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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政事件訴訟法

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288/701

[義務付け訴訟]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 夕方の片桐行政書士事務所は、昼間より少しだけ静かです。


 電話が鳴らない。


 来客もいない。


 窓の外では、駅前の市場へ帰っていく自転車が何台か見える。


 そして。


 私の机の上には、


 鯖の味噌煮弁当の空き箱。


「こはる」


「はい」


「片付けろ」


 片桐所長が帳簿から目も上げずに言いました。


「今、余韻に浸ってるんです」


「弁当箱にか」


「事件の余韻です」


「生臭い余韻だな」


 向かいで相馬先輩が煙草に火をつけます。


「先輩は二個食べましたよね」


「一個半だ」


「半分なら窃盗じゃないみたいに言わないでください」


「窃盗だとは言ってねえ」


「認めましたね」


「こはる」


 所長の声。


「ノートは」


「はい」


 私は姿勢を正しました。


 机の上の大学ノート。


 今日の見出しは、


 大きく。


 ――義務付け訴訟。


 その横に、


 小さく。


 ――ただし、昭和六十三年には法定されていない。


 と書きました。


「そこから書くのか」


 相馬先輩が覗き込みます。


「ここ一番大事です」


「未来の制度を今勉強する意味あるのか?」


「あります」


「何で」


「昨日、危うく市役所で『義務付け訴訟でいけます』って言いそうになったからです」


「それはお前の問題だ」


「全国の転生行政書士受験生に必要な知識です」


「そんな母集団はいねえ」


 たぶん。


 でも私には必要です。


 宮下辰雄さん。


 市場の魚屋を総菜店へ転換しようとした人。


 八百万円をかけて設備を入れ、


 市へ営業許可を申請し、


 不許可処分を受けた。


 理由は、


 市場再整備計画との調整上、適当でない。


 でも調べてみると。


 現在の営業が避難経路を塞ぐわけではない。


 衛生基準にも適合している。


 工事時期も未定。


 そして判断過程には、


 将来の立退き交渉を難しくしたくない。


 そんな事情まで混ざっていた。


 市は最終的に処分を見直し、


 宮下さんには条件付きの営業許可が出た。


 だから訴訟にはならなかった。


 でも。


 もし市が最後まで不許可を維持していたら。


 宮下さんが裁判で本当に欲しかったものは、


 何だったのか。


 私はノートに書きました。


 不許可処分を消してほしい。


 だけではない。


 営業許可を出してほしい。


「ここですね」


「何がだ」


 相馬先輩。


「取消訴訟だけでは、救済として足りない場合がある」


 私は昨日の会話を思い出します。


 取消訴訟。


 拒否処分を取り消す。


 すると役所は、


 もう一度申請を審査する。


 でも。


 取消判決が出たからといって、


 必ず許可処分が出るとは限らない。


 行政庁に裁量が残っていれば、


 別の理由でまた拒否する可能性もある。


「宮下さんが欲しいのは」


 私は言いました。


「紙の上から『不許可』の文字を消すことじゃない」


「店を開けることだ」


 片桐所長が言います。


「はい」


 私は二つ並べました。


 取消訴訟。


 ――違法な拒否処分を取り消す。


 義務付け訴訟。


 ――行政庁に一定の処分をするよう命じることを求める。


「雑に言うと」


 相馬先輩が煙草をくわえたまま言います。


「『駄目』を消すのが取消し」


「はい」


「『やれ』と言わせるのが義務付け」


「はい」


「昨日のお前の覚え方じゃねえか」


「優秀でしょう」


「雑だけどな」


 でも。


 入口としてはそれでいい。


 行政事件訴訟法の言葉は長い。


 まず人間の言葉に訳してから、


 あとで条文へ戻せばいい。


「じゃあ義務付け訴訟の定義」


 私はペンを持ちます。


 行政庁が一定の処分または裁決をすべきであるのに、


