[地方自治法・公の施設]法理編 こはるノート
建物の名前を覚えるだけなら、暗記です。
公園。
図書館。
体育館。
公民館。
でも。
誰のためにあるのか。
誰がルールを決めるのか。
誰を断っていいのか。
そこまで考え始めると、
建物は急に法律になります。
夕方。
片桐行政書士事務所。
私は机の上に三冊並べていました。
地方自治法。
湖西市中央公民館条例。
そして自分のノート。
窓の外では、梅雨の雲が切れかけています。
昼間まで降っていた雨が上がって、
道路だけがまだ黒く濡れていました。
「……公民館って」
「何だ」
向かいの机で相馬先輩が新聞を広げています。
「ただの貸会議室じゃないんですね」
「今さらか」
「今さらだから勉強してるんです」
「昨日まで何だと思ってた」
「市が持ってる便利な建物」
「雑だな」
「自覚はあります」
私はノートの一番上に書きました。
――公の施設。
その下に、
地方自治法二百四十四条。
と大きく書きます。
「今日はここです」
「勝手にやれ」
「付き合ってください」
「嫌だ」
「所長」
「付き合え」
奥の机から片桐所長の声。
相馬先輩が新聞を閉じました。
「この事務所、命令系統が中央集権的すぎるだろ」
「昭和ですから」
「関係ねえ」
「まず」
私はペンを構えました。
「公の施設とは何か」
「言ってみろ」
「普通地方公共団体が設置する」
「うん」
「住民の福祉を増進する目的をもって」
「うん」
「その利用に供するための施設」
「それだ」
私は三つに分けて丸をつけました。
普通地方公共団体が設置。
住民の福祉を増進する目的。
住民の利用に供する。
「昨日の中央公民館は、まさにこれですね」
「ああ」
「市が持っているから公の施設、じゃない」
「そこは間違えるな」
片桐所長が言いました。
「自治体所有の建物が全部、公の施設になるわけじゃない」
「市役所の庁舎とか?」
「そうだ」
「倉庫とか」
「そうだ」
「職員宿舎とか」
「性質によるが、少なくとも住民一般の利用に供する目的の施設とは違う」
「なるほど」
私はノートに書きます。
――所有ではなく、目的と利用を見る。
「公の施設って」
私は言いました。
「『公が持ってる施設』じゃなくて、『住民のために公が利用に供している施設』なんですね」
「そう覚えろ」
相馬先輩が言います。
「名前だけ見ると騙されるぞ」
「道路も入りますもんね」
「公園もな」
「体育館、図書館、公営住宅、上下水道……」
「学校もある」
「思ったより広い」
公の施設というと、
私はどうしても、
文化会館。
公民館。
体育館。
みたいな、
予約して使う建物を想像していました。
でも違う。
住民の福祉のために利用に供される施設。
という軸で考える。
だから、
道路も。
公園も。
図書館も。
公営住宅も。
入ってくる。
「じゃあ昨日の事件で、一番最初に見るべきだったのは」
私は中央公民館条例を開きました。
「これが公の施設かどうか」
「そうだ」
「公民館なら、ほぼ迷わないですけど」
「実務では前提確認を飛ばすな」
所長が言います。
「法律は前提を一個間違えると、そのあと全部ずれる」
「はい」
耳が痛い。
指定管理者を未来から召喚しかけた人間としては、
とても耳が痛い。
次。
設置と管理。
「普通地方公共団体は」
私は条文と条例を見比べます。
「公の施設の設置と管理に関する事項を、条例で定める」
「基本だ」
「昨日も結局、市の都合じゃなく条例を見ました」
「ああ」
中央公民館を、
どこに置くか。
誰が使えるか。
どんな場合に利用を断れるか。
使用時間。
使用料。
管理の方法。
そういうものを、
役所の担当者の気分だけで決めるわけではない。
「だから相馬先輩が」
私は言いました。
「『役所が偉いんじゃねえ、条例が偉いんだ』って」
「俺そんな格好つけたこと言ったか」
「言いました」
「忘れた」
「便利ですね」
「記録に残ってなきゃ知らん」
「行政相手みたいな逃げ方しないでください」
でも。
本当に昨日は、
条例が効きました。
市役所は、
施設管理上適当でない。
と言った。
でも。
条例を見ると、
使用を拒否できる場合には一定の枠がある。
公の秩序。
