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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政事件訴訟法

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270/404

[取消訴訟の手続きの流れ]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)


 裁判は、いきなり本題から始まるわけではありません。


 むしろ。


 本題へ行く前の確認事項が、やたら多い。


 玄関。


 受付。


 身分証。


 予約確認。


 手荷物検査。


 そこまで通って、


 ようやく席に座れる。


 取消訴訟も、ちょっと似ています。


 夕方。


 片桐行政書士事務所。


 私は机いっぱいに紙を広げていました。


 大塚さんの許可通知。


 取消通知。


 現場写真。


 道路課との通話メモ。


 周辺看板の写真。


 そして、その横に一冊のノート。


 表紙には、


 ――取消訴訟の手続きの流れ。


 と書いてあります。


「……多い」


「何が」


 向かいで相馬先輩が煙草に火をつけました。


「取消訴訟です」


「訴訟が一言で終わると思ってたのか」


「昔は、処分がおかしい、訴える、裁判所が判断する、くらいの理解でした」


「雑すぎる」


「受験生の脳には容量というものがあるんです」


「言い訳するな」


 私はノートの一番上に書きました。


 取消訴訟。


 原告が処分または裁決の取消しを求めて訴えを提起する。


 裁判所が必要な事実と証拠をもとに事実関係を認定する。


 そこへ法律を適用する。


 判決。


「流れだけなら単純なんですよね」


「だったら何でそんな顔してる」


「その途中が多いんです」


 私は矢印を書きました。


 訴え提起。


 ↓


 要件審理。


 ↓


 本案審理。


 ↓


 判決。


「まず」


 私は言いました。


「裁判所は、処分が違法だったかどうかをいきなり見ない」


「ああ」


「先に、そもそもこの訴えを中身まで審理していいのかを見る」


「それが?」


「要件審理」


 大塚さんの事件で。


 私たちは裁判に踏み切る前に、


 一つずつ確認しました。


 処分性。


 原告適格。


 訴えの利益。


 被告適格。


 出訴期間。


 管轄裁判所。


 私は六つ、縦に並べます。


「これ、一個でも欠けると」


「不適法」


「そして」


「却下」


「中身に行かない」


「そうだ」


 怖い。


 改めて書くと怖い。


 行政庁の処分がものすごくおかしかったとしても。


 訴訟要件を満たしていないと、


 そのおかしさを裁判所に本格的に判断してもらえないことがある。


「却下と棄却、試験で混ぜるなよ」


 相馬先輩が言いました。


「分かってます」


「言ってみろ」


 来た。


「却下は、訴えが不適法で中身に入らない」


「うん」


「棄却は、訴えは適法だけど、本案を審理した結果、原告の主張が認められない」


「そうだ」


 私はノートに大きく書きました。


 却下=入口で終わる。


 棄却=中に入ったが負ける。


「雑だな」


「覚えるには分かりやすいです」


「答案にそのまま書くなよ」


「書きません」


 たぶん。


「じゃあ、一個ずつ」


 私は六要件を見ました。


「まず処分性」


「大塚さんの件では?」


「市道沿道工作物設置許可の取消し」


「つまり?」


「大塚さんの法的地位に直接影響する行政庁の行為。取消訴訟の対象になり得る処分」


「うん」


 単なるお願い。


 内部的な通知。


 事実上の行為。


 何でも取消訴訟の対象になるわけではない。


 取消訴訟は、


 行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為を対象にする。


「次。原告適格」


「誰でも訴えられるわけじゃない」


「大塚さんは?」


「自分の許可を取り消された本人」


「問題は小さいな」


「はい」


 原告適格。


 ざっくり言えば、


