[行政不服審査法64条・再審査請求の却下又は棄却の裁決]法理編 こはるノート
役所から「駄目です」と言われたとき。
その駄目が、
――話すら聞きません。
なのか。
――話は聞きました。でもあなたの言い分は認めません。
なのか。
この二つは、似ているようで全然違います。
夕方。
片桐行政書士事務所。
窓から差し込む西日が、机の上に細長く伸びていました。
そして私の目の前には。
チリン。
「……先輩」
「何だ」
「鳴らさないでください」
「暇だから」
「大庭さんにもらったベルを暇つぶしの玩具にしないでください」
相馬先輩が、またベルを指で弾きます。
チリン。
「いい音するぞ」
「知ってます」
「鳴らしてみろ」
「今日は勉強するんです」
「つまらん」
「誰のせいで進まないと思ってるんですか」
私はベルを取り上げ、自分の机の端へ置きました。
ノートを開く。
今日の見出し。
大きく二つ。
――却下。
――棄却。
そして、その下に。
――再審査請求。
と書きました。
「昨日までなら」
私は呟きました。
「却下も棄却も、『はいはい、どっちも負けね』で終わってたなあ」
「受験生として最低だな」
「自覚してます」
「だったら直せ」
「だから今やってるんです」
相馬先輩は煙草をくわえながら、私のノートを覗き込みました。
「で」
「はい」
「違いは?」
「却下は門前払い」
「雑」
「棄却は中身を見て負け」
「もっと雑」
「分かりやすさ優先です!」
奥から片桐所長の声が飛びます。
「正確に言え」
「はい」
逃げ道がありません。
私は姿勢を正しました。
「却下は、不服申立てが不適法な場合です」
「例えば」
「申立期間を過ぎている。必要な要件を欠いている。そういう理由で、本案の中身に入らず退ける」
「うん」
「棄却は、不服申立て自体は適法だから中身を審理する。でも調べた結果、請求に理由がないとして退ける」
片桐所長が帳簿から顔を上げました。
「それでいい」
私はノートに書きます。
却下。
不適法。
入口で終わる。
棄却。
適法。
中身を見たうえで、理由なし。
「大庭さんの場合」
私は昨日の裁決書を思い出しました。
県は、
申立期間を過ぎた。
そう判断して、最初の不服申立てを却下した。
つまり。
「大庭さんは、中身で負けたんじゃない」
「ああ」
「そもそも中身まで見てもらえなかった」
「そうだ」
「でも期間計算の前提がおかしかった」
処分の掲示日を基準にしていた。
本人へ通知が届いた日は、もっと後。
配達証明も残っていた。
だから。
期間を過ぎたから不適法。
という入口の判断そのものに問題があった。
「これ」
私はペンを止めます。
「現場で見ると全然違いますね」
「何が」
「却下と棄却」
「だから違うって言ってるだろ」
「テキストだと漢字二文字ずつ並んでるだけなんですよ」
却下。
棄却。
受験生の目には、
似たような嫌な二文字が二組。
でも大庭さんの顔を思い出せば。
却下とは。
自転車屋の事情も。
工事車両が朝しか来ないことも。
表の県道側が危ないことも。
何ひとつ見てもらえないまま、
帰ってください、
と言われることです。
急に眠くありません。
むしろ胃が痛い。
「覚え方あります?」
私が聞くと、相馬先輩が言いました。
「却下は入口」
「はい」
「棄却は中身」
「おお」
「それだけだ」
「先輩にしては分かりやすい」
「一言余計だ」
私は大きく囲みました。
――却下=入口でアウト。
――棄却=中身まで見たがアウト。
「試験答案に『アウト』って書くなよ」
「書きませんよ」
「お前ならやりかねん」
「信用が薄い」
私はページをめくりました。
「次」
「まだあるのか」
「ここからが本題です」
再審査請求。
現代の行政不服審査法でいうところの。
審査請求の裁決に、さらに不服がある場合に行う手続。
ただし。
「ここ、重要です」
「何が」
「再審査請求って、何でもできるわけじゃないんです」
相馬先輩が眉を上げました。
「そうなのか」
「はい」
私はノートに書きます。
再審査請求。
法律に特別の定めがある場合に限る。
「つまり」
私は言いました。
「審査請求で負けた。じゃあ次は必ず再審査請求だ、とはならない」
「なるほどな」
「二回目だから再審査、って名前だけで判断すると事故ります」
「お前、昨日事故りかけてたな」
「……はい」
昨日。
私の頭には一瞬、
行政不服審査法六十四条!
