[地方自治法・関与(助言、勧告、是正要求、是正勧告、是正指示、代執行)]法理編 こはるノート
「上から言われた」は、法律上の理由になるとは限りません。
でも。
昭和六十三年では。
その「上」が、本当にものすごく上にいました。
夕方。
片桐行政書士事務所。
駅前夕市から戻ってきた私は、自分の机の上に三本の団子を並べていました。
一本。
私。
一本。
相馬先輩。
一本。
片桐所長。
「なあ」
相馬先輩が言います。
「何です?」
「所長、甘いもの食わねえよな」
「食べますよ」
「見たことねえ」
「だからって先輩のものにはなりません」
「食品ロスだぞ」
「急に社会派にならないでください」
「行政の適正な運営としてだな」
「地方自治法に団子再配分規定はありません」
「条例で作るか」
「議会を巻き込まないでください」
私は団子を紙袋へ戻しました。
今日は負けません。
その横にノートを開きます。
上に大きく書いたのは、
――国・都道府県の関与。
そして、その下。
現代。
技術的助言・勧告。
資料提出要求。
是正要求。
是正勧告。
是正指示。
代執行。
「……多い」
「何がだ」
「未来の地方自治法です」
「また始まった」
相馬先輩が煙草に火をつけました。
「今日の夕市の件を考えると、ここをちゃんと整理したくて」
「今使えねえ制度だろ」
「だからこそです」
私は言いました。
「今日、私、一回盛大に間違えかけたじゃないですか」
「一回?」
「そこ掘ります?」
「やめとく」
優しい。
たぶん。
私はノートの左側に書きました。
昭和六十三年。
右側に書きます。
現代。
そして真ん中に、
平成十一年地方分権一括法。
と書きました。
「まず」
私はペンを持ち直します。
「現代の感覚から」
「昭和に戻れよ」
「比較するんです!」
「面倒くせえな」
でも。
比較すると分かりやすい。
現代の地方自治法では。
国と地方公共団体は、
基本的に上下関係ではない。
対等・協力。
もちろん国全体として統一しなければならない行政もある。
地方だけで完結できない政策もある。
だから、
国が地方公共団体に何も言えないわけではありません。
関与はある。
でも。
「何でも好き勝手に関与していいわけじゃない」
私は言いました。
「そうなのか」
「未来では、かなり細かく枠が作られています」
第一。
法律または法律に基づく政令の根拠が必要。
いわゆる法定主義。
第二。
関与は目的達成に必要最小限。
地方公共団体の自主性、自立性に配慮する。
第三。
手続を明確にし、
公正性、透明性を確保する。
「つまり」
相馬先輩が煙を吐きました。
「国が『俺の言うとおりやれ』だけじゃ駄目になると」
「かなり雑ですが」
「合ってるか」
「方向は合ってます」
「ならいい」
私はノートに書きます。
――関与には、根拠・限界・手続がいる。
「この三つですね」
「で」
相馬先輩が私のノートを覗きます。
「今日の県の紙は?」
「そこが大事なんです」
駅前夕市。
隣の市で食中毒。
県から衛生管理徹底の通知。
市は、
夕市全体を不許可。
古本も。
竹細工も。
輪投げも。
全部です。
「私、最初こう考えました」
私はペンを置きました。
「県の通知が単なる技術的助言なら、市は従う義務はない。是正要求なら拘束力がある。もし不服なら国地方係争処理委員会へ――」
「で」
「全部未来だった」
「そうだ」
「きれいに全滅しました」
昭和六十三年。
ここには、
自治事務と法定受託事務という現在の区分はありません。
国地方係争処理委員会もありません。
そして。
機関委任事務があります。
「ここが最大の差ですね」
私は大きく丸で囲いました。
――機関委任事務。
「相馬先輩」
「何だ」
「機関委任事務って、受験生向けに一言で言うと何です?」
「国の仕事を、知事や市長にやらせる仕組み」
「雑」
「お前が一言でって言ったんだろ」
「じゃあ少し正確に」
相馬先輩は面倒そうな顔をしました。
「本来国が処理すべき事務を、法律なんかで地方公共団体の長その他の機関に委任する」
「はい」
「で、その仕事をしてるときの知事や市長は」
一拍。
「地方公共団体の長ってだけじゃねえ」
「国の機関として扱われる」
「そうだ」
そこ。
現代人の感覚では、
ものすごく引っかかるところです。
市長なのに。
市民に選ばれた市長なのに。
ある事務を処理するときには、
国の機関として動く。
「だから国からの監督も強かった」
「そういうことだ」
