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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政不服審査法

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248/274

[行政不服審査法82条・不服申立てをすべき行政庁等の教示]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 夕方の片桐行政書士事務所には、ときどき昼間より法律がよく見える瞬間があります。


 電話が鳴らない。


 来客もない。


 西日が書棚の背を橙色に染めている。


 そして机の上には。


「……先輩」


「何だ」


「最後の一個、食べましたね」


「何の話だ」


「早川さんのコロッケです」


「知らんな」


「口元にパン粉ついてますよ」


 相馬先輩が無言で口元を拭いました。


「証拠隠滅」


「うるせえ」


 事件は解決しました。


 少なくとも、早川澄江さんが来週いきなり『おかずの早川』を閉めなければならない事態は避けられた。


 市は仮設店舗の使用許可取消しを見直し。


 早川さんの使用継続を認め。


 さらに、取消通知の様式そのものに教示欄がなかったことまで判明しました。


 ほかの二店舗についても同じ。


 つまり。


 役所のミスは、一枚の紙だけではなかった。


 様式として増殖していた。


 役所のコピー機。


 仕事は早い。


 間違いまで高速複製するのが玉にきずです。


 私はノートを開きました。


 今日の見出し。


 ――旧行政不服審査法第五十七条。


 その横に、小さく書きます。


 現代法なら第八十二条。


「先輩」


「今度は何だ」


「今日は教示です」


「勝手にやれ」


「付き合ってください」


「断る」


 奥の机で帳簿を見ていた片桐所長が、顔も上げずに言いました。


「付き合え」


「……はい」


 強い。


 この事務所では所長の一言が最上級審です。


「じゃあ、まず」


 私は鉛筆を持ちました。


「教示って何ですか」


「お前が説明しろ」


 相馬先輩が返します。


「振りましたね」


「勉強会だろ」


「では」


 私はノートに書きました。


 教示。


 ――行政処分を受けた人に対して、その処分に不服がある場合の救済方法を行政庁が知らせること。


「ざっくりしすぎか」


「最初はそれでいい」


 片桐所長が言います。


「ただし、何を知らせるかまで言え」


「はい」


 私は三本、縦線を引きました。


 一つ。


 不服申立てをすることができること。


 二つ。


 不服申立てをすべき行政庁。


 三つ。


 不服申立てをすることができる期間。


「三つ」


 私は丸で囲みます。


「早川さんの通知には、これが全部ありませんでした」


「そうだな」


「だから、早川さんは『もう終わりだ』と思った」


 相馬先輩が煙草を灰皿へ押しつけました。


「制度があっても、知らなきゃ使えねえ」


「そこです」


 私は思わずペン先を机へ向けました。


「まさに今回の核心」


 行政不服審査制度はあります。


 でも。


 一般の人が、


 この処分には異議申立てができます。


 処分庁に出します。


 期間は六十日です。


 なんて当然に知っているわけではありません。


 行政書士受験生なら。


 旧法。


 異議申立て。


 審査請求。


 六十日。


 と呪文みたいに覚える。


 でも。


 早川さんは惣菜屋さんです。


 コロッケを何分揚げれば一番おいしいかは知っている。


 行政不服審査法の不服申立期間なんて知らなくて当たり前です。


「だから」


 私は言いました。


「行政の側に、教える義務を置いている」


「そういうことだ」


 所長が頷きます。


「権利救済を使うための入口を、処分した側が示す」


「自分で処分しといて、自分で争い方まで教える」


 相馬先輩が言いました。


「ある意味、不思議な制度ですね」


「行政は処分する側だからこそ、知らせる責任がある」


 所長の言葉は短い。


 でも。


 すごく腑に落ちます。


 権力を使う側が、


 その権力へ異議を唱える方法まで隠していいわけがない。


 私はノートに書きました。


 ――教示=権利救済への案内標識。


「現場編で早川さん、『逃げ道』って言ってましたね」


「ああ」


「むしろ、あの表現かなり分かりやすいです」


 処分が出る。


 そのままだと壁。


 でも。


 壁の横に、