 それがされないとき、


 裁判所に、


 行政庁はその処分または裁決をしなさい。


 と命じてもらうことを求める訴訟。


「これが現代法」


「昭和六十三年には?」


 片桐所長が聞きます。


「法定されていません」


「そこを忘れるな」


「はい」


 私は二重丸をつけました。


 平成十六年改正。


 ここ。


 現代の行政事件訴訟法では、


 義務付け訴訟が抗告訴訟の一類型として明文で法定されています。


 でも。


 昭和六十三年。


 義務付け訴訟は法定されていない。


 じゃあ絶対に無理だったのか。


 そこは少し難しい。


「所長。昨日、無名抗告訴訟って言ってましたよね」


「ああ」


「法定されてない訴訟でも、理論上は?」


「認める余地は議論されていた」


「でも」


「壁は高い」


 短い。


 片桐所長の説明はいつも短い。


 でもそこには、


 たぶん裁判例と学説が山ほど埋まっています。


「どうして高かったんです?」


 私が聞くと、


 所長は帳簿を閉じました。


「裁判所が行政に対して積極的に『この処分をしろ』と命じれば、行政裁量に深く踏み込む」


「権力分立」


「そうだ」


「行政が判断すべき領域に、司法が入りすぎる危険がある」


「そういうことだ」


 なるほど。


 取消訴訟なら。


 裁判所は、


 その処分は違法だから取り消す。


 と判断する。


 その後どう処理するかは、


 基本的に行政へ戻す。


 でも義務付けとなると。


「この許可を出せ」


 まで裁判所が言う。


「そりゃ慎重になりますね」


「特に昔はな」


 相馬先輩が言います。


「じゃあ未来は気軽になるのか?」


「気軽にはなりません」


「だろうな」


 そこです。


 法定された。


 だから誰でも簡単に使える。


 ――ではありません。


 現代の義務付け訴訟も、


 かなり要件がある。


 私はノートの真ん中に線を引きました。


 左。


 非申請型。


 右。


 申請型。


「義務付け訴訟には大きく二種類あります」


「未来の話だな」


「未来の話です」


「続けろ」


 最近。


 相馬先輩が普通に未来法の講義を聞くようになってきました。


 適応力が高い。


「一つ目」


 私は左側を指します。


 非申請型義務付け訴訟。


 別名。


 一号義務付け。


「これは、自分が何か申請して、その申請を拒否されたって場面じゃない」


「じゃあ誰が訴える」


「例えば」


 私は少し考えました。


「隣の土地に危険な違法建築物がある」


「うん」


「行政庁には除却命令とか、是正命令を出せる権限がある」


「うん」


「でも役所が何もしない」


「うん」


「隣に住む人が、『あの建物に是正処分をしてください』と求める」


「本人は申請してない」


「そうです」


 つまり。


 行政庁に対して、


 ある処分をしてほしい。


 でもその人自身が、


 法令に基づく申請をしたわけではない。


 それが非申請型。


「宮下さんの事件は?」


「違います」


「なぜ」


「宮下さんは、自分で営業許可申請をしています」


「そうだな」


「だから現代法で考えるなら申請型」


 右側。


 申請型義務付け訴訟。


 二号義務付け。


 法令に基づく申請や審査請求をした人が、


 行政庁から処分をしてもらえない。


 あるいは。


 拒否処分をされた。


 そのとき、


 求めている処分を行政庁にさせるための訴訟。


「宮下さんなら」


 私は書きます。


 営業許可を申請。


 不許可処分。


 許可処分をするよう義務付けてほしい。


「きれいに申請型ですね」


「未来ならな」


「はい」


 重要なので毎回刺してきます。


 昭和六十三年。


 ない。


 法定されていない。


 忘れない。


「じゃあまず非申請型」


 私はノートの左側へ三つ番号を書きました。


「非申請型は、誰でも役所に『あれやれ』って言えるわけじゃありません」


「そりゃそうだ」


 相馬先輩が言います。


「近所の気に入らねえ店を潰せ、なんて全部裁判になったら役所も裁判所も死ぬ」


「言い方は荒いですが、その通りです」


 だから。


 非申請型義務付け訴訟には、


 訴訟要件がある。


 一つ。


