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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 地方自治法

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349/685

[地方自治法・条例と規則]現場編 「市長が決めた規則だから、罰金です」の嘘。議会が作る条例と、市長が作る規則――役所のルールにも“格”がある

挿絵(By みてみん)

 同じ「役所の決まり」でも。


 誰が決めたかで、できることは違います。


 紙の上では、たった二文字。


 条例。


 規則。


 でも、その二文字を取り違えると。


 人を縛るはずの紙が、


 ただの紙に戻ることがあります。


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


「罰金、三万円だそうです」


 その日の相談者は、そう言って一枚の紙を机に置きました。


「……罰金?」


 私は聞き返しました。


「はい」


 相談者は榊原ミツさん。


 五十八歳。


 駅前で三十年以上、お好み焼きと焼きそばを売っている女性です。


 常設店舗ではありません。


 古い軽トラックを改造した屋台。


 毎週土曜日。


 それと、駅前祭りの日。


 鉄板を載せて、


 キャベツを刻み、


 紅しょうがを散らし、


 湯気の向こうから、


「はいよ、百五十円」


 と声を張る。


 そんな商売を続けてきました。


「それが先週、市の人が来ましてね」


「何と言われました?」


「今月から駅前での移動販売は禁止になったって」


「条例が変わったんですか?」


「じょうれい?」


「あ、すみません。市議会で新しい決まりを作ったとか」


「そんな話、聞いてません」


 ミツさんが差し出した紙を見る。


 上には、


 ――駅前環境整備規則施行に伴う営業指導について。


 とあります。


 私は読み進めました。


 駅前広場周辺における露店、屋台、移動販売等の営業を禁止する。


 違反を継続した者については、三万円以下の罰金の対象となる場合がある。


「……罰金」


 もう一度呟く。


 下には、


 問い合わせ先。


 湖西市総務課。


 沢渡課長。


「あ」


「知ってる人ですか」


「残念ながら」


 残念ながらと言ったら怒られそうですが。


 知っています。


 かなり。


「これ」


 相馬先輩が横から紙を取ります。


「本当に『規則』って書いてあるな」


「はい」


「条例じゃねえ」


「はい」


「で、罰金」


「はい」


 相馬先輩の目が細くなりました。


「……妙だな」


「え?」


 私は先輩を見ました。


「何がです?」


「沢渡がこんな雑な紙を通すか?」


 私は止まりました。


 確かに。


 それでした。


 沢渡課長は冷たい。


 前例を使う。


 通達も使う。


 役所に有利な要件は容赦なく突いてくる。


 でも。


 法的な根拠を取り違えて平然としている人ではありません。


 むしろ逆です。


 こちらが一字間違えれば、


 その一字を拾ってくる人です。


「じゃあ、この紙は?」


「それを見に行くんだろ」


 相馬先輩が言いました。


 ミツさんは不安そうに私たちを見ます。


「あの」


「はい」


「払わないといけないんでしょうか」


「まだ罰金を科されたわけではありません」


 片桐所長が静かに答えました。


「これは指導文書です」


「でも、続けたら罰金って」


「そこを確認します」


「市長さんが決めた規則なら、逆らえないんじゃないんですか?」


 私は紙を見ました。


 市長が決める。


 規則。


 そう。


 地方自治法。


 普通地方公共団体の長は、


 法令に違反しない限り、


 その権限に属する事務に関して規則を制定できる。


 ここまでは知っています。


 私は言いました。


