[行政不服審査法54条・再調査の請求期間]法理編 こはるノート
夕方の片桐行政書士事務所には、昨日のおにぎりが二個残っていました。
正確には。
私が必死で確保した二個です。
「先輩」
「何だ」
「それ、私の梅です」
「名前書いてねえだろ」
「朝、私が端に寄せました」
「占有の意思が弱い」
「民法でおにぎりを奪わないでください」
相馬先輩は悪びれもせず、包装を開きました。
海苔の匂い。
夕方の西日。
机の上には、昨日提出した三枝美津子さんの異議申立書の控え。
そして。
私のノート。
見出しには、大きく書きました。
――申立期間。
昨日。
三枝さんは本当にぎりぎりでした。
七月五日に処分を知った。
その翌日から期間を数える。
昭和六十三年。
旧行政不服審査法。
六十日。
あと一日。
もし一日遅れていたら。
駅前整備との関連。
ほかの使用者との違い。
取消理由の薄さ。
そういう本案の話へ進む前に、
期間徒過。
という壁が立ちはだかった可能性がある。
行政法って。
中身以前に玄関で止めてくることがあります。
しかも玄関に、
六十日以内。
と小さく書いてある。
怖い。
「相馬先輩」
「何だ」
「今日は期間です」
「昨日さんざん数えただろ」
「法理編です」
「誰が決めた」
「私です」
「勝手な制度だな」
「異議があるなら――」
「所長に言え」
学習済み。
私は奥を見ました。
「所長」
「続けろ」
片桐所長は帳簿から顔も上げません。
強い。
不服申立て、即日棄却。
私はノートを開き直しました。
「じゃあまず、昨日の三枝さん」
「うん」
「何が一番危なかったと思います?」
相馬先輩がおにぎりを食べながら答えます。
「役所と話してたから、期間も止まってると思ってたこと」
「はい」
私は大きく丸をつけました。
――相談中でも、法定期間が当然に止まるわけではない。
「ここですね」
「当たり前だろ」
「当たり前じゃないんです」
「何が」
「普通の感覚だと」
私は昨日の三枝さんを思い出しました。
役所から、
代わりの場所を検討します。
少し待ってください。
課長とも相談しています。
そう言われる。
だったら。
まだ結論が出ていない。
まだ不服申立てをしなくてもいい。
そう思ってしまう。
「でも」
私は言いました。
「処分はもう出てた」
「ああ」
「七月五日に通知も受け取ってた」
「ああ」
「市役所とその後話していたのは、主に移転先の相談」
「そうだ」
「だから処分に対する不服申立期間は、別に進んでた」
「そこを混ぜるなってことだな」
「はい」
私はノートに二本の線を書きました。
一つ。
役所との事実上の相談。
もう一つ。
法律上の不服申立て。
「同時に進むことはあるけど」
「同じものじゃない」
「そうです」
相談。
陳情。
お願い。
説明要求。
話し合い。
これらをしているからといって。
それだけで法定の不服申立期間が止まる。
そう考えるのは危険です。
「昨日の三枝さん」
私は言いました。
「『市役所と話してたんだから、まだ間に合うと思った』って言ってました」
「人間としては自然だな」
「ですよね」
「でも制度は人間の空気を読まねえ」
「それです」
私は二重線を引きました。
――期間は、空気を読まない。
「今日の一行、それでいいんじゃねえか」
「まだ早いです!」
相馬先輩が笑います。
私は次の見出しを書きました。
昭和六十三年の旧法。
まず。
ここを間違えると全部崩れます。
「昨日、私」
「三か月って言いかけてたな」
「言わないでください」
「顔に書いてあった」
「未来人の職業病なんです」
現代の行政不服審査法では。
審査請求の期間は、原則として、
処分があったことを知った日の翌日から起算して三か月。
そして、
処分があった日の翌日から起算して一年。
そんな期間制限があります。
さらに。
今回の教材テーマ。
再調査の請求。
現代法では。
処分があったことを知った日の翌日から三か月。
処分があった日の翌日から一年。
それぞれ原則。
そして。
正当な理由があるときは例外。
「でも」
私は大きく書きました。
――昭和六十三年に再調査の請求制度を持ち込むな。
「当たり前だ」
相馬先輩が言います。
「今は異議申立てだ」
「はい」
昨日の三枝さん。
市長名義の使用許可取消処分。
上級行政庁がない。
だから。
この時代の一般的な枠組みでは、
処分庁に対する異議申立て。
そしてその期間。
処分があったことを知った日の翌日から起算して六十日。
「現代知識で」
私は言いました。
「まだ三か月以内だから大丈夫、ってやったら事故でした」
