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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政不服審査法

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247/274

[行政不服審査法82条・不服申立てをすべき行政庁等の教示]現場編 「不服があるなら役所に聞いてください」の嘘。争えること・申立先・期限まで示して初めて、救済の入口になる

挿絵(By みてみん)

 出口のない迷路より厄介なのは、出口があるのに、その場所を教えてもらえない迷路です。


 しかも。


 役所という迷路には、ときどき期限までついています。


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


 その日の朝、私は一枚の処分通知書を見ながら、盛大に首をかしげていました。


「先輩」


「何だ」


「これ、不親切じゃないですか」


「役所の通知書に親切心を求めるな」


「行政への偏見が年季入りすぎです」


 相馬先輩は煙草に火をつけながら、私の手元を覗き込みました。


 紙の一番上には、


 ――駅前仮設店舗敷地使用許可取消通知書。


 とあります。


 処分の相手方は、


 早川澄江、五十九歳。


 駅前で小さな惣菜屋を営んでいる女性でした。


 店の名前は『おかずの早川』。


 コロッケ。


 きんぴら。


 卯の花。


 煮豆。


 夕方になると、仕事帰りの人が晩ご飯のおかずを買っていく。


 店そのものは古い木造の建物でしたが、駅前再整備のため去年取り壊されました。


 その代わり。


 市が駅裏の公共用地に仮設店舗を並べ、再整備が終わるまでの間、何軒かの商店に使用を認めていたのです。


 ところが。


 早川さんだけ、突然その許可を取り消された。


 理由。


 ――駅前再整備事業の円滑な推進及び仮設店舗用地の適正な管理のため。


 以上。


「適正な管理」


 私は呟きました。


「便利な日本語ですねえ」


「役所の文章なんざ、だいたい便利にできてんだよ」


「便利っていうか、何も分からない」


 そのとき。


「すみません」


 向かい側から、細い声がしました。


 私は慌てて顔を上げました。


 相談者本人、早川澄江さんです。


 紺色のエプロンを畳んで膝の上に置き、両手でぎゅっと押さえていました。


「あの」


「はい」


「私、何をしたらいいんでしょう」


 その言い方が妙に胸に残りました。


 何が違法なんでしょう。


 どう争えばいいんでしょう。


 ではありません。


 何をしたらいいんでしょう。


 つまり。


 入口そのものが見えていない。


「市役所には聞きました?」


 私が尋ねると、早川さんは頷きました。


「昨日、商工観光課へ」


「何て?」


「担当の人に、『納得できないなら総務課へ相談してください』って」


「それだけ?」


「はい」


「この通知書を見せて?」


「見せました」


「不服申立ての話は?」


「ふふく……?」


 早川さんが困った顔をします。


 私は通知書をもう一度見ました。


 表。


 処分内容。


 理由。


 市長印。


 日付。


 裏。


 真っ白。


「……ない」


 私は言いました。


「何がだ」


 相馬先輩が聞きます。


「教示です」


「きょうじ?」


 早川さんが首をかしげました。


「あ、宗教じゃありません」


「誰も言ってねえよ」


 相馬先輩が突っ込みます。


 危ない。


 行政法の単語というものは、一般人の前に出すと突然よそ行きの顔をします。


「簡単に言うと」


 私は早川さんへ向き直りました。


「この処分に納得できないなら、どこへ、いつまでに、どういう不服申立てができるのか。それを役所側が教える仕組みです」


「そんなのがあるんですか」


「あります」


 そう。


 あります。


 現代なら。


 行政不服審査法第八十二条。


 私は頭の中で条文番号を出しかけて――。


 止まりました。


 待って。


 ここ、昭和六十三年。


「……八十二条じゃない」


「何だ?」


 相馬先輩がこちらを見る。


「いえ。未来の話です」


「朝から寝ぼけてんな」


「寝ぼけてません。時代を間違えただけです」


「それを寝ぼけてるって言うんだよ」


 違います。


 もっと深刻です。


 転生者特有の法改正事故です。


 今は旧行政不服審査法。


 現代の八十二条じゃない。


