[憲法21条・表現の自由]法理編 こはるノート
自由は、「言う人」だけのものではありません。
聞く人。
読む人。
知ろうとする人。
その全員がいて、初めて言葉は社会を動きます。
夕方。
片桐行政書士事務所。
私は机の上に一枚の新聞を広げていました。
――湖西まちづくり通信。
村松さんたちが作った、新しい号です。
一面には、市民会館で開かれた勉強会の記事。
市の駅前再整備計画に賛成する意見。
反対する意見。
改善を求める意見。
全部載っています。
「……ちゃんと反対意見も載せたんですね」
「何の反対だ」
向かいの机で相馬先輩が煙草に火をつけます。
「村松さんたちへの反対意見です」
「ああ」
「『駅前整備を早く進めてほしい』って」
「新聞なんだから、好きに書きゃいいだろ」
「そうなんですけど」
私は記事を指でなぞりました。
「これを市役所が『地元の和を乱す』って止めようとしてたんですよね」
「そうだな」
「でも実際に集会を開いたら」
「何も起きなかった」
「はい」
殴り合いもない。
椅子も飛ばない。
市民会館も壊れない。
ただ。
賛成する人と反対する人が、
同じ部屋で話しただけです。
「先輩」
「何だ」
「もしかして」
「うん」
「意見が割れること自体は、悪いことじゃないんですかね」
相馬先輩が煙を吐きました。
「今さら民主主義の入口に立ったのか、お前は」
「言い方!」
でも。
たぶん、そこなのです。
私はノートを開きました。
今日の見出し。
大きく。
――憲法第二十一条 表現の自由。
その下に条文を書きます。
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
「短い」
私は呟きました。
「何が」
「条文です」
「昨日も言ってたな」
「だって、この短さで守備範囲が広すぎません?」
言論。
出版。
集会。
結社。
そして。
その他一切の表現。
「絵も入ります」
「うん」
「写真も」
「うん」
「映画」
「うん」
「音楽」
「うん」
「演劇」
「うん」
「テレビ」
「うん」
「新聞」
「当然だ」
「デモ」
「集団行動だな」
「インター――」
私は止まりました。
昭和六十三年。
危ない。
「……何だ?」
「いえ。未来的な通信手段を想像しました」
「またか」
「忘れてください」
忘れてくださいと言われて忘れてくれる顔ではありません。
でも。
大事なのはそこです。
憲法二十一条は、
口で喋ることだけを守っているわけではない。
文字。
映像。
音。
絵。
集会。
さまざまな方法で、
自分の思想や情報を外部へ伝える自由を広く保障している。
「じゃあ十九条との違いは?」
相馬先輩が聞きました。
「来ましたね」
「何が」
「試験問題」
「昨日お前がごちゃごちゃ言ってたから聞いてやってんだ」
「ありがとうございます」
「気持ち悪いから普通に答えろ」
「はい」
私はノートに二つ書きました。
憲法十九条。
思想・良心の自由。
憲法二十一条。
表現の自由。
「十九条は、基本的には内心です」
「頭の中か」
「はい。何を考えるか。何を信じるか」
「二十一条は?」
「それを外へ出す」
私は矢印を書きました。
内心。
↓
外部への表現。
「つまり」
私は言いました。
「『駅前再整備はおかしい』って村松さんが心の中で思ってるだけなら十九条の問題」
「雑に言えばな」
「それを新聞に書いて配ったら二十一条」
「そうだ」
「集会を開いて話したら?」
「二十一条」
「団体を作ったら?」
「結社の自由」
「なるほど」
昨日まで。
私の中では別々の暗記項目だったものが、
村松さん一人で全部つながります。
疑問を持つ。
書く。
新聞にする。
配る。
仲間を集める。
団体を作る。
集会を開く。
人に伝える。
これ全部、
人間が自分の考えを社会へ出していく流れです。
「で」
相馬先輩が言いました。
「何でそんなに表現だけ大事なんだ」
「そんなにって?」
「お前、昨日やたら重そうに扱ってただろ」
「だって重要ですから」
「だから、なぜだ」