 不服がある場合はこちら。


 と書いてある。


 そこから異議申立てや審査請求に進める。


 まさに非常口です。


「ただ」


 相馬先輩が言います。


「非常口って言うと、何でもそこから逃げられるみたいに聞こえるぞ」


「確かに」


「教示があったからって、申立てが通るとは限らねえ」


「そこ重要ですね」


 私は大きく、


 教示≠勝訴保証。


 と書きました。


「いや、勝訴じゃないですけど」


「自分で書いといて何言ってんだ」


「不服申立ての認容保証ではない、と」


「最初からそう書け」


 はい。


 教示がある。


 だから不服申立てができる。


 でも。


 申立てたら必ず処分が取り消される。


 という話ではない。


 教示は、


 扉の場所を示す。


 その扉の向こうで勝てるかどうかは別問題。


「早川さんの件でもそうでした」


 私は言いました。


「教示漏れが分かったからって、その瞬間に取消処分が当然なくなったわけじゃない」


「そうだ」


「処分そのものの妥当性は、別途調べた」


「うん」


「第一期工事区域じゃない。取消対象の選定基準も曖昧。比較記録もない」


「そこまで出て、処分自体の見直しに進んだ」


「はい」


 つまり。


 教示の瑕疵。


 処分内容の瑕疵。


 これは分けて考えないといけない。


「ここ試験で混ぜそうです」


「お前なら混ぜる」


「先輩、私への信頼が逆方向」


 でも。


 本当に。


 教示義務違反がある。


 だから処分そのものが当然無効。


 と短絡するのは危険です。


 教示は、救済手続への案内に関する問題。


 一方で処分自体の適法・妥当は別の問題。


 もちろん、教示ミスには救済上の特則が問題になる場合もある。


 でも。


 少なくとも、


 教示がない=処分自体が即消滅。


 ではありません。


「次」


 私は見出しを書きました。


 教示しなければならない場合。


「これも条件があります」


「言ってみろ」


 所長が促します。


「不服申立てをすることができる処分をする場合」


「それだけか」


「いえ」


 私は続けます。


「相手方に対して書面で処分する場合」


「うん」


「なら、書面で教示する」


 今回の早川さん。


 駅前仮設店舗敷地使用許可取消通知書。


 完全に書面。


 しかも。


 不服申立て可能な処分。


「だから教示が必要だった」


「そうだ」


 片桐所長が言いました。


「口頭の場合は?」


「書面での教示義務はありません」


「理由は」


「え」


 一瞬止まる。


 相馬先輩が鼻で笑います。


「講義始めた本人が止まるな」


「考えてます!」


 条文上は。


 処分を口頭でする場合を除く。


 だから、書面処分なら書面教示。


 口頭処分については、この書面教示義務の例外。


「要するに」


 私は言いました。


「書面処分なら、紙を渡すんだから、その紙に救済方法も書ける」


「実務上はそう考えると分かりやすいな」


 所長が頷きます。


「処分書だけ立派に作っておいて、争い方だけ口頭で適当に流すな、と」


「はい」


 今回の役所がまさにそれ。


 処分通知書は立派。


 市長印まである。


 でも裏は真っ白。


 そして窓口では、


 総務課へ相談してください。


 だけ。


「相談と教示は違う」


 私は線を引きました。


 これはかなり重要です。


 総務課へ行ってください。


 窓口で聞いてください。


 不服なら相談できます。


 それだけでは。


 何の制度か分からない。


 どこに正式に申し立てるのか分からない。


 期限も分からない。


 教示とは。


 親切な案内ではなく、


 法定された内容を示すものです。


「じゃあ」


 相馬先輩が言いました。


「『不服がある人は役所へお問い合わせください』って書けばいいのか」


「駄目です」


「何でだ」


「三つ揃ってません」


 私は指を立てます。


「不服申立てできる旨」


「うん」


「申立先」


「うん」


「期間」


「うん」


「この三つ」


「じゃあ、『異議申立てできます。市役所へ。なるべく早く』」


「期間が雑!」


「分かりゃいいだろ」


「駄目です!」


 私は思わず机を叩きました。


「六十日なら六十日と書いてください!」


「お前、急に役所側だな」


「受験生側です!」


 片桐所長が咳払いしました。


「続けろ」


「はい」


 私は次の見出しを書きました。


 ――利害関係人への教示。


「ここ、処分の相手方だけじゃないんですよね」


「そうだ」