 その処分の取消しを求める法律上の利益がある人か。


 ここは事件によって難易度が跳ね上がります。


 直接処分を受けた本人なら分かりやすい。


 でも。


 近隣住民。


 競業者。


 第三者。


 になると、


 法律がその人の利益まで保護しているのか。


 という話になっていく。


「今日は深追いしません」


「逃げたな」


「範囲管理です」


 この言葉、便利。


「次。訴えの利益」


 私は大塚さんの許可期間を書きました。


 来年三月まで。


 撤去期限は今月末。


 看板はまだ設置中。


「取消しを求めても、何の意味もない状態じゃなかった」


「ああ」


「だから訴えの利益もある」


「もし許可期間がとっくに終わってたら?」


「事情によります」


「便利な答えだな」


「本当に事情によるんです」


 行政法。


 何でも一言で決めようとすると怒られます。


 取消判決によって回復すべき法律上の利益が残っているか。


 そこを見る。


「次。被告適格」


 私はここで一度ペンを止めました。


「来ましたね」


「何が」


「転生者殺し」


「知らん」


 現代なら。


 原則として、


 処分をした行政庁が所属する国または公共団体。


 今回なら市。


 でも昭和六十三年は違う。


「この時代は、処分をした行政庁が被告」


「今回なら」


「市長」


「そうだ」


 私はノートを左右に分けました。


 昭和六十三年。


 被告=処分庁。


 現代。


 被告=国または公共団体。


「これ、平成十六年改正ですよね」


「ああ」


「今の制度しか知らない人が昭和に来たら事故ります」


「来ねえよ」


「私が来てます」


「そこはもう突っ込まん」


 慣れましたね。


 相馬先輩。


「改正後は、誰を被告にするかが分かりやすくなった」


「まあな」


「行政庁個人を相手にする形式より、国や自治体を被告にするほうが、実体にも合ってる」


「未来ではそうなったんだろ」


「はい」


 制度改正。


 受験生には暗記項目。


 でも現場に置くと、


 なぜ変わったかが少し見える。


 被告を間違えたら訴訟要件でつまずく。


 国民にとって使いやすい仕組みに直していく。


 その一つ。


「次。出訴期間」


 私は赤ペンを持ちました。


「昭和六十三年」


 三か月。


「現代」


 六か月。


「ここ大事ですね」


「お前には特にな」


「現代人なので」


「言い訳」


 取消訴訟の出訴期間。


 現在は、


 処分または裁決があったことを知った日から六か月。


 正当な理由がある場合などの例外はありますが、基本はそこ。


 しかし。


 昭和六十三年当時。


 知った日から三か月。


「半分」


「そうだ」


「短い」


「だから日付を最初に見ろ」


「はい」


 現場編でも。


 大塚さんが来たのは処分を知って二日後。


 だから余裕がありました。


 でも。


 三か月あるから、


 市役所と話し合って。


 資料を集めて。


 少し様子を見て。


 とやっていたら。


 意外とすぐ来る。


「現代知識で六か月あると思ってたら」


「終わるな」


「訴訟そのものが」


「ああ」


 怖い。


 行政法の時代錯誤は、


 知識問題ではなく、


 依頼人の権利を消しかねません。


「次。管轄裁判所」


「どこへ訴えるか」


「はい」


「最寄りならどこでもいいわけじゃない」


「そうだ」


 私は地方裁判所の名前を書きます。


 どこへ提起すべきか。


 これも入口。


「つまり」


 私は六つを囲いました。


「違法性の議論より先に、ここ全部見る」


「そういうことだ」


「これが要件審理」


「ああ」


「じゃあ入口を通ったら」


 私はページをめくりました。


「ようやく本案」


「何を審理する」


「処分が違法かどうか」


「不当かどうかは?」


「原則として裁判所は判断しない」


 ここ。


 前に不服審査でやったところです。


 行政不服審査。


 違法。


 そして不当。


 取消訴訟。


 違法。


「大塚さんの件でも」


 私は思い出しました。


「看板だけ外されるのが気に入らない、とか」