出ました。
暗記ではなく、
理由を聞くやつ。
私はノートに二本の柱を書きました。
――自己実現の価値。
――自己統治の価値。
「表現の自由を支える二つの価値です」
「試験用語か」
「試験にも出ます。でも、昨日の事件を見ると分かりやすいです」
まず。
自己実現の価値。
「人が自分の考えを言葉にして、他人に伝える」
「うん」
「それを通じて、自分自身の人格を発展させていく」
「大げさだな」
「そう見えます?」
「ああ」
「でも」
私は村松さんの新聞を持ち上げました。
「村松さん、最初は『市の計画がおかしい』って思っただけだったんですよ」
「そうだな」
「それを調べた」
「うん」
「市議会の議事録を読んだ」
「うん」
「新聞を書いた」
「うん」
「ほかの人と話した」
「うん」
「そうしたら、市の計画に賛成する人の意見も知った」
そして。
次の号では。
自分と違う意見まで載せた。
「……なるほど」
相馬先輩が新聞を見ました。
「表現することで、自分の考えも変わるってことか」
「はい」
言いたいことを吐き出して終わり。
ではない。
表現する。
他人から反応が返る。
また考える。
自分の考えを修正する。
深める。
それが。
自己実現。
「人間って」
私は言いました。
「喋ることで、自分が何を考えてるか分かることありますよね」
「お前は喋る前に考えろ」
「例えです!」
でも。
自己実現だけではありません。
もう一つ。
むしろ今回の事件では、こちらが決定的でした。
自己統治の価値。
「政治です」
私は言いました。
「村松さんたちが話していたのは、駅前再整備」
「市の政策だな」
「税金が使われる」
「うん」
「市民の生活が変わる」
「うん」
「だったら、市民が情報を知って、意見を交換して、行政や議会の判断について考える必要がある」
「それが自己統治?」
「はい」
国民自身が、
政治的意思決定に関与する。
そのためには、
情報が必要です。
議論も必要。
批判も必要。
だから。
政治に関する表現を簡単に封じてしまえば。
民主政治そのものが動かなくなる。
「昨日の市役所がやろうとしたことって」
私は言いました。
「かなり危なかったんですね」
「今ごろ気づいたのか」
「いや、危ないとは思ってましたけど」
改めて整理すると怖い。
行政が、
自分への批判を理由として、
市民の集会場所を貸さない。
会報を配るなと言う。
もしそれが普通になったら。
市民が行政を監視する。
という関係が逆転します。
行政が、
市民の言論を選別する。
そんな社会になる。
「だから表現の自由は」
私はノートに書きました。
――自己実現+自己統治。
「特に民主政治に直結するから、重要なんですね」
「そういうことだ」
「でも」
私はペンを止めました。
「昨日、もう一つ気になったことがあります」
「何だ」
「新聞って、書く人だけの問題じゃないですよね」
「読む奴がいるから新聞なんだろ」
「ですよね」
そこで。
次の見出し。
――送り手の自由と、受け手の自由。
「表現の自由というと」
私は言いました。
「どうしても『言いたいことを言う自由』って考えがちです」
「違うのか」
「それだけじゃない」
情報には。
送り手がいる。
受け手がいる。
村松さんは送り手。
駅前で新聞を受け取った人たちは受け手。
表現の自由を実質的に保障するには、
受け取る側も重要になる。
「知る権利」
私は書きました。
「これも二十一条から保障されます」
「新聞を読む自由か」
「それだけじゃないですけど、今回なら分かりやすいです」
市役所が、
村松さんの新聞を配らせない。
そうすると。
制限されるのは村松さんだけではありません。
市民が、
市政について別の意見を知る機会も失う。
「つまり」
相馬先輩が言います。
「喋る奴の口を塞ぐと、聞く奴の耳まで塞ぐことになる」
私は止まりました。
「……それ、ください」
「何が」
「覚え書き」
「自分で考えろ」
「いい表現だったのに」
「金取るぞ」
「著作権ですか」
「知らん」