片桐所長が帳簿から顔を上げました。
「通達も重かった」
「はい」
「主務大臣の指揮監督を受ける」
「はい」
「地方の自主判断だけでは済まない」
私は頷きました。
現代。
国と地方は対等・協力。
昭和六十三年。
少なくとも機関委任事務については、
かなり強い上下関係。
「だから今日」
私は言いました。
「宮下さんが『県が言ったら、市は何でも従わなきゃいけないんですか』って聞いたとき、ちょっと怖かったんですよね」
「何が」
「半分くらい『そうです』になりそうで」
「ならねえよ」
相馬先輩が即答しました。
「え?」
「そこが今日の事件の肝だろ」
私は止まりました。
そうでした。
「機関委任事務がある」
「うん」
「国や県の監督が強い」
「うん」
「だからって、市役所の仕事全部が国の仕事になるわけじゃねえ」
「……はい」
そう。
ここを間違えると、
昭和の中央集権を強調しすぎて、
今度は別の嘘になります。
機関委任事務が強かった。
だから、
県の通知は何についてでも市を拘束する。
ではない。
「今日の事件を分けると」
私はノートに二つの箱を書きました。
一つ目。
食品衛生。
二つ目。
駅前広場の使用。
「県通知が主に問題にしていたのは?」
「食品衛生」
「市が不許可にしたのは?」
「夕市全部」
「同じか?」
「違う」
そこです。
県から通知が来た。
衛生管理を強化しろ。
それ自体には理由がある。
でも。
そこから、
古本屋まで出店禁止。
まで自動的に導かれるわけではありません。
「だから片桐所長が言ったんですよね」
私は所長を見ました。
「切り分けろ、と」
「ああ」
「県が何について言ったのか」
「ああ」
「市が何を決めたのか」
「ああ」
「その二つを混ぜるな」
「そうだ」
私は大きく書きました。
――上からの指示が強くても、その射程は無限ではない。
「これ、試験にも実務にも大事ですね」
相馬先輩が言います。
「法律はだいたい射程が大事だ」
「先輩が射程って言うと物騒ですね」
「何だと」
「何でもありません」
次。
現代法。
私は新しい見出しを書きました。
――関与の五段階。
「五段階?」
相馬先輩が言います。
「ざっくり重要なものを並べるとです」
私は番号を書きます。
一。
技術的な助言・勧告、資料の提出要求。
二。
是正の要求。
三。
是正の勧告。
四。
是正の指示。
五。
代執行。
「一番弱いのは」
「助言・勧告」
「一番強いのは」
「代執行」
「そうです」
「未来は名前が似すぎだろ」
「受験生もそう思ってます」
助言。
勧告。
要求。
勧告。
指示。
もう途中で、
誰が誰に何をしているのか分からなくなります。
「だから事件で覚えます」
私は言いました。
「まず技術的な助言と勧告」
現代なら。
各大臣は、
都道府県や市町村に。
都道府県は、
市町村に。
自治事務や法定受託事務について、
適切な運営のための技術的な助言や勧告をすることができる。
必要な資料の提出を求めることもできる。
「ここは比較的緩い」
「強制じゃねえと」
「そうです」
「今日の県通知に近い感じか」
「感覚としては似ていても、昭和六十三年の制度を現代法の箱にそのまま入れたら駄目です」
「お」
「成長しました」
「自分で言うな」
大事なのは。
昭和六十三年の通知を、
現代法上の技術的助言だ。
とラベル付けすることではありません。
時代が違う。
制度が違う。
でも。
未来の仕組みと比較することで、
何が変わったのかが見える。
「次」
私は二番を丸で囲みました。
是正の要求。
「名前から強いですね」
「要求だからな」
現代法では。
地方公共団体の事務処理が法令に違反している。
または、
著しく適正を欠き、
かつ、
明らかに公益を害している。
そう認められる場合に、
一定の主体から是正を求める。
「そして」
私は赤線を引きます。
「是正要求には法的拘束力があります」
「従わなきゃならねえ?」
「必要な是正・改善措置を講じる義務があります」
「助言より一段どころか、かなり強いな」
「はい」
でも。
ここで現代法らしい仕組みが出てきます。
「不服があったら?」
「争える」
「どこで」
「国と地方の間なら、国地方係争処理委員会」
「また未来の怪しい組織が出てきたな」
「怪しくないです!」
「昭和にねえんだろ」
「ないです」
「じゃあ怪しい」
「時代差です」
私はノートに書きました。
――強い関与を認めるなら、争う仕組みも必要。
