↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政事件訴訟法

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
285/590

[不作為の違法確認の訴え]現場編 「答えを出さないなら、負けようがありません」の罠。許可も不許可も言わない役所を、裁判の入口まで追い詰める

挿絵(By みてみん)

 役所の「駄目です」は、まだ争えます。


 困るのは。


 いつまで待っても、


 「駄目です」すら言ってくれないときです。


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


「裁判にしてやる!」


 朝一番。


 事務所の引き戸が壊れそうな勢いで開きました。


 入ってきたのは、五十代半ばくらいの男性。


 作業着。


 日に焼けた顔。


 左手には茶封筒。


 右手には――


「……メロンパン?」


「朝比奈、そこじゃねえ」


 相馬先輩に言われました。


 分かっています。


 でも、怒鳴り込みとメロンパンの組み合わせって、少し気になりません?


「西岡です」


 男性は名乗りました。


「西岡パン店の西岡正志。駅南の」


「ああ」


 相馬先輩が頷きました。


「学校の近くの店か」


「そうです」


「昔からあるところですね」


 私も知っています。


 赤いひさし。


 ガラスケースにあんパン。


 昼には学生が並ぶ小さなパン屋。


 西岡さんは茶封筒を机に置きました。


「もう三か月ですよ」


「何がです?」


「道路占用の許可です」


 そこから、話を聞きました。


 西岡パン店の前には市道があります。


 店そのものは少し奥まっていて、道路との間に狭い側溝と歩道がある。


 今までは人が渡るだけなので、小さな蓋を掛けていた。


 ところが今回。


 店の裏にパンを焼く小さな作業場を増築することになった。


 小麦粉や油を運ぶ軽トラックが、店の脇から出入りする必要がある。


 そこで側溝部分に、車両が通れる強度のある乗入れ設備を設けたい。


 市道部分にも一部かかるため、


 西岡さんは市へ道路占用許可を申請した。


「申請したのは?」


「六月二日です」


 今は九月。


「受付印は?」


「あります」


 茶封筒から書類が出てきます。


 道路占用許可申請書。


 市役所の受付印。


 六月二日。


 受付番号まである。


「それで三か月、何も?」


「何もじゃないですよ」


 西岡さんの声が荒くなりました。


「一週間したら図面をもう一枚出せって言われた。出しました」


「はい」


「次に車の大きさを書けって言われた。出しました」


「はい」


「今度は出入りする回数を書けって。書きました」


「はい」


「その次は近所の人の同意書があった方がいいって言われた」


 私は眉をひそめました。


「『必要』と言われたんですか」


「いや。あった方が話が早いって」


 嫌な言い方ですね。


 必要なのか。


 任意なのか。


 そこをぼかすと、申請者だけが延々と紙を集めることになります。


「それも集めたんですか?」


「集めましたよ。隣と向かいと、その隣まで頭下げて」


「それで?」


「まだ審査中です」


 西岡さんが机を叩きました。


「いつまで審査するんですか!」


 メロンパンが少し跳ねました。


 危ない。


 罪のないパンを行政紛争に巻き込まないでください。


「作業場は?」


 片桐所長が聞きました。


「もうできてます」


「軽トラックは」


「入れません」


「材料は」


「道路の向こうに停めて、人力です」


 西岡さんは苦い顔をしました。


「二十五キロの小麦粉の袋をですよ。毎朝」


 うわ。


 腰が死にます。


「従業員は?」


「女房と、パートが二人。みんな五十過ぎです」


「営業には支障が?」


「大ありですよ」


 西岡さんは手のひらを見せました。


 親指の付け根に白いテープが巻いてあります。


「昨日、袋を落としかけました」


 怒鳴っている理由が、少し分かりました。


 単に役所が嫌いなのではない。


 毎朝。


 二十五キロ。


 道路から作業場まで、人の手で運んでいる。


「もういいんです」


 西岡さんが言いました。


「許可しないならしないで」


 私は顔を上げました。


「いいんですか?」


「よくはない」


「ですよね」


「でも不許可なら、不服申立てでも裁判でもできるでしょう」


「はい」


「なのに、何も決めない」


 西岡さんは吐き捨てるように言いました。


「これじゃ喧嘩のしようもないじゃないですか」


 その言葉に。


 私は止まりました。


 そう。


 それです。


 行政処分に対する救済制度は、