 一定の処分がされないことで、


 重大な損害を生ずるおそれがあること。


 二つ。


 その損害を避けるために、


 ほかに適当な方法がないこと。


 三つ。


 義務付けを求めるにつき、


 法律上の利益を有する者であること。


「三つ全部です」


「一個でも欠けたら?」


「不適法」


「つまり?」


「却下」


 ここ。


 大事です。


 却下。


 負ける。


 という意味ではあるけれど。


 本案で、


 行政が正しかった。


 と判断されたわけではない。


 その前。


 入口に立てていない。


「昨日の話と同じだな」


 相馬先輩が言います。


「はい」


「行政訴訟はまず入口」


「はい」


「お前、それ好きだな」


「好きじゃないです。怖いんです」


 だって。


 相談者からすれば、


「役所がおかしいんです」


 と何時間説明しても。


 裁判所に、


「あなたにはこの訴えを起こす資格がありません」


 と言われれば。


 そこで終わる。


 法律の冷たさが一番出るところです。


「重大な損害」


 私は一つ目に線を引きました。


「これ、単に不便とか腹が立つでは足りない」


「当然だ」


「生命、身体、重大な財産上の不利益とか、そういう深刻な損害の可能性を見る」


「うん」


「そして」


 二つ目。


「他に適当な方法がない」


「補充性だな」


 所長が言いました。


「はい」


 別の訴訟。


 別の救済手段。


 民事上の手段。


 行政上の別の仕組み。


 そういうもので十分に損害を避けられるなら。


 いきなり義務付けまで求める必要はない。


「つまり」


 私はまとめました。


「非申請型は、かなり切迫した場面で使う」


「そう考えたほうが分かりやすい」


 所長。


 三つ目。


 法律上の利益。


「これ、原告適格ですね」


「そうだ」


 誰でも公益の代表者になれるわけではない。


 その処分がされないことで、


 自分の法律上保護された利益が害される。


 そういう人でなければならない。


「隣地の危険建物なら?」


 相馬先輩が聞きます。


「その規制法令が、隣人の生命や身体、財産を個別的に保護する趣旨まで持つか」


「そこを見るのか」


「はい」


「面倒だな」


「だから行政法なんです」


「説明になってねえ」


 確かに。


「で」


 私は続けます。


「訴訟要件を全部満たしました」


「入口突破」


「はい」


「それで勝ちか?」


「まだです」


「やっぱりか」


 行政事件訴訟。


 入口を開けても、


 廊下が長い。


 非申請型義務付け訴訟で、


 最終的に認容判決を得るためには。


 行政庁がその処分をすべきことが、


 法令上明らかである。


 または。


 行政庁がその処分をしないことが、


 裁量権の逸脱・濫用になる。


 そう認められる必要がある。


「ここ重要ですね」


「何が」


「行政庁に裁量がある場合でも、絶対に義務付けできないわけじゃない」


「逸脱・濫用なら?」


「義務付けの余地がある」


 例えば。


 危険が明白。


 条件も満たしている。


 何もしない合理的理由がない。


 それなのに行政が放置している。


 そんな場合。


 行政裁量だから裁判所は何も言えません。


 では済まないことがある。


「行政裁量って」


 私は言いました。


「自由じゃないんですよね」


「当たり前だ」


 所長が言います。


「裁量は、法律の範囲内で認められた判断の幅だ」


「好き勝手じゃない」


「そうだ」


 ここ。


 行政法では何度も出てきます。


 裁量がある。


 イコール。


 何をしてもいい。


 ではない。


 考慮すべきことを考慮しない。


 考慮してはいけないことを重く見る。


 判断が著しく不合理。


 そうなれば。


 裁量権の逸脱・濫用が問題になる。


「宮下さんの事件とつながりますね」


「どこがだ」


「市が営業許可の判断で、将来の立退き交渉が面倒になるからって事情を重く見てたところ」


「ああ」


「もし許可基準の趣旨と関係ない事情だったなら」


「判断過程が問題になる」


「はい」


 現代法で申請型義務付けまで求めるなら。


 そういう裁量の問題が、


 さらに重要になる。


