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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政不服審査法

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226/278

[行政不服審査法56条・再調査請求後の審査請求]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 夕方の片桐行政書士事務所には、鯖の味噌煮の匂いが残っていました。


 かなり残っていました。


 法律事務所としてどうなのか、という程度には残っていました。


「先輩」


「何だ」


「六法から鯖の匂いがします」


「気のせいだ」


「さっき六法の横で二個目の弁当食べましたよね」


「事実だ」


「じゃあ気のせいじゃないでしょう」


 相馬先輩は煙草をくわえたまま、完全に知らない顔をしました。


 宮下早苗さんが持ってきてくれた弁当。


 鯖の味噌煮。


 卵焼き。


 煮物。


 そして相馬先輩によって、ほぼ壊滅。


 私は机を拭いてから、ノートを開きました。


 今日の見出し。


 大きく。


 ――行政不服審査法第五十六条。


 その下に。


 ――再調査の請求についての決定を経ずに審査請求がされた場合。


「……」


 ペンが止まります。


「どうした」


 相馬先輩。


「ものすごく昭和六十三年に似合わない見出しです」


「お前が書いたんだろ」


「そうなんですけど」


 ここで最大の問題。


 今、私が生きているのは昭和六十三年です。


 現代の行政不服審査法第五十六条。


 そんな条文。


 まだありません。


 現在の行政不服審査法は、平成二十六年の全面改正後の制度です。


 異議申立ては原則廃止。


 不服申立ては原則として審査請求へ一本化。


 そして。


 特別な場合に。


 再調査の請求。


 という制度が置かれている。


 一方。


 昭和六十三年の旧法では。


 異議申立て。


 審査請求。


 基本はこの二本立て。


 名前が似ているものだから。


 現代受験生だった私の脳は、昨日まんまと地雷を踏みました。


「先輩」


「何だ」


「昨日、私かなり危なかったですよね」


「五十六条だとか言い出したやつか」


「はい」


「存在しない条文で仕事しようとしてたな」


「言い方!」


「事実だろ」


 事実です。


 痛い。


 私はノートの一番上に赤字で書きました。


 ――まず時代を確認。


「そこからか」


「私には必要なんです」


 行政法は。


 改正前後で同じような言葉が残る。


 でも。


 制度の構造が変わる。


 だから、


 昔と今で名前が似ている。


 イコール。


 中身も同じ。


 ではありません。


 むしろ。


 似ているから危ない。


「じゃあ今日は」


 私は言いました。


「宮下さんの件を使って、現代法五十六条の考え方を整理します」


「昨日使ったのは旧法だろ」


「はい」


「なら混ぜるなよ」


「そこを分けるためのノートです」


 相馬先輩が煙草を灰皿へ押しつけました。


「分けられるのか?」


「そこは信じてください」


「昨日の実績がなあ」


「ひどい」


 奥で帳簿を見ていた片桐所長が一言。


「始めろ」


「はい」


 強い。


 私は最初の見出しを書きました。


 ――一 現代法の「再調査の請求」とは何か。


「まず前提です」


 私はノートを相馬先輩のほうへ少し向けました。


「現代法では、不服申立ては原則として審査請求です」


「そこは昨日も言ってたな」


「はい」


「じゃあ再調査って何だ」


「いつでも使える第二の基本ルート、ではありません」


「うん」


「法律に特別の定めがある場合に使える、例外的な仕組みです」


 ここ、大事。


 再調査の請求は。


 審査請求と並ぶ万能の選択肢ではありません。


 処分庁自身に対して、


 もう一度その処分を調べ直してもらう手続。


 ただし。


 使えるのは、


 法律に再調査の請求ができると定められている場合だけ。


「つまり」


 相馬先輩が言いました。


「現代でも、処分した役所に自分でもう一回見ろって言う制度は残ったのか」


「はい」


「異議申立ては消えたのに?」


「そこがややこしいところです」


 旧法の異議申立て。


 現代法の再調査の請求。


 一見すると。