 この時代なら――第五十七条。


 審査庁等の教示。


 名前は違っても、骨格はよく似ています。


 不服申立てをすることができる処分を、書面でする。


 なら。


 処分の相手方に対して、


 不服申立てができること。


 どの行政庁へ申し立てるのか。


 いつまで申し立てられるのか。


 それを、書面で教える。


 ところが。


 早川さんの通知書には、


 きれいさっぱり何もありません。


「所長」


 私は通知書を片桐所長へ差し出しました。


 所長は黙って読む。


 表。


 裏。


 もう一度、表。


「ないな」


「ですよね」


「何がないんですか」


 早川さんが不安そうに聞きます。


 片桐所長は通知書を机へ置きました。


「出口の案内です」


「出口……」


「この処分に不服がある場合、どう争えるか。その案内がありません」


 早川さんは紙を見ました。


 しばらく黙ってから。


「私」


 ぽつりと言いました。


「こういう紙をもらったら、もう終わりだと思ってました」


 それです。


 教示が必要な理由。


 行政不服審査法なんて、普通に暮らしている人が全員知っているわけじゃない。


 審査請求。


 異議申立て。


 上級行政庁。


 申立期間。


 そんな言葉を、スーパーの特売日みたいに把握している人間のほうが珍しい。


 だから制度の側が、


 道を教える。


「届いたのはいつです?」


 相馬先輩が聞きました。


「四日前です」


「よし」


 短い。


「何がよしなんですか?」


「期間だ」


「あ」


 私は反射的に言いそうになりました。


 三か――。


 飲み込む。


 危ない。


 現代なら原則三か月。


 ここは昭和六十三年。


 旧法。


 六十日。


 私は頭の中で、現代法の三か月という数字を力いっぱい押し戻しました。


 未来知識。


 便利。


 ただし鮮度管理を間違えると毒。


「まだ十分動けます」


 私は言いました。


 早川さんが胸を押さえます。


「よかった……」


 まだ何も勝っていません。


 でも。


 期限内。


 それだけで、人はこんな顔をする。


「それで」


 相馬先輩が通知書を指で叩きました。


「処分庁は市長だ」


「はい」


「上は?」


 私は考えます。


 市長の上級行政庁。


「……ない」


「なら?」


 出ました。


 昭和行政法クイズ。


 私は答えます。


「この場合、旧法では処分庁に対する異議申立てを検討する」


「そうだ」


 早川さんが、おそるおそる手を上げました。


「あの」


「はい」


「異議って、市長さんに言うんですか」


「ざっくり言えば、そういうことです」


「決めた人に?」


「そうです」


「自分で決めたものを、自分で見直すんですか」


 沈黙。


「……そこなんですよね」


「こはる」


 片桐所長の声。


「はい」


「余計な感想を足すな」


「すみません」


 でも。


 早川さんの疑問はものすごく正しい。


 旧法の異議申立て。


 処分庁自身に見直しを求める。


 現代の私は、


 審査請求へ原則一本化。


 審理員。


 行政不服審査会。


 そんな制度を知っています。


 だから余計に、


 うわあ、旧法だ。


 と感じてしまう。


 ただ。


 今使えるのは、今ある制度です。


 タイムマシンより条文。


 これが昭和六十三年を生きる行政書士見習いの現実です。


「それにしても」


 私は通知書を見ました。


「どうして教示がないんでしょう」


「役所に聞くぞ」


 相馬先輩が立ち上がりました。


「また早い」


「紙だけ睨んでても、担当者の頭ん中までは読めねえ」


 また正論。


 悔しい。


 片桐所長も立ち上がります。


「早川さん」


「はい」


「まず事実を確認します」


「取り消しを戻してもらえますか」


 所長は一拍置きました。


「そこまでは約束できません」


 早川さんの顔が少し曇る。


 でも所長は続けました。


「ただ、争う道まで消えているわけではありません」


 その言葉だけで。


 早川さんは、小さく頷きました。


 市役所二階。


 総務課。


 そこには今日も、


 役所という巨大生物の免疫細胞みたいな人がいました。


「またですか」


 沢渡課長。


 灰色の背広。


 細い眼鏡。


 机の上は整然。


 表情も整然。


 たぶん家の冷蔵庫の中まで整然としている。


「早川澄江さん」


 相馬先輩が通知書を置きました。


