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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政事件訴訟法

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255/274

[取消訴訟の訴訟要件・処分性、原告適格、訴えの利益、被告適格、出訴期間、管轄]現場編 「裁判を起こせば中身を見てもらえる」の罠。六つの入口を越えなければ、違法かどうかすら聞いてもらえない

挿絵(By みてみん)

 裁判所というところは、正しいほうの話を必ず聞いてくれる場所だと思っていました。


 違いました。


 その前に、


「あなた、そもそも中へ入れる人ですか」


 と聞いてくる場所でした。


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


 十月の終わり。


 事務所の引き戸が、壊れるんじゃないかという勢いで開きました。


「裁判にしてやる!」


 第一声がそれでした。


 私は書類から顔を上げます。


 玄関に立っていたのは、五十代半ばくらいの男性。


 紺色の作業着。


 額には汗。


 右手には、茶封筒。


 左手には、怒り。


 いや、怒りは手には持てませんが、見えるくらいありました。


「市役所を訴える! 今すぐだ!」


 相馬先輩が煙草を灰皿に押しつけます。


「今すぐ裁判所行く前に、座れ」


「座ってる場合じゃない!」


「立ったまま訴状書くのか」


「……」


「座れ」


「はい」


 強い。


 行政書士事務所には、ときどき法律より先に椅子が人を救います。


 男性は荒い息を吐きながら、応接椅子へ座りました。


「お名前は」


 片桐所長が聞きます。


「宮原。宮原信一です」


「何があった」


 宮原さんは茶封筒から、一枚の通知書を取り出しました。


 机へ叩きつける。


 ――湖畔公園内営業施設使用許可取消通知書。


 私は目を細めました。


 湖畔公園。


 市が整備した、駅から少し離れた湖沿いの公園です。


 春は桜。


 夏は花火。


 秋は観光客。


 宮原さんはそこで、小さな貸しボート屋を営んでいました。


 正式には、市が管理する湖畔公園内の桟橋脇施設について使用許可を受け、その場所で救命胴衣やオールを置き、客を受け付けている。


 三十年とはいかない。


 でも、十五年以上。


 父親の代から数えれば二十年以上。


 通知の日付は――


 七月二十八日。


 私は一度、紙から顔を上げました。


「これ、七月ですけど」


「そうだ」


「届いたのは?」


「七月三十日」


「今日、十月二十九日ですよね」


「だから何だ」


 私は固まりました。


 現代の知識が、


 のそのそと、


 油断した顔で頭の中に出てきます。


 取消訴訟。


 出訴期間。


 知った日から六か月。


 ――まだ三か月。


 全然間に合う。


 私は言いかけました。


「まだ――」


「こはる」


 相馬先輩が低い声を出しました。


 私は止まります。


「何です?」


「今、何か言おうとしたな」


「いえ」


「六か月とか言おうとしてなかったか」


「何で分かるんですか」


「お前の顔は試験問題より読みやすい」


 嫌な特技です。


 私は通知の日付を見ます。


 七月三十日。


 十月二十九日。


 そして。


 ここは昭和六十三年。


「あ」


 血の気が引きました。


「……三か月」


 宮原さんが眉を寄せます。


「何が?」


 私は言葉を失いました。


 相馬先輩が代わりに答えます。


「取消訴訟の出訴期間だ」


「期間?」


「この時代は、処分があったことを知った日から三か月」


「三……?」


 宮原さんの怒りが、一瞬だけ止まりました。


「じゃあ」


「七月三十日に知ったなら」


 相馬先輩が壁のカレンダーを見ました。


「今日が十月二十九日だ」


 明日。


 十月三十日。


 それで三か月。


 私は背筋が寒くなりました。


 未来ならまだ余裕がある。


 昭和なら。


 崖っぷち。


 同じ取消訴訟。


 同じ三という数字でも。


 現代は六か月。


 昭和は三か月。


 行政法という科目は、転生者を殺しに来ています。


「ちょっと待ってくれ!」


 宮原さんが机を叩きました。


「俺は市役所とずっと話してたんだぞ!」


「何を」


「取消しを撤回してくれって!」


「いつからです?」


「通知が来た次の日からだ!」


「書面は?」


「ある!」


 宮原さんは封筒をひっくり返しました。


 手紙。


 陳情書。


 担当課との面談記録。


 観光商工課宛ての要望書。


 市長宛ての嘆願書。


 すごい。


 三か月近く、市役所と殴り合っていた。


 紙で。


「ずっと担当が言ってたんだ」


 宮原さんは吐き捨てるように言います。


「『内部で検討しています』『もう少し待ってください』『課長と相談します』って!」


 相馬先輩の顔が険しくなりました。


「それで今日まで来た?」


「ああ!」


「取消処分そのものに対して、不服申立ては?」


「何だそれ」


「してない?」


「市役所に何度も文句は言った!」


 違う。


 ただ抗議することと、


 法律上の手続を取ることは違う。


 ここでも。


 感情と制度は、別の線路を走っています。


「まず最初から確認する」


 片桐所長が言いました。


「なぜ取消された」


 宮原さんの顔が歪みました。


「事故だ」


「どんな」


「六月に、客のボートが転覆した」


 私は息を呑みました。


「けが人は?」


「一人、腕を骨折した」


「原因は」


「突風だ」


「市は?」


「救命胴衣の着用確認が不十分だったと言ってる」


