[地方自治法・会計と予算、収入と支出、決算]法理編 こはるノート
お金は、使った瞬間より。
使う前と、使った後のほうが、ずっと面倒です。
夕方。
片桐行政書士事務所。
窓の外では、駅前の新しい案内板に西日が当たっていました。
あの一千二百万円の歓迎塔は、結局建ちませんでした。
議会で削られたあと、市が予備費を使って似たようなものを作るのではないか。
そんな疑いから始まった今回の騒動。
質問書を出し。
市の説明を紙に残し。
最終的には、
旧歓迎塔と同一または実質的に同一の施設を、予備費で整備することはしない。
そこまで市役所に明言させた。
代わりに。
駅前には古くなっていた案内板の改修。
派手ではない。
でも、観光客にはたぶん歓迎塔より役に立つ。
「……地味だなあ」
私は窓の外を見ながら呟きました。
「何がだ」
向かいの机で、相馬先輩が新聞を読んでいます。
「地方自治法の会計って」
「今さらか」
「だって、予算とか決算とか、単語だけ見たら全然事件になりそうにないじゃないですか」
「なっただろ」
「なりましたね」
「一千二百万で」
「なりましたね……」
私は机に戻りました。
ノートを開く。
今日の見出し。
――地方公共団体の会計と予算。
その下に、
予算。
予備費。
会計年度。
継続費。
繰越明許費。
債務負担行為。
地方債。
一時借入金。
収入。
支出。
決算。
ずらり。
「多い!」
「閉じるな」
ノートを閉じかけた私に、相馬先輩が言いました。
「まだ何もしてませんよ」
「顔が逃げてた」
「会計分野って、行政書士試験でも字面が眠いんですよ」
「役所の金が眠かったら困るだろ」
「そうなんですけど」
奥の机から、片桐所長が言いました。
「歓迎塔から始めろ」
「はい?」
「分からないなら、事件から戻れ」
なるほど。
私はノートの真ん中に、
歓迎塔 一千二百万円
と書きました。
「市長は歓迎塔を作りたかった」
「ああ」
「だから予算案に一千二百万円を載せた」
「ああ」
「でも議会で削られた」
「ああ」
「だから予備費で――」
「使えない」
「はい」
今回の核心。
そこでした。
私は大きく書きます。
――予備費。
予算外の支出。
または、
予算超過の支出。
そういう、当初予算だけでは処理できない支出に備えるためのお金。
「一般会計では?」
相馬先輩が聞きます。
「必ず計上する」
「特別会計は?」
「計上しないこともできる」
「よし」
このあたりは試験問題っぽい。
私は少し調子に乗りました。
「つまり一般会計では、予備費ゼロの予算は――」
「原則駄目だ」
「はい」
「で、予備費を使うのに、いちいち議会の議決が要るか」
「要りません」
予備費は、
長の判断で使える。
そこだけ見ると、かなり強い。
議会で細かい補正予算を組む前に、
予想外の支出へ対応できる。
「例えば」
私は考えました。
「台風で市役所の屋根が飛んだ」
「縁起でもねえな」
「分かりやすい例です」
「続けろ」
「年度途中だから、その修繕費が当初予算にない」
「うん」
「でも雨漏りしたまま次の議会まで待てない」
「うん」
「そこで予備費」
「そういう使い方なら分かりやすいな」
ただし。
予備費は災害専用ではありません。
予測できなかった予算外の支出や、
予定額を超えた支出に充てるための仕組みです。
だから、
急な修繕でも、
事情によっては別の行政需要でも、
使える余地がある。
でも。
「歓迎塔は駄目だった」
「なぜだ」
「議会が削ったから」
「もう少し正確に」
片桐所長です。
厳しい。
「……議会が、歓迎塔に使う経費を予算から削除した」
「それで」
「議会が否決した費途に、予備費を充てることはできない」
「そうだ」
私はそこに二重線を引きました。
予備費。
長が使える。
でも。
議会が明確に、
そこには使わせない。
と判断した費途には使えない。
「そうしないと」
私は言いました。
「議会が予算を議決する意味がなくなりますね」
