「当たり前だろ」


「でも、それがすごいんですよ」


 日本国憲法は、


 昭和二十一年に公布され、


 昭和二十二年に施行されてから、


 条文そのものは一度も改正されていません。


 だから。


 昭和六十三年の私が開いている憲法と。


 未来で私が読んでいた憲法。


 条文は同じ。


 憲法二十八条も同じです。


「じゃあ何が違う」


 片桐所長が聞きました。


「空気です」


「空気?」


「はい」


 私は昨日の応接室を思い出しました。


 家族的経営。


 会社に逆らうな。


 昔からこうやってきた。


 職場の和を乱すな。


 地元企業なんだから揉めるな。


 組合なんか作ったら会社が潰れる。


「条文は同じなのに」


 私は言いました。


「権利を使う人に向けられる社会の目が違う」


 昭和六十三年だから、


 誰も労働基本権を知らなかった。


 そんな単純な話ではありません。


 労働運動はずっと前からある。


 労働法制もある。


 重要判例も既に積み重なっている。


 全農林警職法事件だって昭和四十八年です。


 でも。


 地方の小さな会社。


 昔からの人間関係。


 家族的経営。


 地元の取引。


 そういう場所では、


 法律とは別の圧力が残る。


「権利があります」


 私は言いました。


「でも使ったら村八分です、みたいな」


「極端だな」


「でも昨日、ちょっとそんな感じでしたよ」


「まあな」


 相馬先輩は煙草に火をつけました。


「だから法律が要るんだろ」


「え?」


「全員が最初から権利を尊重するなら」


 煙を吐きます。


「憲法なんざ、ありがたがって読む必要もねえ」


 私は黙りました。


「『昔からこうだ』で潰される奴がいる」


「はい」


「『みんな我慢してる』で黙らされる奴がいる」


「はい」


「『会社の和』で一人じゃ何も言えねえ奴がいる」


「はい」


「だから」


 相馬先輩が私のノートを指しました。


「束になっていいって書いてある」


 私は、


 二十八条を見ました。


 勤労者の団結する権利。


 団体交渉その他の団体行動をする権利。


 これを保障する。


 短い。


 でも。


 やっぱり強い。


「所長」


「何だ」


「憲法って、権利を使えって命令してるわけじゃないですよね」


「もちろんだ」


「組合を作りたくない人は作らなくてもいい」


「ああ」


「会社と一人で話したい人は、それでもいい」


「そうだ」


「でも」


 私は言いました。


「集まりたい人に、『集まるな』とは言わせない」


 片桐所長が頷きました。


「そこだ」


 自由というのは、


 必ず何かをしなければならない、


 ということではありません。


 する自由がある。


 しない自由もある。


 ただ。


 権力の強い側が、


 弱い側から選択肢そのものを奪ってはいけない。


 昨日。


 野口さんは言いました。


 会社に許してもらうものだと思っていました。


 私はその言葉が、


 まだ引っかかっています。


 権利なのに。


 許可だと思っていた。


 それは、


 権利がないのと少し似ています。


 使えると知らない権利は、


 使えないからです。


「だから行政書士ができることって」


 私は言いました。


「権利そのものを作ることじゃないんですね」


「当たり前だ」


「裁判で勝ち取ることでもない」


「それは弁護士の仕事だ」


「でも」


 書類にする。


 事実を整理する。


 何が起きたかを確認する。


 どの条文に触れるかを示す。


 相手に、


 ここから先へ進めば法的問題になる。


 そう知らせる。


「権利がここにありますよ、って見える形にする」


 所長が少しだけ頷きました。


「それで止まる相手なら、それが一番早い」


「止まらなかったら」


「弁護士へ渡せ」


「はい」


 越えてはいけない線。


 行政書士にもあります。


 何でも自分で戦おうとしない。


 訴訟になれば弁護士。


 労働関係の専門的な紛争処理が必要なら、


 適切な専門家や機関へつなぐ。


 行政書士の仕事は、


 万能であることではない。


 自分の守備範囲で、


 次の人が戦えるところまで整えること。


「所長」


「何だ」


「昨日の意見書」


「ああ」


「会社が無視してたら、本当に弁護士へ?」


「当然だ」


「迷わず?」


「迷う理由がない」


「格好いいですね」


「仕事だ」


 それだけ言って、


 所長は帳簿へ戻りました。


 この人は、


 たぶん褒めても何も出ません。


 私は最後のページを開きました。


「じゃあ、一行の覚え書き」


「またやるのか」


 相馬先輩が言います。


「やります」


「昨日もう書いただろ」


「昨日は現場編です。今日は法理編なので、試験用に進化させます」


「好きにしろ」


 考えます。


 団結権。


 団体交渉権。


 団体行動権。


 勤労者。


 私人間直接適用。


 公務員にも保障。


 ただし公共性などから制約。


 全部入れたい。


「一行に入るか?」


「無理ですね」


「じゃあ諦めろ」


「嫌です」


 私は何度か書いて消しました。


 そして。


 最後にこう書きました。


 ――二十八条は、一人では弱い勤労者に「団結・交渉・行動」を保障する。私人にも直接届き、公務員には公共性ゆえの制約あり。


「長え」


「これ以上削ると論点が死にます」


「一行の覚え書きっていうより答案だな」


「じゃあ超短縮版」


