[憲法20条の3・政教分離]現場編 「昔から神社に任せていますので」の罠。町内の慣習に埋もれた公金と、市役所が越えてはいけない一線
昔からやっている。
みんなやっている。
誰も文句を言わなかった。
世の中には。
この三つだけで、三十年くらい生き延びる仕組みがあります。
でも。
憲法は、ときどき。
その三十年を、たった一条で止めます。
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所。
「祭りに出ないなら、商売もさせないそうです」
その日の相談者は、そう言って一枚の紙を机に置きました。
「……祭り?」
私は聞き返しました。
「はい」
相談者は宮下俊夫さん。
三十八歳。
駅前から少し離れた商店街で、小さな写真館を営んでいます。
証明写真。
七五三。
結婚式。
学校行事。
店の名前は宮下写真館。
父親の代から続いているそうです。
そして問題の紙。
市役所商工観光課。
――秋季観光祭協賛事業者の募集について。
市が秋に開催する観光祭。
駅前から商店街にかけて露店を並べ、観光客を呼び込む。
宮下さんは祭りの日、市道脇の指定区画に簡易撮影所を出したいと申し込んだ。
子ども向けの記念写真です。
ところが。
「これです」
宮下さんが別の紙を出しました。
――出店申請については、現時点では受理できません。
「理由は?」
「神社の奉賛会に入ってないからだそうです」
「……はい?」
私は紙から顔を上げました。
「もう一回お願いします」
「だから、神社の奉賛会に入ってないからです」
「市の祭りですよね?」
「市の観光祭です」
「出店場所は?」
「市道沿いです」
「申請先は?」
「市役所です」
「なのに神社?」
「はい」
なんだこれ。
頭の中で法律の歯車が空回りしました。
宮下さんは苦い顔で続けました。
「もともとは神社の秋祭りだったらしいんです。それを十年くらい前から市が観光祭として一緒にやるようになって」
「なるほど」
「今じゃ市が補助金を出して、商工観光課が出店募集をしています」
「奉賛会は何を?」
「祭りの運営です。神輿とか、神事とか」
「宮下さんは、どうして入ってないんです?」
少しだけ間がありました。
「うちはキリスト教なんです」
私は口を閉じました。
宮下さんは慌てて手を振ります。
「別に神社が嫌いって話じゃありませんよ。近所付き合いもしますし、祭りを見るのも嫌じゃない。でも、奉賛会に入ると会費を払って、神事にも名前が出るでしょう」
「はい」
「父が昔から、それだけは遠慮してたんです」
それで。
奉賛会には入らない。
でも市の観光祭には商売として出たい。
それだけの話です。
「ところが今年、市役所へ申請に行ったら」
宮下さんが紙を指しました。
「まず奉賛会へ話を通してくださいって」
「市役所が?」
「はい」
「奉賛会へ入れ、と?」
「はっきり『入れ』とは言いません」
なるほど。
そこは役所です。
露骨なことは言わない。
「ただ、『地元の祭事ですので、地域との協調が確認できない方の出店は難しい』って」
私は額を押さえました。
出ました。
地域との協調。
昭和という時代。
この言葉は強い。
今よりずっと強い。
町内会。
消防団。
婦人会。
青年団。
氏子。
奉賛会。
冠婚葬祭。
祭り。
人間関係が今より濃い。
助け合いも濃い。
その代わり。
外れる人への視線も濃い。
「それで私、聞いたんです」
宮下さんが言いました。
「私は祭りの神事に参加したいんじゃない。市の観光イベントで商売したいだけですって」
「役所は?」
「『理屈ではそうですが、地元の和というものがありますので』」
地元の和。
来ました。
昭和のラスボスみたいな言葉。
私は思わず天井を見ました。
「朝比奈」
向かいで煙草を吸っていた相馬先輩が言いました。
「何だ、その顔」
「重いなと思って」
「何が」
「空気が」
「空気?」
「昭和の空気です」
「昭和しか知らねえ俺に喧嘩売ってんのか」
「違います!」
でも。
本当に重い。
法律に書いてない。
条例にも書いてない。
なのに、
みんなそうしているから。
昔からそうだから。
地域で揉めるから。
それだけで、人を動かす力がある。
宮下さんは小さく息を吐きました。
「商売なんだから、私も頭を下げればいいんでしょうけどね」
「……」
「奉賛会に入って、会費を払って。神事の日に顔だけ出せば、それで済むんです」
「嫌なんですか」
「嫌というより」
宮下さんは少し考えて。
