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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政事件訴訟法

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280/312

[取消訴訟の判決の種類と効力]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 判決は、一枚の紙です。


 でも。


 その一枚で、


 裁判所の入口から追い返される人もいれば、


 行政処分そのものが消えることもある。


 行政庁の次の一手まで縛られることもある。


 そして、ときには。


 「違法です」


 と裁判所に言われたのに、


 処分だけは残ることさえあります。


 夕方。


 片桐行政書士事務所。


 原田さんのホテル建築確認の件で、市役所へ行ってから数日が経っていました。


 杭打ち工事は、まだ始まっていません。


 市が道路条件を再点検し、


 ホテル会社も計画変更を検討している。


 裁判には、まだなっていない。


 勝ってもいない。


 負けてもいない。


 なのに。


 私の机の上では、


 すでに判決が四つ並んでいました。


 正確には、ノートに書いた四つの言葉です。


 ――却下。


 ――認容。


 ――棄却。


 ――事情判決。


「……嫌な四兄弟」


「三つだ」


 向かいの机で相馬先輩が言いました。


「え?」


「判決の基本は三つだろ」


「事情判決もあります」


「事情判決は棄却の特殊型だ」


「細かい」


「そこを細かくするために勉強してんじゃねえのか」


 正論。


 夕方の行政法は、容赦がありません。


 私はノートの上に大きく書きました。


 ――取消訴訟の判決。


 その下に枝を三本。


 一、却下判決。


 二、認容判決。


 三、棄却判決。


 そして棄却判決の横に小さく、


 特殊型――事情判決。


「これで満足ですか」


「俺が受験するわけじゃねえ」


「じゃあ口出さないでください」


「間違ってるの見ると気持ち悪いんだよ」


「面倒見のいい人の言い方じゃない」


 奥で帳簿を見ていた片桐所長が、静かに言いました。


「まず却下からやれ」


「はい」


 来ました。


 今日の授業開始です。


「却下判決」


 私は声に出しました。


「訴えが不適法なとき、本案に入らずに訴えを排斥する判決」


「本案って何だ」


 相馬先輩が聞きます。


「処分が違法かどうかの中身です」


「じゃあ原田さんの件なら?」


「ホテルの建築確認が違法だったかどうか」


「そこを判断する前に終わる場合がある」


「はい」


 現場編で、


 沢渡課長に突きつけられた言葉。


 ――訴訟要件は満たしていますか?