ここ。
かなり大事です。
国と地方を本当に対等・協力と言うなら。
国から強い関与を受けた地方公共団体が、
「その関与は法律上おかしい」
と言える仕組みが必要になる。
「昭和六十三年には?」
相馬先輩が聞きます。
「少なくとも現在の国地方係争処理委員会制度はありません」
「つまり」
「現代ほど、国と地方の争いを『対等な法的紛争』として整理する仕組みが整っていなかった」
私は少しペンを止めました。
「これ、かなり大きいですよね」
「何が」
「制度って」
私は言いました。
「権限を与えるだけじゃ駄目なんですね」
「ほう」
「国に関与権限を与えるなら、その限界も決める」
「うん」
「地方に従う義務を負わせるなら、違法な関与を争う道も用意する」
「うん」
「そこまでセットにしないと対等にならない」
片桐所長が静かに頷きました。
「そういうことだ」
三番。
是正の勧告。
「これがややこしいです」
「また勧告か」
「はい」
現代法で。
市町村の自治事務の処理が法令違反。
または、
著しく適正を欠き、
明らかに公益を害する。
そんな場合。
都道府県の執行機関が、
市町村に対して是正を勧告できる。
「で」
相馬先輩が聞きます。
「これは拘束力あるのか」
「ありません」
「要求はある」
「はい」
「勧告はない」
「はい」
「名前で覚えられそうだな」
「油断すると試験で逆にされます」
是正要求。
拘束力あり。
是正勧告。
拘束力なし。
「だから」
私は続けました。
「この是正勧告については、国地方係争処理委員会や自治紛争処理委員による係争処理の対象にならない」
「何で?」
「法的拘束力がないから」
「なるほど」
勧められているだけ。
それ自体で法的に従う義務を負わされているわけではない。
だから、
法的紛争処理の対象にもならない。
「試験ではこの組合せですね」
私はノートに書きました。
是正要求。
拘束力あり。
争える。
是正勧告。
拘束力なし。
係争処理できない。
「名前似てるのに結構違うな」
「だから嫌われるんです」
「誰に」
「受験生に」
四番。
是正の指示。
「ここからさらに強くなります」
「何の事務にできる」
「法定受託事務」
私は大きく囲みました。
「ここ重要です」
自治事務ではなく。
法定受託事務。
地方公共団体が処理するけれど、
国の役割との関係が特に強い事務。
その処理が法令違反。
または著しく適正を欠き、
明らかに公益を害する。
そんなとき。
各大臣や都道府県の執行機関から、
是正の指示ができる場合がある。
「要求より強そうだな」
「名称どおりです」
「じゃあ未来でも国は結構強いじゃねえか」
相馬先輩が言いました。
「そうなんです」
私は頷きます。
「地方分権って」
ここは誤解しやすい。
国が何も言えなくなることではない。
地方が完全独立することでもない。
必要な関与は残る。
ただし。
何となく上だから命令する。
ではなく。
法律で、
誰が。
誰に。
何の事務について。
どんな場合に。
どんな方法で。
関与できるのかを整理する。
「つまり」
相馬先輩が言います。
「上下関係をなくすんじゃなく、権限を法律で切り分けた」
「そういう理解が近いです」
私は今日の事件を思い出しました。
昭和六十三年の私たちは、
県通知の射程を一枚ずつ読み解きました。
現代法では、
その作業を制度そのものがもっと明確にしようとしている。
そう考えると。
平成十一年の改革って、
単なる名前変更じゃない。
「で」
相馬先輩が言いました。
「最後の代執行」
「来ました」
私は五番に二重丸をつけます。
代執行。
一番強い。
「国が地方の代わりにやる?」
「はい。ただし、何でもではありません」
「対象は」
「長の法定受託事務」
「自治事務は」
「代執行できません」
「重要そうだな」
「ものすごく重要です」
私は太字代わりに四角で囲みました。
――自治事務は代執行できない。
もし。
地方公共団体が自治事務を処理していて。
国が気に入らない。
だから国が勝手に代わりに処理する。
そんなことが簡単に認められたら。
自治なんて名前だけになります。
「だから最強の関与には、かなり限定がある」
「長の法定受託事務」
「はい」
「しかも」
私は指を折りました。
いきなり代執行。
ではありません。
まず。
勧告。
期限を決めて是正を求める。
従わない。
次。
指示。
期限を決めて、その事項を行えと命じる。
それでも行わない。
