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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政不服審査法

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238/274

[行政不服審査法62条・再審査請求期間]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 役所の時計は、負けた人が落ち込んでいても止まりません。


 夕方。


 片桐行政書士事務所。


 窓の外では、商店街の店じまいが始まっていました。


 八百屋が木箱を引っ込める音。


 自転車のベル。


 遠くを走る路線バス。


 そして私の机の上には。


「……コロッケ、ない」


「食っただろ」


 相馬先輩が煙草をくわえたまま言いました。


「昨日の話です」


「昨日食ったならいいだろ」


「昨日食べたコロッケは今日食べられないんですよ」


「当たり前だ」


「人生って厳しい」


「何の話だ」


 松井美津枝さんが差し入れてくれた十二個のコロッケ。


 あれだけあったのに、


 一晩たてばゼロ。


 諸行無常。


 賞味期限どころか在庫そのものが消えています。


「こはる」


 奥から片桐所長の声が飛びました。


「遊んでないでまとめろ」


「はい」


 私は慌ててノートを開きます。


 今日の見出し。


 ――再審査請求期間。


 その下に、


 大きく二つ。


 昭和六十三年。


 現代。


 と書きました。


「先輩」


「何だ」


「今日はかなり危険です」


「何が」


「新旧制度が似すぎてます」


「また未来の話か」


「はい」


「知らん」


「付き合ってください」


「嫌だ」


 私は所長を見ました。


「所長」


「付き合え」


「おい」


 毎度ありがとうございます。


 片桐行政書士事務所。


 勉強会への参加意思は、本人より所長の一言が優先するようです。


 行政法的にはかなり危ない。


「まず」


 私は昨日の裁決書を机に置きました。


 松井さん。


 駅前近くの共同売店へ惣菜を搬入していた人。


 衛生上の理由で、


 松井さんだけ搬入停止処分。


 本人が審査請求。


 しかし棄却。


 そこで、


 さらに再審査請求ができる案件だったため、


 私たちは次の手続へ進みました。


「ここで一番最初に確認したのが」


「期限」


 相馬先輩が即答しました。


「そうです」


「内容より先だったな」


「はい」


 私はノートに書きます。


 ――不服申立ては、まず期限。


 そしてその横に、


 ――期限を過ぎれば、内容以前に入口で終わることがある。


 と書きました。


「これが昨日、一番怖かったところです」


 松井さんには言い分がありました。


 処分時点では正式な統一基準が存在していなかった。


 それなのに、


 審査請求を棄却する裁決では、


 後に整備された統一的な衛生基準まで判断材料に混ざっている疑いがあった。


 他店には、


 同程度に衛生管理が必要な食品もあった。


 全面搬入停止以外に、


 保冷容器の使用など、


 もっと穏当な方法があった可能性もある。


 争いたいことは、


 ちゃんとあった。


 でも。


「再審査請求が遅れてたら」


 私は言いました。


「その話に入る前に終わる可能性があった」


「ああ」


「『処分がおかしい』」


「うん」


「『裁決もおかしい』」


「うん」


「『証拠もあります』」


「うん」


「でも遅い」


「そういうことはある」


「法律、厳しい」


「だから期限があるんだろ」


 相馬先輩はさらっと言います。


 そう。


 期限がなければ、


 一度出した処分が、


 何年後でも、


 何十年後でも、


 いつ覆るか分からない。


 行政関係が安定しません。


 相手方がいる処分なら、


 その人の立場だって不安定になる。


 救済。


 と、


 法的安定性。


 この二つの間に線を引く。


 それが期間制限です。


 冷たい。


 でも必要。


「じゃあ本題」


 私は赤ペンを持ちました。


「昭和六十三年の再審査請求期間」


 相馬先輩が言います。


「三十日」


「はい」


 旧行政不服審査法では、


 再審査請求は、


 審査請求についての裁決があったことを知った日の翌日から起算して、


 三十日以内。


 これが基本です。旧法五十三条はこの三十日期間を定めていました。


 私は大きく、


 三十日。


 と囲みました。


「ここ」


 私は言いました。


「現代受験生が昭和に飛ぶと、一日事故ります」


「意味分からん」


「現代法は一か月だからです」


「一か月も三十日も大差ねえだろ」


「先輩」


「何だ」


「三月一日に裁決を知ったとします」


「うん」


「三十日と一か月、同じだと思います?」


「……違うのか」


「違う場面があるから怖いんです」


 一か月。


 と、


 三十日。


 字面はほとんど兄弟です。


 でも法律では、


 兄弟だから同一人物として扱っていい、


 とはなりません。


「三十一日ある月があります」


「知ってる」


「二月はもっと短い」


「知ってる」


「つまり」


「暦で数える一か月と、日数で数える三十日は別物」


「そうです」


 相馬先輩が煙草を灰皿に置きました。


「面倒くせえな」


「行政法は、似た数字を並べて受験生を眠らせたあと刺してきます」


「法律が受験生を狙うな」


「体感です」


 私はノートに書きます。


 旧法。


 再審査請求。


 知った日の翌日から三十日以内。


 現行法。


 原裁決があったことを知った日の翌日から、


 一月を経過すると原則できない。


 現行法六十二条一項はそう定めています。


「ところで」


 相馬先輩が言いました。


「昨日からお前、『原裁決』って言ってるだろ」


「はい」


「何だそれ」


「そこ大事です」


 私は新しい見出しを書きました。


 ――原裁決とは?