「実際は?」


「全員に渡してた!」


「着用していた?」


「……一人だけ、暑いからって途中で脱いでた」


 相馬先輩が聞きます。


「お前は見てたのか」


「客が湖へ出たあとだ。ずっと監視できるわけじゃない」


「市の取消理由は」


 通知を見る。


 そこには、


 安全管理義務に重大な違反があり、公園利用者の安全確保上、今後の施設使用を認めることが適当でない。


 と書かれていました。


「全部取消し?」


「そうだ」


「期間限定じゃなく?」


「営業できん」


「今も?」


「八月から閉めてる」


 その一言で、部屋の空気が変わりました。


 宮原さんは怒っている。


 でも。


 その下にあったものが見えました。


 焦り。


 貸しボート屋は、夏が稼ぎ時です。


 七月末に許可を取り消された。


 八月。


 九月。


 観光シーズンを丸ごと失った。


「従業員は?」


「二人、辞めてもらった」


「ご家族は」


「女房と二人」


「収入は」


「今はゼロだ」


 宮原さんは奥歯を噛みました。


「事故があったのは悪かったと思ってる」


 さっきまでとは違う声でした。


「けがした人には謝った。見舞いにも行った。救命胴衣も増やした。監視用の双眼鏡も買った。岸に戻れって合図する旗まで作った」


「市には?」


「全部見せた」


「でも取消しは維持された」


「ああ」


 そして。


 昨日。


 担当課から正式に、


 取消処分を撤回する予定はない。


 と言われた。


 それで今日、


「裁判にしてやる」


 になったらしい。


 なるほど。


「所長」


 私は小声で言いました。


「取消訴訟ですよね」


「可能性はある」


「取消処分そのものを取り消してもらう」


「ああ」


 そして。


 ここで未来知識がまた顔を出します。


 義務付け訴訟。


 営業できるよう、市に許可を戻させる。


 いや。


 違う。


 この時代、義務付け訴訟は法定されていません。


 現代なら、


 取消訴訟と義務付け訴訟。


 そんな組み立ても考える。


 でも昭和六十三年。


 義務付けは法定抗告訴訟ではない。


 無名抗告訴訟。


 ハードルが高い。


 しかも仮の義務付けもない。


 営業再開までの仮救済として現実に問題になるのは、執行停止。


 未来人の頭の中にある便利な棚が、


 昭和へ来ると半分くらい空です。


「顔が死んでるぞ」


 相馬先輩が言いました。


「昭和の行政訴訟、厳しすぎません?」


「今さら何言ってんだ」


「だって、現代ならもう少し――」


「今使えねえ制度を数えてどうする」


「はい」


 またです。


 未来知識、


 法改正の解説には強い。


 現場では役に立たない。


 片桐所長が鉛筆を一本取ります。


 そして、裏紙に縦線を六本引きました。


「宮原さん」


「はい」


「裁判で勝てるかどうかの前に」


 所長は言いました。


「裁判を始められるかを確認する」


「始められるか?」


「取消訴訟には入口がある」


「入口?」


「そこを一つでも外せば」


 所長は鉛筆を置きました。


「違法かどうかを判断してもらう前に終わる」


 宮原さんの顔から、怒りが少しずつ消えていきました。


「……負けるってことか」


「違う」


 相馬先輩が言います。


「負ける以前だ」


「え?」


「却下」


「きゃっか?」


「中身を見ない」


 相馬先輩はぶっきらぼうに続けました。


「お前の言い分が正しいか間違ってるか。市役所の処分が違法か適法か。そこまで行かない」


「なんでだ!」


「訴訟の要件を満たしてなけりゃ、裁判として不適法だからだ」


「そんな……」


 宮原さんは呆然としました。


「裁判所って、正しいかどうかを見るところじゃないのか」


 私は答えられませんでした。


 その気持ちは分かります。


 私も、昔はそう思っていました。


 でも。


 裁判には、


 中身に入る前の条件がある。


「六つ確認する」


 所長が言いました。


 一つ目。


「処分性」


 宮原さんが首を傾げます。


「何だそれ」


「取消訴訟で争える行政処分かどうか」


 私は通知を見ました。


 市長名義。


 湖畔公園内営業施設使用許可取消処分。


 これによって宮原さんは公園施設を使えなくなり、営業できなくなった。


 単なるお願い。


 行政指導。


 内部的な通知。


 それではない。


「この通知で、宮原さんの使用許可が消えた」


「そうだ」


「なら、直接法的な地位に影響してる」


 片桐所長が頷きました。


「ここは大きな問題にはなりにくい」


 一つ目。


 処分性。


 丸。


 二つ目。


「原告適格」


「今度は何だ」


「誰が訴えられるか」


「俺だろ!」


「たぶんそうです」


「たぶん?」


「ここ、笑えないくらい大事なんです」


 宮原さんは取消処分の名宛人本人。


 使用許可を取り消された当人。


 取消しを求める法律上の利益がある。


「例えば」


 私は言いました。


「近所の人が、『宮原さんのボート屋が好きだから取消しを取り消してくれ』って訴えても」


「駄目なのか?」


「単に好きだった、利用していた、困る、だけで当然に訴えられるわけじゃないです」


「俺は?」


「処分を直接受けた本人です」


「ならいいのか」


「そこは強いです」


 二つ目。


 原告適格。


 丸。


 三つ目。


「訴えの利益」


 宮原さんが頭を抱えました。


「まだあるのか」


「六つです」


「多いな!」


「私も今そう思ってます」


 取消判決を取ったとして。


 本当に救われるか。


 ここが問題です。


「使用許可の期限は」


 所長が聞きました。


「来年三月三十一日」


 私は通知を見る。


 今は十月。