「そこで国がそのまま乗り込む?」
「まだです」
「面倒だな」
「当然です。最強ですから」
次。
高等裁判所。
各大臣などが、
地方公共団体側に当該事項を行うべきことを命ずる裁判を求める。
裁判所が認める。
そこで初めて。
代執行。
「裁判所を挟むのか」
「はい」
「かなり慎重だな」
「だからこそです」
私は言いました。
「国が地方に代わって事務を処理するって、ものすごく強い介入ですから」
勧告。
指示。
高裁への訴え。
裁判。
代執行。
「この順番」
私は言いました。
「すごく現代法っぽいです」
「何が?」
「強いことをするほど、手続を重くしてる」
「ああ」
「行政が便利だから、じゃない」
「うん」
「地方自治への侵害が大きいから、その分だけ条件を厳しくする」
片桐所長が言いました。
「それを忘れるな」
「はい」
「権限の強さだけ覚えるな」
私は所長を見る。
「どういう意味です?」
「行政法は」
所長が言いました。
「強い権限ほど、要件を見る」
短い。
でも。
刺さりました。
是正指示。
代執行。
名前だけなら強そう。
行政書士試験では、
誰が誰にできる。
どの事務にできる。
と暗記する。
でも本当は。
なぜ限定されているのか。
そこが大事。
地方自治を尊重するなら、
国が地方に乗り込む場面は絞らなければならない。
私はノートを一ページ戻しました。
「じゃあ」
今日の本題。
「どうして、機関委任事務は廃止されたんでしょう」
相馬先輩が怪訝な顔をします。
「未来人のお前が知ってんじゃねえのか」
「知識としては」
そう。
知識としては知っています。
平成十一年。
地方分権一括法。
機関委任事務の廃止。
自治事務。
法定受託事務。
国と地方の関係を、
上下・主従から、
対等・協力へ。
試験用テキストなら、
三行で終わります。
でも。
今日の夕市を見たあとでは。
その意味が違って見えます。
「機関委任事務だと」
私はゆっくり言いました。
「地方公共団体の長が、住民に選ばれてるのに」
「うん」
「ある事務では国の機関として動く」
「そうだ」
「国の強い指揮監督を受ける」
「そうだ」
「地方議会や住民のコントロールも、自治事務ほど素直には働かない」
地方自治なのに。
住民が選んだ長が。
国の手足として動く。
もちろん。
全国統一的な行政が必要な場面はあります。
国の政策を地方まで確実に実施する必要もあります。
だから、この仕組みには仕組みなりの理由があった。
でも。
「地方が、自分で考える余地を狭くしますよね」
私は言いました。
「そうだな」
「それに」
今日の事件みたいに。
「県から通知が来た」
その一言だけで。
本来、市自身が判断すべきことまで、
上の意向へ引っ張られる。
法律上絶対に従う義務があるかどうかとは別に。
行政組織の空気として、
上からの通知は重い。
「だったら」
私はノートに矢印を書きました。
機関委任事務。
↓
廃止。
↓
自治事務・法定受託事務。
「仕事の性質を分ける」
「うん」
「地方自身が処理する自治事務」
「うん」
「国との関係が強く、法律で地方に処理させる法定受託事務」
「うん」
「その上で、国が関与できる場合も法律で決める」
「そういうことだな」
相馬先輩が言いました。
「未来では」
私は続けました。
「『上だから言うことを聞け』じゃなく」
一拍。
「『この法律の、この関与だから、ここまで言える』に変える」
相馬先輩が黙りました。
「どうです?」
「分かりやすい」
「褒めた」
「気のせいだ」
またそれです。
「もう一つ」
片桐所長が言いました。
「今日の事件に戻れ」
「はい」
「市はなぜ最初、全部止めた」
「事故を避けたかったから」
「県の通知は」
「食品衛生管理を強化する趣旨」
「市が選んだ方法は」
「夕市全体の不許可」
「そこをどう崩した」
私は考えました。
「県の通知が無効だ、と言ったわけじゃない」
「うん」
「食中毒対策が不要だ、とも言ってない」
「うん」
「食品区画と非食品区画を分けた」
「うん」
「食品については条件を厳しくした」
「うん」
「その上で、夕市全体を潰す必要まではないと示した」
「そうだ」
ここ。
現代法の、
必要最小限の関与。
地方の自主性・自立性への配慮。
という考え方につながります。
ただし。
私は自分で赤線を引きました。
――昭和六十三年の事件に、現代地方自治法の関与規定を直接適用してはいけない。
「これ絶対ですね」
「当たり前だ」