 あれです。


 私はノートに書きました。


 処分性。


 原告適格。


 訴えの利益。


 出訴期間。


 管轄。


 被告適格。


 その他の訴訟要件。


「これを欠くと?」


「門前払い」


「俗っぽいな」


「でも分かりやすいでしょう」


「まあな」


 門前払い。


 教材では簡単な言葉ですが。


 現場で考えると怖い。


 原田さんが、


 道路幅が足りない。


 建築確認がおかしい。


 市の判断が間違っている。


 そう何百枚資料を集めても。


 原告適格がない。


 期間を過ぎた。


 訴えの利益がない。


 そんな理由で却下されれば。


 裁判所は、


 建築確認が違法だったかどうかまで行かない。


「つまり」


 私は言いました。


「却下判決って、行政庁が正しかったって判決ではないんですよね」


 片桐所長が頷きました。


「そこを間違えるな」


 大事です。


 ものすごく大事です。


 却下。


 原告敗訴。


 だから行政の処分は適法。


 ではない。


 そもそも中身を判断していない。


「じゃあ」


 相馬先輩が言いました。


「原田さんの訴えが出訴期間を過ぎて却下された」


「はい」


「その場合、裁判所は建築確認が適法だと認定したことになるか?」


「なりません」


「理由は?」


「本案判断をしてないから」


「よし」


 私はノートに、


 大きく二重線を引きました。


 ――却下=中身を見ていない。


「試験でここ混ぜますよね」


「何と?」


「棄却」


「次だな」


 棄却判決。


 こちらは、


 訴え自体は適法。


 裁判所はちゃんと中身まで審理した。


 でも。


 原告の請求に理由がない。


 だから取消しを認めない。


「原田さんの件なら」


 私は言いました。


「原告適格もある。出訴期間内。被告も合ってる。ほかの要件も満たしている」


「うん」


「裁判所が建築確認の適法性を審理した」


「うん」


「そして、市の判断に違法はないと判断した」


「なら?」


「棄却判決」


「そうだ」


 ここで、


 却下と棄却の違いがはっきりします。


 却下。


 入口で終わる。


 棄却。


 中まで入ったうえで負ける。


「漢字一文字しか違わないのに」


 私は言いました。


「意味が全然違う」


「試験はそういうの好きだからな」


「法律も好きですよね」


「法律に好みを聞くな」


 私はノートの端に書きました。


 却下=不適法。


 棄却=請求に理由なし。


「これだけでもかなり点が取れそう」


「お前はすぐ点数の話するな」


「受験生だったので」


 受験生。


 だった。


 今は昭和六十三年で行政書士事務所の見習いです。


 人生、想定外にもほどがあります。


「次、認容判決」


 私は書きました。


 原告の請求に理由あり。


 処分を取り消す。


 これがいわゆる取消判決。


「一番分かりやすいですね」


「本当にそうか」


 片桐所長が言いました。


「え?」


「取消した後は?」


 あ。


 来ました。


 所長の、


 分かった気になっている受験生を落とす質問。


「取消判決が確定したら……」


 私は少し考えます。


「処分が効力を失います」


「いつから」


「処分時にさかのぼって」


「誰が取消す」


「行政庁がもう一度取消処分をする必要はない」


「なぜ」


「取消判決の形成力があるから」


 所長が頷きました。


「そこまでだ」


 形成力。


 私はその言葉を囲みました。


 取消判決が確定すると、


 処分または裁決は当然に効力を失う。


 しかも、


 処分時・裁決時にさかのぼる。


「つまり」


 私は原田さんの事件を思い出しました。


「もしホテルの建築確認が取消判決で取り消されたら」


「うん」


「市が改めて『建築確認を取り消します』って処分をしなくても」


「うん」


「確定判決だけで建築確認の効力が失われる」


「そうだ」


「しかも、さかのぼる」


「そうだ」


 つまり。


 取消判決は、


 行政庁へのお願いではありません。


 裁判所が、


 この処分を取り消す。


 と判決し、


 その判決が確定する。


 すると。


 処分そのものが法的に消える。


「強いですね」


 私は呟きました。


「裁判所の判決だからな」


 相馬先輩が言います。


 そう。


 行政書士事務所で、


 どれだけ鋭い意見書を書いても。


 市役所とどれだけ交渉しても。


