↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政不服審査法

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
240/292

[行政不服審査法63条・裁決書の送付]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 夕方の片桐行政書士事務所には、栗饅頭の包み紙が三枚残っていました。


 正確には。


 三枚しか残っていませんでした。


「先輩」


「何だ」


「浜田さん、十個持ってきてくれましたよね」


「ああ」


「所長が一個」


「そうだな」


「私が二個」


「食ったな」


「浜田さんが帰りに一個」


「そうだったな」


 私は机の上を見ました。


「計算が合いません」


「行政書士の仕事は栗饅頭の監査じゃねえ」


「六個消えてるんですよ」


「細けえな」


「六個は誤差じゃありません!」


 相馬先輩は新聞を広げたまま、こちらを見ようともしません。


 怪しい。


 非常に怪しい。


 しかし。


 いま私の机に広がっているのは、栗饅頭事件の証拠資料ではありません。


 浜田正吉さんの再審査請求関係書類。


 市の更新不許可通知。


 審査請求書。


 県の裁決書。


 再審査請求書。


 そして。


 私のノート。


 表紙を開き、今日の見出しを書きます。


 ――裁決書の送付。


「地味ですねえ」


「何がだ」


「今日のテーマです」


「昨日あれだけ喜んでただろ」


「現場では感動したんです。でも文字にすると急に地味です」


 裁決書の送付。


 行政法の教材でこの見出しを見た受験生の何割が、


「うおお、これは重要だ!」


 と思うでしょうか。


 たぶん少ない。


 私は昔なら、


 再審査庁が原裁決庁に裁決書を送らせる。


 はい。


 次。


 で終わっていました。


 でも。


 浜田さんの事件を見たあとでは。


 その一行が、


 前の審査を闇の中に置き去りにしないための仕組み。


 に見えます。


「相馬先輩」


「何だ」


「今日は裁決書の送付です」


「付き合わせる気か」


「はい」


「嫌だ」


「所長」


「付き合え」


 奥で帳簿を見ていた片桐所長が、一言だけ言いました。


「……分かったよ」


 強い。


 今日も最上級行政庁です。


 私はノートに最初の見出しを書きました。


 ――そもそも、なぜ裁決書を送るのか。


「昨日の浜田さんの件からいきます」


「やってみろ」


「最初に市が処分した」


「ああ」


「浜田さんが審査請求した」


「ああ」


「県が棄却裁決を出した」


「ああ」


「その裁決について、さらに再審査請求をした」


「そうだ」


 ここまでは簡単です。


 問題は次。


 再審査を行う行政庁は、


 何を見ればいいのか。


「浜田さんの主張だけ見ればいい?」


 私は言いました。


「足りねえ」


「最初の市の処分だけ?」


「それも足りねえ」


「じゃあ」


 私は裁決書を持ち上げます。


「一度目の審査で、県が何をどう判断したのかも必要」


「そういうことだ」


 浜田さんは一回目の審査請求で、


 工事予定区域と貸し舟屋の位置が本当に重なっているのか。


 今すぐ撤去させる必要があるのか。


 他の湖岸施設との扱いの違いに合理的な理由があるのか。


 そういう点を争いました。


 県は棄却しました。


 でも裁決書だけを見ると、


 提出した写真や図面をどう評価したのか。


 比較対象をどう見たのか。


 そこが十分に見えなかった。


 そして後になって。


 県へ送られていた図面が古い版だった可能性まで出てきた。


「つまり」


 私は言います。


「再審査庁が一から全部やるんじゃない」


「そうだな」


「一回目の審査の中身を踏まえて、その裁決も検討対象にする」


「うん」


「そのために裁決書が要る」


 片桐所長が口を開きました。


「裁決書は結論だけの紙じゃない」


「はい」


「主文と理由がある」


「そこですね」


 私はノートに書きます。


 裁決書。


 審査請求について、