と現代法の条文番号が浮かびました。
でも。
ここは昭和六十三年。
しかも、制度の使い方そのものが現代と同じとは限らない。
「旧法でも」
私は続けました。
「再審査請求という仕組み自体はありました」
「あるのか」
「あります。ただし、やっぱり何でも二段階、三段階で争えるわけじゃありません」
法律に特別の定めがある場合など、再審査請求が認められる事件に限られる。
つまり。
不服申立てというのは、
負けたら次。
また負けたらその次。
無限コンティニューできるゲームではありません。
「朝比奈」
「はい」
「ゲームで説明すんな」
「分かりやすいでしょう」
「役所に残機はねえ」
「申立人にもありませんよ」
むしろ期間というタイマーがあります。
行政法、ゲームにすると難易度が高すぎます。
私はノートの中央に図を書きました。
処分。
↓
審査請求。
↓
裁決。
↓
法律上認められる場合。
再審査請求。
「今日の教材は」
私は言いました。
「この一番下で、再審査庁がどう判断するか」
相馬先輩が椅子を引き寄せました。
「まず簡単なやつからやれ」
「はい」
第一。
再審査請求そのものが不適法。
「例えば?」
「期間を過ぎている」
「それなら?」
「却下」
「入口だな」
「入口です」
再審査請求にも期限があります。
現代法では。
原則として、
原裁決があったことを知った日の翌日から一か月。
さらに。
原裁決があった日の翌日から一年を経過すると、原則としてできない。
「短いな」
相馬先輩が言いました。
「そうなんですよ」
「審査請求は?」
「現代法なら原則三か月」
「再審査請求は一か月」
「はい」
「間違えそうだな」
「めちゃくちゃ間違えます」
私は二重線を引きました。
審査請求。
現代――原則三か月。
再審査請求。
現代――原則一か月。
「ただし」
片桐所長が口を挟みました。
「今は昭和六十三年だ」
「はい」
来ました。
毎度おなじみ。
未来人の頭を殴る時代確認。
「現場では旧法を見る」
「はい」
「未来の期間を使うな」
「はい」
私は小さく、
――実務は必ずその時点の法令確認。
と書きます。
これ、本当に大事です。
現代の受験知識を完璧に覚えていても、
昭和六十三年では未来の知識。
タイムスリップ行政書士には、
最新知識がむしろ罠になることがあります。
「じゃあ」
相馬先輩が言いました。
「期間内だったら?」
「次です」
第二。
再審査請求は適法。
ちゃんと中身を審理する。
でも。
理由がない。
「なら?」
「棄却」
「中身だな」
「中身です」
簡単。
ここまではいい。
問題はその次です。
「先輩」
「何だ」
「昨日、大庭さんが言ってたこと覚えてます?」
「何を」
「『最初の裁決が間違ってたなら、勝てるんですか』」
「ああ」
私はノートに、
原裁決。
と書きました。
「ここから一段ややこしくなります」
「行政法はいつもそうだ」
「言わないでください」
再審査請求では。
前の段階。
つまり審査請求について出された裁決。
これを原裁決と呼ぶ。
その原裁決がおかしい。
違法。
あるいは不当。
だったとします。
「なら勝ちじゃねえのか」
相馬先輩が、わざとらしく聞きます。
「そう思いますよね」
「ああ」
「でも」
私は大きく線を引きました。
――原裁決が間違っている。
――元の処分が間違っている。
この二つは別。
「大庭さんの事件と同じです」
最初の裁決。
期間徒過を理由にした却下。
そこに問題があった。
でも。
だからといって。
県が最初に行った、
通路使用の不許可処分。
これまで当然に違法または不当になるわけではない。
「もし」
私は言いました。
「県が期間計算を間違えて却下した」
「うん」
「その却下裁決は違法だった」
「うん」
「でも中身を調べ直したら」
工事車両が二十四時間ひっきりなし。
危険回避の方法もない。
通路を開ければ重大事故の危険が現実にある。
そんな事情だったとする。
「その場合」
私は言いました。
「元の不許可処分までおかしいとは言えない」
「なるほどな」
「入口の判断は間違えた。でも最終的に元の処分は正しかった」
「なら通路を使わせる必要はない」