 基本的には処分が出てから動きます。


 許可。


 不許可。


 取消し。


 停止。


 何か行政庁の判断が出れば、それを対象に争える。


 でも。


 そもそも判断しない。


 申請書を机の上に寝かせたまま。


 三か月。


 半年。


 一年。


 それでは申請者は、


 行政庁の沈黙そのものに潰されます。


 私は思わず言いました。


「だったら、不作為の違法確認――」


 相馬先輩がこちらを見ました。


「お」


 やった。


 今日は早い。


 現代知識がちゃんと役に立った。


「不作為の違法確認の訴えです」


 私は西岡さんに向き直りました。


「法令に基づいて申請したのに、行政庁が相当の期間内に何も処分しない。その不作為が違法だと裁判所に確認してもらう訴訟があります」


「それだ!」


 西岡さんが身を乗り出しました。


「それで許可を出させてください!」


「はい。今なら義務付け訴訟も――」


 言いかけて。


 止まりました。


 相馬先輩が、ものすごく嫌な笑顔をしています。


「言ってみろよ」


「……何をです?」


「今なら何だって?」


「聞き間違いです」


「俺は耳がいい」


「未来の話です」


「またか」


 しまった。


 現在は昭和六十三年。


 行政事件訴訟法の平成十六年改正なんて、影も形もありません。


 現代なら。


 一定の場合に、行政庁に一定の処分をせよと求める義務付け訴訟が法定されています。


 でも今は。


 義務付け訴訟は法定されていない。


 いわゆる無名抗告訴訟として議論される世界。


 簡単に、


 「裁判所に許可を命じてもらいましょう」


 なんて言えません。


 私は心の中で頭を抱えました。


 未来人。


 また法改正の穴に落ちる。


「どうしたんです?」


 西岡さんが聞きます。


「いえ」


 私は姿勢を正しました。


「不作為の違法確認の訴えで勝っても、裁判所が『西岡さんに許可を出せ』と直接決めてくれるわけではありません」


「え?」


「確認されるのは――役所が、いつまでも答えを出さないことが違法だ、という点です」


「じゃあ」


「役所は答えを出さないといけなくなる」


「許可を?」


「そこまでは決まりません」


「不許可かもしれない?」


「はい」


 西岡さんの顔に、


 それ意味あるのか。


 と書いてありました。


 分かります。


 私も受験生のとき思いました。


 勝訴。


 ↓


 裁判所「行政庁はちゃんと返事をしてください」


 ↓


 行政庁「不許可です」


 そんなこともあり得る。


 いや、それ何その二度手間。


 と。


 でも。


 今の西岡さんを見ていると、


 違って見えました。


「西岡さん」


 片桐所長が言いました。


「今、一番困っているのは何です」


「だから、許可が――」


「違う」


 所長が静かに遮りました。


「許可されないことですか。それとも、いつまでも答えが出ないことですか」


 西岡さんが黙りました。


 数秒。


「……答えが出ないことです」


「不許可なら?」


「理由を聞く」


「納得できなければ?」


「争います」


「なら」


 所長は申請書を指しました。


「まず答えを出させる意味はあります」


 あ。


 そういうことか。


 不作為の違法確認。


 地味な訴訟です。


 許可をくれるわけじゃない。


 勝てば営業できるわけでもない。


 ただ、


 黙っているな。


 判断しろ。


 それだけ。


 でも。


 行政庁が沈黙している限り、申請者は次の手に進めません。


 許可なら終わる。


 不許可なら理由を検討できる。


 不服申立て。


 取消訴訟。


 次の道が開く。


 つまりこれは。


 閉じたままの扉を開けろ、


 と求める訴訟なんだ。


「裁判にできますよね」


 西岡さんが言いました。


「可能性はあります」


 所長は答えました。


「ただし、行政書士が訴訟代理人にはなれません」


「じゃあ弁護士?」


「裁判まで行くなら、弁護士に引き継ぎます」


「今すぐお願いします」


「その前に」


 相馬先輩が言いました。


「入口を固める」


「入口?」


「裁判所はな」


 先輩は煙草を一本取り出しました。


「かわいそうだから中身を見てくれる場所じゃねえ」


 火をつける。


「訴訟要件を外したら、話を聞く前に終わる」


 出ました。


 相馬先輩の、


 裁判所は優しい相談窓口じゃねえ理論。


「まず申請」


 相馬先輩が書類を指します。


「これはある」


「受付印もあります」


 私が確認します。


「誰が申請した」


「私です」


 西岡さん。


「ここ重要です」


 私は言いました。


「不作為の違法確認の訴えを起こせるのは、その処分や裁決について申請をした人です」


