[地方自治法・地方公共団体の長の再議請求権]法理編 こはるノート
多数決は、決めるための仕組みです。
でも。
多数決で決まったことが、
いつでも、そのまま最後の答えになるとは限りません。
地方自治では、
「本当にそれでいいのか」
と、もう一度議場へ戻す仕組みがあります。
問題は。
その「もう一度」が、
お願いなのか。
義務なのか。
そこでした。
夕方。
片桐行政書士事務所。
昨日、市議会で駅前共同催事施設設置条例が再議の末に確定してから、まだ一日しか経っていません。
なのに。
私の机の上には、もう新しい紙の山がありました。
「……再議、多くないですか」
私は言いました。
「昨日だけで三回くらい聞きました」
向かいの机で相馬先輩が新聞を畳みます。
「三回聞いたから三件あったとは限らねえだろ」
「でも最後、災害復旧費の削減まで来たじゃないですか」
「ああ」
「教材みたいな一日でした」
「何だ教材って」
「気のせいです」
便利です。
未来人の失言はだいたい気のせいで処理できます。
私はノートを開きました。
上に大きく書きます。
――地方公共団体の長の再議請求権。
その下。
さらに二本の矢印。
一般的再議請求権。
特別的再議請求権。
「今日はここです」
「勝手にやれ」
「昨日も言いましたよね、それ」
「毎日言うぞ」
「所長」
「付き合え」
奥から即答。
相馬先輩が新聞を置きました。
「この事務所、俺に対する再議制度ねえのか」
「所長の決定に異議がある場合ですか」
「ああ」
「任意再議では?」
「誰が付すんだ」
「所長本人」
「終わってるじゃねえか」
昨日学んだばかりなのに、
うちの事務所の統治機構には早くも問題が見つかりました。
私はまず、ノートの中央に線を一本引きました。
左。
一般再議。
右。
特別再議。
「一番最初に分けるなら」
私は言います。
「理由ですね」
相馬先輩が煙草に火をつけました。
「言ってみろ」
「一般再議は、長に異議があるとき」
「うん」
「特別再議は、議会の議決や選挙に法的な問題があるとき」
「もう少し正確に」
「議会の議決または選挙が、その権限を超えているとか、法令や会議規則に違反すると認められるとき」
「それだ」
私は丸をつけました。
昨日の駅前共同催事施設条例。
条例そのものが違法だと市長が言ったわけではありません。
問題になったのは、
将来の維持管理費。
施設管理責任。
駅前再整備全体との整合性。
財政負担。
つまり。
「市長としては、政策判断として反対だった」
「そうだな」
「だから一般再議」
「そうだ」
「でも、職員退職手当みたいな義務費を議会が必要額まで削っちゃった件は、別」
「ああ」
「そっちは一定の場合、長が『まあいいか』で流せない」
片桐所長が帳簿から顔を上げました。
「言葉を雑にするな」
「はい」
私は書き直します。
一般再議。
長に異議がある。
再議に付すかどうか――任意。
特別再議。
法的な瑕疵など一定の場合。
再議に付す――義務。
「つまり」
私は鉛筆の尻でノートを叩きました。
「一般再議は、『返してもいい』」
「うん」
「特別再議は、『返さなきゃいけない』」
「そう覚えりゃ早い」
私はその下にさらに書きました。
――異議なら任意。違法なら義務。
「昨日と同じじゃねえか」
「強い言葉は二日使います」
「試験前に一週間くらい使いそうだな」
「たぶん使います」
「じゃあ次」
私は見出しを書きました。
――一般再議。
「昨日の市長がやったやつです」
駅前共同催事施設設置条例。
議会で可決。
市長は反対。
でも。
その時点で条例案を握り潰せるわけではない。
「市長ができるのは」
私は言いました。
「理由を示して、議会にもう一度考えさせる」
「それが再議だな」
「はい」
ここで重要なのが、
何について再議するのか。
でした。
一般再議には、
大きく二種類あります。
一つ。
条例の制定・改廃。
そして予算に関する議決。
もう一つ。
それ以外の議決。
「同じ一般再議でも、扱いが違う」
私は言いました。
「昨日、一瞬引っかかりました」
「再議後も普通の多数決だと思っただろ」
「はい」
「甘いな」
「認めます」
昨日の条例案は、
一度目の議決では十三人の賛成で可決。
でも。
再議後は、