「そうです」
現代法の再審査請求では。
原裁決が違法または不当でも、
元の処分自体が違法でも不当でもない。
そんな場合。
再審査庁は、
再審査請求を棄却する。
私はペンを止めました。
「これ」
「何だ」
「初めて読むと納得しにくいですよね」
「なんでだ」
「だって原裁決が違法なんですよ?」
「ああ」
「なのに棄却ですよ?」
「ああ」
「役所が間違ってるのに申立人が負ける」
「元の処分は正しいんだろ」
「……そうなんですよね」
そこなんです。
感情だけなら。
役所が間違えた!
じゃあこっちの勝ち!
と言いたくなる。
でも法律は。
何を間違えたのか。
結論に影響する間違いなのか。
そこを切る。
「所長」
「何だ」
「どう覚えればいいです?」
片桐所長は短く答えました。
「原処分まで見ろ」
私は黙りました。
「それだけですか」
「それだけだ」
「短すぎません?」
「忘れるか」
「……忘れません」
確かに。
再審査請求で原裁決がおかしい。
そこで喜ばない。
もう一段。
原処分まで見る。
元の処分が正しいなら、
原裁決に瑕疵があっても、請求人の求める最終的な結論には届かない。
私は大きく書きました。
――原裁決が違法でも、原処分が適法・妥当なら棄却あり。
「じゃあ」
相馬先輩が言います。
「原裁決も間違い」
「はい」
「元の処分も間違い」
「はい」
「それなら?」
「そこは当然、話が変わります」
再審査庁が、原裁決や処分をそのまま維持する理由は薄くなる。
ただし。
そこで登場するのが。
「一番嫌なやつです」
「何だ」
「事情裁決」
「名前からして面倒だな」
「その直感は正しいです」
私は新しい枠を作りました。
事情裁決。
これ。
行政法受験生を一回は真顔にさせる制度です。
「基本からいきます」
「おう」
「原裁決などが違法または不当」
「なら直せ」
「普通はそうです」
「普通は?」
「ところが」
それを取り消したり、撤廃したりすると。
公の利益に著しい障害が生じる。
そして。
申立人の損害。
その損害を補償・防止できる程度や方法。
その他一切の事情。
そういうものを全部考えたうえで。
取り消すことが公共の福祉に適合しない。
そう判断される場合。
「例外的に」
私は言いました。
「違法・不当なものでも、再審査請求を棄却できる」
相馬先輩が顔をしかめました。
「何だそりゃ」
「そうなりますよね」
「違法なんだろ」
「はい」
「なのに残すのか」
「場合によっては」
「役所に都合よすぎねえか」
鋭い。
まさにそこです。
「だから条件が重いんです」
単に、
役所が困る。
では足りない。
取り消すことで、
公の利益に著しい障害。
そこまで必要。
さらに。
申立人が受ける損害。
その損害をどう埋められるか。
防げるか。
その他全部。
それらを比較する。
そのうえで、
取り消すほうが公共の福祉に適合しない。
そこまで行って初めて。
例外的に棄却。
「例えば」
相馬先輩が言います。
「昨日の通路なら?」
「そうですね」
私は少し考えました。
「仮にですよ」
大庭さんへの通路使用不許可が不当だった。
その後。
誤って、その通路部分に大規模な仮設橋が完成した。
そこを毎日何千人も使っている。
救急搬送経路にもなっている。
いま全部撤去すると、町の交通が止まる。
「極端だな」
「事情裁決を分かりやすくするためです」
大庭さんの処分がおかしかったからといって。
即座に全部撤去。
町の交通麻痺。
救急車も通れません。
では。
さすがに、
はい、違法だったから全部元に戻しましょう。
だけでは済まない。
「そこで」
私は言いました。
「違法だったこと自体は認める」
「でも取り消さない」
「そうです」
「それじゃ申立人は納得しねえだろ」
「だから重要なルールがあります」
私は赤線を引きました。
事情裁決をする場合。
裁決の主文で。
当該原裁決等が違法または不当であることを宣言しなければならない。
「主文で?」
「はい」
「理由の端っこじゃ駄目なのか」
「駄目です」
「なぜ」
「残すけど、正しかったことにはしないから」
言ってから。
自分で少し黙りました。
そう。
ここ。
制度の冷たさの中でも、かなり大事なところです。