 どのような結論を出し、


 どのような理由でその結論に至ったのかを示す文書。


「再審査庁からすれば」


 私は続けます。


「原裁決庁がどんな審査をしたのかを知る手がかりになる」


「手がかりというより、重要な基礎資料だな」


「なるほど」


 言い直します。


 原裁決の内容を確認するための重要な資料。


 だから。


 裁決書を送ってください。


 となる。


「当たり前といえば当たり前ですね」


「法律は、当たり前を手続にすることがある」


 片桐所長が言いました。


 私は少しペンを止めます。


 それ、好きです。


 法律のいいところは、


「普通はそうするでしょう」


 を、


「普通ならするはず」


 で終わらせないところです。


 誰が。


 誰に。


 何を。


 どうする。


 そこまで形にする。


 だから担当者の気分だけに任せずに済む。


 次。


 私はノートに大きく書きました。


 ――現代法六十三条。


「未来の話だな」


 相馬先輩が言います。


「はい。今の行政不服審査法です」


 現行法では。


 再審査請求について審理をする際、


 再審査庁側は、


 原裁決をした行政庁に対して、


 原裁決に係る裁決書の送付を求める。


 教材で見ると。


 行政庁Aが審査請求について裁決。


 行政庁Bが再審査請求を審理。


 なら。


 BがAに、


 ――その裁決書を送ってください。


 と求める。


「理由は?」


 相馬先輩が聞きます。


「原裁決庁がどういう審査をしたのか確認するため」


「それだけか」


「う」


 来た。


 嫌な聞き方です。


「何が足りないです?」


「お前がいつもやるやつだ」


「条文を仕組みじゃなく暗記で終わらせる?」


「そうだ」


 む。


 悔しい。


 私は昨日の浜田さんを思い出します。


 県の裁決書。


 棄却。


 でも。


 そこに至るまで、


 どういう主張があり、


 どういう資料が出され、


 どこを認め、


 どこを退けたのか。


 再審査庁がそこを把握しなければ。


 二度目の審査で、


 同じ材料を最初から繰り返すだけになる可能性がある。


「前の審査を踏まえるため」


 私は言いました。


「うん」


「原裁決の結論と理由を確認して、再審査で何を検討すべきか整理するため」


「それだ」


「じゃあ、こうですね」


 ノートに囲って書きます。


 裁決書の送付は、


 原裁決の判断内容を再審査庁へつなぐための手続。


「よし」


 短い。


 でも意味が見える。


 次。


 私はペン先を止めました。


「ここからが、この物語で一番危ないところです」


「何だ」


「昭和六十三年と現代で条文が違います」


「また未来と喧嘩するのか」


「します」


 昨日。


 私は現代法六十三条を思い出して、


 危うくそのまま昭和六十三年へ持ち込むところでした。


 でも。


 昭和六十三年に使うのは、


 旧行政不服審査法。


 そして同じような役割を果たしていた条文が、


 旧法第五十四条。


「まず番号が違う」


 私は書きます。


 現代。


 第六十三条。


 旧法。


 第五十四条。


「番号暗記だけなら大した違いじゃねえな」


「問題は文言です」


 私は二本線を引きます。


 旧法。


 再審査庁は、


 審査庁に対し、


 審査請求についての裁決書の送付を求めることができる。


 現代法。


 原裁決をした行政庁に対し、


 原裁決に係る裁決書の送付を求めるものとする。


「できる、と」


 相馬先輩が言います。


「ものとする」


「はい」


「違うな」


「かなり大事ですよね」


 できる。


 裁量的な表現。


 ものとする。


 原則として義務づける表現。


 私はノートに、


 旧法=求めることができる。


 現代=求めるものとする。


 と並べました。


「つまり制度改正で強くなった?」


 私は言いました。


 片桐所長がすぐに口を挟みます。


「雑に言うな」


「はい」


「条文上、再審査庁による裁決書の取得が、現行法では明確に手続として組み込まれている」


「なるほど」


 強くなった。


