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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 地方自治法

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334/616

[地方自治法・長の専決処分]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 非常口は、出口である前に「例外」です。


 だから。


 開けられる条件を間違えると、


 ただの裏口になります。


 夕方。


 片桐行政書士事務所。


 雨はすっかり上がっていました。


 窓の外には、洗われたような空。


 机の上には、


 東栄地区の地図。


 市議会の資料。


 町内会から届いた礼状。


 そして。


 私のノート。


 表紙を開いて、


 大きく書きました。


 ――長の専決処分。


「……強そう」


「何がだ」


 向かいの机で、相馬先輩が煙草に火をつけました。


「言葉が」


「は?」


「専決ですよ。専決」


「だから何だ」


「市長が『俺が決める』って感じがするじゃないですか」


「実際、長が決める」


「そうなんですけど」


 私は鉛筆を回しました。


「現場を見る前は、もっとこう……首長権限がドーン、みたいな制度だと思ってました」


「頭悪そうな理解だな」


「今は違います!」


「じゃあ言ってみろ」


 来ました。


 突然の口頭試問。


 片桐所長まで帳簿から顔を上げます。


 逃げ道なし。


 私は姿勢を正しました。


「専決処分とは」


「うん」


「本来なら議会の議決が必要な事項について、一定の場合に、長が議会の議決を経ずに処理する制度」


「一定の場合って何だ」


「そこが今日の本題です」


「逃げるな」


「順番です!」


 嫌な先輩です。


 私はノートに見出しを書きました。


 専決処分には、


 二種類ある。


 一つ。


 法定の専決処分。


 もう一つ。


 議会委任の専決処分。


「同じ『専決処分』でも」


 私は言いました。


「入口が全然違うんですよね」


 片桐所長が頷きます。


「そこを混ぜるな」


「はい」


 私は昨日の川沿いを思い出しました。


 大雨。


 増水。


 崩れかけた護岸。


 議会は閉会中。


 臨時会を招集している間にも水位は上がる。


 あのとき使われたのが、


 法定の専決処分。


「じゃあまず」


 私はペンを持ち直しました。


「法定の専決処分から」


 法定の専決処分。


 言葉の通り、


 法律で定められた事情があるときに、


 長が議会の議決を経ずに処理できる制度です。


「事情はいくつだ」


 相馬先輩が聞きます。


「四つ」


「言え」


「はい」


 私は指を一本立てました。


「一つ目。議会が成立しないとき」


 二本目。


「二つ目。出席議員が足りないなどで、会議を開くことができないとき」


 三本目。


「三つ目。特に緊急を要するため、議会を招集する時間的余裕がないとき」


 四本目。


「四つ目。議会が議決事件を議決しないとき」


 相馬先輩が頷きました。


「東栄の件は?」


「三つ目」


「なぜ」


「今晩も雨が降る。護岸損傷が進んでいる。臨時会を招集して補正予算を議決するまで待てないと判断されたから」


「ただ雨が降ってたからじゃねえな」


「はい」


 私はそこに二重線を引きます。


 ここが大事です。


 「緊急です」


 という感情ではない。


 法律上必要なのは、


 特に緊急を要し、


 議会を招集する時間的余裕がないこと。


「つまり」


 私は言いました。


「早く決めたい、では足りない」


「足りねえ」


「議会で揉めそう、でも駄目」


「駄目だ」


「議員に説明するのが面倒」


「論外だ」


「市長が自分で決めたい」


「帰れ」


「誰がですか」


「そんな市長だ」


 なるほど。


 非常に分かりやすい。


 私はノートに書きました。


 ――専決処分は、議会回避の便利制度ではない。


 そもそも。


 地方自治体では、


 議会が議決する事項があります。


 予算。


 条例。


 一定の契約。


 一定の財産処分。


 その他、法律上議会の権限とされているもの。


 長は執行機関。


 議会で決められたことを執行する側です。


「じゃあ」


 私は言いました。


「原則は、議会が決める」


「そうだ」


「専決処分は例外」


「そうだ」