「次」


 私は右側。


 申請型へ移ります。


「こっちが宮下さん型」


「そんな名前にするな」


「覚えやすいので」


 申請型義務付け訴訟。


 まず大前提。


 法令に基づく申請または審査請求をしていること。


「ただ役所の窓口で『お願いです、許可してください』って言っただけじゃ駄目です」


「正式な申請が要る」


「はい」


 そして。


 申請型には、


 大きく二つの場面がある。


 一つ。


 不作為型。


 二つ。


 拒否処分型。


「まず不作為型」


 申請をした。


 なのに。


 いつまでたっても行政庁が処分しない。


「放置か」


「そうです」


「何日放置されたら駄目なんだ」


「そこは一律じゃなくて、相当期間」


「出たな」


「行政法が大好きな言葉です」


 相当期間。


 申請内容。


 処理の難しさ。


 必要な調査。


 通常の処理期間。


 そういう事情から判断する。


 そして。


 申請型の不作為型義務付け訴訟。


 これを起こすとき。


「単独では駄目」


「何と一緒にする」


「不作為の違法確認訴訟」


 私は大きく書きました。


 義務付け訴訟+不作為の違法確認訴訟。


「併合提起」


「セットか」


「セットです」


「何で」


「まず、処分しないで放置していること自体が違法かを確認してもらう必要があるから」


 そして。


 裁判所に、


 行政庁はこの処分をしなさい。


 まで言ってもらう。


「つまり」


 相馬先輩が言いました。


「『いつまでも黙ってるのは違法だ』と」


「はい」


「その上で『で、処分しろ』」


「はい」


「二段階だな」


「その理解でいいです」


 次。


 拒否処分型。


「宮下さんはこっちですね」


「申請した」


「はい」


「不許可になった」


「はい」


「で、未来なら?」


「拒否処分の取消訴訟か、無効等確認訴訟と一緒に義務付け訴訟を起こす」


 また併合。


 私は書きます。


 拒否処分型。


 義務付け訴訟+取消訴訟。


 または。


 義務付け訴訟+無効等確認訴訟。


「単独では駄目なんですね」


「そうだな」


 所長が言います。


「拒否処分が残ったまま、同じ申請について許可を義務付けるのは整合しない」


「なるほど」


 不許可が有効に存在しているのに。


 同時に、


 許可を出せ。


 ではおかしい。


 まず拒否処分が取り消されるべきもの。


 または無効。


 そのうえで。


 行政庁に、


 処分をせよ。


 と命じてもらう。


「だからセット」


「そうだ」


 ここ。


 試験では非常に狙われそうです。


 非申請型。


 単独提起できる。


 申請型。


 併合提起が必要。


「先輩、問題です」


「嫌だ」


「非申請型義務付け訴訟は、取消訴訟との併合提起が必須である」


「違う」


「正解」


「申請型は?」


「必要」


「正解」


「菓子は」


「ありません」


「じゃあやる意味ねえな」


 学習意欲が小学生です。


 私はノートに表を作りました。


 非申請型。


 申請なし。


 重大な損害のおそれ。


 他に適当な方法がない。


 法律上の利益。


 単独提起可能。


 申請型。


 申請あり。


 重大な損害のおそれは要件ではない。


 補充性も要件ではない。


 ただし併合提起が必要。


「ここ、よく混ざりそうですね」


「混ぜるな」


「簡単に言いますけど」


「試験はそういうもんだ」


 だから語呂ではなく、


 理由で覚える。


 非申請型。


 もともと申請者じゃない第三者が、


 行政に何かさせようとする。


 だから。


 それだけ強い介入を求めるなら、


 本当に重大な損害があるのか。


 他に方法はないのか。


 あなた自身に法律上の利益があるのか。


 厳しく見る。


 一方。


 申請型。


 本人が正式な申請をしている。


 すでに行政との法的関係が具体化している。


 だから、


 非申請型の重大損害や補充性という要件は置かれていない。


 ただし。


 拒否処分なら取消訴訟等。


 放置なら不作為違法確認。


 それと一緒に提起する。


「理由まで分かると覚えやすいですね」


「それで覚えろ」