 では雑すぎる。


 現行法では、


 裁決書の送付を求めることが、


 再審査手続の流れとしてより明確に義務化されている。


「こういう細かい変化って」


 私は言いました。


「改正の考え方が見えますね」


「どう見える」


「再審査庁が原裁決を把握することを、担当者任せにしない方向」


 所長が頷きました。


「そう考えると分かりやすい」


 法律改正は、


 単に条文番号を変えて受験生を困らせるためにあるわけではありません。


 当然ですが。


 実務上、


 ここは任意でいいのか。


 ここは必ず押さえさせるべきではないか。


 そういう積み重ねで変わる。


 昨日まで。


「できる」と「する」の違いなんて、


 択一問題の引っかけにしか見えていませんでした。


 でも浜田さんの事件を見ると。


 裁決書が次へきちんと送られるかどうかで、


 前の審査が見えるかどうかが変わる。


 すると。


 一語の違いが、急に人の生活に近づいてきます。


「行政法、細かいでしょう」


 私は言いました。


「今さらか」


「いや、細かい理由が見えてきたというか」


「遅えよ」


 そこは認めます。


 次。


 ノートに、


 ――再審査請求とは何か。


 と書きました。


「ここも整理しておきたいです」


「六十三条だけやれよ」


「つながりが分からないと六十三条も死ぬんです」


「法律を勝手に殺すな」


 でも大事です。


 そもそも。


 再審査請求という名前を見て、


 審査請求に負けたら誰でももう一回。


 と思うのは危険。


「再審査請求って」


 私は言いました。


「原則として当然に用意されている二回戦じゃない」


「そうだ」


「法律に再審査請求ができる旨の定めがある場合などに限られる」


「うん」


 浜田さんの件でも。


 県の裁決に負けたから自動的に再審査請求。


 ではありませんでした。


 個別法上、再審査請求の道が設けられていた。


 だから使えた。


「ここ、試験で危ないですね」


「どう危ない」


「行政不服審査法に再審査請求って書いてあるから、すべての審査請求についてできると思う」


「できねえ」


「はい」


 私は大きく書きました。


 再審査請求。


 いつでもできるわけではない。


 法律上の根拠が必要。


「浜田さんも最初」


 私は思い出します。


「もう一回? 役所って何回あるんですかって言ってました」


「普通そう思うだろ」


「ですよね」


 一般の人から見れば、


 異議申立て。


 審査請求。


 再審査請求。


 名前だけでも十分ややこしい。


 まして昭和六十三年。


 旧法では、


 異議申立てと審査請求が基本的な不服申立てとして併存しています。


 さらに一定の場合には再審査請求。


「現代は?」


 相馬先輩が聞きます。


「原則として審査請求へ一本化」


「異議申立ては?」


「一般制度としては廃止」


「で、再審査請求は残ってる」


「はい。ただし限定的」


 私は図を書きます。


 昭和六十三年。


 処分。


 ↓


 場合によって異議申立て。


 または審査請求。


 ↓


 法律に定めがあれば再審査請求。


 現代。


 処分。


 ↓


 原則として審査請求。


 ↓


 法律に定めがある場合などに再審査請求。


「未来は入口が整理されたわけか」


 相馬先輩が言います。


「そうですね」


 旧法では、


 まず。


 処分庁に上級行政庁があるか。


 異議申立てか。


 審査請求か。


 個別法の特則は。


 など。


 入口からして迷いやすい。


 現代法では原則として審査請求に一本化されました。


「でも」


 私は言いました。


「再審査請求まで全部消えたわけじゃない」


「そうだな」


「そこは注意」


 一本化。


 という言葉を見ると、


 行政不服審査が全部一種類になった。


 と思いたくなる。


 でも違う。


 再調査の請求や再審査請求など、別の仕組みもある。


 受験生に優しくなったようで、


 やっぱり全部は優しくない。


「行政法は、入口を整理しても出口で待ち伏せしますね」


「誰と戦ってるんだお前は」


「試験です」