 最終的に相手が処分を維持すると言えば、


 行政書士が強制的に消すことはできません。


 でも。


 取消判決は違う。


 確定すれば、


 行政庁の意思とは関係なく処分が消える。


「形成力……」


 私はもう一度書きました。


 字面は地味。


 やってることは豪快。


「でも」


 相馬先輩が言いました。


「ホテル会社はどうなる」


「そこです」


 私は次の言葉を書きました。


 ――第三者効。


 原田さんが取消訴訟を起こす。


 原告は原田さん。


 被告は、この時代なら処分行政庁。


 でも。


 建築確認の利益を受けているのはホテル会社です。


「ホテル会社は原告でも被告でもない」


「そうだ」


「でも建築確認が取り消されたら」


「ホテル会社にも効く」


「はい」


 取消判決の効力は、


 第三者にも及ぶ。


 だから。


 ホテル会社が、


「自分はその裁判の当事者じゃないから、建築確認は自分に対してはまだ有効です」


 とは言えない。


「それが第三者効」


「形成力との関係で覚えろ」


 所長が言いました。


「はい」


 取消判決によって処分が消える。


 それは当事者間だけの話ではない。


 第三者にもその取消しの効果が及ぶ。


 私は昨日見た杭打ち機を思い出しました。


 もし本当に取消判決が確定したら。


 あの巨大な機械を動かす前提だった建築確認そのものがなくなる。


 ホテル会社にとって、


 他人の裁判だから関係ない。


 では済みません。


「取消訴訟って」


 私は言いました。


「思ってたより社会全体に効きますね」


「行政処分は、もともと第三者を巻き込むことがあるからな」


「だから判決も」


「当事者だけで閉じねえ」


 なるほど。


 民事の感覚だけで見ると、


 原告と被告の争い。


 という感じがします。


 でも行政処分は、


 許可。


 認可。


 免許。


 確認。


 そういう形で、


 当事者以外の生活にも影響する。


 だから、


 取消判決が第三者にも及ぶ意味が大きい。


「次」


 所長が言いました。


「拘束力」


 私は待ってましたとばかりに書きました。


 ――拘束力。


「取消判決が確定すると」


 私は説明します。


「処分や裁決をした行政庁、その他の関係行政庁は、その判決に拘束されます」


「具体的には」


「同じ事情のもとで、同じ理由、同じ内容の処分を繰り返せない」


「それから」


「必要なら、あらためて措置を執る義務を負う」


「よし」


 現場編で、


 私が沢渡課長へ言ったことです。


 もし裁判所が、


 この道路判断は駄目です。


 この建築確認は違法です。


 と取消判決を出した。


 そのあと市役所が、


「分かりました。一回取り消されたので、今日もう一回、同じ道路判断で同じ建築確認を出します」


 そんなことをしたら、


 何のための裁判か分かりません。


「同じ理由で同じ処分を繰り返されたら」


 私は言いました。


「裁判所との無限ループになりますね」


「行政庁にリセットボタンはねえ」


 相馬先輩が言いました。


 妙に分かりやすい。


 取消判決が確定したら。


 行政庁はその判断に従わなければならない。


 これが拘束力。


「ここ」


 私はノートを指しました。


「形成力と混ざりやすいです」


「分けて言え」


 所長。


 即席口頭試験が始まりました。


「形成力」


「はい」


「何が起こる」


「取消判決の確定により、処分が当然に、原則として処分時にさかのぼって効力を失う」


「拘束力」


「行政庁が判決の判断に拘束される。同じ事情・同じ理由で同じ処分を繰り返せない。必要に応じて処分をやり直す義務も負う」


「第三者効」


「取消しの効果が、訴訟当事者以外の第三者にも及ぶ」


「よし」


 私は小さく拳を握りました。


「今の、行政書士試験だったら三点くらいくれません?」


「採点者に聞け」


 冷たい。


「じゃあ」


 相馬先輩が言いました。


「拒否処分を取り消された場合はどうなる」


「拒否処分?」


「許可申請をした。でも役所が拒否した」


「はい」


「申請者が取消訴訟を起こして、拒否処分が取り消された」


「はい」


「じゃあ翌日から許可されたことになるのか」


「……ならない」


「なぜ」


「取消判決は、拒否処分を消すだけだから」


 ここ。


 大事です。


 例えば、


 建築確認申請を出した。


 行政庁が拒否した。