「駅前仮設店舗の使用許可取消し」


「ああ」


 沢渡課長は一目見て言いました。


「再整備の関係ですね」


「この通知」


 相馬先輩が言います。


「教示がない」


 一瞬。


 本当にほんの一瞬だけ。


 沢渡課長の目が止まりました。


 私は見逃しませんでした。


 この人は、怒鳴っても動かない。


 泣いても動かない。


 でも。


 法的な部品が一個欠けているときだけ、


 目が止まる。


「確認します」


 沢渡課長が通知書を手に取ります。


 裏返す。


「……ありませんね」


「ですよね」


 私が言いました。


「昨日、ご本人が商工観光課へ行ってます」


「聞いています」


「そのときは?」


「総務課へ相談するよう案内したとのことです」


「相談?」


「ええ」


「それで教示したことになるんですか」


 沢渡課長が私を見ました。


「何を言いたいんです」


「『不満なら総務課へ』だけじゃ、何の手続ができるか分かりません」


「朝比奈」


 相馬先輩が言います。


「論点で喋るな」


「今回は論点そのものが案内不足なんですよ!」


「本人に分かる言葉にしろって意味だ」


「なるほど」


 翻訳します。


「課長」


「はい」


「早川さんは、この紙を見て『もう終わりだ』と思ったんです」


 沢渡課長が黙ります。


「役所に逆らう方法があるなんて知らなかった」


「……」


「昨日役所へ来ても、『総務課へ相談してください』と言われただけ」


「……」


「不服申立てができるのか。どこへ出すのか。いつまでなのか。何一つ分からないままです」


 私は通知書を指しました。


「それを教えるのが、教示じゃないんですか」


 沢渡課長は眼鏡を直しました。


「旧行政不服審査法第五十七条ですね」


「はい」


 やっぱり知ってる。


 当然だけど。


「この処分が不服申立ての対象になるなら」


 私は続けました。


「書面で処分した相手方には、書面で教示する」


「そうですね」


「内容は」


 私は指を一本立てます。


「不服申立てができること」


 二本目。


「どの行政庁へ申し立てるのか」


 三本目。


「申立てができる期間」


「……そうです」


「三つですよね」


「三つです」


 よし。


 空気が変わった。


 さっきまで、


 取り消しました。


 再整備です。


 管理上必要です。


 で終われた話が、


 行政側自身の手続の話になった。


「担当課は」


 沢渡課長が言いました。


「この取消しを、仮設店舗の管理上の措置として処理した可能性があります」


「つまり?」


「不服申立ての対象となる処分だという認識が薄かった」


 相馬先輩が鼻で笑います。


「名前を何て付けようが、実質は見ろよ」


「そこは確認します」


「許可を取り消して、明け渡せって言ってんだろ」


「ええ」


「早川さんの地位を一方的に変えてる」


「その点は否定しません」


 沢渡課長の返事が少し硬くなりました。


 私はそこで、もう一つ気になっていたことを聞きます。


「課長」


「何でしょう」


「早川さんだけなんですか」


「何がです」


「取消しになった仮設店舗」


 間。


「……三店舗です」


「三?」


「はい」


「ほかの二店舗も同じ通知ですか」


「確認していません」


「教示なし?」


「現時点では答えられません」


 相馬先輩と目が合いました。


 来た。


 一本の糸を引いたら、


 壁紙ごと剥がれ始めるやつです。


「この通知書」


 片桐所長が初めて口を開きました。


「様式は誰が作った」


 沢渡課長の視線が所長へ移ります。


「商工観光課です」


「法務確認は」


「……通っていないかもしれません」


「かもしれない?」


「確認します」


「同じ様式を使った処分を全部確認したほうがいい」


「そうですね」


 沢渡課長は、あっさり言いました。


 相馬先輩が少し意外そうな顔をする。


「認めるの早いな」


「事実なら直すだけです」


 沢渡課長は通知書を机へ置きました。


「感情論なら付き合いません」


「知ってるよ」


「ですが、法定の教示事項が欠けているなら別です」


 この人。


 本当にドライです。


 でも。


 だから話が早い。


「早川さんの処分については」


 沢渡課長が続けます。


「本日中に担当課へ確認させます。不服申立ての方法についても、正式に書面を出させましょう」


「取消処分そのものは?」


 相馬先輩が聞きます。


「それは別問題です」


 ぴしゃり。


