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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈憲法 配点28点/300点〉 人権

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376/701

[憲法22条・職業選択の自由(消極目的規制と積極目的規制)]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 同じ鍵でも。


 閉める理由が違えば、その重さは違います。


 夕方。


 片桐行政書士事務所。


 私の机の上には、一本の白いタオルが置かれていました。


 青い文字で、


 ――宮下薬局。


「……まだ使ってないんですか」


 相馬先輩が言いました。


「記念品ですから」


「タオルだぞ」


「分かってます」


「使え」


「嫌です」


「何でだ」


「開店祝いでもらった最初の一本ですよ」


「タオルは使ってこそだろ」


「思い出という概念を持ってください」


「腹の足しにもならねえ思い出はいらん」


「先輩の価値観が今日も原始的」


 宮下薬局。


 二か月前まで、


 その名前の店は存在しませんでした。


 薬剤師として十年働いた宮下俊夫さん。


 独立して薬局を開こうとしたら、


 市役所から、


 近くに既存薬局がある。


 過当競争になる。


 商店街の秩序を乱す。


 地元の理解を得てほしい。


 そんな行政指導を受けた。


 でも。


 市独自の距離制限は、


 法令にも条例にも規則にもなかった。


 私たちは憲法二十二条を軸に意見書を作りました。


 その結果。


 市は、


 既存薬局との距離。


 商店街の同意。


 地元の了解。


 そうしたものを法令上の開設要件として扱わないと確認した。


 そして今。


 宮下さんの薬局は、


 もうすぐ開店します。


 私はノートを開きました。


 今日の見出し。


 ――憲法二十二条。


 その下に。


 ――職業選択の自由。


 さらに。


 ――消極目的規制と積極目的規制。


「……嫌いだったなあ」


「何が」


「ここ」


 私はノートを指しました。


「受験生泣かせなんですよ」


「お前、受験生だろ」


「そうでした」


 転生しても受験生。


 悲しい。


「だって」


 私は言いました。


「薬局の距離制限は違憲」


「ああ」


「小売市場の距離制限は合憲」


「ああ」


「公衆浴場の距離制限も合憲」


「ああ」


「全部距離制限じゃないですか!」


「知らねえよ」


「昔の私は『距離制限=違憲』って覚えかけたんですよ!」


「馬鹿じゃねえのか」


「だから途中で気づいたんです!」


 同じ距離制限。


 なのに。


 合憲。


 違憲。


 結論が違う。


 ここで受験生は思います。


 ――憲法、気分で決めてない?


