[争点訴訟]法理編 こはるノート
夕方の片桐行政書士事務所は、
裁判より先に、
大根の処分方法で揉めていました。
「先輩」
「何だ」
「これ、まだ二本あります」
「知ってる」
「一本は所長が持って帰りました」
「見てた」
「じゃあ残り二本」
「お前と俺だろ」
「何で当然みたいに割り振られてるんですか」
「公平だろ」
「行政法でいう公平は、大根を頭数で分ける意味じゃないです」
私は机の脇に立てかけられた大根を見ました。
太い。
白い。
無駄に存在感があります。
藤巻源蔵さんが、
別の畑で採れたからと置いていったものです。
父親と大根を抜いた昔の畑。
今、その土地の所有権をめぐって、
これから弁護士へ引き継ごうとしている。
その事件のおかげで、
今日の私のノートには、
大きくこう書いてありました。
――争点訴訟。
「……名前がややこしい」
「また始まった」
相馬先輩が煙草に火をつけます。
「だってそうでしょう」
「何がだ」
「行政処分が争点なのに、民事訴訟」
「そうだな」
「行政事件訴訟法に出てくるのに、行政訴訟じゃない」
「そうだな」
「しかも、処分の無効が問題になるのに、無効等確認訴訟とは違う」
「そうだな」
「受験生に対する嫌がらせでは?」
「違う」
即答。
私はノートの余白に、
嫌がらせ説。
と書こうとしてやめました。
所長に見つかると消されます。
まず。
争点訴訟とは何か。
私はノートに書きました。
――私法上の法律関係に関する訴訟で、その前提として、処分若しくは裁決の存否又はその効力の有無が争われるもの。
「長い」
相馬先輩が言います。
「条文っぽく書くと長くなるんです」
「じゃあ日本語にしろ」
「日本語です」
「人間の日本語にしろ」
ひどい。
でも。
たしかに、このままだと頭に残りにくい。
私は書き直しました。
――最後に争いたいのは私人同士の権利。
――でも、その結論を出すために、行政処分が有効か無効かを先に考えなければならない。
「これならどうです?」
「まだ長い」
「先輩の脳内容量に合わせてません」
「喧嘩売ってんのか」
「説明してるんです」
片桐所長が帳簿から目を上げました。
「藤巻さんの件で言え」
「はい」
来ました。
現場型口頭試問。
私は姿勢を正します。
「藤巻さんは、昔の農地買収処分に重大な瑕疵があって無効ではないかと考えています」
「うん」
「でも、藤巻さんが最終的に欲しいのは、『買収処分は無効です』という確認そのものじゃない」
「うん」
「現在の所有名義人である西野さんとの間で、『この土地は自分の所有だ』と確認してもらうことです」
「うん」
「つまり、訴訟の最終目的は所有権という私法上の権利関係」
「それで」
「その所有権を判断する前提として、昔の農地買収処分が有効だったのか、無効だったのかが問題になる」
「それが?」
「争点訴訟」
所長が頷きました。
「そうだ」
よし。
現場で見たあとだと、
本当に忘れにくい。
争点訴訟。
名前だけ覚えると、
何の争点だ。
という気持ちになります。
でも、
行政処分そのものが最終目的ではなく、
私法上の法律関係を決める途中で、
行政処分の効力が大争点になる。
そう理解すると見えやすい。
「典型例は」
私はノートに二つ書きました。
一つ。
農地買収処分が無効だから、
自分に所有権がある。
として提起する所有権確認訴訟。
二つ。
不動産を取得していないのに不動産取得税を課され、
いったん納付したが、
課税処分が無効だとして、
納めた税金の返還を求める訴訟。
「後の方も争点訴訟なのか」
相馬先輩が聞きます。
「はい」
「税金なのに?」
「そこがポイントです」
私は机に指を立てました。
「最終的に求めるのは、課税処分の取消しや無効確認じゃない」
「金返せ、と」
「そうです」
「返還請求」
「はい。私法上の返還請求として構成して、その前提として課税処分が無効かどうかを争う」
「なるほどな」
私は丸をつけました。
つまり。
土地でも。
お金でも。
最後に争っている権利義務が私法上のものなら、
民事訴訟。
ただし、
その勝敗を分ける前提問題として行政処分の効力が出てくる。
それが争点訴訟。
「じゃあ」
