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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈憲法 配点28点/300点〉 人権

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380/618

[憲法25条・生存権]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 権利と書いてあるからといって。


 そのまま裁判所へ持っていけるとは限りません。


 法律というものは、ときどき日本語より難しいです。


 夕方。


 片桐行政書士事務所。


 電話が鳴らない。


 来客も途切れた。


 窓の外では、商店街の店が一軒、また一軒と明かりをつけています。


 私は机の上に六法とノートを広げていました。


 ページの一番上。


 大きく書いたのは、


 ――憲法第二十五条・生存権。


 その下には、


 昨日書いた一行。


 ――二十五条は給付の小切手じゃない。でも、行政への白紙委任状でもない。


「……長いなあ」


「自分で書いたんだろ」


 向かいの机で相馬先輩が煙草に火をつけます。


「昨日は格好いいと思ったんですよ」


「一晩寝て恥ずかしくなるやつだな」


「言わないでください」


 でも。


 西村さんの事件を経験したあとでは。


 憲法二十五条は、もう単なる暗記事項には見えません。


 私は六法を開きました。


 そこにある条文は、


 私がいた現代と、


 一字一句同じ。


 昭和六十三年でも。


 令和でも。


 変わっていません。


 ――すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。


 ――国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


「先輩」


「何だ」


「これだけ読むと、かなり強そうじゃないですか」


「何が」


「『権利を有する』ですよ」


「ああ」


「努力してください、じゃないんですよ。一項はちゃんと『権利を有する』」


「そうだな」


「だったら西村さんも」


 私はペンを持ち上げました。


「憲法二十五条を直接根拠にして、『健康で文化的な最低限度の生活をさせろ』って国に請求できそうじゃないですか」


「できるのか?」


「……そこなんですよ」


 昨日。


 私が最初に踏みかけた地雷です。


 憲法二十五条。


 生存権。


 条文には「権利」と書いてある。


 でも。


 では、その権利が侵害されたとして、


 個人が国に、


「月にあと三万円給付しろ」


「この住宅を無償で貸せ」


「この医療費を全部負担しろ」


 と直接請求できるのか。


 そこまで簡単ではありません。


「というわけで」


 私はノートに三つの見出しを書きました。


 プログラム規定説。


 抽象的権利説。


 具体的権利説。


 相馬先輩が露骨に嫌そうな顔をしました。


「出たな」


「何です、その顔」


「学説三兄弟」


「嫌な呼び方しないでください」


「どうせ似たような名前で受験生を殺しに来るんだろ」


「今回は割と整理しやすいですよ」


「じゃあ三十秒で説明しろ」


「無茶言わないでください」


 私は最初の見出しに丸をつけました。


「まず、プログラム規定説」


「うん」


「憲法二十五条は、国に対して『国民が健康で文化的な最低限度の生活を送れるよう政治をしなさい』と示したもの」


「うん」


「でも、個々の国民に、直接具体的な請求権を与えたものではない」


「つまり?」


「政治の目標」


「もっと乱暴に」


「国への宿題」


「雑だな」


「先輩が乱暴にって言ったんでしょう!」


 でも。


 イメージとしては近い。


 国は、


 社会福祉。


 社会保障。


 公衆衛生。


 そうした制度を整備して、


 国民が最低限度の生活を送れるよう努力しなければならない。


 けれど。


 二十五条そのものから、


 個々の国民が具体的な給付を直接請求できるわけではない。


「だから『プログラム』なんですね」


「政治の指針ってことか」


「そうです」


 私はノートに書きました。


 ――プログラム規定説。


 法的権利性を否定。


 国の政治的・道義的責務を宣言。


 二十五条から直接、具体的給付を請求できない。


「昨日の西村さんで言えば」


 私は続けました。


「『二十五条があるから、私に毎月十万円ください』とは直接言えない」