 その拒否処分が違法として取り消された。


 すると。


 拒否処分は消える。


 でも。


 それだけで建築確認がされたことにはならない。


「行政庁は?」


「もう一度申請を審査して、処分し直す義務を負う」


「そうだ」


 これも拘束力。


 私は少し引っかかりました。


「現代なら」


 反射的に口から出ます。


「義務付け訴訟と組み合わせて――」


「ない」


 相馬先輩が即答しました。


「まだ最後まで言ってません」


「昭和六十三年だ」


「分かってます」


「顔が未来法だった」


「沢渡課長みたいなこと言わないでください」


 ここが、


 この時代の苦しいところです。


 現代法なら、


 一定の場合には申請型義務付け訴訟という形で、


 行政庁に一定の処分をするよう求める仕組みが法定されています。


 でも昭和六十三年。


 義務付け訴訟は法定されていません。


「つまり」


 私は言いました。


「拒否処分を取消してもらえても」


「うん」


「それだけで申請どおりの処分が出るわけじゃない」


「うん」


「行政庁に審査をやり直させるところまで」


「基本はそうだ」


 今の私は、


 現代制度の便利さを知っています。


 だから余計に分かる。


 昔の取消訴訟は、


 勝っても半歩しか進めないことがある。


 拒否処分は消えた。


 でも欲しかった許可は、まだ手に入っていない。


「使い勝手悪いですね」


 私はぼそっと言いました。


「昔の行政裁判はそんなもんだ」


 相馬先輩が煙草に火をつけます。


「だから改正された部分もあるんでしょうね」


「未来の話は知らねえ」


「未来から来た私が知ってます」


「その設定まだ続けるのか」


「設定じゃないです」


「はいはい」


 信じてもらえない。


 転生者とは孤独です。


「次」


 片桐所長が言いました。


「既判力」


 私は書きます。


 ――既判力。


 判決が確定すると。


 当事者は、


 その確定判決の内容に反する主張をして、


 同じことを蒸し返すことができない。


 裁判所も、


 同一事項について確定判決と矛盾する判断をすることができない。


「ざっくり」


 私は言いました。


「蒸し返し禁止」


「ざっくりしすぎだ」


「でも覚えやすいです」


「試験答案に書くなよ」


「書きません」


 原田さんが建築確認取消訴訟をした。


 裁判所が、


 建築確認は適法。


 として棄却判決。


 それが確定。


 その後、


 まったく同じものを同じ当事者間で、


 もう一回。


「前の裁判は納得いかないから、もう一回同じ訴えをやります」


 とはできない。


「裁判って」


 私は言いました。


「最後は終わらせる力も必要なんですね」


 片桐所長が頷きます。


「終わらなければ法的安定がない」


 なるほど。


 何度でも裁判できるなら。


 勝った側も永遠に安心できません。


 行政処分も、


 契約も、


 生活も、


 全部ずっと仮の状態になる。


 だから既判力がある。


「ただし」


 所長が言いました。


「既判力と拘束力をごちゃ混ぜにするな」


「はい」


 これは試験でも危険です。


 既判力。


 裁判上、


 確定判決の内容を当事者や裁判所が蒸し返せない。


 拘束力。


 行政庁が取消判決の趣旨に従わなければならない。


「似てますね」


「違う」


「分かってます」


「じゃあ言え」


 また来た。


「既判力は確定判決一般の訴訟法上の効力」


「うん」


「拘束力は、取消判決について行政庁や関係行政庁を拘束する、行政事件訴訟法上の特別な効力」


「まあいい」


 まあいい。


 満点ではないらしい。


 厳しい。


 私はここまでのノートを眺めました。


 判決三種類。


 そして判決の効力。


 だいぶ整理できました。


 でも。


 一番嫌なやつが残っています。


「……事情判決」


「嫌そうだな」


 相馬先輩が言いました。


「嫌ですよ」


「何で」


「違法なのに取消さないから」


 私は大きく書きました。


 ――事情判決。


 通常。


 処分または裁決が違法なら、


 取消判決。


 これが原則。


 でも。


 処分を取り消すことで、


 公の利益に著しい障害を生じる。


 そう認められる場合。


 裁判所は、


 諸事情を考慮して、


 原告の請求を棄却することができる。


「ただし」


 片桐所長が言いました。


「主文」


「はい」


「何を書く」


