[憲法14条・法の下の平等]現場編 「昔から地元の人を優先しています」の罠。昭和の“よそ者扱い”を、法の下の平等で切り裂く
同じに扱うことが、平等とは限りません。
けれど。
違って扱うなら。
そこには、理由が要ります。
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所。
「私、よそ者だから駄目なんですって」
その日の相談者は、そう言って笑いました。
笑った。
というより。
笑うしかなかったのだと思います。
「よそ者?」
私は聞き返しました。
「はい」
名前は宮下澄江さん。
三十二歳。
半年前、夫と一緒にこの町へ引っ越してきた女性です。
駅から少し離れた商店街。
そこで小さな惣菜屋を始めようとしていました。
おにぎり。
煮物。
焼き魚。
昼には弁当。
店舗も借りた。
調理設備も入れた。
保健所関係の手続も進めた。
そして市が管理する駅前の朝市区画について、出店の申込みをした。
週に二回。
朝市で弁当や惣菜を売り、店を知ってもらおうと考えたそうです。
「それで、駄目だったんですか」
「ええ」
宮下さんが一枚の紙を差し出しました。
――駅前朝市出店申請について。
――今回の出店については、認めない。
理由。
――地域商業の秩序及び地元事業者との調和を考慮したため。
「……地元事業者との調和」
嫌な言葉です。
ものすごく嫌な言葉です。
意味がありそうで。
よく見ると、何を言っているのか分からない。
「宮下さん。市役所では、具体的に何と言われたんですか」
「窓口の人には……」
宮下さんは少し迷ってから言いました。
「昔から商売している人を優先している、と」
「優先?」
「朝市は地元の人たちでやってきたものだから、新しく来た人が入ると揉めるかもしれないって」
私は紙から顔を上げました。
「市が、そう言ったんですか」
「はい」
「ほかに断られた理由は?」
「ありません」
「食品だから?」
「いえ。お惣菜を売っている人はほかにもいます」
「区画がいっぱい?」
「空きがあります」
「営業実績がないから?」
「それも聞きました。でも、去年始めたお店の人が出ています」
「その人は?」
「この町の人です。ずっと」
なるほど。
私は椅子に座り直しました。
嫌な予感が、かなり具体的な形になってきました。
「宮下さん」
片桐所長が静かに聞きました。
「市の担当者は、『何年以上住んでいれば出店できる』という基準を示しましたか」
「いいえ」
「市内に住所があればいい?」
「それも違うみたいです。私も市民ですから」
「商工会への加入は」
「入っています」
「税金の滞納は」
「ありません」
「過去に営業上の問題を起こしたことは」
「ありません」
所長が黙りました。
相馬先輩が煙草を灰皿へ押しつけます。
「で」
低い声でした。
「誰が『地元』なんだ?」
「え?」
「生まれたときから住んでる奴か」
「それは……」
「十年住んだら地元か。二十年か。親がこの町出身なら地元か。隣町から嫁に来たらどうなる」
宮下さんは答えられません。
当然です。
答えがないから。
「先輩」
「何だ」
「怒ってます?」
「別に」
「怒ってますよね」
「世間の常識? 俺たちが守ってんのは法律だ」
あ。
怒ってる。
かなり怒ってる。
私はもう一度通知を見ました。
地域商業の秩序。
地元事業者との調和。
昭和六十三年。
この時代に来てから、何度も感じていました。
人間関係が濃い。
町内会。
商店会。
昔からの付き合い。
誰の息子。
どこの嫁。
何代前から住んでいる。
そういう情報が、現代よりずっと重い。
良い面もあります。
困ったときは助け合う。
顔が見える。
子どもを地域で見守る。
でも。
その輪の外にいる人にとっては。
ときどき、壁になる。
「仕方ないんでしょうか」
宮下さんが言いました。
「何がです?」
「私、まだ半年しか住んでませんから」
その言葉に。
私は、なぜか腹が立ちました。
宮下さんにではありません。
半年しか住んでいない。
だから仕方ない。
本人にそう思わせる空気に。
「……半年だからって」
口から出ました。
「同じ市民ですよね」