「金額も決まってねえしな」


「はい」


 健康で文化的な最低限度。


 この言葉自体が、極めて抽象的です。


 時代によって違う。


 地域によっても違う。


 家族構成によっても違う。


 物価でも違う。


 病気があるかでも違う。


「だから」


 片桐所長が帳簿を見ながら言いました。


「具体化が要る」


「法律ですね」


「ああ」


 生活保護法。


 児童福祉法。


 国民年金法。


 国民健康保険法。


 そういった社会保障立法によって、


 二十五条の理念が、


 現実に使える制度へ落とし込まれていく。


「憲法が設計思想で」


 私は言いました。


「法律が実装」


「じっそう?」


 相馬先輩が眉をひそめました。


「あ」


 昭和でした。


「えーと……憲法が設計図で、法律が実際の建物」


「最初からそう言え」


「未来では『実装』で通じるんですよ」


「知らん」


 転生者の比喩は、ときどき時代に拒絶されます。


「じゃあ」


 私はノートの次の欄へ移りました。


「プログラム規定説を採った有名判例」


「昨日も出したやつか」


「はい。食糧管理法違反事件」


 最大判昭和二十三年九月二十九日。


 日本国憲法が施行されて、まだそれほど経っていない時代。


 最高裁は、二十五条について、


 国民一般に対して国家が概括的な責務を負うことを宣言したものだと考えました。


 しかし。


 個々の国民に対して、


 国家が具体的、現実的な義務を負うものではない。


 個々の国民が二十五条から直接、


 具体的、現実的な権利を持つものでもない。


「これが典型的なプログラム規定説」


「二十五条だけ握って裁判所に行っても駄目、と」


「基本イメージはそうです」


「じゃあ二十五条、弱いな」


「私も昨日、そう思いました」


 私はペンを止めました。


 そこが、


 この論点の面白いところです。


「でも」


 私は言いました。


「ここで終わらないんです」


「何が」


「その後の判例」


 私はノートに、


 ――朝日訴訟。


 と書きました。


「結核患者の事件です」


 生活保護を受けていた人。


 医療扶助と生活扶助。


 兄からの仕送りなどをめぐって、


 保護基準が争われた。


「最高裁は昭和四十二年」


「今から二十年以上前か」


「はい。だから昭和六十三年の私たちから見ても、もう存在している判例です」


「未来知識じゃねえな」


「堂々と使えます」


 私は少し嬉しくなりました。


 行政法では未来知識が地雷になることがあります。


 でも憲法は違う。


 昨日使った朝日訴訟も、


 すでにこの時代の武器です。


「朝日訴訟でも」


 私は説明しました。


「最高裁は、二十五条一項が個々の国民に直接具体的な権利を与えたものだ、とはしませんでした」


「じゃあプログラム規定説」


「大筋ではそう」


「終わり」


「終わらない!」


「面倒くせえな、憲法」


「そうなんですよ!」


 重要なのは、その先。


 何が、


「健康で文化的な最低限度の生活」


 なのか。


 その具体的判断については、


 行政に広い裁量がある。


「広い裁量」


 相馬先輩が言います。


「役所の好きに決めていいってことか」


「違います」


「昨日やったな」


「はい」


 裁量がある。


 イコール。


 何をしてもいい。


 ではない。


 著しく合理性を欠く。


 考慮すべき事情を無視する。


 法の目的と無関係な事情を重視する。


 そんな判断まで、


「裁量です」


 の一言で逃げられるわけではない。


「朝日訴訟では」


 私はノートに矢印を書きました。


 ――厚生大臣の判断には広い裁量。


 ――ただし、裁量の逸脱・濫用があれば司法審査の可能性。


「ここです」


「何が」


「プログラム規定説を、単純に『裁判では絶対使えません』って覚えると危ない」


 相馬先輩が煙草を灰皿へ落としました。


「最初の判例では、直接具体的な権利じゃねえ」


「はい」


「でも後の判例では、裁量を外れたら裁判所が見ることはある」


「そうです」


「……ややこしいな」


「憲法ですから」


「便利な逃げ方覚えたな」


 私はノートに大きく書きました。


 ――直接具体的請求権を否定することと、司法審査を完全に否定することは同じではない。


「これ、かなり大事です」


 昨日の西村さん。


 もし役所が、


「憲法二十五条はプログラム規定だから、役所がどう運用しても裁判所には関係ありません」