 もちろん。


 そんなわけはありません。


「じゃあ始めます」


「勝手にしろ」


「所長」


「付き合え」


 奥から片桐所長。


 相馬先輩が煙草をくわえたまま天井を見ました。


「最近、俺の自由が侵害されてねえか」


「公共の福祉です」


「便利に使うな」


 今日のテーマにぴったりです。


「まず」


 私はノートに書きました。


 職業選択の自由。


「これは文字通り」


 自分が、


 どんな職業に就くか。


 それを自分で決める自由。


「私は行政書士になる」


「まだなってねえ」


「例です!」


「受かってから言え」


「受かります!」


「なら勉強しろ」


「してるでしょう!」


 話が進まない。


「たとえば」


 医師になる。


 薬剤師になる。


 八百屋をする。


 印刷屋をする。


 理髪店を開く。


 自分が何を仕事にするのか。


 国家や地域が、


「お前はこの仕事をしろ」


「お前はその仕事をするな」


 と好き勝手に決められない。


 それが、


 職業選択の自由。


「でも」


 私は続けます。


「職業を選ぶ自由だけ保障しても意味がありません」


「どういうことだ」


「薬剤師という職業を選ぶのは自由です」


「うん」


「でも薬剤師として仕事するのは禁止です」


「意味ねえな」


「ですよね」


 だから。


 憲法二十二条一項の職業選択の自由は、


 単に、


 職業を頭の中で選ぶ自由だけではない。


 選んだ職業を、


 実際に遂行する自由。


 つまり。


 ――営業の自由。


 これも含む。


「宮下さんなら」


 私は言いました。


「薬剤師になる自由だけじゃない」


「薬局を経営する自由も問題になる」


「はい」


 職業を選べる。


 でも営業できない。


 それでは、


 選択の自由が空っぽになるからです。


 私は赤線を引きました。


 ――職業選択の自由には、営業の自由も含まれる。


「試験では重要です」


「現場でも重要だっただろ」


 片桐所長が言いました。


「……はい」


 そうでした。


 もう、


 試験だけの話ではありません。


「ただし」


 私は次に書きました。


 職業選択の自由は、


 無制限ではない。


 憲法二十二条一項自身が言っています。


 ――公共の福祉に反しない限り。


「ここですね」


「ああ」


 たとえば。


 今日から私、


 外科医になります。


「無理だ」


 相馬先輩。


「たとえばです!」


「お前に切られたくねえ」


「私だって切りたくありません!」


 医師になるには、


 資格が必要。


 なぜなら。


 専門知識も技術もない人が、


 自由に医療行為を始めたら。


 人が死ぬ。


 薬剤師も同じ。


 パイロットも同じ。


 人の生命や健康、安全に直接関わる仕事について、


 一定の資格や条件を設ける。


 それ自体は、


 職業選択の自由を侵害するから全部違憲。


 とはなりません。


「公共の福祉による規制が許される」


「そうだ」


「でも」


 私はペンを持ち直しました。


「ここからが今日の本題です」


 職業を規制する目的。


 大きく考えると、


 二つのタイプがあります。


 私は左側に書きました。


 ――消極目的規制。


 右側。


 ――積極目的規制。


「名前が嫌なんですよ」


「いきなり悪口か」


「だって分かりにくいじゃないですか」


 消極。


 積極。


 普通の日本語だけ見たら、


 弱い規制と強い規制。


 みたいに思えます。


 でも違う。


「規制の強さじゃありません」


「何が違う」


「目的です」


 ここ。


 最重要。


 消極目的規制。


 積極目的規制。


 これは、


 規制が厳しいか緩いかの分類ではない。


 何のために規制するか。


 目的による分類です。


「まず消極目的規制」


 私は大きく丸をつけました。


 国民の生命。


 健康。


 安全。


 そうしたものに対する危険を、


 防止する。


 除去する。


 緩和する。


 そのための規制。


「分かりやすく言うと」


 私は言いました。


「危ないから止める」


「雑だな」


「覚えるためです」


 たとえば。


 医師免許。


 知識も技術もない人が、


「今日から医者です」


 では危険。


 だから資格を要求する。


「これは?」


 相馬先輩。


「国民の生命や健康を守るため」