相馬先輩がこちらを見る。
「税金も払って」
「はい」
「同じように店を借りて」
「はい」
「同じ朝市に申し込んで」
「はい」
「なのに、昔から住んでいないというだけで駄目?」
「そう言われました」
私は机の上の六法を見ました。
憲法。
受験生だった頃。
憲法は正直、少し苦手でした。
抽象的だからです。
幸福追求権。
公共の福祉。
法の下の平等。
表現の自由。
職業選択の自由。
判例を覚えて。
結論を覚えて。
審査基準を覚える。
でも行政書士になったら。
実務で一番使うのは行政法で。
民法も重要で。
憲法なんて――。
実務では、そんなに使わないでしょ。
そう思っていました。
ところが。
目の前にいる人が、
よそ者だから。
という理由で行政から不利益を受けている。
その瞬間。
六法の一番上のほうにある条文が、急にこちらを向きました。
「所長」
「何だ」
「憲法、使えませんか」
片桐所長が私を見る。
相馬先輩も見る。
「十四条です」
私は言いました。
「法の下の平等」
翌日。
市役所。
商工観光課。
窓口の奥から現れた沢渡課長は、私たちを見るなり眼鏡を直しました。
「また皆さんですか」
「人気者ですね、私たち」
「そういう意味ではありません」
「ですよね」
相変わらずです。
片桐所長が宮下さんの通知を机に置きました。
「駅前朝市の出店申請について聞きたい」
「宮下澄江さんですね」
沢渡課長はすぐに答えました。
さすが。
案件は把握しています。
「不許可の理由は」
「通知記載のとおりです」
「地域商業の秩序と、地元事業者との調和?」
「ええ」
相馬先輩が腕を組みました。
「具体的には」
「駅前朝市は長年、地元商業者の協力で運営されてきました」
「それで?」
「既存の出店者との関係もあります。急激に新規事業者を入れれば、摩擦が生じる可能性があります」
「新規事業者は全部断ってるのか」
「いいえ」
「去年開業した店は出てる」
「その方については、地域との関係や過去の実績などを総合的に判断しています」
「宮下さんとの違いは?」
沢渡課長が一拍置きました。
「地域への定着性です」
出ました。
「定着性」
私は繰り返しました。
「具体的な基準はありますか」
「一律の年数基準はありません」
「じゃあ何で判断するんです?」
「居住歴、営業歴、地域活動への参加、既存商業者との関係などです」
「なるほど」
一見。
それっぽい。
すごくそれっぽい。
行政が地域の朝市を運営する。
限られた区画を誰に使わせるか。
一定の選考は必要でしょう。
誰でも無条件に出店できるわけではない。
問題は。
何を基準に区別するか。
「課長」
私は言いました。
「宮下さん、何か営業上の問題がありますか」
「ありません」
「食品衛生上の問題は」
「把握していません」
「朝市の規則に違反したことは」
「まだ出店していませんから」
「区画は空いている」
「現時点では」
「市内に店舗がある」
「あります」
「市民でもある」
「そうですね」
「商工会にも加入している」
「ええ」
「それでも駄目な理由が、昔からこの町に住んでいないから?」
沢渡課長の目が細くなりました。
「そう単純化されるのは困ります」
「では、単純化しません」
私は鞄からメモを出しました。
「宮下さんについて、地域への定着性が不足していると判断した具体的事実を教えてください」
「それは――」
「居住半年?」
「一つの事情です」
「営業歴半年?」
「それも考慮しています」
「町内会活動?」
「地域との関係を見る材料にはなります」
「既存商業者との付き合い?」
「それもです」
「では」
私は聞きました。
「それらが、朝市で惣菜を売る能力と、どう関係するんですか」
沈黙。
少しだけ。
空気が変わりました。
沢渡課長は、簡単には崩れません。
「朝市は単なる販売場所ではありません」
「はい」
「地域振興事業でもあります。円滑な運営には、出店者間の協調も必要です」
「それは分かります」
「なら――」
「でも」
私は遮りました。
「協調できるかどうかと、この町に長く住んでいるかどうかは、同じじゃありませんよね」
沢渡課長が黙ります。
