[行政不服審査法60条・再調査請求の決定の方式]現場編 「電話で棄却と伝えましたから」の罠。結論だけで閉じる役所と、“理由を書け”で判断を机に戻す書面の刃
役所から「駄目です」と言われることと、役所が法律どおりに「駄目だと決める」ことは、同じではありません。
結果が同じなら、細かいことはどうでもいい。
そう思いたくなる気持ちは分かります。
でも。
その細かいところに、人がもう一度立ち上がるための取っ手が付いていることがあります。
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所。
その朝、私は湯飲みを持ったまま、一枚の紙を眺めていました。
「……薄い」
紙が、ではありません。
内容がです。
「何がだ」
向かいで新聞を読んでいた相馬先輩が聞きました。
「この通知です」
「役所の通知なんざ、厚けりゃいいってもんでもねえだろ」
「でも、これは薄すぎません?」
私は机の上の紙を指で押さえました。
そこには、たった二行。
――異議申立てについては、これを認めないこととしました。
――以上、通知します。
終わり。
本当に終わり。
理由なし。
どうして認めないのか、一文字もなし。
しかも、市役所の担当課名と日付が印刷されているだけで、処分庁の記名押印らしきものも見当たりません。
「……町内会の回覧板でも、もう少し事情を書きません?」
「比較対象がおかしい」
「でも回覧板なら『資源ごみの日が変わります。理由は収集体制見直しのため』くらい書きますよ」
「役所に喧嘩売る前に、客の話を聞け」
「はい」
正面の椅子には、小柄な男性が座っていました。
佐久間宗一さん。
六十二歳。
駅から少し離れた旧街道沿いで、妻と小さな自転車店を営んでいます。
店の前には、幅一メートルほどの空き地がある。
正確には市が管理する道路沿いの土地で、佐久間さんは毎年許可を取って、そこに修理待ちの自転車を二、三台置いていました。
ところが駅前再整備に合わせ、市は周辺道路の「景観整理」を始めた。
今年、佐久間さんの使用許可だけが更新されなかった。
理由は、
――歩行環境改善及び景観形成のため。
佐久間さんは納得できず、市長名義の不許可処分について異議申立てをした。
ここまでは、少し前に片桐事務所で手伝った案件です。
そして一か月後。
昨日。
市役所から電話が来た。
「『異議は認められません』って」
佐久間さんが言いました。
「電話で?」
「はい」
「そのあと、この紙が届いた?」
「そうです」
「ほかには?」
「ありません」
私は紙を裏返しました。
白紙。
念のため、もう一回表を見る。
当然、理由は生えてきません。
「何か説明はされました?」
「電話では、『市として適正に判断しています』って」
「それだけですか」
「私も聞いたんですよ。何でうちだけ駄目なのかって」
「そうしたら?」
「『個別の判断ですので』って」
出た。
役所語翻訳辞典があったら、かなり上位に載りそうな表現です。
個別に判断しました。
総合的に判断しました。
適切に判断しました。
三兄弟。
いずれも、何を判断したのか聞くと急に霧が濃くなります。
「周りのお店は?」
私は聞きました。
「向かいの金物屋は、まだ商品台を出してます」
「許可は?」
「今年も出たそうです」
「ほかには?」
「隣のクリーニング屋も、看板を置いてます」
「場所は同じような市の管理地?」
「ええ」
「佐久間さんの自転車だけ?」
「そうです」
佐久間さんは膝の上で拳を握りました。
「私ね」
声は怒っていませんでした。
むしろ、そのほうが重い。
「もう駄目なら駄目で、しょうがないと思ってるんです」
「……はい」
「でも、どうして駄目なのかくらい知りたいんですよ」
その言葉に、私はもう一度紙を見ました。
異議申立てについては、これを認めないこととしました。
たったそれだけ。
佐久間さんが一か月かけて書いた異議申立書には、
自転車店の営業状況。
置いている台数。
通行幅。
周辺店舗の状況。
代替場所がないこと。
写真まで添えてあった。
それに対する答えが、
認めません。
以上。
――いや。
それでは、あまりにも片道です。
「所長」
私は奥の机を見ました。
片桐所長は、最初から紙を見ていました。
「これ、決定なんですか」
「そこからだ」
短い。
でも。
