[地方自治法・議会の委員会(常任委員会、議会運営委員会、特別委員会)]現場編 「委員会に回せば、ずっと調べてもらえます」の罠。閉会で消える調査と、昭和六十三年にはまだ存在しない“未来の武器”
大勢で話せば、丁寧に決まる。
――とは限りません。
人数が増えれば増えるほど、
誰が調べるのか。
誰が決めるのか。
いつまで調べられるのか。
その線引きが必要になります。
議会の委員会というのは、
たぶん、その線を引くための仕組みです。
そして。
線を一本引き忘れるだけで、
何か月も追いかけてきた問題が、
閉会と一緒に消えてしまうことがあります。
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所。
その日の相談者は、茶封筒を抱えたまま、椅子に座ろうとしませんでした。
「十二日です」
六十歳くらいの男性でした。
日焼けした顔。
作業着。
手の甲には細かな傷。
「十二日後に、議会が終わるんです」
「まず座ってください」
私は椅子を引きました。
「座ってる場合じゃないんです」
「でも立ったままだと、私の首が疲れます」
「あ、すみません」
座ってくれました。
よかった。
首の平和は守られました。
男性の名前は、
西野正一さん。
湖西市北部の杉野地区で、町工場を営んでいます。
相談内容は、駅前ではありませんでした。
今回は市の北側。
古い住宅地と小さな工場が混在する一角。
市が計画している、
――杉野地区市民会館移転計画。
現在の市民会館を廃止し、
駅寄りの市有地に新しい複合施設を建設する。
古い会館の敷地は売却。
問題は。
「今の会館、なくされたら困るんです」
西野さんが言いました。
「老人会も使ってる。子ども会も使う。祭りの寄り合いも全部あそこです」
「新しい施設は?」
「遠い」
「どれくらいです?」
「歩けば四十分」
「それは遠いですね」
「年寄りには無理ですよ」
しかも。
移転計画には別の疑問もありました。
古い会館は築年数こそ経っているものの、
数年前に屋根と空調を修繕したばかり。
ところが市は、
老朽化。
利用率低下。
維持費増大。
それらを理由に廃止方針を出した。
「利用率低下って、本当なんですか」
私は聞きました。
「そこなんです」
西野さんが茶封筒から紙を出します。
地域の人たちが独自に記録した利用状況でした。
老人会。
婦人会。
子ども会。
囲碁クラブ。
民謡教室。
農業組合の会合。
防災訓練。
「むしろ去年より増えてません?」
「でしょう?」
「市の数字は?」
「年間利用者数だけ書いてあるんです。でも、算出根拠を聞いてもはっきりしない」
なるほど。
行政法の匂いがしてきました。
しかも今日は、
議会の話です。
「それで、市議会に陳情を?」
「出しました」
「どうなりました?」
「総務の委員会に回されました」
「常任委員会ですね」
「はい。そこで調べてもらえることになったんです」
ここまではいい。
むしろ順調です。
ところが。
西野さんの顔が曇りました。
「昨日、市役所で言われたんです」
「何を?」
「今の議会が終わったら、この話も終わりだって」
「……え?」
「せっかく委員会で調べてもらってるのに」
私は紙を置きました。
「誰に言われたんです?」
「議会事務局の人です」
「言い方、そのままですか」
「『閉会になれば、委員会の審査もそこで一区切りです』って」
「一区切り」
「でも、市民会館の売却手続はそのあとも進むんです」
西野さんの声が大きくなりました。
「役所は進む。議会は終わる。そんなのおかしいでしょう」
うん。
感情としては、とても分かります。
行政は一年中動いている。
ところが地方議会には会期がある。
議会が閉じている間にも、役所の時計は止まりません。
「こはる」
片桐所長が奥から言いました。
「条例」
「はい?」
「委員会条例を見ろ」
「あ」
そうだ。
議会の委員会。
地方自治法だけでは足りない。
どんな常任委員会を置くか。
委員の数。
担当する部門。
具体的な運用。
自治体の条例や会議規則を確認しなければならない。
「役所が偉いんじゃねえぞ」
相馬先輩が新聞を畳みました。
「条例が偉いんだ」
「その台詞、好きですね」
「事実だからな」