相馬先輩が言いました。
「行政処分が争点に出てきたら、全部争点訴訟か」
「違います」
「即答だな」
「その罠は分かります」
ここからが大事です。
何を最終的に争っているのか。
そこを見ないといけない。
私は次の見出しを書きました。
――争点訴訟と実質的当事者訴訟の違い。
「似てるんですよ」
「何が」
「どっちも、処分の無効とか行政上の問題が背景にあって、抗告訴訟そのものじゃないところ」
「なるほど」
「でも、違う」
「何が」
「最終的に争っている権利の性質です」
私は二本の線を引きました。
争点訴訟。
私法上の権利義務。
私人対私人。
民事訴訟。
実質的当事者訴訟。
公法上の権利義務。
私人対行政主体。
行政訴訟。
「たとえば?」
相馬先輩が聞きます。
「藤巻さんの事件は分かりやすいです」
「土地だな」
「はい」
「所有権」
「民法上の権利です」
「だから私法」
「そうです」
一方。
実質的当事者訴訟。
これは公法上の法律関係を直接争う。
たとえば、
公務員としての地位。
公法上の金銭請求。
そういった、
行政との間にある公法上の権利義務について争う。
「ざっくり言うと」
私は言いました。
「争点訴訟は、行政処分を脇に抱えた民事事件」
「脇に抱えるな」
「比喩です」
「実質的当事者訴訟は?」
「行政との公法上の関係そのものを争う行政事件」
「なるほど」
所長が口を挟みます。
「相手も見ろ」
「はい」
「争点訴訟は、典型的には私人同士だ」
「はい」
「実質的当事者訴訟は?」
「私人と行政主体」
「そうだ」
私はノートに大きく書きました。
――私法なら民事。
――公法なら行政。
「これ、試験だと相当使えますね」
「何でも試験に持っていくな」
「私は受験生なんです」
「今は見習いだ」
「両方です」
転生者は肩書きが多い。
次。
無効等確認の訴えとの違い。
私はここで、
昨日の自分の顔を思い出しました。
藤巻さんが、
昔の処分は無効だ。
と言った瞬間。
私の頭には、
無効等確認訴訟!
と大きな看板が立ちました。
危ない。
本当に危ない。
「先輩」
「何だ」
「昨日、私かなり危なかったですよね」
「かなりな」
「即座に無効等確認訴訟へ走りかけた」
「顔がな」
「顔の話はもういいです」
私はノートに書きます。
無効等確認の訴え。
求めるもの。
――処分または裁決の存否・効力の有無の確認そのもの。
争点訴訟。
求めるもの。
――処分の無効などを前提として、私法上の権利義務について判断してもらうこと。
「藤巻さんの件で言うと?」
「もし藤巻さんが」
私は少し考えます。
「『昔の農地買収処分が無効であること自体を確認してください』と求めるなら、無効等確認の訴え」
「うん」
「でも」
「うん」
「『その買収処分は無効だから、今もこの土地の所有権は自分にあると確認してください』なら、争点訴訟」
「そういうことだ」
ここ。
大事です。
同じ行政処分。
同じ無効主張。
でも、
何を請求しているかで訴訟の種類が変わる。
「処分の無効そのものがゴールか」
「うん」
「処分の無効は途中で、私法上の権利関係がゴールか」
「うん」
「それで分かれる」
「そうだ」
私は昨日書いた一行を見ました。
――処分の無効は、ゴールとは限らない。欲しい権利から、訴えを選ぶ。
うん。
今日見ても悪くない。
「自画自賛してる顔だな」
「何で分かるんですか」
「顔に書いてある」
「この事務所、私の顔を資料にしすぎですよ」
ただ。
無効等確認の訴えと争点訴訟の関係には、
もう一つ大事な考え方があります。
私はノートに太く線を引きました。
現在の法律関係に関する訴えによって目的を達成できるなら、
原則として、
そちらで解決する。
「ここです」
「何が」
「無効確認って、いつでも自由に選べるわけじゃない」
「ほう」
「現在の法律関係を争う訴えで目的を達成できる場合には、そっちで解決するのが基本」
昨日の藤巻さんなら。
昔の処分の無効だけを確認してもらうより、
今、
土地の所有権が誰にあるのか。
そこを直接決めてもらえるなら、
その方が問題解決としてまっすぐです。
「つまり」
相馬先輩が言いました。
「処分の死亡診断書だけもらっても、土地は帰ってこねえ」