その一言で、頭の中にスイッチが入りました。
決定。
異議申立て。
書面。
理由。
記名押印。
私は一瞬、別の条文を思い出しかけました。
再調査の請求。
決定書。
主文と理由。
処分庁の記名押印。
さらに次の審査請求についての教示――
待った。
違う。
「……あ」
「何だ」
相馬先輩が新聞から顔を上げます。
「また未来の条文を開きかけました」
「閉じろ」
「はい」
平成二十六年の全部改正後。
現代の行政不服審査法には「再調査の請求」という制度があります。
そして、その決定方式について条文がある。
でもここは昭和六十三年。
再調査の請求なんて名前を持ち出したら、私は未来人である以前に、ただの法律事故です。
今、佐久間さんがしたのは、
異議申立て。
旧法。
見るべきなのは、昭和六十三年の条文です。
「相馬先輩」
「何だ」
「旧法でも、異議申立ての決定って、口頭で『棄却です』じゃ駄目ですよね」
「俺に条文問題を振るな」
「知ってる顔してるじゃないですか」
「所長に聞け」
逃げた。
私は所長を見る。
片桐所長は通知を手に取りました。
「審査請求の裁決については、書面で行い、理由を付し、審査庁が記名押印する」
「はい」
「異議申立てにも、その規定が準用される」
頭の中で線がつながりました。
「じゃあ」
「これだけでは足りん可能性が高い」
所長が紙を机へ戻します。
佐久間さんが顔を上げました。
「足りない?」
「少なくとも確認が要ります」
私は言いました。
「市役所が正式な決定書を別に作っているのか。それとも、この紙を異議申立ての決定として出したのか」
「違うんですか」
「違います」
相馬先輩が横から言いました。
「電話で『負けです』って言われたから負け、じゃねえ」
雑だけど分かりやすい。
「行政が不服申立てに答えを出すなら、答えの出し方にも決まりがある」
「出し方……」
「結論だけじゃなくて、理由を書かせる」
私は紙を指しました。
「なぜ棄却するのか。佐久間さんの主張のどこを認めず、市役所は何を根拠に元の処分を維持するのか。それを形にしないと」
「でも」
佐久間さんは不安そうに言いました。
「理由を書いてもらっても、結局駄目ってことですよね」
その質問に。
私は少し詰まりました。
そう。
そこなのです。
形式が整ったからといって、必ず勝つわけではない。
理由を書け。
判子を押せ。
正しい紙で出せ。
それだけ聞くと、役所仕事をさらに役所仕事で殴っているようにも見える。
でも。
片桐所長が言いました。
「理由を書かせる意味は、紙を増やすことじゃない」
「……はい?」
「役所に、自分の判断を言葉にさせることだ」
私は所長を見ました。
「言葉にできない判断は、見直す余地がある」
静かな声でした。
ああ。
そういうことか。
理由。
それは飾りではない。
行政に、
なぜそうした。
どの事実を見た。
どの基準を使った。
申立人の主張をなぜ退けた。
それを自分の文章で説明させる。
説明しようとすれば、矛盾が見える。
抜けも見える。
雑な判断ほど、文字にした瞬間に形が崩れる。
「市役所へ行くぞ」
相馬先輩が立ち上がりました。
「早い」
「紙が足りねえなら、取りに行く」
「コピー用紙みたいに言わないでください」
「行かねえのか」
「行きます」
佐久間さんも立とうとしました。
けれど片桐所長が手で制しました。
「今日は私たちだけで確認します」
「でも……」
「正式な決定がどうなっているか。それだけ見ます」
佐久間さんは少し迷ってから、座り直しました。
「お願いします」
事務所を出る直前。
私は例の紙を鞄に入れました。
二行。
軽い。
紙一枚なんて、風が吹けば飛びます。
でも。
生活を閉じるには、妙に重い。
市役所二階。
総務課。
私たちがカウンターへ近づくと、沢渡課長は書類から目だけを上げました。
「今日は何でしょう」
「佐久間宗一さんの異議申立て」
相馬先輩が紙を置きます。
「ああ。その件ですか」
「これは何だ」
「決定の通知です」
来た。
真正面。
相馬先輩が紙を一度持ち上げました。
「正式な決定書は別にあるのか」
「ありません」
「じゃあ、これが決定書か」
「実質的にはそういう扱いです」
実質的には。
便利な言葉です。
法律の形式を省略したとき、急に出番が増えます。
「課長」
私は口を挟みました。
「異議申立ての決定ですよね」