「自分の信じているものまで、商売の許可と交換したくないんです」
その言葉で。
私の頭の中に、条文が出ました。
憲法第二十条。
信教の自由。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
そして。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
「……あ」
私は声を漏らしました。
「どうした」
相馬先輩が言います。
「同じだ」
「何が」
「憲法」
「は?」
「昭和六十三年でも、同じなんですよね」
「何言ってんだ」
「一字一句」
私は本棚へ走りました。
六法を開く。
日本国憲法。
第二十条。
読む。
同じ。
当たり前です。
日本国憲法は改正されていません。
私がいた時代と。
この昭和六十三年。
条文は同じ。
「……すご」
「何がだよ」
相馬先輩が呆れています。
私はページを見つめました。
未来の法律知識を持ち込むとき。
行政法は怖い。
制度が変わっている。
期間も変わる。
名称も変わる。
でも。
憲法だけは。
ここに、そのままある。
未来と同じ言葉で。
私は顔を上げました。
「所長」
片桐所長が帳簿から目を上げます。
「何だ」
「これ、憲法で行けませんか」
事務所が静かになりました。
相馬先輩が煙草を灰皿へ押しつけます。
「でかいの抜いたな」
「だって」
「こはる」
所長が低い声で言いました。
「憲法を振り回すな」
「え」
「役所と揉めるたびに『憲法違反だ』と言う奴は三流だ」
う。
いきなり斬られました。
「でも二十条が」
「まず事実を見ろ」
「はい」
「市が宗教を強制したのか」
「奉賛会へ――」
「加入しろと明示したか」
「してません」
「神事に参加しろと命令したか」
「それも、してません」
「なら、まだ言葉が足りん」
なるほど。
憲法は伝家の宝刀。
でも。
刀だからといって、廊下を歩くたび抜いていたら危ない人です。
「調べます」
「そうしろ」
翌日。
私たちは観光祭の資料を集めました。
市の補助金。
実行委員会の構成。
出店募集要領。
過去の参加者。
奉賛会との関係。
すると。
嫌なものが、少しずつ出てきました。
「先輩」
「何だ」
「これ」
前年の出店者一覧。
三十二店舗。
その横に、手書きの丸印。
「何だ、この丸」
「奉賛会加入者です」
「全部じゃねえか」
「はい」
三十二店舗。
三十二店舗すべて。
奉賛会加入。
「偶然?」
「だったら怖いですね」
さらに。
商店街の聞き取り。
「奉賛会に入ってないと出られないよ」
八百屋のおじさん。
「決まりなんですか?」
「決まりっていうか、常識だよ」
常識。
出ました。
「市の募集要領には書いてないです」
「そんなこと書かなくても分かるだろ」
「何がです?」
「祭りなんだから神様に挨拶するのが筋だろう」
別の店。
「宮下さん? あそこは昔から神社の行事に出ないからねえ」
「それと市の出店に何の関係が?」
「そりゃ、和を乱す人だけ商売させたら皆が面白くないだろ」
また。
和。
その日の夕方。
事務所の机には紙が山になっていました。
私は腕を組みます。
「気持ちは分かるんですよ」
「何が」
相馬先輩が言います。
「祭りって、地域の人がずっと支えてきたわけでしょう」
「ああ」
「奉賛会の人が準備して、掃除して、寄付して。それで当日だけ商売しに来る人がいたら、不公平だって思う」
「そうだな」
「だから、地域への協力を求めること自体が全部駄目とは思わない」
「なら?」
「問題は」
私は資料を指しました。
「協力の方法が、特定の宗教と結びついていることです」
祭りの清掃協力。
警備。
設営。
費用負担。
それを出店条件にするなら、まだ議論はできます。
でも。
奉賛会への加入。
神事への参加。
玉串奉納。
それを事実上の入口にする。
しかも。
市が出店区画を管理している。
「市が直接、『神社を信じろ』と言ってるわけじゃない」
「うん」
「でも、『神社の奉賛会に入っていない人は、市の観光祭に出店させません』という運用をしているなら」
相馬先輩が続きを言いました。
「役所が宗教への参加を商売の条件にしてるのと同じじゃねえか」
「そうです」
そこで。
奥から片桐所長の声。
「まだ足りん」
「ええ?」
厳しい。
「二十条三項を使うなら、何を見る」
私は止まりました。
宗教との関わりがある。
それだけでは駄目。
なぜなら。
国家と宗教の接触を全部禁止するなんて、現実には不可能だから。
寺や神社が文化財になることもある。