「長く住んでいても揉める人はいます」
相馬先輩が鼻で笑いました。
「むしろいるな」
「先輩」
「何だ」
「今ちょっと個人的な顔が浮かびました?」
「三人くらいな」
沢渡課長が咳払いしました。
「行政としては、地域の実情を考慮する必要があります」
「もちろんです」
私は頷きました。
「違う扱いをすること自体が、全部駄目だとは言ってません」
ここです。
平等。
この言葉を、
全員まったく同じ扱い。
と理解すると間違える。
年齢が違う。
収入が違う。
職業が違う。
事情が違う。
違いがあるなら、それに応じて扱いが変わることはある。
問題は。
その区別に、合理的な理由があるか。
「たとえば」
私は言いました。
「食品を扱う人には衛生上の条件を求める。それは分かります」
「ええ」
「大きな設備を置く人には、安全上の条件を求める。それも分かります」
「はい」
「過去に朝市で重大な規則違反をした人と、問題なく営業してきた人を同じに扱わない場合も、理由次第では分かります」
「そうでしょう」
「でも」
私は通知を指しました。
「この町に昔から住んでいる人と、最近引っ越してきた人」
そこで言葉を切ります。
「朝市への出店資格で、この二人を違って扱う合理的な理由は何ですか」
沢渡課長はすぐには答えませんでした。
「地域との調和です」
「それは目的ですよね」
「……」
「私が聞いているのは手段です」
言った瞬間。
自分でも分かりました。
受験勉強で覚えた言葉が、
初めて机の上から立ち上がった。
目的。
手段。
区別の合理性。
平等原則。
「地域の調和を守りたい」
私は続けました。
「その目的自体を否定しているんじゃありません」
尊属殺重罰規定の判例が頭をよぎりました。
親を殺す行為を通常の殺人より強く非難する。
その考え自体が直ちに不合理なのではない。
でも。
だからといって。
刑を死刑か無期だけにしてしまえば。
区別の程度が行き過ぎる。
目的が分かることと。
手段まで正当化されることは。
別の話。
「朝市を円滑に運営したい。それは分かります」
私は言いました。
「でも、そのために『昔からこの町にいる人を優先する』という扱いをする必要がありますか」
「地元の事情は、条文だけでは測れません」
沢渡課長の声が少し低くなりました。
「現実には、商店会の意見もあります。新しい人を次々入れれば、これまで協力してきた方々から反発も出る」
ああ。
来た。
昭和の壁。
条文には書いていない。
でも、ものすごく強いもの。
世間。
付き合い。
昔から。
波風を立てるな。
私は一瞬、言葉に詰まりました。
だって。
分かってしまうから。
役所の立場も。
地元商店の反発を受けたくない。
朝市で喧嘩を起こしたくない。
苦情電話も嫌だ。
古参の商店主たちと揉めれば、担当課は大変です。
新しく来た一人に我慢してもらう。
そのほうが。
行政運営としては、ずっと楽です。
昭和六十三年。
地域の和。
世間の目。
前例。
慣習。
その全部が、宮下さん一人の肩に乗っている。
重い。
憲法十四条なんて。
こんな空気の前では――。
そのとき。
「こはる」
片桐所長が言いました。
「六法を開け」
「え?」
「条文を読め」
私は鞄から六法を出しました。
憲法。
第十四条。
そこには。
見慣れた文章がありました。
すべて国民は、法の下に平等であって――。
私は、止まりました。
同じだ。
当たり前です。
日本国憲法は改正されていない。
昭和六十三年でも。
私がいた時代でも。
条文は同じ。
社会の空気が違うだけ。
紙の上では。
宮下さんを守る言葉は、
もうここにある。
「……そうか」
私は小さく呟きました。
「何だ」
相馬先輩が聞きます。
「憲法、変わってないんですよ」
「何言ってんだ」
「一字一句」
「そりゃそうだろ」
「でも周りが違いすぎるから」
私は十四条を見ました。
「憲法まで古い気がしてました」
沢渡課長が怪訝そうな顔をしています。
まずい。
未来人発言をしました。
「朝比奈」
相馬先輩が低い声で言います。
「戻ってこい」
「はい」
戻ります。
昭和六十三年へ。
そして。
昭和六十三年の憲法十四条へ。
「課長」