 まだ五か月ほど残っている。


 取消処分が取り消されれば、


 少なくとも元の使用許可が回復する余地がある。


 営業再開につながる。


「期限切れじゃない」


 相馬先輩が言います。


「はい」


「仮に許可期間がもう終わっていて、取消判決を取っても昔の許可が戻る意味がないなら」


「訴えの利益が問題になる」


「そういうことだ」


 宮原さんがゆっくり頷きました。


「裁判で取り消してもらって、本当に意味があるかってことか」


「はい」


「今なら意味がある」


「あります」


 三つ目。


 狭義の訴えの利益。


 丸。


 四つ目。


「被告適格」


 宮原さんが即答しました。


「市役所だろ」


「違います」


「え?」


「危ない」


 私も今、


 同じ地雷を踏みかけました。


 現代なら。


 地方公共団体を被告にする。


 湖西市。


 でも。


 昭和六十三年。


 平成十六年改正前。


「この時代は」


 片桐所長が言います。


「処分をした行政庁を被告にする」


「行政庁?」


「この通知」


 私は名義を見る。


 湖西市長。


「市長です」


「市じゃなくて?」


「市長」


「何が違うんだ!」


「裁判では違うんです」


 宮原さんが天井を見ました。


「役所ってのは、どうしてこう……」


「分かります」


「こはる」


「はい」


 所長に止められました。


 共感しすぎました。


 でも本当に。


 市の処分だから市を訴える。


 普通の感覚ならそう思います。


 ところが旧法では、


 処分庁たる市長。


 被告を間違えれば、


 それだけで大問題。


「未来では変わるんですけどね」


 私は小声で言いました。


「未来の話は今いらねえ」


 相馬先輩。


 今日三回目です。


 四つ目。


 被告適格。


 被告候補、湖西市長。


 五つ目。


「出訴期間」


 全員が黙りました。


 さっきの三か月。


「これが」


 相馬先輩が言います。


「一番まずい」


 宮原さんが時計を見ます。


「明日までってことか」


「単純計算なら、かなり切迫してる」


「明日裁判すればいい!」


「俺らはできねえ」


「え?」


 相馬先輩が椅子にもたれました。


「ここ行政書士事務所だ」


「知ってる」


「行政書士は訴訟代理人になれない」


「……」


「俺たちが、お前の代わりに裁判所へ訴状出して争うことはできない」


 宮原さんの顔が真っ白になりました。


「じゃあ何のためにここへ」


 その言葉はきつかった。


 でも。


 当然です。


 裁判だ。


 明日までだ。


 ところが目の前の人たちは代理人になれない。


 それなら何ができる。


 片桐所長は表情を変えませんでした。


「弁護士につなぐ」


「明日までに?」


「今からだ」


 宮原さんが瞬きをしました。


「今?」


「そのために」


 所長が六本の線を指します。


「今、入口を揃えている」


 なるほど。


 胸の中で何かがはまった気がしました。


 私たちは裁判をする人ではない。


 でも。


 何が処分か。


 誰に利益があるか。


 取消しで救われるか。


 誰を被告にするか。


 期間は残っているか。


 どこの裁判所か。


 それを整理して、


 弁護士に渡せる形にする。


 闇雲に、


「裁判してください!」


 ではない。


 裁判が成立する入口を揃える。


 行政書士としての仕事は、


 法廷の中ではなく、


 その一歩手前にもある。


 六つ目。


「管轄」


 片桐所長が言いました。


「どこの裁判所へ持っていく」


 宮原さんが今度は慎重に答えました。


「市役所の近く?」


「方向は合ってる」


 取消訴訟は、


 被告行政庁の所在地などを基準に管轄裁判所が決まる。


 処分をした湖西市長。


 所在地は湖西市。


 ここを管轄する地方裁判所。


 ただし。


「裁判所ならどこでもいいわけじゃない」


 相馬先輩が言います。


「東京へ出せば強そう、とか駄目だからな」


「そんなことするか!」


「客はたまにやる」


「やるんですか」


「県庁所在地なら偉そうだからって言う奴もいる」


「裁判所を役所の本庁支店みたいに考えないでください」


 六つ目。


 管轄。


 確認。


 所長が裏紙を机の中央へ置きました。


 処分性。


 原告適格。


 訴えの利益。


 被告適格。


 出訴期間。


 管轄。


 六つ。


「これを持って、弁護士へ行く」


 宮原さんは紙を見つめました。


「裁判って」


 ぽつりと言いました。


「もっと、俺が正しい、市が間違ってるって話をするもんだと思ってた」


「それはその後だ」


 相馬先輩が答えます。


「その前に門がある」


「……六つも?」


「少なくとも今日はな」


 宮原さんが乾いた笑いを漏らしました。


「腹立つなあ」


「何がです?」


「役所にも腹が立つけど」


 六つの項目を指さします。


「裁判にも腹が立ってきた」


 分かります。


 でも。


 この厳しさには理由があります。


 誰でも、


 何でも、


 いつまでも、


 どこの裁判所でも争える。


 そんな制度では、法的安定性が保てない。


 行政処分もいつまでも宙に浮く。


 だから期限がある。


 対象が決まっている。


 訴える人も決まっている。


 救済に意味があるかも問われる。


 冷たい。


 でも。


 冷たいからこそ制度になる。


 問題は。


 その冷たさが、ときに入口を狭くしすぎることです。


 所長が電話を取りました。


「先生につなぐ」


「弁護士さん?」


「ああ」


 提携している弁護士。


 久世先生。


 行政事件を何度か扱っているらしい。


 所長が番号を回します。