 次。


 私は昨日、一度危うく間違えた期間を書きます。


 ――旧法の再審査請求期間。


「ここも重要ですね」


「お前は危なかったからな」


「はい」


 昭和六十三年の旧法。


 通常の審査請求や異議申立てについては、


 原則六十日。


 でも。


 再審査請求は別。


 原則三十日。


「昨日、六十日って言いそうになりました」


「ああ」


「そのあと現代の三か月まで頭に出てきました」


「混ぜすぎだ」


「転生者の脳内は法改正資料集なんですよ!」


 ただし整理すれば難しくない。


 昭和六十三年。


 旧法。


 審査請求・異議申立て。


 原則六十日。


 再審査請求。


 原則三十日。


 現代。


 審査請求。


 原則三か月。


「こう見ると」


 私は言います。


「再審査請求は旧法でも時間が短い」


「二回目だからな」


「のんびりしてられない」


 浜田さんは裁決を知ってから六日。


 まだ間に合った。


 でも。


 もしそこで、


「普通の不服申立ては六十日だから」


 と思い込んで放置していたら。


 手続の入口そのものを失う危険がありました。


 期間。


 ただの数字じゃない。


 救済への扉が閉まる日です。


「だから」


 片桐所長が言いました。


「不服申立ては、最初に期間を見ろ」


「はい」


「内容を考える前にだ」


「そこまで?」


「期限を過ぎた立派な申立書に価値はない」


 重い。


 でもその通りです。


 私はノートの端に赤で書きました。


 ――まず期限。


 行政法の実務では、


 美しい法律論より先に、


 今日何日か。


 が大事になることがあります。


 次。


「裁決書の送付と、資料全部の送付は同じですか?」


 私は自分で疑問を口にしました。


 相馬先輩が眉を上げます。


「違うだろ」


「ですよね」


 今日のテーマは、


 裁決書の送付。


 原裁決庁が出した裁決書。


 それを再審査庁が取り寄せる。


 でも。


 これだけで原審査の全資料が自動的に全部そろう。


 という意味ではない。


「浜田さんの事件でも」


 私は言います。


「裁決書が送られたから、それだけで写真も図面も全部評価できるわけじゃない」


「そうだ」


「必要なら別の資料も確認する」


「当然だな」


 裁決書は重要。


 でも万能ではない。


 裁決書に、


 写真をこう見ました。


 図面をこう評価しました。


 と全部書いてあるとは限りません。


 だから。


 再審査庁は、必要な資料や説明を集めて審理を進める。


 浜田さんの件では。


 裁決書を確認したうえで、


 原処分庁に追加説明が求められ、


 工事区域図の版が問題になった。


「つまり裁決書の送付は」


 私は書きます。


「再審査のゴールじゃない」


「入口だな」


「はい」


 原裁決の中身を把握する入口。


 そこから。


 必要な点をさらに調べる。


 この整理が大事です。


「先輩」


「何だ」


「裁決書を送ってもらえば、原裁決が間違ってるってことになる?」


「ならねえ」


「ですよね」


「送付要求自体に、原裁決が怪しいって評価は入ってねえ」


「そこも試験で引っかけられそう」


 裁決書を取り寄せる。


 だから原裁決に問題がある。


 ではない。


 単に。


 再審査するために原裁決の内容を確認する。


 それだけ。


 手続行為と、


 最終判断。


 そこを混ぜない。


 私はノートに、


 送付要求=違法認定ではない。


 と書きました。


 次。


 現場編で一番大きかった部分です。


 私は浜田さんの裁決書を開きました。


「裁決書がある意味って、もう一つありますよね」


「何だ」


「前の行政庁が何を言ったか、後から確認できる」


「そうだな」


 口頭だけなら。


「総合的に判断しました」


 で終わる。


 でも裁決書には理由が残る。


 そこが重要です。


 行政の判断は、


 記録になる。


 後から検証できる。


 そして再審査請求があるなら、


 その記録自体が次の審査へ渡る。


「だから」


 私は言いました。


「浜田さんの裁決書は、負けた証拠でもあるけど」