「でも読者が一番混乱するところです」
「読者?」
「何でもないです」
危ない。
第四の壁が開きかけました。
私は言い直します。
「私が一番混乱するところです」
「それなら納得だ」
「ひどい」
現代法を知っているからといって。
昭和六十三年の行政庁に、
「比例原則違反です!」
と現行地方自治法の関与ルールを持ち出す。
それは駄目。
今ある法律で戦う。
でも。
未来の制度を知ることで。
昭和の仕組みのどこが問題だったかは見える。
逆に。
昭和の現場を見ることで、
なぜ現代法が、
法定主義。
必要最小限。
自主性への配慮。
公正・透明な手続。
係争処理。
そんな仕組みを整えたのかが分かる。
「改正って」
私は呟きました。
「前の制度への答案なんですね」
「何だそれ」
「昔こういう問題があった」
「うん」
「だから次はこうしよう、って」
「まあ、そうだな」
法律改正。
受験生には迷惑です。
旧法。
新法。
経過措置。
施行日。
覚えることが増える。
でも。
現場には、
改正される理由があります。
私はノートの最後に表を作りました。
昭和六十三年。
機関委任事務あり。
国と地方の上下関係が強い。
国の指揮監督・通達の影響が大きい。
現代。
機関委任事務は廃止。
自治事務と法定受託事務。
国と地方は対等・協力。
関与は法定。
必要最小限。
自主性・自立性に配慮。
争うための係争処理制度もある。
「うん」
自分で見ても、
かなり分かりやすい。
「次に五つ」
その下。
助言・勧告。
↓
是正要求。
↓
是正勧告。
↓
是正指示。
↓
代執行。
私は途中で止まりました。
「あれ」
「何だ」
「これ単純に一直線で、全部『順番に強くなる手続』って覚えたら危ないですね」
相馬先輩が眉を上げます。
「何で」
「対象となる事務も、主体も、法的拘束力も違うから」
「お」
「たとえば是正要求と是正勧告は別制度」
「うん」
「是正指示は法定受託事務」
「うん」
「代執行は長の法定受託事務に限定」
「そうだな」
「一から五まで必ず順番に進むわけじゃない」
「当たり前だ」
「図だけ見てると危ない」
私は矢印を消しました。
代わりに書きます。
――強弱のイメージは持つ。でも、それぞれ別の要件を確認。
「これですね」
「お前、やっと試験勉強らしくなってきたな」
「前からやってます」
「未来の法律と混ぜながら?」
「そこは成長中です」
そのとき。
電話が鳴りました。
「はい、片桐行政書士事務所です」
『沢渡です』
噂をすれば。
「こんばんは」
『駅前夕市の件で』
「何かありました?」
一瞬、
嫌な予感がしました。
事故?
苦情?
県から追加通知?
『特に問題ありませんでした』
「……それだけですか?」
『念のためです』
「わざわざ?」
『来年度以降の運用方針を担当課でまとめることになりました』
「運用方針?」
『県から衛生関係の通知があった場合でも、催事全体を一律に中止するのではなく、通知の対象、根拠、危険の範囲を確認した上で判断する』
私は思わず笑いました。
「今日、私がノートに書いてたことと同じです」
『知りません』
「上から来た紙ほど、射程を確認する」
『その表現は採用しません』
「分かりやすいのに」
『行政文書に「上から来た紙」とは書けません』
「じゃあ、『関係通知の趣旨及び対象を精査し』とか」
『もう作っています』
「早い」
『行政ですので』
この人、
たまに行政を万能語にします。
「課長」
『何でしょう』
「一つ聞いていいですか」
『どうぞ』
「もし二十年とか三十年後」
『随分先ですね』
「国と地方が今より対等になって」
『はい』
「国の関与について、法律で細かく種類や手続が決められるようになったら」
少しだけ間。
「仕事しやすいと思います?」
沢渡課長はしばらく答えませんでした。
『どうでしょうね』
「そうですか」
『国から自由になる分』
静かな声でした。
『地方は、自分で決めた責任を負うことになります』
私は黙りました。
『上のせいにできなくなる』
「……なるほど」
『自主性というのは、好きにできるというだけではありません』
「責任も増える」
『そういうことです』
さすが沢渡課長。
未来を知らないのに、
核心を刺してきます。
「じゃあ」
私は言いました。
「地方分権って結構大変ですね」
『あなたが勝手に言い出した未来の制度でしょう』
「そうでした」
『では』
電話が切れました。
私は受話器を置きました。
「何だって?」