 不服申立ての制度で重要なのは。


 処分を直接受けた本人だけではない。


 利害関係人。


 つまり。


 処分によって法律上の利害を受ける人などが、


 この処分、不服申立てできますか。


 どこへ出しますか。


 いつまでですか。


 と教示を求める場合がある。


「その場合」


 私は言いました。


「行政庁は教示しなければならない」


「書面か?」


「そこがポイントです」


 私はノートを二つに分けました。


 処分の相手方。


 書面で処分する場合、書面で教示。


 利害関係人。


 教示を求められた場合に教示。


 さらに。


 利害関係人が書面での教示を求めたなら。


 書面で教示する。


「じゃあ」


 相馬先輩が質問します。


「利害関係人が口頭で聞いて、『口頭でいいです』って言ったら?」


「必ず書面にしなければならないわけではない」


「じゃあ書面でくれって言ったら?」


「書面で教示」


「相手方の場合は?」


「書面処分なら原則書面で教示」


「よし」


「急に試験官ですね」


「引っかかりそうだからな」


 悔しいけれど、そのとおりです。


 教示の問題は。


 誰に。


 いつ。


 どんな方法で。


 何を。


 この四つを切り分けないと混乱します。


 私は表にしました。


 相手方。


 書面処分。


 書面で教示。


 利害関係人。


 求めがあったら教示。


 その人が書面を求めたら書面。


「一枚の表にすると眠くなりますね」


「お前、勉強向いてねえな」


「現場がないと法律が寝るんです」


 でも。


 早川さんを思い出せば、違います。


 あの人は通知書を持って、


 もう終わりだと思っていた。


 もし裏面に、


 この処分には異議申立てができます。


 申立先は○○です。


 期間は○○です。


 と書いてあれば。


 少なくとも。


 何をすればいいんでしょう。


 からは始まらなかった。


 制度があることを知った状態で、相談できた。


「教示って」


 私は呟きました。


「手続法の中では地味ですけど、結構大事ですね」


「地味なところほど事故る」


 所長が言いました。


 私は顔を上げます。


「どういう意味です?」


「許可するか、しないか。取消すか。そういう本体は皆気をつける」


「はい」


「だが、理由。教示。送達。期間。そういう周辺を軽く見る」


「なるほど」


「そして、そこから崩れる」


 今回も。


 取消処分そのものだけを見ていたら。


 再整備のためです。


 市に裁量があります。


 仮設店舗です。


 で押し切られていたかもしれない。


 でも。


 通知書の裏を見た。


 教示がない。


 そこから様式そのものを確認した。


 すると。


 法務確認も甘い。


 処分記録も見直す。


 取消対象の選定基準も曖昧。


 結局。


 一つの小さな欠落から。


 処分全体の雑さが見えた。


「だから沢渡課長が言ったんですね」


「何て」


「こういう基本事項が抜けるときは、だいたい他にも何か抜けてるって」


「経験則だろ」


「怖い経験則です」


 でも。


 すごく実務っぽい。


 私は次の見出しを書きます。


 ――旧法と現代法。


「来ました」


「何がだ」


 相馬先輩が嫌そうな顔。


「私の時代錯誤ゾーンです」


 昭和六十三年。


 今ここで使っているのは旧行政不服審査法。


 今回の教示は、旧法第五十七条。


 一方。


 現代。


 令和の行政不服審査法では第八十二条。


 そして。


 制度の中身そのものも大きく変わっています。


 私は二列にしました。


 旧法。


 審査請求。


 異議申立て。


 基本的に二本立て。


 現代法。


 原則として審査請求に一本化。


「早川さんの事件では、処分庁が市長」


「うん」


「その上に上級行政庁がない」


「うん」


「だから、この時代なら異議申立て」


「そうだ」


「でも現代なら」


 私は一瞬だけ言葉を選びます。


「原則として審査請求」


「名前が変わっただけか?」


 相馬先輩が聞きます。


「そこが違います」


 私はちょっと身を乗り出しました。


「単なる看板の掛け替えじゃない」


 旧法。


 異議申立て。


 処分庁自身が、もう一度判断する。


 早川さんも言いました。


 決めた人に、自分で見直してもらうんですか。


 と。


「これ」


 私は言いました。


「利用者からすると、かなり不安ですよね」


「まあな」


「あなたが出した処分はおかしい、と、その本人に申し立てる」


