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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政事件訴訟法

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252/282

[行政事件訴訟法・訴訟類型]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 裁判所の扉は、一枚ではありません。


 入る人。


 争う相手。


 争うもの。


 求める結論。


 それぞれに合った扉を選ばないと、どれだけ正しいことを言っていても、中までたどり着けません。


 夕方の片桐行政書士事務所。


 源治さんが置いていった昆布の箱が、なぜか所長の机の横にきっちり収まっています。


「所長」


「何だ」


「やっぱり昆布、好きなんですね」


「資料整理しろ」


「否定しない」


「こはる」


「はい」


「資料整理」


「はい」


 私は自分の机へ戻りました。


 目の前には一冊のノート。


 上に、大きく書きます。


 ――行政事件訴訟法。


 さらにその下。


 ――全体構造。


 昨日までなら。


 この単元、かなり嫌いでした。


 主観訴訟。


 客観訴訟。


 抗告訴訟。


 当事者訴訟。


 民衆訴訟。


 機関訴訟。


 その下にさらに、


 取消訴訟。


 無効等確認。


 不作為の違法確認。


 現代法ならそこへ、


 義務付け。


 差止め。


 まで加わる。


 教科書を開いた瞬間、


 箱。


 箱。


 箱。


 矢印。


 線。


 括弧。


 法律というより、倉庫の棚卸しです。


「相馬先輩」


「何だ」


「今日は行政事件訴訟法の全体像です」


「嫌な予感しかしねえ」


「付き合ってください」


「嫌だ」


「所長」


「付き合え」


「何で毎回俺だけ拒否権がねえんだ」


 相馬先輩が煙草をくわえます。


「行政処分だと思って諦めてください」


「不服申立てするぞ」


「この前やったでしょう」


「じゃあ裁判だ」


「訴訟要件確認します」


「面倒くせえな、お前」


 よし。


 今日の復習にちょうどいい。


 私はノートの真ん中に一本、縦線を引きました。


「まず」


 左に書きます。


 主観訴訟。


 右。


 客観訴訟。


「行政事件訴訟は、大きくこの二つに分けて考えると分かりやすいです」


 相馬先輩が覗き込みます。


「何が違う」


「誰のために争うか」


「雑だな」


「今日は雑から入ります」


 私は左側を指しました。


「主観訴訟は、自分の権利利益を救うため」


「うん」


「客観訴訟は、行政の適法性そのものを確保するため」


「うん」


「まずここ」


 昨日の早川源治さん。


 市営朝市広場の使用許可取消処分。


 早川さん自身に向けられた処分でした。


 その処分によって、


 自分の営業場所を失う。


 だから、


 自分の権利利益を守るために争う。


「早川さんは主観訴訟側」


「そうなるな」


「『市役所のやり方が気に入らないから、市民代表として違法を正してやる』って話じゃない」


「本人の店がなくなるからな」


「はい」


 これがまず、


 主観訴訟。


 自分の救済。


 私はその下に二つ、枝を書きます。


 抗告訴訟。


 当事者訴訟。


「ここからまた分かれます」


「箱が増えたな」


「言わないでください」


「抗告訴訟って何だ」


 私は少し考えました。


「行政庁の公権力の行使を直接争う訴訟」


「具体的には」


「今回みたいに、市長がした使用許可取消処分を取り消してくれ、とか」


「なるほど」


 行政庁が、


 公権力として一方的にした処分。


 それを正面から争う。


 これが抗告訴訟。


「じゃあ当事者訴訟は?」


「行政庁の処分を取り消せ、って形じゃなくて、公法上の法律関係を当事者同士で争う訴訟」


 相馬先輩が顔をしかめました。


「急に眠くなった」


「分かります」


「分かるな」


「たとえば」


