[地方自治法・地方公共団体の議会と長の関係]現場編 「市長が決めたんだから、議会は黙って従えばいい」の嘘。二人の代表がぶつかる町で、住民の意思はどこへ行く
船に船頭が二人いたら、たぶん揉めます。
右へ行く。
いや左だ。
速度を上げろ。
いや止まれ。
では、町に「代表」が二人いたら。
――やっぱり、揉めます。
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所。
朝から、事務所の机に新聞が三紙並んでいました。
どれも一面ではありません。
地方版。
しかも記事は小さい。
けれど見出しだけは、やけに大きく見えました。
――市民会館別館建設案、市議会が予算修正へ。
別の新聞には、
――市長「必要不可欠」、議会側と対立。
もう一紙には、
――駅前文化施設計画、白紙の可能性。
「……泥沼ですね」
私が言うと、向かいの机で相馬先輩が新聞を畳みました。
「何がだ」
「市長と議会です」
「いつものことだ」
「いつものことなんですか」
「仲良しクラブじゃねえからな」
「でも同じ市役所ですよね?」
相馬先輩が、ものすごく嫌な顔をしました。
「お前、それ市議会議員の前で言うなよ」
「そんなに駄目です?」
「市役所の職員と市議会議員を一緒くたにしたら、たぶん三十分は説教される」
「長い」
「短いほうだ」
そこへ。
玄関の引き戸が、勢いよく開きました。
「片桐先生はいらっしゃいますか!」
女性の声です。
四十代くらい。
濃紺のカーディガン。
手には分厚い封筒。
そして、その後ろに五十代の男性が二人。
三人とも顔が硬い。
私は立ち上がりました。
「どうぞ。こちらへ」
女性は椅子に座るなり、封筒を机へ置きました。
「市長が、勝手に話を進めてるんです」
今日の相談。
どうやら最初から重そうです。
「何の話でしょう」
片桐所長が奥から出てきました。
女性は名乗りました。
「西川町内会の高橋文子です」
西川地区。
駅から少し離れた古い住宅地。
最近、駅前再整備に絡んで道路拡張や公共施設の移転話が増えている場所です。
「市民会館の別館を建てるって話、ご存じですよね」
「新聞では」
「その予定地が、西川公園なんです」
私は新聞を見ました。
市民会館別館。
音楽練習室。
展示室。
小会議室。
文化活動の拠点。
文字だけ読めば、悪い話には見えません。
「公園全部を潰すんですか」
「半分以上です」
高橋さんが答えました。
「子どもが遊ぶ広場と、夏祭りをやる場所がなくなります」
後ろの男性が言いました。
「市長は、もう建設するみたいな言い方をしてるんですよ」
「説明会では?」
「『市として決定した事業です』って」
もう一人の男性が封筒から紙を出しました。
市長名義の広報。
文化施設整備計画について。
そこには、
――駅前地区の文化振興を図るため、市民会館別館の整備を推進する。
とあります。
「議会ではまだ揉めてるんですよね?」
私が聞きました。
「そうです」
高橋さんが身を乗り出しました。
「なのに市の担当者は言うんです」
「何て?」
「『市長が決めたことですから、議会が反対しても最終的には進みます』って」
「……え」
私は紙を見直しました。
市長が決めた。
議会が反対しても進む。
ん?
