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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 地方自治法

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313/616

[地方自治法・自治事務と法定受託事務]現場編 「市役所の仕事なら、全部同じルールで動きます」の嘘。まだ二分類のない昭和六十三年、“国の手足”と“市の仕事”を切り分けろ

挿絵(By みてみん)


 同じ市役所の窓口でも。


 市が自分で決めている仕事と、


 国の言うとおりに動いている仕事があります。


 ――もっとも。


 昭和六十三年の役所で、そんな言い方をすると。


「何だ、その妙な分類は」


 と真顔で返されるのですが。


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


 その日の相談者は、怒っていました。


 かなり怒っていました。


「選挙をしようってんじゃないんですよ!」


 机を叩いたのは、


 北浜町内会の会長、


 高梨源三さん。


 六十二歳。


 白髪まじりの角刈り。


 声が大きい。


 そして机を叩くたびに、湯呑みのお茶が危険な波を立てます。


「高梨さん」


 私はそっと湯呑みを救出しました。


「まず、何をしようとしたのか、最初からお願いします」


「だから討論会です!」


「選挙の?」


「違う!」


「すみません!」


 声が大きい。


 私は反射的に背筋を伸ばしました。


 向かいで相馬先輩が煙草をくわえたまま笑っています。


「お前、完全に負けてんぞ」


「声量で勝負してません」


 高梨さんが鞄から一枚の紙を出しました。


 湖西市民会館。


 使用不許可通知。


 町内会では来月、


 駅前再整備について市民討論会を開く予定だったそうです。


 道路を広げる。


 バスターミナルを移す。


 商店街の一部を区画整理する。


 市役所が進めている駅前再整備計画について、


 住民側からも意見を出したい。


 そこで。


 県選出の衆議院議員。


 市議会議員。


 商店街代表。


 地元住民。


 それぞれに声をかけて、


 公開討論会をしようとした。


「なるほど」


 私は頷きました。


「それで市民会館を借りようとした」


「そうです!」


「でも不許可」


「そうです!」


「理由は?」


「これですよ!」


 高梨さんが紙を突き出しました。


 私は読みました。


 ――国政選挙を控え、政治的中立性の確保及び選挙運動との混同を避ける必要があるため、施設の使用を認めない。


「……選挙、近いんですか?」


 私が聞くと、


 相馬先輩が煙草を灰皿へ押しつけました。


「衆議院の解散があるんじゃねえかって噂は出てる」


「まだ選挙になってない?」


「なってねえ」


「候補者の演説会ですか?」


「違います!」


 高梨さんの声がまた一段上がりました。


「駅前の話です!」


「ですよね」


「誰に投票しろとも言わん! 誰を落とせとも言わん! 駅前をどうするんだって話を、市民の前でしてもらいたいだけです!」


「議員さんが参加するから駄目だ、と」


「市役所はそう言いました!」


 私はもう一度通知を見ました。


 政治的中立性。


 選挙運動との混同。


 国政選挙。


 なるほど。


 役所っぽい。


 すごく役所っぽい。


 言葉だけ見ると立派なので、


 一瞬こちらが悪いことをしたような気分になります。


「他の会場は?」


 片桐所長が聞きました。


 高梨さんの声が少し下がります。


「百人入れるところは、あそこくらいなんです」


「公民館は」


「狭いです」


「商工会館」


「もう予定が入ってる」


「日時は動かせるか」


「国会議員の先生の日程が、その日しか空かないそうで」


 所長は短く頷きました。


「申請書は」


「これです」


 使用許可申請書。


 催事名。


 ――駅前再整備を考える市民公開討論会。


 主催。


 北浜町内会ほか三団体。


 予定参加者。


 二百名。


 登壇予定者の欄には、


 国会議員一名。


 県議会議員一名。


 市議会議員二名。


 商店街代表。


 住民代表。


「選挙運動って書いてないですね」


 私が言いました。


「当たり前です!」


「はい!」


 また負けた。


 相馬先輩が私の肩を叩きました。


「もうちょっと腹から声出せ」


「何の訓練ですか」


 私は通知の下のほうを読みました。


 根拠として書かれているのは、市民会館条例。


 ただし。


 条文番号だけ。


 どの要件に該当するかは書いてありません。


「政治的な集会は禁止、って条例なんですか?」


 高梨さんが首を振りました。


「知りませんよ」


「条例持ってます?」


「そんなもん普通の家にありますか!」


「ですよね!」


 今日は私も声が大きくなりそうです。


 片桐所長が書棚を指しました。


「こはる」


「はい」


「市例規集」


 ありました。


 分厚い。


 重い。


 地方自治の物理的重量を感じます。


 私は市民会館条例を探しました。


 使用を許可しないことができる場合。


 公の秩序を乱すおそれ。


 施設や設備を損傷するおそれ。


 管理上支障があると認められるとき。


 その他一定の場合。


「……政治家が来ると駄目、とは書いてませんね」


「そうだな」


 相馬先輩が横から覗き込みました。


「選挙に関係する催し全部禁止、とも書いてねえ」


「ですね」


 私は通知をもう一度見ます。


 そこで。


 現代の受験知識が、


 ものすごく元気よく頭の中から飛び出してきました。


 国政選挙。


 これは――。


「あ」


「何だ」


 相馬先輩が言います。


「分かりました」


「何が」


「これ、事務が違います」


「事務?」


「はい」


 私は勢いよく言いました。


「国政選挙に関する事務は第一号法定受託事務です。でも、市民会館の管理は自治事務の側です。だから国政選挙の事務について国から何か言われていても、それだけで自治事務である会館管理まで――」