 どちらも処分庁自身に見直しを求める。


 だから同じように見える。


 でも。


 同じ制度ではありません。


「異議申立てを名前だけ変えて再調査にした、ではないんですね」


「そういう理解は危ない」


 片桐所長が言いました。


「はい」


 旧法では。


 上級行政庁がない場合などに、異議申立てが基本的な不服申立てとして広く使われていました。


 現代法では。


 基本ルートは審査請求。


 再調査の請求は、法律に特別の定めがあるときだけ。


「主役から、例外的な脇役になった感じですね」


「例えが雑だな」


「でも位置づけはそんな感じです」


 私はその横に書きました。


 ――旧法・異議申立て=基本的な不服申立ての一つ。


 ――現代・再調査の請求=法律に特別の定めがある場合のみ。


「ここを混ぜると」


 私は言いました。


「『処分庁に上級行政庁がないから再調査の請求』みたいな誤答をしそうです」


「試験でやったら?」


「泣きます」


「点は?」


「落ちます」


「なら覚えろ」


「はい」


 次。


 私は大きく書きました。


 ――二 再調査の請求をしたら、すぐ審査請求できるのか。


「今回の本丸です」


「言ってみろ」


 相馬先輩。


「現代法では、再調査の請求を選んだあとでも、審査請求へ進むことはできます」


「じゃあ両方出せばいいじゃねえか」


「そこです」


 私はペン先で机を軽く叩きました。


「原則として、再調査の請求についての決定を経た後でなければ、審査請求はできません」


「つまり」


「先に処分庁へ再調査を頼んだなら」


「うん」


「原則、その結果を待ってから審査請求」


「なるほど」


 順番がある。


 再調査。


 決定。


 そのあと審査請求。


「どうして待たせるんだ?」


 相馬先輩。


「再調査を選んだ意味がなくなるから、ですかね」


「もう少し」


 所長。


「はい」


 私は考えます。


 再調査の請求。


 処分庁自身がまず判断を見直す制度。


 それを選んだ直後に、


 同じ処分について審査請求を同時並行で走らせたら。


 処分庁も見直す。


 審査庁も審理する。


 同じ事件が二本走る。


「手続が重複します」


「そうだ」


「判断がぶつかる可能性もある」


「うん」


「だから原則として、先に選んだ再調査の請求の決定を待つ」


「それでいい」


 私はノートに矢印を書きます。


 再調査の請求。


 ↓


 決定。


 ↓


 なお不服。


 ↓


 審査請求。


「これが原則」


「簡単じゃねえか」


「ここだけなら」


 行政法は。


 簡単だと思った瞬間。


 次の行にただし書があります。


「出たな」


 相馬先輩が言いました。


「何がです?」


「お前が嫌いなやつ」


「ただし書?」


「そうだ」


「嫌いじゃないです。怖いだけです」


「同じだろ」


 私は横に大きく書きました。


 ――例外。


「決定を待たなくても審査請求できる場合があります」


「何個」


「二つ」


 指を一本立てます。


「一つ目」


 再調査の請求をした日の翌日から起算して三か月を経過しても。


 処分庁が決定しない場合。


「三か月」


「はい」


「昨日の六十日とは違うな」


「そこです!」


 私は思わずペンを持ち上げました。


「現代法五十六条周辺の話では三か月」


「うん」


「でも宮下さんの昭和六十三年の事件では、旧法と個別法の仕組みで六十日が問題になった」


「うん」


「ここを混ぜたら終わります」


「昨日終わりかけてたな」


「掘り返さないでください」


 昭和。


 六十日。


 現代。


 三か月。


 受験生の頭に。


 数字の違う双子を住まわせる感じです。


 油断すると入れ替わる。


「しかも」


 私は続けました。


「起算の仕方も注意です」


「翌日からか」


「はい」


 再調査の請求をした日の。


 翌日から起算して三か月。


「提出日を含めない」


「基本はそういう理解ですね」


「期間計算、嫌だな」


「先輩も嫌なんですか」


「仕事では間違えたら洒落にならん」


 それはそうです。


「それから」


 私は赤で補足を書きました。


「再調査請求書に不備があって、補正を命じられた場合」


「補正」


「はい」


「その場合は?」


「補正をした時から三か月を経過しても決定がない場合に、決定を待たず審査請求へ進めます」


 相馬先輩が眉を寄せます。


