↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政事件訴訟法

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
260/284

[取消訴訟の原告適格]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 夕方の事務所は、昼間より少しだけ法律用語が静かに見えます。


 電話が鳴らない。


 来客もいない。


 机の上には、今日まとめた資料。


 公衆浴場法。


 県条例。


 新設浴場と松の湯の位置関係を示す地図。


 そして。


 私のノートの一番上には、


 ――取消訴訟の原告適格。


 と書いてあります。


「……原告適格」


 声に出してみます。


 やっぱり硬い。


 どう頑張っても銭湯の脱衣所には似合わない単語です。


「何ぶつぶつ言ってる」


 相馬先輩が新聞をめくりながら言いました。


「復習です」


「勝手にやれ」


「付き合ってください」


「嫌だ」


「毎回それ言いますね」


「毎回お前が言うからだ」


 私は奥を見ました。


「所長」


「付き合え」


 片桐所長が帳簿から顔も上げずに言います。


 相馬先輩が新聞を閉じました。


「この事務所に原告適格はないのか」


「先輩、原告ですらないです」


「うるせえ」


 私はペンを持ち直しました。


「では、今日のテーマ」


 ノートに大きく線を引きます。


 ――誰が取消訴訟を起こせるのか。


「まず」


 私は言いました。


「取消訴訟って、処分が違法なら誰でも起こしていいわけじゃないんですよね」


「当たり前だ」


 相馬先輩が言います。


「役所が変な許可出したら、全国民が訴えられるのかよ」


「極端ですけど、そういうことです」


 取消訴訟には、いくつも入口があります。


 対象となる処分があるか。


 期間内か。


 訴えの利益があるか。


 被告を間違えていないか。


 そして。


 原告適格があるか。


「原告適格って」


 私はノートに書きます。


 処分または裁決の取消しを求めるにつき、


 法律上の利益を有する者かどうか。


「ここですね」


 私は『法律上の利益』を二重線で囲みました。


「昨日の小野寺さんは、まさにこれ」


 新設された湖西健康浴場。


 営業許可を受けたのは、新しい浴場の経営者。


 小野寺さんではない。


 つまり、小野寺さんは処分の相手方ではありません。


「処分の相手方なら?」


 相馬先輩が聞きます。


「原則として自分に不利益な処分を受けた本人ですから、取消しを求める法律上の利益は認められやすい」


「例えば」


「営業停止処分を受けた店主とか」


「うん」


「許可申請を却下された申請者とか」


「そうだ」


 でも。


 難しいのは第三者。


 昨日の小野寺さんのような人です。


 自分に直接出された処分ではない。


 他人に出された許可。


 なのに、その許可のせいで自分が困る。


「ここで」


 私はノートに書きました。


 第三者。


 処分の相手方ではない者。


「困れば訴えられる?」


 相馬先輩が聞きます。


「いいえ」


「損すれば?」


「それだけでは駄目」


「腹が立てば?」


「もっと駄目」


「近所なら?」


「それも駄目なことがある」


 私は昨日の大沢さんを思い出しました。


 新しい浴場の近くに住んでいる。


 交通量が増える。


 夜うるさくなる。


 生活環境が悪くなる。


 たしかに現実の不利益です。


 でも。


 取消訴訟の原告適格があるかとなると、


 別の問いが出てくる。


「その不利益」


 私は言いました。


「法律が、その人個人の利益として守っていますか?」


「そこだ」


 片桐所長が言いました。


 私はノートに書きます。


 法律上の利益を有する者。


 処分によって、


 自己の権利または法律上保護された利益を侵害され、


 または侵害されるおそれのある者。


「この『法律上保護された利益』が難しい」


「説明しろ」


 所長が言います。


「はい」


 私は少し考えました。


「その処分の根拠となる法律が、社会全体のためだけじゃなく、その人自身の利益まで個別に守ろうとしている場合」