取り消せない。
公共の利益のために残す。
でも。
行政が正しかった。
という歴史にはしない。
違法だった。
不当だった。
それを裁決の主文に残す。
「つまり」
相馬先輩が言いました。
「棄却だけど、行政の勝ちじゃねえ」
「そうです」
「処分は残る」
「はい」
「でも違法だとは宣言される」
「そうです」
「ややこしいな」
「行政法ですから」
「便利な逃げ口上に使うな」
でも本当に。
これは普通の棄却とは意味が違う。
請求に理由がないから棄却。
ではない。
理由はある。
行政は間違っている。
それでも。
もっと大きな公共利益との関係で、
取消しまでしない。
だから。
違法・不当だったことを主文で明示する。
「ここ試験に出そうだな」
「出ます」
「どこが」
「事情裁決した場合、違法・不当の宣言をどこでするか」
「主文」
「はい」
「理由じゃない」
「はい」
「なるほど」
相馬先輩が煙草を消しました。
「嫌な問題だな」
「受験生目線になってきましたね」
「お前のせいだ」
私はノートを整理しました。
再審査請求の結論。
一。
再審査請求そのものが不適法。
――却下。
二。
適法だが理由なし。
――棄却。
三。
原裁決は違法・不当。
しかし原処分は違法でも不当でもない。
――棄却。
四。
原裁決等は違法・不当。
本来なら取り消すべき。
しかし取消し等で公の利益に著しい障害。
諸事情を考慮し、取消し等が公共の福祉に適合しない。
――例外的に棄却可能。
ただし。
主文で違法・不当を宣言。
「なんか」
私は言いました。
「三番と四番、同じ棄却なのに全然違いますね」
「説明しろ」
所長から飛んできます。
「三番は」
私は言います。
「元の処分が正しいから棄却」
「うん」
「四番は」
一呼吸。
「元の判断には問題がある。でも公共利益のために、あえて取り消さず棄却」
「そうだ」
「つまり」
私はノートへ矢印を書きます。
三番。
結論として原処分を守る理由――原処分が正しい。
四番。
結論として残す理由――取り消すと公共利益への著しい障害が出る。
「同じ棄却でも理由が違う」
「そこを混ぜるな」
「はい」
ここも試験で狙われそうです。
むしろ狙わないでください。
受験生は疲れています。
「さて」
私は別のページを開きました。
「新旧比較です」
相馬先輩が露骨に嫌な顔をしました。
「まだやるのか」
「ここが転生者最大の地雷原なんです」
昭和六十三年。
旧行政不服審査法。
この時代は。
審査請求。
異議申立て。
基本的な不服申立てが二本立て。
処分庁に上級行政庁があるか。
誰に申し立てるか。
そこで制度が分かれる。
しかも。
現代なら原則として三か月の審査請求期間。
旧法では原則六十日。
「昨日も」
私は言いました。
「一瞬三か月って考えそうになりました」
「お前は何度同じ罠に落ちる」
「現代人なんです!」
「知らん」
「しかも現代法では」
原則として、
審査請求へ一本化。
異議申立てという一般的制度は廃止。
さらに。
審理員。
行政不服審査会等への諮問。
公正性を高める仕組みが入った。
「昭和六十三年には?」
相馬先輩。
もう分かって聞いています。
「ありません」
「審理員」
「いません」
「行政不服審査会」
「現代法の仕組みはありません」
「三か月」
「未来です!」
「よし」
「何の確認ですか」
「お前が時代を間違えないか」
私はため息をつきました。
でも。
旧法を実際に使っていると。
なぜ後に制度が変わったのか。
少し分かります。
処分庁自身へ異議申立て。
上級行政庁へ審査請求。
さらに特別な場合には再審査請求。
入口が多い。
申立先を間違えやすい。
そして。
自分で出した処分を自分で見直す場面もある。
「現代で審査請求に一本化されたのって」
私は言いました。
「単に名前を減らしたかっただけじゃないんですね」
「そうなのか」
「利用する人から見て分かりやすくする」
「うん」
「それに、公正性を高める」
「審理員か」
「はい」
旧法では。
行政内部の自己修正という利点はある。
でも。
処分した側と審査する側の距離が近い。
住民から見れば。
本当に中立なの?
