[行政不服審査法61条・審査請求規定の準用]法理編 こはるノート
夕方の片桐行政書士事務所には、焼き芋の匂いが残っていました。
正確には。
焼き芋の匂いと、相馬先輩が三本目に手を伸ばそうとして私に止められた空気が残っています。
「先輩」
「何だ」
「それ、三本目ですよね」
「違う」
「何が違うんです」
「二本目の続きだ」
「焼き芋に一体性を持たせないでください」
私は紙袋を自分の机の下へ避難させました。
八木さんたち駅前の仮設売店十二人からもらった焼き芋です。
市役所から一斉に使用許可を取り消され、
十二人それぞれが不服申立てをすることになった。
けれど。
十二人が十二回、
同じ説明をし、
同じ資料を出し、
同じ話を最初から繰り返す必要はない。
共通する部分はまとめる。
個別事情は分ける。
代表者を立てる。
資料も出す。
必要なら口頭で事情を説明する。
そして。
処分の効力が先に動いて取り返しがつかなくならないよう、執行停止も求める。
そこまで整理したところで。
私の頭の中では、
一つの言葉がずっと居座っていました。
――準用。
私はノートを開きました。
ページの一番上に大きく書く。
行政不服審査法六十一条。
そしてその下。
――審査請求に関する規定の準用。
「先輩」
「何だ」
「今日は準用です」
「嫌な響きだな」
「分かります?」
「条文で『何条から何条までを準用する。ただし何項を除く』とか出てくると読む気が失せる」
「めちゃくちゃ分かります」
珍しく意見が一致しました。
行政法を勉強していたころ。
私は準用条文が嫌いでした。
というか。
受験生の大半は、準用条文を見ると少しだけ視力が落ちると思う。
何条。
何項。
何号。
ただし除く。
読み替える。
別表を見る。
戻る。
また条文を見る。
――迷路か。
法律がこちらの忍耐力を試しているようにしか見えません。
「でも」
私はノートに線を引きました。
「昨日、ちょっと意味が分かったんです」
「何が」
「何で準用するのか」
相馬先輩が焼き芋の皮をむきながら言います。
「同じことを二回書くのが面倒だからだろ」
「雑!」
「違うのか」
「半分くらい合ってるのが腹立ちます」
奥から片桐所長が言いました。
「説明してみろ」
「はい」
私はペンを持ち直しました。
「現代の行政不服審査法では、再調査の請求という手続があります」
相馬先輩が顔をしかめます。
「また未来か」
「今日は未来の条文がテーマなので許してください」
「今は昭和六十三年だぞ」
「分かってます」
そこ。
大事です。
まず時代を分ける。
昭和六十三年。
私たちが今いる時代の旧行政不服審査法には、
現代法の意味での『再調査の請求』という制度はありません。
この時代の基本は、
審査請求。
異議申立て。
この二本立て。
処分庁に上級行政庁があるかどうかなどによって、申立先が変わる。
一方。
平成二十六年の全部改正後の現代法では、
原則として審査請求に一本化された。
旧法の異議申立ては廃止。
そして。
特定の場合に、
処分庁に対してもう一度見直しを求める、
再調査の請求という制度が置かれています。
「それ、昔の異議申立てが名前変えただけか」
相馬先輩が聞きました。
「そこ、試験で危ないところです」
「違うのか」
「同じものとして覚えない方がいいです」
旧法の異議申立てと。
現代法の再調査の請求。
どちらも、
処分をした行政側に見直しを求める。
見た目は似ています。
でも。
制度の位置づけも、
選べる場面も、
その後の審査請求との関係も違う。
「だから」
私はノートに書きました。
旧法の異議申立て ≠ 現代法の再調査の請求。
「似てるけど別物」
「ややこしいな」
「行政法ですから」
「行政法に謝れ」
「すみません行政法」
たぶん許してくれません。
私は続けました。
「で、現代法では再調査の請求について、全部の手続規定を一から書き直してないんです」
「審査請求のルールを借りる」
片桐所長が言いました。
「はい」
そこが六十一条。
審査請求について定めた規定のうち、
再調査の請求でも使えるものを、
再調査の請求に準用する。
「準用って」
相馬先輩が言います。
「適用とは違うのか」
「そこも受験生が引っかかります」
私はノートに二つ並べました。
適用。
その規定を、そのまま当てはめる。
準用。
本来は別の場面の規定を、必要な修正や読み替えをして、似た場面にも使う。
「雑に言えば」
私は言いました。
「このルール、そっちでも使えるから借りてね、です」
「それでいいじゃねえか」
「試験答案でそれだけ書いたら怒られます」