「昨日の私の比喩、覚えてたんですか」
「分かりやすかったからな」
「褒めました?」
「話を続けろ」
逃げた。
でもその通り。
行政処分が無効だった。
それだけでは、
現在の所有権者との関係が自動的に全部整理されるとは限らない。
だったら、
今の権利関係を直接確定する訴えで争う方が実効的。
だから、
無効等確認の訴えは、
現在の法律関係に関する訴えでは目的を達成できない場合に認められる。
「行政法って」
私は言いました。
「結構、今の問題を直接解けって考え方しますよね」
「何だそりゃ」
「過去の処分にだけ判子を押すんじゃなくて」
私はノートを指します。
「今、土地は誰のものか」
「うん」
「今、金を返す義務があるか」
「うん」
「今の法律関係を直接決められるなら、そっちへ行く」
「その方が一回で済むからな」
「そうなんですよ」
法制度は、
裁判を増やすためにあるわけではない。
一つの紛争を、
できるだけ実効的に解決するためにある。
そう考えると、
無効確認より現在の法律関係を争う訴えが優先される理由も分かりやすい。
「じゃあ」
相馬先輩が言いました。
「争点訴訟って行政事件訴訟法には出てくるが、民事訴訟なんだな」
「はい」
「なら行政事件訴訟法は完全に関係ないのか」
「そこが違うんです」
「来たな」
「行政法名物、単純に終わらない」
私は新しい見出しを書きます。
――争点訴訟における行政事件訴訟法の準用。
争点訴訟。
訴訟そのものは民事訴訟です。
でも。
その中で、
行政処分の存否や効力が争われる。
だったら、
行政側からすれば、
知らないところで自分たちの処分が無効扱いされる可能性があります。
「それはまずいですよね」
「まあな」
「だから行政事件訴訟法は、争点訴訟について、行政事件特有の手続の一部を準用する」
「どんなのだ」
「処分庁への通知などです」
要するに。
民事訴訟だから、
行政は一切関係ありません。
ではない。
処分の効力が裁判で争われる以上、
処分庁にも知らせる。
必要なら、
行政側が訴訟に関与できる仕組みも用意する。
「昨日、沢渡課長が言ってたところですね」
「あいつ詳しいな」
「総務課ですから」
「お前より?」
「今それ言う必要あります?」
私は少し傷つきました。
でも。
ここは試験でも大事。
争点訴訟。
民事訴訟。
だから民事訴訟法だけ。
そう単純に切ると危ない。
行政処分の効力が争点になっているから、
行政事件訴訟法の一部が顔を出してくる。
「ハイブリッドですね」
「また変な言葉使うな」
「民事の車体に、行政事件の部品が載ってる感じ」
「事故りそうだな」
「比喩です!」
ここで、
私はふと思いました。
「所長」
「何だ」
「争点訴訟って、取消訴訟とはどう違うって説明します?」
「何を求めるかだ」
またそれです。
でも、
それが一番強い。
「取消訴訟は?」
「処分の取消し」
「争点訴訟は?」
「私法上の権利義務」
「そうだ」
たとえば藤巻さんが、
昔の買収処分を取り消してくれ。
というなら、
取消訴訟の問題になります。
でも。
昔の処分です。
昭和六十三年よりずっと前。
取消訴訟なら、
出訴期間という壁があります。
当時の行政事件訴訟法では、
処分があったことを知った日から三箇月。
現代なら六箇月。
「ここも危ないんですよね」
「何が」
「私、現代知識で六箇月って言いそうになる」
「昨日も飲み込んでたな」
「見てました?」
「顔に――」
「もういいです!」
私はノートに書きました。
昭和六十三年。
取消訴訟。
知った日から三箇月。
現代。
六箇月。
でも。
今回の藤巻さんの主張は、
単なる取消原因ではなく、
処分が初めから無効だったというものです。
無効なら。
取消訴訟の出訴期間を過ぎたからといって、
その瞬間に処分が有効になるわけではない。
だから、
現在の私法上の権利関係を争う民事訴訟の中で、
その処分の無効が前提問題として争われる余地がある。
「ただし」
所長が言いました。
「無効は簡単に言うな」
「はい」
ここ。
昨日も大事でした。
処分に瑕疵がある。
だから無効。
ではない。
違法な処分でも、
取消されるまでは効力を持つものが多い。