「何で最初に出した日から数えない」


「不備があるままだと、処分庁がちゃんと審理できないからでしょうね」


「なるほど」


「申立人側の不備で手続が止まっていた期間まで全部、行政側の遅れとして数えるのは違う」


「そういうことだ」


 所長。


 私はノートに書きます。


 通常。


 再調査請求日の翌日から三か月。


 補正命令あり。


 補正した時から三か月。


「ここ、試験で数字だけ覚えると危ないですね」


「なぜ三か月なのか考えろ」


 所長。


「はい」


 決定を待つのが原則。


 でも。


 いつまでも待たせたら。


 再調査の請求を選んだ人ほど救済が遅れる。


 だから。


 一定期間を区切る。


「宮下さんの件と、問題意識は同じですね」


 私は言いました。


「時代も制度も違うけど」


「そうだ」


「先に一つの不服申立てをしたことが、永久の足止めにならないようにする」


「うん」


 私は少しペンを止めました。


 昨日。


 宮下さんは、


 決定が出るまで待ってください。


 と言われていた。


 もし。


 制度が本当に、


 決定が出るまで一切次へ進めない。


 だったら。


 行政が決めない限り。


 救済も止まる。


 一か月。


 三か月。


 一年。


 下手をすれば。


 行政の沈黙が、


 最大の防御手段になってしまう。


「それを防ぐ」


「そうだ」


 所長が言いました。


「不作為で救済を塞がせない」


 短い。


 私はそこに二重線を引きました。


 ――行政が決めないことを、救済拒否の武器にさせない。


「ちょっと格好いいですね」


「条文に格好良さを求めるな」


 相馬先輩。


「でも本質じゃないですか」


「まあな」


「では二つ目」


 私は指をもう一本立てました。


「再調査の請求についての決定を経ないことにつき、正当な理由がある場合」


「正当な理由」


「はい」


「三か月待たなくていい場合か」


「そうです」


 ここ。


 抽象的。


 だから危ない。


「どんな場合です?」


 私は所長を見ます。


「個別判断だ」


「ですよね」


「何でも本人が急いでいると言えば足りる、ではない」


「はい」


 正当な理由。


 つまり。


 再調査の請求の決定を待たせるのが酷だとか。


 審査請求へ先に進む合理的必要があるとか。


 そういう事情。


「宮下さんみたいに生活が苦しいなら全部正当な理由?」


 相馬先輩。


「それだけで自動的に、とは言えません」


「だろうな」


「本人にとって切実、だけでは要件にならない」


「うん」


「その事情が、決定を待たず審査請求することを正当化するほどかを見る」


「そうだ」


 所長。


 ここでも。


 法律は冷たい。


 かわいそうだから。


 だけでは通さない。


 でも。


 逆に言えば。


 感情ではなく要件として事情を拾ってくれる。


 待つことでどんな不利益が出る。


 なぜ通常の順序を踏めない。


 それを整理する。


「正当な理由って」


 私は呟きました。


「便利なようで怖い言葉ですね」


「行政法はそういうの多いぞ」


 相馬先輩。


「相当な期間とか」


「合理的理由とか」


「正当な理由とか」


「受験生に丸投げしすぎでは」


「裁判所と実務に聞け」


「逃げた」


「俺は法律作ってねえ」


 正論。


 私は次の見出しへ。


 ――三 決定前に審査請求したら、再調査の請求はどうなるか。


「ここが第五十六条そのものですね」


「どうなる」


「原則として、取り下げたものとみなされます」


「本人が取り下げますって言わなくても?」


「はい」


「自動的に?」


「法律上、そう扱われる」


 みなす。


 出ました。


 法律受験生が一度は眉をひそめる言葉。


「みなすと推定するの違い、やるか?」


 相馬先輩。


「今日はやりません」


「逃げたな」


「範囲管理です」


「昨日も聞いたぞ、それ」


 私は大きく丸をつけました。


 再調査の請求中。


 ↓


 例外的に決定前の審査請求。


 ↓


 再調査の請求は原則、取下げとみなす。


「なぜです?」


「二本走らせないためじゃねえの」


 相馬先輩。


「その理解が一番分かりやすいです」


 再調査の請求。


 審査請求。


 同じ処分について。


 両方が同時に続いてしまえば。


 処分庁で再調査。


 審査庁で審査。


 結果が交錯する。


「だから」


