[憲法26条・教育を受ける権利]法理編 こはるノート
学校へ行く義務があるのは、子どもではありません。
――この一文。
受験生のころの私は、たぶん三秒で読み飛ばしていました。
夕方。
片桐行政書士事務所。
窓の外を、ランドセルを背負った子どもたちが歩いていきます。
赤。
黒。
黄色い帽子。
道端で何かを見つけて立ち止まり、後ろの子に追突され、笑いながらまた走り出す。
「……元気だなあ」
「お前も大して変わらん」
向かいの机から相馬先輩が言いました。
「失礼ですね。私は十八歳です」
「十分ガキだ」
「選挙権ありますからね」
「ないぞ」
「……あ」
昭和六十三年。
選挙権年齢は二十歳。
また未来を持ち込みました。
「今のなしで」
「最近、お前そういうの多いな」
「気のせいです」
私は逃げるようにノートへ目を落としました。
今日の見出し。
大きな字で。
――憲法第二十六条 教育を受ける権利。
その下に、条文を書き写します。
すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
そして二項。
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。
義務教育は、これを無償とする。
「……同じなんですよねえ」
「何が」
「条文です」
私は憲法の冊子を持ち上げました。
「昭和六十三年も、私が知ってる時代も。一字一句同じ」
「憲法なんだから当たり前だろ」
「それが当たり前じゃないんですよ」
行政法では散々痛い目に遭いました。
現代なら三か月。
昭和なら六十日。
現代なら審査請求。
昭和には異議申立て。
現代にはある制度が昭和にはない。
条文番号も制度も変わる。
未来人には地雷原です。
ところが憲法は違う。
日本国憲法は昭和二十一年に公布されて以来、一度も改正されていません。
つまり。
私が現代で読んでいた第二十六条と、
今、昭和六十三年の机で読んでいる第二十六条は、
まったく同じです。
「なのに」
私は言いました。
「昨日の奈緒ちゃんの件、ものすごく時代差を感じました」
「条文じゃなくて?」
「空気です」
みんな払っている。
親が払わないなら子どもも我慢する。
学校に迷惑をかけるな。
地元の和を乱すな。
昔からそうしている。
どこにも書いていない。
でも。
紙に書かれた規則より重い。
「昭和って」
私は呟きました。
「条文より世間の目のほうが文字が大きく見えるときがあります」
相馬先輩が鼻で笑いました。
「だから読む順番を間違えるな」
「読む順番?」
「一番上に何がある」
私は憲法の冊子を見ました。
「……憲法」
「そういうことだ」
私はノートに最初の見出しを書きました。
――誰の権利なのか。
「まず、ここですよね」
「何がだ」
「教育を受ける権利」
私は昨日の相談を思い出しました。
最初。
私は恵美子さんを見ていました。
教材費が払えない母親。
義務教育。
無償。
だから。
払わせるのは違憲では?
そう考えかけた。
でも。
違いました。
「二十六条一項で中心になるのは」
私は言いました。
「子どもの学習権」
片桐所長が帳簿から顔を上げます。
「続けろ」
「教育って、子どもが人格を形成して、将来社会で生きていくために必要ですよね」
「ああ」
「だから教育を受ける権利は、特に子どもが学ぶ権利を保障するものとして理解されている」
「そうだ」
子どもは。
自分で学校を作れません。
教師を雇えません。
教育制度も作れません。
十一歳の子が、
今日から自力で義務教育制度を整備します、
なんてできるはずがない。
だから国は。
学校制度を整え。
教師を配置し。
教育条件を整備する。
子どもの学習を可能にする仕組みを用意する。
「社会権としての側面ですね」
私は書きました。
教育を受ける権利。
ただ邪魔するな、というだけではない。
学べる制度を作ることも国に求める。
「でも」
相馬先輩が言いました。
「金がない家はどうする」
「そこなんですよ」
昨日の事件では。
教材費六千八百円が未納でした。
学校側は。
ほかの家庭との公平。
学校運営。
そうした理由を挙げた。
目的自体は理解できます。
でも。
未納への対応として、
奈緒ちゃん本人を理科実験や図工から外した。
「そこで問題が二つ混ざった」
私はノートに書きました。
保護者の費用負担。
子どもの学習権。
「ここを分ける」
私は二つの言葉の間に、太い縦線を引きました。