「うん」


「前の判断を次で検証する材料でもある」


「そうだ」


 私は昨日の浜田さんの言葉を思い出しました。


 ――負けた紙だと思った。


 ――でも、次に持っていく紙でもあるんですね。


 あれ。


 すごく本質を突いていた気がします。


 裁決書は、


 終わりの紙。


 でも。


 再審査が用意されている場面では、


 次の審理へつなぐ紙でもある。


「法律って」


 私は呟きました。


「負けた記録も捨てないんですね」


「何言ってんだ」


「いや」


 負けた。


 だから全部リセット。


 ではない。


 なぜ負けたのか。


 どんな理由だったのか。


 それを残して、


 次の審査で使う。


 制度としては当然です。


 でも。


 人間って。


 嫌な結果ほど捨てたくなるじゃないですか。


 法律は逆に、


 残せ。


 見せろ。


 次で検証する。


 と言う。


 冷たいけれど、強い。


「所長」


 私は聞きました。


「これって公正さにも関係あります?」


「ある」


「ですよね」


 再審査庁が、


 原裁決の内容を知らないまま、


 申立人の話だけ聞く。


 それでは片側しか見えない。


 逆に。


 原裁決庁の説明だけで済ませても駄目。


 申立人の主張。


 原裁決。


 関係資料。


 それらをそろえて検討する。


「再審査って」


 私は言いました。


「ただ二回やるから公正なんじゃない」


「そうだ」


「前の審査を記録ごと持ってきて、何をしたか見直せるから意味がある」


 片桐所長が少し頷きました。


「その理解でいい」


 私はノートに太線を引きます。


 ――再審査は、前の審査を忘れてやり直す制度ではない。


 これ。


 今日の中心です。


 次。


 私は現代法の制度改正の話へ移ります。


「さて」


 相馬先輩が嫌な顔をしました。


「また未来か」


「未来です」


「長くなるやつだな」


「重要なんです!」


 現代の行政不服審査法では、


 旧法の異議申立てが廃止され、


 原則として審査請求に一本化。


 さらに。


 審理員制度。


 行政不服審査会等への諮問。


 そうした公正性を高める仕組みが導入されています。


「昨日の再審査請求の話とは別だろ」


「直接は別です」


「じゃあ何でやる」


「旧法と現代法の違いを理解するため」


 昭和六十三年。


 旧法。


 処分庁自身が判断する異議申立て。


 上級行政庁が判断する審査請求。


 一定の場合には再審査請求。


 救済経路が複数に分かれていました。


 そして。


 処分した側が自分で異議申立てを審査する構造もあった。


「利用する側からすると」


 私は言います。


「分かりにくい」


「だろうな」


「どこに出すんだ」


「うん」


「異議申立てか審査請求か」


「うん」


「上級行政庁はあるのか」


「うん」


「期間は六十日か三十日か」


「うん」


「特別法はあるのか」


「もういい」


 行政法の入口だけで満腹になります。


 だから現代法では。


 救済手続を分かりやすくする。


 公正性を高める。


 使いやすくする。


 そういう方向の改正がされた。


「審理員制度も」


 私は続けます。


「原処分に関与した人が、そのまま審査請求を処理するような形を避けるための仕組み」


「未来はそこまでやるのか」


「はい」


「沢渡課長みたいなのは?」


「沢渡課長は沢渡課長です」


「答えになってねえ」


 でも。


 旧法の世界で仕事をしていると。


 なぜ現代法が、


 手続の公正さ。


 中立的な審理。


 そういうところを制度として強化したのか。


 肌で分かります。


 現代の受験生だった私は、


 審理員。


 行政不服審査会。


 と暗記していました。


 でも昭和六十三年で旧法を使うと、


 ない。


 その「ない」という違和感が、


 制度改正の意味を逆に教えてくれる。


「転生して良かったですね」


 相馬先輩が言います。


「行政法のためだけなら割に合いません」


「贅沢言うな」


 次。


「試験で混同しやすいところ、まとめます」