「ああ」


「別のやり方のほうが良かった、とか」


「ああ」


「それだけでは取消訴訟の勝負にならない」


「そうだ」


「裁量判断が、法的に許される範囲を超えたかどうか」


「うん」


「裁量権の逸脱・濫用と評価できるか」


「そこまで組み立てる」


 市には道路整備や景観を考える権限がある。


 一定の裁量もある。


 だから裁判所は、


 自分なら別の決定をした、


 というだけで行政の処分を取り消すわけではない。


 でも。


 判断の前提事実を間違えていた。


 考慮すべき事情を考えていない。


 関係のない事情を重く見た。


 著しく合理性を欠く。


 そこまで行けば。


 裁量の範囲を逸脱・濫用したとして違法になる可能性が出てくる。


「大塚さんの件では」


「今年の撤去対象じゃなかった」


「はい」


「第一期と第二期を取り違えていた」


「はい」


「処分時の決裁理由は景観整備だったのに、あとから交通安全の話も出てきた」


「はい」


「そこを事実として固める」


「そして違法性につなげる」


「そうだ」


 不当。


 では足りない。


 違法。


 まで持っていく。


 これが取消訴訟の本案。


 私は次の見出しを書きました。


 処分権主義。


「これ、最初は名前が怖いんですよ」


「どこが」


「『処分』って行政処分みたいに見える」


「別物だ」


「はい」


 ここでいう処分権主義。


 訴えを起こすかどうか。


 誰を相手にするか。


 何について。


 どんな裁判を求めるか。


 当事者が決める。


 訴えを提起しない自由もある。


 訴えを終わらせる選択もある。


「大塚さんは最初」


「裁判にしてやる」


「でした」


「でも最終的には」


「市が処分を撤回したから、提訴しなかった」


「それも本人側の判断」


「はい」


 裁判所が、


 大塚さんは怒っているようだから勝手に訴訟を始めよう。


 とはしない。


 当たり前です。


 でも。


 この当たり前に名前が付く。


 処分権主義。


「試験用に雑に覚えるなら」


 私は書きます。


 訴えるかどうかは原告が決める。


「雑」


「でも分かりやすい」


「まあな」


 次。


 弁論主義。


 私は大きく二重線を引きました。


「今回の事件で、一番体感したところです」


「裁判所が全部調べてくれると思ってたやつか」


「はい」


 取消訴訟の審理では、


 基本的に弁論主義が採られる。


 裁判の基礎になる事実。


 そして証拠。


 それを集めて出すのは、


 基本的に当事者。


「裁判官は探偵じゃない」


「そうだ」


「大塚さんの現場写真」


「ああ」


「道路課との通話メモ」


「ああ」


「許可通知」


「ああ」


「取消通知」


「ああ」


「周辺看板の状況」


「ああ」


「こういうのを、こちらで揃える」


「そのために事実聴取する」


「はい」


 裁判で勝ちたいなら、


 正しいことを知っているだけでは足りない。


 それを裁判所へ持ち込める形にする。


 事実。


 証拠。


 主張。


 その三つを組み立てる。


「仮に」


 相馬先輩が言いました。


「大塚さんが『道路課の担当者が第二期って言ってた』と口で言うだけだったら?」


「証拠としての強さは弱くなる」


「手帳に日付と名前と内容があったら?」


「少し違う」


「書面が残ってたら?」


「さらに違う」


「つまり?」


「記録は大事」


「そうだ」


 実務で、


 メモを取ってください。


 通知を捨てないでください。


 日付を控えてください。


 という話になる理由。


 全部ここにつながる。


 私は少し迷ってから次を書きました。


 職権探知主義。


「弁論主義の反対側ですね」


「ああ」


「裁判所や審理機関が、自分から証拠資料を集める」


「そういう考え方だ」


「ただし取消訴訟は基本的に弁論主義」


「ああ」


「一方、訴訟要件の中でも公益性の高い事項については、職権で調べる場面がある」


「そうだ」


 ここは少し注意が要る。


 何でもかんでも、


 当事者が言わなかったら裁判所は知らん顔。


 ではない。