「それでいい」


 法律は、いろいろなものを守ります。


 公衆衛生。


 交通安全。


 環境。


 消費者一般。


 地域秩序。


 これは公益です。


 でも。


 公益を守った結果として、


 結果的に個人も得をすることがあります。


 それだけでは。


「反射的利益」


 私は書きました。


「昨日出てきた言葉ですね」


「嫌な名前だな」


 相馬先輩が言います。


「反射って何だ」


「法が公益を守った結果として、反射的に受ける利益、ってイメージです」


「つまり、おまけか」


「かなり雑ですが」


「雑でいい」


「試験答案にはやめてください」


 例えば。


 町全体の衛生状態が良くなる。


 その結果、私も健康に暮らせる。


 それは大事な利益です。


 でも。


 その法律が私個人の健康利益を、


 行政処分を争えるほど個別に守ろうとしているかは別。


「そこを見分ける」


「そうだ」


 所長が言いました。


 私は昨日の事件を整理します。


 公衆浴場法。


 公衆浴場は、国民の日常生活に必要な施設。


 衛生設備を維持する必要がある。


 浴場が無制限に乱立して共倒れすれば、


 設備投資ができなくなる。


 衛生水準も落ちる。


 だから。


 一定の配置規制をする。


「ここまでは公益ですよね」


「国民保健や環境衛生だな」


「はい」


 でも。


 判例は、それだけではないと考えた。


 既存浴場の経営が不合理になることを防止する。


 それも法の趣旨に含まれる。


「だから」


 私は丸をつけました。


「既存業者の営業上の利益は、単なる反射的利益じゃない」


「法律上保護された利益」


「はい」


「だから小野寺さんは?」


「新規業者への営業許可の取消しを求める原告適格を持ち得る」


 ようやく。


 昨日の話が一本につながりました。


「第三者なのに訴えられる」


「第三者だから訴えられない、ではない」


「そうですね」


 処分の名宛人かどうか。


 それだけでは決まらない。


 大事なのは、


 法が誰のどんな利益を守っているか。


「じゃあ」


 相馬先輩が言いました。


「昨日の大沢さんは何で駄目なんだ」


「駄目と断定したわけじゃありません」


「逃げるな」


「慎重なんです」


 でも。


 整理すべきことはあります。


 大沢さんは、


 新設浴場の近くに住む住民。


 交通量。


 騒音。


 知らない人が増えること。


 そうした不安を訴えていました。


「公衆浴場法の配置規制が」


 私は言います。


「近隣住民一人ひとりの静かな生活まで、個別具体的利益として保護していると言えるか」


「そこが問題」


「はい」


 もし法令の趣旨が、


 地域全体の衛生や公衆浴場の適正配置を公益として守るだけなら。


 周辺住民が受ける利益は、


 反射的なものにとどまる可能性が高い。


 すると原告適格はない。


「住民に実害があっても?」


「あり得ます」


「かわいそうでも?」


「あり得ます」


「役所の許可が怪しくても?」


「それでも、原告適格がなければ入口で止まる可能性がある」


 言っていて。


 やっぱり厳しい。


 原告適格というのは、


 処分が正しいか間違っているか。


 より前にあります。


 裁判所はまず、


 あなたはこの処分を争える立場ですか。


 と聞く。


 そこで駄目なら。


 本案の違法性に入らない。


「却下」


 私は書きました。


「棄却じゃなくて?」


 相馬先輩が聞きます。


「ここ大事です」


 私はちょっと嬉しくなりました。


 試験問題の匂いがします。


「原告適格がないのは、訴訟要件を満たしていない」


「だから?」


「本案の中身を判断しないで、訴えを却下」


「棄却は?」


「本案まで審理したうえで、原告の主張に理由がないとき」


「よし」


 私はノートに大きく書きます。


 却下。


 入口でアウト。


 棄却。


 中身を見たうえで負け。


「試験で混ぜるなよ」


「混ぜません」


「お前、昨日六か月って言いかけたからな」


「その話はもう終わりましょう」


「三か月」


「終わりましょう!」