「何でしょう」
「地元の反発があるから、新しく来た人を外す」
「外すとまでは――」
「結果として外れています」
私は通知を置きました。
「行政が人を違って扱うなら、その区別には合理的な根拠が必要ですよね」
「一般論としては」
「宮下さんは市民です」
「ええ」
「市内に店があります」
「ええ」
「必要な手続も進めています」
「はい」
「朝市の区画も空いている」
「現時点では」
「営業上の問題も確認されていない」
「そうですね」
「それでも、居住歴や古くからの付き合いを理由に不利益に扱う」
私は一度、息を吸いました。
「それ、本当に憲法十四条に耐えられますか」
沢渡課長の表情が変わりました。
ほんの少しだけ。
でも。
確実に。
「憲法論ですか」
「そうです」
「朝市の出店選考で?」
「朝市だから憲法が適用されないんですか」
「そうは言っていません」
「市が管理している事業です」
「ええ」
「市が選考する」
「そうです」
「なら行政権の行使ですよね」
「……」
「行政が、合理的な根拠なく人を差別していいとは思いません」
相馬先輩が椅子にもたれました。
「課長」
「何でしょう」
「世間の常識で逃げるなら、市役所はいらねえぞ」
「逃げてはいません」
「だったら基準を出せ」
「基準?」
「宮下さんと、許可された店の違いだ」
相馬先輩が指を一本立てます。
「食品衛生か」
二本。
「設備か」
三本。
「過去の違反か」
四本。
「営業能力か」
そして五本目。
「それとも、ただの『昔からいる奴かどうか』か」
沢渡課長は答えません。
片桐所長が静かに言いました。
「憲法論を振り回すのは三流だ」
「所長?」
私は思わず見ました。
「何でも憲法違反と言えばいいわけじゃない」
「……はい」
「行政には裁量がある。合理的な区別も許される」
沢渡課長が頷きます。
「そのとおりです」
「だが」
所長の声が変わりました。
「理由のない区別を、地域の慣習という布で包めば許されるわけでもない」
沢渡課長の顔から、ほんの少し表情が消えました。
「宮下さんを不許可にした判断記録を見直してください」
「……」
「許可された出店者との比較も」
「個人情報があります」
「氏名を出せとは言っていない。判断基準と適用の一貫性を確認してほしいと言っている」
「それで?」
「合理的な理由が説明できないなら」
片桐所長は通知を指で軽く叩きました。
「この処分は危ない」
「違憲だと?」
「違憲の疑いがある、と意見書を出す」
部屋が静かになりました。
憲法。
その言葉が出ただけで。
空気の重さが変わりました。
条例ではない。
要綱でもない。
内規でもない。
町内会の申し合わせでもない。
国の一番上にあるルール。
最高法規。
「行政書士が違憲判断をするんですか」
沢渡課長が聞きました。
「しない」
所長は即答しました。
「裁判所じゃないからな」
「では」
「行政が違憲の疑いがある運用を続ける前に、止める」
所長は淡々と言いました。
「そのための意見書だ」
格好いい。
私は心の中で拍手しました。
表ではしません。
怒られるので。
「分かりました」
沢渡課長が言いました。
「判断資料を確認します」
相馬先輩が立ち上がります。
「頼むぜ」
「ただし」
沢渡課長が私たちを見ました。
「憲法十四条を持ち出したからといって、直ちに宮下さんを許可するわけではありません」
「もちろんです」
私は答えました。
「合理的な理由があるなら、説明してください」
「なければ?」
「見直してください」
沢渡課長は少しだけ眼鏡を押し上げました。
「朝比奈さん」
「はい」
「最近、面倒になってきましたね」
「褒め言葉として受け取ります」
「違います」
事務所へ戻ると。
片桐所長は本当に意見書を作らせました。
「こはる」
「はい」
「書け」
「何をです?」
「十四条」
「え」
「意見書だ」
「私が?」
「勉強になる」
行政書士事務所。
便利な言葉第一位。
勉強になる。
これを言えば見習いに大抵の仕事を振れます。
「先輩、手伝ってください」
「嫌だ」
「即答!」
「お前が憲法使いたいって言ったんだろ」
「共同責任でしょう!」