相馬先輩が煙草を指で回します。
「議会が削る」
「はい」
「市長が予備費で復活させる」
「はい」
「また議会が削る」
「市長がまた予備費」
「終わらねえだろ」
「最悪ですね」
「だから線を引いてある」
予備費は、
長の秘密財布ではない。
そこが一番大事です。
「じゃあ最初から行きます」
私はページをめくりました。
まず。
会計年度。
「地方公共団体の会計年度は」
「四月一日から翌年三月三十一日」
相馬先輩が先に答えました。
「取らないでください」
「遅え」
「私の勉強会ですよ」
私は書きます。
四月一日。
↓
翌年三月三十一日。
これが一会計年度。
「それで」
片桐所長が言いました。
「その年度の歳出は?」
「その年度の歳入をもって充てる」
「名前は」
「会計年度独立の原則」
私は丸で囲みました。
会計年度独立の原則。
言葉だけ見ると、
年度が独立している。
以上。
で終わりそうです。
でも。
歓迎塔の話とつなげると分かる。
「つまり」
私は言いました。
「昭和六十三年度の事業費なら、原則として昭和六十三年度の会計の中で処理する」
「そうだ」
「来年余った金があるから去年の支払いに回そう、とか」
「勝手にはできねえ」
「今年使い切れなかった予算を、そのまま来年も使おう、とか」
「それも原則できねえ」
そこで。
例外が出てきます。
継続費。
繰越明許費。
「嫌な名前ですね」
「法律の制度にかわいい名前を求めるな」
「継続費ちゃん、とか」
「やめろ」
私は書きました。
継続費。
数年度にわたって実施する必要がある事業について、
あらかじめ予算で、
経費の総額や年度ごとの支出などを定め、
数年度にわたって支出できる仕組み。
「歓迎塔が三年がかりの巨大プロジェクトだったら?」
「最初から数年かかるって分かってるなら、継続費を検討することはあるだろうな」
「なるほど」
次。
繰越明許費。
これは少し違います。
「今年中に終わるつもりだった」
「うん」
「予算も今年度分として計上した」
「うん」
「でも特別な事情で、年度内に支出が終わらなくなった」
「そこで翌年度に繰り越す」
「はい」
私は矢印を書きます。
継続費。
最初から複数年度。
繰越明許費。
原則今年度だけれど、事情があって翌年度へ。
「試験でここ、混ぜそう」
「混ぜるな」
「混ぜそうって言っただけです」
「現場で混ぜたらもっと困る」
確かに。
例えば市が、
今年度の歓迎塔予算が消えたから、
来年度に勝手に持っていこう。
なんてことはできない。
年度をまたぐには、
年度をまたぐための制度が必要。
「会計年度独立の原則って」
私は言いました。
「役所のお金を一年ごとに区切って、何をしたか分かるようにする制度なんですね」
片桐所長が頷きます。
「年度をまたいで自由に金を動かせば、いつの歳入で、いつの歳出を賄ったのか分からなくなる」
「だから一年ごとに閉じる」
「そうだ」
次。
会計の区分。
「一般会計と特別会計」
私は書きました。
「一般会計は?」
「普通の行政全般」
相馬先輩が言います。
「雑」
「お前の好きな分かりやすい説明だ」
「まあ合ってますけど」
一般会計。
特別会計に属さない、一般的な行政活動の会計。
道路。
福祉。
教育。
消防。
総務。
いろいろ。
一方。
特別会計。
特定の事業について、
一般会計とは分けて収支を管理する会計。
「市営事業とか」
「水道とか病院とか、制度によって色々だな」
「そして特別会計は」
私はペンを止めました。
「条例で設置する」
「そうだ」
また出ました。
条例。
「役所が偉いんじゃねえ」
私が言いました。
「条例が偉いんだ」
「人の台詞を取るな」
「便利なので」
一般会計と別財布を勝手に作る。
それでは住民から見えなくなる。
だから特別会計には制度上の根拠が要る。
「会計って」
私は呟きました。
「結局、見えなくしないための仕組みが多いですね」
「金は隠れた瞬間に危なくなる」