 私はペンを回しました。


「公務員としての地位とか、公法上の金銭関係とか。処分そのものを取り消すより、法律関係そのものを確認したり給付を求めたりする場面です」


「今回とは違う」


「はい。早川さんは処分そのものを消したかった」


「だから抗告訴訟」


「そうです」


 私は抗告訴訟の下に、


 取消訴訟。


 無効等確認の訴え。


 不作為の違法確認の訴え。


 と書きました。


 そして。


 少し離して、


 鉛筆で小さく書きます。


 現代。


 義務付け。


 差止め。


「出た」


 相馬先輩が言いました。


「未来」


「ここ重要なんです」


「今使えねえんだろ」


「だから重要なんです」


 昭和六十三年。


 この時代。


 義務付け訴訟と差止め訴訟は、


 現在のように行政事件訴訟法上の法定抗告訴訟として整備されていません。


「昨日、私が危なかったところです」


「『店を使わせろ』って義務付ければいいじゃないですか、みたいな顔してたな」


「してました」


「認めるのか」


「現代脳ですから」


 現代なら。


 行政庁が一定の処分をしない。


 なら、


 条件を満たせば義務付け訴訟。


 行政庁がこれから一定の処分をしようとしている。


 なら、


 条件を満たせば差止め訴訟。


 しかも、


 仮の義務付け。


 仮の差止め。


 といった仮の救済も制度化されています。


 でも昭和六十三年。


「ない」


「ないな」


「義務付けも」


「ない」


「差止めも」


「ない」


「仮の義務付けも」


「ない」


「仮の差止めも」


「ない」


「つらい」


「何でお前が傷ついてる」


 だって。


 現代の行政事件訴訟法を勉強してから昭和へ来ると。


 便利な道具箱を渡されたあとで、


 昔の現場へ飛ばされるようなものです。


 ドライバーがあると思って手を伸ばしたら、


 金槌しかない。


 そんな感じ。


「じゃあ昨日の早川さん」


 私は言いました。


「取消処分が十月三十一日に効いて、店をどかされる予定でした」


「ああ」


「裁判を起こしただけで、その処分は自動的に止まります?」


「止まらん」


「ですよね」


 ここ。


 かなり重要。


 取消訴訟を提起した。


 だから処分の効力が止まる。


 ではない。


 行政処分は、


 訴えを起こしただけでは原則として止まらない。


「そこで」


「執行停止」


「はい」


 仮の救済として、


 執行停止を検討する。


 ただし。


 申立てれば必ず認められる。


 なんて甘いものではない。


「行政の効率を考えれば、裁判起こされた途端に全部止まったら困りますもんね」


「嫌がらせで訴訟起こす奴が一人いたら止まる、じゃ行政動かねえからな」


「だから原則は執行不停止」


「うん」


「必要な場合に執行停止」


「そういうことだ」


 法律は、


 救済だけ見ているわけではない。


 行政の継続性も見ている。


 そのバランス。


 私はノートに書きます。


 ――取消訴訟を提起しても、処分の効力は当然には止まらない。


 ――必要なら執行停止を検討。


「現代なら、さらに仮の義務付けとか仮の差止めがある」


「また未来へ行った」


「比較すると分かりやすいんです」


 昭和の制度を見ると、


 なぜ後に制度が増えたのかが分かる。


 処分を取り消すだけでは救えない場面。


 行政に何かをさせなければ間に合わない場面。


 処分されてからでは遅い場面。


 そういう穴があった。


「昔は」


 私は言いました。


「違法な処分をされたら取り消せ、が中心だった」


「うん」


「でも現実には、行政にしてほしいこともあるし、される前に止めたいこともある」


「うん」


「だから現代では、義務付けと差止めが法定された」


「未来は随分親切だな」


「昔が厳しかったとも言えます」


「裁判所が行政に『やれ』『やるな』って命じるのを、簡単に認めるわけにはいかねえって考えもあったんだろ」


「そうですね」


 司法と行政の関係。


 権力分立。


 裁判所が行政活動へどこまで踏み込めるか。


 そういう問題もある。


 だから、