「そうです」
「理由は?」
「元処分に違法、不当な点はないと判断しました」
「それ、紙に書いてません」
「電話では説明しています」
「『適正に判断した』としか言われてません」
「必要な説明はした認識です」
む。
硬い。
沢渡課長、今日はずいぶん分厚い壁です。
「書面でやる必要がありますよね」
「書面は出しています」
「理由がありません」
沢渡課長の目が、ほんの少し細くなりました。
「朝比奈さん」
「はい」
「細かいですね」
「今日はそこが仕事です」
私は負けずに答えました。
「決定って、結論だけ紙にすればいいわけじゃないですよね」
「……」
「理由を付ける」
「そうですね」
「処分庁が記名押印する」
「原則として」
「この紙には?」
沈黙。
私は紙を指します。
「担当課名しかありません」
相馬先輩が横から低い声で言いました。
「異議申立ては市長名義の処分に対してした。処分庁が判断する手続だろ」
「ええ」
「なら、担当の係が『棄却になりました』って知らせりゃ終わりじゃねえ」
「相馬さん」
「何だ」
「声が大きいです」
「まだ普通だ」
もっと大きくなるらしい。
やめてください。
沢渡課長は紙を手に取り、しばらく見ました。
「決裁自体は内部で済んでいます」
「なら決定書を出してください」
片桐所長が言いました。
沢渡課長が所長を見る。
「理由を付けて」
所長は続けました。
「正式に」
短い。
逃げ道がない。
沢渡課長は眼鏡の位置を直しました。
「結果は変わりませんよ」
「結果を変えろとは言っていない」
「では、形式だけの話ですか」
「違う」
所長の声は静かでした。
「理由を聞く」
沢渡課長が黙ります。
「なぜ佐久間さんだけ許可更新しなかったのか。異議申立てで示した周辺店舗との比較を、なぜ採用しなかったのか」
「……」
「その理由を、決定書に書いてもらう」
部屋の空気が少し変わりました。
形式だけではない。
判子だけでもない。
理由。
ここが本丸です。
沢渡課長は椅子の背へ身体を預けました。
「自転車は歩行者動線への影響が大きいと担当課が判断しています」
私はすぐ聞きました。
「何センチ通路が狭くなるんですか」
「具体的な数値までは」
「金物屋の商品台は?」
「業態が違います」
「幅は?」
「確認していません」
「クリーニング屋の看板は?」
「それも担当課の判断です」
「比較したんですか」
「……」
あ。
止まった。
相馬先輩も気づいたらしい。
「課長」
声が低くなる。
「比較してねえのか」
「個別に審査しています」
「それは比較してねえって意味か?」
「そう単純な話ではありません」
「じゃあ単純じゃない理由を書け」
強い。
相馬先輩の言い方は荒い。
でも今日ほど、この人が頼もしく見えたことはありません。
沢渡課長は私たちを順番に見ました。
「決定書の形式については、確認します」
「理由も」
私は言いました。
「分かりました」
「それと」
「まだありますか」
「異議申立てで出した写真と配置図、ちゃんと検討資料に入ってます?」
「入っているはずです」
「『はず』?」
沢渡課長の眉がわずかに動きました。
「確認します」
二回目。
今日の成果です。
役所の「問題ありません」が、
「確認します」に変わった。
これだけで、空気が少し動く。
市役所を出ると。
相馬先輩が煙草を取り出しました。
「先輩」
「何だ」
「今日の『じゃあ単純じゃない理由を書け』、良かったです」
「褒めても何も出ねえぞ」
「別に何も要りません」
「なら黙れ」
「照れてます?」
「役所へ戻すぞ」
「何をですか」
「お前を」
人を行政財産みたいに言わないでください。
歩きながら。
私は頭の中で、もう一度整理しました。
書面。
理由。
記名押印。
形式。
私は受験生のころ、こういう規定をかなり軽く見ていました。
だって。
紙で出す。
理由を書く。
判子を押す。
なんだか試験問題として地味です。
取消し。
執行停止。
裁量権の逸脱・濫用。
そういう言葉のほうが、いかにも行政法らしい。
でも。
実際に目の前で、
理由のない二行の紙を見たあとだと。
分かります。
方式は、飾りじゃない。
行政が何を考えたのか、逃げずに形にさせるための枠です。
「相馬先輩」
「何だ」
「法律って、結論より書き方にうるさいときありますよね」
「あるな」
