[地方自治法・議長と副議長]現場編 「議長なんて司会役でしょう」の嘘。たった一人の席が、議会の秩序と代表を背負う
会議でいちばん偉そうに見える人が、
本当にいちばん偉いとは限りません。
でも。
その人がいないと、
会議そのものが動かなくなることはあります。
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所。
朝。
私は机の上に一枚の新聞を広げていました。
地方欄。
見出しは小さい。
けれど。
知っている名前がありました。
――湖西市議会、副議長辞職へ。
――次回本会議で後任選挙。
「……本当に辞めるんだ」
「何が」
相馬先輩が煙草に火をつけながら新聞を覗き込みます。
「副議長ですよ」
「ああ」
「この前、高梨さんが言ってたやつ」
「そういや言ってたな」
私は記事を読みました。
副議長。
健康上の理由により辞職の意向。
次回本会議で辞職を許可し、
後任を選出する見込み。
「議会の許可が要るんですね」
「あ?」
「辞めるのに」
「そりゃ勝手に帰られたら困るだろ」
「会社員みたいな言い方」
でも。
少し不思議でした。
議長。
副議長。
議員たちが自分たちの中から選ぶ役職。
私は受験生時代、
ここをほとんど暗記で処理していました。
議員の中から一人ずつ。
選挙。
任期は議員任期。
辞職は議会の許可。
はい次。
それだけ。
けれど。
「先輩」
「何だ」
「議長って、要するに司会役ですよね」
煙草を持った手が止まりました。
「お前」
「はい」
「昨日まで何を見てきた」
「議会です」
「その議会を誰が回してた」
「議長」
「だったら司会役で済ませるな」
「怒られた」
片桐所長が奥から出てきました。
「議長は」
所長が言います。
「議場の秩序を守る」
「はい」
「議事を整理する」
「はい」
「議会の事務を統理する」
「はい」
「議会を代表する」
「……代表」
「そうだ」
司会。
よりずっと重い。
私は新聞を見直しました。
そのとき。
事務所の扉が開きました。
「先生!」
「お」
相馬先輩が言いました。
「噂をすれば」
入ってきたのは。
高梨正治市議でした。
前回、
湖畔市民会館の長期独占利用をめぐって、
議会の議決権と監査権を使い、
市長部局に資料を出させた人。
そして。
右手には、
今日もなぜか卓球のラケット。
「また持ってる」
「今日は違います!」
「何がです?」
「卓球帰りです!」
「結局持ってる理由は卓球なんですね」
高梨さんはラケットを鞄へ突っ込みました。
「そんなことより大変なんですよ」
「副議長ですか」
「そうです」
「辞任するんですよね」
「そこまではいい」
「いいんですか」
「問題はその次」
高梨さんは椅子に座りました。
そして。
声を落としました。
「議長も、倒れました」
「え?」
「昨夜」
私は新聞から顔を上げました。
「入院?」
「心臓だそうです」
「大丈夫なんですか」
「命に別状はないらしい。ただ、しばらく議会には出られない」
「じゃあ」
私は考えました。
議長に事故がある。
そういうときは。
「副議長が代わりに」
「その副議長が辞職する」
「あ」
なるほど。
嫌な重なり方です。
「でも」
私は言いました。
「副議長の辞職を止めればいいんじゃ」
「本人は今月いっぱいで辞めたいと言ってる」
「辞職には議会の許可が必要」
「そう」
「じゃあ許可しない?」
「それが揉めてる」
高梨さんが額を押さえました。
「本人は体調が悪い。無理させるのもおかしい。でも議長は入院中。副議長までいなくなったら、本会議を誰が回すのかって」
議長。
副議長。
試験では二行。
現場では、
議会が止まるかもしれない話になる。
「だから」
高梨さんが言いました。
「今朝、市役所で変な話が出たんです」
「変な話?」
「総務部長が」
少し間を置いて。
「『議会が混乱するなら、市長部局で日程調整を主導してはどうか』って」
「……は?」
相馬先輩の声が低くなりました。
「もう一回」
「議長が不在なら、議会事務局と総務で本会議の日程や議事の順番を――」
「誰が決めるって?」
「だから、市長部局が」
「馬鹿か」
早い。