 私は言いました。


「審査請求へ切り替えたなら、原則、再調査の請求は終了させる」


「取下げたものとして扱う」


「はい」


 ここで。


 私はノートの端に、


 宮下さん。


 と書きました。


「昨日の事件とは違います」


「何が」


「宮下さんは現代法の再調査の請求をしていたわけじゃない」


「当たり前だ」


「だから、昨日『次の審査へ進んだら、先の異議申立ては取下げとみなされます』なんて言ったらアウトでした」


「言いかけてたな」


「はい」


「やっぱり危ねえな、お前」


「自覚あります」


 制度目的が似ていても。


 効果は同じとは限らない。


 これが。


 今回の一番怖いところです。


 現代法第五十六条を知っていると。


 旧法の事件を見たとき。


 ああ、待たずに進めるやつだ。


 ここまでは発想として役に立つ。


 でも。


 そのまま、


 期間三か月。


 再調査の請求。


 取下げみなし。


 まで持ってきたら。


 全部ずれる。


「だから所長が言ったんですね」


「何を」


「発想は捨てるな。でも今ある条文を見ろ」


 片桐所長が帳簿から目を上げました。


「制度趣旨は手掛かりになる」


「はい」


「適用条文は別だ」


「はい」


 私はそのまま書きました。


 ――制度趣旨は手掛かり。適用条文は必ずその時代・その事件で確認。


「これ、転生者じゃなくても大事ですね」


「法改正またいだ案件ならな」


「ですよね」


 次。


 私は教材の条文を見ながら。


「ただし、第五十六条にはさらに例外があります」


「またか」


 相馬先輩が嫌そうな顔。


「はい。またです」


「ただし書の中のただし書か」


「行政法、入れ子構造が好きすぎる」


 私は整理します。


 原則。


 決定前に審査請求がされた場合。


 再調査の請求は取り下げられたものとみなす。


 でも。


 処分庁がすでに、


 その審査請求がされた日以前に。


 再調査の請求に係る処分を取り消す旨の決定書の謄本を発している。


 または。


 対象が事実上の行為なら、すでに撤廃している。


 そんな場合。


「審査請求のほうを取り下げたものとみなす場合がある」


 相馬先輩が眉を寄せました。


「逆転するのか」


「はい」


「何で」


「もう処分庁側で救済が実現してるからです」


「ああ」


 例えば。


 再調査の請求。


 処分庁が、


 分かりました、元の処分を取り消します。


 と決めて。


 その決定書の謄本をもう発した。


 でも。


 その到達前後のタイミングで。


 申立人が審査請求も出していた。


「もう処分が取り消されるなら」


「うん」


「その部分について審査請求を続ける必要がなくなる」


「だから審査請求のほうを取り下げた扱いにする」


「そうです」


「細けえな」


「でも合理的です」


 救済済みなのに。


 二重で審査を続ける必要はない。


 私はさらに書きます。


 全部取消し。


 審査請求を取下げ扱い。


 一部取消し。


 その取消部分に限って、審査請求を取下げ扱い。


「一部だけ助かった場合」


「残りは審査請求が続く」


「はい」


「なるほど」


 昨日の宮下さんなら。


 もし現代法の再調査制度を使っていて。


 支給停止処分全部を取り消す決定が先に出ていたなら。


 同じ処分について審査請求を続ける必要は基本的にない。


 でも。


 一部だけ直した。


 残りは維持した。


 なら。


 残りについては審査請求する意味がある。


「ここ、条文だけ読むと地獄ですね」


 私は言いました。


「事件にすると分かるだろ」


 所長。


「はい」


 本当に。


 再調査。


 決定。


 審査請求。


 取下げみなし。


 取消決定。


 部分取消し。


 文字だけだと。


 目が滑ります。


 でも。


 人を置けば。


 見える。


 最初の手続をして待っている人。


 役所が決めない。


 次へ進みたい。


 でも二本同時に走らせるのはまずい。


 だったら先の手続を閉じる。


 一方。


 先の手続で既に救われたなら。


 後の手続を続ける必要はない。


「要するに」


 私は言いました。


「手続を渋滞させないための整理ですね」


「その言い方は分かりやすいな」


 相馬先輩。


「珍しく褒めました?」


「気のせいだ」


 またそれです。


 私は次のページへ。


