↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈憲法 配点28点/300点〉 人権

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
368/701

[憲法20条の3・政教分離]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 神様を信じる自由と。


 神様から離れている自由。


 憲法は、その両方を守っています。


 夕方。


 片桐行政書士事務所。


 祭りが終わった翌日。


 私は机の上に六法を広げていました。


 横にはノート。


 そして。


 紙袋。


「……先輩」


「何だ」


「それ、三個目ですよね」


「何が」


「たい焼き」


「二個目だ」


「さっき一個食べてました」


「それを含めて二個目だ」


「じゃあ今持ってるのは?」


「三個目だ」


「合ってるじゃないですか!」


 昨日の観光祭で買ったらしい。


 相馬先輩は、冷めたたい焼きを平然とかじっています。


「一日経ってますよ」


「食える」


「お腹壊しても知りませんからね」


「そのときは国家賠償請求する」


「誰にですか!」


「祭りを主催した市に」


「絶対無理です!」


 私はノートに大きく書きました。


 ――憲法二十条。


「今日は政教分離です」


「勝手にやれ」


「付き合ってください」


「嫌だ」


 いつもの流れ。


 私は奥を見ました。


「所長」


「付き合え」


 片桐所長が帳簿をめくったまま言いました。


「最近これ、職権濫用じゃねえか?」


 相馬先輩がぼやきます。


「行政庁じゃないので取消訴訟はできません」


「妙なところだけ強くなりやがって」


 私は笑いながら、六法を引き寄せました。


「でも、今回ちょっと驚いたんですよ」


「何がだ」


「憲法って、本当に同じなんですね」


「昨日から何言ってんだ、お前」


「いや、だから」


 日本国憲法。


 昭和二十一年十一月三日公布。


 昭和二十二年五月三日施行。


 そして。


 私がいた未来まで。


 一度も改正されていない。


「行政法なんて、未来の知識を持ってくるたび事故るじゃないですか」


「知らん」


「異議申立ては消えてるし、期間は変わってるし、制度も増えてるし」


「未来人の愚痴を俺に言うな」


「でも憲法は」


 私は第二十条を指しました。


「同じ」


 昭和六十三年でも。


 現代でも。


 同じ条文です。


「だったら楽でいいじゃねえか」


「最初はそう思ったんです」


「違うのか?」


「条文は同じなんですけど」


 私は昨日の商店街を思い出しました。


 奉賛会。


 氏子。


 祭り。


 地域の和。


 昔からそうしている。


 みんな参加している。


 参加しないなら商売だけするのはおかしい。


「条文の外側が全然違います」


 相馬先輩が眉を上げました。


「外側?」


「社会の空気です」


 昭和六十三年。


 地域のつながりは強い。


 それ自体が悪いわけではありません。


 困ったときには助け合う。


 祭りをみんなで準備する。


 近所の子どもを地域で見る。


 そういう良さもある。


 でも。


 同じ強さで。


 みんながやっているんだから、お前もやれ。


 という圧力にもなる。


「宮下さんがまさにそうでした」


「ああ」


「法律で奉賛会に入れって決まってない」


「うん」


「市の募集要領にも書いてない」


「うん」


「でも入らなきゃ出店できない」


「実質的にはな」


「これが怖いんですよね」


 命令書なんてない。


 罰則もない。


 でも。


 従わないと不利益がある。


 そして周りは、


 そんなの常識だ。


 と言う。


「だから憲法が要るのか」


 私は呟きました。


 片桐所長が顔を上げます。


「どういう意味だ」


「多数決じゃ守れないものを守るためです」


 みんなが神社の祭りに参加している。


 百人のうち九十九人が気にしていない。


 だから一人も従え。


 それでは。


 自由とは言えません。


 信教の自由は。


 多数派と同じ宗教を信じる自由だけではない。


 少数派の宗教を信じる自由も。


 何も信じない自由も。


 宗教行事に参加しない自由も。


 含んでいる。


「じゃあ条文を見ます」


 私はノートに書きました。


 憲法二十条第一項。


 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。


「まずここ」


 信教の自由。


「宗教を信じる自由ですね」


「それだけか」


 所長が聞きます。


「違います」


 もう引っかかりません。


「信じない自由も」