「行政が自己修正できる利点はある」


 所長が言います。


「はい」


「処分経緯も分かっている。記録も近い。迅速に直せる場合もある」


「そこは利点」


「だが」


「公正さへの疑念は残る」


 私が続けました。


 だから。


 現代法では原則審査請求へ一本化。


 さらに。


 審理員制度。


 原処分に関与していない職員が審理を担当する仕組み。


 加えて。


 一定の場合には行政不服審査会等への諮問。


「それ、今あるのか」


 相馬先輩が聞きます。


「未来には」


「今は?」


「ありません」


「なら今使うな」


「はい」


 毎回これです。


 未来人。


 未来法を知っている。


 でも。


 昭和の事件には何の役にも立たないことがある。


 むしろ混乱要因。


「でも」


 私は言いました。


「旧法の現場を見ると、改正理由が分かります」


「どういう意味だ」


「早川さんが『決めた人に申し立てるんですか』って驚いたでしょう」


「ああ」


「あの違和感」


 私はノートに書きます。


 旧法の課題。


 不服申立ての種類が分かりにくい。


 異議申立てと審査請求が併存。


 処分庁自身が見直す構造への公正性の懸念。


 現代法。


 原則一本化。


 審理員制度。


 公正性・透明性の強化。


「制度改正って」


 私は呟きます。


「昔の使いにくさへの回答なんですね」


「そりゃそうだろ」


 相馬先輩が言います。


「受験生を困らせるために法律変えるわけじゃねえ」


「分かってますけど!」


 本当に。


 改正年表だけ暗記していると。


 平成二十六年全部改正。


 平成二十八年施行。


 異議申立て廃止。


 審理員制度。


 と単語の列になる。


 でも。


 昭和六十三年に立ってみると。


 なぜ変えたのか。


 が見える。


 処分庁自身へ申し立てる異議申立て。


 制度が二本立てで分かりにくい。


 だから現代法は整理された。


「そして教示も重要になりますね」


「なぜだ」


「制度が複雑なら、なおさら行政側が正確に案内しないといけないから」


「そうだ」


 処分を受けた人に、


 法律を読め。


 条文番号を探せ。


 上級行政庁があるか調べろ。


 異議申立てか審査請求か自分で判断しろ。


 六十日の起算点も計算しろ。


 そんなことを全部要求したら。


 救済制度は、


 知識のある人しか使えない秘密の通路になります。


 それを防ぐのが教示。


 私は赤線を引きました。


 ――制度が複雑だからこそ、教示が救済の入口になる。


「次」


 私は嫌な見出しを書きました。


 申立期間。


「来たな」


 相馬先輩が笑います。


「笑わないでください」


「昨日も三か月って言いかけてただろ」


「今回は飲み込みました!」


「顔に出てたぞ」


「またですか!」


 私は太字にする勢いで書きます。


 昭和六十三年。


 旧法。


 原則六十日。


 現代法。


 原則三か月。


「これ」


 私は深くため息をつきました。


「転生者泣かせです」


「だから時代を見ろ」


「はい」


 早川さんは処分通知を受けて四日。


 だから間に合った。


 でも。


 もし教示がなく。


 何の手続があるかも知らず。


 二か月以上たってから行政書士事務所へ来ていたら。


 かなり厄介だった。


 教示義務というのは。


 単に親切のためではない。


 期間制限のある制度だからこそ重要です。


「期限を知らないまま期限切れ」


 私は言いました。


「一番きついですね」


「役所の紙を引き出しに入れたままにする人もいるからな」


「ありますよね」


「意味が分からねえから後回し」


「そして気づいた頃には」


「期間経過」


 怖い。


 法律には、


 知らなかった。


 忙しかった。


 難しかった。


 だけでは救えない場面があります。


 だから。


 最初に道を示す。


 いつまで、と明記する。


「教示の三要素のうち」


 私は言いました。


「期間って、かなり重要ですね」


「全部重要だ」


「はい」


「申立先を間違えても困る」


「あ」


「制度を知らなくても困る」


「はい」


「期間を知らなくても困る」


「つまり三つとも欠けちゃ駄目」


「そういうことだ」


 私はノートに三角形を描きました。


 できる。


 どこへ。


 いつまで。


 この三つ。


「妙に覚えやすい」


「最初からそう覚えろ」


 次。


 私は少し迷ってから書きました。


 ――教示を誤ったらどうなる?