「女房じゃ駄目ですか」


「西岡さん名義の申請なら、原則として申請者である西岡さんです」


「息子は?」


「息子さんも申請者じゃないなら駄目です」


「店は家族でやってるんですが」


「困っている人と、訴えを起こせる人は、必ずしも同じじゃありません」


 厳しい。


 でも。


 これが訴訟要件です。


 家族全員が困っている。


 従業員も困っている。


 常連客だって困るかもしれない。


 でも、


 不作為の違法確認の訴えの原告になれるのは、


 法令に基づく申請をした者。


「次」


 片桐所長。


「申請の根拠」


「道路法に基づく道路占用許可申請です」


 私は申請書を確認しました。


「形式は?」


「そこなんですよ」


 西岡さんが嫌な顔をしました。


「市役所が最近言い出したんです」


「何を?」


「最初の申請書には、必要な図面が足りなかったから、正式な申請とは言えないかもしれないって」


「……は?」


 相馬先輩の声が低くなりました。


 西岡さんは封筒からもう一枚出しました。


「担当者に昨日言われました」


「書面ですか」


「いや、口頭です」


「何て?」


「『当初の添付資料が不十分ですので、申請として適法かは検討が必要です』って」


 私は書類を見る。


 受付印あり。


 受付番号あり。


 追加資料提出済み。


 市役所側から何度も補正や追加説明を求められている。


 そして三か月。


「先輩」


「何だ」


「これ……むしろ」


「ああ」


 相馬先輩が鼻で笑いました。


「面白くなったな」


 不作為の違法確認訴訟。


 ここに、少し意外な点があります。


 申請者が訴えを起こすために、


 その申請が最終的に適法なものでなければならない、


 とは限りません。


 申請に不備があるなら。


 不適法なら。


 行政庁は、


 補正を求めるなり。


 却下するなり。


 必要な処理をすればいい。


 申請が出ているのに、


 不備があるからという理由で永遠に沈黙していい、


 ということにはならない。


「西岡さん」


 私は言いました。


「仮に最初の申請に不備があったとしても、それだけで『不作為ではない』ことにはなりません」


「そうなんですか」


「現に申請しているなら、行政庁は何らかの応答をする必要があります」


「じゃあ役所の言ってることはおかしい?」


「まだそこまで言い切りません」


 所長が私を見たので、慌てて修正します。


「どの程度の不備だったか、補正経過も確認します。ただ、『申請が完璧じゃなかったから、いつまでも何も決めなくていい』という話ではありません」


「なるほど」


 西岡さんの目に少し力が戻りました。


「次」


 相馬先輩が言いました。


「期間」


「三か月です」


 私が答えます。


 そして。


 一瞬。


 別の三か月が脳裏に浮かびました。


 取消訴訟。


 昭和六十三年の出訴期間。


 処分を知った日から三か月。


「……あ」


「今度は何だ」


「これ、出訴期間は?」


 相馬先輩が私を見ます。


「自分で言え」


「不作為が続いている限り……」


 私は確認するようにゆっくり言いました。


「いつでも提起できる」


「そうだ」


 危ない。


 取消訴訟の三か月と混ぜるところでした。


 この事件。


 そもそも取消すべき処分がありません。


 何もしていないのだから。


 不作為が続いている限り、


 不作為状態そのものが続いている。


 だから、


 取消訴訟みたいに、


 処分を知った日から何か月、


 という形の出訴期間ではありません。


「じゃあ急がなくてもいいんですね」


 西岡さんが言いました。


「違います」


 私は即答しました。


「え?」


「出訴期間で切られないというだけです。商売は毎日困ってるんですよね?」


「あ……」


「二十五キロの小麦粉、明日も運ぶんですよね」


「はい」


「だったら急ぎます」


 法律上いつでも訴えられる。


 だから放っておいていい。


 ではありません。


 人の生活には、


 法律とは別の締切があります。


 腰。


 資金。


 取引先。


 工事。


 従業員。


 そんなものは条文を待ってくれません。


「最後」


 片桐所長が言いました。


「相当の期間」


 ここ。


 一番難しい。


 三か月たった。


 だから自動的に違法。


 とは限りません。


「道路占用許可なら、通常どれくらいかかるか調べます」


 私は言いました。


「過去の同種申請」


「それから」


 相馬先輩。


「この三か月、市が何をしてたかだ」


「はい」


「現地確認したのか。道路構造を調べたのか。警察と協議してたのか。工事方法で問題があったのか」