「名言っぽく使い回してません?」
「仕事で使える言葉は使い回していい」
実務家でした。
私は書棚から、
湖西市議会委員会条例。
湖西市議会会議規則。
それから地方自治法。
三つを机に並べました。
そして。
ここで私は、
盛大に地雷を踏みました。
「だったら議会運営委員会にも――」
「何だそれ」
相馬先輩が言いました。
「え?」
「議会運営委員会?」
「はい」
「どこの委員会だ」
「どこって……議会の」
「湖西市にそんな法定の委員会はねえぞ」
私は止まりました。
「ありますよ」
「ねえよ」
「地方自治法に」
「ねえ」
「常任委員会、議会運営委員会、特別委員会を条例で――」
「こはる」
片桐所長が言いました。
嫌な予感しかしません。
「今は何年だ」
「昭和六十三年です」
「もう一度言え」
「昭和六十三年」
「お前の頭の中の地方自治法は何年だ」
「……令和です」
はい。
やりました。
転生者名物。
法改正前に未来法を施行する事故。
「ちょっと待ってください」
私は地方自治法をめくりました。
委員会。
常任委員会。
特別委員会。
そして――
「……ない」
「だから言ったろ」
相馬先輩が煙草をくわえます。
「議会運営委員会が……ない」
正確には。
未来で地方自治法上の制度として知っている、
あの「議会運営委員会」が、
昭和六十三年の今はまだ法定の仕組みとして置かれていない。
「嘘でしょう」
「法律に文句言うな」
「だって受験テキストなら三点セットですよ!」
「何の受験だ」
「未来です」
「帰れ」
「ここが帰った先なんです!」
西野さんが目を丸くしています。
しまった。
「すみません」
「い、いえ」
慣れてください。
この事務所では、ときどき見習いが法改正の時空を飛び越えます。
「じゃあ」
私は気を取り直しました。
「常任委員会と特別委員会で考えます」
「そうしろ」
「今ある法律で仕事しろ」
「それ、最近よく言われます」
未来の行政書士試験知識。
ときどき便利。
ときどき凶器。
私はノートに書きました。
――総務常任委員会。
西野さんの陳情は、そこで審査されている。
常任委員会。
名前のとおり、
その地方公共団体の担当部門ごとに置かれ、
所管する事務を調査し、
議案や陳情などを詳しく審査する。
「問題は」
相馬先輩が言いました。
「この会館移転だけを追いかけるなら、総務常任委員会でいいのかってことだ」
「担当部門だけじゃ収まりませんね」
私は資料を見ました。
市民会館。
財産処分。
新施設建設。
道路アクセス。
高齢者福祉。
地域防災。
予算。
一つの部門ではない。
「じゃあ特別委員会」
私は言いました。
「市民会館移転問題を特定の事件として、特別委員会を――」
「誰が作る」
相馬先輩。
「議会です」
「どうやって」
「議決で」
「そこだ」
はい。
特別委員会。
名前だけ聞くと、
すごそう。
秘密兵器っぽい。
でも勝手に発生するわけではありません。
特定の事件について、
議会が必要だと判断し、
議決によって設ける。
「だったら」
西野さんが身を乗り出しました。
「作ってもらえばいいんですか」
「可能性はあります」
私は答えました。
「ただし、作れば全部解決、ではありません」
「どういうことです?」
「特別委員会って、原則として会期中に審査するものなんです」
「会期中?」
「つまり」
私はカレンダーを見ました。
「あと十二日で閉会」
西野さんの表情が沈みます。
「じゃあ、結局同じじゃないですか」
「いえ」
片桐所長が言いました。
「続けさせる方法はある」
「本当ですか」
所長は地方自治法の頁を指しました。
「特定の事件について、議会が議決すればいい」
「……閉会後も?」
「閉会中も審査できる」
西野さんが黙りました。
私も黙りました。
そして。
「そこだ」
相馬先輩が言いました。
閉会中継続審査。
名前は地味です。
とても地味。
魔法っぽさゼロ。
でも今の西野さんには、
たぶん一番大事な言葉でした。
今会期で結論が出なかった。
はい終わり。
ではなく。
特定の事件について、
閉会中もなお審査する。
その議決を取っておけばいい。
「つまり」
西野さんがゆっくり言いました。
「閉会しても、調べ続けてもらえる」
「その道があります」
