[地方自治法・自治事務と法定受託事務]法理編 こはるノート
同じ市役所の仕事でも。
誰の仕事としてやっているのか。
そこを間違えると、役所の看板は同じでも、法律の景色はまるで違います。
夕方。
片桐行政書士事務所。
私は机の上に、三枚の紙を並べていました。
一枚目。
市民会館使用許可申請書。
二枚目。
当初の使用不許可通知。
三枚目。
条件付き使用許可の通知。
「……同じ会館の話なのに」
「何だ」
向かいの机で、相馬先輩が煙草に火をつけました。
「最初と最後で、役所の言ってることが全然違います」
「役所だって考え直すことくらいある」
「そこじゃなくて」
私は真ん中の不許可通知を持ち上げました。
「最初は『国政選挙を控えているから貸せません』みたいな話だったのに」
「うん」
「最後は『会館条例に沿って条件を付ければ貸せます』になった」
「そうだな」
「これって結局」
私はノートに書きました。
――何の事務か。
「ここを分けたからですよね」
片桐所長が帳簿から顔を上げました。
「そうだ」
昨日までの私は。
役所の仕事というものを、
大きな一個の箱みたいに見ていました。
市役所がやる。
県庁がやる。
国がやる。
それだけ。
でも。
実際には違う。
同じ市役所の中でも、
国の仕事として処理しているもの。
県に関係するもの。
市自身の判断で処理しているもの。
それぞれ性格が違う。
「ということで今日は」
私はノートの一番上に、
大きく書きました。
――自治事務と法定受託事務。
「また未来の話か」
相馬先輩が言います。
「今回は未来の話をしないと始まらないんです」
「今存在しない制度だろ」
「存在しません」
「じゃあ仕事には使えねえ」
「使えません」
「終わり」
「終わらせないでください!」
まだ一行目です。
「まず前提からいきます」
私はペンを持ち直しました。
「現代では、地方公共団体が処理する事務は、大きく二つに分けます」
ノートに縦線を引く。
左。
自治事務。
右。
法定受託事務。
「自治事務って何だ」
相馬先輩が聞きました。
「地方公共団体が処理する事務のうち、法定受託事務以外のものです」
「……それだけか」
「それだけです」
「雑だな」
「私も最初そう思いました」
定義だけ見ると、
ものすごく広い。
法定受託事務でなければ自治事務。
つまり。
地方公共団体がやる仕事の大部分を受け止める、
かなり大きな箱です。
「たとえば?」
「小中学校の設置管理」
「うん」
「市町村税の賦課徴収」
「うん」
「介護保険の介護給付」
「未来の制度だな」
「はい。あと住民基本台帳事務、飲食店営業の許可、病院や薬局の開設許可、都市計画の策定なんかも、現代では自治事務に分類されます」
「ずいぶん幅広いな」
「だから定義が『法定受託事務以外』になるんでしょうね」
私は昨日の市民会館を思い出しました。
「市民会館の管理も、考え方としては自治体自身の施設管理ですよね」
「少なくとも国政選挙そのものとは別だ」
「はい」
だから昨日。
国政選挙に関する通知がある。
だから会館を貸さない。
という一本線では駄目だった。
会館を貸すかどうかは、
会館条例に基づいて判断しなければならない。
「つまり自治事務って」
私は言いました。
「自治体が、自分たちの地域の行政を担うために処理する仕事の大きな領域なんですね」
「その言い方なら分かる」
相馬先輩が言います。
「ただ」
片桐所長が口を挟みました。
「自治事務だから何でも自由に決められる、と思うな」
「あ」
そこです。
自治。
という字を見ると、
好きにやっていいような響きがあります。
でも当然、
法律の枠内です。
条例も、
上位法令に反することはできない。
自治事務であっても、
国の法令による規律は受ける。
「自治事務イコール完全自由、ではない」
「そうだ」
所長が言いました。
「自治とは無法ではない」
短い。
今日も所長の言葉は短い。
でも強い。
私はそのままノートの横に書きました。
――自治事務=自由放題ではない。
「じゃあ次」
私は右側を指しました。
「法定受託事務」
「その名前、やっぱり長いな」
「試験では逃げられません」
法定受託事務。
これは、
国または都道府県が本来果たすべき役割に関わる事務だけれど、
利便性や効率性などから、
法律またはこれに基づく政令によって、
地方公共団体が処理することとされている事務。
「要するに」
相馬先輩が言いました。