「うん」


「宗教を変える自由も」


「うん」


「宗教上の行為をする自由も、しない自由も」


「そうだ」


 私はさらに書きます。


 内心における信仰の自由。


 宗教的行為の自由。


 宗教的結社の自由。


「そして第二項」


 私は条文を読みます。


 ――何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。


「昨日の宮下さんに近い」


「ああ」


「神社の祭事に参加しろ、と直接命令されたわけじゃない」


「そこは注意だな」


「はい」


 でも。


 奉賛会に入らなければ、市の観光祭への出店申請を受け付けてもらえない。


 宗教との関係を持たなければ、


 行政上の不利益を受ける。


「直接命令してなくても」


 私は言いました。


「行政が不利益を使って宗教参加を事実上促すなら、信教の自由との関係で問題になる」


「そういうことだ」


 私は二十条一項の続きを書きました。


 ――いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。


「ここも重要ですね」


 特定の宗教団体だけ。


 国から特別扱いを受ける。


 行政上の利益を与えられる。


 それは許されない。


「昨日の件で言えば」


 私は整理します。


「奉賛会に入っている人だけ、市の管理する出店機会を得られるような運用」


「うん」


「それが特定宗教への優遇になっていないか」


「見る必要がある」


「はい」


 そして。


 二十条第三項。


 ――国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


「ここが政教分離ですね」


 政治と宗教を分ける。


 国家の宗教的中立性。


「でも」


 私はペンを止めました。


「ここ、昔の私は勘違いしてました」


「何を」


「国と宗教は、一切関わっちゃいけないと思ってました」


「無理だろ」


 相馬先輩が即答しました。


「ですよね」


 神社。


 寺。


 教会。


 宗教法人。


 墓地。


 文化財。


 学校。


 福祉施設。


 祭り。


 日本社会には、宗教と文化と生活が重なっている場面が山ほどあります。


 重要文化財になっている寺社を国や自治体が保護する。


 それだけで即違憲。


 そんな話ではない。


「昨日の観光祭だって」


 私は言いました。


「もともと神社の秋祭りと結びついてる」


「ああ」


「じゃあ市が関わった瞬間に違憲かというと、そうじゃない」


「そこで津の地鎮祭だ」


 所長が言いました。


 私はノートのページを変えました。


 ――津地鎮祭事件。


 最大判昭和五十二年七月十三日。


「市の体育館建設にあたって地鎮祭をやった事件ですね」


 三重県津市。


 市立体育館を建設する。


 その起工式として。


 神式の地鎮祭を行った。


 神職が来る。


 祭壇を設ける。


 祝詞。


 お祓い。


 そして費用は公金から支出。


「見た目だけなら」


 私は言いました。


「かなり宗教っぽい」


「神式だからな」


「じゃあ即違憲?」


「違った」


「はい」


 最高裁は。


 政教分離について、


 国家と宗教との関わりを完全に断ち切るものとは考えなかった。


 国家が宗教と関わることを、


 全部禁止するわけではない。


 問題は。


 その関わり方が、


 相当とされる限度を超えたか。


「そこで」


 私は大きく書きました。


 ――目的効果基準。


「来ました」


「嬉しそうだな」


「試験頻出ですから」


「現場でも使っただろ」


「もう暗記語句には見えません」


 目的。


 その行為の目的が宗教的意義を持つか。


 効果。


 その行為の効果が、


 宗教に対する援助。


 助長。


 促進。


 または。


 圧迫。


 干渉。


 そういうものになるか。


「津地鎮祭では?」


 相馬先輩が聞きます。


「目的は世俗的」


「なぜ」


「建築工事の安全を願う、社会的な慣習としての儀礼という性格が強いと判断されたから」


「効果は?」


「神道を援助、助長、促進したり、他宗教を圧迫、干渉したりするものとは認められない」


「結論」


「憲法二十条三項の『宗教的活動』には当たらない」


「つまり」


「合憲」


 私は丸で囲みました。


 津地鎮祭。


 宗教との関わりあり。


 でも。


 目的効果基準で許容範囲。


 合憲。


「ここ大事ですね」


「何が」


「宗教っぽいかどうかだけで決めない」


「そうだ」


 見た目。


 名前。


 神職がいる。


 祝詞を読む。


 それだけで結論を出さない。


 目的は何か。


 社会的意味は何か。


 効果は何か。