地方自治体って、そんなに市長が強かったっけ。
いや。
首長制。
大統領制的。
長は住民が直接選ぶ。
確かに強い。
でも。
「予算って」
私は呟きました。
相馬先輩がちらりとこちらを見る。
「何だ」
「議会の議決が要りますよね」
「要る」
「じゃあ、市長だけで全部は決められない」
「当たり前だ」
ですよね。
私の頭の中に、行政書士試験の地方自治法が起き上がってきました。
議会。
議決機関。
長。
執行機関。
そして――
二元代表制。
「高橋さん」
私は言いました。
「市長と議会って、上下関係じゃないんです」
「え?」
「市長のほうが議会より偉いわけでもない」
「でも、市長は市のトップでしょう?」
「行政のトップではあります」
ここ。
説明を間違えると危ない。
市長は市の事務を管理し、執行する。
市を代表する。
でも。
市の意思を決める重要な事項については、議会の議決が必要になる。
議会もまた住民から直接選ばれた議員で構成される。
「つまり」
私は言いました。
「市長も住民が選んでる。議員も住民が選んでる」
高橋さんが頷きます。
「はい」
「だから、どっちかがどっちかの部下ってわけじゃないんです」
「なるほど……」
私は少し得意になりました。
「二元代表制です」
「にげん?」
「住民を代表する機関が二つ――」
「こはる」
片桐所長が止めました。
「講義は後だ」
「はい」
しまった。
現場です。
「問題は」
片桐所長が高橋さんを見る。
「何を止めたい」
「公園を全部残してほしいです」
「それが第一か」
「……できれば」
「できなければ」
高橋さんは少し考えました。
「少なくとも、住民の話を聞いてから決めてほしい」
所長が頷きました。
「それなら整理できる」
相馬先輩が広報紙を指で弾きました。
「まず、市長が何を決めたのか」
「建設です」
高橋さんが答えます。
「違う」
「え?」
「計画方針を決めたのか。予算を出したのか。契約までしたのか。土地の用途変更を進めたのか。全部別だ」
なるほど。
市長が「やります」と言った。
それだけでは、法律上どこまで進んでいるのか分からない。
「予算案は?」
相馬先輩が聞く。
「議会に出ています」
「可決した?」
「まだです」
「契約は?」
「業者を選んでるって噂は」
「噂じゃ使えねえ」
「はい」
「条例の改正は?」
「条例?」
高橋さんが首を傾げました。
相馬先輩が私を見る。
「調べろ」
「何をです?」
「西川公園の設置条例」
「はい」
私は書棚へ。
市例規集。
分厚い。
昭和の検索エンジン。
ただし検索窓は人力です。
「公園、公園……」
ページをめくります。
ありました。
西川市都市公園条例。
別表に公園名。
西川公園。
「これです」
「用途変更や廃止に議会の議決が要るかは、事業の組み方次第だ」
片桐所長が言いました。
「ただし、少なくとも予算は議会を通らなければ執行できん」
高橋さんの顔が少し変わります。
「じゃあ、市長が決めても止められるんですか」
「議会が予算を認めなければ、予定どおりの執行は難しい」
「だったら議員さんに頼めば――」
「待て」
相馬先輩が止めました。
「今度は逆に振れすぎだ」
「逆?」
「議会が反対すりゃ、市長は何もできねえ、って話でもねえ」
あ。
そうか。
ここが地方自治のややこしいところです。
市長も直接選挙。
議会も直接選挙。
どちらも住民に直接責任を負う。
だから。
議会が市長の上司ではない。
市長が議会の上司でもない。
「対等なんですね」
私が言うと、相馬先輩が頷きました。
「そうだ」
でも。
対等な二つの機関がぶつかったら?
そこで私の現代知識が勢いよく出てきました。
「じゃあ、市長側は住民との合意形成をやり直して、必要なら第三者的な調整を――」
「第三者って何だ」
「え」
「何を想定してる」
「ええと……国地方係争処理委員会みたいな――」
事務所が静かになりました。
相馬先輩が煙草を口から外しました。
「何だそれ」
「……未来の話です」
「またか」
やってしまった。
地方分権改革後の頭で昭和を殴りにいった。
「国と地方の争いを処理する仕組みで――」
「今ねえだろ」
「はい」
「じゃあ使うな」
「はい」
「しかも今回、国と市の争いですらねえ」
「二重に間違えました」
恥ずかしい。
行政法の地雷、一個踏むと隣も爆発する。
片桐所長が言いました。
「こはる。今ある制度だけ見ろ」
「はい」
今。
昭和六十三年。
市長と議会。
二元代表制。
住民。
条例。
予算。
議決。
陳情。
請願。
直接請求。
――そうだ。
「住民側から議会に意見を出せますよね」
「出せる」