「だから要件を厳しく見る」


「そういうことだ」


 現場編で、


 沢渡課長が慎重だった理由。


 今なら分かります。


 住民の命がかかっている。


 だから急いで使う。


 ではない。


 住民の命がかかっている。


 だからこそ、


 本当に法律上の要件があるのか確認して使う。


 急いでいるときほど、


 例外の根拠が必要になる。


「一つ目は」


 私はノートに戻りました。


「議会が成立しないとき」


「どういう状態だ」


「在任議員の総数が、議員定数の半数に満たない場合など」


「うん」


 たとえば。


 議員の大量辞職。


 欠員。


 その他の事情で、


 議会そのものが正常に成立できない。


「議会で議決しろと言われても」


 私は言いました。


「そもそも議会が成立してない」


「そういう場合だ」


 二つ目。


 議員の出席不足などで、


 会議を開くことができないとき。


「一つ目と似てません?」


「似てる」


「でも違う」


「どこが」


「一つ目は、議会そのものが成立しない」


「うん」


「二つ目は、議会は存在してるけど、会議を開けない」


「そういう整理でいい」


 私は矢印を書きました。


 議会そのものが成立しない。


 会議が成立しない。


 似ているようで違う。


 三つ目。


 緊急性。


 これは東栄地区。


 そして四つ目。


 議決事件を議決しないとき。


 私はここで首をかしげました。


「これ」


「何だ」


「一番怖くないですか」


 相馬先輩が眉を上げます。


「なぜ」


「議会が決めないなら、市長が決めるってことでしょう」


「一定の場合にはな」


「議会が反対してる場合まで?」


「そこは違う」


 私はペンを止めました。


「反対と、議決しないは別です」


 片桐所長が言います。


「否決は議決だ」


「あ」


 そうか。


 議会が、


 「反対です」


 と正式に否決した。


 これは、


 議決しなかったのではない。


 議決した結果、


 否決になった。


「つまり」


 私は書きます。


 議決しない。


 と、


 否決する。


 は違う。


「ここ、試験で引っかけられそう」


「その顔をするな」


「どの顔です?」


「問題集を思い出してる顔だ」


 だって出そうです。


 ものすごく。


 私は次の見出しを書きました。


 ――法定専決の後始末。


「後始末言うな」


「でも後からやるでしょう」


「事後手続だ」


「はい」


 長が法定の専決処分をした場合。


 それで終わりではない。


 次の会議で、


 議会へ報告する。


 そして、


 承認を求める。


「ここ、東栄の件で見ました」


「ああ」


 市長が応急復旧費について専決処分。


 その後。


 市議会で、


 なぜ専決したのか。


 なぜ待てなかったのか。


 金額は適正だったのか。


 業者はなぜそこだったのか。


 議員たちが一つずつ質問した。


「議会の議決を先に飛ばした」


 私は言いました。


「だから後で議会に戻す」


「そう覚えればいい」


「でも」


 ここが面白い。


 いや。


 ややこしい。


 議会が承認しなかったとしても。


 専決処分そのものの効力は、


 当然には失われない。


「ここ、やっぱり変な感じします」


「まだ言ってんのか」


「承認しないのに有効なんですよ?」


「現場を思い出せ」


 護岸。


 土のう。


 応急工事。


 市長が専決処分した。


 工事は完了した。


 あとから議会が、


 承認しません。


 と言ったとして。


「土のうを全部撤去する?」


 相馬先輩が言います。


「しません」


「崩した護岸を元に戻す?」


「戻しません」


「じゃあ分かるだろ」


「実感としては」


 分かります。


 ただ。


 では、


 議会の不承認に何の意味があるのか。


 そこは重要です。


「不承認でも効力には影響しない」


 私は言いました。


「でも、議会の評価は残る」


「うん」


「市長の判断は適切だったのか」


「うん」


「本当に専決処分の要件があったのか」


「うん」


「政治的責任は問われる」


「そうだ」


 つまり。


 効力が残る。


 イコール。


 何をやってもいい。


 ではない。


 法的効力と、


 政治的責任は別。


「法律って」


 私は呟きました。


「効力があるかないかだけ見てると、見落としますね」


「ようやく少しマシになってきたな」


「褒めてます?」


「気のせいだ」


 いつものやつです。