 なんて言ったら。


 それは飛躍です。


 二十五条から直接、


「この金額を給付しろ」


 という具体的請求権が当然に出てこない。


 だからといって。


 具体化された法律の運用や、


 行政裁量が、


 完全な無法地帯になるわけではない。


「だから昨日」


 私は言いました。


「『給付の小切手じゃない。でも白紙委任状でもない』って書いたんです」


「長いけどな」


「そこは忘れてください」


「次」


 私はさらに書きます。


 ――堀木訴訟。


 最大判昭和五十七年七月七日。


「これも今から六年前」


「新しいな」


「憲法判例としてはかなり現役感ありますね」


 障害年金を受けている人が、


 児童扶養手当の受給を申請した。


 ところが当時の制度には、


 障害年金と児童扶養手当を同時に受けられない併給禁止の規定があった。


 そこで憲法二十五条などとの関係が争われた。


「最高裁は?」


 相馬先輩が聞きます。


「やっぱり広い裁量を認めます」


 健康で文化的な最低限度の生活。


 それは極めて抽象的で相対的な概念。


 具体化には、


 専門技術的な考察。


 政策的判断。


 財政事情。


 社会情勢。


 いろいろな事情を考えなければならない。


 だから立法府には広い裁量がある。


「また裁量か」


「社会権では重要なんです」


 でも。


 ここでも終わらない。


「著しく合理性を欠いて」


 私は言いました。


「明らかに裁量の逸脱・濫用だと見ざるを得ないような場合」


「そのときは?」


「司法審査の余地がある」


「朝日訴訟と似てるな」


「はい」


 つまり。


 二十五条は、


 個々人が直接、


「俺には憲法上、月額○万円を受け取る権利がある」


 と具体的給付を引き出すカードではない。


 しかし。


 立法府や行政に与えられた裁量にも、


 憲法上の限界がある。


「完全なプログラム規定説って言い切ると」


 私は言いました。


「少し雑になるんですよね」


「試験で雑は死ぬぞ」


「その通りです」


 だから。


 判例は二十五条から直接の具体的権利を認めない。


 その意味ではプログラム規定説的。


 一方で、


 著しい裁量逸脱・濫用について司法審査の可能性まで否定してはいない。


「二十五条は裁判規範性が一切ない」


 と単純化してしまうと、


 朝日訴訟や堀木訴訟との関係で危険です。


「行政書士試験って」


 相馬先輩が言いました。


「嫌な聞き方しそうだな」


「しますね」


「例えば?」


「『判例によれば、生存権については立法府に完全な自由裁量が認められ、その判断が司法審査の対象となることはない』」


「バツ」


「正解」


「簡単じゃねえか」


「今の話を聞いた直後だからですよ!」


 私は次の見出しへ進みました。


 ――抽象的権利説。


「ここから学説です」


「まだあるのか」


「ここからが三兄弟の二人目です」


「その呼び方採用したのかよ」


 プログラム規定説は、


 生存権の法的権利性を否定する。


 これに対して。


 抽象的権利説は、


 二十五条の生存権を、


 ちゃんと法的な権利として認める。


「じゃあ直接裁判できる?」


 相馬先輩が聞きます。


「できません」


「何でだよ」


「だから抽象的なんです」


 相馬先輩が露骨に嫌な顔をしました。


「法的権利なんだろ?」


「はい」


「でも二十五条だけじゃ裁判できない?」


「はい」


「学者って暇なのか」


「怒られますよ」


 抽象的権利説では。


 国は、


 二十五条を実現するための立法をする法的義務を負う。


 つまり、


 単なる政治的努力目標ではない。


 生存権には法的権利性がある。


 でも。


 二十五条の文言だけでは、


 具体的な給付内容まで確定できない。


 だから、


 具体化する法律が必要になる。


「生活保護法みたいな?」


「そうです」


 具体化立法ができる。


 そこで初めて、


 個々人がその法律に基づく具体的な権利を主張できる。


「西村さんなら」


 私は言いました。


「二十五条だけを直接根拠にして『保護費を払え』じゃない」


「生活保護法を使う」


「はい」


「でも、その生活保護法の後ろに二十五条がいる」


「そのイメージです」


 私はノートに書きました。


 ――抽象的権利説。


 法的権利性あり。


 ただし二十五条だけでは具体的請求不可。


 具体化立法によって具体的権利となる。


「プログラム規定説との違いは?」


 片桐所長が突然聞きました。