「ですよねえ」


 私は呟きました。


「教示が抜けていたからといって、処分の中身まで当然に消えるわけじゃない」


 沢渡課長が私を見る。


「分かっているじゃないですか」


「受験生ですから」


「見習いでしょう」


「両方です」


「意味が分かりません」


 説明すると長くなるのでやめておきます。


「ただし」


 沢渡課長が続けました。


「処分の内容についても再確認します」


「なぜです?」


「仮設店舗の取消基準と、実際の対象店舗の選定が一致しているか確認する必要が出ました」


 お。


「教示漏れから、そこまで?」


「手続の確認をすれば、その前提となった処分記録も見ることになります」


「なるほど」


「それに」


 沢渡課長は通知書の日付を見ました。


「こういう基本事項が抜けるときは、だいたい他にも何か抜けています」


 役所側の人が言うと重い。


「名言ですね」


「経験則です」


 午後。


 私たちは早川さんの仮設店舗へ向かいました。


 駅裏。


 プレハブの店舗が六軒。


 そのうち一軒が『おかずの早川』。


 店先から、揚げ物の匂いがします。


「いらっしゃ――」


 早川さんが顔を出し、私たちだと気づきました。


「どうでした?」


「まず」


 私は言いました。


「不服申立てができる手続について、市から正式に書面で案内してもらえることになりました」


「書面で?」


「はい」


「どこへ出すかも?」


「はい」


「いつまでかも?」


「全部です」


 早川さんは何度も頷きました。


「よかった……」


 そこで私は、少しだけ迷いました。


 でも。


 期待させすぎないように言う。


「ただし、教示がなかったからといって、取消しが自動的になくなるわけではありません」


「ああ……」


「処分の中身は中身で争います」


「そうなんですね」


「でも」


 相馬先輩が横から言いました。


「少なくとも、何していいか分からねえ状態は終わりだ」


 早川さんが顔を上げます。


「はい」


「期間もまだある」


「はい」


「なら、材料集めるぞ」


「材料?」


「何であんただけ取消しになったか、だ」


 それから。


 私たちは店の状況を聞きました。


 仮設店舗の使用条件。


 営業時間。


 衛生管理。


 通路への荷物のはみ出し。


 家賃の支払い。


 市から注意を受けたことがあるか。


 すると。


「注意?」


 早川さんが考え込みました。


「一度だけ」


「何です?」


「店の前に箱を置いたことがあって」


「いつ?」


「去年の暮れです」


「その後は?」


「すぐ片付けました」


「書面で注意された?」


「いいえ。担当の人に言われただけ」


 そこへ。


 隣の金物屋の主人が顔を出しました。


「早川さん、今日は役所の人か?」


「違う違う。行政書士さん」


「おお」


 なぜか私まで行政書士に昇格しました。


 まだ見習いです。


「早川さんだけ出されるって?」


「そうなの」


「変だな」


 主人が腕を組みます。


「何がです?」


 私が聞くと、金物屋さんは駅前のほうを指しました。


「あそこの仮店舗、来月道路工事するだろ」


「はい」


「早川さんとこ、工事区域じゃねえぞ」


「え?」


「最初に出るのは反対側の三軒だ」


 相馬先輩が目を細めました。


「図面、見たのか?」


「商店会の説明会で配ったじゃねえか」


「持ってる?」


「あるぞ」


 三分後。


 私たちは色あせた工事図面を囲んでいました。


 第一期工事区域。


 仮設店舗のうち、


 三軒が移転対象。


 でも。


『おかずの早川』は、


 区域の外。


「……先輩」


「ああ」


「嫌な予感しますね」


「役所にとってな」


 いい言い方しますね。


 翌朝。


 沢渡課長から電話が入りました。


「片桐先生をお願いします」


 私が受話器を取っていたので、そのまま所長へ渡そうとすると。


『朝比奈さんでも結構です』


「私で?」


『昨日の件です』


 私は姿勢を正しました。


「はい」


『確認しました』


「どうでした?」


『まず教示について』


「はい」


『商工観光課が作成した取消通知の様式に、教示欄そのものがありませんでした』


「……様式に?」


『ええ』


「ということは」


『今回だけではありません』


 来た。


『過去に同じ様式を使用した処分についても確認します』


「ほかの二店舗も?」


『教示されていませんでした』


 私は額を押さえました。