「現行法でいう原裁決は」


 私は裁決書を指しました。


「再審査請求の前に行われた、審査請求についての裁決です」


「松井さんなら」


「県が出した、この棄却裁決」


「最初の搬入停止処分じゃない」


「そうです」


 ここ。


 かなり大事です。


 処分。


 審査請求。


 裁決。


 再審査請求。


 順番に並べると、


 こんな感じです。


 松井さんが、


 搬入停止処分を受けた。


 ↓


 審査請求した。


 ↓


 審査庁が棄却裁決をした。


 ↓


 その裁決を踏まえて再審査請求。


「だから」


 私は裁決書を指で叩きました。


「現代法でいう『原裁決』は、この真ん中の裁決」


「再審査請求の元になった裁決だから原裁決か」


「覚え方としてはそれで十分です」


「原処分とは別」


「はい」


 受験問題は、


 この二つをごちゃ混ぜにしてきます。


 原処分。


 原裁決。


 似ています。


 法律用語は、


 親戚の子どもに似た名前を付けて、


 法事で全員混乱する一族みたいなところがあります。


「じゃあ」


 相馬先輩が言いました。


「期限の起算点も裁決か」


「そうです」


「最初の処分を知った日じゃない」


「そこです」


 昨日の松井さんも、


 最初の搬入停止処分を受けたのは、


 かなり前でした。


 もし私が、


 処分を受けた日から数え始めていたら。


「もう六十日以上たってる。駄目だ」


 と、


 盛大に間違えていた可能性があります。


「でも再審査請求は」


 私は言いました。


「審査請求の裁決を経た後の手続です」


「だから裁決を知った日を見る」


「はい」


 昨日、


 松井さんに何度も聞きました。


 裁決書をいつ受け取ったか。


 火曜日か。


 水曜日か。


 木曜日か。


 最後は息子さんの野球中継で火曜日と判明。


「行政法が野球に救われましたね」


「野球は何もしてねえ」


「記憶の目印です」


「なら最初からそう言え」


 でも。


 現場では、こういう生活の記憶が強い。


 役所から紙が届いた日なんて、


 普通の人は全部覚えていません。


 でも、


 息子が野球を見た。


 雨が降った。


 給料日だった。


 子どもの誕生日だった。


 そういうものに結びつくと、


 急に日付が出てくる。


 テキストでは、


 「知った日の翌日から」。


 たったそれだけです。


 でも現場では、


 そもそも「知った日」がいつかを確定するところから始まる。


「ここ、試験より実務のほうが怖いですね」


「試験なら日付が問題文に書いてあるからな」


「現場は本人に聞くところから」


「そういうことだ」


 私は赤線を引きました。


 ――期間計算の前に、起算点となる事実を確定する。


 そして。


 もう一つ。


「現行法では客観的期間があります」


「客観的?」


「本人が知ったかどうかと別に動く期限です」


 私はノートを二列にしました。


 主観的期間。


 客観的期間。


「主観的期間は」


「本人が知った日を基準にする」


「はい」