「誰に」
「採点者に」
でも。
昨日の八木さんたちの事件を思えば分かりやすい。
十二人の不服申立て。
十二件とも処分は別。
だけど。
共通する部分はある。
だから同じ説明を十二回一からする必要はない。
一方で。
甘栗屋さんと漬物屋さんでは、
設備も損害も違う。
全部一つに潰してはいけない。
「準用も、それと似てるんです」
私は言いました。
「審査請求と再調査の請求は別制度。でも、不服申立てとして共通する手続は多い」
「だから借りる」
「はい」
「違うところは?」
「除いたり、読み替えたりする」
「なるほど」
私は昨日の一覧表を取り出しました。
氏名。
業種。
撤去費。
設備。
復旧可能性。
「これも同じですよね」
「何が」
「十二人全部に同じ欄を使った」
「うん」
「でも、全員同じ答えにはならなかった」
「当たり前だ」
「準用もそうです」
同じ型を使う。
でも中身まで全部同一にするわけではない。
それが準用。
「じゃあ六十一条で何が準用される」
片桐所長が聞きました。
来た。
条文暗記タイム。
私はノートを見ました。
「全部覚えるんですか」
「試験なら問われる可能性はある」
「ですよねえ」
私はため息をついてから、整理しました。
六十一条で再調査の請求に準用されるのは、
審査請求についての規定のうち、
たとえば。
法人でない社団や財団の扱い。
総代。
代理人。
参加人。
行政庁が裁決権限を失った場合の措置。
手続の承継。
標準審理期間。
申立書。
口頭による申立て。
補正。
一定の場合の審理を経ない却下。
執行停止。
執行停止の取消し。
取下げ。
口頭意見陳述。
証拠書類等の提出。
審理手続の併合や分離。
裁決の効力発生に関する規定。
証拠書類等の返還。
「多いな」
相馬先輩が即答しました。
「多いです」
「全部書く必要あるのか」
「条文には書いてあります」
「嫌がらせだな」
「昨日の私はそれに近いこと思ってました」
でも。
一個ずつ八木さんたちの事件に当ててみる。
すると。
急に全部が人間の言葉になります。
「まず総代」
私は言いました。
「十二人みたいに、大勢で一緒に争うとき」
「ああ」
「全員が毎回来なくても、代表者を立てて手続を進められる」
「昨日の八木さんだな」
「そうです」
次。
代理人。
「本人が自分で全部やらなくても、代理人を通じて手続できる」
「まあ分かる」
次。
参加人。
「処分を取り消したり維持したりすると、第三者の利害にも影響することがあります」
「そういう奴も手続に関わることがある」
「はい」
次。
申立書。
口頭による申立て。
補正。
「形式が足りなかったら即アウトか」
相馬先輩が聞きます。
「一定の場合には補正の機会を与える仕組みがあります」
「書き間違えたら人生終了、ではない」
「そうです」
法律手続は形式が大事。
でも。
形式だけで救済への道を片っ端から閉じたら、
何のための不服審査なのか分からない。
だから補正という仕組みがある。
もちろん、
何でも後から直せるという話ではありません。
でも。
直せる不備なら直させる。
これも、
簡易迅速な救済制度らしい仕組みです。
「昨日、八木さんたちが『文章が苦手だから口で説明したい』って言ってましたよね」
「ああ」
「現代法だと、口頭で申立てができる場合の規定も準用される」
「全部書面じゃないのか」
「法律上、口頭ですることが認められる場合もあります」
「役所の窓口で『書面しかありません』って言い切ったのは」
「少なくとも制度全体を知らずに言い切ると危ない」
そこです。
できない。
という言葉。
昨日、私がいちばん引っかかったもの。
役所が本当に法律で禁止されているからできないのか。
それとも。
担当者がその手続を知らないだけなのか。
そこを切り分ける。
法律家の仕事って、
案外そういう地味なところにあります。
「次」
私は書きました。
執行停止。
「これは昨日、一番大きかったですね」
「不服申立てすれば自動的に処分が止まるわけじゃない」
「はい」
そこは重要。
不服申立てをした。
だから処分の効力も止まる。
――ではない。
原則として、
不服申立てをしても処分の効力、処分の執行、手続の続行は妨げられない。
「で」
相馬先輩が言います。
「八木さんたちは三週間後に撤去」
「そうです」
「審理が終わるまで待ってたら店が壊される」
「だから執行停止」
救済は、
間に合わなければ意味がない。
それを昨日、私はかなり強く感じました。
「現代法六十一条では、審査請求の執行停止に関する二十五条も再調査の請求に準用されます」