「ここ深掘りします?」


 相馬先輩が聞きます。


「法理編なので少しだけ」


 教示がない。


 誤った行政庁を教えた。


 誤った期間を教えた。


 こういう場合。


 法律は、ただ、


 役所が間違えました。残念でした。


 では終わらせない。


 誤った教示を信頼して行動した人を保護するための規定が置かれている。


「ただし」


 私は所長を見る。


「細部はその条文の回に回したほうがいいですよね」


「そうしろ」


「今日は教示制度の基本」


「うん」


 なので。


 ここでは一つだけ。


 教示は単なる行政サービスではない。


 救済制度と結びつく法的な仕組み。


 だから。


 誤教示や教示欠缺があれば、


 不服申立人を守るための問題が出てくる。


 そう覚えておく。


「親切案内じゃない」


 私は囲みました。


 ――法的義務。


 相馬先輩が言います。


「お前、教示って最初何だと思ってた」


「受験生のころですか?」


「ああ」


「処分通知の最後に書いてある、なんか長い注意書き」


「最悪だな」


「反省してます!」


 でも。


 そうなんです。


 受験生の頃。


 不服申立てについては○○行政庁に対し○日以内に――。


 あの部分。


 なんとなく定型文に見えていた。


 契約書の末尾。


 家電の説明書。


 薬の注意書き。


 読む人が少なそうな場所。


 でも。


 早川さんにとっては。


 あそこが、


 自分にもまだ何かできる。


 と知る場所だった。


 抜けていれば、


 処分通知は一方通行。


 書かれていれば、


 そこから救済手続へつながる。


「文章一つで」


 私は呟きました。


「紙の意味が変わるんですね」


 片桐所長が帳簿を閉じます。


「処分書には二つの顔がある」


「二つ?」


「行政の結論を伝える顔」


「はい」


「それに不服がある場合の道を伝える顔」


 あ。


 いい言葉。


 私はすぐノートに書きました。


「勝手に書くな」


「名言なので」


「名言じゃない」


「では実務メモです」


 処分書。


 一方では、


 あなたの申請を不許可とします。


 あなたの許可を取り消します。


 あなたにこれを命じます。


 と行政の結論を伝える。


 でも同時に。


 その結論に納得できないなら、


 争う方法があります。


 と知らせる。


 権力を行使する紙と。


 権力に対抗する道を知らせる紙。


 同じ一枚の中に両方がある。


「結構すごい構造ですね」


「法律はそうやって均衡を取る」


 所長が言いました。


「行政に権限を与える」


「はい」


「同時に、手続で縛る」


「はい」


「救済の道も用意する」


 条文は冷たい。


 でも。


 冷たいから、


 行政側にも淡々と義務を課せる。


 かわいそうだから教えてあげなさい。


 ではない。


 教示しなければならない。


 そう書く。


 誰が担当でも。


 相手が怒鳴る人でも。


 静かな惣菜屋さんでも。


 同じ。


「制度の冷たさが人を救う」


 私は呟きました。


「また難しい顔してるぞ」


 相馬先輩が言います。


「考えてるんです」


「腹減ったんだろ」


「それもあります」


 私は最後のページへ進みました。


 試験注意点。


 ここはまとめます。


 一。


 教示すべき内容は三つ。


 不服申立てできる旨。


 申立先。


 申立期間。


 二。


 処分の相手方には、書面で処分するなら書面教示。


 三。


 利害関係人は、求めがあった場合に教示。


 その際、書面を求められたら書面。


 四。


 昭和六十三年は旧法。


 異議申立て・審査請求の二本立て。


 早川さんの件では、上級行政庁がない市長処分なので異議申立て。


 五。


 旧法の期間は原則六十日。


 現代は原則三か月。


 六。


 現代の審理員制度や行政不服審査会は、この時代にはない。


 七。


 教示漏れがあることと、処分本体の違法・不当は分けて考える。


「七個もあります」


「一行の覚え書きはどうした」


 相馬先輩に言われました。


「今からです」


 私は少し考えました。


 そして書きます。


 ――教示は、「争える・どこへ・いつまで」を行政が示す、救済への入口。