施設損傷。
管理上の支障。
その他所定の理由。
「ここで大事なのは」
私は言いました。
「『管理上支障がある』って言えば何でも断れるわけじゃない」
「当然だ」
「抽象的な言葉を、具体的事実に落とさないといけない」
「そうだ」
昨日、
予定人数は六十八人。
大会議室の定員内。
利用時間も適法。
設備損傷のおそれもない。
過去のトラブルもない。
それなのに、
市政批判につながるかもしれない。
という理由で断った。
「条例上の『管理』って」
私は考えました。
「内容が気に入らないから止める、って意味じゃない」
「そこをごちゃ混ぜにしたんだろうな」
相馬先輩が言います。
「管理って言葉は便利だからな」
「便利だからこそ、要件を見る」
私はノートに書きました。
――抽象的な拒否理由は、条例上の具体的要件へ分解する。
「次」
私は少し大きく書きました。
――利用拒否。
「昨日の核心ですね」
「ああ」
地方自治法二百四十四条二項。
普通地方公共団体は、
正当な理由がない限り、
住民が公の施設を利用することを拒んではならない。
「これ」
私は言いました。
「受験生の頃、すごく簡単な条文だと思ってました」
「どこがだ」
「だって、『正当な理由がなきゃ拒否しちゃ駄目』でしょう?」
「そうだ」
「その正当な理由が難しいんですね」
相馬先輩が笑いました。
「やっと分かったか」
正当な理由。
これを丸暗記しているだけなら簡単です。
でも現場では。
何が正当なのか。
そこが全部。
「たとえば」
私は指を折りました。
「定員百人の部屋に三百人入れる」
「断れるな」
「施設を壊すおそれが高い」
「断れる」
「深夜まで使わせろ」
「条例違反なら断れる」
「危険物を持ち込む」
「論外」
「じゃあ」
私は一拍置きました。
「市長を批判する」
「それだけじゃ断れん」
「ですよね」
昨日の事件。
そこが境目です。
施設の安全。
秩序。
管理。
設置目的。
そうした理由なら、
拒否が正当になる余地がある。
でも。
役所に都合の悪い意見だから。
市政批判だから。
市長が嫌がるから。
それだけでは、
公の施設の利用拒否を正当化する理由にはなりにくい。
「要するに」
私は言いました。
「施設の性質や管理上の必要から断るのか」
「うん」
「意見の中身が気に入らないから断るのか」
「そこを見ろ」
所長が言いました。
私は二重線を引きます。
――拒否理由は、施設管理との関係を見る。
「次は三項」
私は書きました。
――不当な差別的取扱いの禁止。
「昨日、これが効きましたね」
「ああ」
普通地方公共団体は、
住民が公の施設を利用することについて、
不当な差別的取扱いをしてはならない。
「これも」
私は言いました。
「ただ『差別は駄目』って覚えると危ないですよね」
「不当な、だ」
「はい」
差がある扱い、
全部が禁止されるわけではない。
事情が違えば、
違う扱いになることはある。
たとえば。
定員を守る団体。
守らない団体。
過去に施設を壊した団体。
そうでない団体。
騒音を出す催し。
静かな会議。
事情が違うなら、
扱いが違っても直ちに不当とは言えない。
「だから昨日も」
私は思い出します。
「市長を囲む会が使えたから、高瀬さんたちも絶対使える、ではなかった」
「そうだ」
「人数、時間、利用目的、過去のトラブル、部屋、設備利用まで比較した」
「そこまで揃えて初めて、差の理由が見える」
「はい」
そして。
条件を比べていった結果。
施設管理上、
大きな違いが見当たらなかった。
残ったのは、
市政に賛成か。
市政に批判的か。
という違い。
「ここで初めて」
私は言いました。
「その違いで利用を分けるのは、不当じゃないですかって言える」
「そういうことだ」
相馬先輩が頷きます。
「比較は感情でやるな」
「要件でやる」
「そうだ」
私はノートに書きました。
――差別的取扱いの有無は、似た事例を並べて合理的な違いがあるかを見る。
「ところで」
私はペンを止めました。
「公の施設って、区域外にも置けるんですよね」
相馬先輩が嫌そうな顔をします。
「急に範囲広げたな」
「教材にあるので」
「教材?」
「あ」
「何だそれ」
「独り言です」
危ない。