「つまり?」


「消極目的規制」


「そういうことだな」


 そして。


 消極目的規制では、


 大切なことがあります。


「必要最小限」


 私は書きました。


「危険を防ぐためなら」


 所長が言います。


「何をしてもいいわけじゃない」


「はい」


 危険防止という目的は正当。


 でも。


 自由を規制するなら、


 その目的を達成するために必要な範囲に抑える。


 もっと自由を制限しない方法で、


 同じ危険を防げるなら。


 そちらを使うべき。


「だから」


 私は二重線を引きました。


 ――審査は厳しくなる。


 国民の生命や健康を守るため。


 そう言われると、


 ものすごく強い理由に聞こえます。


 でも。


 だからこそ。


「本当にその規制が必要ですか?」


 と見る。


「そこで」


 私はノートに、


 薬局。


 と書きました。


 宮下さんの事件でも登場した、


 薬事法距離制限事件。


 昭和五十年四月三十日。


 最高裁大法廷。


「未来の判例じゃないのが助かります」


「昭和五十年だからな」


「この時代で使える!」


「嬉しそうだな」


「法改正前の制度に毎回殴られてるので」


 薬局を開設しようとした人が、


 許可を申請した。


 ところが。


 既存薬局との距離に関する配置基準に抵触する。


 そこで不許可。


 問題になったのは、


 その距離制限が、


 憲法二十二条一項の職業選択の自由に反しないか。


「目的は?」


 相馬先輩が聞きます。


「国民の生命や健康上の危険防止」


「なら消極目的」


「はい」


 では。


 健康を守るために、


 薬局同士を離す必要があるのか。


 ここです。


 薬剤師資格。


 設備基準。


 医薬品の管理。


 そういう方法で、


 危険を防止できる。


 それなのに。


 新しい薬局そのものを、


「近くに薬局があるから」


 という理由で排除する。


「そこまで必要なのか」


 所長が言いました。


「はい」


 最高裁は。


 その距離制限を、


 必要かつ合理的な規制とはいえないと判断した。


 だから。


 違憲。


「ここです!」


 私は赤線を引きました。


 ――薬局距離制限=消極目的規制=違憲。


「その覚え方は危なくないか」


 相馬先輩が言いました。


「……そうですね」


 さっき自分で、


 分類だけ暗記するなと言ったところです。


 書き直します。


 ――生命・健康を守る目的でも、手段が必要以上なら違憲になり得る。


「こっちですね」


「ああ」


「じゃあ次」


 私は右側を指しました。


 積極目的規制。


「これは?」


「福祉国家の理念に基づく規制です」


 経済の調和のとれた発展。


 社会的・経済的弱者の保護。


 そうした政策目的で行われる規制。


「分かりやすく言うと」


 私は考えました。


「弱い立場の人を政策的に守るため、経済活動を調整する」


「長い」


「消極目的みたいに一言にしにくいんですよ」


 市場に全部任せればいい。


 誰でも自由に参入させればいい。


 競争すればいい。


 それだけでは。


 経済的に弱い人が押し潰される場合がある。


 生活に不可欠なサービスが維持できなくなる場合もある。


 だから国が、


 経済政策として一定の規制をする。


「こういう政策判断は」


 所長が言いました。


「行政や立法の専門的な判断が大きい」


「はい」


 経済政策。


 どんな規制が有効か。


 どんな業者を守るべきか。


 どこまで競争させるべきか。


 裁判所が、


 唯一の正解を簡単に決められる分野ではありません。


 だから。


「審査は比較的緩やか」


 私は書きました。


 ――著しく不合理であることが明白でない限り、合憲。


「これが積極目的規制の基本整理」


 私は言いました。


「政策判断を尊重するんですね」


「そうだ」


「そこで小売市場です」


 私はノートに、


 七〇〇メートル。


 と書きました。


「距離制限、再び」


「薬局と同じだな」


「手段だけ見れば」


 小売市場を開設する。


 そのためには許可が必要。


 しかも。


 既存の小売市場から、


 一定の距離を離さなければならない。


 教材上の整理では、


 七百メートルの距離制限。


「薬局の距離制限は違憲だった」


「ああ」


「じゃあ小売市場も?」


「違憲」


「――ではない」


「面倒くせえ!」