「それとも」


 私は続けます。


「単に担当課の机で止まってたのか」


「そういうことだ」


 相当期間。


 カレンダーの数字だけでは決まりません。


 その処分に通常必要な期間。


 案件の難しさ。


 調査。


 協議。


 申請者側の補正。


 そういう事情を全部見て判断する。


「標準処理期間があれば分かりやすいんじゃないですか」


 西岡さんが聞きました。


「参考にはなります」


「じゃあ、それを過ぎてたら違法でしょう」


「直ちに、とは言えません」


「違うんですか」


「はい」


 ここも罠です。


 標準処理期間。


 それを過ぎた。


 イコール。


 その瞬間、不作為違法。


 ではない。


「逆に言えば」


 私は言いました。


「標準処理期間の数字だけじゃなく、この三か月に本当に必要な審査をしていたのかを見ます」


「なるほど」


 所長が立ち上がりました。


「市役所へ行く」


「今からですか」


「今だからだ」


 市役所二階。


 総務課。


 窓際。


 灰色の背広。


 細い眼鏡。


「今日はまた随分そろってますね」


 沢渡課長でした。


「西岡正志さんの道路占用許可申請」


 片桐所長が言いました。


「ああ」


「六月二日」


「ええ」


「まだ処分がない」


「担当課で審査中です」


 来ました。


 魔法の言葉。


 審査中。


 役所がこの四文字を唱えると、


 時間が止まったような気になります。


「三か月です」


 私が言いました。


「三か月だから直ちに長いとは限りません」


 沢渡課長。


「分かっています」


「では?」


「何を審査しているんですか」


「道路の安全性。歩行者への影響。車両の出入り。側溝の構造。その他です」


「現地確認は?」


「しています」


「いつ?」


 少し間。


「七月です」


「警察との協議は?」


「必要性を含めて担当課が検討しています」


「道路構造の調査結果は?」


「担当課にあります」


「西岡さんへの最後の補正依頼は?」


「八月三日」


「その後は?」


 沢渡課長が黙ります。


 相馬先輩が低い声で言いました。


「一か月、何してた」


「内部協議です」


「誰と誰が」


「それは――」


「課長」


 所長の声は静かでした。


「こちらは喧嘩に来ているんじゃない」


「では?」


「記録を作りに来ている」


 空気が変わりました。


 沢渡課長の目が細くなります。


「記録?」


「申請日。補正日。現地確認日。内部協議。処分が出ない理由」


 所長は指を折りません。


 ただ淡々と並べました。


「裁判に行くなら、弁護士へ渡す」


「不作為の違法確認ですか」


 沢渡課長はすぐに分かりました。


「可能性としては」


「三か月で相当期間を超えたと?」


「こちらはまだ結論を出していない」


 所長が言います。


「だから確認している」


 強い。


 決めつけない。


 脅さない。


 でも。


 必要な証拠を取りに来ている。


 それが分かるから、


 相手も軽く扱えない。


「なお」


 沢渡課長が言いました。


「申請自体に問題があります」


「添付書類ですか」


 私が聞くと、課長はこちらを見ました。


「当初提出時点では構造図が不足していました」


「その後提出済みですよね」


「ええ」


「仮に申請が不適法だったとしても」


 私は一度息を吸いました。


「現に申請がされている以上、それを理由にいつまでも何もしない、ということにはなりませんよね」


 一瞬。


 沢渡課長の表情が止まりました。


「……勉強しましたね」


「褒めました?」


「事実です」


「じゃあ褒めたことにします」


「好きにしてください」


 相馬先輩が小声で言います。


「そこで喜ぶな」


 はい。


「申請に不備があるなら」


 私は続けます。


「補正を求める。あるいは、処分として応答する。それは役所側が整理すべき話です」


「その通りです」


 沢渡課長が言いました。


 認めた。


「ただし」


 来ますよね。


「不作為の違法確認訴訟を提起したからといって、許可を得られるわけではありません」


「分かっています」


「西岡さんが求めているのは許可でしょう」


「そうです」


「なら、その訴訟だけでは目的を達成できない」


「それも分かっています」


 私は言いました。


「でも」


「でも?」


「許可も不許可も出さないままなら、西岡さんは争うことすらできません」


 沢渡課長が黙る。


「許可なら、それで終わる」


「ええ」


「不許可なら、その理由が出る」


「ええ」


「理由に納得できなければ、その処分を争う」


「そうですね」


「だから今、私たちが求めているのは」


 私は申請書を指しました。