「何の共同だ」
結局。
手伝ってくれました。
口は悪い。
でも面倒見はいい。
私たちはまず、
「宮下さんがかわいそう」
を全部捨てました。
次に、
「よそ者差別はひどい」
という感情的な言葉も捨てました。
残したのは事実。
宮下さんは市内居住者である。
市内に営業店舗を有する。
必要な営業上の手続を進めている。
朝市区画には空きがある。
営業上、安全上、衛生上の具体的問題は確認されていない。
一方。
許可された新規事業者も存在する。
その差異として示されているのは、
居住歴。
地域活動歴。
既存商業者との関係。
そして。
地域への定着性。
「次」
片桐所長が言いました。
「区別の目的」
「朝市の円滑な運営と地域商業の秩序」
「それを否定するか」
「しません」
「そうだ」
目的そのものを雑に叩いてはいけない。
行政が朝市を円滑に運営したい。
既存商店との無用な衝突を避けたい。
それ自体は理解できる。
「次」
「手段です」
「書け」
私はタイプライターではなく、手で原稿を書きました。
――しかし、当該目的を達成するために、居住歴の長短や既存商業者との人的関係を重視し、新規転入者を不利益に扱うことについては、その合理的関連性が明らかではない。
「固いな」
相馬先輩が言います。
「意見書ですから」
「もっと刺せ」
「どうやって」
「古くから住んでりゃ朝市で揉めねえのか?」
「それは意見書に書けません」
「だからお前は優等生なんだ」
「褒めてます?」
「違う」
所長が赤鉛筆を入れました。
――出店者間の協調性を確認する必要があるとしても、その判断は、遵守事項への同意、過去の営業実績、具体的な行動等によって行うことが可能であり、居住歴そのものを重視する必要性は乏しい。
「……なるほど」
私は唸りました。
「目的に合った基準を使え、ってことですね」
「そうだ」
協調性を見たい。
なら。
協調性を見ればいい。
ルールを守るか。
説明会に参加するか。
他の出店者と共同作業ができるか。
そういう基準を使えばいい。
昔から住んでいるか。
誰と知り合いか。
それは。
近道に見えて。
別のものを測っている。
「平等って」
私は呟きました。
「全員を同じにすることじゃないんですね」
「今さらか」
「試験では知ってました」
「一番信用できねえ台詞だな」
「本当に知ってたんです!」
絶対的平等ではない。
相対的平等。
合理的区別は許される。
恣意的差別は許されない。
知っていました。
○×問題なら答えられます。
でも。
目の前に人がいると。
意味が違う。
宮下さんと他の出店者を、
何でも同じにしろ。
ではない。
違う事情があるなら、
違って扱っていい。
ただし。
その違いが。
その扱いの違いを正当化するものなのか。
そこを見る。
私は意見書の最後に書きました。
――以上の運用が、合理的根拠を欠いた差別的取扱いとなる場合、憲法第十四条第一項の平等原則との関係で重大な疑義を生じる。
「『違憲である』じゃないんですね」
私が聞くと、所長が頷きました。
「裁判官になるな」
「はい」
「行政に再検討させるのが仕事だ」
「はい」
「逃げ道も残せ」
「逃げ道?」
「役所が自分で直せるようにな」
なるほど。
勝ち負けではない。
沢渡課長を論破して床に沈めても、
宮下さんは朝市に出られません。
欲しいのは。
市が、
この基準は危ない。
と気づいて修正すること。
「行政書士って」
私は言いました。
「地味ですね」
「今さら気づいたか」
「でも嫌いじゃないです」
相馬先輩が鼻で笑いました。
「そのうち書類の山見て撤回するぞ」
一週間後。
市役所から連絡がありました。
宮下さんの出店申請について。
再審査。
私たちは再び商工観光課へ向かいました。
沢渡課長は机の上に数枚の書類を置きました。
「確認しました」
「どうでした」
「朝市の選考基準について、明文化されていない運用がありました」
「地域への定着性?」
「ええ」
「いつからです?」
「かなり以前からです」
「誰が決めたんです?」
「特定できません」
すごい。
昭和の役所で最も怖い答えの一つです。
誰が決めたか分からない。
でも、みんな守っている。