 所長が言いました。


「勝訴要件は?」


 相馬先輩が聞きます。


「来ましたね」


「お前が書いてねえから聞いたんだ」


「はいはい」


 申請型でも。


 訴訟を起こせる。


 だから即勝てる。


 ではない。


 ここでも、


 行政庁が一定の処分をすべきことが、


 法令上明らか。


 または。


 処分をしないことが、


 裁量権の逸脱・濫用。


 そういう事情が必要になる。


「ただし」


 私は書きます。


 拒否処分型なら。


 併合した取消訴訟などに理由があることも必要。


「そりゃそうだ」


「拒否処分が適法なのに、許可しろとは言えませんからね」


「当然だな」


 つまり。


 宮下さんの事件を現代法で考えるなら。


 まず不許可処分が違法で、


 取り消されるべきものか。


 そこを争う。


 さらに。


 許可処分をすべきことが明らか。


 あるいは。


 許可しないことが裁量権の逸脱・濫用。


 そこまで詰めていく。


「ハードル高いですね」


「当たり前だ」


 相馬先輩が言います。


「裁判所に『許可を出せ』まで言わせるんだぞ」


「そうですよね」


 行政の判断余地を、


 かなり狭くする判決です。


 だから。


 ただ取消理由がある。


 だけでは足りないことがある。


 ここが。


 取消訴訟より一段深い。


「じゃあ」


 私はペンを止めました。


「昨日の宮下さんの事件を、現代法で最後まで組み立てると」


「やってみろ」


 所長が言います。


 まず。


 営業許可申請。


 法令に基づく申請。


 市が不許可処分。


 宮下さんは申請者本人。


 申請型義務付け。


 拒否処分型。


「単独で義務付けだけ?」


「駄目です」


「何を併合する」


「不許可処分の取消訴訟」


「それで」


「不許可処分が違法で取り消されるべきことを主張する」


「さらに」


「営業許可をすべきことが法令上明らか、または許可しないことが裁量権の逸脱・濫用であること」


 私は一息で言いました。


「それを満たせれば、許可処分の義務付けを求められる」


「そういうことだ」


「今の時代なら」


「そうだな」


「昭和六十三年なら」


「その道は法定されていない」


「はい」


 この差。


 大きい。


 本当に大きい。


 平成十六年改正前。


 取消訴訟中心。


 違法な処分を取り消す。


 そこから先。


 行政に積極的に何かさせる救済は弱かった。


 だから。


 取消判決を取っても。


 行政へボールが戻る。


 また審査。


 また判断。


 場合によっては。


 また争い。


「これじゃ」


 私は言いました。


「権利があっても、実際に救済されるまで長い」


「そうだ」


「取消しだけじゃ、現実が動かない場合がある」


「そうだな」


「だから義務付け訴訟が法定された」


 所長が頷きます。


「救済の実効性を高めるためだ」


 その言葉。


 私は二重線を引きました。


 実効的救済。


 法律上、


 あなたの言い分は正しいです。


 で終わるのではなく。


 現実に必要な処分へつなげる。


「宮下さんなら」


 私は言いました。


「『不許可は違法でした』だけじゃ店は開かない」


「うん」


「許可が出て初めて、店が開く」


「そういうことだ」


 法律は。


 判決文をきれいにするためにあるんじゃない。


 人の生活を動かすためにある。


 だから。


 取消しでは足りない場面に、


 義務付けが必要になった。


「仮の救済は?」


 相馬先輩が聞きます。


「先輩、今日は鋭いですね」


「お前のノートの端に書いてある」


「見ないでください」


「見える」


 はい。


 現代では。


 義務付け訴訟を本案で起こしたとしても。


 判決まで何年もかかったら。


 その間に損害が取り返せなくなることがある。


 そこで。


 仮の義務付け。


「本判決まで待ってられない場合ですね」


「例えば」


「営業できないまま倒産しそう、とか」


「宮下さんっぽいな」


「はい」


 ただし。


 これも簡単には認められない。


 償うことのできない損害を避けるため、


 緊急の必要がある。


 そして。


 本案について理由があるとみえること。