「市長には規則制定権がありますから、駅前管理について細かなルールを定めること自体はあり得ます」


「ほう」


 相馬先輩がこちらを見る。


「成長したな」


「何ですか、その上から目線」


「じゃあ聞く」


「はい」


「規則で罰金は?」


 止まりました。


 罰金。


 刑罰。


 条例。


 規則。


 頭の中で四つの単語がつながる。


「あ」


「気づいたか」


「……規則で刑罰は作れない」


「そうだ」


 相馬先輩が紙を机へ戻しました。


 私は記憶を掘ります。


 条例。


 議会が制定する。


 条例なら、地方自治法の範囲内で罰則を設けることができる。


 一方。


 規則。


 長が制定する。


 規則違反について設けられるのは、


 法令に特別の定めがある場合を除き、


 一定額以下の過料。


 罰金は刑罰。


 過料は秩序罰。


 同じ「金を払わせる」でも、


 法律上は全然違う。


「先輩」


「何だ」


「じゃあ、この紙の罰金って……」


「だから妙なんだよ」


 先輩は紙を指先で弾きました。


「沢渡なら、罰金と過料を間違えるとは思えねえ」


 片桐所長が初めて口を開きました。


「決めつけるな」


「はい」


「沢渡が作った紙とも限らん」


「あ」


 問い合わせ先。


 沢渡課長。


 それは、


 沢渡課長自身が文案を書いたという意味ではありません。


「所長」


「何だ」


「市に確認します」


「まず聞け」


「はい」


「誰が作った文書か」


「はい」


「何を根拠に出したか」


「はい」


「そして」


 所長が紙を指で叩きました。


「本当に現在の法的取扱いを示した文書なのか」


「……なるほど」


 そこまで確認してから。


 初めて攻める。


 行政書士は、


 怪しい紙を見つけたら即座に勝利宣言する仕事ではありません。


 事実と根拠を、


 一枚ずつ剥がしていく仕事です。


「ミツさん」


 片桐所長が言いました。


「今日、市に確認します」


「じゃあ明日の屋台は?」


「今の段階では断言できません」


「……そうですか」


 ミツさんは肩を落としました。


 明日は土曜日。


 駅前祭りの前夜市。


 一年でもかなり売れる日です。


「材料、もう仕入れちゃってるんです」


 キャベツ。


 豚肉。


 小麦粉。


 青のり。


 ソース。


「全部で?」


「三万円ちょっと」


 罰金とほぼ同じ。


 私は紙を見ました。


 一枚の紙で、


 一人の商売が止まる。


 だから。


 紙一枚ほど、


 根拠を雑に扱ってはいけない。


「行きましょう」


 私は立ち上がりました。


「早いな」


「キャベツは待ってくれません」


「法律家の台詞じゃねえな」


「見習いです」


「便利な身分だな」


 市役所二階。


 総務課。


「またですか」


 沢渡課長は、私たちを見るなり言いました。


「まだ何も言ってませんよ」


「榊原ミツさんですね」


 私は止まりました。


「何で分かったんです?」


「今朝、施設管理係から報告が上がっています」


 相馬先輩の眉が上がる。


「何の報告だ」


「現場配布文書についてです」


 沢渡課長は机の引き出しから一枚の紙を出しました。


 私たちが持ってきたものと同じ。


「それ」


 私が言います。


「把握してるんですか」


「十分ほど前に」


 沢渡課長は淡々と言いました。


「まず一つ訂正します」


「何でしょう」


「この文書は、総務課が正式に決裁して出したものではありません」


「え?」


 私は紙を見る。


「でも、問い合わせ先に課長の名前が」


「条例、規則、駅前管理関係の照会先として私の名を入れたのでしょう」


「じゃあ誰が?」


「施設管理係です」


 沢渡課長の声が少し低くなる。


「規則施行に合わせて現場向けの説明文を作った。ところが、内部検討段階の資料にあった『将来、条例改正により罰則を設ける場合がある』という説明を、現場担当が現在の制裁であるかのように書き直して配布した」