行政が宗教施設の周辺整備をすることもある。
宗教法人と行政が接触しただけで即違憲。
そんな単純な話ではありません。
「目的と……効果」
私は言いました。
所長が頷きます。
「津の地鎮祭だ」
来た。
津地鎮祭事件。
昭和五十二年七月十三日。
最高裁大法廷。
この時代なら。
もう存在しています。
「目的効果基準」
私は呟きました。
行為の目的に宗教的意義があるか。
その効果が宗教への援助、助長、促進、または圧迫、干渉になるか。
そして。
社会的、文化的条件に照らし、相当とされる限度を超えるか。
「今回に当てはめろ」
所長が言いました。
私は紙を一枚取りました。
目的。
市は何のために奉賛会加入を事実上要求しているのか。
地域との協調。
祭りの円滑な運営。
ここだけ見れば、世俗的にも見える。
「まだ弱い」
私は自分で言いました。
「そうだ」
所長。
容赦がありません。
「じゃあ効果」
奉賛会に入らなければ、市の観光祭に出店できない。
商売の機会を失う。
逆に。
奉賛会へ入り、神社の祭事に協力すれば出店できる。
つまり。
市の行政運用が、
特定宗教への参加を促す方向に働いている。
「これだ」
相馬先輩が言いました。
「はい」
私はペンを止めません。
「宮下さんから見れば、もっと直接です」
「何がだ」
「信仰上の理由で奉賛会に入らない。その結果、市の出店申請が止められている」
宗教への圧迫。
干渉。
特定の宗教へ近づくよう行政が圧力をかける。
それが商売の機会と結びついている。
私は紙を見ました。
「……地鎮祭より、かなり危なくないですか」
「だから調べた」
所長が言いました。
なるほど。
最初から憲法違反と叫ぶのではない。
目的。
効果。
行政との関係。
事実を並べて。
最後に抜く。
「意見書を作れ」
「はい」
「憲法二十条」
「はい」
「一項、二項、三項を分けろ」
「はい」
「津地鎮祭事件も入れろ」
「はい」
「『宗教と関係したから違憲』とは書くな」
「目的と効果を見る」
「そうだ」
相馬先輩が立ち上がりました。
「明日、役所行くぞ」
「はい」
「あと」
「何です?」
「タイトルに『憲法違反について』とかでかく書くなよ」
「書こうと思ってました」
「喧嘩売りに行くんじゃねえ」
「でも先輩、いつも喧嘩みたいな話し方ですよ」
「俺はいいんだ」
「何でですか」
「顔が怖いから」
「自覚あるんだ」
翌日。
市役所。
商工観光課。
そして。
「また皆さんですか」
沢渡課長。
なぜこの人は、私たちが役所へ来るたび最終防衛線にいるのでしょう。
「今回は観光祭の出店運用です」
片桐所長が言いました。
「ああ」
沢渡課長はすぐ分かったようです。
「宮下写真館ですね」
「ご存じで」
「担当から聞いています」
相馬先輩が椅子へ座りました。
「奉賛会に入ってねえから出店させねえって?」
「そのような決定はしていません」
即答。
さすがです。
「申請はまだ正式に不許可となっていません」
「受理もしてねえ」
「地域との調整をお願いしています」
「奉賛会との調整だろ」
「祭りの運営団体の一つです」
「神社の奉賛会だ」
「事実です」
沢渡課長は逃げません。
「ですが、この祭りには歴史があります。地域の協力なしには運営できません」
「そこは否定してねえ」
相馬先輩が言いました。
「清掃しろ。警備を手伝え。設営費を負担しろ。そういう話なら分かる」
「では何が問題です?」
「神様への協力まで抱き合わせるなって言ってんだ」
空気が変わりました。
沢渡課長の目が細くなります。
「信教の自由ですか」
「それだけじゃありません」
私は言いました。
沢渡課長がこちらを見る。
「朝比奈さん」
「はい」
「憲法論ですか」
「そうです」
「ずいぶん大きく出ましたね」
その言葉に。
一瞬。
怯みました。
そう。
憲法。
でかい。
行政書士事務所が市役所の窓口で持ち出すには、やっぱりでかい。
裁判でもない。
違憲判決を取りに来たわけでもない。
私たちにそんなことはできない。
でも。
所長が横で黙っています。
相馬先輩が鼻で笑いました。
「世間の常識? 俺たちが守ってんのは法律だ」
その一言で。
背中が戻りました。
私は意見書を机へ置きました。
「大きくしたのは、私たちじゃありません」
「といいますと?」
「市が、宗教と商売を結びつけたからです」
沢渡課長の視線が紙へ落ちます。
「市が祭りを支援すること自体を、違憲だと言うつもりはありません」
「当然でしょう」
「神社が関わっているというだけでも違憲とは言いません」