同じ十三人では足りませんでした。
「条例の制定改廃や予算については」
私はノートに書きます。
長が送付を受けた日から十日以内。
理由を示して再議。
そして再議の結果。
出席議員の三分の二以上で、
元と同じ議決がされたとき、
その議決が確定する。
「昨日は十六票でした」
「ああ」
「だから確定した」
「そうだ」
「市長が再議したから条例が消えるんじゃない」
「うん」
「議会に戻る」
「うん」
「そして今度は、より強い多数が必要になる」
「そこだな」
私は昨日の議場を思い出しました。
十三。
十四。
十五。
十六。
あの数え方。
受験勉強なら、
三分の二。
で終わる数字です。
でも現場では、
一票違えば条例が生きるか消えるか。
「三分の二って、重いですね」
「普通の過半数よりな」
「でも絶対ではない」
「昨日みたいに超えりゃ確定する」
「だから、市長の拒否権って言っても」
私は少し考えました。
「拒否したら終わり、ではない」
「そういうことだ」
ここ。
大事です。
拒否権。
という名前だけ見ると、
市長が議会案を葬る最終兵器みたいに見えます。
でも。
一般再議は、
議会の議決を永久に封印する制度ではありません。
再び議会へ送り返す。
そこで必要な多数を得れば、
議会の意思が確定する。
「だから昨日、沢渡課長が言ってました」
「何を」
「市長の勝ち負けで考えるのは正確じゃないって」
「まあな」
「市長は問題点を示して再議に付した」
「うん」
「議会は、それでも必要だと三分の二以上で再可決した」
「うん」
「だから確定した」
私はノートの端に書きます。
――再議は「破棄」ではなく「差戻し」。
「それなら分かりやすいな」
相馬先輩が言いました。
「褒めました?」
「気のせいだ」
またです。
「じゃあ、条例や予算以外は?」
私は自分で問いを書きました。
一般再議。
条例の制定改廃・予算以外。
「こっちは期限の起算点も違います」
「言ってみろ」
「議決の日から十日以内」
「うん」
「理由を付して再議」
「うん」
「再議後は、出席議員の過半数で、元と同じ議決をすれば確定」
「そうだ」
私は二つを並べます。
条例・予算。
送付を受けた日から十日。
三分の二。
それ以外。
議決の日から十日。
過半数。
「嫌ですね」
「何が」
「十日だけ同じなのに、中身が違う」
「試験で引っかけるにはちょうどいいな」
「先輩、作問者の顔になってます」
「受ける側が雑だから引っかかるんだ」
「全国の受験生を敵に回しますよ」
でも。
確かにここは危ない。
『十日以内』だけ覚えると、
いつから数えるのか。
どんな多数が必要か。
そこで落ちます。
「覚え方ないですか」
「お前が作れ」
「じゃあ」
私は書きました。
条例・予算は重い。
だから、
送付を受けてから十日。
再可決は三分の二。
その他は、
議決の日から十日。
再可決は過半数。
「ちょっと強引だな」
「物語があれば覚えられます」
「昨日の議会だな」
「はい」
議長の声。
市長の理由説明。
再採決。
十五票目を数えた瞬間。
あれを覚えていれば、
三分の二はたぶん忘れません。
次。
私はノートの右側に大きく書きました。
――特別再議。
相馬先輩が煙草を灰皿に置きます。
「こっちは昨日の後半だな」
「はい」
特別的再議請求権。
特別拒否権。
あるいは、
違法再議。
「一般再議との最大の違い」
「義務かどうか」
「はい」
議会の議決や選挙が、
権限を超えている。
法令に違反している。
会議規則に違反している。
長がそう認めるとき。
「再議か再選挙に付さなければならない」
「そうだ」
「『今回は目をつぶろう』は駄目」
「駄目だ」
「市長の政治判断で流せない」
「そのとおり」
私は二重線を引きました。
一般再議。
長の異議。
任意。
特別再議。
違法等。
義務。
「しかも」
私は続けます。
「一般再議と違って、特別再議には十日みたいな期間制限がない」
「そこも違うな」
「つまり、『十日過ぎたから違法議決をそのまま執行します』では困る」
「当たり前だ」
「そう考えると覚えやすいですね」
法令違反を知っているのに、
十日過ぎたからもういいです。
そんな制度だったら、
十日目の夜に悪いことを考える人が大量発生します。