 単に昔の制度は意地悪でした。


 で終わらせてはいけない。


 ただ。


 救済を求める国民側から見れば、


 選べる道が少なかったのは確かです。


 私は次へ進みました。


「じゃあ、抗告訴訟の三つを確認します」


「三つ?」


「昭和六十三年に法定されている中心的なものです」


 まず。


 取消訴訟。


「これが昨日の第一候補」


「ああ」


「一応有効に存在する処分について、違法だから取り消してほしい」


「うん」


「次、無効等確認」


「違いは?」


「処分の瑕疵が重大で、そもそも効力を認められないような場合に、その無効などを確認してもらう」


「取消しより強烈だな」


「イメージとしては」


 取消訴訟は、


 違法だけれど、


 取り消されるまでは一応効力がある処分を消す。


 無効確認は、


 そもそも最初から法的効力を認めるべきではないほど重大な瑕疵がある。


「昨日の早川さんの取消処分」


 私は言いました。


「理由に疑問はありました。でも最初から当然無効だ、とまでは簡単には言えません」


「だから普通に取消訴訟を検討」


「はい」


「じゃあ不作為の違法確認は」


「申請したのに、行政庁が何もしない場合」


 例えば。


 許可申請を出した。


 行政庁は、


 許可もしない。


 不許可もしない。


 ずっと放置。


「その『何もしないこと』が違法だと確認してもらう」


「でも」


 相馬先輩が言います。


「確認して終わりか」


「そこなんですよ」


 私は指を差しました。


「昭和の制度のつらいところ」


 不作為が違法です。


 裁判所がそう確認する。


 でも。


 現代のように、


 じゃあ一定の処分をしろ。


 と法定の義務付け訴訟で直接求める制度が整っていない。


「確認できても、その先が弱い」


「そういうことです」


「そりゃ使い勝手悪いな」


「ですよね」


 私はノートに、


 昭和六十三年。


 と囲みます。


 取消し。


 無効確認。


 不作為違法確認。


 そして現代。


 義務付け。


 差止め。


 を矢印で追加。


「こうして見ると」


「何だ」


「平成十六年改正って、かなり大きいですね」


「未来の話は知らん」


「でも理由は分かります」


 救済の実効性。


 それまでの制度では、


 違法な行政活動があっても、


 国民側が使える訴訟の形が狭い。


 だったら、


 救済の選択肢を増やす。


 義務付け。


 差止め。


 出訴期間の延長。


 被告適格の整理。


 そういう改正が必要になる。


「出訴期間」


 相馬先輩が言いました。


「昨日一番危なかったところな」


「……はい」


「言ってみろ」


「昭和六十三年当時、取消訴訟は原則として処分があったことを知った日から三箇月」


「未来は?」


「現代は六箇月」


「昨日のお前は?」


「頭の中で六箇月」


「危ねえ」


「本当に危なかったです」


 私は大きく書きました。


 旧法。


 三箇月。


 現代。


 六箇月。


「源治さんは八月四日に通知を受け取っていた」


「うん」


「十月十九日に相談に来た」


「うん」


「三箇月、ほぼ目の前」


「放っといたら」


「入口が閉じる」


 それが怖い。


 処分が違法だったとしても。


 理由が雑だったとしても。


 市役所側の判断に問題があったとしても。


 出訴期間を徒過すれば、


 取消訴訟という道そのものが閉ざされることがある。


「だから所長、最初に到達日聞いたんですね」


「ああ」


「普通の人は中身から話したくなります」


「そりゃそうだ」


「『役所がどれだけひどかったか』って」


「うん」


「でも実務はまず日付」


「日付が死んでりゃ、中身まで行けねえからな」


 冷たい。


 ひどく冷たい。


 でも。


 昨日の事件で分かりました。


 早川さんの怒りを聞くより先に、


 いつ届いた。


 と確認する。


 それは、


 話を聞いていないわけではない。


 むしろ。


 救済可能性を守るために、


 最優先で確認していた。


「冷たい質問が」


 私は言いました。


「一番優しいこともあるんですね」