片桐所長が言いました。
短い。
でも、妙に怖い。
次。
予算。
今回の主役です。
「予算って何ですか」
私は相馬先輩に聞きました。
「知らねえのか」
「確認です」
「一年間に、どれだけ入って、どれだけ使うか決めるもの」
「だいたい正解」
「お前さっきから偉そうだな」
予算は、
単なる家計簿の予想ではありません。
地方公共団体が、
その会計年度に、
どんな収入を見込み、
何にいくら支出するのか。
それを公的に定めるもの。
「しかも」
私は書きます。
会計年度における一切の収入と支出。
予算に編入。
「総計予算主義」
相馬先輩が言いました。
「はい」
一部の収入を予算の外に置く。
一部の支出を別帳簿に隠す。
それでは、
自治体全体のお金の流れが見えません。
だから原則として、
全部入れる。
全部出す。
全部予算に載せる。
「つまり」
私は言いました。
「歓迎塔一千二百万円も、最初は予算に載っていた」
「ああ」
「載せずに、観光協会から何か収入が入ったからそのまま使います、みたいなのは」
「簡単にはできねえ」
「収入と支出は、表に出せ」
「そういうことだ」
私は総計予算主義の横に書きました。
――役所の裏財布を作らない。
「試験答案には書くなよ」
「分かってます」
「じゃあ、予算は誰が作るんです?」
私は続けます。
「議会」
「違う」
相馬先輩即答。
「市長」
「そうだ」
ここ、大事です。
予算を調製するのは長。
市なら市長。
県なら知事。
そして年度開始前に、
予算案を議会へ提出する。
議会がそれを審議し、
議決する。
「つまり」
私は言いました。
「市長が作って、議会が決める」
「雑だが分かりやすい」
「歓迎塔も、市長側が予算案に入れた」
「で、議会が削った」
「はい」
ここで。
現代人の私は少し引っかかります。
「議会って、予算案を修正できるんですよね」
「できる」
「減額は?」
「できる」
「増額は?」
「できる場合がある」
「ただし」
私はペンを構えます。
「長の予算提出権を侵すことはできない」
「そこだ」
議会は、
市長が出した予算案をただ承認するだけではない。
修正できる。
でも。
議会が自分で好き勝手な予算を作って、
長の予算編成権を実質的に奪うことまでは認められない。
「これ」
私は言いました。
「市長と議会、どっちが上とかじゃないんですね」
「当たり前だ」
「それぞれ違う権限がある」
「そういうことだ」
長。
予算を調製し、提出する。
議会。
審議し、議決する。
そして。
成立した予算を執行するのは、
長。
「作る人」
「長」
「決める人」
「議会」
「使う人」
「長」
「すごく雑に言うと?」
「市長が案を出す。議会が認める。市長が使う」
「分かりやすいですね」
「お前が聞いたんだろ」
ここで、
私は今日一番気になっていたことを書きました。
――支出。
「予算が通ったら、もう自動的にお金が払われるんですか」
「そんなわけあるか」
「ですよね」
歳出予算がある。
それは、
その目的に公金を支出できる限度や根拠になる。
でも。
実際に支払うには、
執行手続がある。
契約。
債務の確定。
支出命令。
そして公金の支払い。
「現代の私は」
私は言いました。
「ここで『会計管理者が適法性を確認して支払う』って覚えてました」
相馬先輩が眉をひそめます。
「会計管理者?」
来た。
時代ギャップ。
私は固まりました。
「……あ」
「何だ」
「あああ」
「うるせえ」
「また未来法です」
ここは昭和六十三年。
現代の地方自治法では、
会計管理者。
でも。
この時代。
「収入役」
片桐所長が言いました。
「ですよね!」
「何を喜んでる」
「地雷を踏む寸前だったので」
平成十八年の地方自治法改正より前。
市町村には、
収入役という職がありました。
都道府県なら出納長。
現代では、
これらが廃止されて、
会計管理者へ一本化されています。
「また未来で制度が変わるのか」