地方自治法もそこまで不用心ではありません。
「ここで昨日の義務費です」
私は別の紙を出しました。
市議会の予算修正。
職員退職手当に関する必要額を大幅に削減。
「義務費とは」
相馬先輩が聞きます。
「法令などに基づいて地方公共団体が負担しなければならない経費」
「例えば」
「人件費や、公債費」
「そうだな」
公債費。
地方債の元利償還金など。
つまり、
払うか払わないかを自治体の気分で決められないお金。
「議会って予算を削れるんですよね」
「ああ」
「でも、削った結果、法令上払わなきゃいけないものまで払えなくなったら困る」
「そういうことだ」
「だから義務費を必要額まで削除・減額する議決がされた場合」
私は線を引きます。
――長は、理由を付して必ず再議に付す。
「これが特別再議」
「そうだ」
「議会の予算修正権にも限界がある」
「そういう見方でもいい」
私は少し考えました。
議会は予算を審議する。
市長が出した予算を、
何でもそのまま飲むわけではない。
削ることもある。
でも。
地方公共団体が法律上どうしても払わなければならない費用まで削って、
実行不能にしてしまう。
そこは止める。
「再議って」
私は言いました。
「議会の暴走を止める意味もあるんですね」
「逆もある」
所長が言いました。
「長の暴走を議会が止める」
「あ」
「だから片方だけ見るな」
「はい」
地方自治。
片方が偉い。
ではない。
議会。
長。
両方が住民から選ばれる。
両方に権限がある。
だから衝突する。
そして。
衝突することを前提に、
再議みたいな調整制度が置かれている。
「昨日の所長の一言」
私は言いました。
「二元代表制」
「そうだ」
「これ、再議の背景として大事ですね」
議会が可決した。
それで全部終わりではない。
長も住民から直接選ばれている。
だから、
異議を示す制度がある。
でも長が最終決定者でもない。
議会が必要多数で再議決すれば確定する。
この押し引き。
面倒。
でも。
面倒だからこそ、
一人や一つの機関だけで自治体が動かない。
私は次の見出しを書きました。
――非常災害対策費・感染症予防費。
「昨日の電話の続きです」
「ああ」
「町議会が災害復旧費を削ったってやつ」
「所長が朝から確認してたな」
片桐所長が一枚の資料を机に置きました。
「河川の応急復旧費だ」
「かなりまずいやつじゃないですか」
「豪雨で護岸が崩れている」
「それ削ったんですか」
「財源不足を理由にな」
私は思わず顔をしかめました。
非常災害対策費。
災害に対する応急・復旧のための費用。
こうした費用を削除・減額する議決についても、
長は理由を付して再議に付さなければならない。
「命とか安全に直結しますからね」
「ああ」
「感染症予防費も同じ考え方」
「そうだ」
現代の私なら、
感染症。
入院勧告。
公費負担。
そんな制度を思い浮かべます。
でもここは昭和六十三年。
感染症関係の法制度そのものも、
後世とは形が違う部分がある。
私は危うく未来の制度名まで口に出しそうになって、
飲み込みました。
「また未来見たか」
相馬先輩が言います。
「最近、観察力上がってません?」
「顔に出すぎなんだよ」
とにかく。
制度の名前や感染症法制の細かい形は時代で変わっても、
地方公共団体に必要な防疫・公費負担など、
住民の生命・健康を守る支出を、
議会が無造作に切ればいいという話ではない。
「で」
相馬先輩が言いました。
「ここからが怖いところだろ」
「はい」
私は丸で囲みます。
非常災害対策費。
感染症予防費。
削除・減額の議決。
長は必ず再議。
そして。
「再議しても」
私は言いました。
「議会がもう一回、削除・減額の議決をした場合」
「うん」
「長は、その議決を――」
一瞬。
言葉の重さに、ペンが止まります。
――不信任の議決とみなすことができる。
「重っ」
「今さらか」
「いや、知識では知ってましたけど」
不信任。
長と議会との正面衝突です。
「災害対応費を削る」
「うん」
「長が再議に付す」
「うん」
「それでも議会がもう一度削る」
「うん」
「そしたら長は、『そこまで俺の行政運営を否定するなら、不信任と同じだ』と扱える」
「雑に言えばな」