 私は次のページを開きました。


「ここで判例」


「来たな」


「主婦連ジュース不当表示事件です」


「昨日ちょっと言ってたやつか」


「はい」


 昭和五十三年。


 つまり。


 今、この昭和六十三年から見ても十年前。


 私は安心して話せます。


 未来判例ではありません。


「商品の表示に問題があった事件です」


 消費者側が、


 不当表示に関する行政の判断を争おうとした。


 消費者から見れば、


 商品の表示が正しいことは大事です。


 嘘みたいな表示をされたら困る。


 だから、


 自分にも法律上の利益がある。


 と言いたくなる。


「でも認められなかった」


「なぜ」


「景品表示法が守っているのは、個々の消費者一人ひとりの利益じゃなくて、一般的・抽象的な公益と考えられたから」


「表示が正しくなることで、消費者も得はする」


「はい」


「でもそれは?」


「反射的利益」


 私はそこに線を引きました。


「これ、分かりやすい対比ですね」


「公衆浴場と?」


「そうです」


 主婦連ジュース事件。


 一般消費者の利益。


 大事ではある。


 でも法が個人ごとの利益として保護したものではない。


 原告適格なし。


 一方。


 公衆浴場事件。


 既存業者の営業上の利益。


 法の趣旨として個別に保護されている。


 原告適格あり。


「つまり」


 私は言いました。


「公益だけなら原告適格なし」


「うん」


「公益に加えて個人の個別的利益まで守っているなら、原告適格が認められ得る」


「そこだ」


 片桐所長が言いました。


 私はノートの中央に大きな線を引きました。


 公益


 ↓


 みんなのため


 ↓


 原則、それだけでは第三者の原告適格につながらない。


 個別的利益


 ↓


 法が特定の人や一定範囲の人の利益まで守る


 ↓


 原告適格につながる。


「でも所長」


「何だ」


「実際には、法令に『この人の個人的利益も守ります』なんて書いてないこと多いですよね」


「だから解釈する」


「ですよね」


 ここが難しいところです。


 条文だけ見ても分からない。


 法律の目的。


 規制の内容。


 処分の審査基準。


 どんな危険や不利益を防ごうとしているのか。


 どの範囲の人を想定しているのか。


 そういうものを積み重ねて、


 この法は、


 単なる公益保護だけなのか。


 個人の利益まで守っているのか。


 判断する。


「受験生からすると」


 私は頭を抱えました。


「判例暗記になるんですよね」


「現場からすると?」


「誰のための規制なのかを読む」


「そうだ」


 片桐所長が短く言いました。


 あ。


 分かりやすい。


 私はすぐ書きます。


 ――原告適格を見るときは、「この法律は誰のための規制か」を読む。


「他の判例も見ます?」


 私は聞きました。


「まだあるのか」


「山ほど」


「帰れなくなるな」


「重要なところだけです」


 私はまず。


 保安林指定解除事件。


 と書きました。


「保安林?」


「森林法です」


 保安林は。


 洪水を防ぐ。


 農業用水を確保する。


 飲料水を確保する。


 そういう公益を守っています。


 でも。


 その保安林がなくなったことで、


 直接洪水や水不足の影響を受ける一定地域の住民。


 そういう人たちの利益まで、


 個別的に保護していると考えられた。


「だから」


「一定範囲の住民に原告適格あり」


「誰でもじゃない?」


「そこが大事です」


 私は指を一本立てました。


 全国民ではない。


 何となく環境問題に関心がある人でもない。


 直接の利害関係を持つ一定範囲の住民。


「影響の距離感も見るのか」


「そうです」


 次。


 航空法。


 定期航空運送事業免許。


「飛行機の騒音です」


「うるさそうだな」


「はい」


 空港周辺住民。


 航空機が飛ぶ。


 騒音被害。


 航空法上の審査では、


 騒音障害の有無や程度も考慮される。


「つまり」


 私は言いました。


「単に空港周辺の環境全体を守るだけじゃない」


「周辺住民の?」


「著しい騒音障害を受けない利益まで個別的に守る趣旨がある」