 訴訟要件など。


 訴訟制度そのものの適正な運営に関わる事項では、


 裁判所が職権で確認するものもある。


「でも」


 私は書きました。


 取消訴訟全体が職権探知主義になるわけではない。


「そこ大事です」


「混ぜるなよ」


「はい」


 そして。


 現代の行政不服審査法。


 ここでは審理員が職権で、


 物件の提出を求めたり。


 参考人に陳述を求めたり。


 鑑定を求めたり。


 審理関係人へ質問したりできる。


「ただし」


 相馬先輩が私を見ます。


「今は昭和六十三年だぞ」


「分かってます」


「現代の審理員制度は?」


「ありません」


「そこを書け」


「はい」


 私はノートの余白に赤字で書きました。


 ※審理員制度は現代法。昭和六十三年にはない。


「未来知識、すぐ混ざりますね」


「毎回だな」


「法律転生、難易度高いです」


 次の見出し。


 職権証拠調べ。


「これが一番紛らわしい」


「職権探知と混ぜるな」


「はい」


 職権証拠調べ。


 行政事件訴訟では、


 裁判所が必要と認めるとき、


 職権で証拠調べをすることができる。


「じゃあ」


 私はペンを止めます。


「裁判所が証拠を集めてくれる?」


「違う」


「ですよね」


「証拠を探し回る制度じゃねえ」


「はい」


 ここが肝。


 職権探知。


 証拠資料そのものを、自ら収集していく。


 職権証拠調べ。


 必要に応じて、裁判所が職権で証拠を調べる。


 同じではない。


「例えば」


 私は考えます。


「当事者から出ている資料や、訴訟上明らかになった証拠方法について、裁判所が必要と判断して調べる」


「そんな感じだ」


「でも」


「うん」


「裁判所が役所の倉庫へ行って、『何か証拠ないかな』って探すわけじゃない」


「そういうことだ」


 そして。


 職権で証拠調べをした場合でも、


 その結果について、


 当事者の意見を聴かなければならない。


「勝手に調べて、勝手に秘密の材料で判決」


「にはしない」


「はい」


 手続保障。


 当事者が知らないところで判断材料が増えて、


 反論する機会もない。


 では困る。


 だから意見を聞く。


「行政事件訴訟で職権証拠調べがある理由は」


 私は言いました。


「訴訟の結果が公共の福祉に影響することが少なくないから」


「ああ」


 民間人同士の紛争とは違って。


 行政処分の取消しは、


 本人だけでなく、


 行政運営。


 地域社会。


 第三者。


 そういうものへ影響する場合がある。


 だから。


 純粋な当事者任せだけではなく、


 補充的に裁判所が職権で証拠調べできる余地が置かれている。


「でも基本は」


「弁論主義」


「そうです」


 私は囲みます。


 原則。


 当事者が事実・証拠を出す。


 例外的・補充的。


 裁判所が必要に応じて職権証拠調べ。


「この順番ですね」


「ああ」


「まとめます」


 私は新しいページを開きました。


「取消訴訟の手続き」


 相馬先輩が煙草を消します。


「言ってみろ」


 私は指を一本立てました。


「第一段階。訴えるかどうか」


「処分権主義」


「はい」


 二本目。


「訴えを提起したら、まず訴訟要件」


「要件審理」


「処分性、原告適格、訴えの利益、被告適格、出訴期間、管轄」


「うん」


 三本目。


「全部クリアしたら、本案」


「何を見る」


「違法かどうか」


「不当は?」


「取消訴訟では基本的に対象外」


 四本目。


「本案で使う事実と証拠」


「基本は?」


「当事者が出す。弁論主義」


 五本目。


「ただし?」


「必要があれば裁判所は職権証拠調べができる」


「職権探知と同じか」


「違う」


「よし」


 ちょっと嬉しい。


 今回はかなり整理できています。


 そこへ。


 片桐所長が帳簿を閉じました。


「一番大事なのが抜けてる」


「え?」


「行政書士の立場だ」


「あ」


 私は姿勢を正しました。


 今回。


 片桐事務所は訴訟をしていません。


 できません。


 行政書士は訴訟代理人になれない。


 だから。