相馬先輩の判定が早い。
「先輩」
「何だ」
「言葉」
「議会の運営に市長側が手ぇ突っ込む方が悪い」
高梨さんが苦笑しました。
「私もそう思ったんですけど」
「けど?」
「向こうはこう言うんですよ」
高梨さんが資料を出しました。
「『予算案の審議が迫っている』『議会が止まれば市政が停滞する』『緊急の行政課題もある』」
「それで」
片桐所長が聞きます。
「議会の内部運営を執行部が決める?」
「そこまで明言はしないんですが」
「同じだ」
所長の声は静かでした。
「議会は長の部下じゃない」
その一言で。
部屋の空気が変わりました。
私は頭の中で整理します。
議長。
副議長。
議会が、
議員の中から、
それぞれ一人ずつ、
選挙で選ぶ。
議長は、
議場の秩序保持。
議事整理。
議会事務の統理。
議会の代表。
副議長は。
議長に事故があるとき。
または議長が欠けたとき。
議長の職務を行う。
「じゃあ」
私は言いました。
「まず副議長が在職している間は」
「議長の職務をやる」
相馬先輩が言います。
「議長が入院してるなら事故ありだ」
「ですよね」
「問題は」
片桐所長が言いました。
「副議長の辞職がいつ成立するかだ」
「あ」
私は高梨さんを見る。
「もう辞表は?」
「出したそうです」
「じゃあ辞めてる?」
「それが私も分からなくて」
「辞表出しただけでは終わらない」
片桐所長が言いました。
「議会の許可が要る」
「つまり」
私はペンを取りました。
「本人が辞めたいと言った時点ではまだ副議長」
「そうだ」
「議会が許可して初めて辞職」
「そういうことだ」
高梨さんが少し身を乗り出します。
「じゃあ議長が不在でも、今は副議長が代行できる」
「在職してる限りな」
相馬先輩が言います。
「で、その副議長の辞職許可と後任選挙をちゃんと組めばいい」
「そこなんです」
高梨さんが言いました。
「後任選挙で揉めてまして」
「派閥?」
「まあ」
相馬先輩が鼻で笑いました。
「そこは法律じゃなく政治だな」
「身も蓋もない」
「でも法的な枠はある」
片桐所長が言いました。
「一人選ぶ」
「はい」
「議員の中から」
「はい」
「選挙で」
「はい」
「市長が指名するんじゃない」
「当然」
「当然を確認しろ」
所長が言いました。
「今、役所は混乱してる」
その通りです。
こういうとき。
普段なら考えもしない越境が起こる。
議会のことなのに、
市長部局が、
市政停滞を理由に、
便利だから少し手を出そうとする。
「行政書士として何ができます?」
高梨さんが聞きました。
片桐所長は答えました。
「整理する」
「何を」
「誰が」
「……はい」
「何を」
「はい」
「どの手続で決めるか」
出ました。
所長のいつものやつ。
権限を分ける。
「市長部局ができるのは」
相馬先輩が言います。
「議案を出す。説明する。行政上必要な事情を伝える。そこまでだ」
「議会運営まで握るな」
「そういうこと」
「じゃあ」
私は言いました。
「議会としては、副議長が議長職務を代行しつつ」
「うん」
「辞職許可を議決」
「うん」
「そのあと後任副議長を選挙」
「うん」
「議長が復帰するまで、その新しい副議長がまた議長職務を行う?」
「そうなる」
なるほど。
ちゃんとつながる。
制度は、
穴が開いたらそこを埋める仕組みまで持っている。
「もう一つあります」
高梨さんが言いました。
「何です?」
「議長本人が」
言いにくそうに続けます。
「辞職したいと言っているそうです」
部屋が静かになりました。
「入院をきっかけに?」
「ええ。前から体力的にきつかったらしくて」
私は思わず言いました。
「じゃあ議長も辞表を出せば」
「こはる」
相馬先輩。
「はい」
「何が要る」
「……議会の許可」
「そうだ」
「議長も副議長も、辞職には議会の許可」
「基本はな」
私はノートに書きかけました。
そして。
止まります。
「あれ」
「何だ」
「副議長だけ、閉会中なら議長の許可で辞職できる」
「そこ気づいたか」
「議長本人は?」
「議会の許可だ」
試験ポイント。
来ました。
似ているからこそ危ない。
議長。
副議長。
ともに、
議会の許可を得て辞職。
ただし。