「待て」


 相馬先輩の手が上がりました。


「はい?」


「何だ、その法定……何とかって」


「法定受託事務です」


「聞いたことねえ」


「え」


 嫌な予感。


 片桐所長が私を見ています。


「こはる」


「はい」


「今は何年だ」


 来た。


 この質問が来るとき、


 だいたい私は事故っています。


「昭和六十三年です」


「二十一世紀じゃないな」


「はい」


「じゃあ、その制度はどこにある」


 私は固まりました。


 頭の中で、


 平成十一年。


 地方分権一括法。


 平成十二年四月施行。


 という文字が、


 巨大な赤文字で点滅しました。


「……ない」


「何が」


「法定受託事務という制度が、まだありません」


「そういうことだ」


 やった。


 転生者、


 また未来法を先取りしました。


 私は机に額をつけました。


「十二年早かった……」


「何が十二年だ」


「いえ、こっちの話です」


 高梨さんが不安そうにこちらを見ています。


「駄目なんですか」


「いえ!」


 私は顔を上げました。


「制度の名前を間違えただけです!」


「かなり大事な間違いだろ」


 相馬先輩が言いました。


「そこは今、掘らないでください」


 でも。


 問題はそこです。


 現代なら。


 地方公共団体の事務は、


 自治事務と法定受託事務。


 大きくその二つに整理されている。


 国政選挙に関する事務なら、


 国が本来果たすべき役割に関わるものとして、


 第一号法定受託事務。


 私はそう習っています。


 でも。


 昭和六十三年には、


 その整理そのものがまだない。


 代わりにあるのが。


「機関委任事務」


 私は呟きました。


 相馬先輩が頷きました。


「そっちだ」


 この時代。


 国の事務の一部を、


 地方公共団体そのものに任せるのではなく。


 知事や市町村長などを、


 国の機関として扱って処理させる。


 機関委任事務。


 現代人の私からすると、


 かなり強烈な仕組みです。


 市長なのに。


 ある仕事をしているときは、


 市の代表というより、


 国の手足として動く。


「でも」


 私は言いました。


「だから国の言うことを無視できない」


「そうだ」


 相馬先輩が答えます。


「今のお前が考えてるみたいに、『市と国は対等なんだから、市の判断でやります』じゃ済まねえ」


「ですよね……」


「国の機関として処理する仕事なら、上からの指揮監督が入る」


「通達も」


「ああ」


 現代の地方自治。


 国と地方は、


 上下というより対等・協力。


 地方の自主性や自立性を重視する。


 もちろん国の関与は残るけれど、


 何でも命令できるわけではない。


 でも。


 ここは昭和六十三年。


 地方分権改革前。


 機関委任事務全盛期。


 国が紐を持っていて、


 地方の首長がその先で走っている。


 頭の中にそういう絵が浮かびました。


「……嫌な時代ですね」


「お前たまに時代そのものに喧嘩売るな」


「だって」


「仕事しろ」


「はい」


 しかし。


 片桐所長は市民会館条例を開いたまま、


 まだ動きません。


「こはる」


「はい」


「高梨さんは、何をしに市役所へ行った」


「市民会館を借りるためです」


「国政選挙を執行してくれと頼んだか」


「……いえ」


「投票所を設置してくれと?」


「違います」


「選挙人名簿の仕事か」


「違います」


「なら」


 所長の指が、


 市民会館条例を軽く叩きました。


「話を混ぜるな」


 私は止まりました。


「……あ」


 相馬先輩がにやっとします。


「やっと来たか」


「何がです?」


「お前、未来の制度名に気を取られすぎなんだよ」


「でも機関委任事務ですよね」


「国政選挙の事務はな」


「……国政選挙の事務は」


 言ってから。


 気づきました。


 高梨さんが求めているのは、


 選挙事務ではない。


 市民会館の使用許可です。


「市民会館の管理まで機関委任事務になるわけじゃない」


「そういうことだ」


 相馬先輩が言いました。


「役所が一個だからって、仕事まで全部一個じゃねえ」


 その言葉が、


 すとんと落ちました。