「本来は上の仕事だが、地元でやったほうが都合がいいから地方にやらせる」
「かなり雑ですけど、方向は合ってます」
「また雑扱いか」
「試験答案にそのまま書けないという意味です」
ここで大事なのは。
現代では、
それを処理するのが、
地方公共団体自身だということ。
「昨日の機関委任事務とは、そこが違います」
「またそこか」
「そこが一番大事なんです」
私はノートに大きく書きました。
昭和。
機関委任事務。
現代。
法定受託事務。
「機関委任事務では」
私は言いました。
「知事や市町村長などが、国の機関として事務を処理する」
「そうだな」
「地方公共団体自身の事務というより、首長個人の行政機関としての立場に仕事が落ちてくる」
「うん」
「だから国からの指揮監督も強い」
「そういう仕組みだ」
「でも現代では」
私は右側に矢印を書きました。
地方公共団体の事務。
「法定受託事務も、地方公共団体の事務として処理する」
相馬先輩が少し眉を上げます。
「同じ国に関係する仕事なのに、そんなに違うのか」
「違います」
「名前だけ変わったわけじゃねえと」
「全然違います」
そこです。
ここを、
昔は機関委任事務でした。
今は法定受託事務です。
で済ませると、
一番大事なところを落とします。
変わったのは、
制度名ではない。
国と地方の関係そのものです。
「昭和の仕組みだと」
私は言いました。
「国が地方の首長を、自分の機関として使う感じですよね」
「乱暴に言えばな」
「現代では、地方公共団体が一つの行政主体として仕事を処理する」
「うん」
「だから国と地方の関係も、上命下服みたいな構造から変わっていく」
片桐所長が頷きました。
「それが地方分権か」
「はい」
平成十一年。
地方分権一括法。
そして平成十二年四月。
機関委任事務制度は廃止される。
地方公共団体が処理する事務は、
自治事務と法定受託事務という新しい整理へ移る。
「十二年後か」
相馬先輩が言いました。
「今からだと」
「そうです」
「ずいぶん先だな」
「私には過去ですけど」
「意味分からんこと言うな」
「ですよね」
危ない。
転生者、
また自分から墓穴を掘りかけました。
◇
「じゃあ法定受託事務をもう少し細かくします」
「まだ分かれるのか」
「分かれます」
「面倒くせえな」
「受験生はみんな一度そう思います」
法定受託事務には、
二種類あります。
第一号法定受託事務。
第二号法定受託事務。
「数字が付いた」
相馬先輩が嫌そうな顔をします。
「覚え方は単純です」
私は指を一本立てました。
「第一号は、国」
次に二本。
「第二号は、都道府県」
「それだけか」
「入口はそれで十分です」
第一号法定受託事務。
本来、
国が果たすべき役割に関わる事務。
それを都道府県や市町村が処理する。
「具体例は?」
「昨日の国政選挙」
「なるほど」
「ほかに、生活保護の決定」
「うん」
「旅券交付」
「うん」
「国道の管理」
「うん」
「戸籍関係の事務」
「国っぽいな」
「ですよね」
私は丸を付けました。
第一号。
国。
では第二号は。
「都道府県が本来果たすべき役割に関わる事務を、市町村が処理するもの」
「たとえば」
「県議会議員選挙とか、知事選挙に関する事務です」
「昨日、お前が言ってたやつか」
「はい」
国政選挙。
第一号。
県議会議員選挙や知事選挙。
第二号。
「選挙だけ見ても分かれるんだな」
「そうなんです」
ここ。
行政書士試験で引っかけられそうな匂いが、
ものすごくします。
選挙に関する事務だから全部第一号。
ではない。
誰の選挙か。
国の役割に関わるのか。
都道府県の役割に関わるのか。
そこを見る。
「じゃあ市長選挙は?」
相馬先輩が聞きました。
「……」
「何だ」
「急に良い問題出しますね」
「答えろ」
私は少し考えました。
「市町村自身の選挙に関わるものまで、何でも法定受託事務になるわけじゃありません。今日の基本整理としては、『第一号=国、本来国が担う役割』『第二号=都道府県、本来都道府県が担う役割』を押さえる」
「逃げたな」
「深追い防止です」
「試験でそれやるなよ」
「はい」
私はノートに、
三つの箱を書きました。
自治事務。
第一号法定受託事務。
第二号法定受託事務。
「昨日の事件を現代法で整理すると」
私は一枚目の紙を持ち上げました。
「国政選挙に関する事務」
第一号法定受託事務。
二枚目。
「市民会館の管理」
自治事務側。
「だから」