私は咳払いしました。
「市の施設って、市内にしか置けないと思いがちですけど」
「区域外設置はある」
片桐所長が言いました。
普通地方公共団体は、
他の普通地方公共団体と協議して、
区域外に公の施設を設けることができる。
また。
他の地方公共団体の公の施設を、
自分の住民にも使わせることができる。
「ただし」
所長が続けます。
「協議だけで終わりじゃない」
「議会の議決」
「そうだ」
私はノートに矢印を書きました。
区域外設置。
関係地方公共団体との協議。
そして議会の議決。
「これ、実際どんな場面があります?」
「共同利用の施設だな」
相馬先輩が言います。
「焼却施設とか、体育施設とか、広域で使うもん」
「なるほど」
一つの市だけで全部の施設を持つ必要はない。
隣の町と協議する。
区域外に設ける。
相手方の施設を住民に使わせてもらう。
地方自治は、
市境で全部が切れるわけじゃない。
「でも」
私は言いました。
「勝手にはできない」
「ああ」
「協議と議会」
「そこを落とすな」
試験問題で、
協議だけ。
とか、
首長同士の合意だけ。
とか書かれていたら要注意。
議会の議決。
ここがポイントです。
私は次のページをめくりました。
そして。
少し黙りました。
「来たな」
相馬先輩が言います。
「何がです?」
「お前が昨日暴走したやつ」
「……指定管理者」
「そうだ」
私はノートの上に、
大きく、
未来。
と書きました。
「字がでかい」
「地雷だからです」
「そんなにか」
「転生者にとっては最重要です」
現代の行政書士試験では、
指定管理者制度。
重要です。
普通地方公共団体は、
公の施設の設置目的を効果的に達成するため必要があると認めるとき、
条例に基づいて、
法人その他の団体を指定し、
公の施設を管理させることができる。
でも。
「昭和六十三年には、今の指定管理者制度はありません」
「昨日も聞いた」
「大事なので二回言います」
「三回目だ」
「未来人に厳しい」
私はノートに書きました。
――指定管理者制度は平成十五年改正で導入。
昭和六十三年には存在しない。
「昨日の私」
私は両手で顔を覆いました。
「市職員が駄目なら民間の指定管理者にすればいいって」
「言ってたな」
「法律相談で未施行制度を出すところでした」
「洒落にならん」
「本当に」
でも。
ここが転生ものとして一番面白いところでもあります。
現代なら当然に知っている制度。
試験でも定番。
それがまだない。
制度は永遠ではない。
行政法は、
いつの法律なのか。
そこを確認しないと事故ります。
「じゃあ未来の制度、整理してみろ」
相馬先輩が言いました。
「え?」
「そこまで言うなら覚えとけ」
「未来人に未来法を教えるんですか」
「お前が忘れてるからだろ」
「痛い」
私は書きます。
指定管理者。
条例の定めるところにより指定。
対象は法人その他の団体。
期間を定める。
指定には議会の議決が必要。
管理基準。
業務範囲。
指定手続。
それらを条例で定める。
「毎年度終了後」
私は続けます。
「事業報告書を作成して自治体へ提出」
「未来、細けえな」
「さらに利用料金制度」
適当と認めるときは、
指定管理者が施設の利用料金を収入として収受することができる。
利用料金は、
条例の定めるところにより、
指定管理者が定める。
ただし。
あらかじめ普通地方公共団体の承認が必要。
「つまり」
相馬先輩が言います。
「民間に任せたら好き勝手に料金決めていいわけじゃねえ」
「はい」
「施設の性格は公のまま」
「そこです」
私は指を立てました。
「指定管理者に管理させても、公の施設であることは変わらない」
「うん」
「だから正当な理由のない利用拒否とか、不当な差別的取扱いの禁止とか、その基本は消えない」
「そういう制度だろ」
「はい」
ここ。
すごく大事です。
民間が管理する。
すると、
民間施設みたいに好きな相手だけ使わせていいのでは。
と思いそうになる。
でも違う。
管理主体が変わっても、
公の施設としての性質は残る。
「未来の高瀬さん事件で」
私は言いました。
「仮に中央公民館が指定管理者管理だったとしても」
「うん」