相馬先輩が言います。
「変わります」
「役所も忙しいな」
「受験生も忙しいです」
「未来のお前の事情は知らん」
私はノートに太字で書きました。
昭和六十三年。
市町村――収入役。
都道府県――出納長。
現代――会計管理者。
「これ、かなり危ないですね」
「ああ」
「現代の教材をそのまま昭和に持ち込むと」
「存在しねえ役職に支払いをさせることになるな」
「怖い」
転生行政書士受験生。
法律だけでなく、
会計職員まで未来から召喚するところでした。
「収入の方も整理します」
普通地方公共団体に入ってくるお金。
地方税。
分担金。
使用料。
加入金。
手数料。
地方債。
「ここで」
私は丸をつけます。
分担金。
使用料。
加入金。
手数料。
これらについて必要な事項は、
条例で定める。
「何ででしょう」
「住民から金を取るからだろ」
相馬先輩が言いました。
「雑ですけど、感覚は分かります」
行政が、
今日からこの手数料五千円です。
と勝手に決める。
それでは困る。
だから条例。
「逆に地方債は?」
「予算」
「はい」
地方債。
地方公共団体が資金を調達するために行う借入れ。
返済が会計年度を越えるもの。
「歓迎塔を地方債で建てよう」
私が言いました。
「やめろ」
「例です」
「何でも歓迎塔にするな」
「今回の事件なので」
地方債を起こす場合は、
起債の目的。
限度額。
起債の方法。
利率。
償還方法。
そうした事項を予算で定める。
「じゃあ一時借入金は?」
相馬先輩。
今度は試験官の顔です。
「会計年度内に借りて、同じ年度内に返すもの」
「最高額は?」
「予算で定める」
「地方債との違いは」
「年度をまたぐか」
「よし」
地方債。
年度を越えて返す。
一時借入金。
年度内に返す。
「名前の割に一時借入金のほうが試験では怖い」
「何がだ」
「最高限度額」
「覚えろ」
「次」
私は別の囲みを書きました。
――債務負担行為。
「これも字面が強い」
「逃げるな」
「はい」
債務負担行為。
将来にわたる債務を負担する行為について、
予算で定めるもの。
「例えば」
私は言いました。
「市が三年間の大型設備の契約をする」
「ああ」
「今年度だけじゃなく、来年度以降も支払い義務が出る」
「ああ」
「なのに今年度の予算だけ見て契約したら」
「来年の議会が困る」
「そういうことですね」
将来の財布まで縛る。
だから、
将来にわたって負担することを予算上、表に出す。
「継続費と似てます」
「ああ」
「でも同じじゃない」
「違いは?」
私は少し考えました。
「継続費は、数年度にわたる事業について、総額や年割額をあらかじめ定めて執行する仕組み」
「うん」
「債務負担行為は、それとは別に、将来年度にわたる債務負担について予算で定める」
「そうだ」
「教材だと、将来の支出がある程度確定している継続費と、変動の可能性がある債務負担行為、ってイメージでした」
「試験では制度の違いを雑に混ぜるな」
所長が言いました。
「はい」
使う場面は似る。
でも。
法的な仕組みは別物。
ここは言葉だけで覚えると事故ります。
そして。
最後。
決算。
「予算が始まる前の話なら」
私は言いました。
「決算は終わった後の話」
「そうだ」
予算。
いくら入りそうか。
何にいくら使うか。
事前の計画。
決算。
実際いくら入り。
実際いくら使ったか。
年度終了後の実績。
「歓迎塔で言えば」
私は説明します。
「予算案では一千二百万使う予定だった」
「でも削除された」
「結果、歓迎塔には使わなかった」
「それが年度終了後、実際の歳入歳出として出てくる」
「はい」
ここから手続。
試験に出そうな匂いがすごい。
私は姿勢を直しました。
「決算を調製するのは――」
言いかけて止まりました。
またです。
未来では、会計管理者。
でも。
昭和六十三年は。
「収入役」
「市町村ならな」
所長が言います。
「はい」
危ない。