「処分または裁決が違法であることを宣言する」


「そうだ」


 ここが重要。


 単に棄却して終わりではない。


 裁判所は、


 違法だった。


 と主文ではっきり宣言する。


「原田さんのホテルなら」


 私は言いました。


「たとえば裁判が何年もかかって」


「うん」


「その間にホテルが完成して」


「うん」


「観光事業も始まって、周辺施設も整備されて、従業員も大量に働いて」


「うん」


「今さら建築確認を取り消すことで、公共的な影響がものすごく大きくなる」


「そこで事情判決の問題が出る」


「はい」


 もちろん。


 ホテルが建ったから自動的に事情判決になるわけではない。


 そこは雑に覚えてはいけません。


 でも。


 処分を取り消すことによる公の利益への障害。


 原告が受ける損害。


 処分の違法の程度。


 その他の事情。


 そういうものを考慮して、


 取消しをしないという例外的な判断があり得る。


「これって」


 私は言いました。


「行政の違法を許してるわけじゃないんですよね」


「違法と宣言するからな」


「でも処分は残す」


「そうだ」


「やっぱり嫌です」


 相馬先輩が少し笑いました。


「法律が気持ちいい結論だけ出すと思うな」


 それです。


 裁判所は、


 違法を見つけたら全部巻き戻せる魔法使いではない。


 現実社会は動いています。


 工事。


 契約。


 住民。


 公共施設。


 選挙。


 行政計画。


 一つの処分を取り消したことで、


 別の大きな混乱が起きることもある。


 だから事情判決。


 ただし。


 違法だった事実は消さない。


「ものすごく苦い判決ですね」


「そうだな」


 片桐所長が答えました。


 その短い返事が、


 妙に重く聞こえました。


「有名な例がありますよね」


 私は言いました。


「何だ」


「選挙」


 相馬先輩がこちらを見ます。


「議員定数の不均衡」


 昭和五十一年。


 最高裁。


 衆議院議員定数不均衡事件。


 いわゆる一票の格差。


 選挙区ごとの一票の価値に、


 最大四・九九対一という格差があった。


 最高裁は、


 その状態が憲法の平等原則に反すると判断した。


「でも選挙そのものは無効にしなかった」


「そうだ」


「事情判決そのものを直接適用したわけではないけど」


「事情判決の法理を使った」


「はい」


 もし。


 憲法違反だからその選挙全部無効。


 となったら。


 国会。


 法律。


 政府。


 国政。


 ものすごい混乱が起こる。


 だから。


 違憲状態を認めつつ、


 選挙自体は無効にしない。


「教材で見たときは」


 私は言いました。


「都合よくない? って思いました」


「今は?」


「……ちょっと分かる」


 納得。


 ではありません。


 分かる。


 です。


 法律は、


 理念だけで動かない。


 社会全体をひっくり返す結果まで考える。


 だからこそ、


 事情判決は例外。


 そして違法宣言を主文でする。


「違法を見逃したわけではない」


「そうだ」


「でも救済も完全じゃない」


「そうだ」


 このあたりが、


 行政事件訴訟の苦いところです。


「そう考えると」


 私は原田さんの事件を思い出しました。


「工事を早く止める意味が変わりますね」


 相馬先輩が煙草の灰を落とします。


「どういうことだ」


「裁判で最後に勝てるかどうかだけじゃない」


「うん」


「現実が進みすぎる前に、争いを表面化させる」


「うん」


「工事が完成して、第三者が増えて、社会関係が固まれば固まるほど」


「取消しの影響がでかくなる」


「はい」


「だから?」


「出訴期間を守る。執行停止を検討する。早く弁護士へつなぐ。行政にも早い段階で問題を突きつける」


 片桐所長が頷きました。


「それが実務だ」


 私はノートに書き足しました。


 ――事情判決を知ることは、「最後の判決」を覚えるだけではない。


 ――争うなら、現実が固まる前に動く意味を知ること。


「これ」


 私は言いました。


「行政書士の立ち位置にもつながりますね」


「どういう意味だ」


「私たちは訴訟代理人じゃない」


「そうだ」


「裁判所で事情判決を避ける主張をするわけでもない」


「うん」


「でも、事件がまだ小さいうちに資料を集めて、論点を整理して、弁護士へ渡す」


「そうだ」


「市役所へも、取消判決が出た後のリスクまで示す」