「では」
「目的と効果を見ます」
沢渡課長の指が止まりました。
知っている。
当然です。
「津地鎮祭事件ですか」
「はい」
昭和五十二年。
すでに最高裁大法廷が示している。
国家と宗教の関係は、
触れたら即アウト。
ではない。
その関わり方が、
相当とされる限度を超えたか。
目的と効果から見る。
「今回、市の目的が単なる祭りの円滑な運営だというなら」
私は言いました。
「宗教と無関係な協力方法を設定できます」
「例えば?」
「清掃当番。警備。設営。共通経費の負担」
「なるほど」
「でも実際には、奉賛会への加入が事実上の条件になっています」
「条件とは定めていません」
「募集要領には書いてありません」
「なら――」
「でも、前年の出店者三十二店舗は全員加入者です」
沢渡課長が黙りました。
「宮下さんには、奉賛会と調整しなければ申請を受理できないと説明している」
「担当者の説明については確認が必要です」
「確認してください」
私は続けました。
「さらに、宮下さんは信仰上の理由から奉賛会に加入していません」
「……」
「それを理由に、市が管理する出店機会から排除するなら」
一度。
息を吸う。
「宗教に参加しないという選択に、不利益を結びつけることになります」
静かになりました。
窓の外から、電話のベルが聞こえます。
「二十条二項」
片桐所長が言いました。
沢渡課長が所長を見る。
「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」
「直接、神事への参加を命じてはいません」
「だから、直接強制だとは書いていない」
所長が意見書を指しました。
「問題は、市の運用が何を促しているかだ」
沢渡課長がページをめくります。
目的。
効果。
宗教上の行事への参加を事実上促す構造。
特定の宗教団体に加入している者だけが、市の管理する経済的機会を得やすい構造。
そして。
宗教上の理由から加入しない者が不利益を受ける構造。
「課長」
相馬先輩が言いました。
「これでも『地元の和』で押すか?」
「……」
「公共の福祉って言うなら、それでもいい」
沢渡課長が顔を上げます。
「ただし説明してくれ」
相馬先輩の声が低くなる。
「何のために必要なのか」
「……」
「なんで奉賛会加入じゃなきゃ駄目なのか」
「……」
「なんで清掃や警備じゃ足りねえのか」
「……」
「なんで神社と距離を置く奴だけ、商売の入口で止められるのか」
沢渡課長は黙っていました。
私は。
その沈黙の意味が少し分かるようになっていました。
この人は。
負けたから黙る人ではありません。
計算している。
市がこのまま申請を拒否した場合。
どんな処分理由を書くのか。
不服申立てされたら。
裁判になったら。
住民監査請求が来たら。
議会で質問されたら。
そして。
憲法二十条との整合性を説明できるのか。
「……片桐先生」
「はい」
「一つ確認します」
「どうぞ」
「市が奉賛会加入を出店条件から完全に切り離し、宗教と無関係な運営協力だけを全出店者に同一条件で求めるなら」
私は顔を上げました。
「それ自体を問題にする趣旨ではありません」
片桐所長が答えました。
「そうですか」
「宗教を排除しろと言っているわけではない」
「……」
「行政が宗教を選ぶな、と言っている」
沢渡課長は。
しばらく何も言いませんでした。
やがて。
意見書を閉じます。
「宮下さんの申請は受理させます」
え。
私は思わず所長を見ました。
相馬先輩は動きません。
「ただし」
沢渡課長が続けます。
「他の出店者と同様、会場清掃、設営、安全管理の負担はお願いする」
「当然だ」
相馬先輩が言いました。
「宗教とは関係ありませんから」
私も頷きます。
「奉賛会加入については?」
「出店審査の条件にしません」
来た。
「今後も?」
「募集要領を整理します」
「担当者にも?」
「徹底します」
沢渡課長は眼鏡を直しました。
「市としても、特定宗教への加入を出店資格にする意図はありません」
「でも実際にはそうなっていた」
私が言うと。
「だから直すんです」
即答。
ぐう。
強い。
負け惜しみではない。
合理的に修正する。
この人らしい。
「ただし朝比奈さん」
「はい」
「一つだけ」
「何でしょう」
「宗教が関係したら何でも憲法違反、という理解はしないでください」
「……はい」
「津地鎮祭事件を持ってきたなら、その意味も分かっていますね」
「目的と効果」
「そうです」
なんだろう。