でも。
まさにそれです。
表現の自由は、
送り手の自由だけではない。
情報を受け取る側の、
知る権利にもつながっている。
私はノートに書きます。
知る権利。
情報受領権。
情報収集権。
「情報収集権は、さらに二つの場面があります」
「まだ分かれるのか」
「憲法、枝分かれしますよ」
「面倒だな」
「試験ではその枝を狙ってくるんです」
一つ。
公権力によって情報収集を妨げられないという側面。
消極的情報収集権。
もう一つ。
政府に情報の開示を求めるという側面。
積極的情報収集権。
「ただし」
片桐所長が奥から言いました。
「そこで飛躍するな」
「はい?」
「知る権利がある。だから役所は何でも見せろ、にはならない」
「あ」
「具体的な開示請求は、制度の根拠を確認しろ」
「はい」
憲法上の知る権利。
そこから直ちに、
あらゆる行政情報について、
何でも直接開示請求できる。
と単純には言えない。
情報公開制度など、
具体的な法律や条例による制度化も重要になります。
「憲法は出発点」
私は言いました。
「万能請求書じゃない」
「そうだ」
これ。
覚えておかないと危険です。
「じゃあ」
相馬先輩が新聞を持ち上げました。
「村松って人が、この新聞に自分の意見を載せる自由はある」
「はい」
「読む側にも知る権利がある」
「はい」
「だったら俺も」
「はい」
「この新聞に一頁よこせって要求できるのか」
「できません」
「即答かよ」
「そこが次です」
私は大きく書きました。
――アクセス権。
「何だそりゃ」
「情報の受け手である国民が、マスメディアに対して、自分にも意見発表の場を提供しろと求める権利です」
「例えば?」
「新聞に『俺の反論文を載せろ』とか」
「テレビに出せ、とか?」
「そういう方向です」
「知る権利があるなら認められそうじゃねえか」
「そこが罠です」
私は赤線を引きました。
知る権利。
憲法上保障される。
アクセス権。
憲法二十一条一項から直接導くことはできない。
「判例あります」
「またか」
「昭和六十二年です」
「去年じゃねえか」
「そうなんですよ!」
私は思わず声を上げました。
「これ、今の私たちにとって超最新判例ですよ!」
「落ち着け」
サンケイ新聞事件。
昭和六十二年四月二十四日。
新聞記事で取り上げられた人が、
その新聞社に対して、
自分の反論文を、
無修正かつ無料で掲載するよう求められるか。
最高裁は否定しました。
「つまり」
私は言いました。
「記事に書かれたからといって、当然に『俺の反論も載せろ』と要求できる憲法上の権利まではない」
「なぜだ」
「それを認めると」
私は村松さんの新聞を持ちます。
「今度は新聞を作る側の編集の自由や表現の自由に介入することになります」
「ああ」
「誰かを批判する記事を書いたら、必ずその人の反論文を同じ紙面に載せろって強制されたら」
「新聞側の自由がなくなるな」
「そういうことです」
権利。
対。
権利。
ここが憲法の難しいところです。
受け手を守れば全部解決。
ではない。
送り手にも自由がある。
「だから」
私は二重線。
知る権利 ○
アクセス権 ×
「試験ではここ、かなり狙いやすいですね」
「丸とバツだけで覚えるなよ」
所長が言いました。
「はい」
「なぜ違う」
「知る権利は情報を受け取る自由に関わる。でもアクセス権は、私人であるマスメディアに自分の表現を載せるよう積極的に要求する権利だから」
「そうだ」
しかも。
サンケイ新聞事件は、
今から一年ちょっと前。
昭和六十三年の私は、
出来たてほやほやの最高裁判例を勉強していることになります。
「未来だと昔の判例なのに」
「何だ」
「いえ」
「また変なこと言いかけたな」
「気のせいです」
「次」
私は書きます。
――報道の自由。
「これは?」
相馬先輩。
「憲法二十一条で保障されます」
「理由」
「報道が、国民の知る権利に奉仕するから」
報道機関は、
社会で起きた事実を国民へ伝える。
国民はそれを材料に、
政治や社会について判断する。
だから。