「一気に政治劇になる……」
「地方自治だぞ」
「昨日まで商店街の屋根の話だったのに」
「同じ法律の中に入ってる」
すごい。
地方自治法。
催事施設の管理費から、
首長と議会の存亡まで飛びます。
守備範囲が広すぎます。
「ここで一つ」
片桐所長が言いました。
「昭和と今を混ぜるな」
来ました。
転生者への警告。
「どこです?」
「収支不能」
「あ」
私はノートをめくりました。
収入または支出に関して、
その議決を執行することができない。
いわゆる、
収支不能議決。
「これ、現代のテキストだけ覚えてると危ないですね」
「お前は未来人だからな」
「設定を自然に受け入れ始めてません?」
「意味は分からんが、話は進めろ」
はい。
昭和六十三年。
ここでは、
後世の法改正前の制度で考えなければなりません。
収支不能となる議決については、
当時の制度では特別的な再議の対象として扱われ、
長に再議が要求される場面がありました。
ところが。
未来。
平成二十四年――二〇一二年の地方自治法改正。
そこで整理が変わる。
「現代では」
私は言いました。
「単に執行不能だからというだけで、昔と同じように全部が違法再議扱いになるわけじゃない」
「どうなる」
「権限を超えているとか、法令や会議規則に違反するといった場合なら特別再議」
「うん」
「そこまでの違法性がなく、単に長が執行上問題だと考える場合なら一般再議の問題になる」
「つまり」
「昔のルールをそのまま現代に持っていくと間違える」
「またそれか」
「またです」
私は額を押さえました。
地方自治法。
改正が多い。
ほんとうに多い。
しかも、
制度の看板は同じなのに、
適用範囲が少し変わる。
転生者には地雷です。
「指定管理者制度も昨日踏んでたな」
「言わないでください」
「未来の便利制度で全部片づけようとした」
「反省してます」
指定管理者制度。
昭和六十三年には存在しない。
そして収支不能議決の扱いも、
現代と当時では同じではない。
「つまり」
私は書きました。
――地方自治法は、年代確認必須。
「雑だな」
「でも本当に大事です」
「試験は現行法で答えろ」
「もちろんです」
「昭和で仕事するときは昭和法を使え」
「はい」
「未来の法律を市役所に持ってくるな」
「昨日ので懲りました」
ない制度は使えません。
どれだけ便利でも。
法改正の知識は、
未来予知にはなっても、
施行前の現場では武器にならない。
私は一度、ノート全体を見ました。
一般再議。
特別再議。
条例・予算。
その他の議決。
義務費。
非常災害。
感染症。
収支不能。
「情報量、多いですね」
「だから整理しろ」
「はい」
私は真ん中に一本線を引きました。
まず質問。
なぜ再議するのか。
一。
長が政策的・行政的に異議を持つ。
→ 一般再議。
二。
議決等に法的な問題があるなど、法律上再議が要求される。
→ 特別再議。
「最初にここを分ける」
「うん」
「次に一般再議なら、何の議決かを見る」
「うん」
「条例・予算なら」
送付を受けた日から十日以内。
再議。
再議決は出席議員の三分の二以上。
「それ以外なら」
議決の日から十日以内。
再議。
再議決は出席議員の過半数。
「特別再議なら」
私は別枠にします。
権限超越。
法令違反。
会議規則違反。
など。
再議・再選挙は義務。
一般再議のような期間制限なし。
「さらに特則」
義務費の削除・減額。
必ず再議。
非常災害対策費。
感染症予防費。
削除・減額なら必ず再議。
再議後も再び削除・減額なら、
長は不信任議決とみなすことができる。
「こうすると」
私は言いました。
「かなり見えますね」
「表だけ覚えるなよ」
片桐所長が言いました。
「はい」
また来ました。
丸暗記警察。
「じゃあ、意味で説明してみます」
私は昨日の事件に戻ります。
駅前共同催事施設条例。
市長は、
違法だから止めたわけではない。
将来負担。
管理責任。
事業との整合。
そこに異議があった。
だから一般再議。
でも。
議会が再び三分の二以上で同じ条例を可決した。
だから議決確定。
次。
義務費削減。
これは、
議会の自由な政策判断だけに任せると、
自治体が負わなければならない支出まで実行不能になる。
だから一定の場合、