 同じ市役所。


 同じ市長。


 同じ庁舎。


 でも。


 地方自治の仕事は、


 中身によって性格が違う。


 どこから来た権限なのか。


 誰の仕事として処理しているのか。


 どこまで国が指揮できるのか。


 それを見ないといけない。


「じゃあ」


 私は通知書を指しました。


「国政選挙について何か国から通達が出ていたとしても」


「うん」


「それがそのまま、市民会館の使用不許可の根拠になるとは限らない」


「そうだ」


「会館を貸さないなら」


 私は条例を見ました。


「会館条例上の不許可要件に当たる理由が必要」


「そこだ」


 片桐所長が言いました。


 なんだ。


 未来法、


 完全に役立たずではありませんでした。


 名前はまだない。


 制度も違う。


 国と地方の関係も全然違う。


 でも。


 仕事の性質を切り分ける。


 その発想は使える。


「市役所へ行くぞ」


 相馬先輩が立ち上がりました。


「今からですか」


「高梨さん」


「はい」


「会館使用申請の控え、預かります」


「お願いします!」


「それから」


 相馬先輩が高梨さんを見ます。


「今日、市役所で怒鳴るなよ」


「私は怒鳴ったことなんか――」


「あります」


 私は言いました。


「かなりあります」


「朝比奈さん!」


「机も叩きました」


「正確だな」


 相馬先輩が笑いました。


 市役所二階。


 総務課。


 その日も。


 沢渡課長は、


 感情を一切持ち込まない顔で書類を読んでいました。


「市民会館の件ですか」


「早いですね」


 私が言うと、


 沢渡課長は眼鏡の位置を直しました。


「高梨さんが午前中に来ましたから」


「怒鳴りました?」


「かなり」


「ですよね」


「机も叩きました」


「同じ証言だ」


 相馬先輩が呟きます。


 沢渡課長は使用不許可通知を見ました。


「選挙を控えておりますので」


「まだ選挙じゃねえだろ」


「解散の可能性があります」


「可能性で会館貸さねえのか」


「国政選挙に関しては、政治的公平性について慎重な取扱いを求める通知が来ています」


 来た。


 国。


 通知。


 昭和地方自治の重力。


 相馬先輩が言いました。


「見せてもらえるか」


「内部文書です」


「じゃあ内容だけでいい」


「選挙管理に当たって、特定候補者への便宜供与と受け取られる行為を避けること。行政の政治的中立性を害する疑いを生じさせないこと。そういった趣旨です」


「市民会館を政治家に貸すな、と書いてあるのか」


 沢渡課長は黙りました。


 ほんの一秒。


 でも。


 その一秒を相馬先輩は逃しません。


「書いてねえんだな」


「具体的な個別事案まで列挙されているわけではありません」


「なら市の判断か」


「通知の趣旨を踏まえた市の判断です」


「根拠は」


「市民会館条例です」


「どこに当たる」


「管理上支障があると認められる場合です」


「何が支障なんだ」


「政治的公平性への疑念です」


「誰の」


 相馬先輩の声が低くなりました。


「何でしょう」


「誰の政治的公平性だ」


「行政のです」


「会館を貸したら、市が討論会を主催したことになるのか」


「そうは申し上げていません」


「会場使用料は払う」


「ええ」


「申請者は町内会」


「ええ」


「市は登壇者を選ばねえ」


「その予定です」


「議員だけじゃなく住民代表も商店街も出る」


「申請上は」


「選挙運動をするって書いてあるか」


「書いてありません」


「だったら」


 相馬先輩が条例集を机に置きました。


「何を管理上の支障だと判断した」


 沢渡課長の指が止まりました。


 来た。


 ここです。


 役所は、


 国から通知が来ている。


 選挙が関係する。


 政治家も来る。


 なら貸さない。


 と考えた。


 でも。


 一枚ずつ剥がしていく。


 国政選挙そのものか。


 違う。


 市が主催するのか。


 違う。


 特定候補を応援する催しか。


 申請上は違う。


 条例上の不許可要件に該当する具体的事情は何か。


 まだ出てこない。


 私は口を開きました。


「課長」


「はい」


「国政選挙に関する仕事について、国から指導が入ること自体は分かります」