 行政と宗教との関わりは、どこまで深いか。


 それを具体的に見る。


「じゃあ昨日の宮下さん」


 私は新しい欄を作りました。


 市の観光祭。


 神社の祭りと歴史的につながっている。


「これだけなら?」


「違憲とは言えない」


「市が祭りに補助金を出している」


「それだけでも決まらない」


「会場の近くに神社がある」


「関係ねえ」


「祭り囃子が聞こえる」


「もっと関係ねえ」


「ですよね」


 では。


 どこから危なくなるか。


 市の出店申請。


 奉賛会への加入。


 加入しない人には申請を受け付けない。


 信仰上の理由から加入しない宮下さんが、不利益を受ける。


「目的は?」


 相馬先輩が聞きます。


「市は『地域との協調』『祭りの円滑な運営』と言っていました」


「世俗的に見えるな」


「はい」


 だから。


 目的だけ見て終わったら危ない。


「効果を見る」


 私は線を引きました。


 奉賛会へ加入すれば出店できる。


 加入しなければ出店できない。


 なら。


 市の運用によって。


 特定宗教との関係を持つことが促される。


 逆に。


 宗教上の理由から距離を置く人には、不利益が生じる。


「宗教への促進と」


「不参加者への圧迫」


「はい」


 だから。


 単なる地域協力を求めるなら、


 宗教と切り離せばいい。


 清掃。


 設営。


 警備。


 共通経費。


「昨日、沢渡課長がそこを飲んだ理由ですね」


「ああ」


「祭りを運営するために必要なのは、神様への参加じゃない」


「テントを立てる手だ」


「先輩、昨日の宮下さんと同じこと言ってます」


「俺の方が先だ」


「嘘だ」


 私はノートをめくりました。


「でも」


「何だ」


「政教分離って、誰の権利なんです?」


 相馬先輩が止まりました。


「信教の自由じゃねえのか」


「そこなんですよ」


 私は教材を見直します。


 政教分離。


 制度的保障。


「所長」


「何だ」


「ここ、昔かなり苦手でした」


「制度的保障か」


「はい」


 言葉が硬い。


 とても硬い。


 行政法の「公定力」と同じくらい、初見で意味が分からない日本語です。


「制度的保障って」


 私は言いました。


「個人に直接、『あなたにはこの権利があります』と与える形とは違うんですよね」


「そうだ」


「制度そのものを憲法で守る」


「その結果?」


「個人の自由が間接的に守られる」


 所長が頷きます。


 政教分離原則は。


 それ自体が、


 個々人に直接与えられた人権そのもの。


 というより。


 国家と宗教を適切に分離する制度を保障することで。


 その結果として。


 一人ひとりの信教の自由を守ろうとする。


「壁ですね」


 私は言いました。


「壁?」


「国家と宗教の間に壁を作る」


「完全な壁じゃないぞ」


「はい」


 そこが重要。


 完全遮断ではない。


 でも。


 国家が特定の宗教へ寄りかかりすぎない。


 宗教が国家権力と結びつきすぎない。


 その距離を制度として確保する。


 それによって。


 少数派の信仰。


 無宗教。


 宗教に参加しない人。


 そういう人も安心して暮らせる。


「宮下さんを直接守ったのは信教の自由」


 私は書きます。


「その背後で、行政が特定宗教へ肩入れしないようにしているのが政教分離」


「そう考えると分かりやすいな」


「はい」


 私はノートに書きました。


 ――政教分離=信教の自由を守るための制度的保障。


「これ、試験で出たら」


 相馬先輩が言います。


「政教分離そのものが人権だ、って答えたら?」


「危ない」


「信教の自由とは別物?」


「無関係じゃない。でも同じものとして扱わない」


「よし」


 何ですか。


 急に講師みたいになって。


「ところで」


 私は六法を見ながら言いました。


「未来では、もう一つ有名な判例があります」


「未来?」


「昭和六十三年より後です」


「また始まった」


 相馬先輩がたい焼きの袋を丸めました。


「今はまだ判決が出ていません」


「なら仕事には使うなよ」


「分かってます」


 ここは重要です。


 昭和六十三年の実務で。


 未来の最高裁判例を、


 判例として意見書に引用することはできない。


 当たり前です。


 だから昨日。


 私たちが使ったのは。


 すでに存在する津地鎮祭事件。


 でも。


 未来から来た私は知っています。


 この政教分離の問題は。


 これからも何度も最高裁へ行く。


「例えば?」


 相馬先輩が聞きました。


「愛媛県玉串料事件」


「何だそれ」


 当然知らない。


 判決は平成九年。


 まだ九年後です。


「県が靖国神社などに玉串料を公金から支出するんです」