「で」


 相馬先輩が言いました。


「もう一つは?」


「議会委任の専決処分」


 私はページをめくりました。


 こっちは、


 法律上の緊急事態があるから使う制度ではない。


 議会が、


 自分の権限に属する軽易な事項について、


 あらかじめ議決で、


 長に任せておく。


 そんな仕組みです。


「現場編の最後で出ましたね」


「ああ」


「市営住宅の修繕とか、一定額以下の軽微な損害賠償とか」


「実際に何を指定するかは、その議会次第だ」


「はい」


 ここで大事なのは、


 勝手に長が決めるのではないこと。


 議会自身が、


 これなら任せてよい。


 と先に決める。


「だから」


 私は書きました。


 法定専決。


 法律が例外を認める。


 議会委任専決。


 議会があらかじめ任せる。


「入口が違う」


「そうだ」


「そして出口も違う」


「言ってみろ」


「法定専決は、事後報告と承認」


「うん」


「議会委任専決は、事後報告のみ」


「承認は?」


「不要」


「なぜ」


「もう議会が事前に任せてるから」


 相馬先輩が頷きました。


「それでいい」


 私はノートに大きな矢印を書きました。


 法定専決。


 事前の議会意思なし。


 だから事後承認あり。


 議会委任専決。


 事前に議会が指定。


 だから事後承認なし。


「これ、かなり覚えやすいですね」


「理屈で覚えればな」


「昔の私、たぶん丸暗記してました」


「だから忘れる」


「耳が痛い」


 私はここで、


 ふと引っかかりました。


「所長」


「何だ」


「教材とか現代の条文を見ると、専決できない事項として副市長の選任同意とか出てきますよね」


 片桐所長がこちらを見ます。


「副市長?」


「あ」


 言った瞬間。


 気づきました。


 まずい。


 時代。


 昭和六十三年。


「……助役」


 相馬先輩が言いました。


「はい」


「今は副市長なんて役職名じゃねえ」


「ですよね」


 またやりました。


 未来人。


 制度改正地雷。


「現代では、副市長です」


 私は小さく言いました。


「未来の話は知らん」


「はい」


 昭和六十三年当時。


 今の「副市長」に相当する職は、


 助役。


 現代の地方自治法とは、


 役職名そのものも違います。


「しかも」


 私はさらに考えました。


「現代の教材には、指定都市の総合区長の選任同意も専決処分の対象外ってあります」


「総合区長?」


 相馬先輩が完全に知らない顔をしました。


「……未来です」


「便利な言葉だな」


「いや本当に未来なんです!」


「また法改正か」


「はい」


 これです。


 地方自治法。


 行政不服審査法以上に、


 時代で地雷が埋まっています。


 現代の教材では普通に出てくる役職や制度が、


 昭和六十三年には、


 そもそも存在していない。


「じゃあ」


 片桐所長が言いました。


「今の仕事で使うなら」


「昭和六十三年の制度で確認します」


「そうしろ」


「試験勉強で現代法を使うなら」


「その時代の現行法で答えろ」


「はい」


 当たり前です。


 でも転生者には難しい。


 頭の中に、


 昭和版と令和版の地方自治法が同居しています。


 ときどき、


 未来の役職が会議室に乱入してくる。


「でも」


 私は言いました。


「専決処分って、地方自治法の考え方がすごく出ますね」


「何がだ」


「長と議会の関係」


 地方自治体には、


 長がいる。


 議会がある。


 どちらか一方が全部を握る仕組みではない。


 議会が議決し、


 長が執行する。


 互いに別の役割を持つ。


「専決処分って」


 私は続けました。


「一見、市長の力を強める制度に見えます」


「うん」


「でも実際は」


「うん」


「議会が原則だってことを前提にしてる」


 片桐所長が頷きました。


「そこだ」


 専決処分が例外であるということは。


 裏返せば、


 通常は議会の議決が必要ということ。


 緊急だから飛ばす。


 成立しないから飛ばす。


 議決できないから飛ばす。


 でも。


 飛ばせるのは、


 飛ばす理由がある場合だけ。


「非常口があるから」


 私は言いました。


「普段から非常口で出入りしていい、とはならない」


「当たり前だ」


「でも制度って、便利だと使いたくなるでしょう」


「人間だからな」


「だから要件がある」


「そういうことだ」


 私は次に、


 今回の東栄地区の事件を一行ずつ書き直しました。