「だから原告適格あり」


「そうです」


 そこで。


 私はふと日付を見て止まりました。


「……あ」


「何だ」


「この判決」


 最判平成元年二月十七日。


 私は目を細めました。


「来年じゃん」


「何がだ」


「いえ」


 危ない。


 これ。


 今まだ昭和六十三年です。


 この判決、まだ出ていません。


 未来知識。


 また地雷。


「こはる」


 片桐所長がこちらを見る。


「何を黙った」


「まだ使えない判例でした」


「は?」


「何でもありません」


 受験生としては知っている。


 でも。


 昭和六十三年の現場では、


 まだ最高裁がその判決を出していない。


 頭の中で知っていても。


 今日の事件処理の根拠にはできない。


 これです。


 転生行政法の恐怖。


 法改正だけじゃない。


 判例にも施行日ならぬ、


 判決日があります。


「何一人で青くなってんだ」


 相馬先輩が言いました。


「知識にも時効みたいなものがあるんです」


「意味分からん」


「未来の話です」


「もっと分からん」


 私はノートの隅に書きました。


 ――判例は「いつ出た判例か」まで確認。


 かなり切実です。


「じゃあ今度は」


 私は言いました。


「原告適格が否定される方」


「主婦連以外か」


「町名変更」


 町名を変更された住民。


 住所が変わる。


 名刺も変わる。


 看板も変わる。


 愛着ある町名が消える。


 不便です。


 嫌な人もいる。


「でも」


 私は言います。


「『今の町名を勝手に変えられない利益』が法律上保障されているわけではない」


「だから事実上の利益にすぎない」


「はい」


 原告適格なし。


 これも残酷です。


 人間にとって大切か。


 ではなく。


 法律がその利益を個人のものとして保護しているか。


 そこを見る。


「特急料金の値上げは?」


 私は次に書きました。


「それも判例あります」


「利用者は困るだろ」


「困ります」


「毎日乗る人ならかなり困る」


「そうです」


 料金が上がる。


 通勤費が増える。


 家計に直接響く。


 でも。


 認可制度の趣旨が、


 鉄道利用者一人ひとりの料金上の利益を個別的に守るものではなく、


 公共の利益を確保するためのものだと解されれば。


「利用者に原告適格なし」


「実害あるのにな」


「あります」


 これが。


 原告適格の怖さです。


 実害がある。


 イコール。


 法律上の利益がある。


 ではない。


「法律って」


 私は言いました。


「意地悪なくらい、そこ分けますよね」


「分けないと裁判にならねえんだろ」


 相馬先輩が言います。


「誰でも損したって言えば訴えられるなら、行政処分が確定しねえ」


「そうなんですけど」


「嫌なのか」


「嫌というか」


 私は少し考えました。


「不利益が現実にある人に、あなたの利益は法律の守備範囲じゃありません、って言うのが」


「きついか」


「はい」


 片桐所長が静かに言いました。


「だから、入口で雑に切るな」


 私は顔を上げます。


「どういうことです?」


「法の目的を見る。条文を見る。規制の内容を見る。誰を危険から守る制度かを見る」


「はい」


「その上で判断する」


「はい」


「原告適格は狭くするためだけの道具じゃない」


 私は黙りました。


「第三者を拾うための道具でもある」


 あ。


 なるほど。


 そうです。


 私は今まで、


 原告適格。


 イコール。


 門前払いの壁。


 みたいに考えていました。


 でも。


 公衆浴場の判例は逆です。


 処分の相手方でない小野寺さんを、


 ちゃんと裁判の入口へ入れる。


 形式だけなら。


 他人に出た許可です。


 関係ありません。


 で終わってもおかしくない。


 でも。


 法律の目的を丁寧に読んだ結果、


 いや。


 この法律はあなたの営業上の利益も守っている。


 だから争っていい。


 となる。


「壁でもあるけど」


 私は言いました。


「橋でもあるんですね」


「何だ急に」


 相馬先輩が言います。


「原告適格です」