「客観的期間は」


「本人が知らなくても進む?」


「そういう理解です」


 現行行政不服審査法六十二条では、


 原裁決があったことを知った日の翌日から一か月という期間に加えて、


 原裁決があった日の翌日から一年という期間も置かれています。どちらも、正当な理由がある場合の例外があります。


「一か月だけ覚えればいいわけじゃないんですね」


「そうです」


「知った日から一か月以内でも、一年以上たってれば駄目になることがある」


「原則としては」


「逆に、一年以内でも知ってから一か月を過ぎれば駄目」


「原則としては」


 つまり。


 二本の時計がある。


 一つ。


 知ったことを基準にする時計。


 もう一つ。


 裁決そのものがあったことを基準にする時計。


「どっちか片方だけ見ればいい?」


 相馬先輩が聞きます。


「駄目です」


「両方?」


「両方」


「面倒だな」


「だから試験に出ます」


「試験官の都合みたいに言うな」


 私は書きます。


 現行法。


 再審査請求。


 ①原裁決を知った日の翌日から一か月。


 ②原裁決があった日の翌日から一年。


 原則として、


 どちらかの期間を過ぎればアウト。


 ただし、


 正当な理由がある場合の例外。


「ここで超重要」


 私は赤ペンを止めました。


「教材とかまとめ方によっては、うっかり『処分があった日から一年』と覚えそうになるんですけど」


「違うのか」


「現行法六十二条二項は『原裁決があった日の翌日から一年』です」


 処分の日ではない。


 原裁決の日。


 ここは絶対に混ぜない。


「松井さんの流れなら」


 私は紙に書きます。


 搬入停止処分。


 ↓


 審査請求。


 ↓


 棄却裁決。


 ↓


 再審査請求。


「再審査請求の一年を見るとき」


「一番上の搬入停止処分の日じゃない」


「はい」


「棄却裁決の日」


「そうです」


 相馬先輩が腕を組みました。


「それ、引っかけやすそうだな」


「めちゃくちゃ引っかけやすいです」


「お前も引っかかる?」


「試験前日の私なら、たぶん三回くらい」


「駄目じゃねえか」


「だから今ここで治してます」


 私はノートの端に大きく書きました。


 ――再審査請求の一年は「原処分」ではなく「原裁決」。


 そして二重丸。


「所長」


「何だ」


「ここ、覚え方あります?」


「流れを覚えろ」


「流れ?」


「再審査だろ」


「はい」


「何を再び審査する」


「審査請求を経た案件」


「なら直前にあるのは何だ」


「裁決」


「そこを基準に見ると考えればいい」


「……なるほど」


 やっぱりこの人。


 説明が短い。


 短いのに妙に残ります。


「最初の処分だけ見てたら」


 私は言いました。


「再審査請求まで話が進んでないですもんね」


「そうだ」


「その前に審査請求がある」


「そうだ」


「その結果が原裁決」


「そうだ」


 流れで覚える。


 試験知識が、


 事件の時系列になる。


 これが一番強い。


 私は次の見出しを書きます。


 ――では、昭和六十三年では?