 私はその横で、


 宮原さんの書類を時系列に並べ始めました。


 六月十七日。


 転覆事故。


 六月十九日。


 市から事情聴取。


 六月二十三日。


 安全対策改善報告提出。


 七月二十八日。


 使用許可取消処分。


 七月三十日。


 通知到達。


 七月三十一日。


 観光商工課へ撤回要望。


 八月七日。


 市長宛て嘆願書。


 八月二十一日。


 担当課面談。


 九月五日。


 追加安全対策書提出。


 九月二十七日。


 課長面談。


 十月二十八日。


 撤回しない旨の最終回答。


 今日。


 十月二十九日。


 私は紙を見て、唇を噛みました。


 三か月。


 ほとんどを、


「市が考え直してくれるかもしれない」


 という期待に使っている。


 しかも役所側も、


「検討する」


 と言い続けた。


 悪意があったかは分からない。


 でも。


 結果として裁判の期限だけが削れている。


「先輩」


「何だ」


「こういう交渉してる間も、出訴期間って」


「止まらねえと思って動け」


「ですよね」


「役所が『考えます』って言ったから時計も止まる、なんて都合のいい話はない」


 怖い。


 本当に怖い。


 相談している。


 話し合っている。


 再検討している。


 それでも。


 法定期間は別で進む。


 目の前の人間が話を聞いてくれていると、


 つい、


 法的にもまだ待ってくれている気になります。


 でも法律の時計は、


 人の気持ちを待ちません。


 電話がつながりました。


「久世先生ですか。片桐です」


 所長は短く事情を話しました。


「取消処分。本人。到達七月三十日。今日十月二十九日」


 電話口の声は聞こえません。


 でも。


 所長の顔が一段険しくなったので、


 向こうも同じところを見ている。


 期間。


「資料は揃っています」


 所長が続けます。


「処分通知、許可書、事故報告、安全改善書、面談記録。原処分の撤回は昨日正式に拒否」


 少し間。


「はい」


 また間。


「今日中に伺わせます」


 電話を切る。


「行くぞ」


 相馬先輩が立ち上がりました。


「どこへ」


「久世先生の事務所」


「私も?」


「時系列まとめたのお前だろ」


「はい」


「持ってこい」


 宮原さんも立ちます。


「裁判、できるのか」


 所長はまた、


 簡単には期待を持たせませんでした。


「先生が判断する」


「勝てる?」


「それも先生が判断する」


「……」


「ただ」


 所長は六項目の紙を折りました。


「入口で落とされないための材料は持っていく」


 久世法律事務所は、駅前の古いビルの三階にありました。


 階段が急です。


 行政事件を扱う前に膝を壊しそうです。


「エレベーターないんですか」


「昭和だぞ」


「何でも昭和のせいにするのやめません?」


「お前がいつも未来と比べるからだ」


 三階。


 久世先生は、四十代後半。


 眼鏡。


 髪は少し薄い。


 机の上は恐ろしく整頓されていました。


 私はそれだけで信用できる気がしました。


 偏見です。


「宮原さん」


 久世先生は挨拶のあと、すぐ言いました。


「まず申し上げます」


「はい」


「時間がありません」


「……はい」


「今日と明日で、訴えを起こすか決める必要があります」


 宮原さんの喉が動きました。


「できますか」


「資料を見ます」


 そこから。


 私たちが一時間かけて整理したものを、


 久世先生は十五分で読みました。


 速い。


 怖い。


 でも。


 途中で何度も、


 六つの入口へ戻ります。


「取消通知。市長名義」


「はい」


「許可取消しによって、現に営業不能」


「はい」


「原告は名宛人本人」


「はい」


「許可期限は来年三月末」


「はい」


「被告は――」


「市長」


 私が答えると、


 久世先生がこちらを見ました。


「よく確認しましたね」


「危うく市って言うところでした」


「そこは危ない」


 褒められたのか、注意されたのか分かりません。


「管轄も問題ない」


 そして。


 先生は七月三十日の文字へ指を置きます。


「あとは出訴期間」


 部屋が静かになりました。


「今日中に訴状の骨格を作ります」


 宮原さんが息を呑みます。


「じゃあ」


「間に合わせる方向で動く」


「ありがとうございます!」


「まだ勝ったわけではありません」


 久世先生は冷静でした。


「むしろここからです」


「市の取消し、おかしいですよね?」


「そこを争う」


 先生は改善報告書を持ち上げました。


「事故は事実」


「はい」


「安全上の問題もゼロではない」


「……はい」


「ただし、市がいきなり許可取消しまで選んだことが相当だったか。警告や条件付き継続、一定期間の停止といった手段では足りなかったのか。事故原因、安全対策の改善状況、従前の営業実績」


 紙を一枚ずつ指します。


「ここは検討する余地があります」


 ようやく。


 中身の話になった。


 私はその瞬間、


 妙な感動を覚えました。


 ここまで来て。


 やっと、


 処分が違法かもしれない。


 という本題に入れる。


 でも。


 訴訟要件を一つでも落としていたら。


 ここには来られない。


「それから」


 久世先生が言いました。


「営業再開を急ぐなら、執行停止も検討します」


 私は反応しました。


 執行停止。


 昭和の仮救済。


 取消訴訟を提起しただけでは、


 原則として処分の効力は止まらない。


 取消訴訟を起こしても。


 取消処分は、取消されるまで効いている。


 つまり。


 裁判中も宮原さんは営業できない。


 そんな。


 判決が出るころ許可期間終わってません?