「昔は面倒だと思ってました」
「今は?」
私は少し考えました。
「面倒だからいいんですね」
「は?」
「役所にとっても面倒なんです。理由を書くの」
「そりゃな」
「だから雑に決めたら、理由を書くところで困る」
相馬先輩が煙草に火をつけました。
「ようやく分かったか」
「はい」
「理由付けは役所をいじめるためじゃねえ」
「自分の判断を点検させるため」
「そうだ」
煙が空へ細く上がります。
私は思いました。
法律の形式というのは、
たぶん、行政の判断にかける安全装置です。
面倒でもいい。
むしろ。
人の生活を止めるなら、その程度の面倒は背負ってください。
三日後。
市役所から片桐事務所へ電話が入りました。
「はい、片桐行政書士事務所です」
『沢渡です』
「お世話になってます」
『佐久間さんの件です』
来た。
私は椅子に座り直しました。
「決定書、できました?」
『その前に』
「はい」
『担当課から、異議申立ての処理をいったん内部で再確認したいとの申し出がありました』
「……はい?」
『正式な決定書を作成するに当たって、理由を整理していたんですが』
「ですが?」
『比較対象の調査が不十分でした』
私は受話器を握り直しました。
「金物屋さんとクリーニング屋さん?」
『ほかにもあります』
「ほかにも?」
『同じ区画で今年度の使用を認めている事業者が四件ありました』
四件。
聞いてません。
「佐久間さんだけ不許可?」
『結果的には』
「理由は?」
少し間がありました。
『担当課は、自転車は移動可能なので、他の場所に置けると考えたようです』
「他の場所ってどこです?」
『そこが確認されていませんでした』
私は目を閉じました。
なるほど。
理由を書こうとした。
すると、
自転車だから動かせる。
という判断が出てきた。
では、どこへ?
調べていない。
他の店舗は?
比較していない。
これで、
適正に判断した。
と書こうとすれば。
そりゃ筆も止まります。
「それで、どうなります?」
『異議申立てについて、改めて検討します』
「棄却じゃなくて?」
『まだ決定していません』
その言葉。
三日前までなら、
頼りなく聞こえたかもしれません。
でも今は違う。
まだ決定していない。
つまり。
あの二行の紙で、扉は閉じていなかった。
「分かりました」
『それから』
「はい」
『朝比奈さん』
「何でしょう」
『あなた方が言うまで、あの通知で足りると思っていた職員もいました』
「課長も?」
沈黙。
「課長も?」
『話を続けます』
「逃げた」
『聞こえていますよ』
「すみません」
『不服申立ての結論を伝えることと、法定の方式で決定することは別です』
「はい」
『その点はこちらの処理が雑でした』
沢渡課長が。
雑だった、と言った。
私は思わず姿勢を正しました。
「認めるんですね」
『認めるべきところは認めます』
「珍しい」
『電話を切りますよ』
「すみません。」
危ない。調子に乗った。
一週間後。
佐久間さんが、また事務所へ来ました。
今度は、前とは違う紙を持って。
「来ました」
「見せてください」
私は両手で受け取りました。
今度は。
ちゃんと書いてある。
申立てに対する結論。
理由。
市長名義。
押印。
そして。
結論は――
「一部、認められた……?」
「はい」
佐久間さんが笑いました。
市は、従来の不許可処分を見直すことにした。
ただし、前年とまったく同じ条件ではない。
自転車を置ける台数を三台から二台へ減らす。
歩行者通路を一定幅確保する。
営業時間外には必ず撤去する。
その条件で、年度末まで使用を認める。
「完全に元通りじゃありません」
私は言いました。
「いいんです」
「二台までになります」
「二台あれば十分です」
「年度末までです」
「その間に店の裏も片付けます」
佐久間さんは、決定書を見ました。
「それより」
「はい」
「ちゃんと書いてありますね」
理由のところを指でなぞります。
周辺店舗の使用状況を再調査したこと。
佐久間自転車店の設置物だけを全面的に排除する必要性までは認められなかったこと。
一方で、歩行環境確保の観点から一定の制限は必要であること。
だから条件を変更し、使用を認める。
「これなら」
佐久間さんが言いました。
「分かります」
その一言に。
私は少し胸が詰まりました。
勝った。
とは違う。