副議長だけは、
閉会中なら、
議長の許可で辞職できる。
「今って」
私は聞きました。
「閉会中ですか」
「ええ」
高梨さんが答えます。
「じゃあ副議長は」
「議長の許可があれば辞職できる」
「でも議長が入院中」
「意思表示できないわけじゃないらしい」
「なるほど」
ややこしい。
現場になると急に条件分岐が増えます。
「ただ」
片桐所長が言いました。
「今回、その方法を急いで使う必要はない」
「なぜです?」
「議長に事故がある」
「はい」
「今、副議長は議長職務を行う立場だ」
「はい」
「その副議長まで閉会中に先に辞職させたらどうなる」
私は黙りました。
そうか。
法的にできることと。
今やるべきことは違う。
「まず議会を動かせ」
所長が言いました。
「その中で整理しろ」
高梨さんが頷きました。
「じゃあ、臨時会?」
「招集の問題はまた別だ」
相馬先輩が言います。
「今日は広げるな」
「はい」
行政法。
一つ掘ると、
隣の論点がすぐ穴を開けます。
その日の午後。
市役所。
議会事務局の隣にある応接室。
高梨さん。
片桐所長。
相馬先輩。
私。
そして。
沢渡課長。
「なぜ私がここに」
沢渡課長が言いました。
「総務だからじゃないですか」
「便利な理由ですね」
「いつも私たちに使ってるでしょう」
「朝比奈さん」
「はい」
「口が強くなりましたね」
「成長です」
相馬先輩が咳払いしました。
「本題」
テーブルの上には、
議長、副議長の辞職関係書類。
そして。
市長部局から議会事務局へ出された、
議事日程調整案。
「これ」
相馬先輩が指で叩きます。
「誰が作った」
「総務部と企画部です」
沢渡課長が答えました。
「何で」
「予算日程が迫っています」
「だから?」
「行政として、議会に早期審議をお願いする必要があります」
「お願い?」
「ええ」
「ここ」
相馬先輩が紙を持ち上げました。
――審議順序案。
――会議時間配分。
――質疑時間の目安。
――討論終結予定。
「これはお願いか?」
沢渡課長が黙ります。
「質疑時間まで執行部が決めるのか」
「決める意図はありません」
「じゃあ消せ」
「……」
「議会の事務を統理するのは誰だ」
少し間。
「議長です」
「議事を整理するのは」
「議長です」
「議会を代表するのは」
「議長です」
「市長じゃねえ」
「承知しています」
「だったら」
相馬先輩が紙を戻しました。
「行政の都合を、議会の権限に化けさせるな」
沢渡課長の目が鋭くなりました。
「相馬先生」
「何だ」
「市政が止まることも問題です」
「誰も止めろと言ってねえ」
「では」
「正しい手続で急げ」
相馬先輩が言いました。
「勝手に近道するな」
私は少し鳥肌が立ちました。
制度というのは、
面倒です。
急いでいるときほど。
もっと面倒に見える。
でも。
その面倒を飛ばすと、
誰が決めるのか分からなくなる。
「課長」
私は言いました。
「議長がいないからって、市長部局が議長になるわけじゃないですよね」
「当然です」
「副議長がいる」
「ええ」
「副議長が議長職務を行う」
「そのとおりです」
「なら」
私は紙を見ました。
「議会にはまだハンドルがある」
沢渡課長が私を見ました。
「妙な比喩ですね」
「分かりやすいでしょう」
「事故車のように聞こえます」
「やめてください縁起でもない」
そこへ。
議会事務局長が入ってきました。
「失礼します」
年配の男性です。
手には封筒。
「副議長からです」
高梨さんが受け取ります。
「何です?」
「辞職願の取扱いについて」
読みます。
副議長本人から、
議長の療養中は、
当面辞職願の取扱いを保留してほしい。
議長職務の代行に当たり、
後任選出の段取りが整った時点で、
改めて議会に辞職の許可を求めたい。
「……本人が」
私は言いました。
「残るって」
「一時的にな」
相馬先輩が言います。
高梨さんが息を吐きました。
「助かった」
そして。
議会事務局長はもう一枚の書類を出しました。
「議長からも」
「え?」
病院から届いた文書。
議長本人は、
今後の体力を考え、
議長職を辞したい。
ただし。
議会運営の混乱を避けるため、