相馬先輩が聞きます。
「来年から、県通知が来ても対象と範囲をちゃんと確認して判断するそうです」
「いいじゃねえか」
「あと」
「何だ」
「自主性が増えれば責任も増えるって」
相馬先輩は少しだけ考えて。
「当たり前だろ」
「やっぱりそう言います?」
「上の言うとおりにしてりゃいいなら楽だからな」
その一言で、
平成十一年の改革が少しだけ立体的に見えました。
地方分権。
地方の自由を増やす。
住民に近いところで決める。
国の過剰な関与を減らす。
いいことばかりに聞こえます。
でも。
自分で決めるなら。
自分で説明する。
自分で失敗の責任も負う。
今日の市役所がそうでした。
県通知は、
夕市全部を潰せ。
とは言っていなかった。
全部止めると決めたのは市。
だから。
市自身に説明を求めた。
その結果。
市は自分で判断を変えました。
もしかすると。
それこそが、
地方自治という言葉の重さなのかもしれません。
私はノートの最後に、
いつもの一行を書こうとしました。
――国の関与は必要最小限。
「違う」
消します。
それは現代法の試験暗記としては大事。
でも。
今日覚えたことは、
もう少し深い。
――地方分権とは、国に逆らうことではない。
これも違う。
長い。
もう一度。
ペンを止めます。
そして。
書きました。
――「上から言われた」で止まるな。誰の仕事か、何の権限か、どこまで及ぶかを切り分けろ。
「長え」
相馬先輩が言いました。
「いいんです」
「一行だけど長え」
「内容重視です」
「試験直前に読みにくい」
「じゃあ超短縮版」
その下。
――関与は、根拠・対象・射程を見る。
「それでいいだろ」
「最初から褒めてください」
「褒めてねえ」
「またまた」
私はノートを閉じました。
昭和六十三年。
機関委任事務はまだ現役です。
国から地方へ。
県から市へ。
強い指揮監督と通達が流れてくる。
今よりずっと、
上と下がはっきりした時代。
その後。
機関委任事務は廃止されます。
自治事務。
法定受託事務。
国と地方は対等・協力へ。
国の関与には、
法律上の根拠が求められる。
必要最小限にする。
地方の自主性と自立性に配慮する。
助言なのか。
是正要求なのか。
是正勧告なのか。
是正指示なのか。
そして、
最後の代執行なのか。
誰が。
誰に。
何の事務について。
どこまでできるのか。
細かく切り分けられていく。
それはきっと。
国の力をなくすためではありません。
地方を好き勝手にさせるためでもない。
強い権限が必要な場所では、
法律でその強さを認める。
でも。
必要のないところまで踏み込ませない。
そして。
踏み込まれた側にも、
争う道を残す。
その境界線を法律で引く。
それが。
「上下」から「対等・協力」へ変わるということなのだと思います。
「こはる」
片桐所長が言いました。
「はい」
「団子」
「え?」
「まだあるか」
私は勢いよく紙袋を開きました。
「あります!」
相馬先輩も立ち上がりました。
「所長、甘いもん食うんですか」
「食う」
「じゃあ俺の分と」
「お前のは一本あるだろ」
「所長の半分を」
「却下」
「助言です」
「不要だ」
「勧告」
「従わん」
「是正要求」
「根拠は」
「……」
「是正指示」
「対象事務は」
「……」
「代執行」
「高裁へ行け」
「団子一本で!?」
私は吹き出しました。
「先輩」
「何だ」
「今日の勉強、ちゃんと身についてますね」
「うるせえ」
「代執行には手続が必要です」
「未来の制度だろうが」
「そうでした」
私は自分の団子を一本取ります。
片桐所長も一本。
相馬先輩も一本。
三人で同時に食べました。
「……うまいな」
相馬先輩が言います。
「ですね」
「もう一本なかったか」
「ありません」
「資料提出要求」
「提出対象が違います」
「技術的助言として、買ってこい」
「拒否します」
「こはる」
「はい」
「自主性と自立性を尊重して、自分で決めろ」
「じゃあ帰ります」
「それは駄目だ」
「対等・協力は!?」
片桐所長が静かに湯呑みを置きました。
「仕事を終えてからだ」
強い。
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所に地方分権の波が届くには。
平成十一年より、
もう少し先まで待たなければならないようです。
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