 私は瞬きしました。


 相馬先輩が紙を持ち上げる。


「つまり」


「あの『三万円以下の罰金』は、現在施行されている規則の条文ではありません」


「……先に言ってくださいよ!」


「まだあなた方から何も聞いていません」


「それはそうですけど!」


 強い。


 非常に強い。


 こちらが剣を抜いたら、


 相手はもう一本目を処理していました。


「じゃあ」


 私は言いました。


「規則本文には罰金規定はない?」


「ありません」


「過料は?」


「今回の規則には設けていません」


「……」


「確認しますか」


「します」


 即答しました。


 沢渡課長の口元がほんの少し動く。


「そうしてください」


 職員が例規集を運んできます。


 厚い。


 重い。


 昭和です。


 検索窓なんてありません。


 駅前環境整備規則。


 目的。


 対象区域。


 露店営業の禁止。


 許可の例外。


 手続。


 附則。


 罰金。


 なし。


 過料。


 なし。


「本当だ」


 私は呟きました。


 相馬先輩が沢渡課長を見る。


「現場が勝手にやったってことか」


「『勝手に』という言い方は正確ではありません」


「じゃあ何だ」


「法的整理を誤った」


「役所語だな」


「役所ですから」


 火花。


 今日も飛んでいます。


「この文書は回収します」


 沢渡課長が言いました。


「榊原さんにも訂正文を出します」


「じゃあ罰金の件は終わり?」


 私が聞くと。


「罰金の件は、です」


 来た。


 沢渡課長は規則を閉じました。


「露店営業の禁止そのものは別問題です」


 やっぱり。


 簡単には通してくれません。


「市長規則で禁止できると?」


「そのように整理しています」


 片桐所長が言いました。


「根拠を」


「駅前広場管理条例です」


 今度は沢渡課長のほうから例規集を開きました。


 目的。


 使用許可。


 禁止行為。


 そして。


 市長への委任。


 ――この条例の施行に関し必要な事項は、市長が規則で定める。


「条例上」


 沢渡課長が言います。


「駅前広場の適正な管理及び利用秩序の確保は、市の管理事項です」


「それで露店を全面禁止?」


 私は聞きました。


「全面ではありません」


「え?」


「許可を得たものを除く、と規則にあります」


 私は慌てて規則を見る。


 本当だ。


 小さい。


 でも書いてあります。


「……読んでました?」


「当然です」


「ですよね」


 嫌になるくらい当然です。


「駅前再整備に伴い」


 沢渡課長は続けます。


「歩行者動線、防災空間、衛生管理の統一が必要になりました。従前のように各担当が個別判断するのではなく、原則禁止とし、例外的に許可する方式に統一した。それが今回の規則です」