「ええ」


「今は機関委任事務の時代ですから」


 沢渡課長が少し眉を上げました。


「朝比奈さんにしては珍しく、時代に合ったことを言いますね」


「どういう意味ですか」


「いえ」


「絶対何か含んでますよね」


「気のせいでしょう」


 この人も覚えたな、その逃げ方。


「でも」


 私は続けました。


「市民会館を貸すかどうかまで、国が決めているわけじゃありませんよね」


「……当然です」


「なら、分けませんか」


「何をです」


「仕事を」


 私は条例を指しました。


「選挙を適正に執行する仕事と」


 次に、


 市民会館の使用を許可する仕事。


「同じ市役所が扱っていても、別ですよね」


 沢渡課長は答えません。


「国から選挙について通知が来ているからといって」


 私は続けました。


「市民会館条例に書かれていない禁止事項まで増やせるわけではない」


「禁止事項を増やしているわけではありません」


「じゃあ」


「管理上の支障です」


「その支障を具体的にしてください」


 沢渡課長の視線が、


 私から相馬先輩へ。


 相馬先輩から片桐所長へ動きました。


 所長は、


 ずっと黙っています。


 こういうときの所長は怖い。


 喋らないから、


 相手が勝手に自分の説明の穴を探し始める。


 やがて。


 沢渡課長が言いました。


「仮に当日、選挙運動に該当する発言があった場合は」


「その場合の対応を条件にすりゃいい」


 相馬先輩が即答しました。


「事前に全面禁止する理由とは別だ」


「候補予定者の扱いに差が出れば」


「同じ条件で参加機会を開け」


「すべての候補予定者を呼ぶ義務まで市が負うわけではありません」


「市じゃねえ。主催者だ」


 ぴしゃり。


 沢渡課長が黙ります。


「市役所が主催者になったり、候補者を選んだり、無料で便宜を図ったりするなら話は別だ」


 相馬先輩が言いました。


「でも今回、市がやるのは会館の貸出しだけだろ」


「形式的には」


「形式じゃなく法律の話してんだよ」


 部屋の空気が少し張りました。


 私は心の中で、


 先輩、


 言い方。


 と思いました。


 でも止めませんでした。


 なぜなら。


 今の言葉には、


 ちゃんと芯があったからです。


 役所が一つだから。


 政治家が関係するから。


 国の通知があるから。


 全部まとめて、


 危ないから駄目。


 ではなく。


 何の仕事をしているのか。


 その仕事について、


 誰から与えられた権限を使っているのか。


 どのルールが適用されるのか。


 そこを分ける。


 地方自治法って、


 市町村を応援する法律だと思っていました。


 でも違う。


 国と地方。


 首長と議会。


 住民と役所。


 それぞれが、


 どの帽子をかぶって仕事をしているのかを決める法律でもあるんです。


「書面を出します」


 片桐所長が初めて言いました。


 沢渡課長が顔を上げました。


「どのような」


「照会書だ」


「照会?」


「三点」


 所長が指を一本立てました。


「第一に、市民会館使用不許可の条例上の具体的根拠」


 二本目。


「第二に、国政選挙に関する国の通知と、本件施設使用不許可との法的な関係」


 三本目。


「第三に、討論会の内容や運営条件を調整することで許可可能となる余地があるか」


 沢渡課長が少し目を細めました。


「つまり」


「国の仕事と、市の施設管理を混同していないか確認する」


 短い。


 でも強い。


 沢渡課長が通知書を見ました。


「……分かりました」


「再検討してもらえるか」


「書面を受け取った上で」


「十分だ」


 帰り道。


 私は相馬先輩の隣を歩きながら言いました。


「先輩」


「何だ」


「さっきの件なんですけど」


「何だ」


「未来では、ものすごく整理しやすくなるんですよ」


「また未来か」


「地方公共団体の事務を、大きく二つに分けるんです」


「その法定何とかか」


「はい」


 私は指を二本立てました。


「自治事務と法定受託事務」


「へえ」


「自治事務は、法定受託事務以外の地方公共団体の事務」


「定義が雑だな」


「法律がそういう作りなんです」


「で?」