「ここから事故地帯です」


「まだあるのか」


「むしろここから本番です」


 旧法では、


 再審査請求期間は、


 審査請求についての裁決があったことを知った日の翌日から三十日以内。


 現代のように、


 六十二条一項に一か月、


 二項に一年、


 と独立して整理された条文ではありません。


 旧法五十三条は三十日を定め、


 五十六条が審査請求に関する規定の一部を再審査請求へ準用する構造でした。


「つまり」


 私は言いました。


「現代の六十二条だけ覚えて昭和六十三年に来ると危険」


「来ねえよ普通」


「私は来ました」


「知らん」


「経験者の証言です」


 現代。


 一か月。


 旧法。


 三十日。


 この違い。


 小さく見えます。


 でも。


 期間制限の一日は、


 小さくありません。


「期限が一日足りなかったら」


「アウトになることがある」


「そうです」


「じゃあ一か月と三十日をだいたい同じで覚えるのは」


「受験生としても実務としても危険です」


 私は四角で囲みました。


 ――数字は近くても、法律上は別。


「次」


 相馬先輩が言いました。


「正当な理由って何だ」


「現代法の例外ですね」


 現行法六十二条は、


 一か月についても、


 一年についても、


 正当な理由があるときは例外を認めています。


「じゃあ」


 相馬先輩がにやっとしました。


「松井さんが、『落ち込んでて出す気になれませんでした』と言えば」


「普通、それだけで簡単に救済されると思わない方がいいです」


「厳しいな」


「例外を当てにして期限を過ぎるのが一番危ないです」


 正当な理由。


 それが認められる場面はあり得る。


 でも。


 だからといって、


 期限は多少過ぎても大丈夫。


 ではありません。


「実務なら?」


 相馬先輩が聞きます。


「まず期限内に出せるなら出す」


「うん」


「正当な理由の議論は、どうしても間に合わなかったときの話」


「そうだな」


 私は大きく書きます。


 ――例外を探す前に、原則期間内に動く。


 昨日、


 片桐所長が二十一日目で提出した理由。


 まだ九日ある。


 ではない。


 九日しかない。


 郵送。


 書類不備。


 印鑑。


 提出先。


 災害。


 本人の体調。


 何が起きるか分からない。


「締切前日に完成するのが一番格好いいって思ってた時期がありました」


「馬鹿だろ」


「学生時代のレポートです」


「もっと馬鹿だ」


「否定できません」


 法律手続で締切前日チャレンジは、


 格好よさゼロです。


 胃痛百です。


「ところで」


 私は裁決書を持ち上げました。


「再審査請求って、審査請求で負けたら必ずできると思ってません?」


「違うのか」


「違います」


「またか」


 ここも重要です。


 現行法でも、


 再審査請求は、


 あらゆる審査請求について当然に用意されている二回戦ではありません。


 他の法律に再審査請求をすることができる旨の定めがある場合など、


 法律上認められた場合に行う手続です。


 旧法でも同じく、


 再審査請求は無条件に誰でも使える仕組みではありませんでした。


 厚生省の旧法施行時の通知でも、法律・条例による定めがある場合などに認められる制度として説明されています。


「つまり」


 相馬先輩が言います。


「一回負けた」


「はい」


「じゃあ二回目」


「とは限らない」


「そこも最初に確認」


「はい」


 昨日、


 片桐所長が私に言いました。


 期限だけ見るな。


 再審査請求できる案件か確認しろ。


 あれです。


「私、期限見つけてテンション上がって」


「何で期限で上がるんだ」


「論点見つけた受験生の習性です」


「気持ち悪い習性だな」


「否定しません」


 再審査請求できない案件なのに、


 三十日だ。


 一か月だ。


 と計算しても意味がない。


 まず。


 この案件に再審査請求の制度が用意されているのか。


 次に。


 誰にするのか。


 そのあと。


 いつまでか。


「順番ですね」


「そうだ」


 片桐所長が言いました。


「法律は、論点を知っているだけでは使えない」


「……はい」


「順番を間違えると、必要な確認が抜ける」


 う。


 刺さります。


 私はノートに書きました。


 再審査請求チェック。


 一。


 再審査請求が法律上認められている案件か。


 二。


 原裁決は何か。


 三。


 原裁決を知った日はいつか。


 四。


 期間を過ぎていないか。


 五。


 誰に、何を、どの理由で求めるか。


「教材だと数字から覚えがちですけど」


 私は言いました。