「でも」


 私は言いました。


「条例には『露店を禁止する』とは書いてません」


「書いていません」


「なら、規則で新しい禁止を作るのは委任を越えてませんか」


 沢渡課長は即答しませんでした。


 でも。


 困った顔もしません。


 むしろ。


 待っていた質問が来たような目をしました。


「そこが今日の論点でしょう」


「……え?」


「朝比奈さん」


 沢渡課長は眼鏡を上げました。


「あなた方が本当に争うべきなのは、誤記された罰金ではありません」


 机の上。


 条例。


 規則。


 二冊の例規集。


「条例の委任の範囲内で、市長がどこまで規則を作れるのか」


 私は黙りました。


「禁止という住民への制約を、施行細則として規則に委ねることができるのか」


 沢渡課長が言います。


「そちらでしょう」


 悔しい。


 その通りでした。


 罰金。


 分かりやすい。


 派手。


 試験でも引っかけに使いやすい。


 でも。


 本丸は別にある。


 条例と規則の関係。


 議会が決めるべきこと。


 長が規則で具体化できること。


 どこから先が、


 単なる細目ではなく、


 住民の権利を制約する新しいルールになるのか。


「課長」


 相馬先輩が言います。


「ずいぶん余裕じゃねえか」


「罰金の誤記まで擁護するほど暇ではありません」


「じゃあ現場のミスは認めるんだな」


「当然です」


「担当を庇わねえのか」


「違うものを違わないと言うほうが、後で面倒です」


 沢渡課長らしい。


 味方はしない。


 感情でも守らない。


 でも。


 正しい線から一歩も下がらない。


「国からも」


 沢渡課長が続けました。


「駅周辺の衛生管理、防災空間確保について指導が来ています」


 出た。


 上。


 昭和六十三年。


 今よりずっと重い言葉。


 機関委任事務。


 通達。


 国から県。


 県から市。


 行政の縦線が太い時代。


 私は反射的に言いました。


「でも地方公共団体は国と対等ですから――」


「こはる」


 相馬先輩。


「はい」


「未来へ帰れ」


「……はい」


 またやりました。


 現代なら。


 国と地方は対等・協力。


 自治事務。


 法定受託事務。


 でも。


 昭和六十三年は違う。


 機関委任事務という制度がまだ生きています。


 首長が国の機関として扱われる場面があり、


 国の指揮監督や通達が、


 現代よりずっと強く地方を縛っていた。


「……今は機関委任事務の時代でした」


「そうだ」


「国地方係争処理委員会も」


「何だそれ」


「未来です」


「帰れ」


「二回言わないでください」


 沢渡課長がこちらを見ています。


「何の話です?」


「朝比奈はたまに熱を出す」


 相馬先輩が言いました。


「出してません!」


 片桐所長は沢渡課長を見たまま言いました。


「国の指導があることと、規則の適法性は別だ」


「同意します」


 私は思わず沢渡課長を見る。


 認めた。


「ただし」


 来た。


「国の方針に沿った行政目的が存在することは、規則制定の必要性を判断する事情にはなる」


 なるほど。


 通達がある。


 だから何でもできる。


 ではない。


 でも。


 通達なんて関係ない。


 でもない。


 昭和の役所は、


 その強い縦関係の中で動いている。


「役所が偉いんじゃねえ」


 相馬先輩が机を指で叩きました。


「条例が偉いんだ」


「正確には法令もでしょう」


「細けえな」


「そこを細かくするのが行政です」


「気に入らねえ」


「感情は論点になりません」


「お前ほんと嫌な奴だな」


「褒め言葉として受け取ります」


 強敵です。


 片桐所長が言いました。


「榊原さんは、これまで許可を取って営業していた」


「はい」


「今回の規則施行で、その許可の扱いはどうなった」


「旧許可は失効させていません」


 また即答。


「じゃあ明日の営業は」


「従前の許可が有効である限り、規則上の例外に当たります」


 私は止まりました。


「……営業できる?」


「できます」


「え?」


「榊原さんについては」


 沢渡課長が例規集を閉じます。


「現場担当が、新規則を『一律禁止』と誤解した。それだけです」


「じゃあ今日ここへ来なくても」


「榊原さんは営業できました」


「先に電話してくださいよ!」


「報告を受けたのが十分前です」


「またそれ!」


 完全に負けています。


 いや。


 何に負けているのか分かりませんが、


 ものすごく負けた気がします。


 相馬先輩は笑っていません。


 むしろ沢渡課長をじっと見ています。


「沢渡」


「何でしょう」


「だったら一つ残るな」


「はい」


「規則そのものだ」


 空気が戻りました。


 そう。


 ミツさん個人は、


 旧許可が生きているから明日は営業できる。


 罰金の文言も誤り。


 でも。


 新しく屋台を出したい人は?


 許可更新のときは?