 相馬先輩がこっちを見ました。


「急にいいこと言うな」


「褒めました?」


「気のせいだ」


 またそれです。


 私は次の見出しを書きます。


 被告。


「昨日、源治さん言ってました」


「市を訴えてやる、だろ」


「はい」


「普通そう思うよな」


「現代なら、かなり近い」


 今の制度なら。


 国や公共団体。


 たとえば市長が処分をした場合、


 原則として市を被告とする。


 でも。


 昭和六十三年。


「被告は処分行政庁」


「ああ」


「今回なら市長」


「うん」


「湖西市じゃなくて湖西市長」


「間違えると面倒だな」


「未来人には地雷です」


 私はノートに書きました。


 旧法。


 処分行政庁を被告。


 現代。


 国または公共団体を被告。


「何で変わったんですかね」


「お前が未来人なんだからお前が考えろ」


「そうですね」


 処分行政庁を正確に特定し、


 その行政庁を被告にする。


 一般の人には分かりにくい。


 市役所に処分された。


 なのに。


 被告は市ですか。


 市長ですか。


 教育委員会ですか。


 何とか委員長ですか。


 入口で悩む。


「救済制度なのに」


 私は言いました。


「被告を間違えやすいって、それだけで使いにくい」


「裁判ってのは昔からそういうもんだろ」


「だから改正されたんでしょうね」


 現代では、


 国や公共団体を被告とする制度へ。


 争う相手を分かりやすくする。


 訴訟手続の負担を減らす。


 少なくとも利用者側から見れば、


 そういう意味は大きい。


「次」


 私は書きます。


 原告適格。


「出たな」


「昨日、沢渡課長が刺してきたところです」


「『誰でも訴えられると思うな』ってやつか」


「はい」


 行政が違法。


 だから訴える。


 それだけでは足りない。


 取消訴訟は、


 処分の取消しを求めるにつき、


 法律上の利益を有する者。


 そういう立場の人が提起する。


「源治さんは分かりやすい」


「自分宛ての許可取消しだからな」


「はい」


 処分の名宛人。


 その処分で直接営業場所を失う。


 法律上の利益。


 原告適格は比較的整理しやすい。


「じゃあ」


 相馬先輩が言いました。


「朝市の常連客が、『あの店なくなったら困る』って訴えられるか」


「そこは簡単じゃない」


「何で」


「生活上困る、気に入っている、だけでは足りないから」


 その法律が、


 その人個人の利益まで保護しているといえるのか。


 そこを見る必要がある。


「じゃあ隣の八百屋」


「それも、処分の内容と根拠法令次第」


「面倒くせえな」


「原告適格は面倒なんです」


 そして。


 ここにも、


 主観訴訟という考え方がつながる。


 自分の権利利益を救済する訴訟。


 だから。


 行政一般の違法をチェックするだけのために、


 誰でも起こせるわけではない。


「客観訴訟との違いですね」


「ようやく右側へ行くのか」


「行きます」


 私はノートの右。


 客観訴訟。


 の下へ二つ書きました。


 民衆訴訟。


 機関訴訟。


「客観訴訟は」


「行政の適法性を守るため」


「はい」


「自分の権利救済が中心じゃない」


「そうです」


 民衆訴訟。


 法律の定めがある場合に、


 選挙人など、


 国民や住民としての一般的な資格で提起する。


「誰でも何でも、ってわけじゃないですよ」


「法律で認められた場合だけ?」


「はい」


 行政が違法だから、


 全国民が自由に裁判できます。


 という制度ではない。


 民衆訴訟は、


 法律に特別の定めがある場合に限られる。


「典型は選挙関係とか、住民訴訟ですね」


「なるほど」


「一方、機関訴訟」


「役所同士の喧嘩か」


「かなり雑ですけど、方向は合ってます」


 国や地方公共団体の機関相互間。


 権限の存否や行使に関する争い。


「個人の権利救済じゃない」


「はい」


「行政組織の中で、どっちに権限があるか争う」


「そういう類型です」


 私は整理しました。


 主観訴訟。