「全部か」
「そこが注意です」
私はノートに大きく書きました。
第25条。
ただし第3項を除く。
「出たな」
相馬先輩が嫌そうな顔をしました。
「何項を除く、ってやつ」
「はい」
「何で全部準用しない」
「手続の性質が違うからです」
これが準用の肝。
借りられるところだけ借りる。
そのままでは合わない部分は外す。
「つまり」
私は言いました。
「六十一条は『審査請求と再調査の請求は全部同じです』って条文じゃない」
「逆か」
「むしろ、違う制度だからこそ、使える部分だけ指定して借りてる」
「なるほど」
私は丸で囲みました。
準用 = 同一化ではない。
これ。
試験でかなり大事な感覚です。
準用される。
と書いてあったから、
元の規定がそのまま全部使える。
と考えたら危ない。
除外される項。
読み替え。
そこまで見る。
「口頭意見陳述も準用されるんですよね」
相馬先輩が言いました。
「はい。ただしこれも全部そのままではありません」
「またか」
「第31条第五項を除く」
「覚えさせる気あるのか未来の法律」
「未来の受験生は頑張ってます」
私は心の中で全国の行政書士受験生に合掌しました。
次。
証拠書類等の提出。
「昨日なら写真とか見積書だな」
「そうです」
八木さんたちが提出した、
駅前の写真。
屋台の構造。
撤去費の見積書。
復旧困難な設備。
あれ全部。
感情ではありません。
事実です。
行政不服審査は、
「困っています」
だけで決まる制度ではない。
困っている事情を、
手続の中で使える形にする。
「証拠にする」
「そうです」
そして。
審理手続の併合または分離。
「これ、昨日そのままですね」
「十二人」
「はい」
事情が共通するならまとめる。
個別性が強ければ分ける。
十二件だから絶対十二本の別々の審理。
でもない。
逆に。
十二人いるから全部一つの事件。
でもない。
「昨日の言い方なら」
相馬先輩が言いました。
「同じところは同じ。違うところは違う」
「それです」
これが。
なぜか今日一番しっくり来ました。
準用も。
併合も。
分離も。
法律は、
何でも一括りにするのでも、
何でも別々にするのでもない。
必要な単位で整理する。
「行政法って」
私は言いました。
「意外と整理整頓の法律ですよね」
「今さらか」
「昔はもっと意地悪な法律だと思ってました」
「法律に人格を持たせるな」
片桐所長が言いました。
正論です。
私は次の見出しを書きました。
――なぜ再調査の請求に審査請求の規定を準用するのか。
「答えは」
相馬先輩が先に言いました。
「同じこと二回書くのが面倒だから」
「だから雑なんですって!」
でも。
所長が言いました。
「それも理由の一つではある」
「所長まで」
「法律は必要のない重複を避ける」
「ですよね」
「だが、それだけじゃない」
「はい」
同じ不服申立制度の中で。
総代。
代理人。
申立書。
補正。
執行停止。
意見を述べる機会。
証拠を出す機会。
併合や分離。
こうした基本的な手続が、
制度ごとにバラバラだったら。
利用する側は混乱する。
行政側も運用しにくい。
だから。
共通する手続は共通のルールを使う。
「統一性ですね」
「そうだ」
「でも再調査の請求特有の事情があるところは除く」
「そうだ」
「だから準用」
片桐所長が頷きました。
すっきりした。
六十一条って。
条文だけ見ると、
参照番号の塊です。
読んでいて全然楽しくない。
でも。
本質は意外と単純。
審査請求で整えた手続の道具箱を、
再調査の請求でも必要な範囲で使う。
ただし。
形が合わない道具は入れ替える。
「道具箱」
相馬先輩が言いました。
「それは分かりやすいな」
「褒めました?」
「気のせいだ」
最近みんなそれで逃げます。
私は次の見出しを書きました。
――再調査の請求とは何か。
「ここも一応整理します」
「六十一条だけじゃ駄目なのか」
「六十一条を理解するには、何に準用するのか分からないと」
「確かに」
現代法。
再調査の請求。
処分庁に対して、
その処分について改めて調査・見直しを求める制度。
ただし。
どんな処分でも自由に選べるわけではありません。
「ここ重要です」
私は線を引きました。
法律に再調査の請求をすることができる旨の定めがある場合に限られる。
「つまり」
相馬先輩が言います。
「普通の処分なら、とりあえず再調査してくれって言えばいいわけじゃねえ」
「そうです」
現代法の原則は審査請求。
再調査の請求は、
法律に特別の定めがある場合の選択肢。
「旧法とそこが違うんですよね」