「現場だと数字は途中なんですね」


「ああ」


「入口があるか確認してから、時計を見る」


「そういうことだ」


 次。


 私は赤ペンで、


 ――却下と棄却。


 と書きました。


「これも昨日出ました」


「何が違う」


 相馬先輩が聞きます。


「却下は、ざっくり言えば適法な手続要件を満たしていなくて、本案に入らない」


「期限切れとか」


「そうです」


「棄却は」


「中身まで見たうえで、理由なし」


「松井さんの最初の審査請求は?」


「棄却」


「再審査請求を期間過ぎて出したら?」


「不適法として却下になる可能性」


「だから怖い、と」


「そうです」


 私は丸をつけました。


 却下。


 入口で止まる。


 棄却。


 中に入ったが負ける。


「かなり雑ですけど」


「覚えるにはいい」


「試験では条文に合わせて考えます」


 現行法でも、


 再審査請求が法定期間経過後など不適法なら却下。


 理由がなければ棄却。


 そこは条文上、明確に区別されています。


「松井さんの場合」


 私は言いました。


「最初の審査請求では中身を見てもらって棄却された」


「うん」


「だから次に再審査請求をした」


「うん」


「でもその再審査請求が期限切れなら」


「今度は中身を見るところまで行かねえ」


「そこです」


 昨日、


 県や市の記録を調べて、


 後からできた基準の問題に気づいた。


 でも。


 期限を一日でも過ぎていれば。


 せっかく見つけた資料が、


 入口を開ける鍵にはならない可能性がある。


「法律って」


 私は言いました。


「真実を見つければ必ず勝てるゲームじゃないんですね」


「当たり前だ」


「手続に乗せないといけない」


「そうだ」


 実体。


 手続。


 どちらも必要。


 どれだけ処分に問題があっても、


 適切な手続を、


 適切な期間に、


 適切な相手へ、


 出さなければならない。


 眠い。


 面倒。


 細かい。


 受験生だった頃の私は、


 期間制限の表を見るたびにそう思っていました。


 でも。


 昨日の松井さんの顔を思い出すと、


 もう数字だけには見えません。


 三十日。


 一か月。


 一年。


 その数字の向こうには、


 まだ入口が開いている人と、


 閉じてしまった人がいる。


「次」


 私は言いました。


「現代法と旧法を並べます」


 ノートに書きます。


 昭和六十三年・旧法。


 審査請求。


 異議申立て。


 再審査請求。


 現代法。


 原則、審査請求へ一本化。


 再調査の請求は個別法が認める場合。


 再審査請求も、法律に根拠がある場合。


「昨日の話は再審査請求期間ですけど」


 私は続けました。


「このシリーズ全体で一番危ないのは、旧法と現行法を混ぜることです」


「また三か月って言いそうになるやつか」


「そうです」


 旧法の通常の審査請求期間。


 六十日。


 現行法。


 三か月。


 旧法の再審査請求。


 三十日。


 現行法。


 一か月。


「似たように伸びてるな」


「そう見えますよね」


「六十日が三か月」


「はい」


「三十日が一か月」


「はい」


「じゃあ全部現代の方が長いと覚える?」


「雑すぎます」


「違うのか」


「個別に条文で確認してください」


「使えねえ覚え方だな」


「法律に万能語呂合わせを求めないでください」


 でも。


 改正の方向は見えてきます。


 旧法は、


 異議申立てと審査請求が併存していた。


 どちらを使うのか分かりにくい。


 処分庁自身へ異議申立てをする場面もあった。


 手続構造も複雑。


 現代では、


 原則として審査請求へ一本化。


 審理員制度も導入。


 第三者機関への諮問制度も整えられた。


「なぜ変えたのか」


 相馬先輩が聞きます。


「利用する人から見て分かりやすく、公正性も高める方向へ」


「旧法が全部駄目だったのか」


「それも違います」


 旧法にも意味があった。


 行政自身が迅速に見直す。


 異議申立てだからこそ、


 処分庁が早く自己修正できる場面もある。


 ただ。


 分かりにくさ。


 公正性への疑念。


 制度の複雑さ。


 そういう課題を踏まえて、


 後の改正につながった。


「制度改正って」


 私は言いました。


「前の制度を笑うためじゃないんですよね」


「当たり前だ」


「前の制度で困ったことがあったから変える」


「そうだ」


「そう思うと新旧比較って、暗記じゃなくて歴史になる」


 相馬先輩が私を見ました。


「お前、たまに真面目なこと言うな」


「普段は?」


「うるさい」


「ひどい」


 片桐所長が帳簿を閉じます。