「え」


 抜き打ちです。


「プログラム規定説は、二十五条を政治的・道義的な責務の宣言と捉えて、法的権利性を否定」


「うん」


「抽象的権利説は、生存権そのものに法的権利性を認める」


「うん」


「ただし、具体化立法がなければ二十五条だけで具体的給付を請求することはできない」


 所長が頷きました。


「それでいい」


 よし。


 私は小さく拳を握りました。


「何喜んでんだ」


「所長の口頭試問、地味に緊張するんですよ」


「試験本番より怖そうだな」


「否定できません」


「最後」


 私は三つ目を丸で囲みます。


 ――具体的権利説。


「名前からして強そうですね」


「直接行けそうだな」


「その通り」


 具体的権利説。


 二十五条そのものが、


 国民に具体的権利を保障している。


 したがって。


 具体化する法律がなくても、


 二十五条を直接根拠として裁判で争うことができる。


「一番強いな」


「はい」


「昨日のお前が最初にやろうとしてたの、これじゃねえか?」


「……」


「おい」


「そうですね」


 まさにそれでした。


 二十五条に、


 健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。


 と書いてある。


 なら直接請求すればいい。


 昨日の私は、


 かなり具体的権利説っぽい勢いで六法を握っていました。


「でも判例は?」


「採ってません」


「だろうな」


 具体的権利説は、


 学説上存在する。


 けれど、


 最高裁判例の立場ではない。


 試験ではそこを混ぜない。


 私は三説を縦に並べました。


 プログラム規定説。


 法的権利性――なし。


 二十五条から直接具体的請求――できない。


 抽象的権利説。


 法的権利性――あり。


 二十五条だけでは具体的請求――できない。


 具体化立法があれば、その法律に基づいて争える。


 具体的権利説。


 法的権利性――あり。


 二十五条そのものを直接根拠に裁判で争える。


「なるほど」


 相馬先輩が煙草を消しました。


「二つの質問で分けりゃいいのか」


「え?」


「まず、その生存権は法的な権利なのか」


「あ」


「次に、二十五条だけで直接裁判に持っていけるのか」


 私は相馬先輩を見ました。


「先輩」


「何だ」


「今の、めちゃくちゃ分かりやすいです」


「そうか?」


「教材にしたい」


「金取るぞ」


「そこは無償でお願いします」


 でも本当に。


 三説を名前だけで覚えるから混乱する。


 質問を二つに分ければいい。


 一つ。


 生存権に法的権利性を認めるか。


 二つ。


 二十五条そのものに裁判規範性を認め、直接裁判で争えるか。


「プログラム規定説」


 私は指を一本立てます。


「法的権利性、なし」


「直接裁判もなし」


「基本整理ではそう」


 二本目。


「抽象的権利説」


「法的権利性は、あり」


「でも二十五条だけで直接裁判は?」


「なし。法律が具体化してから」


「正解」


 三本目。


「具体的権利説」


「法的権利性あり」


「直接裁判」


「あり」


「正解です」


 相馬先輩が腕を組みました。


「簡単じゃねえか」


「だから今説明したでしょう!」


「ただし」


 片桐所長が言いました。


「判例を三説の表だけに押し込むな」


 私は止まりました。


「……朝日訴訟と堀木訴訟ですね」


「ああ」


 そこです。


 試験勉強では、


 表にすると覚えやすい。


 プログラム規定説。


 抽象的権利説。


 具体的権利説。


 綺麗に三列。


 でも。


 実際の最高裁判例は、


 そんな表のマス目に完全には収まらない。


 二十五条から、


 個々人の直接具体的な給付請求権を認めない。


 そこだけ見れば、


 プログラム規定説。


 しかし。


 行政や立法の判断が、


 著しく合理性を欠き、


 明らかに裁量の逸脱・濫用と評価できる場合まで、


 司法審査を完全に排除するわけではない。


「だから」


 私は言いました。


「『判例=二十五条には一切裁判規範性なし』って覚えるのは危険」


「そうだ」


 所長が頷きました。


「学説名を覚えるより、判例がどこまで認め、どこから認めなかったかを見ろ」


「はい」


 これ。


 行政書士試験でもかなり大事です。


 ラベルより中身。


「判例はプログラム規定説だから、裁判所は二十五条について何も審査しない」


 これは言い過ぎ。