「詩人になるな」


「いいこと言ったと思ったのに」


 私は次の見出しを書きました。


 ――昭和六十三年と現代。


「来た」


 相馬先輩が嫌そうな顔をします。


「未来比較です」


「俺は未来の試験受けねえぞ」


「読者が受けるんです」


「誰だよ読者」


「気にしないでください」


 現代の行政事件訴訟法では。


 原告適格を判断するときの考慮要素について、


 条文上、より詳しい手掛かりが置かれています。


 平成十六年改正。


 つまり。


 ずっと未来。


「現代法では」


 私は頭の中の知識を整理しました。


「法律上の利益の有無を判断するとき、その処分の根拠法令の文言だけじゃなくて」


「うん」


「法令の趣旨・目的」


「うん」


「その法令と目的を共通にする関係法令の趣旨・目的」


「うん」


「処分によって害される利益の内容や性質」


「うん」


「侵害の態様や程度」


「そこまで見るのか」


「はい」


 私は少し悔しくなりました。


「現代法、親切なんですよ」


「何が」


「条文が、原告適格を考えるときの見方をかなり書いてくれてる」


「今は?」


「そこまで明文化されてません」


「じゃあ判例で積み上げる」


「そういうことです」


 昭和六十三年。


 平成十六年改正前。


 今の私たちは、


 判例法理を頼りに、


 法律上保護された利益かどうかを判断する。


 現代法では。


 そうした判例の考え方を踏まえて、


 より柔軟に原告適格を捉えるための考慮要素が条文化されている。


「なぜ改正されたと思う」


 片桐所長が聞きました。


 う。


 未来の改正理由を昭和の所長に聞かれる不思議。


 私は考えます。


「行政活動が複雑になったから?」


「続けろ」


「大規模開発とか、空港とか、原子力施設とか」


「うん」


「処分の相手方じゃない人が重大な影響を受ける行政処分が増える」


「それで」


「第三者の利益を、もっと実質的に見る必要が出てきた」


 所長が頷きます。


「そういう方向だろうな」


 私はノートに書きました。


 旧来。


 原告適格は狭く判断されやすい。


 ↓


 行政作用の複雑化。


 第三者への重大な影響。


 ↓


 現代。


 法令の趣旨・目的や侵害される利益の性質などを広く考慮。


「昔の行政裁判って」


 私は呟きました。


「本当に入口が狭い」


「今さらか」


「いや、毎回思うんですけど」


 出訴期間。


 三か月。


 被告。


 処分行政庁。


 義務付け訴訟も法定されていない。


 差止訴訟もない。


 仮の救済は基本的に執行停止。


 そして。


 原告適格。


 第三者なら、


 法律上保護された利益をきちんと主張できなければ入口で終わる。


「未来なら義務付け訴訟とか――」


 私は言いかけました。


 相馬先輩がこちらを見る。


「何だそれ」


「何でもありません」


「また未来か」


「はい」


「今使える制度で仕事しろ」


「はい」


 今日も刺さる。


 私はさらにノートをめくりました。


「そういえば」


「何だ」


「昨日、小野寺さんの件で出訴期間確認しましたよね」


「三か月」


 相馬先輩が即答します。


「分かってます!」


「六か月じゃねえぞ」


「分かってます!」


 現代。


 取消訴訟。


 原則として処分または裁決があったことを知った日から六か月。


 昭和六十三年。


 旧法。


 三か月。


「原告適格があっても」


 私は言いました。


「期間過ぎたらアウト」


「そうだ」


「つまり、法律上の利益があるって分かってから安心してちゃ駄目」


「当たり前だ」


「入口、多すぎません?」


「裁判だからな」


「行政法、初心者に冷たすぎる」


 相馬先輩が笑います。


「だから弁護士につなぐ前に、俺たちが整理してるんだろ」


 そうでした。


 私たちは訴訟代理人にはなれない。


 法廷に立って、


 許可を取り消してください。


 とは言えない。


 でも。


 いつ処分を知った。


 誰が処分をした。


 誰の利益が害される。


 その利益を法令が守っている。


 どの判例法理に乗る。


 何が争点になる。


 そこまで整理して、