「ようやくか」


 私はノートを整理しました。


 一つ目。


 再審査請求は、審査請求に負けたら常にできるわけではない。


 法律上の根拠が必要。


 二つ目。


 裁決書の送付要求は、


 原裁決が違法だと判断したことを意味しない。


 三つ目。


 裁決書だけを見れば再審査に必要なすべての資料がそろうわけではない。


 四つ目。


 旧法と現行法で文言が違う。


 旧法五十四条。


 求めることができる。


 現行法六十三条。


 求めるものとする。


 五つ目。


 昭和六十三年の旧法では、


 一般の審査請求等の期間と再審査請求期間を混同しない。


「これ、試験前に見たかったです」


 私は言いました。


「お前は未来から来たんだろ」


「未来の私が欲しかったんです!」


 あの頃。


 六十三条を読んでも、


 ただの事務連絡に見えました。


 でも今なら。


 意味が分かる。


 再審査庁が、


 原裁決庁の判断内容を確認する。


 そのために裁決書を取り寄せる。


 再審査は、


 前の審査を捨てて最初からやるものではない。


 判断の履歴をつないでいく。


「行政の判断って」


 私は言いました。


「階段みたいですね」


「どういう意味だ」


「処分がある」


「うん」


「審査請求で一段上から見る」


「うん」


「さらに再審査請求が認められていれば、もう一段上から見る」


「うん」


「でも上に行くたび、下の段を壊して消すわけじゃない」


 相馬先輩が少し考えました。


「前の段を踏んで上がる」


「それです」


 いい。


 今日の比喩、悪くない。


「じゃあ裁決書は?」


 相馬先輩が聞きます。


「階段の踏み板?」


「急にダサくなったな」


「聞いたの先輩でしょう!」


 やめます。


 比喩は深追いすると事故ります。


 私はノートを閉じかけました。


 すると。


「まだだ」


 片桐所長が言いました。


「え?」


「一番大事なのが残ってる」


「何です?」


「浜田さんの件で、裁決書を見て何が分かった」


 私は考えます。


 県は棄却した。


 理由は。


 市に裁量がある。


 整備事業に公共性がある。


 逸脱・濫用は認められない。


 でも。


 こちらが提出した写真。


 図面。


 比較対象。


 それをどう評価したかは、十分に見えなかった。


 だから再審査で、


 そこをもう一度問題にした。


 その過程で。


 古い図面が使われた可能性が出てきた。


「裁決書を見ることで」


 私は言いました。


「何が判断されて、何が判断されていないように見えるかが分かる」


「そうだ」


「再審査請求で、どこを突くべきかも見える」


「そこだ」


 ああ。


 単に再審査庁のためだけじゃない。


 申立人側にとっても。


 原裁決の理由をきちんと読むことは重要なんだ。


 負けた。


 で終わらず。


 なぜ負けた。


 どの論点は拾われた。


 どの論点は拾われなかった。


 そこを分析する。


「敗因分析」


 私が言うと。


「裁判みたいに言うな」


 相馬先輩が笑いました。


「でも似てません?」


「まあな」


 行政不服申立ては、


 ただ気持ちをもう一回伝える制度ではありません。


 一度目の判断を読んで。


 次に何を争うか。


 整理する。


 浜田さんの再審査請求書でも。


 市の処分そのものだけではなく。


 県の裁決が、


 提出資料をどう評価したのか明らかでない。


 比較対象との違いをどう説明したのか判然としない。


 そういう点を具体化しました。


「なるほど」


 私は呟きました。


「裁決書って、負けた後ほどちゃんと読まないと駄目なんですね」


「当たり前だ」


「受験生時代の私は、主文見て終わりそうです」


「実務やるな」


「今やってます!」


 そこへ。


 電話が鳴りました。


 私が取ります。


「はい、片桐行政書士事務所です」


『総務課の沢渡です』


「出た」


『何がです?』


「いえ、こちらの話です」


 相馬先輩が笑っています。


『浜田さんの件ですが』


「はい」


『最新の整備計画図について、再審査庁へ追加資料を提出しました』