「へえ」


「それが政教分離に反するか争われる」


「結論は?」


「違憲」


 相馬先輩が少し眉を上げました。


「地鎮祭は合憲だったんだろ」


「はい」


「神社に金を出したという意味じゃ似てねえか」


「だから面白いんです」


 私はノートの端に、


 未来の判例。


 と大きく書きました。


 今の実務では使えない。


 未来知識としての整理です。


「地鎮祭は」


 建築着工に際する一般的慣習。


 目的は世俗的。


 神道への援助・助長・促進の効果も認められない。


 だから合憲。


 一方。


 玉串料の奉納。


「最高裁は、その目的が宗教的意義を持つことを免れないと判断します」


「効果は?」


「特定宗教への援助、助長、促進になる」


「だから限度を超える」


「はい」


 同じ。


 公金。


 神社。


 それだけで答えを決めない。


 目的。


 効果。


 具体的な関わり方。


「試験で」


 私は言いました。


「『公金から宗教関係へ金を出したら全部違憲』って覚えたら死にますね」


「物騒だな」


「試験的にです」


「落ちるって言え」


「落ちます」


 さらに。


 未来には。


 箕面忠魂碑事件。


 平成五年。


 忠魂碑の移転に公金を使ったことなどが問題となる。


 そこでは遺族会が憲法二十条一項後段の「宗教団体」に当たるかなどが争われ。


 最高裁は宗教団体に当たらないと判断する。


「これも」


 私は言いました。


「慰霊行事をやってるから即宗教団体、ではない」


「団体の目的や活動実態を見るわけか」


「そうです」


 さらに未来。


 砂川政教分離訴訟。


 平成二十二年。


「これは?」


「北海道砂川市が神社施設の敷地として市有地を無償で使わせていた事件です」


「結論」


「違憲」


「理由は?」


「市と神社との関わりが、社会的・文化的条件に照らして相当とされる限度を超えると判断された」


「また限度か」


「はい」


 私は三つ並べました。


 津地鎮祭。


 合憲。


 愛媛県玉串料。


 違憲。


 砂川政教分離。


 違憲。


「だから」


 私はペンで囲みます。


 宗教との関係あり。


 イコール。


 違憲。


 ではない。


「逆に」


 宗教が伝統行事になっている。


 イコール。


 合憲。


 でもない。


「そこです」


 私は強く線を引きました。


「『昔からやっている』では決まらない」


 相馬先輩が鼻で笑いました。


「昨日の連中に聞かせてやれ」


「でもこれ、未来の判例です」


「じゃあ聞かせるな」


「はい」


 私は少し考えました。


「所長」


「何だ」


「公共の福祉って、便利すぎません?」


「便利だから危ない」


「ですよね」


 昨日。


 市は。


 地域の和。


 秩序。


 祭りの円滑な運営。


 そんな言葉を使いました。


 これらは全部。


 行政目的として無意味ではありません。


 でも。


 公共の福祉。


 地域の和。


 秩序。


 そういう抽象的な言葉を置くだけで。


 人権を制限できるわけではない。


「何のために」


 私は言いました。


「どんな手段で」


「うん」


「その手段が本当に必要なのか」


「うん」


「もっと権利を傷つけない方法はないのか」


 昨日なら。


 祭りを円滑に運営したい。


 そこまでは分かる。


 でも。


 そのために。


 特定の宗教団体への加入を事実上求める必要があるのか。


 ない。


 清掃でもいい。


 警備でもいい。


 設営でもいい。


 共通経費でもいい。


「目的と手段を分ける」


 所長が言いました。


「はい」


「役所が目的を言ったら、それで納得するな」


「手段を見る」


「そうだ」


 駅前をきれいにするため。


 地域の和のため。


 安全のため。


 青少年育成のため。


 風紀のため。


 どれも。


 聞こえはいい。


 でも。


「いい目的なら、何をやってもいいわけじゃない」


「そこだ」


 私はノートに書きました。


 ――「公共の福祉」は魔法の言葉ではない。


 目的。


 手段。


 必要性。


 効果。


 権利への侵害。


 それを具体的に見る。


「憲法って」


 私は言いました。


「意外と現場向きですね」


 相馬先輩が呆れました。


「お前、今まで何だと思ってたんだ」


「最高裁で使うもの」


「極端だな」


「行政書士試験の憲法って、判例ばっかりじゃないですか」


「知らん」


「だから、実務ではあんまり使わないと思ってました」


 でも。


 違いました。


 行政書士は違憲判決を出せません。


 裁判代理もできません。


 最高裁へ乗り込んで、


 この条例は違憲だ!