「勝たせてください、じゃありません」


 一拍。


「答えてください、です」


 静かになりました。


 不思議でした。


 これ。


 ものすごく当たり前のことです。


 申請を出した。


 役所が審査する。


 許可する。


 不許可にする。


 それだけ。


 なのに。


 その「それだけ」がされないと、


 人は前にも後ろにも進めなくなる。


 沢渡課長は眼鏡を外しました。


 布で拭きます。


「片桐先生」


「何だ」


「担当課に確認します」


「いつまでに」


「今日中に」


「処分を出すのか」


「そこまでは約束できません」


「なら」


 片桐所長が言いました。


「いつまでに何を判断するか。書面で回答を」


「……分かりました」


 少し。


 動いた。


 翌日。


 市役所から回答が来ました。


 道路担当課で審査を再整理する。


 現地確認済み。


 構造上の追加確認を一件行う。


 一週間以内に処分方針を決定する。


「一週間?」


 西岡さんが電話口で言いました。


「はい」


「信じていいんですか」


「だから書面にしてもらいました」


「なるほど」


 私は笑いました。


「それで一週間後にも何も出なかったら?」


「その記録も増えます」


「怖いこと言いますね」


「先輩に鍛えられました」


 向かいで相馬先輩が睨みました。


 事実です。


 そして。


 六日後。


 西岡さんが事務所へ飛び込んできました。


 またメロンパンを持って。


「出ました!」


「許可ですか!」


「いや!」


「え?」


「許可です!」


「どっちですか!」


「すみません、興奮して!」


 許可でした。


 条件付き。


 乗入れ幅を当初計画より狭くする。


 側溝部分の補強方法を変更する。


 出入りの際は歩行者確認を徹底する。


 いくつか条件はついた。


 でも。


 道路占用許可は下りました。


「良かったですね」


 私が言うと、


 西岡さんは笑いました。


「裁判、しなくて済みましたね」


「そうですね」


「でも、あれですね」


「何です?」


「裁判するぞって言ったから許可したんですかね」


「それは分かりません」


 片桐所長が答えました。


「審査した結果、許可できると判断しただけかもしれない」


「そうですか」


「行政に圧力をかけて、無理な許可を取るのが仕事じゃない」


「はい」


「止まっている手続を、法に沿って動かす」


 所長は許可書を見ました。


「今回はそれで十分だ」


 西岡さんは何度も頷きました。


 そして。


「あの」


「はい?」


「これ」


 机に紙袋を置きました。


 メロンパン。


 あんパン。


 クリームパン。


 合計十二個。


「多い!」


「昨日から軽トラックで小麦粉を運べるようになったんで」


「あ」


「楽ですよ」


 西岡さんが笑いました。


「本当に」


 その笑顔を見て、


 ようやく実感しました。


 不作為の違法確認の訴え。


 試験勉強では、


 地味です。


 取消訴訟のように、


 処分を消すわけでもない。


 許可を勝ち取る訴訟でもない。


 行政庁が、


 何もしない。


 その状態を、


 違法だと確認するだけ。


 でも。


 何もされない人にとっては。


 その「だけ」が、


 次の人生を動かすことがあります。


 許可なら進める。


 不許可なら争える。


 でも沈黙だけは、


 どこにも行けない。


「先輩」


「何だ」


「不作為って、何もしてないだけなのに強いですね」


「あ?」


「処分だったら攻撃できますよね」


「まあな」


「でも答えを出さなかったら、相手はずっと待つしかない」


「だから制度がある」


「はい」


 私は小さく頷きました。


 今日の教訓。


 行政は、


 間違った答えを出すことだけが違法になるわけじゃない。


 答えるべきなのに、


 答えない。


 それ自体が、


 裁判で問われることがある。


 しかも。


 不作為が続く限り、


 訴える道は閉じない。


「朝比奈さん」


 西岡さんが言いました。


「メロンパン食べてください」


「いただきます」


「お前さっきからそれしか見てねえだろ」


「見てませんよ」


「一番でかいの取ったぞ」


「偶然です」


「返せ」


「嫌です」


 西岡さんが笑いました。


 片桐所長も、あんパンを一つ取ります。


「所長、甘いもの食べるんですね」


「悪いか」


「いえ。意外で」


「仕事したら腹が減る」


「名言っぽく言ってますけど普通ですよ」


 そのとき。


 電話が鳴りました。


 私が取ります。


「はい、片桐行政書士事務所です」


『総務課の沢渡です』