 一人の担当者が書き忘れた。


 ではない。


 最初から様式に存在していなかった。


 行政という組織の怖さは、


 間違いを一回すると、


 コピー機が忠実に増殖させてくれるところです。


「処分の内容は?」


『それも問題がありました』


「やっぱり」


『早川さんの店舗は、第一期工事区域には含まれていません』


「はい」


『担当課は、最終的には全仮設店舗を撤去する予定であることから、先行して三店舗の許可を取り消しました』


「その三店舗の選び方は?」


 少し間。


『明確な基準がありませんでした』


 私は黙りました。


『駅前再整備への影響、過去の注意歴、移転のしやすさなどを総合的に判断した、と担当者は説明しています』


「でも早川さん、注意は去年の箱一回だけです」


『把握しています』


「しかもすぐ是正した」


『それも確認しました』


「隣の店舗には?」


『今回、比較検討した記録がありません』


 はい。


 来ました。


 教示を確認しただけなのに、


 奥の部屋から裁量判断の雑さまで出てきました。


「結論は?」


『取消処分をいったん見直します』


「取り消すんですか」


『そこは市長決裁前です』


「なるほど」


『少なくとも、現状のまま明け渡しを求めることは止めます』


 思わず机を叩きそうになりました。


 危ない。


 電話口でガッツポーズは、行政書士事務所の品位にかかわります。


 たぶん。


『朝比奈さん』


「はい」


『昨日、あなたが言ったことですが』


「どれです?」


『出口の案内がない、という話です』


「ああ」


『あれは正しいですね』


 私は少し驚きました。


「課長が認めるんですか」


『認めるべきものは認めます』


「潔い」


『褒めても何も出ません』


「役所ですもんね」


『それに』


 沢渡課長の声が少し低くなりました。


『教示というのは、処分した側にとっては余計な一文に見えることがあります』


「はい」


『自分の処分に対して、ここから争えますよ、と案内するわけですから』


「確かに」


『しかし、それを省けば、処分を受けた側は“もう終わりだ”と思う』


 昨日の早川さんの言葉。


 私は思い出しました。


『それでは不服申立制度があっても、知らない人には存在しないのと同じです』


「……ですね」


『今回は、こちらの手落ちです』


 電話が切れました。


 私はしばらく受話器を見ました。


「何だって?」


 相馬先輩が聞きます。


「処分を見直すそうです」


「ほう」


「早川さんの店、第一期工事区域じゃなかった」


「やっぱりな」


「それと、取消し対象を選んだ明確な基準も記録もなかったそうです」


「雑だな」


「あと」


「何だ」


「教示漏れ、ほかにもありました」


 相馬先輩が眉を上げます。


「何件」


「調査中」


「……役所、今日忙しいな」


「私たちのせいですかね」


「違う」


 奥から片桐所長の声。


「自分で作った仕事だ」


 短い。


 そして痛い。


 数日後。


 早川さんの取消処分は撤回されました。


 正確には。


 市が改めて仮設店舗の整理基準を決めるまで、


 現在の使用を継続させることになったのです。


 永久ではありません。


 駅前再整備も止まりません。


 いつか移転は必要になる。


 でも。


 理由のよく分からない一枚の通知で、


 来週店を畳む必要はなくなりました。


「本当に、まだ続けていいんですか」


 早川さんは何度も聞きました。


「はい」


「急に出なくていい?」


「はい」


「来月も?」


「今のところは」


 早川さんは、


「よかったあ」


 と息を吐きました。


 それから。


「先生たちに」


 と言って、大きな紙袋を机へ載せました。


 嫌な予感。


 いや。


 いい予感。


「コロッケです」


「おお」


 相馬先輩が一番早く反応しました。


「先輩、顔」


「何だ」


「嬉しそう」


「気のせいだ」


 紙袋を開けると、まだ温かい。


「こんなに?」


「店を続けられるお祝い」


「いや、それなら私たちがお祝いする側では」


「いいのいいの」


 早川さんは笑いました。


「今まで役所から来る紙って、怖かったんです」


「怖い?」


「はい。難しい言葉が並んでて、最後に判子が押してあるでしょう」


「分かります」


「だから、来たら従うしかないと思ってました」


 早川さんは、あの取消通知書を鞄から出しました。


 そして。


 今度は別の紙も。


 市から改めて送られてきた案内です。