「法定受託事務は、国や都道府県が本来果たすべき役割に関わるけど、地方公共団体に処理させる事務」


「今と何が違う」


 そこです。


 私は少し考えました。


「主語が違うんです」


「主語?」


「今の機関委任事務って、市長が『国の機関』として仕事する感じじゃないですか」


「ああ」


「未来では、地方公共団体の事務として扱うんです」


 相馬先輩が少しだけ眉を上げました。


「国の仕事なのに?」


「国が本来やるべき役割に関わるものでも、法律で地方公共団体に処理させる。だけど、自治体そのものの事務として整理する」


「……ずいぶん変わるな」


「変わります」


 たぶん。


 この人たちが思っているよりずっと。


 国と地方の関係そのものを組み替えるくらいに。


「しかも」


 私は続けました。


「国が本来やるべきものなら第一号法定受託事務」


「一号」


「都道府県が本来やるべき仕事を市町村が処理するものなら第二号」


「二号」


「国政選挙なら一号。県議会議員選挙とか知事選挙なら二号」


「細かくなるんだな」


「受験生は泣きます」


「知らん」


 即答。


「でも便利なんです」


「何が」


「今みたいな事件で」


 私は振り返りました。


 市役所の建物が見えます。


「この仕事は誰の仕事なのか」


「うん」


「国から来たものなのか」


「うん」


「県から来たものなのか」


「うん」


「それとも自治体自身の仕事なのか」


「うん」


「最初から分類して考えられる」


 相馬先輩が煙草をくわえます。


「じゃあ今日は、その未来の制度で勝ったのか」


「……違いますね」


「だろ」


 火をつける。


「今ねえ制度じゃ戦えねえ」


「はい」


「使えるのは、今ある条例と、今ある権限だけだ」


「はい」


「ただ」


 相馬先輩が煙を吐きました。


「どの仕事をしてるのか考える癖は、悪くねえ」


 私は少し笑いました。


「褒めました?」


「気のせいだ」


 やっぱり。


 二日後。


 私は照会書を完成させました。


 片桐所長に見せる。


 赤鉛筆が入る。


 直す。


 また入る。


 直す。


 また入る。


「所長」


「何だ」


「私の文章、原形なくなってません?」


「良くなっただろ」


「否定できません」


 行政書士の仕事は、


 怒鳴ることではありません。


 役所に、


 おかしいでしょう。


 と感情をぶつけることでもない。


 何を決めたのか。


 その権限は何か。


 根拠は何か。


 判断に使った基準は何か。


 別の仕事のルールを、


 こちらにまで引っ張ってきていないか。


 それを紙の上で逃げられない形にする。


 照会書には、


 国の通知そのものを否定する言葉は一行も入れませんでした。


 国政選挙の適正な執行における政治的公平性の確保が重要であることは理解する。


 その上で。


 本件は国政選挙の執行そのものではなく、


 市民会館の使用許可申請である。


 よって、


 国政選挙に関する通知の趣旨が、


 市民会館条例上の使用不許可要件にどのように該当するのか。


 具体的根拠を示してほしい。


 また。


 施設管理上必要な条件を付すことで使用可能となる余地があるなら、


 その条件を示してほしい。


「これなら」


 私は言いました。


「『国に逆らえ』って話じゃないですね」


「最初からそう言ってる」


 相馬先輩が言いました。


「国の通達が気に食わねえから破れ、じゃ勝てねえ」


「はい」


「しかも機関委任事務の時代じゃ、なおさらだ」


「はい」


「だから」


 相馬先輩が書面を指で叩きました。


「通達が効く仕事と、条例で判断する仕事を分ける」


 なるほど。


 真正面から中央集権に喧嘩を売るんじゃない。


 境界線を引き直す。


 国の権限がある場所は認める。


 でも。


 そこから一歩でも外へ出たら、


 市は市のルールで説明しろ。


 そう迫る。


 昭和の地方自治。


 思っていたより、


 ずっと泥臭い。


 一週間後。


 電話が鳴りました。


「はい、片桐行政書士事務所です」


『総務課の沢渡です』


「来た」


『何がですか』


「いえ、何でもありません」


『市民会館の件ですが』


 私は背筋を伸ばしました。


「はい」