「指定管理者が『市長に批判的だから貸しません』ってやったら」
「同じ問題になるな」
「ですよね」
つまり。
制度が新しくなっても、
住民利用の基本原則まで消えるわけではない。
「じゃあ」
私は少し考えます。
「なんで指定管理者制度ができたんです?」
片桐所長は未来の制度など知るはずがありません。
なので、
そこは私の頭の中の現代知識で整理します。
行政だけが直接管理するより、
民間や各種団体の能力を活用したほうが、
サービス向上。
効率化。
施設目的の効果的達成。
そういった可能性がある。
でも。
「便利だからって」
私は言いました。
「丸投げ制度じゃない」
「当たり前だ」
相馬先輩が言います。
「条例も要る」
「議会の議決も要る」
「期間もある」
「報告もさせる」
「料金も自治体の承認なしに好き勝手できない」
「そういうことです」
公の施設。
住民のための施設。
だからこそ。
管理を外へ出しても、
公共性をコントロールする仕組みが残る。
「現代制度って」
私は言いました。
「便利になった分、管理するためのルールも細かいんですね」
「便利な制度ほど縛れ」
相馬先輩が言います。
「じゃねえと便利な奴が一番偉くなる」
「名言っぽい」
「適当に言った」
「次」
私はページをめくりました。
――特に重要な公の施設。
「これも試験っぽいですね」
「数字が出るやつか」
「はい」
普通地方公共団体が、
条例で定める重要な公の施設のうち、
さらに条例で定める特に重要なもの。
それを廃止する。
または。
長期かつ独占的な利用をさせる。
その場合。
「出席議員の三分の二以上の同意」
「数字は間違えるなよ」
「こういうの、試験直前になると全部混ざるんですよね」
「知らん」
「特別多数議決ってだけで脳内の棚が渋滞するんです」
「整理しろ」
私は書きます。
特に重要な公の施設。
廃止。
または長期かつ独占的利用。
出席議員三分の二以上の同意。
「これ」
私は言いました。
「かなり重いですよね」
「ああ」
「普通の施設利用許可とは全然違う」
「当然だ」
昨日の高瀬さんは、
一晩。
大会議室。
六十八人。
そこに三分の二議決など出てこない。
でも。
もし。
市民体育館を二十年間、
特定企業だけに使わせる。
あるいは、
特に重要な施設そのものを廃止する。
そういう話なら別。
「重要度と独占性」
私は言いました。
「そこが上がると、議会の関与も重くなる」
「住民の施設だからな」
所長が言いました。
「首長だけで簡単に処分できないようにする」
なるほど。
ここも地方自治らしい。
首長。
議会。
住民。
力を一か所へ集めない。
そして。
私は最後の見出しを書きました。
――不服申立て。
「昨日はここまで行きませんでした」
「ああ」
「市が自主的に再検討してくれましたから」
「そうだな」
でも。
もし。
高瀬さんの再申請も不許可になった。
そして、
公の施設を利用する権利に関する処分として争う。
そうなれば。
不服申立ての話が出てきます。
「現代法の教材だと」
私は整理しました。
「普通地方公共団体の長以外の機関や指定管理者がした、公の施設を利用する権利に関する処分についての審査請求は」
相馬先輩が眉を上げます。
「未来の話だな」
「はい。ここは未来法として整理します」
その審査請求は、
普通地方公共団体の長が最上級行政庁でなくても、
その長に対してする。
「最上級行政庁かどうかに関係なく?」
「そこがポイントです」
さらに。
長は、
その審査請求が不適法で却下するときを除き、
議会に諮問した上で裁決しなければならない。
「議会まで出てくるのか」
「はい」
「施設一個の利用許可で?」
「住民の利用権に関わるからでしょうね」
議会は、
諮問を受けた日から二十日以内に意見を述べる。
そして。
長が諮問せず不適法として却下した場合には、
その旨を議会へ報告する。
「ずいぶん念入りですね」
「ああ」
私は少し考えました。
「これも結局」
「何だ」
「公の施設が、単なる役所の財産管理じゃないってことなんでしょうね」
住民が利用する。
利用を拒否される。
その処分を争う。
そこに。
長。
議会。
という地方自治の機関が関与する。
「住民の場所だから」