と思う。
現代法では。
処分に関与していない職員を審理員として審理手続に関与させる仕組みが設けられた。
さらに行政不服審査会等への諮問。
「制度改正って」
私は言いました。
「前の制度の困りごとが化石みたいに残ってるんですね」
「化石?」
「今の制度を見ると、昔どこで困ってたか分かる」
「なるほどな」
昭和六十三年の現場で。
旧法の不便を体で踏む。
そのうえで未来の制度を思い出す。
すると。
受験テキストでは、
旧法→新法。
ただの矢印だったものが。
急に理由を持ち始める。
なぜ一本化したのか。
なぜ審理員が必要になったのか。
なぜ公正性を高めたのか。
全部。
誰かが過去に困ったからです。
私はベルを一度鳴らしました。
チリン。
「大庭さんも」
「何だ」
「却下されたときは、『全部駄目になった』と思ってましたよね」
「ああ」
「でも違った」
却下理由。
期間徒過。
そこを切り分ける。
計算が違うなら。
入口を開け直す。
そして。
中身は中身で見る。
不許可処分の安全上の必要性。
時間制限では駄目なのか。
工事車両優先ならどうか。
その結果。
朝九時までは通れない。
でも九時以降なら条件付きで使える。
「完全勝利じゃない」
私は言いました。
「でも実際には、店を続けられる」
「そうだな」
「法律って、面白いですね」
相馬先輩が眉を上げました。
「行政法嫌いだった奴が何言ってんだ」
「最近ちょっとだけ」
「ちょっとか」
「まだ全面降伏はしません」
「誰と戦ってんだ」
自分の苦手意識です。
片桐所長が帳簿を閉じました。
「こはる」
「はい」
「確認する」
来ました。
最終試験。
「再審査請求が期間後なら」
「不適法なので却下」
「適法だが理由がない」
「棄却」
「原裁決は違法または不当。しかし原処分は適法かつ妥当」
「再審査請求は棄却」
「なぜ」
「原裁決は間違っていても、最終的に元の処分を覆す理由がないから」
「うん」
「事情裁決」
「原裁決等に違法・不当があっても、取り消し等で公の利益に著しい障害が生じ、請求人の損害など一切の事情を考慮して、取消し等が公共の福祉に適合しないと認めるときは、例外的に棄却できる」
「その場合」
「主文で、原裁決等が違法または不当であることを宣言する」
「理由中では」
「足りない。主文です」
「よし」
よし。
私は肩の力を抜きました。
「じゃあ今日の一行」
相馬先輩が言いました。
「覚えてたんですね」
「毎回やってるだろ」
「ちょっと嬉しい」
「気持ち悪いこと言うな」
「ひどい」
私はノートの最後へペンを置きました。
何と書こう。
却下は入口。
棄却は中身。
原裁決がおかしくても、原処分まで見る。
事情裁決なら、違法を認めたうえで残すこともある。
全部入れると、一行では無理です。
「まとまらない」
「頭悪いな」
「情報量が多いんですよ!」
「削れ」
「じゃあ」
少し考える。
そして。
書きました。
――「駄目」の理由を分けろ。入口なら却下、中身なら棄却。原裁決の誤りだけで原処分まで倒すな。
「長い」
「今日は仕方ないです」
「事情裁決が入ってねえ」
「じゃあ二行目」
「一行だろ」
「法律が一行に収まらないんです!」
片桐所長が、ぽつりと言いました。
「間違いの場所を見ろ」
私は止まりました。
「……それだ」
ノートに大きく書き直します。
――間違いの場所を見ろ。入口か、裁決か、元の処分か。
そして小さく、その下に。