 ――四 なぜ現代法ではこういう制度になったのか。


「ここで旧法との比較です」


「来たな」


 旧法。


 異議申立て。


 審査請求。


 基本的な二本立て。


 場合によって。


 異議申立てを経てから、さらに審査請求。


 処分庁自身が自分の処分を見直す。


 そこから上へ進む。


「宮下さんの事件がまさにそうでした」


「個別法の仕組み込みでな」


「はい」


「問題は?」


 相馬先輩。


「分かりにくい」


「一つ」


「どこへ何を出すかが複雑」


「二つ」


「処分庁自身が審理する場合、公正さに疑問を持たれやすい」


「三つ」


「それと」


 私は少し考えました。


 手続が多段階になると。


 救済まで時間がかかる。


 最初の異議申立て。


 決定を待つ。


 そのあと審査請求。


 また審理。


「迅速性の問題」


「そうだ」


 所長。


 だから。


 平成二十六年の全面改正。


 平成二十八年施行の現代法では。


 不服申立てを原則として審査請求へ一本化。


 審理員制度を導入。


 処分に関与していない職員が審理を担当する仕組みを設けた。


 さらに。


 行政不服審査会等への諮問。


 第三者的なチェック。


「つまり」


 私は言いました。


「旧法の『自分で処分して、自分で見直す』色を弱めた」


「公正さを上げるためか」


「はい」


「手続も一本化」


「分かりやすくするため」


「迅速さも」


「狙いの一つ」


 でも。


 全部を処分庁から取り上げたわけではない。


 法律に特別の定めがある場合には。


 再調査の請求を残した。


「そこが面白いですよね」


「何が」


「処分庁自身がすぐ見直したほうが早い事件もある」


「あるだろうな」


「事実関係が単純で、処分庁が記録を全部持っていて」


「うん」


「自分で直せるなら、そのほうが早い」


「だから例外的に残した」


「そういうことです」


 旧法の異議申立てを全部悪と見るのも違う。


 処分庁自身が。


 あ、これは間違えた。


 とすぐ直せるなら。


 利用者にとっては早い。


 宮下さんの事件でも。


 県が内部記録を見直して。


 異議申立て段階で処分を取り消した。


 結果だけ見れば。


 早期自己修正として機能した。


「でも」


 私は続けました。


「もし処分庁がずっと決めなかったら」


「救済が止まる」


「はい」


 だから。


 現代法でも。


 再調査の請求を残すなら。


 そこに閉じ込められない仕組みが要る。


 三か月決定なし。


 または。


 決定を待たない正当な理由。


 その場合は。


 審査請求へ進める。


「なるほど」


 相馬先輩が腕を組みました。


「再調査制度を残した以上、その出口も必要ってわけか」


「はい」


 私はそこに大きく書きました。


 ――入口を作るなら、出口も作る。


「五十六条って」


 私は言いました。


「ただの手続調整条文に見えますけど」


「違うのか」


「救済を詰まらせない条文なんですね」


 所長が頷きました。


「そう見れば忘れにくい」


 私は少し嬉しくなりました。


 受験生の頃。


 第五十六条なんて。


 完全に。


 何かの順番を覚える条文。


 でした。


 決定前。


 審査請求。


 取下げみなし。


 例外。


 はいはい。


 覚えます。


 そんな感じ。


 でも。


 宮下さんの六十一日目を見たあとでは。


 違って見えます。


 行政が決めない。


 だから。


 申立人も動けない。


 そんな状態を固定しない。


 救済の階段の途中で。


 役所が座り込んだからといって。


 後ろにいる人まで永久に止めない。


 そういう条文。


「次」


 私は書きます。


 ――五 試験で引っかかるポイント。


「出ました」


 相馬先輩。


「ここから受験生モードです」


「お前ずっと受験生だろ」


「現場見習いでもあります」


「中途半端だな」


「言わないでください」


 一つ目。


 再調査の請求をしたら、必ずその決定まで待たなければ審査請求できない。


「誤り」


「例外があるから」


「はい」


 原則は待つ。


 しかし。


 三か月経過しても決定なし。


 または。


 決定を経ないことにつき正当な理由。


 この場合は、決定前でも審査請求できる。


 二つ目。


 再調査の請求をした日の翌日から六十日を経過すれば審査請求できる。


「誤り」