 さらに、


 公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるときは認められない。


「未来、仮の救済まであるのか」


「あります」


「今は?」


「昭和六十三年では、法定の仮の義務付けはありません」


「じゃあ何がある」


「執行停止」


「そうだ」


 ここも。


 時代差。


 現代では。


 執行停止だけでなく、


 仮の義務付け。


 仮の差止め。


 そうした制度が法定されています。


 でも昭和六十三年。


 仮の義務付けはない。


「宮下さんに執行停止を使っても」


 私は考えました。


「不許可処分の効力を止めたところで、許可が生まれるわけじゃない」


「そうだ」


「つまり」


 かなり困る。


 取消訴訟も。


 執行停止も。


 基本的には、


 行政の処分を消す。


 止める。


 という方向。


 でも宮下さんが必要なのは。


 許可というプラスの処分。


「だから昔の行政訴訟は」


 私は呟きました。


「国民側からすると使い勝手悪かったんですね」


「そういう面はある」


 所長が言いました。


「だから改正された」


「はい」


 制度改正。


 受験生の敵。


 そう思っていた時期がありました。


 でも。


 こうして事件へ当てはめると。


 改正は、


 過去の制度で救えなかった人の跡です。


 取消しだけでは足りない。


 裁判をしている間に損害が確定してしまう。


 行政が動かないこと自体を止めたい。


 そういう不満が積み重なって。


 新しい訴訟類型や仮の救済が作られた。


「改正理由が分かると」


 私は言いました。


「条文が覚えやすいですね」


「最初からそうやって覚えろ」


「昔の私に言ってください」


「どこにいる」


「平成のどこかに」


「面倒だな、お前」


 私はノートを整理します。


 義務付け訴訟。


 抗告訴訟の一つ。


 現代法では法定。


 昭和六十三年には法定されていない。


 非申請型。


 申請を前提としない。


 重大な損害。


 補充性。


 法律上の利益。


 単独提起可能。


 申請型。


 法令に基づく申請または審査請求が前提。


 不作為型。


 不作為の違法確認訴訟と併合。


 拒否処分型。


 取消訴訟または無効等確認訴訟と併合。


 勝訴には。


 処分すべきことが明らか。


 または。


 処分をしないことが裁量権の逸脱・濫用。


「ここまでで試験問題かなり拾えますね」


「何点分だ」


「出題次第です」


「役に立たねえ答えだな」


「行政庁みたいなこと言わないでください」


 相馬先輩が笑います。


 私は最後に、


 宮下さんの事件をもう一度思い出しました。


 もし。


 あのまま不許可が続いていたら。


 昭和六十三年の私たちにできたことは。


 取消訴訟の要件を詰める。


 出訴期間三か月を落とさない。


 被告は処分行政庁。


 処分理由を確認する。


 判断過程を整理する。


 裁量権の逸脱・濫用を検討する。


 そして弁護士へつなぐ。


 そのうえで。


 法定外の義務付け的な救済を求める余地があるか。


 極めて高い壁を覚悟して検討する。


「所長」


「何だ」


「昨日、市役所で再検討を迫ったのって」


「うん」


「かなり重要だったんですね」


「裁判で救えない可能性が高いなら、なおさらな」


「取消判決を取っても時間がかかる」


「そうだ」


「義務付けは法定されていない」


「そうだ」


「だから、訴訟になる前に行政内部で直せるなら、それが一番早い」


「そういうことだ」


 行政書士は、


 裁判所で戦えない。


 訴訟代理人にはなれない。


 でも。


 だから弱い。


 とは限らない。


 裁判になる前。


 役所の判断がまだ動かせるとき。


 事実を集め。


 論点を整理し。


 裁判になったとき、


 どこが危ないかを見せる。


 その役目がある。


「宮下さんの店」


 私は言いました。


「裁判しなくて済んでよかったですね」


「そうだな」


「でも裁判できる準備をしたから、市も本気で見直した」


「そういうこともある」


 訴訟は、


 起こしたときだけ武器になるんじゃない。