――残すなら、なぜ残すのかまで見る。
「二行だぞ」
相馬先輩が言いました。
「先輩」
「何だ」
「異議があります」
「却下」
「まだ申立内容も聞いてない!」
「不適法だからな」
「どこが!」
「うるさい」
「それは要件じゃありません!」
チリン。
相馬先輩がベルを鳴らします。
「はい棄却」
「今度は何を審理したんですか!」
「うるさいという中身を審理した」
「理由になってません!」
奥から片桐所長。
「二人とも帰れ」
「それは却下ですか、棄却ですか」
「退去命令だ」
「別制度が出てきた!」
相馬先輩が吹き出しました。
窓の外。
駅前の工事現場に、夕方の灯りがつき始めています。
明日の朝。
大庭さんは九時まで、裏の通路を使えません。
でも九時を過ぎれば。
修理した自転車を押して、
あの細い道を通れます。
県が最初に出した答えは。
全部正しかったわけではない。
だからといって。
全部間違っていたわけでもない。
期間計算。
安全上の判断。
時間帯。
工事車両。
店の営業。
一つずつ分けた。
すると。
全面禁止でも。
全面開放でもない。
朝だけ閉じて、
昼は通す。
そんな答えが見つかった。
法律は時々、
白か黒かを決めるものだと思われます。
でも実際は。
どこまでが白で。
どこからが黒で。
どの間違いが結論に響いて。
どの間違いなら、そこだけ直せばいいのか。
それを細かく切り分ける仕事でもあります。
却下。
棄却。
原裁決。
原処分。
事情裁決。
相変わらず。
どれも冷たい言葉です。
でも。
冷たいからこそ。
役所が一か所間違えたという怒りだけで、
正しい部分まで壊さずに済む。
そして逆に。
行政が、
結論は変わりません、
と言ったからといって、
途中の違法までなかったことにはできない。
事情裁決なら。
処分を残すとしても、
違法だったことは主文に刻む。
残すことと。
正しかったことは。
同じではない。
私はノートを閉じました。
机の端には、大庭さんのベル。
チリン。
今度は私が鳴らしました。
「何だ」
相馬先輩が言います。
「勉強終了の合図です」
「そんな制度ねえぞ」
「今日から運用します」
「根拠は」
「事務所慣行です」
「所長」
「却下」
「またですか!」
「不適法だ」
「何が足りないんです!」
「俺の同意」
「強すぎる!」
相馬先輩が笑います。
私はベルをもう一度鳴らしました。
チリン。
却下されても。
棄却されても。
まず見るべきなのは。
自分が負けた、という二文字ではありません。
なぜ退けられたのか。
入口なのか。
中身なのか。
裁決なのか。
元の処分なのか。
そこを切り分ければ。
次に開けるべき扉が見えてくる。
昨日まで似たような二文字だった、
却下と棄却。
今日からはもう。
たぶん、間違えません。
「こはる」
「はい」
「ベル置いて帰れ」
「持って帰っちゃ駄目ですか」
「事務所の備品だ」
「いつ備品になったんですか!」
「今」
「その処分、不当です!」
「異議申立てするか」
「します!」
「棄却」
「だから審理が早すぎますって!」
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所。
どうやらこの事務所だけは。
却下と棄却の使い分け以前に、
公正な審理手続から勉強し直す必要がありそうです。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