事実の報道の自由も、
憲法二十一条の保障のもとにある。
「村松さんの新聞も報道機関か?」
「そこは大手新聞と同じ議論をそのまま当てはめる必要はないと思いますけど」
「じゃあ何で今日やる」
「教材範囲だからです」
「急に受験生に戻るな」
「大事です!」
私は次を書きました。
――取材の自由。
「これは?」
「憲法で保障される」
「ブー」
「何だよ」
「今の間違いです」
「腹立つな」
ここ。
大事。
報道の自由。
憲法二十一条の保障のもとにある。
一方。
取材の自由。
憲法二十一条の精神に照らし、
十分尊重に値する。
「同じじゃねえのか」
「同じじゃありません」
私は二つを並べました。
報道の自由。
保障される。
取材の自由。
十分尊重に値する。
「この微妙な言葉の差を、試験が大好物なんですよ」
「性格悪いな」
「試験委員に聞かれますよ」
代表判例。
博多駅フィルム提出命令事件。
昭和四十四年十一月二十六日。
原子力空母の佐世保港入港に反対する学生と機動隊の衝突。
テレビ局が撮影したフィルムについて、
裁判所が提出を命じた。
放送局側は、
報道・取材の自由への侵害を主張した。
そこで最高裁が示したのが、
報道機関の報道は、
国民が国政に関与するための重要な判断資料を提供し、
国民の知る権利に奉仕する。
だから、
報道の自由は憲法二十一条の保障のもとにある。
そして。
正しい報道をするために必要となる取材の自由も、
二十一条の精神に照らし、
十分尊重に値する。
「つまり」
相馬先輩が言います。
「報道するには、その前に調べなきゃならねえ」
「はい」
「調べる自由が全部潰されたら、報道の自由も中身がなくなる」
「そういうことです」
「でも取材なら何してもいいわけじゃない」
「そこです」
次の判例。
西山記者事件。
昭和五十三年五月三十一日。
沖縄返還交渉をめぐる秘密文書。
新聞記者が外務省事務官に働きかけ、
秘密文書の写しを入手した事件です。
「取材目的なら公務員に秘密を漏らさせても全部セーフ?」
「そんなわけありません」
「だよな」
最高裁は、
報道機関が取材目的で公務員に秘密を漏らすよう働きかけた。
それだけで直ちに違法になるわけではない。
しかし。
取材の手段・方法が、
法秩序全体の精神に照らして相当で、
社会観念上是認できるものでなければならない。
「ここ大事ですね」
私は書きました。
――取材の自由は尊重される。しかし手段まで無制限ではない。
「表現の自由って」
私は呟きました。
「無敵カードが本当にないですね」
「当たり前だ」
「言論だから何を言ってもいい、でもない」
「うん」
「報道だから何をしてもいい、でもない」
「うん」
「取材だから犯罪していい、でもない」
「そうだ」
自由を保障する。
でも。
他の権利や、
司法作用、
捜査、
社会的利益との調整が必要になる。
そこで出てくるのが。
比較衡量。
目的。
手段。
必要性。
制約される利益の重さ。
「昨日、沢渡課長にやったのも」
私は言いました。
「結局これですよね」
「何が」
「『公共の福祉だから駄目』で終わらせずに」
何を守るためなのか。
その危険は具体的なのか。
その目的のために、
表現を全面的に止める必要があるのか。
もっと自由を傷つけない手段はないのか。
「公共の福祉って」
私は言いました。
「多数派が嫌がってる、って意味じゃないんですね」
「当たり前だ」
「でも昭和の現場だと、その使われ方が普通に出てくる」
町の和。
世間体。
前例。
波風を立てるな。
みんな我慢している。
そんな言葉が。
公共の福祉という法的な服を着て出てくる。
「条文は変わってないのに」
私は六法を見ました。
「使い方は変わるんですね」
片桐所長が帳簿から顔を上げます。
「正確に言え」
「え?」
「憲法が勝手に変わったわけじゃない」
「……あ」
「社会が変わる。問題が変わる。判例が積み重なる」
「はい」
「その中で、何をどこまで保障するかが具体化されていく」
なるほど。
条文は同じ。
でも。