 私は姿勢を正しました。


「内容は?」


『浜田さんの施設が第一期工事区域外であることを前提に、処分時の判断経過を確認中である旨です』


「じゃあ」


『まだ結論は出ていません』


「先に言われた」


『朝比奈さんはすぐ勝敗をつけたがるので』


「つけてません!」


『そうですか』


「それで、市はどうするんです?」


『再審査の結果を待つ部分もありますが、使用場所について再検討しています』


「処分の見直しも?」


 少し間。


『可能性としては』


「珍しく歯切れ悪いですね」


『行政は結論が出る前に結論を言いません』


「合理的」


『そういうことです』


 そして。


 沢渡課長は少しだけ声を落としました。


『ただ』


「はい」


『古い図面を前提に判断した可能性があるなら、それは確認しなければなりません』


「はい」


『原処分でも』


「はい」


『原裁決でも』


 私は一瞬、黙りました。


 原処分。


 原裁決。


 どちらの段階で何を見ていたのか。


 その記録をつなぐ。


 今日ずっとノートに書いていた話が。


 電話の向こうで現実になっています。


「課長」


『何でしょう』


「裁決書って、地味ですけど大事ですね」


『今さらですか』


「今日勉強してるところなので」


『業務中に?』


「業務に必要な勉強です!」


『それなら結構です』


 妙に教師っぽい。


「課長」


『はい』


「現代だと、裁決書の送付要求って『求めるものとする』なんですよ」


 電話の向こうが沈黙しました。


『……何の話です?』


「未来の話です」


『切りますよ』


「すみません!」


 危ない。


 つい嬉しくなってしまった。


 平成の条文を昭和の市役所へ布教するところでした。


 受話器を置きます。


「沢渡、何だって?」


 相馬先輩が聞きました。


「最新図面を再審査庁へ出したそうです」


「そうか」


「市も使用場所を再検討中」


「それなら進んでるな」


「はい」


 まだ。


 結果は出ていません。


 浜田さんの使用許可が正式に戻ったわけではない。


 県の裁決が覆ったわけでもない。


 再審査請求が認容されたわけでもない。


 でも。


 最初は。


 市が駄目と言った。


 県も駄目と言った。


 そこで全部終わっていた。


 今は。


 市の処分。


 県の裁決。


 再審査。


 それぞれが書類でつながり。


 どこで古い図面が使われたのか。


 誰がどの資料を見たのか。


 その確認が始まっている。


 人間の記憶ではなく。


 記録で。


「所長」


 私は言いました。


「今日の一行、決まりました」


「書け」


 私はノートの最後に大きく書きます。


 ――再審査は、前の裁決を捨ててやり直すのではなく、裁決書ごと受け取って見直す。


 相馬先輩が覗き込みます。


「長い」


「またですか」


「一行の覚え書きだろ」


「一行に収まってます!」


「字が小せえ」


「内容が多いんです!」


 少し考えて。


 もう一つ書きます。


 ――前の判断を、次の審査へつなぐ。それが裁決書の送付。


「どうです?」


「それでいいんじゃねえか」


「褒めた」


「気のせいだ」


 私はノートを閉じました。


 窓の外はもう暗くなり始めています。


 湖畔の貸し舟屋は。


 今日はまだそこにあります。


 明日もあるでしょう。


 その先は。


 まだ分かりません。


 行政不服審査法は、


 浜田さんの貸し舟屋を絶対に守る法律ではありません。


 再審査請求をすれば、


 必ず勝てる制度でもない。


 裁決書を送らせれば、


 自動的に前の判断が間違いになるわけでもない。


 ただ。


 一度行政が出した答えを、


 次の審査で検証するとき。


 前の答えを、


 なかったことにさせない。


 何を判断したのか。


 なぜそう判断したのか。


 それを紙で残し。


 次へ渡す。


 行政の判断は、


 口頭で流れて消えてはいけない。


 誰かが困ったとき。


 あとからたどれる形で残っていなければならない。


 裁決書の送付。


 たったそれだけの制度です。


 でも。