後任選挙の準備が整うまで、
辞職願の議決を急がないでほしい。
そんな内容でした。
「二人とも」
高梨さんが呟きます。
「辞めたいのに」
少し笑いました。
「最後まで議会のこと考えてる」
片桐所長が言いました。
「役職は席じゃない」
「え?」
「職務だ」
短い。
でも。
今日一番重い言葉でした。
数日後。
湖西市議会。
本会議。
私はまた傍聴席にいました。
最近、
市議会傍聴が趣味みたいになっています。
趣味としては渋い。
議長席。
そこに座っているのは、
いつもの議長ではありません。
副議長。
今日は。
議長職務を行っています。
「ただいまから会議を開きます」
声は少し緊張していました。
でも。
議場は動きました。
議事が進む。
発言を許す。
発言を制する。
順序を整理する。
議会事務局へ指示する。
傍聴席のざわめきを注意する。
私は見ながら思いました。
ああ。
これ。
司会じゃない。
議場全体を成立させる仕事です。
やがて。
副議長自身の辞職願が議題になります。
その間。
本人がずっと議長席にいるわけにもいかない。
議会は手続を進めます。
辞職の許可。
そして。
後任副議長の選挙。
議員の中から。
一人。
投票。
集計。
緊張。
高梨さんがこちらを見ました。
私は小さく首を振ります。
出ないんですよね?
高梨さんも小さく首を振りました。
出ない。
安心。
いや。
ちょっと残念。
選挙結果。
新しい副議長が決まりました。
拍手。
でも。
これで終わりではありません。
次に。
入院中の議長の辞職願。
議会はこれを許可。
そして。
新しい議長の選挙へ。
議員の中から。
一人。
選ぶ。
さっき副議長になった人が、
いきなり議長選挙に出るわけではありません。
別の候補。
投票。
開票。
決定。
新議長が議長席へ上がりました。
一礼。
そして。
「議長就任にあたり」
挨拶が始まります。
私は思いました。
昨日まで。
議長は一人。
副議長も一人。
数字だけ見れば、
ただ二つの椅子です。
でも。
その二つが、
議会をつなぐ。
片方が動けなくなれば、
もう片方が支える。
空席になれば、
議員たち自身が選挙で埋める。
市長が埋めるんじゃない。
県が決めるんじゃない。
国が指名するんじゃない。
議会が、
自分で選ぶ。
これが。
自治なんだ。
本会議後。
廊下。
新しい議長が、
市長と挨拶を交わしています。
隣に。
沢渡課長。
そして。
高梨さんがこちらへ歩いてきました。
「終わりました」
「お疲れさまでした」
「いやあ」
「副議長、立候補しませんでしたね」
「しないって言ったでしょう!」
「教材的には惜しかった」
「まだ言ってる」
そこへ。
沢渡課長が来ました。
「高梨議員」
「課長」
「先日の議事日程案ですが」
「はい」
「市長部局案は撤回しました」
「でしょうね」
「議会側で決めた日程に従います」
「当然です」
「ただし」
沢渡課長は少しだけ口元を動かしました。
「予算説明は予定どおりお願いします」
「それはそちらの仕事でしょう」
「ですから、こちらは準備します」
合理的。
相変わらずです。
私は聞きました。
「課長」
「何です?」
「議長って大変ですね」
「今さらですか」
「司会だと思ってました」
「それは本人の前で言わない方がいいでしょう」
「ですよね」
「議長は議会を代表します」
「はい」
「議事整理だけではありません」
「はい」
「議会の事務を統理し、秩序を維持する」
「はい」
「市長部局から見ても」
沢渡課長が言いました。
「誰が議会を代表しているかは重要です」
「交渉相手だから?」
「それもあります」
少し間。
「訴訟になることだってありますから」
「訴訟?」
私は聞き返しました。
「議会や議長の処分や裁決をめぐって、普通地方公共団体が被告になる訴訟では」
沢渡課長が言います。
「議長が、その地方公共団体を代表する場面があります」
「市長じゃなく?」
「その訴訟については、です」
へえ。
また一段重くなりました。
議会を代表する。
挨拶するという意味だけじゃない。
法的にも。
対外的にも。
代表する。
「だから」
片桐所長が後ろから言いました。
「司会じゃない」