「親に払ってくださいと言えるかどうか」
「一つ」
「払っていないことを理由に、子どもの教育機会を制限できるか」
「別問題」
「はい」
これ。
昨日までは頭で分かっていたつもりでした。
でも現場では。
簡単に混ざります。
親が払わない。
だから子どもが教材を使えない。
だから授業に参加できない。
一見。
一本の線でつながっているように見える。
でも。
憲法はそこで問い直す。
本当に、その子の学習機会まで削る必要があるのか。
「次」
私は見出しを書きます。
――教育を受けさせる義務。
「これ、主語を間違えやすいですよね」
「どう間違える」
「子どもには義務教育を受ける義務がある」
「違う」
即答でした。
「ですよね」
憲法二十六条二項。
すべて国民は、
その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。
「義務を負うのは」
「保護者」
「教育を受ける側は」
「子ども」
私は矢印を書きました。
保護者。
普通教育を受けさせる義務。
子ども。
教育を受ける権利。
「ここ、主語が逆になると意味がかなり変わります」
「ああ」
「子どもが国に対して『学校へ行く義務を負っている』というより」
「保護者が子どもの教育機会を確保しろ、と」
「そうです」
もちろん。
学校教育法などによって具体的な就学の仕組みは定められています。
でも憲法の構造としては。
教育を受ける子ども側に、
まず権利がある。
保護者側には、
普通教育を受けさせる義務がある。
「じゃあ」
相馬先輩が言いました。
「親には大学まで行かせる義務があるのか」
「ありません」
「職業訓練は?」
「憲法二十六条二項の義務としては、そこまでじゃない」
「何を受けさせる」
「普通教育」
ここも重要。
保護者が負うのは、
その子を医者にしろ。
大学まで行かせろ。
専門学校へ行かせろ。
職業教育を受けさせろ。
という義務ではありません。
「普通教育を受けさせる義務」
私は二重線を引きました。
「試験だと、『職業教育を受けさせる義務を負う』とか出されたら」
「誤り」
「はい」
「大学教育を受けさせる義務」
「誤り」
「じゃあ行政書士試験を受けさせる義務」
「絶対ないです」
「お前は誰に義務付けられたんだ」
「人生の流れです」
「一番信用できねえ根拠だな」
次。
私は少し大きく見出しを書きました。
――義務教育は、これを無償とする。
「問題児」
私が言いました。
「条文に失礼だろ」
「だって誤解しやすいんです」
義務教育は無償。
普通に読めば。
小学校、中学校で必要な費用は全部無料。
そう思いたくなります。
でも。
「違う」
私は赤ペンを持ちました。
――無償=授業料を徴収しない。
「少なくとも憲法上当然に、教育関係費用のすべてを国が負担するという意味ではない」
教科書。
学用品。
給食。
教材。
制服。
修学旅行。
教育にはいろいろなお金がかかります。
「これ全部が、二十六条二項だけで当然に無償になるわけではない」
「昨日もそこから始まったな」
「はい」
教科書費国庫負担請求事件。
最高裁は、
公立小学校の教科書代を保護者に負担させることが、
憲法二十六条二項後段に違反するとはしませんでした。
「つまり」
私は整理します。
「憲法上の『義務教育の無償』は、授業料の不徴収が基本」
「うん」
「だから昨日、恵美子さんが『義務教育なんだから教材費六千八百円も絶対払わなくていい』と言っても」
「その理屈では通らない」
「そうです」
ここは。
感情で広げてはいけません。
子どもがかわいそうだから。
家庭が苦しいから。
義務教育だから。
全部無料にすべきだ。
政策としてそう考えることと。
憲法がそこまで保障していると解釈することは別です。
「法律って冷たいですね」
私が言うと。
片桐所長が答えました。
「正確なんだ」
「……なるほど」
「かわいそうだから条文の意味を変えれば、次は別の誰かに都合よく変えられる」
「はい」
「だから、書いてある保障は正確に読む」
「でも」
「何だ」
「書いてないから終わり、でもない」
所長が頷きました。
そこです。
教材費まで無償ではない。
だから。
未納の子どもを授業から外していい。
とはなりません。
論点が違う。
「昨日の学校側は」
私は言いました。
「二項の費用負担の話から、一項の学習権まで制限しようとした」
「結果としてな」
「だから分ける必要があった」