長には再議が義務づけられる。
次。
災害対策費。
住民の生命や財産に直結する。
そこを削られた場合、
長は再議を避けられない。
それでも議会が再度削るなら、
長と議会の信任関係そのものの問題にまで発展し得る。
「うん」
所長が頷きます。
「制度には理由がある」
「はい」
「数字だけ覚えると忘れる」
「はい」
「なぜ三分の二か」
「市長が異議を示したあとでも条例や予算を確定させるなら、それだけ強い議会意思を要求するため」
「なぜ特別再議は義務か」
「違法な議決などを、そのまま執行させないため」
「なぜ災害費削減で不信任扱いまで可能か」
「長が最低限必要と考える住民保護の支出を議会が再度拒絶するなら、行政運営への根本的な否定と評価し得るから」
所長が頷きました。
「それでいい」
よし。
今日も模擬口述試験を突破。
「でも」
私は少し考えました。
「一般再議って、市長に強すぎる権限じゃないですか」
相馬先輩が片眉を上げます。
「昨日の条例も、最初は過半数で通ったのに、市長が再議にした途端、三分の二必要になった」
「そうだな」
「これ、市長が気に入らない条例を片っ端から返したら、議会かなり困りますよね」
「だから政治責任がある」
片桐所長が言いました。
「政治責任」
「長も住民に選ばれている」
「はい」
「再議を濫用すれば、次の選挙で評価される」
なるほど。
法律が権限を与える。
でも。
使い方まで法律だけで全部決めるわけではない。
政治的な責任。
選挙。
議会との関係。
そこまで含めて地方自治なのです。
「しかも議会も」
私は言いました。
「市長に再議されたから終わりじゃない」
「昨日みたいにな」
「必要な多数を集めれば確定できる」
「ああ」
「どっちも完全勝利できない仕組み」
「そういう言い方もできる」
私は少し笑いました。
「面倒だけど、よくできてますね」
「昨日は面倒だって文句言ってただろ」
「面倒なのと、必要なのは両立します」
「役所みたいなこと言うようになったな」
「褒めてます?」
「違う」
即答されました。
そのとき。
事務所の電話が鳴りました。
私が取ります。
「はい、片桐行政書士事務所です」
『総務課の沢渡です』
また来ました。
「はい」
『昨日の駅前共同催事施設条例についてですが』
「何か問題ですか」
『市長部局と商店会側で、管理方法の協議に入ることになりました』
「ほんとですか」
『議会で附帯的に出た意見も踏まえます』
「じゃあ、再議で出た管理責任の問題も」
『詰めます』
私は少し笑いました。
「課長」
『何でしょう』
「再議、無駄じゃなかったですね」
少し間。
『昨日も申し上げたはずですが』
「はい」
『結果だけ見て、勝ち負けで判断する制度ではありません』
「そうでした」
『それと』
「はい?」
『朝比奈さん』
嫌な予感。
『町議会の災害復旧費の件ですが、長が再議に付しました』
「やっぱり」
『再議後の議決が出ました』
「どうなりました?」
『削減案は撤回されました』
私は息を吐きました。
「よかった……」
『再議理由として、護岸崩落の危険性と応急工事の必要性が具体的に示されたため、議会側が修正したそうです』
「じゃあ、不信任扱いの話までは行かなかった」
『ええ』
「制度がちゃんとブレーキになったんですね」
また少し間。
『朝比奈さん』
「はい」
『法律は、使わずに済む強い権限ほど、存在する意味があることもあります』
私は黙りました。
不信任とみなす。
そんな大きな権限。
実際に使わなくても。
そこまで行き得る制度が後ろにあるからこそ、
その前の再議で、
もう一度真剣に考える。
「……課長」
『何でしょう』
「今日ちょっと格好いいこと言いましたね」
『忘れてください』
「無理です」
電話が切れました。
「何だって?」
相馬先輩が聞きます。
「災害復旧費、削減撤回です」
「そうか」
「再議で議会側が考え直した」
片桐所長が静かに頷きました。
「それも再議だ」
そう。
昨日の駅前条例では、
再議されても議会は同じ議決を貫いた。
今日の災害費では、
再議を受けて議会が考えを変えた。
どちらが正しい形、
ということではありません。
再議とは、
同じ結論を出すことを要求する制度でも、