「まだある」


「何です?」


「裁決を知った日と、裁決があった日」


「あ」


 私は姿勢を正しました。


 現行法の二本の時計。


 知った日の翌日から一か月。


 原裁決があった日の翌日から一年。


 この二つ。


 同じ日とは限りません。


「たとえば」


 私は言いました。


「裁決は四月一日」


「うん」


「本人が何らかの事情で知ったのが五月一日」


「うん」


「主観的期間は」


「五月一日に知ったなら、その翌日を起点に考える」


「はい」


「客観的期間は」


「裁決があった四月一日の翌日から」


「その通り」


 一つは本人の認識。


 一つは行政の行為自体。


「だから二本あるのか」


「そうです」


「知らなかったと言い続ければ永遠に延びるのを防ぐ」


「そういう役割があります」


 一方で、


 本人がちゃんと知ったなら、


 そこから短い期間で動いてください。


 というのが主観的期間。


「救済の機会と、法律関係の安定」


「またその二つか」


「行政法、だいたいその辺で綱引きしてます」


 私はノートの中央に線を引きました。


 救済。


 ←――――――→


 安定。


「期間制限って」


 私は言いました。


「冷たいルールに見えますけど」


「うん」


「実は両方を守ろうとしてる」


「そうだな」


「期限なしなら申立人には優しいかもしれない」


「行政関係はいつまでも固まらねえ」


「逆に期限が短すぎたら」


「救済が使えねえ」


「だから線をどこに引くか」


 そこが制度設計。


 行政不服審査法は、


 人情だけでは作れません。


 厳しすぎても駄目。


 緩すぎても駄目。


 数字を置かなければならない。


 三十日。


 一か月。


 一年。


 それらは無味乾燥な数字だけれど、


 誰かの救済と、


 社会の安定の間に引かれた線です。


「じゃあ」


 相馬先輩が言いました。


「松井さんが裁決書を机の引き出しに入れて、二か月放っておいたら」


「現行法の例なら、原則として知った日から一か月の期間に引っかかります」


「一年以内でも?」


「はい」


「逆に本人がずっと知らなかったとしても」


「客観的な一年があります」


「どっちも見る」


「必ず」


 私は三重丸にしました。


 ――主観的期間と客観的期間は別々にチェック。


「試験問題で」


 私は言いました。


「『原裁決があったことを知った日の翌日から一年以内ならできる』とか出されたら」


「×」


「はい」


「一か月があるから」


「その通り」


「『原処分の日から一年』」


「×」


「原裁決」


「はい」


「『裁決を知ってから一か月』」


「基本○」


「ただし」


「正当な理由の例外あり。それと客観的一年も見る」


 相馬先輩が嫌そうな顔をしました。


「一文で終わらねえな」


「行政法ですから」


「便利な言葉だな」


 私は笑いました。


 次。


 教示。


 現場編で、


 裁決書の末尾に再審査請求についての記載がありました。


「あれも大事ですね」


「教えてくれるやつか」


「はい」


 救済制度があっても、


 本人が知らなければ使えない。


 どこへ。


 いつまでに。


 何をすればいいか。


 そうした情報を示す教示制度があります。


 旧法でも、


 不服申立てができる処分を書面でする場合、


 不服申立てができる旨、


 申立先、


 申立期間などを教示する規定が置かれていました。


「昨日の松井さんは」


 私は言いました。


「裁決書を見て、再審査請求という次の道があると分かった」


「でも意味までは分かってなかった」


「そうなんですよね」


 制度名だけ書かれていても、


 普通の人には、


 審査請求。


 再審査請求。


 再調査。


 異議申立て。


 全部、


 似たような漢字の群れです。


「鳥の名前なら」


「何だ急に」


「スズメ、ツバメ、ハトって見分けられる」


「まあな」


「行政不服審査になると、異議、審査、再審査、再調査」


「知らんやつには全部同じに見えるな」


「そういうことです」


 だから教示は大事。


 そして、


 教示を見たら、


 期限はその日のうちに確認する。


 後回しにしない。


「今日の実務教訓ですね」


「試験より使えるな」


「試験にも使えます」


「欲張るな」


 私はノートを一度見返しました。


 かなり埋まりました。


 でも。


 一つ引っかかっていることがあります。


「所長」


「何だ」


「再審査請求って」


「うん」


「原裁決がおかしかったら、それだけで必ず認容されるんですか」


「違う」


 即答でした。


「ですよね」