払うべき費用なら。
親に請求する。
必要なら分納を相談する。
援助制度を案内する。
でも。
子どもの教育機会を制限するなら。
それは別に、
その制限の必要性と合理性を説明しなければならない。
「義務教育は全部タダじゃない」
私は書きます。
その横。
「でも、金を払えないことが、そのまま子どもの学習権を消すわけでもない」
二本線。
「よし」
「で」
相馬先輩が言いました。
「昨日、お前が沢渡に何とか事件って言ってただろ」
「旭川学力テスト事件です」
「それだ」
「ここが今日の大物です」
「嬉しそうだな」
「判例は事件になると急に覚えやすくなるんですよ」
私は新しいページを開きました。
――国家の教育権。
――国民の教育権。
「教育内容を誰が決めるのか」
私は言いました。
「昔から大きな争いがあります」
一方。
国家の教育権。
国が教育内容について関与し、決定する権能を持つという考え。
もう一方。
国民の教育権。
子どもの教育について責任を負うのは親や教師を中心とする国民であって、
国は教育条件を整備する役割にとどまるべきだという考え。
「どっちが正解だ」
相馬先輩が聞きます。
「そこを単純に二者択一にしないのが判例です」
「面倒だな」
「憲法判例はだいたいそうです」
旭川学力テスト事件。
最高裁大法廷。
昭和五十一年五月二十一日。
この判決は。
国家だけが教育内容を決める。
とも。
国家は教育内容に一切口を出せない。
とも言いませんでした。
「国は」
私はノートへ書きます。
子ども自身の利益を守るため。
あるいは。
子どもの成長に対する社会公共の利益と関心に応えるため。
必要かつ相当と認められる範囲で。
教育内容についても決定する権能を有する。
「ここ」
私は丸で囲みました。
――必要かつ相当な範囲。
「昨日、使った言葉だな」
「はい」
学校も。
教育委員会も。
国も。
教育について何も決められないわけではない。
むしろ。
教育制度を運営する以上、
何を教えるのか。
どんな授業をするのか。
どんな基準を設けるのか。
一定の決定権限は必要です。
「だから」
私は言いました。
「『教育を受ける権利があるから、子どもや親が希望する内容を何でも学校に教えさせられる』でもない」
「そうだな」
「逆に、『学校には教育権限があるから、何をしてもいい』でもない」
「その間か」
「はい」
必要か。
相当か。
子どもの利益にかなうか。
そこを見る。
昨日の奈緒ちゃんの場合。
学校には、
教材をどう使うか。
授業をどう運営するか。
一定の裁量がある。
でも。
教材費未納への対応として、
子ども本人を授業から外す。
それは。
本当に教育上必要なのか。
本当に相当なのか。
「徴収目的ですよね」
私は言いました。
「教育目的というより」
「そう見えるな」
「しかも別の方法がある」
保護者への督促。
面談。
分納。
援助制度。
「なら、子どもの学習機会を直接削る必要性は弱い」
「そういう組み立てだ」
所長が言いました。
私は昨日の意見書を思い出します。
私たちは。
学校には一切決定権がありません。
とは書かなかった。
それを書いたら弱かった。
判例にも合わない。
行政実務にも合わない。
「権限があることを認めたうえで」
私は言いました。
「その使い方が必要かつ相当な範囲を超えていないかを見る」
「そのほうが強い」
「ですね」
何でも権利。
何でも違憲。
そう叫ぶだけなら簡単です。
でも。
相手にも権限がある。
行政目的もある。
公共の利益もある。
そこを認める。
認めたうえで。
それでも、この手段は行き過ぎではないか。
と切る。
憲法は。
大声で振り回すより。
細く研いだほうが強い。
「ところで」
相馬先輩が言いました。
「昨日、沢渡が公共の福祉って言ってただろ」
「はい」
「あれを言われたら人権は終わりなのか」
「終わりません」
即答しました。
「即答だな」
「ここは即答できます」
私はノートに書きます。
――公共の福祉=人権を自由に潰せる万能カードではない。
「昔の空気だと」
私は言いました。
「公共の福祉って言われると、個人が我慢するもの、みたいに受け取られやすいんですよね」
「みんなのために一人が我慢しろ、と」
「そうです」
でも。
それでは危ない。
みんな。
社会。
秩序。
常識。
和。
そういう大きな言葉だけで個人の権利を制限できるなら。
人権保障は簡単に消えます。
「だから現代の憲法論では」
私は言いました。