行政行為の公定力。
そして、
瑕疵が重大で、
無効と評価されるような場合に初めて、
初めから効力を認めないという話になる。
「藤巻さんの件でも」
私は言いました。
「地番が食い違ってる」
「うん」
「通知記録が見当たらない」
「うん」
「でも、それだけ見て私たちが『無効です』って断定したら駄目」
「当然だ」
「処分の根拠、手続、対象の特定、瑕疵の程度を全部見て、最終的な法的評価は弁護士と裁判所」
「そうだ」
行政書士の仕事は、
判決を出すことではない。
裁判代理もできない。
だからこそ。
前段階で、
事実を間違えずに積み上げる。
相談者が本当に何を求めているのかを確認する。
どの法律関係を争うのかを整理する。
行政処分が、
その中でどんな位置にあるのかを見極める。
そこが勝負になる。
「でもさ」
相馬先輩が煙草を灰皿に押しつけました。
「昨日の藤巻さん、最初は『市役所を訴える』しか言ってなかったよな」
「はい」
「なんでだと思う」
「処分をしたのが役所だから」
「そうだな」
「原因を作った相手を、そのまま被告だと思っちゃう」
「ありがちだ」
「でも訴訟って」
私はノートを見ながら言いました。
「原因になった人を訴える制度じゃないんですね」
「じゃあ何だ」
「求める法律関係に応じて、相手が決まる制度」
所長が頷きます。
「そこだ」
原因。
責任。
怒り。
それと、
訴訟構造は同じではない。
藤巻さんの場合、
怒りの向きは市役所です。
昔の買収処分がなければ、
こんな問題は起きなかった。
でも、
今、
所有権を争っている直接の相手は西野さん。
だから、
私法上の所有権確認訴訟として争う構造になる。
「つまり」
私は言いました。
「法律相談で最初に聞くべきは、『誰が悪いですか』じゃない」
「じゃあ?」
「最後に何を欲しいですか」
相馬先輩が少し笑いました。
「昨日よりマシになったな」
「褒めました?」
「気のせいだ」
「またそれ!」
私はノートの真ん中に、
三つ並べて書きました。
一。
無効等確認の訴え。
ゴール。
処分そのものの無効確認。
二。
争点訴訟。
ゴール。
私法上の権利義務の確定。
処分の無効は前提問題。
三。
実質的当事者訴訟。
ゴール。
公法上の権利義務の確定。
「並べると分かりやすいな」
相馬先輩が言います。
「ですよね」
「一個ずつ覚えるよりマシだ」
「試験は比較すると覚えやすいです」
「じゃあ俺にも問題出せ」
「珍しいですね」
「暇だからな」
よし。
私は少し嬉しくなりました。
「じゃあ第一問」
「来い」
「昔の行政処分が無効だとして、その無効自体を確認してほしい」
「無効等確認」
「正解」
「次」
「処分の無効を前提に、自分が土地所有者だと確認してほしい」
「争点訴訟」
「正解」
「次」
「処分の無効を前提に、行政主体との間の公法上の権利関係を確認したい」
「実質的当事者訴訟」
「正解!」
「簡単だな」
「今のは基礎問題です」
「じゃあ難しいの出せ」
「では」
私は少し考えました。
「不動産を買ってないのに不動産取得税を課されて、払ってしまった」
「うん」
「課税処分は無効だ。だから金を返せ」
「……争点訴訟」
「正解」
「返還請求が私法だからか」
「そうです」
「じゃあ課税処分が無効だということだけ確認してほしい」
「無効等確認」
「そうです」
「なるほどな」
相馬先輩が腕を組みます。
「同じ処分でも、請求の仕方で変わるんだな」
「そこなんですよ!」
私は思わず身を乗り出しました。
「行政法のテキストって、訴訟類型を名前で覚えると地獄なんです」
「地獄なのか」
「でも、『何を最終的に欲しいか』で見ると整理できる」
「今さら分かったのか」
「現場が教えてくれました」
すると奥から、
片桐所長が言いました。
「それを忘れるな」
「はい」
「訴訟類型を先に決めるな」
私は手を止めました。
「え?」
「相談者の話を聞く前に」
所長は帳簿を閉じます。
「これは取消訴訟だ」
「……」
「これは無効確認だ」
「……」
「そう決めつけるな」
「はい」
「まず、何を取り戻したいのか聞け」
それです。
昨日の私は、
完全に逆でした。
行政処分が無効?