「はい」
昭和六十三年の旧法では、
異議申立てという一般的な不服申立類型が存在した。
でも現代法では、
異議申立てを廃止して、
原則は審査請求に一本化。
その上で、
特定の分野についてだけ再調査の請求を残す。
「何でそんな改正した」
相馬先輩が聞きました。
「これが転生者的には面白いところです」
「嬉しそうだな」
「制度改正の理由が現場で分かるので」
旧法。
異議申立て。
審査請求。
二種類ある。
申立先も違う。
どっちを使うのか分かりにくい。
しかも。
異議申立てでは、
処分庁自身が自分の処分を見直す。
「八木さんの昨日の感覚に近いですよね」
「役所が出した処分を役所に見直してくれって言う」
「はい」
もちろん。
処分庁自身がすぐ直せる利点もある。
現場事情を知っている。
資料もある。
早く是正できることもある。
でも一方で。
「公正なのか、って不安は出る」
「そうです」
だから。
現代法では原則を審査請求へ一本化。
さらに。
原処分に関与していない職員を審理員として指名し、
審理を担わせる制度が導入された。
「審理員」
「はい」
「昭和六十三年には」
「いません」
「行政不服審査会」
「ありません」
「三か月」
「六十日です」
「よし」
また試されました。
転生者に対する抜き打ち試験。
「じゃあ現代は」
相馬先輩が言います。
「再調査の請求でも審理員が審理するのか」
「そこが大事です」
私は待ってましたとばかりにノートを指しました。
「原則として違います」
「ほう」
「再調査の請求は、処分庁自身が見直す手続です」
「じゃあ審理員制度とは合わない」
「そうです」
だから。
六十一条は、
審査請求に関する規定を何でも全部準用しているわけではない。
再調査の請求の性質に合うものを選んで準用する。
「六十一条の最初に九条第四項が出てきますけど」
「うん」
「九条そのもの全部じゃない」
「つまり審理員制度を丸ごと持ってくるわけじゃない」
「そういうことです」
ここ。
かなり重要。
審査請求の規定が準用される。
だから再調査の請求にも審理員がいる。
――とはならない。
「準用の条文って」
私は言いました。
「何が書かれてるかより、何が書かれてないかも大事なんですね」
「そうだ」
所長が言いました。
「準用条文は一覧表だと思え」
「一覧表?」
「借りる規定の一覧だ」
「なるほど」
「書かれていないものまで勝手に借りるな」
「はい」
すごく実務的です。
私はノートに大きく書きました。
準用条文では、
①何条が準用されるか。
②何項が除外されるか。
③どんな読み替えがあるか。
この三つを確認。
「試験でもこれですね」
「そうだ」
「『審査請求の規定はすべて再調査の請求に準用される』」
「誤り」
「はい」
「『準用される規定は、そのまま一字一句変わらず適用される』」
「誤り」
「『六十一条では、一部の項を除外した上で準用する規定もある』」
「正しい」
「よし」
相馬先輩が言いました。
「急に試験問題みたいだな」
「法理編なので」
私はさらに書きます。
第31条。
第5項を除く。
第32条。
第2項を除く。
第25条。
第3項を除く。
「これ、数字まで覚えます?」
相馬先輩が嫌そうに聞きます。
「全部丸暗記より、まず構造を覚えたいです」
「どういう構造」
「再調査の請求でも必要な基本手続は広く借りる」
「うん」
「でも、審査請求特有の仕組みと結びつく部分などは、そのまま使わない」
「うん」
「だから一部除外が出る」
「なるほど」
それから数字。
先に意味。
後から条文。
その方が私は覚えやすい。
受験生時代、
数字から入って何度も撃沈した経験が生きています。
「あと」
私は言いました。
「六十一条の最後に、読み替えがあります」
「別表か」
「そうです」
法律では、
審査請求。
審査庁。
裁決。
そういう言葉が使われています。
でも。
再調査の請求でそのまま使うと合わないものがある。
だから。
別表第二を使って、
必要な字句を読み替える。
「つまり」
相馬先輩が言いました。
「借りた服を、そのまま着たら袖が長いから直す」
「おお」
「何だ」
「分かりやすい例えです」
「俺だってたまにはやる」
「たまには余計です」
準用。
借り物。
でも。
そのままでは使えない。
制度に合わせて仕立て直す。
確かに分かりやすい。
私はノートに書きました。
適用。
そのまま着る。
準用。
直して着る。
「受験用の覚え方としてはいいですね」
「答案には書くなよ」
「分かってます」
そこへ。
片桐所長が一枚の紙を私の前に置きました。