相馬先輩が答えました。
「請願か?」
「紹介議員がいれば」
「そうだ」
「なければ陳情という形もある」
「それなら現実的だ」
高橋さんが顔を上げました。
「議会に直接?」
「はい」
「市役所の担当課じゃなくて?」
「議会は、市長の部下じゃありませんから」
私は言いました。
「市長が進めたい事業でも、議会が別の判断をすることはあります」
「でも、同じ市なのに」
「同じ市だからこそです」
思わず口から出ました。
片桐所長がこちらを見る。
私は続けました。
「市長だけが住民代表なら、市長の意見だけで市の意思が決まります。でも議会も住民から直接選ばれてる。だから、別の角度から止めたり、直したりできる」
高橋さんは、しばらく黙っていました。
「喧嘩するために二つあるんですか」
「……喧嘩するため、ではないです」
でも。
かなり近い。
「暴走しないため、ですかね」
私が言うと、所長が頷きました。
「その言い方ならいい」
午後。
私たちは市役所へ行きました。
目的は二つ。
計画の進捗確認。
そして住民から出された質問に対する公式回答の確認。
総務課。
いつもの机。
いつもの眼鏡。
いつもの、感情を一度煮沸消毒してから喋るような男。
「片桐先生」
沢渡課長が顔を上げました。
「今日は何でしょう」
「西川公園」
相馬先輩が言いました。
「ああ」
「別館建設」
「議会でも話題になってますね」
「話題にしたのは市長だろ」
「計画を提案したのは市長部局です」
言い方。
正確です。
「確認したい」
片桐所長が言います。
「建設はもう決定したのか」
沢渡課長は一拍置きました。
「市の方針としては推進することになっています」
「予算は」
「議会審議中です」
「契約は」
「締結していません」
「業者選定は」
「事前調査の範囲です」
「つまり」
相馬先輩が腕を組みました。
「まだ議会が予算を通してねえ」
「そのとおりです」
「それなのに説明会で『市として決定した事業』と言った」
「行政内部として事業方針を決定した、という意味でしょう」
「住民にはそんな区別つかねえよ」
「表現の問題ですね」
「表現で済ますな」
空気が少し尖りました。
沢渡課長は相馬先輩を見ます。
「では、どう表現すべきだと?」
「『市長が提案し、議会で審議中』だ」
相馬先輩が即答しました。
「それなら嘘じゃねえ」
私はちょっと驚きました。
先輩、今日かなり正論マシーンです。
「市長は、市を代表する長です」
沢渡課長が言いました。
「行政部局として方針を示すこと自体は問題ありません」
「誰もそこは否定してねえ」
「では?」
「住民が、市長の決定イコール市全体の最終決定だと受け取る言い方をするなって言ってる」
沢渡課長の目が少し細くなりました。
「議会が反対すれば、必ず事業が撤回されるわけでもありません」
「それも分かってる」
「長にも独自の権限があります」
「知ってる」
「議会にもあります」
「だから二元代表制だろ」
相馬先輩が言いました。
「片方だけで全部決まる仕組みじゃねえ」
そこです。
私は頭の中で赤線を引きました。
片方だけで全部決まる仕組みではない。
市長は執行する。
議会は重要事項について意思決定する。
そして双方とも住民が直接選ぶ。
「課長」
私は聞きました。
「担当者が住民に、『市長が決めたから議会が反対しても最終的には進む』と説明したそうです」
沢渡課長の視線が止まりました。
「誰が?」
「高橋さんたちへの説明で」
「その発言は確認していません」
「もし言っていたら?」
「不正確でしょうね」
お。
早い。
「不正確?」
「地方公共団体の意思形成には、長だけでなく議会も関与します。予算についても議決が必要です」
「じゃあ訂正してください」
「事実確認をします」
「住民説明会でも」
「必要なら」
やっぱり、この人は感情では折れません。
でも法的に危ない場所はきっちり避ける。
「もう一つ」
片桐所長が言いました。
「市長は議会より上か」
沢渡課長が、珍しく怪訝な顔をしました。
「何ですか、その質問は」
「答えてくれ」
「上ではありません」
「議会は市長より上か」
「それも違います」
「なぜだ」
「どちらも住民から直接選挙によって選ばれる代表だからです」
私は横で、心の中だけで拍手しました。
模範解答。
「二元代表制」
所長が言う。
「ええ」
「なら、その前提を崩す説明は行政側からするな」
沢渡課長は黙りました。
数秒。
「……その点は、庁内に確認します」
前進です。
小さいけれど。
でも今日は、ここからが本番でした。
「あと」
相馬先輩が封筒を机に置きました。
「これ」