 旧法にも、


 ここで面白い規定があります。


 審査請求を却下または棄却した裁決が違法・不当でも、


 元の処分自体が違法・不当でないなら、


 再審査請求は棄却される。


 旧法五十五条が、まさにその趣旨を定めていました。


「え」


 相馬先輩が言いました。


「裁決が間違ってても負けるのか」


「元の処分が結局正しいなら、そういう場面があります」


「ややこしいな」


「でも理屈は分かります」


 たとえば。


 審査請求の裁決理由にまずいところがあった。


 手続や理屈に問題があった。


 それでも。


 元の処分を調べ直した結果、


 処分自体には違法も不当もない。


 それなら、


 最終的に処分をひっくり返す必要まではない。


「松井さんなら?」


 相馬先輩が聞きます。


「県の棄却裁決の理由付けに問題があったとしても」


「うん」


「元の搬入停止処分が別の正当な根拠で適法・妥当なら」


「再審査請求を通す意味が薄い」


「そういう整理です」


 だから昨日、


 私たちは裁決だけ見なかった。


 元の搬入停止処分まで遡った。


 処分当時の基準。


 他店との比較。


 代替手段。


 全部調べた。


「なるほど」


 私は自分で言ってから、


 ペンを止めました。


「昨日、所長が『処分と裁決、両方の記録』って言ったの、これですね」


「今気づいたのか」


「現場では必死だったんです!」


 再審査請求。


 名前だけ見ると、


 裁決だけをもう一度審査するように見えます。


 でも。


 元になった処分がどうだったのか。


 そこまで切り離せない。


 だから事件の流れを、


 処分。


 審査請求。


 裁決。


 再審査請求。


 一本の線で追わないといけない。


「法律って」


 私は言いました。


「一個前だけ見てちゃ駄目なんですね」


「そうだ」


 片桐所長が言いました。


「手続は積み重なっている」


 私はその言葉をノートに書きました。


 ――手続は積み重なる。だから前段階まで戻って見る。


 そのとき。


 電話が鳴りました。


「はい、片桐行政書士事務所です」


『松井です』


「あ、松井さん」


『今いいですか』


「もちろんです」


 少し緊張しました。


 何か動きがあったのか。


『今日、市役所の方から連絡があって』


「はい」


『共同売店への搬入を、条件付きで再開できないか検討するって』


 私は椅子から半分立ち上がりました。


「本当ですか」


『まだ決まってないです』


「はい」


『保冷容器と温度記録を付ける方法で、他のお店も含めて基準を揃えるそうです』


「……そうですか」


『だから』


 松井さんが少し笑った声になりました。


『明日、容器を見に行ってきます』


「はい」


『まだ戻れるか分からないけど』


「はい」


『昨日までは、もう店ごと締め出された気がしてたから』


 一瞬。


 言葉が出ませんでした。


 完全勝利ではない。


 再審査請求の結論だってまだ。


 でも。


 役所側が、


 松井さんだけ全面停止、


 という選択肢から、


 条件付きで続けられないか、


 という検討へ動いた。


 ゼロか百かだったものが、


 途中の答えを探し始めた。


「よかったですね」


「はい」


『それと』


「何です?」


『コロッケ』


 来た。


『相馬さん、四つ食べたでしょう』


 私は相馬先輩を見ました。


「先輩」


「何だ」


「四つ食べました?」


「知らん」


『息子が十二個入れたって言ってたんです』


「供述が出ました」


「何の供述だ」


『片桐先生二個。朝比奈さん二個。私一個』


「はい」


『そうすると――』


 私と松井さんが同時に言いました。


「「相馬先輩五個」」


「増えてんじゃねえか!」


 事務所に笑い声が広がりました。


『また持っていきます』


「今度は個数表を付けてください」


『役所みたいね』


「証拠保全です」


 電話を切ります。


 相馬先輩が不満そうです。


「俺じゃねえぞ」


「不服申立てします?」


「誰にだ」


「所長」


「棄却」


 片桐所長が即答しました。


「まだ申立ててねえ!」


「簡易迅速だ」


「公正がない!」


「この事務所、旧法よりひどいですね」


「お前まで乗るな」


 笑ってから。


 私はノートに戻りました。


 最後。


 一行の覚え書き。


 いつもここが一番難しい。


 三十日。


 一か月。


 一年。


 原裁決。


 主観的期間。


 客観的期間。


 正当な理由。


 却下。


 棄却。


 全部入れたら、


 一行が行政不服審査法の条文集になります。


「どうする」


 相馬先輩が聞きました。