人権保障の意味は、
判例や社会の変化の中で、
より具体的に輪郭を持っていく。
「だから」
所長は言いました。
「『昔だから人権は弱い』で済ませるな」
私は少し驚きました。
「はい」
「昭和六十三年にも、二十一条はある」
「はい」
「判例もある」
「はい」
「なら使え」
短い。
でも。
今日一番刺さりました。
「そういえば」
私はノートをめくりました。
「取材源の秘匿もあります」
「記者が情報をくれた奴の名前を言わないってやつか」
「はい」
まず。
石井記者事件。
昭和二十七年八月六日。
新聞記者が、
取材源の秘匿を理由に、
刑事裁判で証言を拒めるか。
最高裁は否定しました。
「憲法二十一条があるのに?」
「刑事訴訟法上、証言拒絶できる者が定められていて、新聞記者はそこに含まれていない」
「じゃあ取材源の秘匿は憲法上絶対じゃない」
「はい」
報道の自由が大事。
取材も大事。
だから、
記者なら絶対に証言拒否できる。
とはならない。
「ただ」
私は言いました。
「ここ、未来では少しややこしくなります」
「また未来か」
「聞きます?」
「聞かねえ」
「民事訴訟では――」
「聞かねえって言ってんだろ」
「未来では、報道関係者の取材源の秘密について、職業の秘密として証言拒絶が認められる最高裁決定が出ます」
「喋ったな」
「平成十八年です」
「俺にどうしろってんだ」
「今は何もできません」
そう。
昭和六十三年の時点では、
平成十八年のNHK記者取材源秘匿事件はまだ存在しません。
まして。
平成元年のレペタ訴訟も。
平成二年のTBSビデオテープ押収事件も。
まだ未来。
「憲法の条文は変わってない」
私は言いました。
「でも判例は増えていく」
「そういうことだ」
これは、
今回のテーマならではの時間差です。
行政法なら、
法律そのものが改正される。
制度名が変わる。
期間が変わる。
でも憲法は違う。
条文は同じ。
その周りに、
判例という地層が積み上がっていく。
「未来の私は」
私は呟きました。
「その地層の上から昭和を見てたんですね」
「さっきから未来未来うるせえな」
「独り言です」
「名誉毀損は?」
相馬先輩が聞きました。
「来ましたね」
表現の自由。
対。
他人の名誉。
代表判例。
夕刊和歌山時事事件。
昭和四十四年六月二十五日。
新聞記事が他人の名誉を傷つけたとして問題になった事件。
「表現の自由があるから、人の悪口を書いても自由?」
「違います」
「じゃあ全部名誉毀損?」
「それも違います」
「面倒くせえ」
「憲法ですから」
刑法二百三十条の二。
公共の利害に関する事実。
公益目的。
真実性。
そして判例では。
真実であることの証明ができなかった場合でも、
行為者が真実だと誤信し、
その誤信について確実な資料や根拠に照らして相当の理由があれば、
故意がなく、
名誉毀損罪は成立しないとされました。
「つまり」
私は言いました。
「人の名誉も守る。でも、社会的に重要な問題について、十分な根拠を持って発言した人を何でも刑罰で黙らせるのもまずい」
「調和か」
「はい」
人格権としての名誉。
憲法二十一条による正当な言論。
どちらかをゼロにするのではなく、
調和と均衡を考える。
「村松さんにも言いました」
「何を」
「表現の自由があるからって、嘘を書いていいわけじゃないって」
「当然だ」
「でも逆に」
私は新聞を見ました。
「名誉毀損になるかもしれないから、市政批判は全部やめろ、も違う」
「そうだ」
自由には責任がある。
という言葉だけで終わらせると、
少し雑です。
正確には。
自由と、
他人の権利や社会的利益との境界を、
具体的に調整する。
そこに判例の積み重ねがある。
「じゃあ最後」
私はノートを整理しました。
今日のまとめ。
まず。
表現の自由。
憲法二十一条。
言論。
出版。
集会。
結社。
その他一切の表現。
次。
表現の自由を支える二つの価値。
自己実現。
自分の人格を発展させる個人的価値。
自己統治。
国民が政治意思決定に関与する民主政治上の価値。