「判例は具体的権利説だから、二十五条から直接給付請求できる」


 もちろん違う。


 正確には。


 直接具体的な権利性は否定する。


 社会保障政策について広い裁量を認める。


 でも。


 著しい不合理。


 明白な裁量逸脱・濫用。


 そこまで行けば司法審査の可能性は残る。


「……憲法って」


 私は言いました。


「ゼロか百かじゃないんですね」


「当たり前だ」


「受験生はゼロか百かで覚えたがるんですよ」


「だから落ちる」


「痛いところ突かないでください」


 私は少しページをめくりました。


「じゃあ、昨日の西村さんの件に戻ります」


「おう」


「市役所は最初、『若い』『働ける』『親戚を頼れ』『地域ではみんな助け合っている』って話をしてました」


「ああ」


「ここで私が、『憲法二十五条違反だから今すぐ保護費を払え』って言ったら?」


「雑」


「ですよね」


 まず。


 生活保護法という具体化立法がある。


 ならば、


 申請意思を明確にする。


 申請を受理させる。


 収入。


 資産。


 就労能力。


 その他の法定要件。


 それを法律に従って審査させる。


「行政書士の仕事はそこだ」


 片桐所長が言いました。


「はい」


 私たちは裁判代理人ではありません。


 憲法訴訟を起こすこともできない。


 だから、


 いきなり法廷で、


「違憲です!」


 と叫ぶ仕事ではない。


 むしろ。


 役所が法的要件から外れそうになったとき、


 意見書を作る。


 事実を整理する。


 具体化法の趣旨を示す。


 その一番上にある憲法二十五条を示す。


 そして。


「この運用を続けると、憲法上の問題まで行きますよ」


 と知らせる。


「昨日の所長」


 私は言いました。


「憲法を最後に抜きましたよね」


「ああ」


「最初から二十五条一本で殴らなかった」


「殴るな」


「比喩です」


「法律家が殴ると言うな」


「行政書士見習いです」


「なお悪い」


 でも。


 これが実務なのだと思います。


 憲法は最高法規。


 だからこそ、


 毎回何でも憲法問題にすればいいわけではない。


 下位法で解決できるなら、


 まず下位法を見る。


 具体的な制度を見る。


 事実を見る。


 要件を見る。


 それでも行政が、


 法律の目的を忘れ、


 世間体や慣習で人を排除しようとするなら。


 そこで最高法規が出てくる。


「所長の言ってた意味」


 私は呟きました。


「少し分かりました」


「何がだ」


「憲法論を振りかざすのは三流」


「ああ」


「でも越えちゃいけない線を越えたら抜く」


「そうだ」


「伝家の宝刀ですね」


「錆びさせるなよ」


「はい」


 私はノートの端に、


 ――社会権。


 と書きました。


「二十五条だけじゃありません」


「何が」


「社会権です」


 憲法二十五条。


 生存権。


 二十六条。


 教育を受ける権利。


 二十七条。


 勤労の権利。


 二十八条。


 労働基本権。


「自由権とは少し性格が違います」


 自由権なら、


 国家に、


「邪魔するな」


 という方向が強い。


 思想・良心。


 表現。


 信教。


 職業選択。


 国家権力による不当な介入を防ぐ。


 でも社会権は。


「何もしないでくれ、だけじゃ足りない」


 私は言いました。


「制度を作ってくれ、生活を支える仕組みを整えてくれ、教育を受けられる環境を用意してくれ」


「国に動けって言う権利か」


「そういう性格があります」


 だからこそ難しい。


 国に何かをさせるには、


 法律がいる。


 予算がいる。


 人員がいる。


 施設がいる。


 制度設計がいる。


 いろいろな人の利害調整もいる。


 裁判所が、


「健康で文化的な最低限度は月額○円だ」


 と簡単に決めれば済む話ではない。


「だから立法府や行政に広い裁量が認められやすい」


「なるほどな」


「でも」


 私は昨日の西村さんを思い出しました。


「裁量が広いからって、ゼロじゃない」


 そこ。


 たぶん今日一番大事なところです。


「もう一つ」


 私は言いました。


「昭和と現代の違い」


「条文は同じなんだろ」


「そこなんです」


 憲法二十五条。


 昭和六十三年も現代も、


 一字一句同じ。


 判例も、


 朝日訴訟。


 堀木訴訟。


 すでに昭和六十三年には存在している。


「じゃあ何が違う」


 相馬先輩が聞きました。


「空気です」