 なんて叫ぶ仕事ではない。


 でも。


 役所が処分を出す前。


 行政指導の段階。


 許可申請の窓口。


 そこで。


「この運用を続けたら、憲法上説明できますか」


 と問うことはできる。


 意見書を作る。


 事実を整理する。


 判例を示す。


 目的と手段を比べる。


 違憲の疑いを具体的に指摘する。


 そうすれば。


 役所は計算する。


 このまま処分して大丈夫か。


 不服申立てされたら。


 訴訟になったら。


 監査請求されたら。


 議会で追及されたら。


「裁判になる前に止める」


 私は言いました。


「それも法律家の仕事なんですね」


 片桐所長が首を振りました。


「法律家と言うな」


「あ」


「行政書士だ」


「はい」


「できることと、できないことを間違えるな」


「はい」


 そこは大事。


 私たちは弁護士ではない。


 訴訟代理はできない。


 違憲訴訟を起こして法廷で争う仕事ではない。


 でも。


 行政手続の前段階で。


 書面を作り。


 論点を整理し。


 役所に再検討を促す。


「昨日みたいに」


 私は言いました。


「処分が出る前に、違憲リスクを示して運用を直してもらえれば」


「本人にはその方が早いこともある」


「はい」


 宮下さんが欲しかったのは。


 歴史的な最高裁判決ではありません。


 祭りの日に店を出す許可です。


 それだけ。


「憲法論で勝つことが目的じゃない」


 所長が言いました。


「依頼人を守ることが目的だ」


「……はい」


 これ。


 覚えておこう。


 私はノートの最後のページを開きました。


「まとめます」


「まだやるのか」


 相馬先輩が言います。


「ここから試験対策です」


「今まで何だったんだ」


「実務理解編」


「勝手に授業を作るな」


 私は構わず書きました。


 憲法二十条。


 信教の自由。


 何人にも保障。


 宗教を信じる自由だけではない。


 信じない自由。


 宗教行事に参加しない自由。


 第二十条一項後段。


 宗教団体が国から特権を受けることを禁止。


 政治上の権力を行使することも禁止。


 第二十条二項。


 宗教上の行為、祝典、儀式、行事への参加強制を禁止。


 第二十条三項。


 国及びその機関による宗教教育その他の宗教的活動を禁止。


 そして。


 政教分離。


 国家の宗教的中立性。


「ただし」


 私は大きく書きます。


 ――完全分離ではない。


 国家と宗教の関わりを全部禁止するわけではない。


「判断基準」


 目的効果基準。


 目的に宗教的意義があるか。


 効果が宗教への援助・助長・促進、または圧迫・干渉になるか。


 社会的・文化的条件に照らし。


 相当とされる限度を超えた関わりか。


「代表判例」


 津地鎮祭事件。


 最大判昭和五十二年七月十三日。


 合憲。


 そして未来の整理として。


 箕面忠魂碑事件。


 平成五年二月十六日。


 遺族会は宗教団体に当たらない。


 政教分離違反とはされない。


 愛媛県玉串料事件。


 最大判平成九年四月二日。


 違憲。


 砂川政教分離訴訟。


 最大判平成二十二年一月二十日。


 市有地の無償提供について違憲。


「これ」


 相馬先輩がノートを覗き込みました。


「未来の判例まで覚える必要あるのか」


「私が受ける試験ではあります」


「昭和六十三年の試験じゃねえだろ」


「……そうでした」


「お前、どの時代の受験生なんだよ」


「本人が一番困ってます」


 本当に。


 六法は同じ。


 判例は増える。


 条文が変わらなくても。


 憲法の世界は止まっていない。


 社会が変わる。


 事件が起きる。


 最高裁が判断する。


 その積み重ねで。


 同じ条文の意味が、少しずつ具体化されていく。


「不思議ですね」


「何が」


「一字一句変わってないのに」


 私は憲法のページを見ました。


「未来の方が、この二十条について知っていることが多い」


「そりゃ判例が増えるならそうだろ」