 人を救う。


 客観訴訟。


 法秩序を守る。


「これ」


 私は言いました。


「昨日まで標語にしか見えなかったんですよ」


「今は?」


「早川さんを右側に入れたら変だって分かる」


「そりゃそうだ」


「だって本人、自分の店を守りたいんですから」


「うん」


「行政全体の適法性を市民代表で正したい、じゃない」


「そうだな」


 分類は。


 暗記のためにあるのではない。


 誰が、


 何を、


 どんな目的で争っているのか。


 そこを見分ける地図。


 そう思えば。


 少し血が通います。


「じゃあ」


 私はノートをめくりました。


「行政不服審査と行政事件訴訟の違い」


「また戻るのか」


「つながってます」


 この前の川瀬さん。


 駅前花売り台。


 行政不服審査。


 そこでは。


 違法だけでなく、


 不当も争えた。


「行政事件訴訟は?」


「違法を争う」


「はい」


 ここ重要。


 行政事件訴訟法は、


 役所の判断が気に入らない。


 妥当じゃない。


 だけでは足りない。


 裁判所が判断するのは、


 その行政活動が法的に違法なのか。


「早川さんの件でも」


 私は言いました。


「『二十五年もやってきたのにひどい』だけじゃ取消訴訟の違法理由にならない」


「うん」


「『かわいそうだから取消し』でもない」


「裁判官は人情相談員じゃねえからな」


「言い方」


 だから私たちは。


 工事計画。


 処分理由。


 取消時期。


 店舗の位置。


 他店舗との違い。


 処分後の計画変更。


 そういう事実を集めた。


「感情を」


 私は言いました。


「違法性の議論に変換する」


「行政書士事務所は裁判やらねえぞ」


「はい。でも弁護士へ渡す前に、事実関係を整理することはできる」


「そうだな」


「それに、市役所と事前交渉する時にも使える」


「昨日みたいにな」


 沢渡課長。


 あの人が態度を変えたのは、


 早川さんが怒鳴ったからではない。


 裁判にするぞ。


 と脅したからでもない。


 出訴期間。


 原告適格。


 処分。


 被告。


 執行停止。


 計画変更。


 違法性。


 そこまで揃えて、


 本当にこの処分を維持できるのか。


 役所自身に計算させた。


「訴訟のカードって」


 私は言いました。


「切る前でも強いんですね」


「ちゃんと使えるカードならな」


「ハッタリじゃ駄目」


「当然だ」


「要件が揃ってない『裁判するぞ』は怖くない」


「そういうことだ」


 昨日の沢渡課長の、


 どうぞご自由に。


 あれ。


 最初は腹が立ちました。


 でも。


 行政側から見れば合理的。


 本当に訴えられる事件なのか。


 原告適格はあるのか。


 期間は過ぎていないか。


 被告は合っているか。


 争う利益は残っているか。


 そこが弱ければ、


 役所は簡単には動かない。


「逆に」


 私は言いました。


「全部揃ってると分かったら、役所も本気で考える」


「裁判で処分を取り消されるリスクが出るからな」


「はい」


 法律の冷たさ。


 それが交渉力になる。


 不思議です。


 私は次の項目を書きました。


 訴えの利益。


「昨日も出てきました」


「処分取り消しても、何の意味もないなら裁判する意味ねえって話か」


「そうです」


 取消訴訟は。


 取消判決を得ることで、


 原告の権利利益が回復できることが必要。


「早川さんは」


「まだ店を使ってる」


「はい」


「十月三十一日に取消しの効果が来る予定だった」


「だから取消しを求める実益があった」


「うん」


「もし」


 私は考えます。


「別の事情で朝市広場自体が完全に廃止されて、二度と誰も使えない状態になったら」


「取消しても戻れねえ」


「そういう場合、訴えの利益が問題になる」


「なるほど」


 ここも。


 違法かどうか以前。


 裁判所が本案判断をする入口。


「訴訟要件って」


 私は言いました。


「すごく嫌われ役ですよね」


「まあな」


「せっかく役所が違法かもしれないのに」


「うん」