 起こせる状態まで整っていること自体が、


 交渉力になる。


 これは。


 教科書にはあまり書いてない。


 でも現場では、


 ものすごく大事なんだと思います。


「よし」


 私はノートの最後に、


 一行の覚え書きを書きました。


 ――取消しは「駄目」を消す。義務付けは「やれ」まで求める。


「昨日と同じじゃねえか」


 相馬先輩が言いました。


「昨日より意味が深いんです」


「文字は同じだぞ」


「学習というのは反復です」


「逃げたな」


 私は少し考えて、


 もう一行書きます。


 ――申請なしは重大損害+補充性。申請ありは併合提起。


「二行になった」


「試験用です」


「一行の覚え書きじゃなかったのか」


「では統合します」


 少し考える。


 そして。


 大きく囲って書きました。


 ――「駄目を消す」だけで救えないなら「やれ」を求める。ただし入口はもっと厳しい。


 相馬先輩が覗き込みます。


「長い」


「でも本質です」


「受験直前に読むには長い」


「じゃあ超短縮」


 その下に書きました。


 ――取消し=消す。義務付け=動かす。


「お」


「どうです?」


「それなら覚える」


 よし。


 勝った。


 私はノートを閉じました。


 そのとき。


 事務所の引き戸が開きました。


「こんばんは!」


 宮下さんです。


「どうしたんです?」


「売れ残り持ってきた!」


 大きな包み。


 相馬先輩が立ち上がります。


「何だ」


「鯖弁当」


「何個」


「三つ」


 私は数えました。


「所長、先輩、私」


「ああ」


「……沢渡課長の分は?」


「今日はねえ!」


「恨み戻ってません?」


「初日はやっただろ!」


 宮下さんが笑います。


「毎回役所に弁当配ってたら商売にならん!」


「それはそうです」


 所長が包みを見ます。


「代金は」


「売れ残りだからいらん」


「受け取れん」


「じゃあ明日買いに来い!」


「分かった」


 即答。


 私は所長を見ました。


「行くんですか」


「昼飯だ」


「意外と気に入ってますね」


「悪いか」


「いえ」


 宮下さんは笑って帰っていきました。


 事務所に、


 鯖味噌の匂いが残ります。


「さて」


 相馬先輩が包みを開けます。


「食うか」


「待ってください」


「何だ」


「三つなら一人一個です」


「分かってる」


「昨日みたいに私の唐揚げ取らないでくださいね」


「義務付け訴訟するか?」


「します」


「俺に唐揚げ返せと?」


「はい」


「法定されてねえぞ」


「十六年待ちます」


「腐るぞ」


「唐揚げが?」


「証拠が」


「じゃあ今返してください!」


 相馬先輩が笑いながら弁当を持って逃げます。


「先輩!」


「こはる」


 片桐所長が言いました。


「何です!」


「追う前に」


「はい?」


「弁当箱を片付けろ」


 机を見る。


 昼の空き箱。


 まだあります。


「……はい」


 行政庁に何かをさせる。


 そのための義務付け訴訟が法定されるまで、


 あと十六年。


 でも。


 片桐行政書士事務所では。


 見習いに弁当箱を片付けさせる義務付けだけは、


 昭和六十三年の時点で、


 どうやら完全に制度化されているようでした。


「所長」


「何だ」


「この義務付け、取消訴訟できます?」


「却下」


「まだ訴えてません!」


「原告適格なし」


「私本人です!」


「出訴期間徒過」


「今言われたばっかりです!」


「じゃあ棄却」


「本案まで行った!」


 相馬先輩が腹を抱えて笑っています。


 私は空き箱を持ち上げました。


 法律は冷たい。


 要件は厳しい。


 でも。


 その厳しさの向こうに、


 現実を動かすための制度が少しずつ増えていく。


 取消しだけでは足りなかった。


 だから、


 義務付けが生まれた。


 人を救うために、


 法律も変わる。


 そんなことを考えながら。


 私は弁当箱を流しへ運びました。


 この義務付けだけは。


 平成十六年改正を待っても、


 たぶん取消せそうにありません。

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