「だから目的を見るんです!」


 小売市場の乱設。


 過当競争。


 その結果、


 小売商が共倒れする。


 それを防ぎ、


 経済的に弱い立場にある小売商を保護する。


「これは?」


「積極目的規制」


「はい」


 最高裁は。


 一般消費者を犠牲にして、


 小売商へ独占的利益を与えるだけの制度ではなく。


 小売商を過当競争から守る政策的措置だと捉えた。


 そして。


 その距離制限が、


 著しく不合理であることが明白とはいえない。


 だから。


 合憲。


 私は並べて書きました。


 薬局。


 距離制限。


 違憲。


 小売市場。


 距離制限。


 合憲。


「こう並べるから混乱するんですよね」


「じゃあ何を並べる」


「目的です」


 薬局。


 生命・健康への危険防止。


 消極目的。


 厳格にチェック。


 距離制限までは必要かつ合理的でない。


 違憲。


 小売市場。


 弱い小売商の保護。


 積極目的。


 政策判断を尊重。


 著しく不合理とはいえない。


 合憲。


「距離が悪いんじゃない」


 私は言いました。


「何のために距離を空けるか」


「そういうことだ」


 所長が頷きました。


「でも」


 相馬先輩が言いました。


「昨日、市役所で沢渡が言ってただろ」


「何をです?」


「目的を一個の箱に押し込むなって」


「あ」


 そうでした。


 沢渡課長。


 敵側なのに、


 最後に試験範囲を一段難しくして帰る人。


「公衆浴場ですね」


 私は次のページを開きました。


 公衆浴場。


 銭湯。


 その開設についても、


 適正配置のための距離制限がある。


「これも距離か」


「今日、距離だらけです」


「憲法って測量の試験か?」


「違います」


 では。


 公衆浴場の距離制限は、


 消極目的か。


 積極目的か。


「両方です」


 私は書きました。


 一つ。


 国民保健。


 衛生の確保。


 これは、


 消極目的。


 もう一つ。


 自宅に風呂を持たない人にとって、


 公衆浴場は重要な厚生施設。


 過当競争で経営困難になり、


 転廃業が続けば。


 必要な人が風呂を利用できなくなる。


 だから、


 公衆浴場の経営を安定させる。


 こちらは、


 積極目的。


「一つの規制に」


 私は言いました。


「二つの目的がある」


「だから沢渡は、機械的に分けるなって言ったのか」


「はい」


 しかも。


 この判決は――


 私は日付を書きかけて。


 止まりました。


「……あ」


「何だ」


「これ」


「どうした」


「未来です」


「は?」


 最判平成元年三月七日。


 私は、


 ゆっくり鉛筆を置きました。


「平成元年……」


「ああ」


「今、昭和六十三年……」


「ああ」


「まだ判決出てない!」


 相馬先輩が、


 ものすごく嫌そうな顔をしました。


「またか」


「またです!」


 やってしまった。


 憲法の条文が未来と同じなので、


 油断していました。


「条文は同じなのに!」


「判例は未来から来ねえぞ」


「そうなんですよ!」


 これです。


 憲法だけの特殊な罠。


 日本国憲法の条文は、


 昭和六十三年と未来で同じ。


 一字一句変わらない。


 だから。


 つい、


 現代の憲法知識を全部そのまま使えそうな気がする。


 でも。


 判例は違う。


 昭和六十三年より後に出る判決は、


 まだ存在しない。


「危なかった……」


 私は額を押さえました。


「昨日、沢渡課長が公衆浴場の話をしたら、未来人だったってことになりますね」


「言ってねえだろ」


「そうでした」


 現場編で沢渡課長が言ったのは、


 現実の規制目的が一つとは限らない、


 という一般論。


 それなら問題ありません。


 平成元年判決を引用したわけではない。


「じゃあ」


 相馬先輩が言いました。


「お前はどうすんだ」


「ノートには書きます」


「未来の判例を?」


「私は未来の受験生ですから」


 そこが、


 こはるノートのややこしいところ。


 昭和六十三年の実務では、


 まだ使えない。


 でも。


 現代の行政書士試験を受ける私の知識としては、


 覚えなければならない。


 私は大きく注意書きを入れました。


 ――公衆浴場距離制限事件・最判平成元年三月七日。


 ――昭和六十三年の現場では、まだ未来の判決!