「考えてます」


「短くしろよ」


「分かってます」


 私はペンを置き、


 昨日の松井さんを思い出しました。


 棄却裁決を持ってきたとき。


 もう終わりだと思っていた顔。


 でも。


 火曜日に受け取ったと分かった。


 まだ時間があった。


 記録を集めた。


 処分当時の基準を確認した。


 他店との比較をした。


 再審査請求を出した。


 そして今日。


 条件付き搬入再開の検討が始まった。


 期限は、


 人を救う制度ではありません。


 むしろ。


 期限そのものは、


 救済の道を閉じる側のルールにも見えます。


 でも。


 いつ閉じるかが明確だから、


 閉じる前なら、


 行政にも、


 本人にも、


 「まだ間に合う」と言える。


 曖昧に、


 もう遅いでしょう。


 ではない。


 あと九日。


 まだ出せる。


 そう言える。


 条文は冷たい。


 時計も冷たい。


 でも。


 冷たいからこそ、


 人の好き嫌いで時間を縮められない。


 役所に嫌われた人だけ、


 昨日で締切。


 なんてことにはならない。


 そして。


 その線の内側にいる限り、


 法律はまだ入口を開けている。


 私は書きました。


 ――再審査請求は、原裁決から時計を見る。期限内なら、負けたあとにも次の入口は残っている。


「長い」


 相馬先輩が言いました。


「じゃあ短縮」


 私は下に書きます。


 ――再審査は、原裁決と時計を見ろ。


「短すぎねえか」


「注文が多い!」


「一か月と一年は?」


「それは現代版」


「三十日は?」


「昭和版」


「入ってねえ」


「一行に全部入れたら覚えにくいでしょう!」


 片桐所長が言いました。


「なら分けろ」


「一行の覚え書きなのに?」


「目的は一行にすることじゃない」


 所長は私のノートを指しました。


「忘れないことだ」


 私は黙りました。


 ……確かに。


 形式にこだわって、


 覚えるべきことを落としたら本末転倒です。


 なので。


 最後に三行。


 私は四角で囲みました。


 ――昭和六十三年:再審査請求は、裁決を知った翌日から三十日。


 ――現代:原裁決を知った翌日から一か月、原裁決の日の翌日から一年。


 ――処分の日ではなく、「原裁決」を見る。


「これなら?」


 相馬先輩が覗き込みます。


「まあ、忘れねえだろ」


「褒めました?」


「気のせいだ」


「またそれ」


 外を見ると、


 商店街の灯りが一つずつ消えていました。


 松井さんの店では、


 明日もコロッケを揚げるのでしょう。


 共同売店に戻れるかは、


 まだ決まっていません。


 再審査請求の結果も出ていない。


 処分が取り消されるとも限らない。


 それでも。


 時間内に手を挙げた。


 だから、


 記録がもう一度開かれた。


 比較対象が調べられた。


 別の方法が検討され始めた。


 それだけでも。


 期限内に動いた意味はありました。


 私はノートを閉じます。


「終わったか」


「はい」


「帰るぞ」


「待ってください」


「何だ」


「今日のコロッケ問題が未解決です」


「まだ言うのか」


「五個食べた疑いがあります」


「証拠は?」


「残数計算」


「現物は?」


「胃の中」


「確認できねえな」


「証拠隠滅じゃないですか!」


 片桐所長が立ち上がります。


「こはる」


「はい」


「不服申立期間は」


「何についてです?」


「コロッケ」


「ありません!」


「ならいつまでも争えるな」


「そこに法的安定性を持ち込まないでください!」


 相馬先輩が事務所の時計を見ました。


「じゃあ俺は帰る」


「逃げるんですか」


「勤務時間は終わった」


「待ってください!」


「期限だ」


「あっ」


 その一言で。


 何となく追う気がなくなりました。


 期限。


 どうやら今日は、


 何を言ってもそこへ戻ってくる日らしい。


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


 再審査請求は三十日。


 現代なら一か月と一年。


 時代が変われば数字も制度も変わります。


 でも。


 ひとつだけ変わらないことがあります。


 負けた紙を受け取ったとき。


 落ち込む前に。


 捨てる前に。


 引き出しへしまう前に。


 まず、


 いつ届いたかを見る。


 救済には、


 時計がついている。


 そしてその時計がまだ動いているなら。


 「もう終わった」は、


 まだ少し早いのです。

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