『条件付きで使用を許可する方向になりました』


「本当ですか!」


『声が大きいです』


「すみません」


 私は口元を押さえました。


「条件は?」


『市が主催・後援していると誤認させる表示をしないこと』


「はい」


『選挙運動を目的とする催事に変更しないこと』


「はい」


『施設内の秩序維持について主催者が責任を負うこと』


「はい」


『登壇者が増える場合は事前に届け出ること』


「それなら」


 私は相馬先輩を見ました。


 先輩が頷きます。


「受けられます」


『でしょうね』


「不許可は撤回ですか」


『当初処分について再検討の上、改めて許可手続を取ります』


「理由は?」


 電話の向こうで、


 少し間がありました。


『選挙管理上の配慮と、市民会館の管理判断を、必要以上に一体として扱っていました』


 おお。


 沢渡課長が。


 かなり役所語ですが。


 ほぼ認めた。


「国からの通知は?」


『選挙事務については当然、尊重します』


「でも」


『それだけで、あらゆる政治家参加行事を市民会館から排除する根拠にはなりません』


「……ですよね」


『朝比奈さん』


「はい」


『嬉しそうですね』


「ちょっとだけ」


『今後、議員参加行事の取扱基準も整理します』


「そこまで?」


『同じ問題がまた起きれば非効率です』


「課長らしい」


『褒め言葉として受け取ります』


 電話が切れました。


「どうだった」


 相馬先輩が聞きます。


「許可です」


「そうか」


「条件付きですけど」


「十分だ」


 片桐所長も、


 帳簿から顔を上げました。


「高梨さんに連絡しろ」


「はい」


 十分後。


 高梨さんが事務所へ飛び込んできました。


 早い。


 電話したばかりなのに。


「本当ですか!」


「本当です」


「会館、使えるんですか!」


「条件付きです」


「何でも守ります!」


「何でもは危ないので、条件を読んでください」


「はい!」


 私は一つずつ説明しました。


 市が後援しているような表示をしない。


 選挙運動を目的とする催しに変えない。


 施設内の秩序を守る。


 変更があれば届け出る。


 高梨さんは全部聞き終えてから、


 大きく息を吐きました。


「よかった」


 今までで一番小さい声でした。


「駅前の話がしたかっただけなんです」


「分かってます」


「誰が偉いとか、誰を応援するとか、そういう話じゃなくて」


「はい」


「あの商店街が十年後も残るのか。年寄りが駅まで歩けるのか。バス停がどこへ行くのか。そういう話をしたかった」


 机を叩いていた手が、


 今は膝の上にありました。


「市役所に駄目だと言われたとき」


 高梨さんが言います。


「選挙の話が出たから仕方ないのかと思ったんです」


「私も最初、ちょっとそう思いました」


「お前は別の意味で間違えてただろ」


 相馬先輩が言います。


「そこは言わなくていいんです」


「何を間違えたんです?」


 高梨さんが聞きます。


「未来の法律を使おうとしました」


「は?」


「気にしないでください」


 高梨さんは首をかしげました。


 片桐所長が静かに言います。


「役所の仕事は、一枚じゃないんです」


「一枚?」


「同じ役所がやっていても、仕事ごとに根拠が違う」


「……ああ」


「国の指示に従って動く仕事もある」


「はい」


「市が条例に基づいて判断する仕事もある」


「はい」


「一つの理由で、全部を塗りつぶすことはできません」


 高梨さんは少し考えてから、


 深く頭を下げました。


「ありがとうございます」


 討論会当日。


 私は仕事ではなく、


 後ろの席から少しだけ様子を見ました。


 壇上には、


 議員。


 商店街の人。


 若い母親。


 バス会社の担当者。


 町内会。


 派手さはありません。


 怒号もありません。


 駅前を全部壊して作り直せという人もいれば、


 古い商店街を残せという人もいる。


 バス停を駅に近づけろという人。


 防災上、道路を広げるべきだという人。


 立場はばらばら。


 でも。


 誰も、


 誰に投票してください、


 とは言いませんでした。


 ただ。


 自分たちの町をどうするか。


 その話をしていました。