「これ絶対忘れません」


「そりゃそうだろ」


「転生者限定の覚え方です」


「それで結論は?」


 所長が聞きます。


「公衆浴場の距離制限は合憲」


「理由は」


「国民保健・衛生確保という消極目的と」


「うん」


「公衆浴場という厚生施設を確保するため、経営困難による転廃業を防止するという積極目的」


「うん」


「その双方を持っている」


「それで」


「距離制限は、目的を達成するための必要かつ合理的な範囲内の手段として合憲」


「よし」


 私は書きます。


 規制目的は、


 一つとは限らない。


「これ大事ですね」


「ああ」


「消極か積極か、問題文を見た瞬間に無理やり二択にしない」


「実態を見ろ」


「はい」


 沢渡課長の言葉が、


 ここで効いてきます。


 規制の実態を見る。


「もう一つ」


 私はページをめくりました。


「酒類販売業免許制」


「酒屋か」


「はい」


 酒を売る。


 自由に始められるわけではない。


 免許制度がある。


 そこで。


 酒類販売業の免許制が、


 憲法二十二条一項の職業選択の自由に違反しないかが争われた。


「目的は?」


 相馬先輩。


「酒税の適正かつ確実な賦課徴収」


 酒類製造者に販売代金を確実に回収させる。


 最終的な担税者である消費者へ、


 税負担を円滑に転嫁する。


 その仕組みを阻害するおそれのある業者の参入を抑制する。


「税金を確実に取るためか」


「大きく言えばそうです」


「で、合憲?」


「合憲」


「何でも合憲になってきたな」


「違います!」


 最高裁は、


 酒税徴収のために免許制を存置したことが、


 立法府の政策的・技術的裁量の範囲を逸脱し、


 著しく不合理であるとまでは断定できない。


 そう判断した。


「ただし」


 私は日付を書いて、


 また止まりました。


 最判平成四年十二月十五日。


「……これも未来だ」


「お前、未来の判例集閉じろ」


「現代の試験勉強なんです!」


「昭和の事務所で平成の判例に囲まれて何やってんだ」


「私も分からなくなってきました!」


 憲法の条文は同じ。


 でも。


 判例は、


 時代とともに積み重なっていく。


 この違い。


 かなり大事です。


 私は一度、


 ノートを閉じかけました。


 でも。


 もう一つ。


 宮下さんの事件で、


 どうしても整理しておきたいことがありました。


「所長」


「何だ」


「積極目的規制って、審査が緩いんですよね」


「ああ」


「じゃあ役所が『弱者保護です』『経済政策です』って言えば、何でも規制できるんですか」


「できるわけないだろ」


 即答。


「ですよね」


「昨日何をやった」


「そこなんです」


 宮下さんの事件。


 市は、


 既存薬局を過当競争から守る。


 地域医療を安定させる。


 そう説明した。


 それだけ聞けば、


 積極目的規制っぽく見える。


 社会経済政策。


 弱者保護。


 なら審査は緩い。


 著しく不合理でなければ合憲。


「じゃあ市役所の行政指導も正しい?」


「違う」


「なぜ?」


 相馬先輩が言いました。


「そもそも法令に距離制限がなかった」


「そうです」


 ここ。


 ものすごく大事。


 最高裁が、


 積極目的の経済規制について、


 立法府の政策判断を広く尊重する。


 それは。


「役所の窓口が、好き勝手に新しい規制を作っていい」


 という意味ではありません。


 立法府が。


 法律として。


 社会経済政策を選択した。


 その政策判断について、


 裁判所がどこまで踏み込むか。


 という問題。


 一方。


 宮下さんの場合。


 市独自の距離制限を定めた法令はなかった。


 既存薬局の同意を必要とする法令もなかった。


 地元の了解を要件とする規定もなかった。


 それなのに。


 行政指導で、


 事実上の参入障壁を作ろうとした。


「積極目的規制だから審査が緩い」


 私は言いました。


「それ以前の問題だったんですね」


「そうだ」


 所長が頷きます。


「規制の目的を論じる前に」


「はい」


「誰が、何を根拠に、その自由を制限しているのかを見ろ」


 私は、


 そこに三重線を引きました。


「これ、実務では最初に見るところですね」


「当たり前だ」


 憲法論が面白いからといって、


 いきなり違憲審査基準へ飛ばない。


 まず。


 どんな規制なのか。


 法的根拠は何か。


 誰が決めたのか。


 どんな目的か。


 どんな手段か。


 どれだけ自由を制約するか。


 そこを積み上げる。


「だから所長は」