 と聞きたくなります。


 だから執行停止。


 この時代、


 頼れる仮の救済は限られています。


 現代なら、


 仮の義務付け。


 仮の差止め。


 そんな制度も頭に浮かぶ。


 でも。


 昭和六十三年にはない。


 未来から見ると、


 やっぱり狭い。


「先生」


 宮原さんが言いました。


「すぐ営業できるんですか」


「執行停止を申し立てたからといって、必ず認められるわけではありません」


「じゃあ」


「そこも要件を満たす必要があります」


 要件。


 また要件。


 裁判とは、


 要件の森ですね。


「でも」


 久世先生は続けました。


「今は一つずつです」


 それは、


 片桐所長と同じ言い方でした。


 今は一つずつ。


 感情を全部一度に投げない。


 入口を確認する。


 紙にする。


 期限を見る。


 誰が。


 何を。


 誰に対して。


 どこで。


 いつまでに。


 そして、


 取消判決で何が戻るのか。


 そうやって、


「裁判にしてやる!」


 という怒りを、


 裁判所が扱える形へ変えていく。


 それが仕事なんだ。


 その日の夕方。


 私たちは一度、市役所へ向かいました。


 久世先生が訴状準備に入る一方で、


 片桐所長が最後に確認したいことがあると言ったからです。


 総務課。


 沢渡課長。


 相変わらず灰色の背広。


 相変わらず、


 人間より先に条文を信じていそうな顔をしています。


「宮原さんの件ですね」


「知ってるのか」


 相馬先輩が言いました。


「観光商工課から聞いています」


「撤回しないと昨日回答した」


「はい」


「取消訴訟の準備に入った」


 沢渡課長は眉ひとつ動かしませんでした。


「どうぞご自由に」


 来た。


 この人なら言うと思いました。


「ただし」


 沢渡課長は眼鏡の位置を直します。


「訴訟要件は満たしていますか」


 空気が一段冷えました。


 宮原さんの手が握られます。


「課長」


 私は思わず言いました。


「それ、脅してます?」


「確認しているだけです」


「出訴期間なら」


 相馬先輩が言いました。


「明日が一つの節目だと見て、今日もう弁護士へ回してる」


 沢渡課長の視線が少し動きました。


「……早いですね」


「おたくらが三か月近く『検討中』で引っ張ったからな」


「引っ張ったという表現は適切ではありません」


「じゃあ結果として削った」


「法定期間の管理は本人側の問題です」


 冷たい。


 でも。


 正論でもある。


 そこが一番腹立たしいタイプです。


「処分性」


 片桐所長が静かに言いました。


 沢渡課長を見る。


「市長名義の施設使用許可取消し。宮原さんの法的地位を直接失わせている」


「でしょうね」


「原告適格。処分の名宛人本人」


「ええ」


「許可期間は来年三月末。取消しで回復し得る地位がある」


「訴えの利益ですか」


「そうだ」


「被告は」


「市長」


 沢渡課長がそこで黙りました。


 現代の知識で、


 市。


 と答えたら。


 たぶん、この人は一ミリだけ口角を上げたでしょう。


 危なかった。


「管轄も確認済み」


 片桐所長が続けます。


「弁護士にも今日引き継いだ」


「……なるほど」


「入口は揃える」


「それで」


 沢渡課長は指を組みました。


「何を求めるんです?」


「まず取消処分の取消し」


「市は安全確保のため必要な処分だったと考えています」


「そこは裁判所で争えばいい」


「行政書士が?」


「代理はしない」


 所長は即答しました。


「だから弁護士に渡した」


 沢渡課長が少しだけ頷きました。


 そこは、


 きっちり線を引く。


 できることと。


 できないこと。


 行政書士だからこそ、


 ここを曖昧にしてはいけない。


「もう一つ」


 相馬先輩が言いました。


「取消しを維持する根拠、庁内で見直したか?」


「観光商工課で検討しています」


「事故があった。だから取消し。そこだけか?」


「安全管理義務違反です」


「改善措置は?」


「承知しています」


「十五年の営業実績は?」


「承知しています」


「過去に重大事故は?」


「今回が初めてです」


「営業停止とか条件付き許可とか、もっと軽い措置を検討した記録は?」


 沢渡課長が止まりました。


 ほんの少し。


 でも。


 今日の私は見逃しませんでした。


「ありますか」


 相馬先輩が重ねます。