「でも」


 条文は同じ。


 そこに書いてある、


 信教の自由。


 宗教的活動。


 たったそれだけの言葉を。


 社会が何十年もかけて問い続ける。


「法律って」


 私は言いました。


「改正されなくても、育つんですね」


 所長が少しだけこちらを見ました。


「判例だけじゃない」


「え?」


「使う人間もだ」


 私は止まりました。


「昔からそうだから」


 所長が言います。


「それで済ませる時代もある」


「……」


「だが、誰かが疑問を持つ」


「はい」


「本当に必要なのか。本当に公平なのか。本当に自由を奪っていいのか」


「はい」


「そうやって、同じ条文でも使い方が変わる」


 私はノートを見ました。


 昭和六十三年。


 そして未来。


 憲法は同じ。


 社会は違う。


 人権感覚も違う。


 昔なら。


 祭りなんだから参加しろ。


 町内なんだから合わせろ。


 みんなやっている。


 そんな言葉で終わったかもしれない。


 でも。


 憲法は最初から同じ場所にあった。


 信教の自由は、何人に対しても保障する。


 宗教行事への参加を強制してはならない。


 国は宗教的活動をしてはならない。


「条文がなかったんじゃない」


 私は呟きました。


「使う側が、そこまで見てなかった」


 相馬先輩が煙草を取り出しました。


「まあ」


「はい」


「法律なんざ、棚に置いとくだけじゃ紙だ」


 火をつける。


「必要なときに引っ張り出して、役所の机に置いて初めて仕事する」


 私は少し笑いました。


「先輩、今日格好いいですね」


「今日も、だ」


「それは違います」


「何だと」


 私は最後に。


 一行の覚え書きを書くことにしました。


「何にします?」


「俺に聞くな」


「政教分離って、国家と宗教を完全に切り離すことじゃない」


「長い」


「目的と効果で限度を超えた関わりを止める」


「教科書だな」


「特定宗教をえこひいきしない」


「軽い」


「難しいなあ」


 昨日の宮下さんを思い出します。


 神社が嫌いだったわけではない。


 祭りも嫌いではない。


 ただ。


 自分の信仰だけは。


 商売の条件にしたくなかった。


 そして市役所も。


 神社を排除したわけではない。


 祭りを中止したわけでもない。


 ただ。


 出店条件から宗教を外した。


 それだけで。


 神社を大切にする人も。


 別の宗教を信じる人も。


 何も信じない人も。


 同じ場所で祭りを楽しめた。


「あ」


 私は書きました。


 ――政教分離は、宗教を追い出す壁ではない。誰の信仰も行政に選ばせない壁だ。


 相馬先輩が覗き込みます。


「長え」


「いいんです」


「一行だけどな」


「でしょう?」


 私は二重線を引きました。


 そのとき。


 電話が鳴りました。


「はい、片桐行政書士事務所です」


『総務課の沢渡です』


 また来た。


「お世話になってます」


『昨日の観光祭の件ですが』


「何かありました?」


『来年度から、出店要領に一文加えることになりました』


「一文?」


『宗教団体への加入、宗教行事への参加の有無を、出店審査の条件としない』


 私は一瞬。


 黙りました。


「……そこまで書くんですか」


『曖昧にして、また同じことが起きる方が面倒です』


「合理的ですね」


『行政ですから』


「でも地域から反発ありません?」


『あります』


 即答。


『「昔からこうしてきた」と』


「ですよね」


『ですので説明します』


「何て?」


 電話の向こうで。


 ほんの少し間がありました。


『祭りを守ることと、信仰を強制することは別だ、と』


 私は笑いました。


「課長」


『何ですか』


「昨日より格好いいですね」


『そういう評価は不要です』


 切られました。


 相変わらずです。


「何だって?」


 相馬先輩が聞きます。


「来年から、宗教参加を出店条件にしないって募集要領に明記するそうです」


「へえ」