 私は言いました。


「憲法を最初から振り回すなって言うんですね」


「そうだ」


「でも最後は抜く」


「必要ならな」


 格好いい。


 本人には言いません。


 私はノートの真ん中に、


 大きな表を作りました。


 消極目的規制。


 目的。


 生命・健康・安全への危険防止。


 例。


 医師免許。


 薬局などへの安全上の規制。


 考え方。


 必要最小限。


 審査。


 厳しい。


 次。


 積極目的規制。


 目的。


 福祉国家の理念。


 経済の調和のとれた発展。


 社会的・経済的弱者の保護。


 例。


 小売市場の距離制限。


 公共性の高い事業への参入規制など。


 考え方。


 政策的・技術的判断を尊重。


 審査。


 比較的緩やか。


 著しく不合理であることが明白でなければ合憲。


「よし」


「終わったか」


「まだ判例まとめがあります」


「まだやんのか」


「試験に出ます!」


 薬事法距離制限事件。


 消極目的。


 距離制限は必要かつ合理的とはいえない。


 違憲。


 小売市場距離制限事件。


 積極目的。


 距離制限が著しく不合理であることが明白とはいえない。


 合憲。


 公衆浴場距離制限事件。


 消極目的+積極目的。


 必要かつ合理的な範囲。


 合憲。


 ただし、


 平成元年判決。


 昭和六十三年の今は未来。


 酒類販売業免許制。


 酒税の適正かつ確実な賦課徴収という重要な公共利益。


 立法府の政策的・技術的裁量を逸脱し、著しく不合理とは断定できない。


 合憲。


 ただし、


 平成四年判決。


 もっと未来。


「……先輩」


「何だ」


「憲法って条文が変わってないから楽だと思ってました」


「甘かったな」


「はい」


 条文は同じ。


 でも。


 判例は増える。


 社会は変わる。


 経済も変わる。


 規制の意味も変わる。


 そして。


 人権を制約するとき、


 どこまで理由を求めるか。


 その考え方も積み重なっていく。


「昭和六十三年の人が読む二十二条と」


 私は言いました。


「現代の私が読む二十二条」


「文字は同じ」


「はい」


「でも、お前は未来の判例まで知ってる」


「はい」


「ずるいな」


「転生特典です」


「旧法で毎回間違えてるけどな」


「特典と呪いがセットなんですよ!」


 私は、


 宮下薬局のタオルを手に取りました。


 職業選択の自由。


 教科書では、


 経済的自由権。


 そう分類されます。


 でも。


 宮下さんを見ていると。


 それだけでは、


 少し足りない気がしました。


 十年働いて。


 金を貯めて。


 場所を探して。


 自分の店を持つ。


 どんな仕事をして生きるか。


 それは、


 収入だけの問題ではありません。


「自分の人生をどう作るか」


 私は呟きました。


「何だ」


「職業って」


 毎日、


 何時間も使う。


 何十年も続けることもある。


 誰と働くか。


 どこで働くか。


 何を売るか。


 何を作るか。


 それを選ぶ。


「だから簡単に止めちゃ駄目なんですね」


「だが無制限でもない」


 所長。


「はい」


 医師免許は必要。


 薬剤師資格も必要。


 危険な営業には規制も必要。


 経済的弱者を守るため、


 政策的な参入規制が許されることもある。


 自由だから、


 規制ゼロ。


 ではない。


 規制があるから、


 自由がない。


 でもない。


「結局」


 私は言いました。


「憲法って、自由か規制かの二択じゃないんですね」


「今さらだな」


「じゃあ何を見る」


 相馬先輩が聞きます。


 私は答えました。


「何のための規制か」


「うん」


「そのために、なぜその手段が必要なのか」


「うん」


「どれくらい自由を奪うのか」


「うん」


「もっと緩い方法じゃ駄目なのか」


「うん」


「そして、その規制をする法的根拠があるのか」


 所長が頷きました。


「それでいい」


「じゃあ」


 私はノートの最後を開きました。


「一行の覚え書き」


「来たな」


 相馬先輩。


 私は書きます。


 ――消極目的規制は厳しく、積極目的規制は緩く審査する。


「……」


「……」


「何です?」


「つまらん」


「試験用ですよ!」


「今日の事件が消えてる」


 ぐ。


 確かに。


 消極。


 積極。


 厳しい。


 緩い。


 それだけ覚えると、


 また距離制限の結論だけ丸暗記する人になります。


 消しました。


「じゃあ」