 私は会場の一番後ろで、


 市民会館の壁を見上げました。


 同じ建物。


 同じ市役所が管理する施設。


 同じ議員。


 同じ「選挙」という言葉。


 それでも。


 何の仕事なのかを間違えると、


 答えまで変わってしまう。


 国政選挙を適正に執行する仕事。


 市民会館を住民に使わせる仕事。


 未来なら、


 法定受託事務。


 自治事務。


 そういう名前で大きく整理される。


 国が本来果たすべき役割に関わるものなら、


 第一号法定受託事務。


 都道府県が本来果たすべき役割に関わるものを市町村が処理するなら、


 第二号法定受託事務。


 でも。


 今はまだ、


 その言葉すらありません。


 あるのは。


 機関委任事務。


 国の強い指揮監督。


 中央と地方の上下関係。


 その中で、


 市が自分で決められる場所を一つずつ探す。


 私には、


 ちょっと息苦しい時代です。


 だけど。


 だからこそ。


 どの仕事について国が口を出しているのか。


 どこから先は市が条例で判断すべきなのか。


 その境界線を見つけることが、


 武器になる。


 討論会が終わったあと。


 高梨さんが出口で私を見つけました。


「朝比奈さん!」


「はい」


「机、今日は叩きませんでしたよ!」


「そこを報告するんですか」


「ちゃんと最後まで座ってました!」


「子どもの授業参観みたいになってます」


 高梨さんが笑います。


「でもね」


「はい」


「話せてよかった」


 その一言だけは、


 とても静かでした。


 夕方。


 事務所へ戻ると、


 相馬先輩が机の上に三枚の紙を並べました。


「こはる」


「はい」


「問題だ」


「嫌な予感」


「国政選挙」


「はい」


「県知事選挙」


「はい」


「市民会館管理」


「はい」


「未来ではどう分ける」


 来た。


 私は指を立てました。


「国政選挙に関する事務なら、国が本来果たすべき役割に関わるので第一号法定受託事務」


「うん」


「知事選挙など都道府県の選挙に関する事務を市町村が処理する場合なら、第二号法定受託事務」


「うん」


「市民会館管理は――」


 私は一瞬止まりました。


「法定受託事務じゃなければ、自治事務」


「雑な定義だな」


「だから法律上そういう定義なんですって!」


 相馬先輩が笑います。


「で、今は?」


「その二分類はありません」


「よし」


「今なら、国政選挙関係では機関委任事務という古い仕組みを意識する」


「よし」


「そして一番大事なのは」


 私は三枚の紙を、


 少し離して置きました。


「同じ役所がやってるからって、全部同じ仕事だと思わない」


 片桐所長が奥から言いました。


「それでいい」


 私はノートを開いて、


 一行だけ書きました。


 ――役所を見るな。まず、その仕事が「誰の仕事」なのかを見ろ。


「所長」


「何だ」


「今日の教訓、どうです?」


「長い」


「一行ですよ」


「もっと短くしろ」


 私は少し考えました。


 そして。


 その下にもう一行。


 ――同じ市役所でも、かぶっている帽子が違う。


 相馬先輩が覗き込みます。


「何だ、その帽子」


「市長帽子です」


「そんなもんねえよ」


「あるんですよ、概念的には」


「国の機関帽子とか?」


「そうです」


「市長がかぶったら似合わねえな」


「想像しないでください」


 片桐所長が帳簿を閉じました。


「こはる」


「はい」


「お前は今、何の帽子をかぶってる」


「行政書士見習いです」


「なら湯呑みを洗え」


「それ帽子と関係あります?」


「事務所の仕事だ」


「委任された覚えがありません!」


 相馬先輩が笑いました。


「上級機関からの指揮監督だ。従え」


「ここにも機関委任事務がある!」


「ねえよ」


 昭和六十三年。


 国と地方の境界線を勉強した日の最後に。


 私は結局、


 片桐行政書士事務所という、


 きわめて中央集権的な小さな組織の末端で、


 湯呑みを七個洗うことになりました。


 地方分権改革。


 できれば。


 うちの事務所にも早めにお願いします。

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