沢渡課長が開きます。
「陳情書ですか」
「西川公園の件」
「議会宛て?」
「そうだ」
「総務課ではなく、議会事務局へ提出してください」
「分かってる」
「ではなぜ私に」
「先に見せとく」
「圧力ですか」
「礼儀だ」
「ずいぶん物騒な礼儀ですね」
私は横から封筒を覗きました。
事務所で作った陳情書。
感情論は削っています。
子どもの遊び場を奪うな。
市長は横暴だ。
そんな言葉は書いていません。
代わりに。
市民会館別館建設予定地として西川公園が候補とされていること。
当該公園が地域行事、防災訓練、児童の遊び場として長年利用されていること。
市長部局からは事業推進方針が示されているが、関連予算は現在議会審議中であること。
住民説明において、議会審議前であるにもかかわらず事業が確定済みであるかのような説明がなされた疑いがあること。
住民意見の聴取。
代替案の比較。
公園機能への影響。
これらを十分審査したうえで議決するよう求める。
つまり。
市長を倒してください。
ではなく。
議会として仕事をしてください。
という書類です。
「なるほど」
沢渡課長が言いました。
「市長部局への要望ではなく、議会に審査を求める」
「議会は議会で住民代表だろ」
相馬先輩が答えます。
「行政に全部言う必要はねえ」
「そのとおりですが」
沢渡課長が書類を閉じました。
「議会がどう判断するかは、こちらでは分かりません」
「分かってる」
「否決されれば、市長側は当然対応を検討します」
「それも分かってる」
「再議その他の制度もあります」
「そこまで行けば、そのとき考える」
私は耳をそばだてました。
再議。
出ました。
二元代表制が本気でぶつかったときの仕組み。
議会が議決する。
長が納得しない。
一定の場合に再び議会へ戻す。
さらには不信任決議や議会解散まで。
完全に仲良し制度ではない。
「なんか」
私は思わず言いました。
三人が見る。
「地方自治って、喧嘩の仕方まで法律で決めてあるんですね」
沢渡課長が眼鏡の奥から私を見ました。
「喧嘩ではありません」
「調整?」
「牽制です」
相馬先輩が横から言います。
「似たようなもんだ」
「違います」
「役所語ではな」
「相馬さん」
「何だ」
「あなたはもう少し行政に敬意を払ってください」
「条例には払ってる」
「人には?」
「相手による」
だめです。
今日も平常運転です。
その翌日。
高橋さんたちと一緒に、議会事務局へ陳情書を提出しました。
受付の職員が書類を確認します。
「形式上は問題ありません」
高橋さんが不安そうに聞きました。
「これで、市長の計画は止まりますか」
私は首を振りました。
「まだです」
「じゃあ意味は?」
「議会に正式に論点を渡せます」
相馬先輩が言いました。
「議員が新聞だけ見て決めるのと、住民から具体的な事実が出てくるのじゃ違う」
「読んでもらえるんですか」
「少なくとも提出された以上、存在は残る」
片桐所長が静かに言いました。
「住民は、市長だけを選んだわけではない」
高橋さんが所長を見る。
「議員も選んだ」
「……はい」
「なら、使えばいい」
短い。
でも。
たぶん今日いちばん大事な言葉でした。
住民は、市長だけを選んだわけではない。
議員も選んだ。
だから。
一方の代表が聞いてくれないなら。
もう一方の代表へ行く。
それが制度として許されている。
一週間後。
市議会。
私は傍聴席のいちばん後ろに座っていました。
議場を見るのは初めてです。
議長。
議員。
執行部席。
市長。
助役。
部長たち。
そして沢渡課長。
いつも市役所の机の向こうにいる人が、今日は議会の前に並んでいます。
妙な感じです。
議員の一人が立ちました。
「西川公園における市民会館別館整備計画について伺います」
来た。
高橋さんが隣で息を呑みました。
「住民からは、公園利用への影響、説明不足、さらに事業が議会審議前から確定しているかのような行政側の説明について疑問が出されています」
市長が答弁します。
「文化振興のため必要な事業であると考えております」
はっきりしています。
引く気はない。
「しかしながら」
市長は続けました。
「住民説明のあり方に一部不適切な表現があった可能性については、確認しております」
傍聴席で高橋さんが私を見る。
私は小さく頷きました。
「本計画は、市長部局として推進する方針でありますが、当然ながら関連予算については議会の議決を要するものであり、現時点で建設そのものが最終確定しているものではありません」
言った。
ちゃんと言った。
市長が。
議会で。
「また、西川公園の代替機能についても再検討いたします」