「だったら、それをお願いする書類を」
「作れます」
私は言いました。
「ただ」
相馬先輩が机を指で叩きました。
「いきなり『特別委員会を作れ』『閉会中もやれ』じゃ通らねえ」
「はい」
「何を調べる必要があるか、絞れ」
これが実務です。
怒っている。
困っている。
だから調べろ。
では弱い。
委員会に何を審査してほしいのか。
閉会後まで何を追う必要があるのか。
具体化する。
私は西野さんに質問を始めました。
「市が示した利用者数は何年度です?」
「六十二年度です」
「比較対象は?」
「五十九年度からです」
「修繕費はいくら?」
「三年前に一千二百万ほど」
「廃止後の土地、売却先は決まってます?」
「まだだと言ってます」
「鑑定は?」
「分かりません」
「新施設の総事業費は?」
「最初は三億だったのが、今は四億二千万です」
「増えてる」
「はい」
「高齢者の交通手段について調査は?」
「してないと思います」
「説明会は?」
「一回だけ。平日の午後二時」
「それは参加しにくい」
「工場の人間は誰も行けませんでした」
私は一枚の紙を、
三枚に分けました。
一。
現市民会館廃止の必要性。
二。
新施設建設費と財産処分の妥当性。
三。
地域住民への代替措置。
「これなら」
私は言いました。
「『何となく反対』じゃない」
「うん」
「議会が確認すべき論点になる」
片桐所長が頷きました。
「書け」
「はい」
私たちは、
陳情の補充書を作ることにしました。
題名は、
――杉野地区市民会館移転計画に関する継続的調査を求める陳情補充書。
感情は削る。
事実を入れる。
利用者数の算定根拠。
直近修繕との整合性。
建設費増額の理由。
旧施設敷地の処分方針。
高齢者・子ども会等への代替措置。
これらが現在も未確認であり、
閉会によって審査を終了することは、
計画の妥当性を十分に検討する機会を失わせる。
よって、
議会において必要な委員会審査を行い、
特定事件について閉会中も継続して調査・審査できる措置を求める。
「所長」
私は書きながら聞きました。
「特別委員会を作れ、って断定しないんですね」
「議会が決めることだ」
「なるほど」
「住民が決めるな」
行政書士は、
議会の指揮官ではありません。
議員でもない。
委員でもない。
もちろん議決権なんてない。
できるのは、
議会が判断できる材料を整えること。
これを調べる必要がある。
会期中だけでは足りない。
だから閉会後も追ってほしい。
そこまでを、
書類で詰める。
「あと」
私は言いました。
「委員会から条例案を出してもらえば――」
空気が止まりました。
相馬先輩がこちらを見ます。
「またか」
「え?」
「未来か」
私は嫌な汗をかきました。
「……ちょっと確認します」
地方自治法をめくる。
めくる。
さらにめくる。
「ない」
「今日は何個未来から持ってくる気だ」
「だって現代では、委員会にも議案提出権が……」
「今はない」
「予算以外なら出せるのに……」
「未来ではな」
私は机に額をつけました。
「昭和、委員会の武器少なくないですか」
「時代に喧嘩売るな」
「売りたくもなりますよ!」
現代の地方自治法を勉強している私は知っています。
常任委員会。
議会運営委員会。
特別委員会。
そして現在なら、
委員会にも、その所管する地方公共団体の事務に関して議案提出権がある。
ただし予算は除く。
さらに議員が複数の常任委員会に所属することもできる。
でも。
昭和六十三年は違います。
議会運営委員会は、まだ地方自治法上の制度として登場していない。
委員会に一般的な議案提出権が認められるのも、もっと先。
常任委員会への所属の仕組みだって、未来と同じではない。
テキストの一ページ。
試験なら、
正しいものを選べ。
で済みます。
現場では。
法改正前の人間に、
二十年先の権限を使わせようとしている。
怖い。
行政法の時空事故、怖い。
「朝比奈」
相馬先輩が言いました。
「未来の制度が便利なのは分かった」
「はい」
「でも」
煙草を灰皿に押しつける。
「便利な制度がねえ時代に、何もできねえわけじゃない」
私は顔を上げました。
「今ある制度を全部使え」
常任委員会で調べる。
必要なら特別委員会を設置する。