「期間過ぎてます」


「うん」


「あなたに原告適格ありません」


「うん」


「もう利益ありません」


「うん」


「被告違います」


「うん」


「はい終了」


「言い方は悪いがな」


「でも」


 片桐所長が口を開きました。


「必要だ」


 私は振り返ります。


「なぜです?」


「裁判所は、すべての行政上の不満を判断する場所じゃない」


「はい」


「誰でも、いつでも、何でも争えるなら」


 所長は少し間を置きます。


「行政も法的関係も安定しない」


 なるほど。


 出訴期間。


 法的安定性。


 原告適格。


 裁判で救済すべき権利利益とのつながり。


 訴えの利益。


 裁判で判断する実益。


 どれも。


 ただ人を追い返すための嫌がらせではない。


「入口が厳しいのは」


 私は言いました。


「裁判という制度の範囲を決めるためでもある」


「そうだ」


「でも厳しすぎると、救済されない人が出る」


「そうだ」


「そこで改正」


 所長が私を見ました。


「未来の話か」


「はい」


「続けろ」


 珍しい。


 許可が出ました。


 私は勢いよく書きます。


 平成十六年改正。


 そして現代。


「大きいところを整理します」


 まず。


 出訴期間。


 旧。


 三箇月。


 現代。


 六箇月。


「倍」


 相馬先輩が言います。


「はい」


 処分を受けた国民が、


 事実を確認し。


 専門家へ相談し。


 訴訟を準備する。


 三箇月では短い。


 そういう問題意識。


「昨日の源治さんなんて」


「相談に来た時点で二ヶ月半」


「もう火事です」


「本人が放っといたのも悪いがな」


「それはそう」


 それでも。


 救済制度として、


 少し余裕を持たせる。


 現代は六箇月。


 次。


 被告適格。


 旧。


 処分行政庁。


 現代。


 国または公共団体。


「利用者から見て分かりやすくなった」


「だな」


 次。


 抗告訴訟の類型。


 旧。


 義務付け。


 差止め。


 法定されていない。


 現代。


 法定。


「行政に『しろ』と求める」


「義務付け」


「行政に『するな』と求める」


「差止め」


「そして緊急時」


「仮の義務付け、仮の差止め」


「はい」


 もちろん。


 何でも簡単に認められるわけではない。


 厳しい要件はある。


 でも。


 少なくとも、


 救済の型として法律に用意された。


「昔は」


 私は言いました。


「国民側が、自分の困りごとを既存の訴訟類型へ無理やり押し込む感じだったのかもしれません」


「無理やりは言い過ぎだろ」


「たしかに」


「でも型が少なかったのは分かる」


「はい」


 だから、


 現代法は。


 行政事件訴訟を使いやすくする。


 救済範囲を広げる。


 その方向へ改正された。


「昨日」


 私は言いました。


「源治さんが『裁判なら役所を止められる』って思ってました」


「まあ普通はそう思う」


「私も一瞬、義務付けや差止めを考えました」


「未来人だからな」


「でも昭和の制度では、そんなに単純じゃない」


「うん」


「取消訴訟で処分を消してもらう」


「うん」


「急ぐなら執行停止を検討」


「うん」


「その先の救済は、現代ほど整理されてない」


「そうだな」


 これ。


 なぜ平成十六年改正が大きかったのか。


 暗記で読むより、


 昭和に放り込まれた方が一発で分かります。


 不便だから。


 困るから。


 救えない場面があるから。


 改正された。


「法律改正って」


 私は言いました。


「受験生を苦しめるためにあるわけじゃないんですね」


「当たり前だ」


「でも覚える側はそう感じるんですよ」


「それはお前の都合だ」


「全国の資格受験生を代表して抗議します」


「原告適格あるのか」


「そこ突きます?」


 相馬先輩が笑いました。


 私は次へ。


 行政事件訴訟法の目的。


「不服審査との比較で覚えます」


 行政不服審査。


 違法または不当。


 行政事件訴訟。


 違法。