昨日の八木さんたちの一覧表。
「これを見ろ」
「はい」
「何をした」
「共通部分を同じ様式にしました」
「うん」
「違うところは個別欄に書きました」
「うん」
「まとめられる手続はまとめました」
「それだ」
所長が言いました。
「準用を難しく考えすぎるな」
同じ部分。
違う部分。
その見極め。
法律は、
何でも一から作り直さない。
だからといって、
何でも同じに扱わない。
その間をつなぐのが、
準用という技術なのかもしれません。
私はノートの最後のページを開きました。
一行の覚え書き。
何にするか。
少し考える。
そして書きました。
――準用は、似た手続に同じ道具を貸す。ただし、違うところまで同じにはしない。
「長い」
相馬先輩が言います。
「またですか」
「一行じゃなく説明文だ」
「じゃあ短くします」
私は下に書きました。
――共通は借りる。違いは残す。それが準用。
相馬先輩が黙りました。
「どうです?」
「まあ、いい」
「褒めました?」
「気のせいだ」
「もうその逃げ方禁止にしません?」
「根拠法は」
「ありません」
「却下」
早い。
私はノートを閉じました。
外はもう暗くなっています。
駅前では。
八木さんたちの売店に、まだ灯りがついているはずです。
撤去が止まったのは、
永久ではありません。
駅前整備そのものがなくなったわけでもない。
いつか移転するかもしれない。
でも。
話を聞く。
証拠を出す。
代表者を立てる。
必要なら手続をまとめる。
先に壊されそうなら、止める手段を求める。
そんな一つ一つの仕組みがあるから。
不服申立ては、
ただ紙を一枚出して終わる制度ではなくなる。
そして未来では。
再調査の請求という別の手続にも、
審査請求で用意された道具の多くが受け継がれる。
法律は冷たい。
第九条第四項。
第十条から第十六条。
第十九条。
第二十五条。
第三十一条。
第三十二条。
数字だけ並べれば、
とても人を救っているようには見えません。
でも。
その数字の向こうには。
代表者を立てられる人がいる。
代理人に任せられる人がいる。
間違った書類を直せる人がいる。
直接話を聞いてもらえる人がいる。
証拠を出せる人がいる。
処分が先に動くのを止めてもらえるかもしれない人がいる。
ばらばらの事件をまとめてもらえる人がいる。
準用。
たった二文字。
でも。
その二文字で、
別の手続にも救済の道具を持っていける。
昨日まで、
私は準用条文を見ると眠くなっていました。
今は少し違います。
何が借りられる。
何が借りられない。
なぜそこだけ除く。
そう考えると。
条文の番号の列が、
制度の設計図に見えてくる。
「こはる」
片桐所長が言いました。
「帰るぞ」
「はい」
私は立ち上がりました。
そして。
机の下の紙袋を確認する。
焼き芋。
残り四本。
相馬先輩を見る。
「先輩」
「何だ」
「帰りに二本持っていこうとしてません?」
「二本じゃない」
「何本です?」
「一人一本を二人分だ」
「誰の分ですか」
「俺と明日の俺」
「時間をまたいで人格を分離しないでください!」
「明日の俺は今日の俺とは別だ」
「そんな理屈が通るなら行政法が崩壊します!」
片桐所長が一本取りました。
「これは俺の分だ」
「所長はいいんです」
「何でだ」
「一人一本だからです」
相馬先輩が残りを見ます。
「じゃあ俺も一本」
「はい」
一本渡す。
残り二本。
先輩がもう一本へ手を伸ばしました。
私は紙袋を引きました。
「駄目です」
「さっきの規定を準用しろ」
「しません」
「なぜ」
「二本目には事情が違うからです」
「何が違う」
「一本目は適正量。二本目は食べ過ぎ」
「不当だ」
「違法じゃなくても不当まで争えるって習いましたね」
「異議申立てする」
「申立先は?」
「所長」
片桐所長は靴を履きながら言いました。
「棄却」
「早えな」
「簡易迅速だ」
「公正が抜けてますよ!」
今度は。
私と相馬先輩の声がきれいに重なりました。
所長が扉を開けます。
「帰るぞ」
冷たい夜風が入ってきました。
私はノートを鞄に入れます。
最後の一行が、
少しだけ見えました。
――共通は借りる。違いは残す。それが準用。
行政法は。
全部を同じにしない。
全部を別にも扱わない。
似ているところをつなぎ、
違うところには線を引く。
その冷たい整理があるからこそ。
手続の名前が違っても、
救済のための道具まで、
毎回ゼロから失わずに済むのです。
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