「今日三回目です」
「覚えたか」
「覚えました」
その日の夕方。
片桐行政書士事務所。
高梨さんが、
また卓球ラケットを机に置きました。
「何で結局ここに」
「新議長就任記念」
「卓球で祝うんですか」
「個人的に」
「議会関係ないじゃないですか」
「もう仕事終わったから」
相馬先輩が言いました。
「で、議長は誰になった」
「岩城さん」
「どんな人だ」
「穏健派」
「副議長は」
「宮本さん」
「仲悪くない?」
「そこ聞きます?」
「大事だろ」
私は笑いました。
そして。
ノートを開きます。
今日の教訓。
書く前に。
少し考えました。
議長。
副議長。
議員の中から一人ずつ。
選挙。
任期は議員の任期。
辞職は原則として議会の許可。
副議長は閉会中なら議長の許可でも辞職できる。
議長に事故がある。
あるいは欠けた。
そのときは。
副議長が職務を行う。
そして議長は。
議場の秩序。
議事整理。
議会事務統理。
議会代表。
試験なら。
暗記。
でも。
今日見たのは。
人でした。
病院から、
議会が混乱しないようにと文書を出した議長。
辞めたいのに、
代行が必要だから数日残った副議長。
その穴を、
自分たちの選挙で埋めた議員たち。
「所長」
「何だ」
「今日の教訓、決まりました」
「言え」
「議長は、偉い席じゃない」
「うん」
「議会を止めないための席」
所長が少しだけ頷きました。
「悪くない」
「やった」
相馬先輩が横から言いました。
「副議長も入れろ」
「じゃあ」
私は書き直しました。
――議長は議会を動かし、副議長はその空白を埋める。
「いいじゃねえか」
「でしょう?」
「ただ」
「まだあるんですか」
「副議長は穴埋め要員じゃねえぞ」
「分かってます!」
「書き方がそう見える」
「じゃあどうすれば」
「自分で考えろ」
「急に冷たい」
高梨さんが笑いました。
「朝比奈さん」
「はい」
「卓球でも副審みたいな人がいた方がいいですよ」
「話を無理やり卓球に戻さないでください」
「じゃあダブルス」
「もっと違います」
片桐所長が立ち上がりました。
「行くぞ」
「どこへ」
「市民会館」
「また卓球!?」
「高梨さんが誘った」
「今日は新議長就任記念です」
「そんな記念行事、議会にあります?」
「ありません」
「自律権でも作れませんからね!」
相馬先輩が煙草を消します。
「こはる」
「はい」
「お前今日、サーブ受けろ」
「何で命令形」
「この前、額に食らっただろ」
「思い出させないでください」
私はノートを閉じました。
窓の外。
市役所の議場には、
新しい議長が座っている。
その隣には、
新しい副議長。
たった一人ずつ。
でも。
一人だからこそ。
誰が議事を整理するのか。
誰が議会を代表するのか。
誰がその不在を支えるのか。
そこが曖昧ではいけない。
地方自治法は、
大きな制度だけを決めているわけではありません。
椅子一つ。
人一人。
その位置まで決めている。
なぜなら。
その一人がいなくなっただけで、
自治は本当に止まりかけるから。
「こはる」
「はい」
「早くしろ」
「今行きます!」
私は鞄を持ちました。
「今日の卓球、誰が審判です?」
「高梨さん」
「議員なのに?」
「関係ねえ」
「じゃあ議長役は?」
「俺」
相馬先輩が言いました。
「何でですか」
「議事整理」
「卓球に議事ないでしょう!」
「秩序保持」
「先輩が一番壊しそう!」
高梨さんが笑います。
「じゃあ片桐先生が議長で」
「所長は黙ってるだけですよ!」
「議事整理には向いてる」
「確かに!」
所長がこちらを見ました。
「こはる」
「はい」
「異議があるか」
「あります」
「却下」
「だからそれ議長の権限じゃない!」
笑い声の中。
私は事務所の灯りを消しました。
議長も。
副議長も。
ただの肩書きじゃない。
議会を自分たちで動かすための、
自治の中枢です。
そして。
今日だけは。
片桐行政書士事務所の卓球大会にも、
議事整理のできる人が一人くらい必要かもしれません。
できれば。
相馬先輩以外で。
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