慣習。
前例。
空気。
「過去の申請を見ると」
沢渡課長が続けました。
「市内での居住歴が短い事業者について、慎重な扱いをしていた例が複数ありました」
「合理的な理由は?」
「……」
沢渡課長が眼鏡を外しました。
布でレンズを拭きます。
時間を稼いでいる。
珍しい。
「朝市発足当初は」
沢渡課長が言いました。
「地元商店街の共同事業という性格が強かったようです」
「はい」
「そのため、既存商業者との関係を重視することにも一定の事情はあった」
「でも?」
「現在は市が主体的に管理し、市の地域振興事業として一般の事業者からも申請を受け付けています」
私は黙って聞きました。
「そうなれば」
沢渡課長が続けます。
「昔からの運用をそのまま維持する合理性については、説明が難しい」
来た。
行政語です。
説明が難しい。
たぶん翻訳すると。
このまま続けるのは危ない。
「宮下さんの申請は?」
「居住歴を除外して再審査しました」
「結果は」
「出店を認めます」
私は。
一瞬、反応できませんでした。
「……本当ですか」
「嘘を言ってどうするんです」
「いや、課長が素直すぎて」
「撤回しましょうか」
「やめてください」
相馬先輩が笑いました。
「で、他の申請は?」
「選考基準を整理します」
「地元優先は?」
「少なくとも居住歴だけで優先する運用はやめます」
「商店会は怒るぞ」
「でしょうね」
「いいのか」
沢渡課長は眼鏡をかけ直しました。
「市役所は、商店会の機嫌だけで処分する機関ではありません」
相馬先輩がにやりとしました。
「分かってんじゃねえか」
「分かっていたから見直したんです」
沢渡課長。
こういうところです。
この人がただの悪役にならない理由。
間違いを認めたわけではない。
行政運用上のリスクを計算し直した。
慣習を守る利益。
それと。
憲法十四条に反する差別的運用だと争われる危険。
比べて。
後者を避けた。
合理的です。
恐ろしく合理的。
「朝比奈さん」
「はい」
「一つだけ」
「何でしょう」
「憲法は便利な万能札ではありません」
「分かってます」
「違う扱いをしたら全部十四条違反、ではない」
「はい」
「合理的な区別は必要です」
「分かっています」
「なら結構です」
三日後。
駅前朝市。
朝六時半。
「眠い……」
「お前が来たいって言ったんだろ」
相馬先輩が欠伸をしました。
「事件の結末は見届けたいじゃないですか」
「俺を巻き込むな」
「先輩も来たかったんでしょう」
「違う」
「じゃあ何で来たんです?」
「朝飯」
「最低」
朝市には。
魚。
野菜。
漬物。
干物。
卵。
パン。
いろいろな店が並んでいました。
その端に。
新しい白い布を掛けた台があります。
宮下惣菜店。
手書きの札。
おにぎり。
卵焼き。
煮物。
鯖の塩焼き。
「朝比奈さん!」
宮下さんが私たちを見つけました。
「来てくれたんですか」
「はい」
「所長さんは?」
「朝は弱いそうです」
「嘘つけ」
相馬先輩が言います。
「所長はもう事務所で仕事してる」
「先輩」
「何だ」
「私を駄目な人みたいにするのやめてもらえます?」
「事実だろ」
宮下さんが笑いました。
あの日。
事務所で。
よそ者だから仕方ないんでしょうか。
そう言っていた人と、
同じ人です。
「どうです?」
「まだ始まったばかりですけど」
宮下さんが周りを見ました。
「隣のお魚屋さんが、氷余ったら使っていいって」
「地元の人ですか」
「生まれてからずっとだそうです」
「揉めませんでした?」
「全然」
私は相馬先輩を見ました。
「先輩」
「何だ」
「居住歴、協調性と関係なかったですね」
「役所に言え」
「聞こえてますよ」
後ろから声がしました。
振り向く。
「うわっ」
沢渡課長。
朝市の巡回に来ていました。
「驚かないでください」
「休日も働くんですね」
「市の事業ですから」
「公務員大変だ」
「あなたに言われたくありません」
そのとき。
宮下さんが包みを二つ差し出しました。
「これ、どうぞ」
「何です?」
「おにぎり」
相馬先輩が受け取る。
「ありがとうございます」
「先輩、こういう時だけ礼儀正しいですね」