「そこだ」


 原田さんの事件で、


 市役所が態度を変えた理由。


 建築確認に疑義があります。


 だけではありません。


 もし取消判決が確定したら。


 形成力。


 第三者効。


 拘束力。


 それが一気に動く。


 ホテル会社にも影響する。


 同じ処分を簡単にやり直せない。


 市も後始末をしなければならない。


 そこまで見せたから。


 行政内部で、


 一度止めて確認しよう。


 となった。


「判決の効力って」


 私は呟きました。


「裁判が終わった後の話だと思ってました」


 所長がこちらを見ます。


「違うのか」


「違いました」


「どう違う」


「判決が出たら何が起こるか分かっていれば、判決が出る前の交渉が変わる」


 所長が小さく頷きました。


「そうだ」


 これです。


 試験勉強では、


 既判力。


 形成力。


 拘束力。


 第三者効。


 全部、


 判決後の効果。


 としか見ていませんでした。


 でも実務では。


 判決後の効果を知っているから、


 行政庁が裁判前に動くことがある。


 未来の一枚の判決が、


 現在の会議室に影を落とす。


 法律って、


 妙なところで時間を逆流します。


「さて」


 私はノートを一度閉じかけました。


「終わり?」


 相馬先輩が聞きます。


「まだです」


「長えな」


「大事なところです」


 私は新しいページを開きました。


 昭和六十三年と現代。


 ここ。


 転生者には避けて通れません。


 まず。


 出訴期間。


 昭和六十三年。


 原則、


 処分または裁決があったことを知った日から三か月。


 現代。


 原則、


 処分または裁決があったことを知った日から六か月。


「原田さんの件で」


 私は言いました。


「最初、私六か月ある気で考えそうになってました」


「死ぬところだったな」


 相馬先輩が言います。


「言い方」


「三か月過ぎたら却下の危険だ」


「そうですけど」


 未来の知識が、


 昭和では罠になる。


 六か月ある。


 まだ余裕。


 その油断で三か月を過ぎれば、


 本案審理にすら入れない。


 建築確認がどれだけ違法でも。


 道路がどれだけおかしくても。


 入口で終わる。


「だから期間は最優先」


「そうだ」


 次。


 被告。


 現代なら、


 国または公共団体。


 今回なら、


 制度上は地方公共団体側を被告とする仕組み。


 でも昭和六十三年は違う。


 処分をした行政庁。


「建築確認なら」


「建築主事」


「そうですね」


「未来人が市を被告にしてきたら?」


「やめてください」


「却下されるぞ」


「やめてください!」


 転生者への脅しとして強すぎます。


 そして。


 義務付け訴訟。


 差止訴訟。


 現代では法定されています。


 しかし昭和六十三年当時、


 これらは法定された抗告訴訟ではない。


 無名抗告訴訟として議論される余地はあっても、


 簡単に使える制度ではない。


「原田さんの事件なら」


 私は言いました。


「現代人の感覚だと、『違法な工事につながる行政処分を止められないか』って、差止めの発想も出てきます」


「でも今は?」


「法定の差止訴訟はない」


「義務付けは?」


「ない」


「仮の差止め」


「ない」


「仮の義務付け」


「ない」


「使える仮の救済」


「執行停止」


「よし」


 ……よし、じゃない。


 昔の制度。


 狭い。


 本当に狭い。


「改正した人たち」


 私は思わず言いました。


「かなり頑張りましたね」


「誰の話だ」


「未来の立法担当者です」


「また始まった」


 でも。


 現場で旧法を見ていると、


 平成十六年改正の意味がよく分かります。


 取消訴訟だけで、


 処分を消す。


 それだけでは救済が足りない事件がある。


 行政庁に何かをしてほしい。


 行政庁が何かをする前に止めたい。


 判決まで待ったら間に合わない。


 だから。


 義務付け。


 差止め。


 仮の義務付け。


 仮の差止め。


 そういう救済手段が整えられていった。


「昔は」


 私は言いました。


「門は狭いし、入ったあとも武器が少ない」


 相馬先輩が笑います。


「だから裁判なんて負け戦だって言ってんだ」


「でも」


「何だ」


「やるなら要件を揃えろ」


 私は先回りしました。


「分かってきたじゃねえか」