「事故どころじゃねえ」
「ですよね」
「依頼人の権利を、お前が未来知識で潰すところだった」
「言い方が刺さります」
「刺さらねえと覚えねえだろ」
その通りです。
私はノートに比較を書きました。
旧法。
異議申立て、審査請求。
基本期間は六十日。
現代法。
原則として審査請求へ一本化。
主観的期間は三か月。
そして現代の再調査の請求にも、
三か月と一年。
「所長」
「何だ」
「何で昔と今で期間が違うんですか」
片桐所長は少し考えてから言いました。
「制度は変わる」
「はい」
「だから数字だけ覚えるな」
「はい」
「何の手続の、どの時代の期間かを確認しろ」
短い。
でも。
試験でも実務でも大事です。
六十日。
三か月。
一年。
数字だけをばらばらに覚えると危ない。
先に確認する。
いつの法律か。
何の手続か。
どの処分か。
「行政法って」
私はぼやきました。
「数字単体で覚えると殺しにきますね」
「法律は殺しに来ねえ」
「受験生をです」
「勉強しろ」
はい。
次。
起算点。
「昨日、私たち七月六日から数えました」
「ああ」
「なぜ?」
相馬先輩が睨みます。
「俺を試すな」
「確認です」
「知った日の翌日からだろ」
「正解です」
処分を知った日。
七月五日。
そこから数える。
のではない。
翌日。
七月六日から。
「ここ、地味ですけど大事です」
「一日違うからな」
「昨日なんて、その一日が命綱です」
もし。
処分を知った当日を一日目として数えていたら。
期限の計算を誤る。
逆に。
翌日からだと知らず、
必要以上に早く期限が来たと思うかもしれない。
行政法の「翌日から起算」。
文字で見ると眠い。
現場では。
一日。
丸ごと違います。
「受験生の頃は」
私は言いました。
「翌日から起算、って見ても『はいはい初日不算入ね』くらいだったんですよ」
「今は?」
「三枝さんの一日」
「なら忘れねえな」
「はい」
次。
主観的期間。
現代法の教材でいうところの、
処分があったことを知った日の翌日から三か月。
「知った日」
ここが大事。
単に処分が出た日ではありません。
本人が処分の存在を知った日。
「三枝さんは?」
「七月五日」
「なぜ確定できた」
「本人が自分で通知を受け取って、その日に中身を読んだから」
「そうだ」
では。
家族が先に受け取った。
本人は旅行中。
通知が転送された。
代理人が先に知った。
そういう事情があれば。
いつ「知った」といえるか。
具体的な事情を確認しなければならない。
「だから昨日」
私は言いました。
「『届いたのはいつです?』じゃなくて、『自分で受け取った? その日に読んだ?』まで聞いた」
「ああ」
「到達日と、知った日がいつも絶対同じとは限らない」
「そういうことだ」
実務では。
日付を雑に扱わない。
通知書の日付。
発送日。
到達日。
本人が知った日。
申立日。
全部。
別の意味を持つことがあります。
「日付って」
私は言いました。
「法律実務だと、登場人物みたいですね」
「何だそりゃ」
「一人ずつ性格が違う」
「気持ち悪い覚え方すんな」
でも。
私は結構気に入っています。
次。
現代の行政不服審査法第五十四条。
再調査の請求期間。
私はノートに書きました。
主観的期間。
原則。
処分があったことを知った日の翌日から起算して三か月。
客観的期間。
原則。
処分があった日の翌日から起算して一年。
「二つあるんですね」
相馬先輩が言います。
「はい」
「三か月だけじゃ駄目なのか」
「駄目です」
「なぜ」
「ずっと処分を知らない人がいたら、いつまでも再調査の請求ができることになりかねないから」
「なるほど」
だから。
知った日を基準にする主観的期間。
三か月。
それとは別に。
処分があった日を基準にする客観的期間。
一年。
「つまり」
私はノートに矢印を書きました。
――どちらか一方でも過ぎると原則できない。
ここ。
重要です。
三か月以内だから必ず大丈夫。
ではない。
一年以内だから必ず大丈夫。
でもない。
両方を見る。
「例を出せ」
片桐所長が言いました。
「はい」
私は考えます。
「たとえば、処分があって一年一か月経ってから、その人が初めて知った」
「うん」
「知った日からはまだ三か月以内」
「うん」
「でも処分の日から一年を超えている」
「原則、できない」
「はい」
「逆は?」
相馬先輩が聞きます。
「処分からまだ半年」
「うん」
「でも本人は処分を五か月前から知っていた」
「三か月を過ぎてる」
「だから原則できない」
「そうです」
二つの時計。
同時に動く。
主観的期間。