希望どおり全部認められたわけでもない。
市の景観整備がなくなったわけでもない。
でも。
なぜ二台なのか。
なぜ年度末までなのか。
なぜ全面禁止ではなくなったのか。
読めば分かる。
それだけで、
最初の二行の紙とは、まるで違います。
人は。
不利な結論なら何でも怒るわけじゃない。
理由も分からず、
自分だけ外され、
質問しても、
適切に判断しました。
と言われるから納得できないことがある。
「最初からこれをやってくれればなあ」
佐久間さんが笑いました。
「本当に」
私も笑いました。
「こはる」
片桐所長が呼びます。
「はい」
「何が効いた」
「異議申立てです」
「それだけか」
「……理由を書かせたこと?」
「そうだ」
私は決定書を見ました。
そう。
今日の教訓。
理由を書く義務。
書面で決定するという形式。
記名押印。
受験テキストなら、
赤線を一本引いて終わるところです。
でも現場では。
その形式が、
「誰が、なぜ、この結論を出したのか」
を行政に引き受けさせる。
理由を書こうとして初めて、
比較していなかったことに気づく。
事実を調べていなかったことに気づく。
そして。
一度出した結論を、もう一度机へ戻す。
「形って」
私は言いました。
「中身を守るためにあるんですね」
片桐所長が少しだけ頷きました。
「そういう形もある」
その日の帰り際。
佐久間さんが玄関先で振り返りました。
「あ、そうだ」
「はい?」
「これ、皆さんで」
紙袋を差し出されます。
「何ですか」
「たい焼き」
相馬先輩が奥から顔を出しました。
「何個だ」
「先輩」
「重要だろ」
「五つです」
佐久間さんが笑います。
「五つ」
相馬先輩が数えました。
所長。
先輩。
私。
事務員さん。
四人。
「一個余るな」
「先輩、さっきから計算が速すぎません?」
「行政書士事務所だからな」
「絶対関係ない」
佐久間さんが帰ったあと。
たい焼きを机へ並べます。
相馬先輩が当然のように二つ取ろうとしました。
「待ってください」
「何だ」
「なぜ先輩が二個なんです?」
「俺が一番でかい」
「理由になってません」
「理由は付した」
「合理性がありません」
「異議申立てするか?」
「します」
「却下」
「決定が早い!」
「簡易迅速だ」
「理由は!」
「腹が減ってる」
「主観しかない!」
そこで、片桐所長がたい焼きを一つ取ります。
「残り一個は半分にしろ」
「所長」
「これでいい」
相馬先輩が不満そうな顔をします。
「異議があります」
「棄却」
「理由は?」
「食べすぎだ」
「理由が付いた!」
私は吹き出しました。
窓の外では、駅前再整備の工事看板が夕日に照らされていました。
町は変わっていきます。
道路も。
駅も。
店の前の風景も。
行政が何かを決めれば、
誰かが少し不便になることもある。
すべてを止めることはできません。
でも。
だからこそ。
役所には、
なぜそう決めたのか。
誰の、どんな事情を見たのか。
その結論を、言葉にして残す責任がある。
法律は、
「ちゃんと紙に書け」
なんて、
ずいぶん地味なことを言います。
けれど。
今日、その地味な命令が、
一人の自転車屋さんの店先に、
二台分の場所を取り戻しました。
私はたい焼きを半分に割りながら思います。
――結論だけでは、行政の仕事は終わらない。
理由を書いて、
誰が決めたかを引き受けて、
そこで初めて「決定」になる。
「こはる」
「はい」
「大きいほう寄越せ」
相馬先輩が言いました。
「嫌です」
「先輩命令だ」
「その処分の理由は?」
「腹が減ってる」
「さっきと同じじゃないですか」
「一貫した行政運営だ」
「裁量の濫用です!」
所長が湯飲みを置きました。
「半分ずつにしろ」
「もう半分です!」
「なら食え」
「はい」
法律の形式は、冷たい。
書面。
理由。
記名押印。
どれも温度なんてありません。
でも。
冷たい枠があるからこそ、
「なんとなく駄目でした」
で、人の生活を切らせずに済む。
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所。
今日も私は、
眠かった条文の端っこから、
誰かを救うための取っ手が生えているのを見つけました。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