次。
送り手。
言論・出版。
集会・結社。
報道。
受け手。
知る権利。
そして。
混同注意。
アクセス権。
「知る権利は?」
相馬先輩。
「憲法上保障される」
「アクセス権」
「憲法二十一条から直接保障されない」
「報道の自由」
「憲法二十一条で保障される」
「取材の自由」
「二十一条の精神に照らし、十分尊重に値する」
「取材なら何してもいい?」
「駄目。手段・方法が法秩序全体の精神に照らして相当で、社会観念上是認できる範囲」
「刑事裁判で記者は取材源を理由に絶対証言拒否?」
「できない」
「新聞に書かれたら、反論文を無料で載せろと要求できる?」
「できない」
「市役所を批判したら市民会館を貸さない?」
「駄目」
「そこだけ勢い強いな」
「昨日の恨みがありますから」
「憲法論に私怨を入れるな」
私は笑いました。
でも。
一番大事なのは、
たぶん最後です。
公共の福祉。
表現の自由にも制約はあり得る。
絶対無制限ではない。
他人の名誉。
司法作用。
捜査。
施設管理。
さまざまな利益との調整が必要になる。
でも。
公共の福祉。
という四文字を言えば、
行政が自由に人権を制限できるわけではない。
「目的を見る」
私は言いました。
「うん」
「手段を見る」
「うん」
「本当に必要なのかを見る」
「うん」
「もっと権利を傷つけない方法がないかを見る」
「そうだ」
「そして」
私は昨日の沢渡課長を思い出しました。
「『世間が嫌がる』と『公共の福祉』を混ぜない」
相馬先輩が笑いました。
「そこは覚えとけ」
そのとき。
事務所の電話が鳴りました。
「はい、片桐行政書士事務所です」
私が取ります。
『総務課の沢渡です』
来た。
「お世話になってます」
『村松さんの件ですが』
「何かありました?」
『市民会館の使用許可基準について、庁内で運用を確認することになりました』
「……またですか」
『また、とは』
「前にも似たようなことが」
『行政は学習します』
「強い言葉ですね」
『今回、少なくとも「市政に批判的であること」を、それ自体として不許可理由にしないことは確認します』
私は少し黙りました。
「それ、文書になります?」
『内部の運用確認ですが、記録には残します』
「ありがとうございます」
『朝比奈さん』
「はい」
『一つだけ』
「何でしょう」
『公共の福祉という言葉を、役所が何でも制限できる魔法の言葉だと思っているわけではありません』
「……はい」
『ただ行政は、問題が起きてからでは遅い場合もある』
「分かります」
『だから安全側に倒す』
「はい」
『しかし』
沢渡課長は少し間を置きました。
『安全側に倒し続ければ、最後には何もできない町になります』
私は受話器を握ったまま黙りました。
『今回は、その線を引き直した。それだけです』
「課長」
『何です』
「それ、今度のこはるノートに書いていいですか」
『何ですか、それは』
「秘密です」
『では、駄目です』
「アクセス権を主張します」
『認められません』
「知ってた!」
電話が切れました。
相馬先輩がこちらを見ます。
「何だって?」
「運用基準を確認するそうです」
「へえ」
「市政批判そのものを不許可理由にはしないって」
「まともになったな」
「最初からまともだったんですよ、たぶん」
「じゃあ何で揉めた」
「怖かったんじゃないですか」
「何が」
「揉めることが」
町で意見が割れる。
苦情が来る。
議員から電話が来る。
商店会が怒る。
新聞に載る。
役所としては、
何も起きない方が楽です。
だから。
最初から言わせない。
集まらせない。
配らせない。
そうすれば確かに、
表面上は静かです。
でも。
「静かな町と、自由な町は違う」
私は呟きました。
片桐所長がこちらを見ました。
「そうだ」
私はノートの最後の頁を開きました。
一行の覚え書き。
昨日の現場編では、
こう思いました。
――公共の福祉は、世間の機嫌じゃない。
でも今日は。
もう少しだけ、
二十一条そのものを書きたい。