 私たちがしたことは、


 訴状を書くことでも。


 法廷で主張することでも。


 裁判官を説得することでもない。


「何をした」


 所長が聞きます。


「処分内容を確認した」


「うん」


「訴訟要件を整理した」


「うん」


「日付を確認した」


「うん」


「証拠を集めた」


「うん」


「事実経過を時系列にした」


「うん」


「争点候補を整理した」


「うん」


「必要なら弁護士へ引き継げる形にした」


「そうだ」


 そして。


 その整理を持って市役所へ行った。


 何を問題にするのか。


 何を証拠として持っているのか。


 裁判になったら、


 何が争点になるのか。


 それを見せた。


「だから」


 私は言いました。


「訴訟代理ができなくても、訴訟法の知識は必要」


「むしろ知らなきゃ危ない」


 相馬先輩が言います。


「依頼人が『訴えたい』って言ってきてるのに、出訴期間も見ねえのか」


「それは怖いです」


「被告も分からん」


「怖いです」


「管轄も分からん」


「怖いです」


「証拠も取らん」


「もっと怖いです」


「だろ」


 行政書士は法廷へ立たない。


 でも。


 法廷の入口がどこにあるかは知っていないといけない。


 そして。


 その入口へ行くべき事件なのか。


 その前に行政内部で直せるのか。


 弁護士へつなぐべきなのか。


 判断する。


「裁判って」


 私は言いました。


「最後の武器みたいに思ってました」


「実際そういう面もある」


「でも、知識としては、その前から使える」


「そうだ」


 訴訟の仕組みを知っている。


 それだけで交渉の質が変わる。


 市役所側だって、


 どうせ訴えられないだろう。


 どうせ証拠もないだろう。


 と思っている相手と。


 要件。


 日付。


 証拠。


 違法性。


 そこまで整理した相手。


 では対応が変わる。


「沢渡課長がそうでしたね」


「あいつは特にな」


「感情では動かない」


「でも敗訴リスクでは動く」


「合理的」


「面倒な男だ」


「先輩と相性いいですよね」


「どこがだ」


「口が悪いところ」


「お前よりマシだ」


 否定しきれない。


 私はノートの端に、


 昭和六十三年と現代。


 と書きました。


「最後に新旧比較します」


「好きだな」


「必要なんです」


 昭和六十三年。


 取消訴訟の出訴期間。


 三か月。


 現代。


 六か月。


 昭和六十三年。


 被告。


 処分をした行政庁。


 現代。


 国または公共団体。


 昭和六十三年。


 義務付け訴訟。


 差止訴訟。


 法定されていない。


 現代。


 法定抗告訴訟として整備。


 昭和六十三年。


 仮の救済。


 基本的に執行停止。


 現代。


 仮の義務付け。


 仮の差止め。


 などもある。


「並べると」


 私は言いました。


「昔の行政訴訟、かなり入口が狭いですね」


「今より使いづらかったんだろうな」


「はい」


 取消訴訟そのものだけ見ても。


 短い出訴期間。


 被告の選び方。


 訴訟類型の少なさ。


 仮の救済の乏しさ。


「だから改正された」


「未来の話だがな」


「はい」


 現代法の制度だけを見ていると。


 六か月ある。


 国や自治体を被告にすればいい。


 義務付けも差止めもある。


 仮の救済も整備されている。


 それが普通に見えます。


 でも。


 昭和六十三年で実際に事件を扱うと。


 普通ではない。


 後から作られた。


 昔の不便。


 昔の救済不足。


 昔の失敗。


 そういうものの上に、


 今の制度がある。


「法律改正って」


 私は言いました。


「受験生を苦しめるためじゃなかったんですね」


「まだ言ってたのか」


「半分冗談です」


「半分は本気か」


「……」


「黙るな」


 私は最後のページを開きました。


 一行の覚え書き。


「来ましたね」


「何が」


「締めです」


 相馬先輩が呆れます。


 私は少し考えました。


 入口。


 違法性。


 弁論主義。


 証拠。


 職権証拠調べ。