「人権を制限するとき、その目的と手段をちゃんと見る」
「昨日やったやつだな」
「はい」
目的は正当か。
その目的と手段は結びついているか。
制限は必要なのか。
もっと権利侵害の小さい方法はないのか。
失われる権利と、得られる利益のバランスはどうか。
「昨日なら」
私は書きます。
目的。
教材費負担の公平。
学校運営の維持。
「これは理解できる」
「ああ」
「手段」
未納家庭の児童を授業の一部から外す。
「問題はこっち」
「そうだ」
しかも。
ほかの手段がある。
保護者へ請求できる。
分納もできる。
就学援助など利用可能な制度を検討できる。
それなのに。
子どもの学習機会を直接削る。
「目的が正しければ、手段は何でもいいわけじゃない」
私は言いました。
「それが昨日の一番大事なところだった気がします」
所長が頷きました。
「憲法論を使うなら、そこまで書け」
「『人権侵害です!』だけじゃ駄目」
「三流だ」
「出た」
片桐所長の憲法論。
憲法を振りかざすのは三流。
でも。
行政が越えてはいけない線を越えたら。
最高法規を抜く。
「所長」
「何だ」
「昨日の意見書、最初から憲法二十六条って大きく書かなかったの、わざとですか」
「ああ」
「どうして?」
「役所を脅すために憲法を使うな」
所長は言いました。
「行政を法律に戻すために使え」
私はペンを止めました。
いい言葉。
ちょっと悔しい。
私が言いたかった。
ノートを一枚戻ります。
「あと、十三条」
「昨日も入れてたな」
「はい」
憲法十三条。
個人の尊重。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利。
昨日。
奈緒ちゃんは、
教材費未納家庭の児童。
として扱われていました。
でも。
その前に。
一人の子どもです。
「憲法の人権って」
私は言いました。
「結局ここにつながるんですね」
「どこだ」
「個人を見る」
家。
地域。
学校。
集団。
もちろん全部大事です。
でも。
その集団の中で。
一人だけ泣いている人がいるとき。
みんなそうしている。
昔からそうだ。
和を乱すな。
という言葉だけで押し切らない。
「昭和の空気と一番ぶつかるの、ここかもしれません」
私は言いました。
「個人の尊重」
相馬先輩が煙草を消します。
「時代が変われば、常識は変わる」
「はい」
「法律も変わる」
「はい」
「でも憲法は変わってねえんだろ」
「そうです」
「じゃあ」
先輩は言いました。
「変わったのは、読む側か」
私は少し黙りました。
「……たぶん」
条文は同じ。
でも。
人権をどう具体的に守るのか。
どこまで行政に説明を求めるのか。
何を「仕方がない」で済ませないのか。
その感覚は。
社会と判例の積み重ねの中で、少しずつ精緻になっていく。
「昔の人が人権を知らなかった、って単純な話でもないんですよね」
「当然だ」
所長が言いました。
「昭和にも裁判所はある。憲法学者もいる。人権を争った人間もいる」
「旭川学力テスト事件だって昭和五十一年ですもんね」
「そうだ」
「教科書費の判決なんて昭和三十九年」
「そうだ」
昭和だから全部古い。
現代だから全部正しい。
そんな単純な話ではない。
ただ。
社会の中で許容されてしまう圧力。
個人が声を上げる難しさ。
役所が「慣例」で処理してしまう範囲。
そういうものは時代によって違う。
だからこそ。
同じ条文でも。
現場での使い方が変わって見える。
私はノートを整理しました。
憲法二十六条。
まず。
教育を受ける権利。
特に子どもの学習権を保障するものとして理解される。
次。
保護者には、
その保護する子女に普通教育を受けさせる義務がある。
職業教育や専門教育まで憲法上義務付けられているわけではない。
次。
義務教育の無償。
これは憲法上、
授業料を徴収しないという意味。
教育に関する費用全部が当然に無料という意味ではない。
次。
教育内容を誰が決めるか。
国家か。
親や教師を中心とする国民か。
どちらか一方だけに全部を与えるわけではない。
旭川学力テスト事件。
国にも、
必要かつ相当と認められる範囲で、
教育内容について決定する権能がある。
「そして実務」
私は言いました。
「行政の教育上の判断だからって、そこで思考停止しない」
「うん」
「逆に、教育を受ける権利があるから行政は何も決められない、でもない」
「うん」
「権限を認めたうえで」
目的。
必要性。