「昔からやってきたって反発もあるみたいです」


「だろうな」


「でも説明するって」


 私は窓の外を見ました。


 祭りはもう終わっています。


 提灯も片づけられ。


 駅前はいつもの夕方です。


 たぶん来年も。


 祭りは開かれる。


 神社では神事がある。


 商店街では屋台が並ぶ。


 太鼓が鳴る。


 子どもが走る。


 そして。


 宮下さんも写真を撮るでしょう。


 何かが壊れたわけではありません。


 宗教を町から追い出したわけでもありません。


 ただ。


 一つだけ。


 選べるようになった。


 参加するか。


 参加しないか。


 信じるか。


 信じないか。


 それを。


 役所ではなく。


 本人が決められるようになった。


 私はノートを閉じました。


 憲法二十条。


 昭和六十三年。


 未来と一字一句同じ。


 でも。


 同じ条文だからこそ。


 時代の言い訳は通用しません。


「昔はそういう時代だった」


 それは歴史の説明にはなる。


 けれど。


 人の自由を奪う根拠にはならない。


 憲法は。


 昭和にも。


 未来にも。


 同じ文字でそこにいる。


 変わるべきなのは。


 たぶん。


 条文ではなく。


 その文字を読む私たちの方なのです。


「こはる」


 片桐所長が言いました。


「はい」


「帰る前に机を片づけろ」


「はい」


 私はノートを閉じ。


 六法を本棚へ戻し。


 ふと。


 相馬先輩の机を見ました。


 たい焼きの紙袋。


 空き缶。


 新聞。


 灰皿。


「先輩」


「何だ」


「机、片づけてください」


「嫌だ」


「事務所の環境維持という公共の福祉です」


「俺の自由を侵害するな」


「自由にも限界があります」


「目的効果基準で判断しろ」


「宗教じゃないから使いません!」


「じゃあ俺の信教の自由だ」


「何を信仰してるんですか」


 相馬先輩は煙草を一本持ち上げました。


「煙草の神様」


「そんな宗教、事務所から分離してください!」


 片桐所長が帳簿を閉じました。


「相馬」


「はい」


「片づけろ」


「……はい」


 強い。


 憲法二十条でも。


 目的効果基準でも。


 昭和の地域社会でもない。


 片桐行政書士事務所において。


 もっとも強力な制度的保障は。


 どうやら今日も。


 所長の一言であるようでした。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
さくら司法書士補助者の法務帳 〜 昭和に転生して泥沼の争いを収めたら、実務と試験知識が完全にリンクしました 〜
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜
宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜
名探偵 藤原彰子の宮中事件簿 ――『転生皇后 藤原彰子』スピンオフ外伝
転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜
新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜
新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件〜
美しき女帝 北条政子 〜 婚約破棄どころか強制結婚!? 平家のエリートに嫁がされそうになったので、豪雨の山を越えて愛する無職の元へ走ってみた 〜
新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚〜
箴言・格言・名言集 〜頑張るあなたへ、今日を乗り越えるための一言〜
拝啓、愛読者様。― 想いを少しだけ 謹呈 条文小説
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜
コミックス「六道輪廻抄〜戦国転生記〜」
動画生成AIが作成したイメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。