私は二枚の間に線を引かず、
あえて離して置きました。
「同じ市役所でも、仕事の性格が違う」
「そうだな」
「国政選挙に関するルールや通知があるからといって」
「そのまま会館管理の結論にはならない」
「はい」
昨日、
沢渡課長が最初にしていたのは、
まさにそこを一緒にしてしまう判断でした。
国政選挙。
政治的公平性。
国からの通知。
議員が参加する集会。
だから貸さない。
でも、
一個ずつ分けると。
国政選挙を適正に執行することと、
住民団体に市民会館を貸すことは、
別の事務。
「もちろん」
私は言いました。
「現実には完全に無関係というわけじゃないです」
「そりゃそうだ」
「会館で本当に選挙運動をやるなら、選挙法上の問題も出てくる」
「うん」
「市が特定候補者だけ優遇すれば、政治的公平性の問題も出る」
「うん」
「でも」
私は条例集を開きました。
「可能性があるから全部禁止、とはならない」
会館管理なら、
会館管理の根拠法令。
条例。
不許可要件。
条件を付けて許可できないか。
そこを見る。
「昨日の結果も」
私は許可通知を指しました。
「全面的に自由に使っていい、じゃなかった」
「ああ」
「市が主催していると誤認させない」
「うん」
「選挙運動目的へ変更しない」
「うん」
「秩序維持を主催者が負う」
「うん」
「つまり」
私はペンを止めました。
「仕事を分けたからこそ、ゼロか百かじゃない解決ができた」
貸す。
貸さない。
その二択ではなく。
会館管理上必要な条件を付けて貸す。
その答えが出た。
「地方自治法って」
私は呟きました。
「権限の縄張りを決める法律なんですね」
「言い方が物騒だな」
相馬先輩が言います。
「でも近いですよ」
誰が何をする。
どこまで国が関与する。
どこから地方が判断する。
そこを決める。
境界線の法律。
そう考えると、
急に分かりやすい。
「ところで」
相馬先輩が言いました。
「なんで未来じゃ、そんな面倒な制度に変えたんだ」
「面倒だから変えたわけじゃないですよ」
「じゃあ何でだ」
私は少し考えました。
ここが今日の本丸かもしれません。
「機関委任事務だと」
私は言いました。
「地方自治体の首長が、国の機関として扱われる」
「そうだな」
「それって」
私は言葉を選びました。
「地方自治という割に、地方が自分で責任を持って仕事している感じが弱いですよね」
相馬先輩が黙ります。
「住民から見れば市長なのに」
私は続けました。
「ある事務については、市の代表ではなく国の機関として動く」
「うん」
「国の指揮監督も強い」
「うん」
「そうなると」
地方公共団体の自主性。
自立性。
住民自治。
団体自治。
そういうものと、
かなり緊張関係がある。
「だから廃止したのか」
「大きな理由の一つです」
国と地方。
上と下。
命令する側と、
従う側。
そういう構造から、
対等・協力を基本とする関係へ。
「対等って」
相馬先輩が言いました。
「国の言うことを聞かなくていいって意味か」
「そこが罠です」
「違うのか」
「違います」
私は大きくバツを書きました。
対等。
イコール。
無関係。
ではない。
国には国の役割がある。
地方には地方の役割がある。
法定受託事務について、
国がまったく関与できないわけでもない。
法律に基づく関与の仕組みは残る。
「じゃあ何が変わる」
「上下関係そのものを前提にしなくなる」
私は答えました。
「国が地方を自分の機関として使う、という形をやめる」
「なるほど」
「地方公共団体は、自分自身の行政主体として事務を処理する」
「その上で国が必要な関与をする」
「はい」
「好き勝手じゃないが、手足でもない」
相馬先輩が言いました。
「それです」
私は思わず指を差しました。
「先輩、それ今日の一番分かりやすい表現です」
「何だそれ」
「書きます」
ノートの端に。
――地方は、国の手足ではない。だが無関係でもない。
「勝手に俺の言葉を教材にするな」
「著作権料は出ません」
「払え」
「行政書士見習いの給料からは無理です」
「じゃあ」
私はもう一度、
昭和と現代を並べました。
昭和六十三年。
機関委任事務あり。
平成十二年四月以降。
機関委任事務廃止。
自治事務。
法定受託事務。
「これ」
私は言いました。
「単なる試験上の新旧比較じゃないですね」
「今さら気づいたのか」
「受験生の頃は表で覚えてたんです」
旧。
機関委任事務。
新。