議員がさらに聞きます。
「予定地を変更する可能性もあるということか」
「比較案を改めて整理いたします」
完全撤回ではありません。
白紙でもない。
でも。
確定。
から、
再検討。
まで戻った。
それは大きい。
さらに議会では。
別館整備費の一部を削除し、
調査費だけを残す修正案が出ました。
建設費。
設計委託費。
用地整備費。
そこは保留。
代わりに。
複数候補地の比較調査。
住民説明。
公園機能の代替案。
それを先にやれ。
という内容。
採決。
賛成多数。
修正可決。
高橋さんが、ぽかんとしていました。
「……止まったんですか」
「止まった、というより」
私は小声で言いました。
「順番を戻した感じです」
決めてから説明。
ではなく。
調べる。
比べる。
説明する。
それから決める。
市長が負けた。
という単純な話でもない。
議会が勝った。
でもない。
市長は文化施設が必要だと考えている。
議会も全部反対しているわけではない。
ただ。
西川公園で今すぐ進めるには、材料が足りない。
その判断でした。
市役所を出ると。
高橋さんは階段の途中で立ち止まりました。
「私」
振り返ります。
「市長が決めたら、もう終わりだと思ってました」
「私も昔だったら、そう思ったかもしれません」
「市長って、一番偉い人でしょう」
「そう見えますよね」
「でも違った」
私は少し考えました。
「偉いというより、役割が違うんだと思います」
市長。
住民が直接選ぶ。
市の事務を管理し、執行する。
市を代表する。
議会。
議員も住民が直接選ぶ。
市の重要な意思を議決する。
どちらも住民代表。
だから、上下ではない。
「変な仕組みですね」
高橋さんが笑いました。
「二人とも住民に選ばれて、二人とも別のこと言うなんて」
「面倒ですよね」
「はい」
「でも」
私は議会棟を振り返りました。
「面倒だから、一人で決められないんだと思います」
高橋さんは、少しだけ目を細めました。
「それなら、面倒も悪くないですね」
そう言って笑いました。
事務所へ戻ると。
相馬先輩が机に座り、新聞を広げました。
夕刊です。
早刷りの記事。
――市民会館別館予算、修正可決。
その下に、
――西川公園案、再検討へ。
「先輩」
「何だ」
「市長、怒ってませんかね」
「怒るだろ」
「即答」
「自分の予算削られて喜ぶ長がいるか」
「でも議会は対等」
「そうだ」
「議会が市長を止められる」
「場合による」
「市長も議会に対抗できる」
「制度上な」
私は椅子に座りました。
「二元代表制って」
「うん」
「思ってたより、ずっと面倒ですね」
「今さらか」
「受験勉強だと『議会と長は住民の直接選挙、対等、二元代表制』って三行で終わるじゃないですか」
「三行で覚えたのか」
「はい」
「だから忘れる」
「厳しい」
「現場じゃ、三行が喧嘩するんだよ」
私は笑いました。
確かに。
今日見たものは、
二元代表制。
という四文字ではありませんでした。
市長が必要だと言う。
議会が待てと言う。
住民が話を聞けと言う。
行政が事業を進める。
議会が予算を削る。
また市長が考える。
うるさい。
遅い。
面倒。
でも。
一人の判断だけで、全部が決まらない。
それが大事なのかもしれません。
「そういえば」
私は言いました。
「憲法でも、地方公共団体には議会を置くって書いてありますよね」
「九十三条」
「議事機関として議会を設置する」
「そうだ」
「じゃあ市長が、『議会邪魔だから廃止します』って――」
「できるわけねえだろ」
「ですよね」
「何を今日見てきた」
「確認です!」
相馬先輩が呆れます。
「条例で議会なしにするとかも?」
「できねえ」
「法律なら?」
「普通地方公共団体の議会を無くして市長だけにする、なんて話を軽く考えるな」
「はい」
議会は飾りじゃない。
市長の諮問機関でもない。
住民が直接選んだ議員による、
憲法上の議事機関。
だから。
市長が面倒だから消す。
なんてことはできない。
逆も同じです。
「じゃあ」
私はさらに聞きました。
「市長を議会が選ぶ方式に条例で変えるのは?」
「できねえ」
「やっぱり」
「長も直接選挙だ」
「議員も」
「直接選挙」
「二つとも住民から直接」
「だから二元代表制」
きれいにつながりました。
私は机の端のメモ帳に書きました。
議会=住民代表+意思決定。
長=住民代表+執行。
上下ではなく、対等。
「試験に出そう」
相馬先輩が言います。
「出ますね」
「長は議会が選出する」
「誤り」
「議会は長の補助機関である」
「誤り」
「議会は条例で廃止できる」