必ず撤回させる制度でもない。
もう一度考えることを要求する制度。
その結果、
同じ答えになることもある。
違う答えになることもある。
私はノートの最後のページを開きました。
「一行の覚え書き」
「来たな」
相馬先輩が言いました。
「今日は絶対、一行にします」
「昨日二行だったぞ」
「今日は成長してます」
考えます。
一般再議。
異議。
任意。
条例・予算。
十日。
三分の二。
その他。
十日。
過半数。
特別再議。
違法。
義務。
期間制限なし。
義務費。
災害費。
感染症予防費。
不信任。
「一行に入るわけないですね」
「諦めるの早えな」
「でも核は一つです」
私は書きました。
――再議は、異議なら長の選択、違法なら長の義務。議会の答えを、もう一度問い直す仕組み。
「長い」
「内容重視です」
「試験直前版は」
「あります」
その下。
小さく書きます。
――異議=任意、違法=義務。
「それだけか」
「まずこれで軸を作るんです」
「三分の二は?」
「駅前条例を思い出す」
「十日は?」
「市長へ送付された封筒を思い出す」
「災害費は?」
「電話を思い出す」
「不信任は?」
「使わずに済んだ非常ブレーキ」
相馬先輩が少し黙りました。
「……まあ、忘れねえだろうな」
「褒めた」
「気のせいだ」
今日もそれです。
私はノートを閉じました。
受験生だったころ。
再議請求権は、
表で覚える単元でした。
十日。
三分の二。
過半数。
任意。
義務。
ただの数字と丸暗記。
でも。
昨日の議場を見て。
今日、災害復旧費の話を聞いたあとでは。
もう違います。
三分の二は、
市長が異議を示したあとでも、
議会がなお条例を成立させるために必要な重い意思。
義務再議は、
長が政治的に面倒だからと、
法的な問題を見過ごさないための仕組み。
災害対策費の特則は、
議会と長の政争より先に、
住民の命を守るための非常ブレーキ。
そして。
不信任とみなすことができるという強い権限は、
実際に発動するためだけに存在するのではない。
そこまで行く前に、
互いに考え直させるためにも存在している。
法律って。
たまに不思議です。
一番強い条文ほど、
使われない日のほうが、
うまく働いているのかもしれません。
「こはる」
片桐所長が言いました。
「何です?」
「今日の帳簿」
「あ」
「まだだ」
「……明日にしません?」
「駄目だ」
「異議があります」
「聞いた」
「一般再議を求めます」
「却下」
「理由を示してください!」
「今日やる仕事だからだ」
「政策的異議があります!」
「再議に付さない」
「任意だからって!」
相馬先輩が笑いました。
「じゃあ違法再議に持ってけ」
「何が違法なんですか」
「知らん。探せ」
「先輩まで!」
私は帳簿を抱えました。
しぶしぶ机へ戻ります。
「でも所長」
「何だ」
「これ、私が拒否しても?」
「仕事だ」
「義務費みたいなもの?」
「そうだ」
「削減できません?」
「できん」
「再議は?」
「ない」
「地方自治法より厳しい!」
相馬先輩が吹き出しました。
所長は無視。
私は帳簿を開きながら、
ノートの最後にもう一つだけ書き足しました。
――多数決で決めても、そこで終わらない。もう一度考えさせる仕組みまで含めて、地方自治。
今度こそ、
本当に一行です。
たぶん。
窓の向こうには、
市役所の議会棟が見えていました。
昨日は、
条例をめぐって市長と議会がぶつかった。
今日は、
災害復旧費をめぐって議会が考え直した。
明日はまた、
別のことで揉めるでしょう。
それでいいのかもしれません。
議会が考える。
長が考える。
互いに止める。
互いに押し返す。
そして最後に、
住民の前で責任を負う。
地方自治とは、
誰か一人に正解を任せる仕組みではない。
何度でも、
「本当にそれでいいのか」
と問い返せるようにしておく仕組みなのだ。
昭和六十三年。
再議という言葉は、
昨日まで私の中で、
試験に出る数字の束でした。
今はもう。
議会と長のあいだに置かれた、
少し重くて、
かなり面倒で、
だからこそ必要な、
地方自治のブレーキに見えています。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