今日二度目。
昭和の市では、
収入役が決算を調製する。
そして、
出納閉鎖後、
所定の期限内に長へ提出する。
「現代の条文を覚えるだけだと、ここも会計管理者って答えちゃう」
「昭和に会計管理者はいねえ」
「転生者殺しですね」
「お前しか死なねえよ」
次。
長はその決算と関係書類を、
監査委員の審査に付す。
「監査委員」
「はい」
住民監査請求の回でも出てきた人たちです。
ここでも登場。
財務の番人は忙しい。
そして。
監査委員の意見を付けて、
議会の認定へ。
「予算は議決」
私は書きます。
「決算は認定」
相馬先輩が机を指で叩きました。
「そこ、間違えるなよ」
「はい」
予算。
これから使う金。
議会が議決する。
決算。
すでに使った金の実績。
議会が認定する。
「じゃあ」
私は聞きました。
「議会が決算を認定しなかったら、支出した金が全部なかったことになります?」
「なるわけねえだろ」
「ですよね」
決算不認定になったからといって、
過去の支出が魔法のように消えるわけではない。
ただし。
政治的、行政的な責任は重い。
不適切な執行があれば、
監査や責任追及の問題にもつながる。
「つまり決算って」
私は言いました。
「後から採点されるんですね」
「また学校か」
「分かりやすいので」
予算。
これでやります。
決算。
本当にこうなりました。
そして、
住民にも要領を公表する。
「ここまでやって」
私は言いました。
「初めて一年分の財布が閉じる」
「そういうことだ」
私はノートを最初から見直しました。
四月一日。
会計年度開始。
その前に、
長が予算を調製。
議会へ提出。
議会が議決。
年度が始まれば、
長が予算を執行。
必要があれば、
予備費。
継続費。
繰越明許費。
債務負担行為。
地方債。
一時借入金。
そうした制度を使いながら、
収入と支出を処理する。
そして年度が終わる。
収入役が決算を調製。
長へ提出。
長が監査委員の審査へ。
監査委員の意見を付けて、
議会の認定へ。
決算の要領を住民へ公表。
「……一周した」
思わず呟きました。
「何がだ」
「お金が」
最初。
使う前に予算。
途中。
ルールに従って執行。
最後。
使った後に決算。
「予算と決算って別の単元だと思ってました」
「違うのか」
「試験のページでは別に見えるんですよ。でも現場だとつながってる」
「当たり前だ」
予算だけでは駄目。
最初に、
こう使います。
と決めるだけなら、
途中で好き勝手できてしまう。
決算だけでも駄目。
最後に、
こう使いました。
だけでは、
事前の民主的統制がない。
だから。
前に予算。
後ろに決算。
その間に執行。
「財布の入口と出口に鍵がある感じですね」
私は言いました。
「入口だけじゃねえ」
相馬先輩が言います。
「途中にも鍵がある」
「予備費とか、支出命令とか」
「そうだ」
「出口にも」
「決算、監査、議会認定」
「……役所の財布、鍵だらけですね」
「人の金だからな」
また。
所長が言いました。
昼にも聞いた言葉。
人の金。
税金だから、
というだけではありません。
住民から集めた。
使用料として受け取った。
手数料として徴収した。
借金として将来世代にも負担を残す。
だから。
市長が善意だから大丈夫。
役人が真面目だから大丈夫。
議員が見ているから大丈夫。
ではない。
誰がやっても、
制度で縛る。
それが会計。
そこで私は、
ふと気づきました。
「所長」
「何だ」
「今回、機関委任事務の話、出ませんでしたね」
相馬先輩が顔を上げます。
「お前、出したかったのか」
「今回の大テーマ、地方自治法なので」
「何でも機関委任事務にするな」
「でも昭和六十三年の地方自治法と現代の違いは大事じゃないですか」
「大事だ」
片桐所長が言いました。
「ただし、制度の違いを事件に無理やり押し込むな」
「はい」
その通りです。
会計と予算の基本構造自体は、
昭和と現代でつながっている部分も多い。