 第一。


 議会議決事項に関係する補正予算が必要だった。


 第二。


 議会は閉会中だった。


 第三。


 河川護岸が損傷。


 第四。


 降雨継続。


 第五。


 周辺住宅への危険。


 第六。


 臨時会招集まで待つ時間的余裕がないと判断された。


 第七。


 長が専決処分。


 第八。


 応急復旧。


 第九。


 次の会議で議会へ報告。


 第十。


 議会の承認。


「こうやって見ると」


 私は言いました。


「専決処分って単独イベントじゃないですね」


「どういう意味だ」


「専決した瞬間だけ見ちゃ駄目」


 その前。


 本当に議会を待てないか。


 その時。


 何をどこまで処理するか。


 その後。


 議会へ報告する。


 承認を求める。


 全部つながっている。


「つまり」


 私は丸で囲みました。


 ――例外の入口と、事後統制の出口。


 相馬先輩が覗き込みます。


「妙な言い方だな」


「でも覚えやすくないですか」


「まあ」


「褒めた」


「気のせいだ」


「ところで」


 私は少し意地悪な問題を思いつきました。


「先輩」


「何だ」


「議会委任の専決処分で、市長が処理しました」


「うん」


「次の議会で承認されませんでした」


「だから承認は要らねえ」


「あ」


「問題として成立してねえ」


「ですよね」


「雑魚問題だな」


「ひどい」


 でも。


 これが試験では大事です。


 同じ専決処分という言葉を見て、


 全部同じ事後手続だと思うと間違える。


 法定専決。


 報告プラス承認。


 議会委任専決。


 報告のみ。


「じゃあ」


 相馬先輩が逆に聞いてきました。


「法定専決を議会が承認しなかった」


「はい」


「処分は当然に無効になる」


「なりません」


「なぜ」


「不承認でも、専決処分の効力には影響しないから」


「じゃあ不承認に意味はない」


「あります」


「何だ」


「長の判断への政治的評価や責任追及」


「うん」


「専決要件が本当にあったのか、議会が検証する意味もある」


「それでいい」


 よし。


 ちょっと気持ちいい。


 受験生だったころ、


 こういう一問一答を延々やっていました。


 でも。


 当時は、


 ○。


 ×。


 の向こう側に、


 川がありませんでした。


 護岸も。


 避難する住民も。


 市役所で時計を見る沢渡課長も。


 今は全部、


 条文の裏側に見える。


「こはる」


 片桐所長が言いました。


「専決処分の一番危ない誤解は何だ」


 私は少し考えました。


「市長には、議会を通さず決める権限がある」


「それだけか」


「え」


「もう少し正確に」


 私はノートを見ました。


 法定専決。


 要件。


 事後報告。


 承認。


 議会委任。


 事前指定。


 報告。


 なるほど。


「市長が自由に議会を飛ばせる制度だと思うこと」


「そうだ」


 所長が言いました。


「長の権限じゃない」


「え?」


「正確には、長が一定の場合に使える例外的な処理権限だ」


「同じでは?」


「違う」


 所長は静かに言いました。


「原則を忘れるな」


 議会が決める。


 長が執行する。


 そこが原則。


 専決処分だけ切り取ると、


 首長が強く見える。


 でも。


 制度全体で見れば、


 議会制を壊さないために条件付きで置かれた例外。


「原則を忘れると」


 私は呟きました。


「例外が普通に見える」


「そういうことだ」


 私はノートに、


 昭和六十三年。


 と大きく書きました。


「また時代比較か」


 相馬先輩が嫌そうな顔をします。


「大事なんです」


「未来の話だろ」


「未来を知ってるから混乱するんです!」


 地方自治法は、


 この先大きく変わります。


 平成十一年の地方分権一括法。


 国と地方の関係。


 機関委任事務の廃止。


 自治事務と法定受託事務。


 国と地方の関係も、


 今よりずっと整理されていく。


 役職名も変わる。


 新しい制度も増える。


「でも」


 私は言いました。


「専決処分の考え方を見ると、地方自治の根っこは同じですね」


「何がだ」


「誰が決めるのか」


 議会。


 長。


 住民。


 地方自治法は、


 権限の配置図です。


 誰が決めていいのか。


 誰が止められるのか。


 誰がチェックするのか。


「東栄の件も」


 私は言いました。


「市長が助けてくれた、だけで終わったら制度を見失う」