 嫌な師弟関係が出来上がりつつあります。


 私は最後に、


 判決の種類と効力を一枚にまとめました。


 却下判決。


 訴訟要件を欠く。


 不適法。


 本案に入らない。


 認容判決。


 請求に理由あり。


 処分または裁決を取り消す。


 棄却判決。


 請求に理由なし。


 本案で負ける。


 事情判決。


 処分は違法。


 しかし取消しによって公の利益に著しい障害を生ずる。


 そこで請求を棄却し、


 主文で違法を宣言。


 そして効力。


 既判力。


 蒸し返しを許さない。


 形成力。


 取消判決確定により、


 処分は当然に、原則としてさかのぼって効力を失う。


 第三者効。


 取消しの効果は第三者にも及ぶ。


 拘束力。


 処分庁その他の関係行政庁は判決に拘束される。


 同じ事情で、


 同じ理由、


 同じ内容の処分を繰り返せない。


 必要な場合は、


 改めて措置を執らなければならない。


「……多い」


 私は言いました。


「今さらか」


「判決一個に背負わせすぎじゃないですか」


「裁判だからな」


 相馬先輩が答えます。


 そう。


 裁判の判決は、


 感想文ではありません。


 行政庁へ、


「今後気をつけてください」


 と言う紙でもない。


 確定すれば。


 争いを終わらせ、


 処分を消し、


 第三者へ影響し、


 行政庁の次の行動を縛る。


 だから重い。


 そして。


 だからこそ、


 裁判所は入口から厳しい。


 原告適格。


 訴えの利益。


 期間。


 処分性。


 被告。


 一つずつ確認する。


 誰でも、


 何でも、


 いつまでも、


 取消訴訟を起こせるようにしていない。


「門前払いって」


 私は言いました。


「冷たい制度に見えますけど」


「うん」


「判決の効力が強いから、入口も厳しいんですね」


 所長がこちらを見ました。


「一面ではな」


 それだけが理由ではありません。


 でも。


 妙に腑に落ちました。


 取消判決は強い。


 行政処分を消す。


 第三者にも効く。


 行政庁を拘束する。


 社会に影響する。


 だからこそ、


 誰がその力を裁判所に求められるのか。


 厳格な入口がある。


 制度の冷たさには、


 制度の重さがある。


 電話が鳴りました。


「はい、片桐行政書士事務所です」


 私が取ります。


『総務課の沢渡です』


 来ました。


 今日も行政法の追加問題。


「はい」


『原田さんの件ですが』


「何かありました?」


『建築指導課で道路判定を再確認しました』


 私は姿勢を正しました。


「結果は?」


『従前の資料だけでは処理経緯が不明確な部分があります』


「つまり?」


『ホテル会社側へ、道路部分を前提とした配置計画の再整理を正式に求めることになりました』


「じゃあ、今の計画のまま工事は?」


『進めません』


 私は思わず相馬先輩を見ました。


 向こうもこちらを見ています。


「建築確認を取り消すんですか」


『現時点では、そこまでは言いません』


「ですよね」


『ただ、変更手続を含めて処理することになります』


「分かりました」


 少し迷って。


 私は聞きました。


「課長」


『何でしょう』


「前に、事情判決の話をしましたよね」


『しましたね』


「本当に裁判になってたら、どうなってたと思います?」


 受話器の向こうが少し静かになりました。


『分かりません』


 意外な答え。


『裁判所が判断することです』


「ですよね」


『ただ』


「はい」


『工事が始まる前に疑義を確認できたのは、行政として悪いことではありません』


 沢渡課長らしい。


 謝りません。


 でも、


 間違いがあり得ることは認める。


『朝比奈さん』


「はい」


『取消判決というものは、行政庁にとって面倒です』


「また本音ですね」


『取消されれば、その処分が消えるだけでは済まない』


「拘束力」


『ええ』


「第三者効」


『ええ』


「形成力」


『試験勉強ですか』


「今ちょうど」


『なら一つ覚えておくといい』


「何です?」


『行政にとって一番厄介なのは、負けることそのものではありません』


 私は少し黙りました。


「何です?」


『負けた理由が、次の行政判断を縛ることです』


 受話器を持ったまま、


 私はノートを見ました。


 拘束力。


『同じ誤りを繰り返せない。それが判決の重さです』