「誤り」
「じゃあ」
先輩が新聞を置きました。
「長と議会は必ず仲良く協力しなければならない」
「……それ、条文問題じゃないですよね」
「答えろ」
「理想としては」
「現実は?」
「今日見ました」
「そういうことだ」
そこへ。
電話が鳴りました。
私が取ります。
「はい、片桐行政書士事務所です」
『総務課の沢渡です』
また来た。
「はい」
『西川公園の件ですが』
「どうなりました?」
『市長部局で候補地を三か所に広げて比較することになりました』
「三か所」
『公園案も残ります』
「まだ残るんですね」
『議会が公園案を禁止したわけではありませんから』
正しい。
そこは冷静です。
『ただし、少なくとも次回予算までは建設に着手しません』
「住民説明は?」
『やります』
「よかった」
少し間がありました。
『朝比奈さん』
「はい」
『今日、議会を見ていましたね』
「いました」
『何か勉強になりましたか』
「すごく」
『では一つ』
「何でしょう」
『市長と議会は、どちらが上ですか』
試験ですか。
突然の口頭試問。
「どちらも上じゃありません」
『理由は』
「どっちも住民が直接選ぶ代表だから」
『役割は』
「議会は意思を決める。長は事務を管理して執行する」
『大雑把ですが、まあいいでしょう』
「採点厳しいですね」
『では』
「待ってください」
『何ですか』
「課長」
『はい』
「市長と議会が対等なら」
『ええ』
「総務課長と行政書士見習いも対等ですか」
電話の向こうが静かになりました。
『それは全く別の話です』
「即答!」
『では失礼します』
切られました。
「何言った」
相馬先輩が聞きます。
「対等性の確認を」
「馬鹿か」
「制度理解の応用です」
「応用する場所を選べ」
片桐所長が奥から出てきました。
「こはる」
「はい」
「今日の結論は」
私は少し考えました。
市長が偉い。
議会が偉い。
そういう話ではない。
二つの代表がいる。
別々に住民から選ばれている。
だから、片方だけで地方自治は完成しない。
「住民は」
私は言いました。
「一人の王様を選んでるわけじゃない」
所長がこちらを見る。
「続けろ」
「市長と議会、二つの代表を選んで、お互いに勝手をさせない仕組みにしてる」
相馬先輩が煙草に火をつけました。
「まあ、そういうことだ」
私はメモ帳の最後に一行だけ書きました。
――二元代表制は、代表が二人いるから面倒で、二人いるから暴走しにくい。
「長いな」
相馬先輩が言います。
「一行です」
「文字数の話だ」
「内容重視です」
「試験直前に見返すならもっと縮めろ」
「じゃあ」
私はその下に書きました。
――長と議会。どちらも住民代表、だから上下なし。
「それでいい」
「褒めましたね」
「気のせいだ」
またそれです。
外では夕方の街宣車が走っていました。
来年の市議選を意識しているのか、
候補予定者らしい声が遠くから聞こえます。
――皆様の声を市政へ。
私は窓の外を見ました。
市長も。
議員も。
結局は住民が選ぶ。
役所の中でどれだけ偉そうに見えても、
その力の入口は選挙です。
そして。
選ばれた二つの代表が、互いに止め、押し返し、また考える。
効率だけなら、一人に全部決めさせたほうが早いでしょう。
でも。
早いことと。
正しいことは。
たぶん同じではありません。
「こはる」
片桐所長が言いました。
「はい」
「明日、西川地区の地図を取ってこい」
「候補地比較ですか?」
「そうだ」
「市長部局の?」
「住民側でも比較する」
「なるほど」
私は立ち上がりました。
すると相馬先輩が言います。
「お前が行け」
「今、所長もそう言いました」
「念押しだ」
「先輩も行ってくださいよ」
「嫌だ」
「対等な関係じゃないんですか!」
「俺とお前は二元代表制じゃねえ」
「じゃあ何制です?」
「先輩後輩制」
「そんな統治機構ないです!」
片桐所長が帳簿を閉じました。
「静かにしろ」
「所長、この事務所にも議会を設置しましょう」
「却下」
「憲法九十三条!」
「ここは地方公共団体じゃない」
「正論が強い!」
相馬先輩が笑います。
「市長になったつもりか」
「じゃあ先輩は議会ですか」
「お前の予算は全部否決する」
「横暴!」
「対等だろ」
「対等と嫌がらせは違います!」
夕方の片桐行政書士事務所には。
残念ながら二元代表制は採用されていません。
たぶん。
採用されたら採用されたで、
毎日が本会議になるので。
これはこれでいいのかもしれません。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