手段。
子どもの利益。
権利制限の程度。
そこを見る。
「それでいい」
所長が言いました。
そのとき。
電話が鳴りました。
相馬先輩が取りました。
「はい、片桐行政書士事務所。……ああ。……そうですか」
少しだけ声が柔らかくなります。
「分かりました。伝えときます」
電話を切る。
「誰です?」
「宮下さん」
「何かありました?」
「奈緒ちゃん、今日も普通に授業受けたってよ」
「おお」
「それと」
「はい」
「学校から就学援助の申請書も渡されたらしい」
私は息を吐きました。
「よかった」
「まだ認められるかは分からねえぞ」
「分かってます」
「教材費の話も残ってる」
「それも分かってます」
でも。
話す場所が変わりました。
昨日までは。
払えない。
なら授業に出さない。
だった。
今は。
払えない。
なら、どうするか相談する。
それだけで。
全然違います。
「制度って」
私は言いました。
「こういうときのためにあるんですね」
「何がだ」
「払えない人を罰するためじゃなくて」
どうすれば。
子どもが教育を受け続けられるか。
そのために。
大人が方法を探す。
「二十六条の主語を見失わなければ」
私は言いました。
「そこに戻れる気がします」
私はノートの最後に赤線を引きました。
「今日の一行」
「やっと終わるのか」
「先輩、付き合ってたくせに」
「所長命令だ」
「では解除してもらいましょうか」
「続けろ」
「どっちですか」
私は考えました。
教育を受ける権利。
普通教育を受けさせる義務。
義務教育の無償。
国家の教育権。
国民の教育権。
旭川学力テスト事件。
教科書費国庫負担請求事件。
全部を一行にする。
無理。
「一行じゃ収まりません」
「毎回言ってんな」
「情報量が多いんですよ」
「削れ」
「うーん」
昨日。
奈緒ちゃんが言った言葉を思い出しました。
電池を増やすと、
いっぱいつきました。
ただの理科実験。
でも。
それをするために憲法があった。
私は書きました。
――二十六条の主役は大人の都合じゃない。学ぶ子どもだ。
「どうです?」
相馬先輩が覗き込みます。
「試験知識が足りねえ」
「じゃあもう一つ」
「一行だろ」
「補助線です」
その下に小さく。
――無償は授業料。保護者には普通教育を受けさせる義務。国の教育関与は必要かつ相当な範囲。
「完全に三行じゃねえか」
「一行の覚え書きと、試験用補足です」
「言い訳だけは一人前だな」
「行政書士には説明能力が必要です」
「屁理屈能力じゃねえ」
私は笑ってノートを閉じました。
窓の外。
もう子どもたちの姿はありません。
夕焼けだけが残っています。
明日も学校があります。
奈緒ちゃんも行く。
理科も。
国語も。
算数も。
たぶん嫌いな授業もあるでしょう。
宿題を忘れる日もある。
先生に怒られる日もある。
友達と喧嘩する日もある。
学校へ行きたくない朝だってあるかもしれない。
それでも。
学ぶ時間は続いていく。
憲法二十六条は。
子どもに毎日楽しく学校へ行けとは書いていません。
成績を上げろとも。
大学へ行けとも。
立派な大人になれとも書いていません。
ただ。
能力に応じて。
ひとしく。
教育を受ける権利がある。
そう書いてある。
昭和六十三年も。
私が来た未来も。
同じ文字で。
同じ場所に。
「こはる」
所長が言いました。
「帰るぞ」
「はい」
私は鞄を持ちました。
そこで。
「あ」
「何だ」
「先輩」
「何だよ」
「今日の勉強会、教材費ください」
「は?」
「憲法二十六条の教材費です」
「払うか」
「義務教育なのに!」
「お前の行政書士試験勉強は義務教育じゃねえ!」
「普通教育では?」
「十八歳の受験生に普通教育を受けさせる義務を俺が負ってたまるか!」
「じゃあ所長」
「断る」
「まだ何も言ってません!」
片桐所長が事務所の灯りを消しました。
「自分で払え」
「冷たい!」
「教育を受ける権利と、他人に教材費を払わせる権利を混同するな」
「今日の授業が完璧に回収された!」
暗くなった事務所に。
相馬先輩の笑い声が響きました。
私は鞄を抱えて外へ出ます。
教育を受ける権利。
どうやら。
学ぶ権利は守ってくれても。
参考書代まで所長が払ってくれるわけではないようです。
――義務教育の無償は、授業料。
これは。
たぶんもう、一生忘れません。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