 浜田さんの場合。


 前の裁決をたどったことで、


 古い図面が使われたかもしれない。


 という一点まで戻ることができた。


 法律の言葉は冷たい。


 裁決書。


 原裁決。


 再審査庁。


 送付。


 文字だけなら。


 役所の書庫の匂いしかしません。


 でも。


 その冷たい記録があるから。


「前にもちゃんと調べました」


 だけでは終わらない。


 何を調べた。


 何を見た。


 何を根拠にした。


 そこまで戻れる。


 制度の冷たさは。


 ときどき。


 人間の雑な記憶より、ずっと優しい。


「朝比奈」


 相馬先輩が言いました。


「はい」


「ノート終わったなら、片付けろ」


「はい」


「その包み紙も」


「待ってください」


「何だ」


 私は栗饅頭の包み紙を並べました。


「今日の勉強で分かりました」


「嫌な予感しかしねえ」


「前の判断を検証するには、記録が大事です」


「そうだな」


「この包み紙は原裁決です」


「違う」


「三枚あります」


「だから?」


「先輩が三個以上食べたことを示す重要な資料です」


「俺のだと証明できねえだろ」


「指紋を――」


「やめろ」


 片桐所長が帳簿を閉じました。


「こはる」


「はい」


「再審査するか」


「します」


「原裁決は」


「相馬先輩は無罪を主張しています」


「なら」


 所長が机の引き出しを開けました。


 中から。


 栗饅頭の包み紙が、


 さらに三枚。


 出てきました。


「……所長?」


「何だ」


「それ」


「食った」


「六個のうち三個、所長じゃないですか!」


「そうだ」


「じゃあ先輩は?」


「三個だ」


 相馬先輩が言いました。


「最初から言え!」


「聞かれてねえ」


「記録って大事!」


 私は頭を抱えました。


 推測では。


 相馬先輩が六個。


 そう思っていました。


 でも。


 記録を集めたら違った。


 前提が変われば、結論も変わる。


「なるほど」


 私は呟きました。


「今日の教材として完璧ですね」


「栗饅頭で行政法を学ぶな」


「でも証拠って大事でしょう!」


 片桐所長が静かに言いました。


「こはる」


「はい」


「裁決」


「何です?」


「相馬三個、俺三個」


「認容ですか?」


「一部変更だ」


「栗饅頭事件に裁決制度を導入しないでください!」


 相馬先輩が笑いました。


 所長まで少しだけ笑っています。


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


 どうやらここでは。


 裁決書だけでなく、


 栗饅頭の包み紙まで保存しておかないと。


 後から正しい判断にはたどり着けないようです。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜
宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜
名探偵 藤原彰子の宮中事件簿 ――『転生皇后 藤原彰子』スピンオフ外伝
転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜
新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜
新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件〜
美しき女帝 北条政子 〜 婚約破棄どころか強制結婚!? 平家のエリートに嫁がされそうになったので、豪雨の山を越えて愛する無職の元へ走ってみた 〜
新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚〜
箴言・格言・名言集 〜頑張るあなたへ、今日を乗り越えるための一言〜
拝啓、愛読者様。― 想いを少しだけ 謹呈 条文小説
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜
コミックス「六道輪廻抄〜戦国転生記〜」
動画生成AIが作成したイメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。