私はペンを置いて考えました。
表現の自由。
自己実現。
自己統治。
送り手。
受け手。
知る権利。
報道。
取材。
アクセス権との違い。
公共の福祉との調整。
全部まとめる。
「難しい顔してんな」
相馬先輩が言いました。
「一行に入らないんです」
「欲張るからだ」
「じゃあ先輩なら?」
「知らん」
「逃げた」
少し考えて。
私は書きました。
――表現の自由は、「言わせる自由」だけじゃない。「知って、考えて、政治を動かす自由」だ。
「長い」
「またですか」
「一行だから間違ってはいねえけど」
「じゃあ短縮版」
私はその下に書きます。
――言う自由が、知る自由を生み、民主主義を動かす。
相馬先輩が覗き込みました。
「まあ、そっちだな」
「採用」
「ただし」
「はい?」
「アクセス権までごちゃ混ぜにすんなよ」
「分かってます」
「報道と取材も」
「分かってます!」
「知る権利があるから何でも開示請求できる、とか」
「しません!」
「未来の判例を今あるみたいに使うとか」
「それは一番気をつけます!」
相馬先輩が眉を寄せました。
「未来の判例?」
「何でもありません」
危ない。
窓の外。
夕暮れの駅前。
遠くで誰かが紙を配っています。
たぶん。
村松さんたちです。
受け取る人。
無視する人。
少し読んで捨てる人。
家まで持って帰る人。
賛成する人。
腹を立てる人。
誰にも分かりません。
でも。
それでいい。
表現の自由は、
正しい意見だけを守る権利ではありません。
役所が歓迎する意見だけを守るものでもない。
多数派が気持ちよく聞ける意見だけを守るものでもない。
むしろ。
うるさい。
面倒だ。
波風が立つ。
そんな言葉が出てきたときにこそ、
二十一条は意味を持つ。
昭和六十三年。
憲法の条文は、
現代と一字一句同じです。
違うのは。
その周りにある空気。
世間。
慣習。
町の和。
波風を立てるな。
みんな我慢している。
そんな見えない圧力です。
そして。
見えない圧力ほど、
法律では扱いにくい。
だからこそ。
憲法は線を引く。
ここから先は、
多数決でも。
世間でも。
役所でも。
簡単には踏み込めない。
そんな線を。
私はノートを閉じました。
「終わったか」
相馬先輩が立ち上がります。
「はい」
「帰るぞ」
「あ」
「何だ」
「先輩」
「ん?」
「今日の夕飯、何食べます?」
「ラーメン」
「私は蕎麦がいいです」
「聞いといて否定すんな」
「意見を表明しただけです」
「却下」
「表現の自由!」
「言う自由はある」
「じゃあ蕎麦」
「俺が聞く義務はねえ」
「知る権利!」
「もう知ってるだろ。俺はラーメンだ」
「アクセス権!」
「俺の夕飯に参加する権利じゃねえ!」
奥で。
片桐所長が帳簿を閉じました。
「二人とも」
「はい」
「静かにしろ」
私は相馬先輩を見ました。
「所長」
「何だ」
「それは表現内容に対する規制ですか。それとも音量に着目した内容中立規制ですか」
「帰れ」
「はい」
相馬先輩が吹き出しました。
「こはる」
「何です?」
「今日の勉強、役に立ったな」
「でしょう?」
「使い方は最悪だけどな」
「表現の自由です」
「便利に使うな」
私は笑って、六法を鞄へ入れました。
昭和六十三年。
今日も憲法第二十一条は、
一文字も変わっていません。
でも。
昨日より少しだけ。
その短い条文の中に、
たくさんの人の声が聞こえるようになりました。
言う人。
書く人。
集まる人。
伝える人。
調べる人。
読む人。
聞く人。
知ろうとする人。
そして。
自分で考える人。
その全部をつないでいるもの。
私は最後にもう一度、
ノートの一行を指でなぞりました。
――言う自由が、知る自由を生み、民主主義を動かす。
憲法二十一条。
それは、
声の大きい人にマイクを渡すためだけの条文ではありません。
誰かがマイクの電源そのものを、
勝手に切らないための条文なのです。
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