 弁護士へ渡す。


「行政書士の仕事って」


 私は言いました。


「裁判所の前まで道を舗装する感じですね」


「舗装?」


「穴を埋めて、期限確認して、誰が歩ける道か確認する」


「変なたとえだな」


「でも、原告適格がなかったら道そのものがない」


「まあな」


 片桐所長が言いました。


「訴訟をするなら」


「はい」


「勝ち負けの話をする前に、入口を全部点検する」


「はい」


「そこを飛ばすな」


「はい」


 これはたぶん。


 行政事件訴訟全体の基本です。


 電話が鳴りました。


 私が取ります。


「はい、片桐行政書士事務所です」


『沢渡です』


 う。


 市役所総務課。


 沢渡課長。


「今日は何でしょう」


『昨日の浴場の件ですが』


「はい」


『市の道路協議資料について、開示できる部分の整理がつきました』


「本当ですか」


『必要なら閲覧してください』


「ありがとうございます」


『ただし』


「何です?」


『それを見たからといって、県の営業許可が違法になるとは限りません』


「分かってます」


『原告適格があるとしても、本案で勝てるとは限りません』


「分かってますって」


『訴訟要件を満たすことと――』


「勝訴できることは別!」


 思わず先に言いました。


 受話器の向こうが少し静かになります。


『……理解が進みましたね』


「誰のせいですか」


『片桐先生方でしょう』


「課長もかなり煽りましたよね」


『事実を申し上げただけです』


 この人。


 絶対楽しんでる。


「課長」


『何でしょう』


「一個聞いていいですか」


『どうぞ』


「原告適格って、面倒じゃないですか」


『面倒ですね』


「即答」


『行政側からすれば、誰が処分を争えるのか明確でないと困ります』


「住民側からすれば、困ってても入口に入れない」


『そうですね』


「何か不公平です」


 少し間。


 沢渡課長が言いました。


『朝比奈さん』


「はい」


『原告適格は、住民を追い返すためだけにあるわけではありませんよ』


 私は黙りました。


『本来処分の相手方でない人でも、法がその人の利益を守っているなら、裁判で争える』


「……はい」


『小野寺さんがそうでしょう』


 さっき所長にも同じことを言われました。


「今日みんな同じこと言いますね」


『正しいことは重なるものです』


「課長が言うと腹立つなあ」


『では』


 切られました。


 自由。


「何だって?」


 相馬先輩が聞きます。


「道路協議資料、見られるそうです」


「そうか」


「あと」


「何だ」


「原告適格は追い返すだけの制度じゃないって」


「誰が」


「沢渡課長」


「へえ」


「所長と同じこと言ってました」


 片桐所長が帳簿から顔を上げません。


「合理的な人間は、同じ結論になる」


「所長まで沢渡課長みたいなこと言わないでください」


 私は椅子に座り直しました。


 ノートを見る。


 原告適格。


 最初はただの門番に見えました。


 裁判所に入れる人。


 入れない人。


 その線を引く制度。


 でも。


 本当はもう少し複雑です。


 誰でも訴えられるようにはしない。


 行政処分の安定も必要。


 だから。


 単なる不満。


 一般的公益。


 事実上の利益。


 だけでは足りない。


 でも。


 法が個人の利益を守る趣旨を持っているなら。


 処分の名宛人でなくても、


 第三者でも、


 裁判所へ入れる。


 行政処分の相手方だけを見ていたら救えなかった人を、


 法の趣旨から拾い上げる。


「何か」


 私は言いました。


「原告適格って、線引きなんだけど」


「うん」


「線を引くことで、逆に救われる第三者もいるんですね」


「そういうことだ」


 所長が言いました。


 私はノートの最後に、


 一行の覚え書きを書こうとして。


 止まりました。


「何だ」


 相馬先輩が覗き込みます。


「一行でまとめたいんですけど」


「書けよ」


「候補が二つあって」


「またか」


 一つ目。


 ――困るだけでは足りない。法がその人を守っているかを見ろ。


 二つ目。


 ――原告適格は門前払いの壁であり、第三者を法廷へ通す橋でもある。