 来た。


「はい」


『西岡さん、そちらにいますか』


「いますけど」


『許可書は届きましたね』


「はい」


『一つ、伝えてください』


「何です?」


『今回の件で、長期未処理の申請を各課で点検することになりました』


 私は瞬きしました。


「長期未処理?」


『申請を受け付けたまま、補正待ち、内部協議中などの名目で止まっている案件です』


「何件あるんですか」


『それを今調べています』


「……怖い答えですね」


『役所というところは』


 沢渡課長が淡々と言いました。


『処分をして間違えれば問題になります』


「はい」


『だから、難しい案件ほど決定を先送りしたくなることがある』


 意外でした。


 沢渡課長が、


 そんなことを言うなんて。


『しかし』


「はい」


『決めないことも、場合によっては違法になる』


 私は少し笑いました。


「不作為ですね」


『ええ』


「今日ちょっと先生っぽいです」


『余計です』


 電話が切れました。


「何だって?」


 相馬先輩が聞きました。


「長期未処理案件を全部点検するそうです」


「へえ」


「西岡さん一人の申請で」


「そうか」


 所長はそれだけ言って、


 あんパンを食べました。


 窓の外。


 駅南へ向かう市道を、


 軽トラックが一台走っていきます。


 法律は、


 いつも派手に人を救うわけではありません。


 処分を取り消す。


 国に勝つ。


 市役所を負かす。


 そんなドラマばかりじゃない。


 ただ。


 机の上で三か月眠っていた紙を、


 もう一度動かす。


 返事をさせる。


 結論を出させる。


 そんな地味な力もある。


 むしろ。


 暮らしている人にとっては、


 そちらの方が切実なこともあります。


「こはる」


「はい」


「電話」


 所長が言いました。


「え?」


「さっき鳴ったぞ」


「沢渡課長の電話に出ましたよ」


「その前だ」


「聞いてません」


「留守電に入ってる」


「先に言ってくださいよ!」


 私は慌てて機械を確認しました。


 再生。


『市民課ですが、先月お願いした書類の件で――』


 私は止まりました。


「……先月?」


 相馬先輩がにやりとします。


「お前の仕事も不作為か」


「違います!」


「相当期間過ぎてねえか」


「まだです!」


「標準処理期間は?」


「そんなものありません!」


「不作為の違法確認するか」


「誰が誰を訴えるんですか!」


 片桐所長が静かに言いました。


「まず処理しろ」


「はい!」


 行政庁に、


 答えるべきなのに答えない自由はない。


 そしてどうやら。


 行政書士見習いにも、


 仕事を机の上で寝かせる自由はないらしい。


 昭和六十三年。


 法律より先に、


 相馬先輩から不作為を追及される毎日です。


「先輩」


「何だ」


「メロンパン一個あげるので手伝ってください」


「二個」


「不当です」


「嫌なら棄却」


「それ処分ですか!」


 西岡さんの笑い声が、


 小さな事務所いっぱいに広がりました。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
さくら司法書士補助者の法務帳 〜 昭和に転生して泥沼の争いを収めたら、実務と試験知識が完全にリンクしました 〜
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜
宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜
名探偵 藤原彰子の宮中事件簿 ――『転生皇后 藤原彰子』スピンオフ外伝
転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜
新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜
新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件〜
美しき女帝 北条政子 〜 婚約破棄どころか強制結婚!? 平家のエリートに嫁がされそうになったので、豪雨の山を越えて愛する無職の元へ走ってみた 〜
新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚〜
箴言・格言・名言集 〜頑張るあなたへ、今日を乗り越えるための一言〜
拝啓、愛読者様。― 想いを少しだけ 謹呈 条文小説
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜
コミックス「六道輪廻抄〜戦国転生記〜」
動画生成AIが作成したイメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。