やっぱりこの人。
敵なのか先生なのか分からない。
「宗教との接触そのものを行政から完全に排除することはできません」
「はい」
「祭り、文化財、墓地、学校、福祉。行政と宗教が接する場面はいくらでもあります」
「だから、関わり方を見る」
「そのとおりです」
沢渡課長は意見書を机に置きました。
「今回は」
ほんの少し。
苦い顔。
「関わり方が雑だった」
相馬先輩が笑いました。
「役所がそれ言うなら十分だ」
三日後。
宮下さんが事務所へ飛び込んできました。
「出ました!」
「何がです?」
「許可です!」
紙を出す。
観光祭臨時出店承認。
条件。
指定時間の遵守。
清掃。
安全管理。
共通経費の負担。
奉賛会。
神社。
神事。
その文字は。
一つもありませんでした。
「これなら」
宮下さんが言いました。
「払いますよ。掃除もします。朝からテントも立てます」
「大変ですよ」
「商売ですから」
笑っています。
「神社の前を通るのも構いません」
「はい」
「祭り囃子だって嫌いじゃない」
「はい」
「ただ」
宮下さんは許可証を見ました。
「自分が何を信じるかだけは、自分で決めたかった」
その言葉が。
胸に残りました。
宗教を守る。
というと。
何かを信じる人を守る話に聞こえます。
でも。
信教の自由は。
信じない自由も。
参加しない自由も。
距離を置く自由も守る。
そして政教分離は。
その自由が、行政の都合で削られないための壁でもある。
「こはる」
片桐所長が言いました。
「何だ」
「今日、ちょっと分かった気がします」
「何が」
「政教分離って」
私は考えながら言いました。
「神社を役所から追い出すルールじゃないんですね」
所長は黙っています。
「役所が誰かの神様を選ばないためのルール」
少し間があって。
「まあ、そんなところだ」
短い。
でも。
それで十分でした。
観光祭の日。
私は仕事で駅前へ行きました。
人、人、人。
焼きそば。
綿菓子。
金魚すくい。
遠くから太鼓の音。
神社の鳥居には提灯が並び。
境内では神事が行われています。
その少し離れた市道沿い。
「朝比奈さん!」
宮下さんが手を振りました。
簡易撮影所。
背景には湖と山の絵。
子どもが並んでいます。
「繁盛してますね!」
「おかげさまで!」
「奉賛会の人と揉めませんでした?」
「朝から一緒にテント立てましたよ」
「え?」
「掃除も一緒です」
宮下さんが笑います。
「宗教は違っても、テントは一人じゃ立ちませんから」
なるほど。
それでいいのかもしれません。
信じるものが違っても。
信じないものがあっても。
同じ町で。
同じ道路を掃除できる。
それが本当の「和」なんじゃないでしょうか。
遠くで祭囃子が鳴っています。
神社では神社の祭り。
市道では市の観光祭。
完全に切り離されているわけではない。
人も行き来する。
音も混ざる。
文化も歴史も絡み合っている。
でも。
誰かに、
そこへ入れ。
頭を下げろ。
信じろ。
参加しろ。
そう言わない。
それだけの線を引く。
私は思いました。
憲法って。
もっと派手なものだと思っていました。
国家権力。
違憲判決。
最高裁。
教科書では、そんな大きな言葉ばかり並んでいる。
でも。
今日守ったものは。
写真館のおじさんが、
祭りの日に小さなテントを出す自由です。
そして。
神社に入るか入らないかを、
自分で決める自由。
たったそれだけ。
でも。
たったそれだけのことを、
町中の「昔から」が押し潰そうとしたとき。
最後に残る壁が。
憲法なのかもしれません。
事務所へ戻る途中。
相馬先輩が焼きそばを食べながら歩いていました。
「先輩」
「何だ」
「それ、勤務中ですよ」
「昼飯だ」
「さっきたい焼き食べてましたよね」
「前菜だ」
「たい焼きが?」
「文句あるか」
「公共の福祉に反します」
「何でも公共の福祉で制限すんな」
「今日の事件そのものじゃないですか」
「俺の焼きそばは人権だ」
「何権ですか」
「幸福追求権」
「十三条を焼きそばに使わないでください!」
相馬先輩は笑いながら、最後の一口を食べました。
その向こうで。
祭り囃子が鳴っています。
私は六法を抱え直しました。
今日の教訓。
――「昔から」は理由になる。でも、憲法を越える理由にはならない。
昭和六十三年。
条文は未来と同じ。
違うのは。
その条文を必要とする「空気」の重さでした。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