「どっちです?」


「一行じゃねえのか」


「だから選んでください」


「後ろは気取ってる」


「じゃあ前?」


「前は試験向き」


「なるほど」


 私は少し考えて。


 結局、こう書きました。


 ――原告適格は、「困っている人」ではなく「法がその利益を守っている人」を裁判所へ通す。


「長い」


「内容が大事です」


「毎回それ言うな」


「じゃあ超短縮」


 その下に書き足します。


 ――法律上の利益が、裁判所への入場券。


「昨日と同じじゃねえか」


「大事なので二日連続です」


「手抜きだな」


「定着です」


 窓の外を見ると。


 夕焼けの向こうに、松の湯の煙突が見えました。


 その向こうでは、新しい浴場の工事も進んでいる。


 小野寺さんが裁判で勝つかどうかは、


 まだ分かりません。


 新設浴場の許可に、


 本当に違法な点があるのか。


 例外許可の判断が裁量の範囲を越えているのか。


 それはこれからです。


 でも。


 少なくとも。


 小野寺さんは、


 「他人に出た許可だから、あなたには関係ありません」


 と一言で追い返されるだけの人ではない。


 公衆浴場法が、


 既存業者の営業上の利益まで守っている。


 だから。


 第三者でも、


 裁判所の扉を叩ける。


 法律の言葉は冷たい。


 原告適格。


 法律上の利益。


 反射的利益。


 訴え却下。


 どれも、人間の困りごとからは遠く見えます。


 けれど。


 誰の利益を法が守るのか。


 そこを冷静に見分けるからこそ。


 本来なら「他人の処分」で終わるはずだった人にも、


 自分の利益を守るために争う道が生まれる。


 私はノートを閉じました。


「終わったか」


 相馬先輩が立ち上がります。


「はい」


「帰るぞ」


「その前に一個いいです?」


「何だ」


「先輩が私の机の引き出しに勝手に煙草入れてますよね」


「置き場所ねえからな」


「迷惑なんですけど」


「知らん」


「私、その処分の取消しを求めます」


「処分じゃねえ」


「法律上の利益あります」


「何の法律だ」


「朝比奈こはる机上環境保全法」


「そんな法律ねえよ」


「じゃあ原告適格なし?」


「そもそも訴訟にならねえ」


 奥から所長の声が飛びました。


「相馬」


「はい」


「煙草は自分の机に置け」


「……はい」


 私は相馬先輩を見ました。


「勝ちました」


「裁判してねえだろ」


「行政内部で是正されました」


「誰が行政だ」


「片桐行政書士事務所です」


「勝手に国作るな」


 私は笑いながら、


 ノートの端にもう一行だけ書き足しました。


 ――法律上の利益がなくても、所長の一声は強い。


 これは。


 行政書士試験には、


 たぶん出ません。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜
宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜
名探偵 藤原彰子の宮中事件簿 ――『転生皇后 藤原彰子』スピンオフ外伝
転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜
新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜
新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件〜
美しき女帝 北条政子 〜 婚約破棄どころか強制結婚!? 平家のエリートに嫁がされそうになったので、豪雨の山を越えて愛する無職の元へ走ってみた 〜
新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚〜
箴言・格言・名言集 〜頑張るあなたへ、今日を乗り越えるための一言〜
拝啓、愛読者様。― 想いを少しだけ 謹呈 条文小説
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜
コミックス「六道輪廻抄〜戦国転生記〜」
動画生成AIが作成したイメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。