閉会中も審査を続ける議決を求める。
議員に資料を渡す。
陳情を補充する。
必要な議案は、当時認められている提出主体・手続から出してもらう。
未来の制度がないなら、
今ある仕組みを組み合わせる。
「……はい」
「法律ってのはな」
相馬先輩が言いました。
「ない条文を嘆く仕事じゃねえ」
「今ある条文で、どこまでやれるか」
「そういうことだ」
今日ちょっと格好いい。
悔しい。
三日後。
湖西市役所。
今回は議会事務局へ行く前に、
総務課へ寄りました。
理由は一つ。
沢渡課長です。
「またですか」
開口一番、それでした。
「まだ何も言ってません」
私は反論しました。
「片桐先生と相馬さんと朝比奈さんが三人で来た時点で、何かあるでしょう」
「偏見です」
「経験則です」
強い。
相馬先輩が書類を置きました。
「杉野市民会館」
「ああ」
沢渡課長の目が少し細くなります。
「陳情の件ですか」
「そうだ」
「議会の話なら、議会事務局へ」
「その前に聞きてえ」
「何でしょう」
「市は、今会期が閉じたあと、旧市民会館の処分手続を進めるのか」
沢渡課長は少し黙りました。
「方針としては」
「売却の準備は?」
「関係部署で進めています」
「建物の利用停止は」
「年度末を予定しています」
「議会の委員会審査が終わってなくても?」
「市長部局の事務は、議会の会期と完全に連動するものではありません」
来ました。
正論です。
嫌な正論。
議会が閉じたからといって、
市役所が全部冬眠するわけではない。
「つまり」
私は言いました。
「十二日後に議会は閉じる。でも市の手続は進む」
「そういうことになります」
「委員会審査が終わってなくても」
「審査がどこまで進むかは議会側の問題です」
壁。
でも。
今日は壁の場所が分かっています。
「なら」
私は補充書を机に置きました。
「閉会中も審査を続けてもらいます」
沢渡課長の目が書類へ落ちました。
「継続審査ですか」
「はい」
「議会が認めれば、ですが」
「だから材料を揃えました」
沢渡課長が一枚ずつめくります。
利用者数。
修繕履歴。
新施設建設費。
売却予定。
交通手段。
説明会。
しばらく沈黙。
「かなり集めましたね」
「西野さんたちが」
私は答えました。
「私たちは並べただけです」
「並べ方で意味は変わります」
沢渡課長が言いました。
褒められた?
いや。
この人の場合、評価なのか警戒なのか判別が難しい。
「ただ」
沢渡課長が言いました。
「一点訂正します」
「何でしょう」
「市としては、利用実態を軽視したつもりはありません」
「じゃあ算定根拠を出してください」
「担当課に確認します」
「建設費増額も」
「それも確認します」
「旧会館を急いで止める理由も」
「確認します」
「土地の売却準備も」
「朝比奈さん」
「はい」
「一度に四つ言わないでください」
「すみません」
相馬先輩が横で笑っています。
「でも」
沢渡課長は書類を閉じました。
「議会で閉会中も審査することになれば、市長部局としても資料要求には対応せざるを得ません」
「ですよね」
「ただし」
来ました。
「特別委員会を設置するか、常任委員会で扱うかは、議会が決めることです」
「分かってます」
「行政書士事務所が決めることではない」
「そこまで分かってます!」
「なら結構です」
この人、
絶対わざとです。
片桐所長が静かに言いました。
「沢渡課長」
「はい」
「旧会館の利用停止決定を、閉会前に確定する予定はあるか」
沢渡課長の目が変わりました。
「……現時点では、庁内決裁の途中です」
「なら急ぐな」
「市長部局には市長部局の判断があります」
「分かっている」
所長は声を荒げません。
「議会が調査している最中に、後戻りできないところまで進めれば、余計な火種になる」
「脅しですか」
「助言だ」
数秒。
沢渡課長が片桐所長を見る。
「合理的ではありますね」
出た。
この人の最大級の賛辞。
「担当部に伝えます」
「止めると?」
「言っていません」
「では?」
「議会側の審査状況を確認してから、不可逆的な手続に入るべきだ、と」
一歩。
本当に一歩です。
でも。
昨日まで市は、
議会が閉じようが手続を進める。
という姿勢だった。
今は、
議会の審査状況を見る。
に変わった。