「……はい」


『では』


「あ、課長」


『何でしょう』


「今の、かなり先生っぽかったですよ」


『不本意です』


 切れました。


 私は受話器を置きました。


「何だって?」


 相馬先輩が聞きます。


「今の計画のまま工事は進めないそうです」


「そうか」


「あと」


「何だ」


「沢渡課長が授業してくれました」


「金取られるぞ」


「市役所の行政法講座、嫌すぎます」


 窓の外。


 夕日が落ちかけています。


 原田さんの時計店では、


 今頃たくさんの時計が音を刻んでいるでしょう。


 ホテル工事は、


 まだ始まらない。


 これから計画変更がどうなるか。


 裁判になるか。


 原田さんたちが納得するか。


 何も決まっていません。


 でも。


 今回私は、


 判決というものの見方が少し変わりました。


 受験生だったころ。


 却下。


 認容。


 棄却。


 事情判決。


 既判力。


 形成力。


 拘束力。


 全部、


 正誤問題の材料でした。


 この効力はどれか。


 この判決は何か。


 そんな分類。


 でも現場では。


 却下。


 裁判所に中身を見てもらえない怖さ。


 棄却。


 中身まで見てもらって負ける重さ。


 認容。


 一つの行政処分が本当に消える力。


 事情判決。


 違法でも、現実が進みすぎれば完全には戻せない苦さ。


 既判力。


 争いをいつか終わらせるための線。


 形成力。


 行政庁が何もしなくても処分を消してしまう力。


 第三者効。


 裁判の外側にいる人まで動かしてしまう力。


 拘束力。


 行政庁に、


 同じ間違いを繰り返すな。


 と命じる力。


 全部。


 人が暮らしている場所で動くものです。


 私はノートの最後に、


 一行の覚え書きを書きました。


 ――取消判決は、処分を消すだけじゃない。過去を変え、第三者に及び、行政の次の一手まで縛る。


「長い」


 相馬先輩が言いました。


「出た」


「一行の覚え書きだろ」


「一行に収まってます」


「字が小せえ」


「では短くします」


 私はその下に書きました。


 ――却下は入口、棄却は中身、認容は取消し。その先まで効くのが判決。


「まだ長い」


「先輩なら?」


 相馬先輩は少し考えました。


「判決は、出てからが本番」


 私は黙りました。


「……良い」


「だろ」


「悔しい」


「何でだよ」


 私はさらに下へ書きました。


 ――判決は、出てからが本番。


「採用」


「俺に著作権料払え」


「昭和六十三年ですよ」


「だから何だ」


「著作権はありますけど」


「あるじゃねえか」


「しまった」


 片桐所長が帳簿を閉じました。


「帰るぞ」


「はい」


 私はノートを閉じます。


 その拍子に、


 原田さんからもらった目覚まし時計が机の端で揺れました。


 カチ。


 カチ。


 カチ。


「朝比奈」


「はい」


「明日は八時半」


「覚えてます」


「遅れたら?」


「却下ですか」


「棄却だ」


「本案まで審理してくれるんですか」


「遅刻という事実を十分審理したうえで棄却する」


「何の請求をです?」


「お前の『寝坊だから仕方ない』という主張」


「既判力は?」


「つく」


「翌日蒸し返せない!」


 相馬先輩が笑いました。


「じゃあ三回遅刻したら」


「何です?」


「掃除当番一か月」


「それは拘束力ですか」


「制裁だ」


「行政事件訴訟法から離れた!」


 所長が電気を消します。


 事務所が少し暗くなりました。


 目覚まし時計の針だけが、


 変わらず動いています。


 判決は一枚。


 でも。


 その一枚には、


 入口を閉じる力も、


 処分を消す力も、


 行政を縛る力もある。


 だからこそ、


 判決を見るときは、


 勝ったか。


 負けたか。


 だけでは足りない。


 何を判断したのか。


 何を判断しなかったのか。


 何が消えたのか。


 誰にまで及ぶのか。


 行政は次に何をしなければならないのか。


 そこまで読む。


 そして。


 ときには、


 違法でも取り消さないという、


 法律のいちばん苦い結論まで読む。


 私は机の上のノートを鞄に入れました。


 今日の一行は、


 たぶん忘れません。


 ――判決は、出てからが本番。

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