 もう一度。


 ――職業の自由を止めるなら、「何のために、なぜそこまで」を問え。


 相馬先輩が、


 少しだけ頷きました。


「昨日と同じじゃねえか」


「これが一番大事なんです!」


「消極と積極は」


「じゃあ二行!」


「一行だろ」


「所長!」


「二行でいい」


「ほら!」


「お前、所長を最高裁みたいに使うな」


 私は堂々と二行書きました。


 ――命・健康を守る消極目的規制は「本当にそこまで必要か」を厳しく見る。


 ――弱者を守る積極目的規制は政策判断を尊重する。ただし、役所が勝手に規制を作れるわけではない。


「長えな」


「全部大事なんです」


「一行の覚え書きとは」


「理念です」


「制度趣旨を変えるな」


 私は笑いました。


 窓の外。


 商店街に灯りがつき始めています。


 宮下薬局にも、


 もう看板が上がっているころでしょう。


 少し離れたところには、


 藤岡薬局。


 古い店。


 新しい店。


 二つ並んだからといって、


 どちらかが必ず潰れるとは限らない。


 競争が良い結果を生むこともある。


 反対に。


 放っておけば共倒れし、


 住民が困る業種だってある。


 だから。


 法律は難しい。


 自由を守れ。


 それだけでも足りない。


 弱者を守れ。


 それだけでも足りない。


 安全を守れ。


 それだけでも足りない。


 誰を守るのか。


 何から守るのか。


 そのために、


 誰の自由を、


 どこまで制限するのか。


 そこを一つずつ確かめる。


 それが、


 憲法二十二条の職業選択の自由なのだと思います。


「こはる」


 所長が言いました。


「はい」


「そのタオル」


「はい?」


「いつまで飾っておく」


「記念です」


「タオルは使え」


「所長まで!」


「物には目的がある」


「……目的?」


 嫌な予感。


「タオルの目的は」


「手を拭くこと」


「その目的を達成するために」


「使用する必要がある」


「他にもっと制限的でない手段は?」


「何の自由を制限してるんですか!」


 相馬先輩が笑い出しました。


「こはる、厳格審査しろ」


「タオルに違憲審査基準を使わせないでください!」


「消極目的か?」


「積極目的か?」


「どっちでもありません!」


 結局。


 宮下薬局のタオルは、


 その日から事務所の手拭きになりました。


 私の記念品保存の自由は、


 必要かつ合理的な範囲で制約されたらしいです。


 納得はしていません。


 でも。


 宮下さんが、


 自分で選んだ仕事を、


 自分の店で始められる。


 その自由が守られたのなら。


 タオル一本くらいは、


 公共の福祉に譲ってもいいのかもしれません。


 ――職業の自由を止めるなら、「何のために、なぜそこまで」を問え。


 私はノートの最後に、


 もう一度だけ。


 その一行へ赤線を引きました。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

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さくら司法書士補助者の法務帳 〜 昭和に転生して泥沼の争いを収めたら、実務と試験知識が完全にリンクしました 〜
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜
宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜
名探偵 藤原彰子の宮中事件簿 ――『転生皇后 藤原彰子』スピンオフ外伝
転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜
新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜
新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件〜
美しき女帝 北条政子 〜 婚約破棄どころか強制結婚!? 平家のエリートに嫁がされそうになったので、豪雨の山を越えて愛する無職の元へ走ってみた 〜
新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚〜
箴言・格言・名言集 〜頑張るあなたへ、今日を乗り越えるための一言〜
拝啓、愛読者様。― 想いを少しだけ 謹呈 条文小説
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜
コミックス「六道輪廻抄〜戦国転生記〜」
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