法律というのは、
相手を殴り倒すより、
一歩止まらせるほうが得意なのかもしれません。
議会事務局。
私たちを迎えたのは、
五十代くらいの事務局次長でした。
「閉会中の継続審査を求めたい、ということですね」
「はい」
「特別委員会の設置も含めて」
「そこは議会で判断していただければ」
片桐所長が言います。
「私たちは、調査が必要な事項を整理してきました」
次長が書類を読む。
「なるほど」
西野さんも一緒です。
緊張して、
膝の上で帽子をぐしゃぐしゃにしています。
「西野さん」
次長が言いました。
「一点だけ申し上げます」
「はい」
「陳情を出せば、必ずご希望どおりの委員会が設置されるわけではありません」
「分かっています」
「閉会中の審査も、議会の判断です」
「はい」
「ただ」
次長は資料をもう一度見ました。
「ここまで論点が具体化されているなら、現在審査している委員会には伝えます」
西野さんが顔を上げます。
「本当ですか」
「ええ」
「十二日で終わりにしないでほしいんです」
「その判断も含めて、委員会で協議することになります」
西野さんは深く頭を下げました。
「お願いします」
役所からの帰り道。
私は歩きながら言いました。
「なんか」
「何だ」
「委員会って、地味ですね」
相馬先輩が私を見る。
「喧嘩売ってんのか」
「違いますよ」
私は慌てました。
「常任委員会とか特別委員会とか、名前だけ覚えてた時は、もっと組織図の話だと思ってたんです」
「うん」
「でも実際は」
誰が。
何を。
いつまで。
調べるのか。
そのための仕組みなんですね。
「本会議だけで全部細かく見てたら終わらねえからな」
「だから委員会がある」
「そういうことだ」
「でも未来だと、議会運営委員会も法定されて」
「また未来か」
「委員会から議案も出せて」
「未来」
「常任委員会も複数所属できて」
「未来」
「便利になるのに」
「朝比奈」
「はい」
「昭和に戻ってこい」
「ここ昭和でした」
つらい。
十日後。
事務所の電話が鳴りました。
「はい、片桐行政書士事務所です」
『西野です!』
声がでかい。
私は受話器を少し離しました。
「どうしました?」
『委員会で決まりました!』
「何がです?」
『閉会しても、調べるって!』
私は立ち上がりました。
「継続審査?」
『そうです! それです!』
後ろから相馬先輩が、
「受話器から声漏れてんぞ」
と言っています。
『それと、市民会館の移転問題だけ、別に詳しく調べる必要があるって話も出たそうです』
「特別委員会?」
『まだそこまでは決まってないって。でも、次の議会で設置も検討するって』
「十分です」
私は笑いました。
「まずは、閉会で消えない」
『はい』
電話の向こうで。
西野さんが少し黙りました。
『朝比奈さん』
「はい」
『会館、残りますかね』
私は答えに詰まりました。
ここで、
残ります。
なんて言ってはいけない。
「分かりません」
『ですよね』
「調べた結果、市の移転計画のほうが合理的だって結論になるかもしれません」
『はい』
「でも」
私は言いました。
「少なくとも、理由も分からないまま閉会で終わることはなくなりました」
少し間があって。
『それでいいです』
西野さんが言いました。
『俺たち、絶対残せって言ってるわけじゃないんです』
「え?」
『いや、残せれば残してほしいですよ』
「はい」
『でも本当に直すより建て替えたほうが安いとか、年寄りの足もちゃんと用意するとか、それなら話は聞くんです』
「……はい」
『ただ』
声が少し低くなります。
『決めたから終わりってのが、嫌なんです』
その言葉が、
妙に残りました。
「分かりました」
『ありがとうございます』
電話を切る。
「何だって?」
相馬先輩が聞きます。
「閉会中も継続審査になりました」
「そうか」
「特別委員会も次の議会で検討」
「一歩だな」
「はい」
ちょうどそのとき。
片桐所長が戻ってきました。
「所長」
「何だ」
「西野さんの件、継続審査です」
「そうか」
それだけ。
相変わらず反応が薄い。
「もっと喜ばないんですか」
「結論は出ていない」
「でも、閉会で終わらなかった」
「それでいい」
所長は上着を脱いで椅子に掛けます。