私は呟きました。
「住民代表の議会まで出てくる」
所長が頷きました。
「筋は通っている」
ここで。
私はノートを一度閉じました。
「疲れたか」
相馬先輩が言います。
「いえ」
「じゃあ何だ」
「昭和と現代の差が、思ったより大きいなって」
地方自治法。
受験生の頃は、
条文番号。
議決要件。
指定管理者。
住民監査請求。
直接請求。
そんな項目の集まりに見えていました。
でも。
昭和六十三年に来てみると。
同じ地方自治でも、
国と地方の関係が全然違う。
今なら。
自治事務。
法定受託事務。
国と地方は対等・協力。
でもこの時代。
機関委任事務が残っている。
首長が、
国の事務について、
国の機関として動く。
上級官庁。
通達。
指揮監督。
昨日、
沢渡課長が県や国の方針を持ち出したとき。
私は一瞬、
現代の感覚で、
なら国と争えばいい。
と言いそうになった。
「昨日、危なかったな」
相馬先輩が言います。
「やっぱり分かってました?」
「顔に出る」
「そんなに?」
「すげえ出る」
「直したい」
「無理だろ」
私はため息をつきました。
「現代なら、国地方係争処理委員会とかもある」
「知らん」
「ですよね」
「何だそれ」
「未来の国と地方の争いを処理する仕組みです」
「今ないなら黙っとけ」
「はい」
ない。
指定管理者制度もない。
外部監査制度もない。
国地方係争処理委員会もない。
便利な新制度は、
まだ来ていない。
「じゃあ昭和の地方自治は」
私は言いました。
「何もできないのか」
「昨日、何した」
所長が聞きました。
「条例を見ました」
「それから」
「地方自治法二百四十四条」
「それから」
「類似事例を比較して、不当な差別的取扱いじゃないかって」
「それから」
「照会書を出して、再検討を求めた」
「できてるだろ」
……はい。
そうでした。
未来の便利な制度がなくても。
住民を守る条文はある。
条例はある。
議会もある。
不服申立てもある。
住民の権利もある。
「昭和の地方自治って」
私はゆっくり言いました。
「国との関係では縦に縛られてる」
「うん」
「でも、その中でも住民と役所の関係まで何でも役所任せじゃない」
「そうだ」
「そこに地方自治法がある」
相馬先輩が煙草を灰皿に押しつけます。
「国が強い時代だからこそ」
低い声でした。
「地元で使える条文を雑に扱うな」
私はその言葉をノートの端に書きました。
「所長」
「何だ」
「昨日の高瀬さんの件、一言で整理するなら?」
「一言か」
「はい」
少し沈黙。
所長が言いました。
「住民のための施設を、行政の好き嫌いで閉じるな」
「分かりやすい」
「試験答案には書くな」
「分かってます」
「じゃあ試験向けには」
私は自分でまとめます。
公の施設。
住民福祉増進目的。
住民利用に供する施設。
設置・管理は条例。
正当な理由のない利用拒否は禁止。
不当な差別的取扱いは禁止。
重要施設の一定の廃止・長期独占利用には特別多数議決。
現代では指定管理者制度あり。
昭和六十三年には今の指定管理者制度なし。
「多い」
私は言いました。
「これ全部一テーマなんですか」
「地方自治法に文句言え」
「条文が横に広い」
「お前のノートもな」
確かに。
見開き二ページを超えています。
そのとき。
事務所の戸が開きました。
「こんばんは」
「高瀬さん」
昨日の相談者。
高瀬美智子さんでした。
手には紙袋。
「これ」
「何です?」
「昨日、公民館で余ったお菓子」
相馬先輩が即座に新聞を畳みました。
「そういう差し入れを待ってた」
「川瀬さんの花のとき文句言ってましたもんね」
「花は食えねえ」
「最低」
高瀬さんが笑います。
「昨日ね」
「はい」
「交通担当の人と、来週一緒に通学路を見ることになったの」
「本当ですか」
「ええ」
「よかった」
「まだガードレールが付くかは分からないけど」
「一歩ですね」
「そう。一歩」
高瀬さんは、
ふと私の机のノートを見ました。
「勉強してるの?」
「はい」
「公民館の?」
「公の施設です」
「難しそうねえ」
「条文だけなら、ちょっと難しいです」
「じゃあ昨日のことを思い出せば?」
「え?」