 原則禁止という規則自体が、


 本当に条例の委任範囲内なのか。


「申入書を出す」


 片桐所長が言いました。


「何についてです?」


「二点」


 所長は指を二本立てました。


「一つ。榊原さんへの誤った指導文書の正式な撤回」


「受けます」


「二つ」


 所長は条例を指しました。


「露店営業を原則禁止とする規則が、条例から委任された施行細則の範囲内か。その法的根拠の明示」


 沢渡課長は一秒だけ黙りました。


「それも受けます」


「市の見解を書面で」


「結構です」


 逃げない。


 この人は。


 こちらに間違いがあれば切る。


 役所に間違いがあっても切る。


 そのうえで、


 残った論点では一歩も退かない。


 だから厄介で。


 だからこそ、


 こっちも雑な仕事ができません。


 事務所へ戻る。


「書け」


 片桐所長が言いました。


「はい」


「タイトルは」


「『抗議書』」


「喧嘩したいのか」


「じゃあ『申入書』」


「それでいい」


 私はワープロの前に座りました。


 キーを打つ。


 一行。


 消す。


 また打つ。


 相馬先輩が後ろから覗き込みます。


「まず榊原さん個人」


「はい」


「現場配布文書の罰金記載は誤りだった」


「はい」


「旧許可は失効していない」


「はい」


「だから明日の営業を妨げないことを文書で確認」


「はい」


「次」


 声が低くなる。


「規則そのものだ」


 私は打ちます。


 駅前広場管理条例は、


 一定の事項を市長規則に委任している。


 しかし。


 露店営業について、


 従来の許可制から、


 原則禁止・例外許可という形へ大きく変更することが、


 単なる施行細則の範囲にとどまるのか。


 住民の営業活動を新たに制約する重要事項なら、


 本来、


 議会が条例として定めるべき事項ではないのか。


 条例と規則。


 違いは、


 名前ではありません。


 決める人。


 決められる範囲。


 そこが違う。


「罰金の話は?」


 私は聞きます。


「書く」


 相馬先輩が言いました。


「でも主役にするな」


「なぜです?」


「もう市も誤りだと認めてる」


「あ」


「死んだ論点を殴り続けても仕方ねえ」


 なるほど。


 法律で勝つ。


 というのは、


 相手の間違いをいつまでも責めることではない。


 本当に残っている問題を切り分けることです。


「先輩」


「何だ」


「ちょっと格好いいですね」


「ちょっとは余計だ」


 翌朝。


 九時十五分。


 市役所から書面が届きました。


 早い。


「沢渡課長、本当に仕事速いですね」


「嫌な奴ほど仕事が速い」


「偏見です」


 片桐所長が封を切ります。


 一枚目。


 榊原ミツさんに対する営業指導について。


 罰金記載を含む文書は、


 法的根拠について誤解を招く不適切な記載であった。


 当該文書を撤回する。


 榊原さんの既存許可は有効であり、


 従前の条件に従う限り、


 営業を妨げない。


「よし」


 相馬先輩。


 二枚目。


 駅前環境整備規則について。


 市としては、


 駅前広場管理条例に基づく管理権限及び委任規定の範囲内で制定したとの見解。


 ただし。


 露店営業を原則禁止とする規定については、


 住民の権利利益に与える影響を踏まえ、


 次期市議会に条例改正案を提出し、


 規制内容を条例上明確化する方向で検討する。


「……うまい」


 思わず声が出ました。


「何がだ」


「沢渡課長です」


 規則が違法だった。


 とは認めていない。


 市の見解は維持。


 でも。


 争いが起きる余地は理解している。


 だから。


 議会に条例案を出して、


 法的根拠をより強くする。


「完全には折れてませんね」


「折れる理由がねえからな」


 相馬先輩が言います。


「向こうは向こうで、駅前を管理する必要がある」


「はい」


「こっちは、住民を縛るなら根拠をはっきりさせろと言ってる」


「はい」


「なら」


 片桐所長が言いました。


「議会で決めればいい」


 なるほど。


 それが地方自治です。


 役所と住民。


 勝ち負けではない。


 行政目的がある。


 住民の生活がある。


 その間を、


 誰が、


 どの手続で、


 どの範囲まで決めるのか。


 そこを決めるルールが、


 地方自治法です。


 十一時。


 ミツさんが飛び込んできました。


「先生!」


「はい」


「やっていいって!」


「通知来ました?」


「来た来た!」


 顔が明るい。


「罰金もない!」


「はい」


「焼きそば売れる!」


「はい」


「キャベツ助かった!」


「そこですか!」


「三万円分よ!」


「重要ですね!」


 本当に重要でした。


 ミツさんは大きな包みを机へ置きました。


「これ」


「何です?」


「昼飯」


 開く。


 焼きそば。


 明らかに六人前あります。


「多い!」


「相馬さん食べるでしょ」


「食う」


「即答!」


「差し入れは腹に入るものが正義だ」


「一貫してますね」


 片桐所長も箸を取ります。


「所長も食べるんですか」


「昼だ」


「そりゃそうですけど」


 ミツさんが笑いました。


「先生」


 所長を見る。


「ありがとうございました」


「まだ終わってません」


「え?」


「市は条例改正を検討する」


「じゃあ、また禁止される?」


「可能性はあります」


 ミツさんの笑顔が少し曇る。


 でも。


 所長は続けました。


「そのときは、議会で決める」


「議会」


「住民の代表が議論して決める」


 条例。


 議会。


 そこに意味があります。


 市長が決める規則。


 議会が議決する条例。


 どちらも地方公共団体のルール。