「議会は、結論を急ぐためだけにあるんじゃない」
「じゃあ?」
「必要なら調べ続けるためにもある」
私はその言葉をノートの端に書きました。
――必要なら、閉会しても調べ続ける。
それから一週間後。
市民会館で、小さな集まりがありました。
西野さんに呼ばれて、
私たちも顔を出しました。
古い建物です。
床は少し軋む。
蛍光灯は一本だけ点滅している。
舞台の赤い幕も、少し色あせていました。
「確かに新しくはないですね」
私は言いました。
「でしょう」
西野さんが笑います。
「だから、絶対残せなんて言えないんですよ」
隅では、
おばあさんたちが湯呑みを並べていました。
子どもが走り回る。
将棋盤。
折りたたみ椅子。
壁には去年の夏祭りの写真。
建物として見れば、
古い。
でも。
場所として見れば、
まだ生きています。
「朝比奈さん」
西野さんが紙を一枚見せました。
市からの通知。
旧会館の利用停止について、
議会での審査状況を踏まえ、
当面、最終決定を留保する。
「止まりましたね」
「はい」
「残るかはまだ分かりません」
「分かってます」
西野さんは笑いました。
「時間ができただけで、ずいぶん違います」
この言葉。
前にも聞いた気がします。
法律が人に返すものは、
勝ち負けだけではない。
ときどき、
時間です。
説明を受ける時間。
資料を集める時間。
考える時間。
別の案を出す時間。
そして。
決められる前に、
声を届ける時間。
帰り道。
夕方の風が少し冷たくなっていました。
「先輩」
「何だ」
「今日の教訓、できました」
「聞いてねえ」
「聞いてください」
「嫌だ」
「常任委員会は、担当ごとにじっくり見る」
「うん」
「特別委員会は、特定の問題を追う」
「うん」
「そして必要なら、閉会中も追い続ける」
「まあな」
「議会運営委員会は――」
「ない」
「昭和六十三年にはまだ法定制度としてない!」
「そうだ」
「委員会の議案提出権も――」
「ない」
「未来!」
「そうだ」
「複数常任委員会所属も――」
「未来の話だ」
「昭和つらい!」
相馬先輩が笑いました。
「でも戦えただろ」
私は黙りました。
確かに。
未来の便利な制度はない。
平成以降に整備される議会制度の武器も、
まだ揃っていない。
それでも。
常任委員会がある。
特別委員会がある。
閉会中も特定の事件を追える道がある。
今ある制度を、
きちんと使えばいい。
「そうですね」
私は言いました。
「法律って」
「何だ」
「未来の便利な制度を知ってる人が勝つんじゃなくて」
少し考えて。
「今日使える条文を、ちゃんと見つけた人が勝つんですね」
相馬先輩が鼻で笑いました。
「やっと昭和に慣れてきたな」
「褒めました?」
「気のせいだ」
またそれです。
事務所に戻ると、
机の上に市議会の日程表が置いてありました。
私は赤鉛筆で、
閉会日を丸で囲みました。
その横に書きます。
――閉会=全部終わり、ではない。
さらに下。
――特定の事件は、議決があれば閉会中も審査できる。
「こはる」
片桐所長が言いました。
「何してる」
「復習です」
「仕事は」
「終わりました」
「郵便」
「まだです」
「終わってない」
「今やります」
私は立ち上がりました。
そこでふと思います。
「所長」
「何だ」
「うちも委員会制にしません?」
「何の」
「郵便物処理特別委員会」
「却下」
「議決してませんよ!」
「設置しない」
「じゃあ常任委員会で」
「お前一人だ」
「先輩も委員に」
「嫌だ」
相馬先輩が即答しました。
「現代なら複数の常任委員会を兼ねられるんですよ!」
「だから俺は未来の委員じゃねえ!」
「じゃあ議会運営委員会――」
「存在しねえって今日何回やった!」
片桐所長が無言で郵便袋を私に差し出します。
「……行ってきます」
「頼む」
外へ出る直前。
私は振り返りました。
「所長」
「何だ」
「この郵便業務、閉会中も継続ですか」
「毎日だ」
「一番強い!」
委員会より強い。
郵便。
昭和六十三年。
どうやら片桐行政書士事務所では、
閉会中継続審査よりも先に、
閉店後継続勤務の見直しが必要なようです。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