「食い物には敬意を払う」
「人にも払ってください」
宮下さんが、もう一つ沢渡課長へ差し出しました。
「課長さんも」
「いや、私は勤務中ですので」
「じゃあ終わってから」
「……代金は払います」
「最初くらい」
「払います」
頑固。
でも。
宮下さんは嬉しそうでした。
沢渡課長が財布を出します。
普通に買いました。
おにぎり二つ。
「何味です?」
私が聞きます。
「なぜあなたに報告する必要が」
「気になるじゃないですか」
「梅と昆布です」
「渋い」
「放っておいてください」
私は笑いました。
朝市の向こうでは。
昔からこの町にいる人。
去年店を始めた人。
隣町から通ってくる人。
半年前に引っ越してきた宮下さん。
いろんな人が同じ通路に立っています。
でも。
同じではありません。
売っているものも違う。
店の大きさも違う。
経験も違う。
事情も違う。
だから。
法律は。
何でも同じにしろとは言わない。
違いがあるなら。
必要に応じて違う扱いをすることも認める。
ただ。
お前は昔からここにいないから。
みんなが嫌がるから。
前からそうしているから。
そんな理由だけで。
一人を輪の外へ押し出すことまでは許さない。
「憲法って」
私は小さく言いました。
「意外と現場にいるんですね」
相馬先輩がおにぎりを食べながら言います。
「当たり前だろ」
「でも、もっと国会とか裁判所とか、大きいところにいるイメージでした」
「馬鹿」
「また馬鹿って言った」
「憲法が必要になるのはな」
先輩は昆布のおにぎりを飲み込みました。
「偉そうな奴が、『昔からこうだから』って言い始めた時だ」
「乱暴ですね」
「間違ってるか?」
私は朝市を見ました。
「……そんなに間違ってないです」
沢渡課長が横から言います。
「かなり乱暴ですが」
「課長まで」
「ただ」
沢渡課長は宮下さんの店を見ました。
「行政の前例は、前例であること自体が理由になるわけではありません」
私は少し驚きました。
「今日の課長、格好いいですね」
「今日の、は余計です」
「いつもより三割増しです」
「帰りますよ」
「照れました?」
「帰ります」
本当に行ってしまいました。
相馬先輩が笑います。
「お前、役所に嫌われる才能あるな」
「行政書士として大丈夫ですかね」
「知らん」
朝日が駅前に差してきました。
宮下さんの白い台が、少し明るくなる。
その上には。
昨日まで置くことさえ許されなかった弁当が並んでいます。
憲法十四条。
法の下の平等。
受験生だった頃の私は。
こう覚えていました。
絶対的平等ではなく、相対的平等。
合理的区別は許される。
恣意的差別は許されない。
正しい。
たぶん試験でも、それで点は取れます。
でも。
今日なら。
もう一つ書き足せます。
平等とは。
みんなを同じ色に塗ることじゃない。
違って扱うなら、
なぜ違っていいのかを、
権力の側に説明させること。
その理由が。
世間。
慣習。
空気。
昔から。
それだけなら。
最高法規は、ちゃんとその輪の外にいる人にも届く。
「先輩」
「何だ」
「今日の教訓、できました」
「聞いてねえ」
「法の下の平等――違いは認める。でも、理由のない差別は認めない」
「普通だな」
「いいんです。法律なんだから」
「そうかよ」
「あ」
私は相馬先輩の手元を見ました。
「それ、私の鮭おにぎり」
「名前書いてなかったぞ」
「平等に一個ずつって言ったでしょう!」
「俺は二個食う合理的理由がある」
「何ですか!」
「体がでかい」
「合理性が弱い!」
「相対的平等だ」
「憲法十四条をおにぎり泥棒の正当化に使わないでください!」
宮下さんが声を上げて笑いました。
朝市の人たちも、何事かとこちらを見る。
ちょっと恥ずかしい。
でも。
悪くありません。
昔からいる人も。
今日ここへ来た人も。
笑い声まで区別する必要はないのです。
昭和六十三年。
憲法の条文は。
未来と一字一句、変わらない。
変わらなければならないのは。
ときどき。
それを読む、人間のほうなのかもしれません。
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