「また空気か」


「これが重いんですよ」


 昨日の西村さん。


 役所の担当者は、


「生活保護を受けるな」


 とは言わなかった。


 そんな露骨なことはしない。


 でも。


 若い。


 まだ働ける。


 親戚に頼れ。


 近所の人も頑張っている。


 子どもが学校で何か言われるかもしれない。


 そういう言葉が積み重なって。


 本人が、


「申請するのは悪いことなのかもしれない」


 と思ってしまう。


「法律は同じなのに」


 私は言いました。


「権利を使うことへの心理的な壁が高い」


「今は違うのか」


「未来でも、全部なくなるわけじゃありません」


「じゃあ偉そうに言うな」


「でも人権感覚は少しずつ変わります」


 権利を使うことは、


 わがままではない。


 社会保障制度を利用することは、


 恥ではない。


 法律が用意した制度なら、


 要件を満たす人が申請すること自体を責める理由はない。


 そういう考え方が、


 少しずつ社会に広がっていく。


「条文が変わらなくても」


 私はノートに書きました。


 ――人権は、社会の中で読み直され続ける。


「憲法改正しなくても?」


「はい」


 社会状況。


 判例。


 学説。


 人々の価値観。


 行政実務。


 そういうものが積み重なって、


 同じ条文の意味が、


 より精密になっていく。


「でも」


 片桐所長が言いました。


「未来の常識を、今の法律だと思うな」


 私は止まりました。


「……はい」


「昭和には昭和の判例がある」


「はい」


「今存在しない判例を持ち込むな」


「はい」


「今存在しない制度もだ」


「……耳が痛い」


 行政不服審査法で何度もやりました。


 未来を知っている。


 だからこそ危ない。


 憲法の条文は変わらなくても、


 判例法理や社会の受け止め方は積み重なっていく。


 未来人の私は、


 そこを混同してはいけません。


「条文が同じだからって」


 私は言いました。


「憲法まで完全に同じ世界だと思ったら駄目なんですね」


「そうだ」


「朝の私、憲法は楽勝とか言ってました」


「馬鹿だな」


「もう少し優しく言ってください」


「かなり馬鹿だな」


「悪化した!」


 私はノートを見直しました。


 今日の整理。


 まず。


 憲法二十五条は生存権を保障する。


 しかし、


「権利を有する」


 という文言だけから、


 直ちに個々人の具体的な給付請求権が導かれるわけではない。


 次。


 プログラム規定説。


 二十五条を、


 国家の政治的・道義的な責務を宣言したものと捉え、


 個人の直接具体的な権利性を否定する。


 食糧管理法違反事件が基本。


 次。


 抽象的権利説。


 生存権に法的権利性を認める。


 ただし二十五条だけでは具体的請求はできず、


 生活保護法などの具体化立法によって、


 具体的な権利として争えるようになる。


 次。


 具体的権利説。


 二十五条自体に具体的権利性・裁判規範性を認め、


 具体化立法がなくても、


 二十五条を直接根拠として裁判で争えると考える。


「そして判例」


 私は声に出しました。


「直接具体的な給付請求権は認めない」


「うん」


「社会保障政策について立法府・行政に広い裁量を認める」


「うん」


「でも著しく合理性を欠いて、明らかな裁量逸脱・濫用があるような場合まで、司法審査を完全に排除するわけではない」


「朝日と堀木」


「はい」


 だから。


 単純に、


 プログラム規定説=裁判所は一切審査しない。


 ではない。


 ここは試験で狙われたら怖い。


「じゃあ」


 相馬先輩が言いました。


「一番簡単な覚え方は?」


「来ましたね」


 私はノートの最後に線を引きました。


「三説を二つの質問で切ります」


 一。


 生存権を法的権利として認めるか。


 二。


 二十五条だけで直接裁判できるか。


 プログラム規定説。


 法的権利性――否定。


 直接裁判――基本的に否定。


 抽象的権利説。


 法的権利性――肯定。


 二十五条だけで直接裁判――否定。


 具体化立法があれば、その法律に基づいて争う。


 具体的権利説。


 法的権利性――肯定。


 二十五条を直接根拠に裁判――肯定。


「よし」


 私はペンを置きました。


「終わったか」


「最後の一行があります」


「まだ書くのか」


「法理編ですから」


 私は昨日の一行を見ました。


 ――二十五条は給付の小切手じゃない。でも、行政への白紙委任状でもない。