自治事務・法定受託事務。
それだけ。
「でも昨日みたいな事件を見たあとだと」
私は続けました。
「機関委任事務って、現場でかなり影響が大きい」
「ああ」
「国から通知が来た」
「うん」
「上からの指導だ」
「うん」
「役所側も、それだけで強く身構える」
「そうなるな」
「未来なら」
私は言いました。
「まず、その仕事が自治事務なのか法定受託事務なのかを見る」
「うん」
「法定受託事務なら一号か二号か」
「うん」
「誰が本来担うべき役割なのか」
「うん」
「国の関与がどこまで許されるのか」
「そこまで整理するわけか」
「はい」
これは。
地方分権改革が、
地方に自由をプレゼントした。
というだけの話じゃない。
仕事の責任の所在を、
整理し直した改革でもある。
「自治体自身の仕事として処理するなら」
私は言いました。
「住民に対して、自治体自身が説明しなきゃいけない」
「昨日みたいにな」
「はい」
国から通知が来たから。
だけでは足りない。
この市として、
どの権限に基づき、
どんな判断をしたのか。
そこを説明する必要がある。
その意味では。
地方分権というのは、
自治体に権限を与えるだけではなく、
責任も引き受けさせる制度なのかもしれません。
「自由になった分だけ」
私は呟きました。
「言い訳も減る」
「どういうことだ」
「昔なら『国がそう言ってるから』で押し切れた場面でも」
「うん」
「現代では自治体自身の判断として説明しなきゃいけないことが増える」
「面倒になるな」
「でも、それが自治じゃないですか」
片桐所長が静かに言いました。
「そうだ」
私と相馬先輩が同時に振り向きます。
「権限だけ欲しがるな」
所長が言います。
「責任もついてくる」
私はその一言に、
二重線を引きました。
「試験対策として整理します」
私はノートの真ん中に、
三列を書きました。
自治事務。
第一号法定受託事務。
第二号法定受託事務。
「まず自治事務」
地方公共団体が処理する事務のうち、
法定受託事務以外。
「次、第一号」
国が本来果たすべき役割に関わる事務。
国から都道府県や市町村へ。
「次、第二号」
都道府県が本来果たすべき役割に関わる事務。
都道府県から市町村へ。
「覚え方」
相馬先輩が言います。
「一号は国」
「はい」
「二号は県」
「はい」
「自治はそれ以外」
「かなり乱暴ですが、最初の分類としてはそれでいいです」
「昨日の事件」
「国政選挙は一号」
「会館管理は自治事務」
「その整理で」
「知事選挙」
「二号」
「よし」
なんですか、この口頭試問。
「もっと出します?」
「もういい」
「急に飽きた」
「俺が試験受けるわけじゃねえ」
「そこなんですよね」
毎回そこへ戻る。
私はノートをめくりました。
「あと、注意点」
「まだあるのか」
「あります」
自治事務と法定受託事務。
名前だけ見ると、
自治事務は自治体が勝手に作った仕事。
法定受託事務は国から頼まれた仕事。
みたいに見える。
でも、
そう単純ではない。
「自治事務だって法律で義務付けられてるものがあります」
「ほう」
「逆に、法律に根拠があるから全部法定受託事務、でもない」
「じゃあ何で見分ける」
「法律上、法定受託事務として位置づけられているかどうか」
「名前を見ろってことか」
「最終的にはそうです」
自治事務。
イコール。
自治体が自主的に始めた仕事。
ではない。
法律に基づく事務でも、
法定受託事務でなければ自治事務。
「ここ引っかけられそうですね」
「お前、試験問題を作る側みたいな顔するな」
「だって絶対出したくなるじゃないですか」
例えば。
法律に基づいて市がやっている。
だから法定受託事務。
という問題。
これは危ない。
法定受託事務かどうかは、
法律に基づくか否かではなく、
法定受託事務として位置づけられているかを見る。
「自治事務、名前のわりに法定の仕事も多いんですね」
「紛らわしいな」
「そうなんです」
法律用語。
たまに名前だけで判断すると負けます。
窓の外が、
少しずつ暗くなってきました。
私は昨日の討論会を思い出しました。
高梨さん。
商店街の人。
若い母親。
議員。
バス会社。
みんな、
駅前をどうするかという、
かなり身近な話をしていました。
地方自治。
という言葉は大きい。
国と地方。
地方分権。
自治事務。
法定受託事務。
機関委任事務。
教科書に並べると、
全部遠い。
でも。
昨日の高梨さんにとっては。