 全部入れたい。


 でも一行。


 書きます。


 ――取消訴訟は、入口を越え、自分で事実と証拠を出して、違法を争う。


「まあまあだな」


「まあまあ?」


「長い」


「やっぱり」


 消す。


 少し考える。


 もう一度。


 ――要件を越え、証拠を出して、違法を争う。


「どうです」


「それでいい」


 私は丸で囲みました。


 今日の一行。


 要件を越え、証拠を出して、違法を争う。


 ノートを閉じかけたところで。


 電話が鳴りました。


「はい、片桐行政書士事務所です」


『総務課の沢渡です』


「最近よく電話くれますね」


『業務です』


「分かってます」


『大塚さんの件で一点だけ』


「はい」


『道路課の内部手順、正式に改めました』


「対象一覧と決裁理由の照合?」


『それに加えて、取消処分前の理由確認も必須にします』


「後から理由が増えないように?」


 一瞬。


 沈黙。


『……その言い方は好きではありません』


「でもそうですよね」


『処分時点で判断根拠を明確にするためです』


「同じです」


『違います』


「ほぼ同じです」


『朝比奈さん』


「はい」


『言葉は正確に使ってください』


「行政法っぽい」


『行政法です』


 確かに。


「でも」


 私は少し笑いました。


「よかったです」


『何がです』


「裁判にならなくても、訴訟の準備が役に立った」


 沢渡課長は少し黙りました。


『行政側も』


「はい」


『訴訟になったとき、裁判所が全部調べてくれると思ってはいけませんから』


「弁論主義」


『そうです』


「職権証拠調べはありますけど」


『補充的です』


「職権探知じゃない」


『その通りです』


「課長」


『何でしょう』


「受験勉強付き合ってくれてます?」


『違います』


「即答」


『では』


 電話が切れました。


「何だって?」


 相馬先輩が聞きます。


「道路課の処分手順、正式に見直したそうです」


「そうか」


「理由確認も必須にするって」


「ならいい」


 片桐所長が立ち上がります。


「帰るぞ」


「はい」


 私は机の上の資料をまとめ始めました。


 大塚さんの事件。


 結局。


 裁判所へは行きませんでした。


 訴状も出していません。


 裁判官にも会っていません。


 でも。


 取消訴訟の仕組みを一つずつ当てはめた。


 入口を確認した。


 証拠を集めた。


 違法性を組み立てた。


 そうしたら。


 市役所自身が、


 裁判になった場合の弱点に気づいた。


 処分を直した。


 手続も変えた。


 法律は、


 使って初めて意味がある。


 でも。


 使うというのは、


 必ずしも裁判所まで行くことではないのかもしれません。


 どこが入口か。


 何を証明しなければならないか。


 何を裁判所は見て。


 何を見ないのか。


 そこを知っている。


 それだけで。


 交渉の言葉は変わる。


 役所の対応も変わる。


 そして場合によっては。


 裁判をしないために、


 訴訟法が一番役に立つことさえある。


「朝比奈」


「はい」


「資料」


「片付けてます」


「写真、逆」


「え?」


「上下逆だ」


「別に保存するだけなら」


「見づらい」


「細かいですね」


「証拠は見やすく整理しろ」


「もう裁判しませんよ」


「だから雑にしていいのか」


「……駄目です」


 私は写真を直しました。


 相馬先輩が鼻で笑います。


「弁論主義だな」


「違います」


「自分で出すものは自分で整える」


「それはただの整理整頓です」


 所長が横から一言。


「こはる」


「はい」


「机の上もやれ」


「そこまで職権で見ないでください」


「職権じゃない」


「何です?」


「所長命令だ」


「強い!」


 どうやら。


 取消訴訟では裁判所の職権探知は原則としてありませんが。


 片桐行政書士事務所では、


 所長による職権机上調査が、


 かなり広く認められているようです。

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