「やっぱりこれ、かなり良くないですか」


「長い」


「内容は完璧でしょう」


「一行の覚え書きじゃなくて標語だな」


「じゃあ短くします」


 考えます。


 プログラム規定。


 抽象的権利。


 具体的権利。


 直接請求。


 裁判規範性。


 裁量。


 逸脱・濫用。


 西村さん。


 裂けた靴。


 新しい青い靴。


 そして。


 法律に書かれた、


 健康で文化的な最低限度の生活。


 私は書きました。


 ――生存権は、直接請求できなくても、国家を無制限にはしない。


 相馬先輩が覗き込みます。


「まだ長い」


「じゃあ先輩なら?」


「俺?」


「はい」


 相馬先輩は少し考えました。


 煙草を灰皿へ押しつけます。


「……『二十五条は、金額までは言わねえ。でも、見捨てていいとも言ってねえ』」


 私は止まりました。


「……」


「何だ」


「先輩」


「何だよ」


「それ、採用です」


「金取るぞ」


「さっきも聞きました」


 私はノートの最後に書きました。


 ――二十五条は、金額までは言わない。でも、見捨てていいとも言わない。


「いいですね」


「試験答案には書くなよ」


「もちろんです」


 でも。


 覚えるには十分です。


 憲法二十五条は、


 魔法ではありません。


 条文を読めば、


 明日の生活費が自動的に決まるわけではない。


 具体的な社会保障制度には、


 法律が必要です。


 予算も必要です。


 政策判断も必要です。


 そして。


 そこには広い裁量が認められる。


 だからこそ。


 生存権という言葉は、


 自由権より輪郭がぼやけて見えることがあります。


 でも。


 ぼやけていることと、


 存在しないことは違う。


 政治の目標だから、


 無視していいわけではない。


 裁量が広いから、


 何をしてもいいわけではない。


 直接具体的な給付請求権がないから、


 憲法二十五条がただの飾りになるわけでもない。


 法律が制度を作り。


 行政が制度を動かし。


 裁判所が、その限界を見張る。


 その全部の一番上に、


 同じ一文がある。


 ――健康で文化的な最低限度の生活。


 昭和六十三年。


 その言葉の下で、


 一人の母親が生活保護を申請しました。


 そして一人の子どもが、


 裂けた靴を履かなくてよくなった。


 大げさな憲法論から見れば、


 ずいぶん小さな話です。


 でも。


 たぶん憲法二十五条は、


 そういう小さな生活を守るために、


 あんな大きな言葉で書かれている。


 私はノートを閉じました。


「終わりました」


「じゃあ帰るぞ」


 相馬先輩が立ち上がります。


「先輩」


「何だ」


「晩ご飯、奢ってください」


「嫌だ」


「私には健康で文化的な最低限度の食事を営む権利が」


「具体的権利説を勝手に採用すんな」


「ラーメンでいいです」


「なおさら自分で払え」


「所長」


 私は奥を見ました。


「事務所には見習いの生存権を保障する義務があると思います」


「ない」


「即答!」


「具体化立法がない」


「そこ使います!?」


 相馬先輩が笑いました。


「残念だったな。プログラム規定だ」


「じゃあ政治的・道義的義務として奢ってください」


「それもない」


「冷たい!」


 片桐所長が帳簿を閉じました。


「こはる」


「はい」


「戸締まりしたら来い」


「え?」


「ラーメンだ」


 私は立ち上がりました。


「所長!」


「大声出すな」


「生存権が具体化しました!」


「してねえよ」


 相馬先輩が吹き出します。


 私は慌てて六法とノートを鞄へ入れました。


 どうやら。


 昭和六十三年の片桐行政書士事務所では、


 健康で文化的な最低限度の夕食について、


 所長にかなり広い裁量が認められているようです。


 ただし。


「所長。チャーシュー麺でも?」


「著しく合理性を欠く」


「裁量権の逸脱・濫用です!」


「普通のラーメンだ」


「司法審査を求めます!」


「誰にだ」


「相馬先輩」


「棄却」


「裁判所ですらない!」


 笑いながら事務所の灯りを消します。


 窓の外。


 商店街の向こうを、


 青い靴を履いた小さな男の子が、


 母親と手をつないで歩いていました。


 たぶん。


 あれで十分です。


 今日のところは。

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