「ここは試験でも大事」


「言ってみろ」


「不服審査は行政内部の見直しだから、妥当性まで審査できる」


「うん」


「行政事件訴訟は司法による審査だから、違法性を判断する」


「うん」


「だから『不当だけど違法ではない』では、原則として取消訴訟の取消理由にならない」


「そういう整理だ」


 先日の川瀬さん。


 花売り台。


 違法とまで言い切れなくても、


 不当ではないか。


 そう行政内部で見直しを求めた。


 一方。


 昨日の早川さん。


 裁判を見据えるなら、


 その処分は、


 法的に違法なのか。


 そこまで組み立てる必要がある。


「似てるようで」


 私は言いました。


「役割が違いますね」


「そうだ」


「行政不服審査は広く行政判断を見直す」


「うん」


「行政事件訴訟は司法が違法性を審査する」


「うん」


「どっちが上とか下じゃない」


「そういうことだ」


 制度の目的が違う。


 見る範囲が違う。


 手続が違う。


 だから。


 事件によって、


 どの道を選ぶかを考える。


 私はノートの最後に大きな枠を作りました。


「今日のまとめ」


「長くするなよ」


 相馬先輩が先制します。


「まだ何も書いてません!」


「顔が長文だった」


「どんな顔ですか」


 私はまず、


 全体像を書きます。


 行政事件訴訟。


 主観訴訟。


 ――個人の権利利益の救済。


 その下。


 抗告訴訟。


 当事者訴訟。


 さらに抗告訴訟。


 取消訴訟。


 無効等確認。


 不作為の違法確認。


 そして現代では、


 義務付け。


 差止め。


 一方。


 客観訴訟。


 ――行政の適法性の確保。


 民衆訴訟。


 機関訴訟。


「うん」


「どうです」


「図としてはいい」


「では一行」


 昨日。


 源治さんは怒っていました。


 裁判してやる。


 役所を止めてやる。


 でも。


 裁判所は怒りを審理しません。


 誰が。


 何を。


 何の利益のために。


 どんな訴訟で。


 いつまでに。


 誰を相手に争うのか。


 そこを揃えて。


 初めて、


 違法かどうかを見てもらえる。


 私は書きました。


 ――行政訴訟は、「役所がおかしい」では始まらない。誰が、何を、どう争うかで扉が決まる。


「長い」


 相馬先輩が言いました。


「予想してました」


「もっと短く」


「じゃあ」


 少し考えます。


 そして。


 書き直しました。


 ――自分を救うか、法秩序を守るか。目的が違えば、訴えの扉も違う。


 相馬先輩が黙ります。


「どうです」


「まあいい」


「また褒めた」


「気のせいだ」


 私はさらに、


 ノートの端へ小さく書き足しました。


 昭和六十三年。


 三箇月。


 処分行政庁。


 義務付けなし。


 差止めなし。


 基本の仮救済は執行停止。


 現代。


 六箇月。


 国・公共団体。


 義務付けあり。


 差止めあり。


 仮の義務付け・仮の差止めあり。


「これ」


 私は言いました。


「一生忘れない気がします」


「毎回間違えてんのに?」


「今回は本当に」


「昨日六箇月って言いかけた」


「だから忘れないんです!」


 失敗した知識は強い。


 受験勉強で何回読んでも覚えなかった数字が、


 源治さんの店がなくなるかもしれない。


 という状況と結びついた瞬間。


 頭から離れなくなりました。


 三箇月。


 たった三箇月。


 その間に。


 通知を読み。


 事実を調べ。


 専門家へ相談し。


 訴訟を準備する。


 昔の制度が、


 国民にとってどれだけ厳しかったか。


 数字だけでは分からなかった。


「所長」


「何だ」


「昔の行政裁判って」


「うん」


「本当に入口が狭いですね」


「そうだな」


「期間短い」


「うん」


「訴訟類型少ない」


「うん」


「被告も分かりにくい」


「うん」


「仮の救済も限られる」


「うん」


「それでも」


 私は少し考えました。


「道があるのとないのでは、全然違う」