「確認します」


「なぜ取消しでなきゃ駄目だったか」


「安全確保のためです」


「それは目的だ」


 相馬先輩の声が低くなります。


「聞いてるのは手段だ」


 私は息を止めました。


 沢渡課長の目が細くなります。


「事故が一件起きた」


 相馬先輩が続けます。


「責任がないとは言わん。だが警告でもなく、改善命令でもなく、一時停止でもなく、いきなり許可全部取消し」


「公園利用者の安全は最優先です」


「なら、改善しても駄目なのか」


「……」


「駄目なら理由がいる」


 その瞬間。


 沢渡課長の机の上に、


 見えない天秤が置かれた気がしました。


 市が裁判で勝つ可能性。


 負ける可能性。


 記録が残っているか。


 判断過程を説明できるか。


 処分選択の理由が合理的か。


 そして。


 取消訴訟の入口を、


 こちらが本当に整えているか。


 さっきまでの、


「裁判? どうぞご自由に」


 とは少し違う顔になっていました。


「明日までに」


 沢渡課長が言いました。


「処分選択の過程を再確認します」


 宮原さんが顔を上げました。


「撤回するのか」


「まだ何も決めていません」


「じゃあ――」


「ただ」


 沢渡課長は片桐所長を見ました。


「訴訟になった場合に説明できない部分があるなら、事前に確認しておくべきでしょう」


 合理的。


 本当にこの人は、それだけです。


 住民がかわいそうだからでもない。


 宮原さんの生活に同情したからでもない。


 敗訴リスクを計算して、


 行政側の弱いところを見つけたから、


 見直す。


 冷たい。


 でも。


 私は少しだけ、


 その冷たさがありがたいと思いました。


 感情で動かないなら。


 理屈で動かせる。


「課長」


 私は言いました。


「さっき、『訴訟要件は満たしてますか』って言いましたよね」


「言いました」


「満たしてたら?」


「中身で争うだけです」


「ですよね」


 沢渡課長は私を見ました。


「朝比奈さん」


「はい」


「取消訴訟は」


 そこで一度言葉を切ります。


「市役所への苦情窓口ではありません」


「知ってます」


「誰でも何でも持ち込める制度でもありません」


「はい」


「ですが」


 彼は宮原さんの取消通知を見ました。


「要件を満たして裁判所の審査対象になるなら、市も処分の適法性を説明しなければならない」


 それだけ言いました。


 私は、


 ちょっと悔しくなりました。


 今日いちばん大事なことを、


 壁役の人に言われた気がしたからです。


 翌日。


 十月三十日。


 朝九時二十分。


 久世先生から電話がありました。


 相馬先輩が取ります。


「はい。……はい。……分かりました」


 切る。


「どうでした?」


「出したってよ」


「何を」


「訴状」


 私は立ち上がりました。


「間に合った?」


「ああ」


 胸から空気が抜けました。


 勝ったわけじゃない。


 何も終わっていない。


 むしろ始まっただけ。


 でも。


 門が閉まる前に、


 手をかけられた。


「執行停止も準備するって」


「営業再開は」


「まだ分からん」


「ですよね」


 そこへ。


 また電話。


 今度は私が取ります。


「はい、片桐行政書士事務所です」


『総務課の沢渡です』


 来た。


「はい」


『片桐先生は』


「少々お待ちください」


 所長へ渡します。


「片桐です」


 短い会話。


 はい。


 分かりました。


 では書面で。


 切る。


「何でした?」


「市が」


 所長が言いました。


「取消処分をいったん職権で見直す」


「え?」


「訴訟とは別に」


「どういうことです?」


「処分選択の記録が不十分だったらしい」


 相馬先輩が鼻で笑います。


「昨日聞いたところか」


「ああ」


「取消しか?」


「まだだ」


 所長は念を押しました。


「ただ、当面の営業再開を認める方向で、暫定措置を検討する」


「本当ですか!」


 私の声が大きくなりました。


「決定じゃない」


「はい」


「喜ぶのは書面が来てからだ」


「はい」


 この事務所、


 全員ぬか喜び禁止令でも出ているのでしょうか。


 午後。


 宮原さんが来ました。


 昨日とは別人みたいな顔でした。


 笑ってはいない。


 でも。


 目の奥に、


 行き止まり以外の道があると分かった人の光がありました。