はい、無効等確認訴訟。
教科書の見出しから現実へ当てはめようとした。
でも実務は逆。
人が先。
困りごとが先。
欲しい結果が先。
そこから、
どの法律関係を、
誰との間で、
どんな訴えで確定するのかを考える。
「法律って」
私は言いました。
「答えを当てるクイズじゃないんですね」
「今さら何を言ってる」
「受験勉強だと、どうしても選択肢を当てるものに見えるんですよ」
「現場には選択肢なんか書いてねえぞ」
相馬先輩が言いました。
「相談者が『これは争点訴訟ですか、一、はい、二、いいえ』とか聞いてこねえ」
「本当にそうですね」
むしろ、
裁判にしてやる。
土地を返せ。
役所が悪い。
そんな言葉が飛んでくる。
そこから、
法的に意味のある形へ翻訳する。
それが仕事なのだと思います。
私は最後のページを開きました。
今日の一行。
昨日は、
――処分の無効は、ゴールとは限らない。欲しい権利から、訴えを選ぶ。
と書きました。
今日はもう少し、
争点訴訟らしくしたい。
「先輩」
「何だ」
「一行の覚え書き、考えます」
「勝手にしろ」
「候補一」
「聞いてねえ」
「『行政処分が争点でも、ゴールが私法なら民事訴訟』」
相馬先輩が少し考えます。
「悪くない」
「候補二」
「まだあんのか」
「『無効を欲しがるな。土地か金か、最後に欲しいものを見ろ』」
「雑だな」
「覚えやすさ重視です」
「試験答案で書くなよ」
「当然です」
「所長は?」
片桐所長に振ります。
「一行なら」
「はい」
「処分を見るな。法律関係を見ろ」
私は止まりました。
「……それ、強いですね」
「短いしな」
相馬先輩も言います。
悔しい。
所長は本当に、
十五文字くらいで全部持っていきます。
私はノートの最後に書きました。
――処分を見るな。最後に確定したい法律関係を見ろ。
「長くしたな」
「私らしさを足しました」
「余計だ」
「いいんです」
でも。
私はその一行をしばらく眺めました。
争点訴訟。
行政処分の無効が大問題になる。
だから、
つい処分ばかり見てしまう。
でも、
本当に見るべきなのは、
その処分の向こう側です。
土地。
お金。
所有権。
返還請求。
つまり、
今ある私法上の法律関係。
行政処分の効力は、
それを決めるための鍵になる。
でも、
鍵そのものを手に入れることが目的とは限らない。
私はノートを閉じました。
「終わったか」
相馬先輩が立ち上がります。
「はい」
「じゃあ帰るぞ」
「待ってください」
「何だ」
私は机の脇を指しました。
大根。
二本。
まだあります。
「これどうするんです?」
「一本ずつ」
「だから嫌ですって」
「じゃあ所有権放棄しろ」
「私、取得した覚えないですよ」
「所長から処分された」
「処分って言わないでください」
片桐所長が言いました。
「現状を確定しろ」
「どうやってです?」
「話し合え」
「民事調停ですか」
「ただの相談だ」
「先輩、この大根、所有権確認訴訟します?」
「しねえよ」
「じゃあ共有?」
「もっと嫌だ」
「現物分割?」
「切るな」
「換価分割?」
「大根売る気か」
私たちはしばらく、
一本の大根を前に、
相続人みたいな議論を続けました。
そのうち所長が呆れたように言います。
「こはる」
「はい」
「欲しいものから考えろ」
「今日の教訓ですね」
「そうだ」
私は大根を見ました。
考えます。
私が本当に欲しいもの。
「……おでん」
「は?」
「おでんにすればいいんですよ」
相馬先輩が黙ります。
「大根」
「うん」
「卵」
「うん」
「こんにゃく」
「うん」
「先輩、作れます?」
「何で俺なんだよ」
「私は料理できません」
「知るか」
所長が一言。
「駅前の店で煮てもらえ」
「所長、それです」
争いが終わりました。
大根の所有権を誰に帰属させるかではなく、
どう食べたいのか。
最後に欲しい結果を先に考えたら、
解決は意外と早かった。
私は紙袋へ大根を戻しながら、
少し笑いました。
争点訴訟も、
たぶん同じです。
処分が無効か。
もちろん大事。
でも、
そこで止まらない。
その無効を前提に、
誰との間で、
どんな権利を、
今、
確定したいのか。
土地を取り戻したいのか。
金を返してほしいのか。
公法上の地位を確認したいのか。
処分の無効そのものを確認したいのか。
それによって、
訴えの姿は変わる。
法律は、
言葉の分類遊びではありません。
最後に人が何を持って帰るのか。
そのための道順です。
藤巻さんが欲しいのは、
「無効」という二文字ではありません。
父親と大根を抜いた、
あの土地です。
なら。
見るべきなのは、
処分の名前より、
今の所有権。
私はノートの端に、
最後の最後でもう一度書きました。
――争点訴訟。行政処分が争点でも、ゴールが私法上の権利なら民事訴訟。
「先輩」
「何だ」
「これなら試験前に見ても思い出せます」
「大根も思い出しそうだな」
「たぶん」
「じゃあ忘れねえな」
窓の外では、
駅前の灯りが一つずつ点き始めていました。
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所。
どうやら私は今日、
争点訴訟と一緒に、
大根一本の使い道まで覚えてしまったようです。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