長が予算を作り、
議会が議決し、
執行し、
決算を監査し、
議会が認定する。
でも。
時代によって違うところもある。
「一番分かりやすいのが」
私はノートを指しました。
「収入役と会計管理者」
「そうだな」
昭和六十三年。
市町村には収入役。
都道府県には出納長。
現代。
会計管理者。
「じゃあ地方債は?」
私が聞くと、
所長がこちらを見ました。
「そこも時代を見ろ」
「あ」
嫌な予感。
「今のお前の感覚で、地方債は自治体が自分で好きに決められると思うな」
そうでした。
昭和の地方自治。
地方債についても、
現代より強い国の関与の中にある。
国と地方の関係そのものが、
今とは違う。
現代では地方分権改革を経て、
国と地方は対等・協力という建前へ大きく転換した。
でも。
昭和六十三年。
機関委任事務が生きている時代。
地方の財政運営にも、
国の強い関与が残っている。
「未来だと」
私は言いました。
「地方分権改革で、自治体の自主性がかなり強くなる」
「今は?」
「まだ国との上下関係が濃い」
「そういうことだ」
相馬先輩が煙草を消しました。
「金の話は特にな」
「自由に使える財源がなければ」
私は言いました。
「自治って言っても、できることが限られますもんね」
「口だけ自治でも仕方ねえ」
なるほど。
地方自治は、
条例や議会だけの話ではない。
お金をどこから集め、
何に使い、
借金をどうするか。
財政がなければ、
自治は動かない。
「でも」
私は歓迎塔の新聞記事を見ました。
「今回、市長は法律を知らなかったわけじゃなかったんですよね」
「当たり前だ」
「沢渡課長も」
「あいつは最初から分かってた」
「ですよね」
ここ、大事です。
今回の市役所は、
議会が削った歓迎塔を、
予備費で強引に復活させるつもりだった。
そう断定できる状況ではありませんでした。
むしろ沢渡課長は、
議会で削除された費途へ予備費を充てられないことを承知していた。
だからこそ、
駅前安全対策。
観光案内機能。
仮設設備。
本当に別目的の支出なら可能なのではないか。
その境界を慎重に見ていた。
「つまり」
私は言いました。
「敵が法律を知らないから勝ったんじゃない」
「そうだ」
「相手も分かってる」
「だから書面が要る」
片桐所長が言いました。
その言葉で、
今回の事件が全部戻ってきます。
質問書。
旧歓迎塔と、
新しい設備の違い。
場所。
目的。
規模。
設計。
金額。
予備費を使う理由。
議会修正との整合性。
「こっちが『違法だ!』って叫ぶだけじゃ」
「意味がない」
「相手は『まだ何も決めてません』で終わる」
「そうだ」
「だから」
私は自分で答えました。
「判断過程を紙に残させる」
行政書士は、
議会ではない。
予算を止められない。
監査委員でもない。
裁判官でもない。
でも。
何をしようとしているのか。
その法的根拠は何か。
既存の議決と矛盾しないか。
説明を文書にさせることはできる。
「紙に書けば」
相馬先輩が言います。
「次に違うことをしたとき、残る」
「矛盾が」
「ああ」
それが。
書類で戦うということ。
私はノートの最後に、
今日のまとめを書き始めました。
まず。
会計年度。
四月一日から翌年三月三十一日。
原則として各年度の歳出は、その年度の歳入をもって充てる。
会計年度独立の原則。
例外として、
継続費。
繰越明許費など。
次。
会計。
一般会計。
特別会計。
特別会計の設置には条例。
次。
予算。
すべての収入と支出を予算に入れる。
総計予算主義。
予算は長が調製。
議会が議決。
議会は修正できるが、
長の予算提出権を侵してはならない。
次。
予備費。
一般会計は必置。
予算外、予算超過の支出に充当。
長の権限で使える。
ただし。
議会が否決した費途には使えない。
次。
債務負担行為。
将来年度にわたる債務負担。
予算で定める。
地方債。
年度を越えて償還。