 所長がこちらを見ました。


「そうだ」


 裁判にならなかった。


 早川さんの事件は。


 市役所が処分を見直した。


 でも。


 もし行政事件訴訟という道がなかったら。


 裁判所に持っていけないなら。


 役所は、


 自分の処分が司法審査に耐えられるか。


 考える必要がない。


「裁判所に行かなかった事件でも」


 私は言いました。


「裁判制度が効いてたんですね」


「そうだ」


「それが法治国家ってやつですか」


 片桐所長は少しだけ考えました。


「大げさに言えばな」


「所長が認めた」


 相馬先輩が笑います。


 その時。


 事務所の電話が鳴りました。


「はい、片桐行政書士事務所です」


 私が取ります。


『早川だ!』


「源治さん」


『昆布、食ったか!』


「まだです」


『何でだ!』


「仕事中だからです!」


『煮干しも持ってくぞ!』


「相馬先輩が嫌がります」


『あいつは分かってねえ! あれはいい煮干しだ!』


「そこ裁判で争わないでくださいね」


『何でだ!』


「訴えの利益がありません」


『ある! 俺の煮干しの名誉だ!』


「それは法律上の利益じゃないです!」


 相馬先輩が横から受話器を取ります。


「早川さん」


『おう』


「煮干しはいらねえ」


『何だと!』


「昆布ならいい」


『お前も昆布派か!』


 この事務所。


 行政事件訴訟より、


 昆布派と煮干し派の対立の方が深刻かもしれません。


 電話を切ったあと。


 私はノートを閉じました。


 窓の外はもう暗い。


 あの向こうで。


 明日の朝。


 早川さんはまた店を開けます。


 昆布を並べ。


 煮干しを吊るし。


 客と話す。


 行政事件訴訟法は、


 その店を直接守ったわけではありません。


 判決もない。


 裁判官も出てこない。


 訴状すら出していない。


 でも。


 訴える道がある。


 処分を裁判所で審査してもらえる。


 違法なら取り消される可能性がある。


 その仕組みが、


 役所にもう一度立ち止まらせた。


 法律の言葉は、


 やっぱり冷たい。


 処分性。


 原告適格。


 訴えの利益。


 出訴期間。


 被告適格。


 訴訟類型。


 普通に生きている人が、


 日常会話で口にする言葉ではありません。


 けれど。


 その冷たい言葉が、


 怒っている人の言葉を、


 裁判所まで届く形に変える。


 そして時には。


 裁判所へ行く前に、


 行政自身を立ち止まらせる。


 制度は冷たい。


 だから。


 誰の声が大きいかではなく、


 誰の利益が法的に守られるべきかを見られる。


 私はノートの最後に、


 本当に最後の一行を書きました。


 ――行政訴訟は、怒りを判決に変える前に、怒りを「法的な形」に整える制度。


「こはる」


「はい」


 片桐所長が言いました。


「昆布」


「はい?」


「持って帰れ」


「何で私が」


「味噌汁を作ると言った」


「まだ覚えてたんですか!」


「行政書士の発言には責任を持て」


「まだ行政書士じゃありません!」


「見習いでも同じだ」


「不服です!」


 相馬先輩が笑います。


「裁判しろ」


「します!」


「何訴訟だ」


「……え」


「ほら」


 しまった。


「昆布を持ち帰らされる処分の取消訴訟?」


「処分性あるのか」


「ない気がします」


「原告適格は」


「私本人だから……」


「そもそも行政庁は誰だ」


 私は片桐所長を見る。


「所長」


「違う」


「ですよね!」


「被告適格なし」


「入口で終わった!」


 相馬先輩が腹を抱えて笑いました。


 片桐所長は昆布の箱を私に渡します。


「却下」


「また却下!」


「理由は」


 所長が言います。


「家庭内で味噌汁を作れ」


「それ行政事件じゃないです!」


 行政事件訴訟法。


 どうやら。


 日常生活のすべてを救済してくれる制度ではない。


 そのことだけは、


 完璧に理解できた気がしました。

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