「ああ」


「議会が邪魔だったわけでもない」


「ああ」


「議会を開く時間がなかった」


「ああ」


「だから一時的に長が処理した」


「そのあと議会へ戻した」


「はい」


 そこまでが一つの仕組みです。


 私はノートの最後に、


 表の代わりに二本の矢印を書きました。


 法定専決。


 法律上の理由あり。


 ↓


 長が処理。


 ↓


 議会へ報告。


 ↓


 承認を求める。


 ↓


 不承認でも効力は当然には失われない。


 その下。


 議会委任専決。


 議会が軽易な事項を事前指定。


 ↓


 長が処理。


 ↓


 議会へ報告。


 ↓


 承認不要。


「よし」


 私は満足して頷きました。


「これなら試験前に見ても分かる」


「じゃあ覚え書きは?」


 相馬先輩が言います。


「はい?」


「最後に一行書くんだろ」


「ああ」


 そうでした。


 毎回の、


 一行の覚え書き。


 私は少し考えました。


 専決処分は、


 市長が強い制度。


 ではない。


 議会を無視する制度でもない。


 必要なときだけ、


 議会を待たずに動く。


 そして、


 後から議会の目に戻す。


 私は書きました。


 ――専決処分は、議会を消す権限ではない。待てない時だけ使う、例外の扉。


「長い」


 相馬先輩が言いました。


「内容が大事です」


「一行の覚え書きだぞ」


「じゃあ短縮します」


 その下に書きました。


 ――議会が原則、専決は例外。


 相馬先輩が黙ります。


「どうです?」


「まあ、それでいい」


「今日二回も褒めましたね」


「気のせいだ」


「便利ですね、その言葉」


 そのとき。


 事務所の扉が開きました。


「こんばんは」


 東栄町内会長の柴崎さんでした。


 手には紙袋。


「どうしたんです?」


「この前のお礼に」


「お気遣いなく」


「町内会で余ったんで」


 紙袋を開く。


 中から出てきたのは、


 軍手。


「……軍手?」


「防災訓練用」


 嫌な予感がします。


「朝比奈さんの分」


「私の?」


「土のう積み、来るんでしょう?」


 私は相馬先輩を見ました。


 相馬先輩が露骨に目をそらしました。


「先輩」


「何だ」


「これ、事前に議会委任されてます?」


「何の話だ」


「私が土のう積みする件です」


「議会関係ねえ」


「じゃあ緊急性は?」


「ない」


「会議が開けない?」


「関係ねえ」


「議決しない?」


「そもそも議決事件じゃねえ」


 完璧です。


 逃げ道がありません。


 柴崎さんが軍手を差し出します。


「朝八時集合です」


「早い……」


「防災は朝が早い」


「専決処分で午後からに」


「できねえ」


 相馬先輩が即答しました。


「議会委任で」


「できねえ」


「じゃあ所長判断で」


 片桐所長を見る。


「行ってこい」


 即決。


「それこそ専決じゃないですか!」


「事務所内の業務命令だ」


「承認手続は?」


「不要」


「事後報告は?」


「月曜にしろ」


「何を報告するんです!」


 柴崎さんが笑いました。


 相馬先輩も笑います。


 私は軍手を受け取りながら、


 深いため息をつきました。


 でも。


 少しだけ、


 分かった気がします。


 誰が決められるのか。


 誰の承認が必要なのか。


 誰に報告するのか。


 似た言葉でも、


 権限の根拠が違えば、


 手続も変わる。


 地方自治法とは、


 結局、


 「誰が決めるか」を延々と丁寧に決めている法律なのかもしれません。


 そして。


 誰が決めるかを決めておかないと、


 力のある人が全部決めてしまう。


 だから面倒でも、


 議会がいる。


 だから緊急時には、


 例外がいる。


 でも。


 例外には、


 必ず柵がいる。


 窓の外には、


 すっかり晴れた空。


 あの川の水位も、


 もう下がっているはずです。


 私はノートを閉じました。


 最後の一行だけ、


 もう一度読みます。


 ――議会が原則、専決は例外。


「朝比奈さん」


 柴崎さんが言いました。


「土のう、一袋二十キロくらいですから」


「聞いてません」


「十袋も積めば慣れますよ」


「何にですか」


「自治に」


「物理的すぎる!」


 どうやら。


 地方自治を身体で理解する授業は、


 まだ終わっていないようです。

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