予算で一定事項を定める。
一時借入金。
年度内に借り、
年度内に返す。
最高限度額は予算で定める。
次。
支出。
予算があるだけで自動的に金が出るわけではない。
所定の支出手続を踏む。
昭和六十三年なら、
市町村では収入役。
都道府県では出納長。
現代なら、
会計管理者。
最後。
決算。
収入役が決算を調製。
長へ。
監査委員の審査。
監査委員の意見を付けて議会の認定。
そして住民への公表。
「……多い」
「またそれか」
「でも」
私はノートを眺めました。
「一本につながりました」
「言ってみろ」
片桐所長。
最終問題です。
私は考えました。
「予算で、先に使い道を決める」
「うん」
「執行では、その範囲を守る」
「うん」
「予備費みたいな例外にも限界がある」
「うん」
「年度が終われば、決算で結果を確認する」
「うん」
「だから」
私は少し笑いました。
「公金は、使う前も、使ってる途中も、使った後も、ずっと監視される」
所長が頷きました。
「それでいい」
私は最後の一行を書くことにしました。
一行の覚え書き。
今回なら。
――予備費は、議会を飛び越える財布ではない。
「それ、現場編でも書いてなかったか」
相馬先輩が言います。
「じゃあ変えます」
少し考える。
予算。
執行。
決算。
全部を一行にしたい。
私は書きました。
――公金は、予算で縛り、執行で守り、決算で確かめる。
相馬先輩が覗き込みます。
「珍しく短いな」
「成長しました」
「自分で言うな」
「じゃあ先輩、もっといいのあります?」
相馬先輩は少し考えました。
「人の金は、勝手に使うな」
「雑!」
「意味は同じだろ」
「試験勉強ですよ!」
「一番忘れねえぞ」
否定できない。
私はその下に小さく書き足しました。
――相馬式:人の金は、勝手に使うな。
「書くな!」
「覚えやすいので」
「消せ」
「嫌です」
そこへ、
片桐所長が帳簿を閉じました。
「帰るぞ」
「はい」
私はノートを閉じ、
机を片づけました。
そのとき。
机の下に、
森下さんにもらった草履が見えました。
「あ」
「何だ」
「先輩。これ、事務所用品ってことで経費に――」
「却下」
「まだ何も言ってません」
「草履代だろ」
「はい」
「予算は?」
「ありません」
「予備費」
「だから!」
私は立ち上がりました。
「予備費は便利な財布じゃないって、今日ずっとやったでしょう!」
「じゃあ来年度予算に計上しろ」
「『見習い用草履費』ですか?」
「議会に出せ」
「どこの議会ですか!」
片桐所長が鍵を手に取ります。
「朝比奈」
「はい」
「その草履は森下さんからの贈り物だ」
「はい」
「公金支出ではない」
「……そうでした」
相馬先輩が吹き出しました。
「最初から会計の外じゃねえか」
「総計予算主義で全部入れるんじゃないんですか!」
「市の金じゃねえ!」
「あっ」
事務所に笑い声が響きました。
窓の向こう。
駅前には、
一千二百万円の歓迎塔ではなく、
小さな案内板が立っています。
予算で削られたものは、
予備費でこっそり戻さない。
でも。
行政目的そのものまで捨てる必要はない。
必要なものなら、
法律と予算の枠内で、
別の方法を探せばいい。
そのために、
予算がある。
そのために、
議会がある。
そのために、
決算がある。
地方自治という言葉は、
自由にやっていい、
という意味ではありません。
むしろ。
自分たちの町のお金を、
自分たちで決めるからこそ。
誰が。
いつ。
何のために。
どれだけ使ったのか。
厳しく残さなければならない。
私はノートを鞄にしまいました。
今日の一行。
――公金は、予算で縛り、執行で守り、決算で確かめる。
そして相馬式。
――人の金は、勝手に使うな。
……悔しいけれど。
試験直前に思い出すのは、
たぶん後者のほうだと思います。
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