「長い」


「内容全部入れようとするとこうなります」


「もっと削れ」


「では」


 私はその下に書きました。


 ――教示は、争う権利を“使える権利”にする道案内。


 相馬先輩が少し黙りました。


「どうです?」


「まあ」


「まあ?」


「悪くねえ」


「褒めた」


「気のせいだ」


 出ました。


 この事務所の万能逃走経路。


 気のせい。


 私はノートを閉じようとして。


 ふと。


 昨日の早川さんの顔を思い出しました。


 最初に事務所へ来たとき。


 彼女は、


 何をしたらいいんでしょう。


 と言った。


 法律上の主張以前。


 証拠以前。


 期間以前。


 そもそも、


 争っていい。


 ということを知らなかった。


 その人へ。


 あなたにも、ここから先の道があります。


 と伝える。


 教示という制度は。


 そんな小さな仕事です。


 処分そのものを取り消す制度じゃない。


 行政に勝たせてくれる制度でもない。


 紙の下のほうに数行増えるだけ。


 でも。


 その数行がなければ。


 人によっては、


 そこですべてが終わってしまう。


 行政不服審査法は、


 不服を持った人を自動的に救ってくれる法律ではありません。


 申立てなければ始まらない。


 そして。


 申立てるには、


 その制度があることを知らなければならない。


 だから。


 処分した行政自身に、


 入口を隠すな。


 と命じる。


 そこが面白い。


 行政権に対する救済制度なのに。


 その救済制度への案内役まで行政にやらせる。


 ちょっと皮肉です。


 でも。


 その皮肉こそ、制度として健全なのかもしれません。


「こはる」


 片桐所長が言いました。


「終わったか」


「はい」


「じゃあ帰れ」


「あ」


「何だ」


 私は机を見ました。


 早川さんのコロッケが入っていた紙袋。


 完全に空です。


「先輩」


「何だ」


「私、一個しか食べてません」


「知らんな」


「所長は?」


「二個」


 片桐所長が即答しました。


「え?」


 計算します。


 早川さんが持ってきたのは六個。


 私一個。


 所長二個。


 残り三個。


 私はゆっくり相馬先輩を見ました。


「三個食べましたね」


「証拠は?」


「消去法です」


「推測だな」


「数学です」


「行政法じゃねえ」


「論点をずらさないでください!」


 片桐所長が立ち上がりました。


「不服があるなら申し立てろ」


「出た」


 私はすぐ乗ります。


「では教示してください」


「何をだ」


「一、申立てできる旨」


「できる」


「二、申立先」


 所長が相馬先輩を指しました。


「本人」


「旧法方式!」


「三、申立期間」


「六十秒」


「短い!」


 相馬先輩が笑います。


「急げ。もう五十秒だ」


「えっ、待って!」


 私は慌てて紙を一枚引っ張り出しました。


「異議申立人、朝比奈こはる!」


「四十五秒」


「処分庁、相馬誠司!」


「四十秒」


「処分内容、コロッケ三個の不当取得!」


「三十五秒」


「申立ての趣旨――」


「却下」


「まだ書いてます!」


 片桐所長が時計を見ました。


「簡易迅速だ」


「だから公正が抜けてますって!」


「教示はした」


「内容がむちゃくちゃです!」


 私は笑いながら鉛筆を置きました。


 たぶん。


 行政不服審査法の教示制度がこの事務所に本当に導入されたら。


 最初に是正勧告を受けるのは、


 役所ではなく片桐行政書士事務所かもしれません。


 でも。


 今日はもう一つだけ覚えて帰ります。


 権利は。


 法律の中に書いてあるだけでは、まだ遠い。


 誰が使えるのか。


 どこへ行けばいいのか。


 いつまでなのか。


 そこまで届いて初めて。


 人の手に取れる権利になる。


 だから教示は。


 ただの注意書きじゃない。


 行政が閉めた扉の横に、


 もう一つの扉をちゃんと示すための制度なのです。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

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