 でも。


 役割は同じではない。


「じゃあ」


 ミツさんが言いました。


「市長さんが決めたからって、何でもできるわけじゃないんですね」


「そういうことです」


 私が答えました。


「でも」


 少し考えて。


「市長規則だから、全部軽いってことでもありません」


「難しいねえ」


「私も今日、沢渡課長に言われました」


「市役所のあの怖い人?」


「はい」


「怖いけど頭いいよねえ」


「そうなんです」


 そこは認めざるを得ません。


 相馬先輩が焼きそばをすすりながら言いました。


「役所が偉いんじゃねえ」


「はい」


「市長が偉いんでもねえ」


「はい」


「議会だって好き勝手できるわけじゃねえ」


「はい」


「法律、条例、規則。それぞれ決められる範囲がある」


「はい」


「その境を越えたら?」


 私は答えます。


「根拠を聞く」


「それだ」


 違法だ。


 無効だ。


 と叫ぶ前に。


 根拠は何か。


 誰が決めたか。


 何を委任されたか。


 どこまで決められるか。


 それを聞く。


 役所の紙に対抗する一番強い言葉は、


 怒鳴り声ではなく。


 ――根拠を示してください。


 なのかもしれません。


 窓の外から、


 駅前祭りの準備をする音が聞こえてきました。


 金槌。


 軽トラック。


 遠くでマイクの試験。


『本日は晴天なり――』


 古い駅前。


 古い制度。


 国から下りてくる強い通達。


 市長の規則。


 議会の条例。


 現代の私は、


 地方自治なんだから、市が自由に決めればいい。


 そんなふうに考えかけていました。


 でも違う。


 自治とは、


 好き勝手に決めていいことではない。


 国にも限界がある。


 市にも限界がある。


 議会にも。


 市長にも。


 それぞれ、


 誰が。


 何を。


 どこまで。


 決められるのか。


 そこまで含めて、


 自治です。


「今日の教訓」


 私は呟きました。


「何だ」


 相馬先輩。


「条例と規則は、どっちも『役所の決まり』でまとめちゃ駄目」


「もう一つ」


 私は焼きそばを一口。


 美味しい。


「怪しい罰則を見つけても、そこで勝った気になるな」


 相馬先輩が少し笑いました。


「沢渡に教わったか」


「悔しいですけど」


「いいじゃねえか」


「何がです?」


「敵が馬鹿だと、こっちも馬鹿になる」


 私は箸を止めました。


「先輩」


「何だ」


「今日、一番格好いいこと言いましたね」


「今日だけか」


「昨日は覚えてません」


「お前な」


 ミツさんが笑います。


「じゃあ私も覚えた」


「何をです?」


「じょうれいは議会」


「はい」


「きそくは市長」


「はい」


「罰金って言われたら」


 少し考えて。


「本当に罰金なのか聞く」


「おお」


 私は拍手しました。


「百点です!」


「で、分かんなかったら?」


「はい」


「片桐先生に持ってくる」


「結局そこ!」


 相馬先輩が笑いました。


「行政書士試験なら半分だが、生活の知恵なら満点だ」


 その日の夕方。


 駅前を通ると。


 鉄板から白い湯気が上がっていました。


「焼きそば百五十円!」


 ミツさんの声。


 子どもが並ぶ。


 会社帰りの人が並ぶ。


 祭りの提灯が風に揺れる。


 たぶん。


 いつか本当に条例ができて、


 あの屋台が駅前から移る日は来るかもしれません。


 議会が必要性を議論して。


 法律の範囲内で条例を作り。


 正しい手続で規制するなら。


 そのときは、


 また別の戦いです。


 でも今日は。


 現場で配られた一枚の紙に書かれた「罰金」が、


 本物の罰金になることはありませんでした。


 そして。


 市長規則だから無効だ、


 という単純な話にもなりませんでした。


 規則にも力はある。


 条例にも力はある。


 ただ。


 その力には、


 それぞれ境界線がある。


 私は屋台の前で焼きそばを一つ買いました。


「また買うのか」


 相馬先輩が呆れます。


「昼のは差し入れです」


「同じだろ」


「これは応援消費です」


「未来っぽい言葉使うな」


「じゃあ昭和風に」


「何だ」


「義理です」


「急に任侠だな」


 ミツさんが腹を抱えて笑いました。


 私は湯気の向こうにある市役所を見ました。


 あの二階には、


 きっと沢渡課長がまだいます。


 今日の書面を片付けて。


 次は市議会へ出す条例案のことでも考えているのでしょう。


「強いなあ」


 私は呟きました。


「誰が」


「沢渡課長」


「今さらか」


「こっちが一本取ったと思ったら、もう次の論点に立ってる」


 相馬先輩は鼻で笑いました。


「だから面白えんだろ」


「先輩、そういう相手好きですよね」


「馬鹿相手に法律やっても腕は上がらねえ」


 悔しいけど。


 たぶん、その通りです。


 法律は、


 相手の失敗を笑うための道具ではありません。


 相手も法律を知っている。


 役所も理屈を持っている。


 そのうえで。


 どちらの根拠が、


 どこまで通るのか。


 そこを詰めるから、


 法律は面白い。


 条例。


 規則。


 たった二つの言葉。


 でも。


 誰がルールを作るのか。


 どこまで人を縛れるのか。


 その境界線を確かめることが、


 案外、


 焼きそば一枚を守ることにつながっている。


 法律というものは。


 やっぱり。


 教科書で読むより、


 少しだけ腹が減るくらいの距離で見たほうが、


 よく分かるようです。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

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