市民会館を借りられるか。
借りられないか。
それだけの話だった。
その裏で。
国の仕事と、
市の仕事がぶつかっていた。
「所長」
「何だ」
「地方自治って」
「うん」
「国と地方の壮大な権限争いだと思ってました」
「違うか」
「それもあるんでしょうけど」
私は会館許可通知を見ました。
「住民からすると、『誰が決めたんですか』って話なんですね」
国なのか。
県なのか。
市なのか。
その市の中でも、
誰が、
どの権限で、
何を決めたのか。
「そこが曖昧だと」
私は続けました。
「誰に文句を言えばいいかも分からない」
「そうだ」
「誰が責任を取るのかも分からない」
「そうだ」
「だから事務を分類する」
所長が頷きました。
「分類は責任を分けるためでもある」
なるほど。
それも書きました。
分類は、
暗記のためではない。
責任の所在を見つけるため。
「じゃあ最後」
私はページの下に、
枠を作りました。
「一行の覚え書き」
「今日は本当に一行にしろよ」
相馬先輩が言います。
「考えます」
自治事務。
法定受託事務。
一号。
二号。
機関委任事務。
地方分権。
国と地方の関係。
昨日の市民会館。
全部を一行にする。
私は書きました。
――地方の仕事は、「どこでやるか」ではなく「誰の仕事か」で見る。
「どうです」
相馬先輩が覗きます。
「悪くねえ」
「褒めました?」
「気のせいだ」
「じゃあもう一個」
「一行って言っただろ」
「試験直前版です」
その下に小さく書きます。
――一号は国、二号は県、残りは自治。昭和はその前に機関委任事務。
相馬先輩が吹き出しました。
「雑だな!」
「覚えるには強いんですよ!」
「残りは自治、って投げやりすぎるだろ」
「定義上かなり近いです!」
奥で、
片桐所長が帳簿を閉じました。
「こはる」
「はい」
「湯呑み」
来た。
「所長」
「何だ」
「その仕事は自治事務ですか」
「事務所事務だ」
「法定受託事務では?」
「誰から受託した」
「所長から」
「なら受託事務だな」
「そんな分類ありません!」
相馬先輩が笑います。
「第一号片桐受託事務」
「嫌すぎる!」
「本来、所長が果たすべき役割に関わる事務を、見習いが処理する」
「それ、単なる雑用の押しつけです!」
「効率性を考えて委託してる」
「地方分権してください!」
「事務所内分権か」
「そうです!」
私は湯呑みを持ちながら、
ぶつぶつ文句を言いました。
でも。
流し台の前に立ったところで、
少し笑ってしまいました。
昨日まで、
機関委任事務。
自治事務。
法定受託事務。
全部、
試験のための分類でした。
今は違う。
同じ役所でも、
仕事の顔が違う。
国の顔。
県の顔。
市の顔。
そして。
その顔が違えば、
使える権限も、
受ける監督も、
説明すべき相手も変わる。
昭和六十三年。
まだ自治事務も、
法定受託事務も存在しない時代。
地方の首長が、
国の機関として動く仕組みが残っている時代。
だからこそ。
十二年後に、
なぜ機関委任事務を廃止しなければならなかったのか。
私は少しだけ分かった気がします。
地方自治というのは、
地方が国に勝つ制度ではありません。
国を無視する制度でもありません。
誰が何を引き受け、
誰が住民に説明し、
誰がその結果に責任を持つのか。
その線を、
見えやすくするための仕組みなのだと思います。
「こはる」
流し台の向こうから、
所長の声。
「はい」
「水を出しっぱなしにするな」
「あっ」
慌てて蛇口を締める。
相馬先輩が笑いました。
「まず自分の事務を適正に処理しろ」
「これは自治事務です!」
「お前の自治に任せると水道代が上がる」
「国の関与を求めます!」
「却下」
「じゃあ係争処理委員会に――」
そこまで言って。
私は止まりました。
相馬先輩が、
にやっと笑いました。
「何だ」
「……まだありません」
「何が」
「国地方係争処理委員会」
「知らん」
「ですよね」
「未来の制度を今使うな」
「はい……」
またです。
地方分権改革は、
まだ十二年先。
どうやら私は、
制度だけ先に未来へ走りすぎる癖を、
もうしばらく直せそうにありません。
仕方なく、
昭和六十三年の流し台で、
私は七個の湯呑みを洗いました。
今度こそ。
これは誰の事務か。
考えるまでもありません。
――私の仕事です。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