「現代法は三か月」


「はい」


「六十日は?」


「旧法知識との混同罠」


「宮下さん事件の数字」


「そうです」


 危ない。


 ものすごく危ない。


 三つ目。


 補正命令を受けた場合でも、当初の再調査請求日の翌日から三か月。


「誤り」


「補正をした時から三か月」


「はい」


 四つ目。


 決定前に審査請求をしたら、審査請求が取り下げたものとみなされる。


「原則逆」


「そうです」


 原則は。


 再調査の請求のほうが取り下げたものとみなされる。


「ただし」


「先に取消しの決定書の謄本を発している場合など」


「その場合には審査請求のほうが取下げ扱いになる場合がある」


「はい」


 五つ目。


 再調査の請求と審査請求は、本人が希望すればいつでも同時並行で進められる。


「誤り」


「原則としてそういう重複を避ける構造」


「はい」


 六つ目。


 現代法の再調査の請求は、旧法の異議申立てが単に名称変更されたものである。


「誤り」


「これ大事ですね」


「位置づけが違う」


「はい」


 私は丸をつけました。


 旧法。


 異議申立ては基本的な不服申立て。


 現代。


 再調査の請求は特別の定めがある場合に限る。


 一般的な不服申立ては審査請求。


「名前より立ち位置を覚える」


「それがいい」


 所長。


 私は最後の見出しを書きました。


 ――六 宮下さんの事件から何を覚えるか。


 相馬先輩が椅子にもたれます。


「昨日の話をもう一回するのか」


「法理編ですから」


「言ってみろ」


 宮下さん。


 児童扶養手当の支給停止。


 旧法時代。


 異議申立て。


 六十日たっても決定なし。


 窓口では。


 決定が出るまで待ってください。


 でも。


 個別法を確認すると。


 一定期間決定がなければ。


 次の審査請求へ進める仕組みがあった。


「だから」


 私は言いました。


「昨日の事件自体に現代法五十六条を適用したわけではない」


「当たり前」


「でも、現代法を理解する教材にはなる」


「なぜ」


「問題意識が同じだから」


 先行手続をした。


 決定を待つのが原則。


 しかし。


 行政が決めない。


 それで後続救済まで止めるのはまずい。


「だから」


 私はノートに書きました。


 旧法の事件。


 待たせすぎない出口。


 現代法五十六条。


 再調査の決定待ちからの出口。


「同じ形ですね」


「完全に同じではない」


 所長。


「はい」


「そこを必ず言え」


「はい」


 似ている。


 だから理解に使える。


 でも。


 同じ。


 ではない。


 そこを雑にすると。


 転生者の知識は武器ではなく事故になります。


「所長」


「何だ」


「未来知識って、便利なようで危険ですね」


「法律は変わる」


「はい」


「人の困り方は、あまり変わらん」


 私は少し止まりました。


 人の困り方。


 決定が出ない。


 待たされる。


 次へ行けない。


 何をすればいいか分からない。


 昭和でも。


 令和でも。


 たぶん同じ。


 だから。


 制度は変わっても。


 同じような問題に対する出口が作られる。


「昨日の沢渡課長も言ってましたね」


「何を」


「行政は、期限を国民に守らせるだけじゃない」


「ああ」


「行政が決めないことで救済を止めないための期限もある」


 相馬先輩が鼻で笑いました。


「沢渡のくせにいいこと言うな」


「本人に言ったら怒りますよ」


「言わねえ」


「私はノートに書きました」


「書いたのかよ」


「はい」


 私はページをめくりました。


 そこには。


 昨日書いた大きな字。


 ――行政が決めないことを、救済拒否の武器にさせない。


「今日の一行の覚え書き」


 私は言いました。


「考えます」


「一行にしろよ」


「昨日二行にしましたからね」


「前科あるな」


 私は少し考えます。


 原則。


 再調査の決定を待つ。


 例外。


 三か月決定なし。


 正当な理由。


 審査請求へ。


 その場合。


 再調査の請求は原則取下げみなし。


 全部入れると長い。


「試験用」


 私は書きました。


 ――再調査は原則「決定待ち」。三か月無決定か正当理由なら審査請求へ進み、再調査は原則取下げ扱い。


 相馬先輩が覗きます。


「長い」


「でも全部入ってます」


「一行ではあるな」