「裁判、出したそうですね」


「久世先生が」


「それで市役所も見直すって」


「はい」


 宮原さんは椅子に座り、


 深く息を吐きました。


「俺」


 静かに言います。


「昨日まで、裁判ってのは、役所に腹立ったら起こすもんだと思ってた」


「私も昔は似たようなイメージでした」


「正しいほうが勝つって」


「中身まで行けば、そこで適法か違法かを争えます」


「でも」


 宮原さんは机の上を指で六回叩きました。


「そこまで行く前に六個ある」


「そうです」


「処分……」


「処分性」


「それだ。あと、俺が訴えられるか」


「原告適格」


「取り消して意味があるか」


「訴えの利益」


「誰を訴えるか」


「被告適格」


「いつまで」


「出訴期間」


「どこへ」


「管轄」


 宮原さんが笑いました。


「昨日は呪文にしか聞こえなかったのにな」


 私も笑いました。


「一日でかなり行政法に強くなってますよ」


「なりたくてなったんじゃない」


「だいたい皆さんそうです」


 法律は、


 必要になるまで、


 ただの文字です。


 でも。


 自分の商売。


 自分の土地。


 自分の許可。


 自分の期限。


 そこに刺さった瞬間、


 嫌でも意味が見える。


「朝比奈さん」


「はい」


「昨日、あんた言っただろ」


「何をです?」


「俺は処分を直接受けた本人だから、原告適格は強いって」


「はい」


「なんか」


 宮原さんは照れくさそうに頭をかきました。


「初めて、『俺が困ってる』ってことを法律に認めてもらえた気がした」


 私は言葉に詰まりました。


 原告適格。


 法律上の利益を有する者。


 受験生のころ。


 何度読んでも眠い言葉でした。


 法律上の利益。


 保護範囲。


 判例。


 第三者。


 原告適格。


 でも今。


 目の前にいる人が、


「俺が困っていることを、法律に認めてもらえた」


 と言った。


 たぶん。


 原告適格という制度は、


「困っている人なら誰でも来てください」


 ではありません。


 むしろ逆。


 誰が司法救済を求められるかを、


 かなり厳しく区切る仕組みです。


 冷たい。


 でも。


 その線の内側に入った人には、


 あなたの利益は、


 ただの愚痴ではない。


 法律上、裁判所で扱う価値がある。


 そう言ってくれる。


 制度の冷たさが、


 少しだけ違って見えました。


 夕方。


 市役所から書面が届きました。


 完全な取消処分の撤回ではありません。


 安全対策の追加実施。


 救命胴衣の着用確認方法の改善。


 悪天候時の営業基準。


 これらを条件として、


 処分の再検討が終わるまでの間、


 施設利用を暫定的に認める。


 そんな内容でした。


「営業できる」


 宮原さんが呟きました。


「明日から?」


「条件を確認してからです」


 私が言います。


「またすぐ走らないでください」


「分かってる」


「本当に?」


「昨日で懲りた」


 相馬先輩が横から言いました。


「行政相手は、嬉しいときほど紙を読め」


「覚えたよ」


「腹立ったときは?」


「期限を見ろ」


「よし」


「何ですか、その行政事件訴訟しつけ教室」


 でも。


 本当にその二つは大事かもしれません。


 嬉しいときほど紙を見る。


 腹が立ったときほど期限を見る。


 感情が強いと、


 人は法律の時計を見なくなるから。


 宮原さんは帰り際、


 玄関で一度振り返りました。


「片桐先生」


「何です」


「ありがとうございました」


「まだ終わってません」


「分かってます」


「訴訟も、市の再検討もこれからです」


「はい」


「営業再開できても、事故対策は徹底してください」


「します」


 そして。


 少し笑いました。


「でも、昨日ここへ来なかったら」


 誰も言いませんでした。


 分かっていたからです。


 明日には、


 三か月の壁を越えていたかもしれない。


 裁判の中身に入る前に、


 門が閉じていたかもしれない。


 宮原さんが帰ったあと。


 私は所長の書いた六本の線を見ました。


 処分性。


 原告適格。


 訴えの利益。


 被告適格。


 出訴期間。


 管轄。


 六つ。


 どれも地味です。


 正直、


 受験勉強だけなら、


「はいはい、訴訟要件ね」


 で流していたかもしれません。


 でも。


 今日わかりました。


 訴訟要件は、