 そこには、


 この処分について不服申立てをすることができること。


 申立先。


 期間。


 必要な事項が書かれていました。


「同じ役所の紙なのに」


 早川さんが言いました。


「こっちは、読んだら少し安心しました」


「なぜです?」


「逃げ道が書いてあるから」


 私は思わず笑いました。


「逃げ道」


「違います?」


「いえ」


 むしろ。


 ものすごく正確です。


 行政が処分を出す。


 それ自体は必要です。


 許可しない。


 取り消す。


 命じる。


 徴収する。


 行政は決めなければ仕事にならない。


 でも。


 決めた側だけが、


 これで終わりです。


 と言えてしまったら。


 強すぎる。


 だから法律は。


 処分を出す手に、


 同時にもう一枚、


 その処分に納得できないなら、こちらです。


 という地図を持たせている。


 制度というものは、ときどき妙に律儀です。


 自分で扉を閉めながら、


 非常口はこちらです。


 と表示する。


 でも。


 それがあるから助かる人がいる。


「こはる」


 片桐所長が言いました。


「何を覚えた」


「急ですね」


「言え」


 私は少し考えました。


「権利って」


 言葉にする。


「持ってるだけじゃ駄目なんですね」


 相馬先輩がコロッケを食べながら見る。


「どういう意味だ」


「不服申立てできる権利があっても、その存在も、申立先も、期限も知らなかったら使えない」


「うん」


「だから教示する」


「そうだ」


「役所が国民に法律を全部勉強してこい、って突き放さないために」


 片桐所長が頷きます。


「覚えておけ」


「はい」


「手続の入口は、見える場所になければ意味がない」


 私はその言葉を、頭の中で何度か転がしました。


 手続の入口。


 まさにそうです。


 法律は冷たい。


 不服申立て。


 行政庁。


 申立期間。


 教示。


 どれも人を抱きしめてくれる言葉ではありません。


 でも。


 冷たい制度だからこそ、


「知らなかったあなたが悪い」


 で終わらせない。


 行政のほうに、


 ちゃんと道を教えなさい。


 と言える。


 それはかなり優しい冷たさなのかもしれません。


「ところで」


 相馬先輩が言いました。


「このコロッケ、あと何個だ」


「四個です」


「俺二個」


「駄目です」


「何でだ」


「所長と私と先輩で分けます」


「四を三で割れねえだろ」


「一個切ります」


「コロッケを三等分すんな」


「ではじゃんけん」


「面倒だ」


 片桐所長が新聞を読みながら言いました。


「残り一個は俺が食う」


「横暴!」


 私と相馬先輩の声が重なりました。


 所長は新聞から顔も上げません。


「異議があるか」


「あります!」


「あります」


「申立先は?」


 私は即答しました。


「所長本人です!」


「期間は?」


「今すぐです!」


「教示は?」


「されてません!」


 片桐所長がようやく新聞を下ろしました。


「じゃあ教示する」


「はい」


「不服申立てはできる」


「はい」


「申立先は俺だ」


「はい」


「期間は――」


 所長は最後のコロッケを箸で取りました。


「食うまで」


「短すぎます!」


 相馬先輩が吹き出しました。


「こはる、急げ」


「異議申立てします! 所長、そのコロッケの取得処分は不当です!」


「却下」


「まだ申立て終わってません!」


「簡易迅速だ」


「公正さが行方不明です!」


 早川さんが声を上げて笑いました。


 数日前まで。


 彼女は一枚の通知を前に、


 何をすればいいのかさえ分からなかった。


 今日は。


 笑いながら、


「それじゃ教示になってないわよ」


 と所長へ言っています。


 私は少しだけ嬉しくなりました。


 争うことを知らなかった人が、


 争う道があると知った。


 ただそれだけ。


 でも。


 法律による救済というものは、


 案外そこから始まるのかもしれません。


 出口は、


 存在するだけでは足りない。


 そこに出口があると、


 困っている人へ届く言葉で示さなければならない。


 そして。


 期限付きの出口なら。


 なおさらです。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

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