「私たちが使えなかった。理由を聞いた。おかしいって言った。使えるようになった」
高瀬さんは笑いました。
「それが法律なんでしょう?」
私は少し黙りました。
なんだ。
今日、
一番分かりやすい説明をしたのは、
相談者でした。
「はい」
私は笑いました。
「その通りです」
高瀬さんが帰ったあと。
私はノートの最後のページを開きました。
「来たか」
相馬先輩が言います。
「何がです?」
「一行の覚え書き」
「察しが良くなりましたね」
「毎回やるからだ」
私は考えます。
公の施設。
住民の福祉。
利用拒否。
差別禁止。
条例。
指定管理者。
昭和と現代。
いろいろあります。
でも。
昨日の事件の芯は一つ。
公の施設は、
役所が住民へ恵んでやる場所ではない。
住民のために設けられた場所。
だから、
役所の好き嫌いで扉を閉じてはいけない。
私は書きました。
――公の施設は住民のための場所。断るなら、役所の都合ではなく正当な理由を出せ。
「長い」
相馬先輩が言いました。
「内容が大事です」
「もっと短くしろ」
「じゃあ」
私はその下に書きました。
――公の施設は、役所の私物じゃない。
相馬先輩が黙りました。
「どうです?」
「試験には書くな」
「またそれ」
「でも覚えやすい」
「褒めました?」
「気のせいだ」
またです。
私はノートを閉じました。
窓の外。
中央公民館の方向に、
夕方の灯りがぽつぽつと点き始めています。
たぶん今夜も、
誰かがあそこを使います。
町内会。
子ども会。
読書会。
防災会議。
囲碁クラブ。
住民説明会。
誰かが集まる。
話す。
決める。
笑う。
揉める。
帰る。
そんなことの繰り返し。
公の施設という言葉は、
少し硬い。
でも。
法律が守っているのは、
建物そのものだけではありません。
そこで住民が何かを始める余地。
その場所へ入る権利。
同じ住民として扱われること。
役所に嫌われたからといって、
入口で追い返されないこと。
昭和六十三年。
今より地方は国に強く縛られています。
指定管理者制度もない。
国地方係争処理委員会もない。
便利な仕組みは、まだ先。
それでも。
地方自治法二百四十四条は、
ちゃんとここにあります。
住民のための施設を、
住民のために開けておけ。
正当な理由もなく閉じるな。
不当に人を選ぶな。
条文にすると、
それだけです。
でも。
昨日の高瀬さんたちには、
その「それだけ」が必要でした。
話す場所がなければ。
要望もまとまらない。
声も集まらない。
行政へ届かない。
つまり。
地方自治は、
大きな権限論だけで始まるわけじゃない。
会議室の鍵一本から、
始まることもある。
「こはる」
片桐所長が言いました。
「はい」
「戸締まり」
「もうそんな時間ですか」
「公の施設を勉強したんだろ」
「はい」
「事務所は公の施設じゃない」
「知ってます」
「なら勝手に住民へ開放するな」
「しませんよ!」
相馬先輩が紙袋から饅頭を取ります。
「じゃあ俺、もう一個」
「先輩、それ高瀬さんが皆さんでって」
「俺も皆さんだ」
「不当な独占的利用です」
「公の施設じゃねえ」
「じゃあ条例作ります」
「誰が議会だ」
「所長」
「却下」
「まだ議案出してません!」
片桐所長が帳簿を閉じました。
「出席議員三分の二以上の同意もない」
「所長まで乗らないでください!」
「今ここに三人だ」
「高瀬さんのお菓子に特別多数議決を持ち込まないでください!」
相馬先輩が吹き出しました。
私も笑いました。
地方自治法。
昨日までは、
少し遠い法律でした。
国。
地方。
議会。
首長。
条例。
そんな大きな言葉ばかりが並ぶ法律。
でも今は。
公民館の大会議室。
六十八脚の椅子。
一本の通学路。
そして一枚の使用許可。
そこまで小さくしても、
地方自治はちゃんとそこにあります。
私は机の明かりを消しました。
最後にもう一度、
ノートの一行だけを見ます。
――公の施設は、役所の私物じゃない。
たぶん。
これは試験にはそのまま書けません。
でも。
私はもう、
地方自治法二百四十四条を忘れないと思います。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