 その下に、


 大きく書きました。


 ――一人で弱ければ、束になれ。憲法28条は、その束を守る。


 相馬先輩が黙りました。


「どうです?」


「……まあ」


「まあ?」


「覚えやすいんじゃねえか」


「褒めましたね」


「褒めてねえ」


「今のは褒めました」


「うるせえ」


 私は笑ってノートを閉じました。


 窓の外。


 工場地帯の煙突から、


 夕方の空へ白い煙が伸びています。


 あの向こう。


 浜名食品工業では、


 今日も四十人ほどの人が働いている。


 そのうち二十三人が、


 新しい組合に入った。


 まだ何も勝ち取ってはいません。


 残業が減ったわけでもない。


 給料が上がったわけでもない。


 人員が増えたわけでもない。


 来週、


 初めて団体交渉の机につく。


 会社側も言い分があるでしょう。


 経営があります。


 納期があります。


 人件費があります。


 注文があります。


 だから。


 話し合う。


 一方が命令して終わりではなく。


 一方が全部奪うのでもなく。


 労働者が束になり、


 使用者と向き合う。


 憲法二十八条が保障しているのは、


 そのための力です。


 日本国憲法の条文は、


 昭和六十三年も。


 私がいた未来も。


 一字も変わっていない。


 でも。


 権利を使う人を見る社会の目は変わる。


 常識も変わる。


 働き方も変わる。


 会社と労働者の距離も変わる。


 それでも。


 一人では弱い人間が、


 誰かと手を組んでいい。


 その原則は変わらない。


「……憲法って」


 私は小さく言いました。


「何だ」


「古くならないんですね」


 相馬先輩が新聞を畳みます。


「古くなるかどうかは知らねえ」


「え?」


「ただ」


 立ち上がります。


「世間の常識より上に置いとかねえと、意味ねえだろ」


 私は少し考えて。


「なるほど」


 と頷きました。


 昔からこうだから。


 みんな我慢しているから。


 会社のためだから。


 地域のためだから。


 波風を立てるな。


 そういう言葉は、


 いつの時代にもあります。


 だから。


 その時代の空気より高いところに、


 変わらない線を一本引いておく。


 ここから先は、


 多数派でも。


 会社でも。


 役所でも。


 踏み込んではいけない。


 それが、


 最高法規なのかもしれません。


「さて」


 相馬先輩が上着を着ました。


「帰るぞ」


「はい」


 私も立ち上がります。


「その前に」


 片桐所長の声。


 嫌な予感。


「何でしょう」


「書庫の整理」


「え」


「二人でやれ」


 私は相馬先輩を見ました。


 相馬先輩も私を見る。


「……先輩」


「何だ」


「団結しましょう」


「おう」


 初めて利害が一致しました。


「所長!」


 二人で声をそろえます。


「書庫整理の労働条件について、団体交渉を要求します!」


 片桐所長は帳簿から顔も上げませんでした。


「却下」


「団体交渉拒否!」


「不当労働行為だ!」


「先輩、急に本気出さないでください!」


「お前が始めたんだろ!」


 所長がようやく顔を上げました。


「二人とも」


「はい」


「勤務時間中だ」


「……はい」


「まず働け」


「はい」


 労働基本権。


 団結権。


 団体交渉権。


 団体行動権。


 一人では弱い勤労者が、


 束になって使用者と向き合うための三つの武器。


 昭和六十三年も。


 未来も。


 条文は変わらない。


 そして今日。


 私はもう一つ学びました。


 ――一人で弱ければ、束になれ。憲法二十八条は、その束を守る。


 ただし。


 書庫整理から逃げるためだけの団結については。


 少なくとも片桐行政書士事務所では、


 まったく効き目がないようでした。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

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名探偵 藤原彰子の宮中事件簿 ――『転生皇后 藤原彰子』スピンオフ外伝
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新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜
新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件〜
美しき女帝 北条政子 〜 婚約破棄どころか強制結婚!? 平家のエリートに嫁がされそうになったので、豪雨の山を越えて愛する無職の元へ走ってみた 〜
新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚〜
箴言・格言・名言集 〜頑張るあなたへ、今日を乗り越えるための一言〜
拝啓、愛読者様。― 想いを少しだけ 謹呈 条文小説
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜
コミックス「六道輪廻抄〜戦国転生記〜」
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動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
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