 試験用のチェックリストじゃない。


 裁判所の入口そのものです。


 そして。


 入口で落ちたら、


 どれだけ役所の処分がおかしくても、


 そのおかしさを判断してもらうところまで行けない。


「先輩」


「何だ」


「裁判って、怖いですね」


「今さら?」


「勝つ負ける以前に、聞いてもらえるかって壁がある」


「ああ」


「しかも昭和、三か月」


「ああ」


「被告も市じゃなくて行政庁」


「ああ」


「義務付け訴訟も法定されてない」


「ああ」


「仮の義務付けもない」


「ああ」


「使い勝手悪すぎません?」


 相馬先輩が煙草を取り出しました。


「だから」


「はい」


「負け戦なんだよ」


「またそれですか」


「裁判なんて負け戦だ」


 火をつける。


「だが」


 煙を吐いて、


「やるなら要件を揃えろ」


 私は少し笑いました。


 いつもの口癖。


 今日初めて、


 格好いいと思いました。


 ちょっとだけ。


「こはる」


 片桐所長が言います。


「今日の教訓は」


「え」


「お前、毎回勝手に頭の中でまとめてるだろ」


「何で知ってるんですか」


「顔に出る」


 この事務所、


 私の顔を読む人が多すぎます。


 私は六項目の紙を見ました。


 そして。


 一番下に書き足します。


 ――裁判は、「役所が間違っている」だけでは始まらない。


 少し考える。


 もう一行。


 ――中身を争う前に、入口を全部開ける。


「二行だな」


 相馬先輩が言いました。


「最近それ言うの流行ってるんですか」


「一行でまとめろ」


「じゃあ」


 私は消しゴムで消しました。


 そして書き直します。


 ――正しさを聞いてもらうには、まず六つの門を越えろ。


 相馬先輩が覗き込みます。


「何だ、六つの門って」


「処分性、原告適格、訴えの利益、被告適格、出訴期間、管轄」


「長い」


「だから六つの門ってまとめたんです!」


「最初から六個覚えろ」


「情緒がないなあ」


 片桐所長が机の書類を閉じました。


「こはる」


「はい」


「明日、宮原さんの店を見に行け」


「現場確認ですか」


「ああ」


「ボート乗ります?」


「乗らん」


「ちょっと乗ってみたくないです?」


「仕事だ」


「安全確認には実際乗ったほうが」


「泳げるのか」


「……」


「泳げるのか」


「二十五メートルなら」


 相馬先輩が吹き出しました。


「救命胴衣、二枚着ろ」


「一枚で十分です!」


「事故起きたらどうする」


「縁起でもない!」


「営業取消しになるぞ」


「今それ言います!?」


 所長まで少し笑っていました。


 窓の外では、


 秋の空がもう暗くなり始めていました。


 湖の向こうも、


 たぶん同じ色でしょう。


 宮原さんの店が明日開くかは、


 まだ分かりません。


 市が最終的に処分を撤回するかも分からない。


 裁判がどうなるかも分からない。


 でも。


 昨日まで閉ざされていた桟橋に、


 一本だけ道が戻りました。


 法律は、


 いつも人を救う答えを持っているわけではありません。


 むしろ。


「期間が過ぎました」


「あなたには訴える資格がありません」


「その行為は取消訴訟の対象ではありません」


 そう言って、


 容赦なく扉を閉めることもある。


 でも。


 だからこそ。


 閉まる前に入口を見つける人が要る。


 鍵穴がどこにあるのか。


 どの鍵なら回るのか。


 いつまで回せるのか。


 それを見つける仕事がある。


 裁判をすることはできなくても。


 裁判へ渡す道を整えることはできる。


 私は六項目の紙を、


 自分のノートへ挟みました。


 明日から。


 取消訴訟の訴訟要件を、


 もう「六個の暗記事項」と呼ぶのはやめようと思います。


 あれは。


 裁判所の前に並んだ、


 六枚の扉です。


 そして昭和六十三年。


 そのうち一枚には、


 大きくこう書いてあります。


 ――三か月以内。


「……短すぎる」


「何がだ」


 相馬先輩が聞きます。


「人生です」


「急にでかい話にするな」


「出訴期間です!」


「なら最初からそう言え」


 はい。


 未来人としては、


 そこだけは何度言っても足りません。


 三か月。


 昭和の裁判所は、


 今日も入口から厳しいです。

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