「でしょう」


 さらに。


 私はその下にもう一つ。


「現場用」


 ――役所が決めないからといって、救済まで永久に止まるわけじゃない。


 相馬先輩が黙りました。


「どうです?」


「下のほうが覚えるな」


「ですよね」


「試験には上を書け」


「はい」


 片桐所長が帳簿を閉じました。


「もう一つ」


「何です?」


「再調査の請求をしたからといって」


「はい」


「いつでも三か月後に審査請求できる、とだけ覚えるな」


「補正?」


「それもある」


「正当な理由も」


「それもある」


「ほかに?」


「そもそも再調査の請求ができる事件か確認しろ」


 あ。


「……一番最初ですね」


「そうだ」


 再調査の請求。


 法律に特別の定めがある場合だけ。


 そもそも。


 その制度を使える処分か。


 そこを飛ばして。


 三か月。


 取下げみなし。


 を暗記しても意味がない。


「行政法って」


 私は言いました。


「順番の学問ですね」


「何だそれ」


「まず対象」


「うん」


「次に申立先」


「うん」


「期間」


「うん」


「前置があるか」


「うん」


「例外」


「うん」


「特別法」


「うん」


「そして全部確認した頃には日が暮れる」


「最後だけ違う」


 時計を見る。


 本当に日が暮れていました。


 窓の外。


 商店街の灯り。


 宮下さんの弁当屋も。


 もう店じまいしている頃でしょう。


 昨日。


 宮下さんは娘さんの靴を買って帰ると言っていました。


 たぶん。


 今日から急に生活が楽になるわけではありません。


 弁当屋の朝は早い。


 家賃は来る。


 仕入れ代もいる。


 子どもは大きくなる。


 靴もまた小さくなる。


 法律は。


 そういう生活を全部救う魔法ではありません。


 でも。


 役所が一度出した処分を見直す道がある。


 最初の見直しが止まれば。


 次へ進む道がある。


 そして。


 現代法では。


 再調査の請求を選んだ人についても。


 永遠に処分庁の決定を待たせない仕組みがある。


 三か月。


 正当な理由。


 審査請求。


 取下げみなし。


 どれも。


 文字だけなら冷たい。


 でも。


 その冷たい数字と手続が。


 「もう少し待ってください」


 を無期限にしない。


 そう考えると。


 行政法の期間制限は。


 人を急かすためだけのものではないのだと思います。


 国民には。


 期限までに申し立てろ。


 と求める。


 行政には。


 いつまでも決めずに人を閉じ込めるな。


 と出口を置く。


 冷たい制度は。


 片方だけに冷たいわけではない。


 だからこそ。


 ときどき人を救える。


 私はノートを閉じました。


「終わったか」


 相馬先輩。


「はい」


「じゃあ帰るぞ」


「待ってください」


「何だ」


 私は机の上を見ました。


「弁当箱」


「何が」


「先輩、二個食べましたよね」


「食った」


「洗ってください」


「何で俺が」


「自分で使ったものは自分で」


「明日でいい」


「出た」


「何が」


「決定の先送り」


「弁当箱と行政処分を一緒にすんな」


「では三か月待ちます」


「臭くなるだろ!」


「正当な理由があります」


「何のだ!」


 私は弁当箱を先輩の前へ置きました。


「今すぐ洗う正当な理由です」


「却下」


「では審査請求します」


「誰に」


「所長」


 片桐所長がこちらを見もせずに言いました。


「相馬が洗え」


 一秒。


 相馬先輩が固まりました。


「所長」


「何だ」


「異議があります」


「現代法では原則廃止だ」


「そこだけ未来使うのやめません!?」


 私は吹き出しました。


「じゃあ再調査の請求を」


「特別の定めがない」


「審査請求!」


「申立先は俺だ」


「結局所長じゃねえか!」


 簡易。


 迅速。


 そして。


 珍しく公正。


 昭和六十三年の片桐行政書士事務所では。


 どうやら弁当箱一つ洗わせるためにも。


 行政不服審査法の理解が役に立つようです。


 ただし。


 決定まで三か月待つ必要はありません。


 相馬先輩は。


 その日のうちに。


 ものすごく不服そうな顔で、二個分の弁当箱を洗いました。

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