本人が知ったことを基準にする時計。
客観的期間。
処分そのものがあった日を基準にする時計。
どちらかが先に切れたら。
原則。
再調査の請求はできない。
「二重の締切ですね」
「ああ」
「嫌ですね」
「制度はお前の好みでできてねえ」
ごもっとも。
でも。
ここで私は、昨日の三枝さんのことを思い出しました。
三枝さんは。
処分を知っていた。
通知も読んだ。
でも。
役所と話しているから大丈夫だと思っていた。
「じゃあ現代法なら」
私は言いました。
「昨日みたいなケースで、三か月を過ぎたら絶対終わりなんですか」
「教材に何て書いてある」
所長に言われ。
私はノートを見ます。
正当な理由があるときは。
例外。
「ここですね」
行政不服審査法第五十四条。
三か月を経過したときは再調査の請求をすることができない。
ただし。
正当な理由があるときは、この限りでない。
一年の客観的期間についても。
同じく。
正当な理由がある場合の例外がある。
「正当な理由って」
相馬先輩が言いました。
「何でもいいのか」
「駄目です」
「病気だった」
「事情次第」
「忙しかった」
「それだけじゃ厳しそう」
「知らなかった」
「何を知らなかったかによります」
「役所が間違ったことを教えた」
「そこです」
私はペンで大きく丸をつけました。
教材にある典型例。
処分庁が誤って、
再調査の請求は、
処分があったことを知った日から四か月以内にしてください。
と教示した。
でも本来は三か月。
「これ」
私は言いました。
「役所の教示を信じて四か月目に出した人に」
「期限切れです」
「って言ったら、さすがにひどい」
「ああ」
「そこで正当な理由が問題になる」
「そういうことだな」
行政が。
間違った期限を教えた。
住民はそれを信じた。
その結果。
本来の期間を過ぎた。
そういう場合まで。
機械的に期間徒過として切るのか。
それでは。
制度への信頼そのものがおかしくなる。
「つまり」
私は言いました。
「期限は厳格。でも例外がないわけじゃない」
「うん」
「ただし」
所長が言いました。
「例外を先に当てにするな」
「はい」
「正当な理由が認められるかどうかは、事情による」
「はい」
「だから実務では」
「間に合うなら、期間内に出す」
「そうだ」
昨日。
私が今日出す。
と決めた理由。
まさにそれです。
明日でも間に合う。
でも。
今日出せるなら今日。
正当な理由なんて。
最初から頼らない。
「これ」
私はノートに書きました。
――例外を探す前に、原則の期限内で動く。
「まともだな」
相馬先輩が言います。
「今日は褒めますね」
「お前が昨日怖い目見たからだ」
「否定できません」
次。
教示。
「昨日、沢渡課長が言ってました」
私は思い出します。
だから教示があります。
処分通知には。
不服申立てができること。
申立先。
期間。
そういうことが記載される。
「でも」
私は言いました。
「書いてあれば全部解決、でもない」
「三枝さんがそうだったな」
「はい」
三枝さんは読んでいた。
六十日。
という文字も見ていた。
でも。
役所との相談が続いているから。
まだ本格的に争う段階じゃない。
そう思っていた。
「教示には二つ問題がありますね」
「言ってみろ」
「一つ目。教示そのものが間違ってる場合」
「うん」
「二つ目。正しく書かれていても、本人が意味を十分理解できてない場合」
「そうだな」
前者。
誤った教示。
これは法的に大きな問題になります。
後者。
伝わり方。
これは必ずしもそのまま法的瑕疵になるとは限らない。
でも。
行政実務としては無視できない。
昨日の沢渡課長も。
教示を書けば全員が意味を理解するとは限らない。
と言っていました。
「沢渡課長」
私は呟きました。
「たまに人間みたいなこと言いますね」
「失礼だぞ」
「褒めてます」
「全然そう聞こえねえ」
私は続けます。
「じゃあ、昨日もし教示に『九十日以内』って間違って書いてあったら?」
「問題になるな」
「もし市役所の担当者が『相談してる間は期間止まりますよ』って明言してたら?」
「それも事情として重いだろう」
「逆に」
相馬先輩が言いました。
「商店会長が勝手に『大丈夫だ』って言っただけなら?」
「役所の誤教示とは違う」
「そうだな」
誰が。
何を。
どう説明したか。
ここも事実確認。
ただ、
かわいそうだから正当な理由。
ではありません。
「行政法」
私は言いました。
「本当に感情を一回分解しますよね」
「それが仕事だ」
相馬先輩が言います。
三枝さんは困っている。
それは事実。
でも。
救うためには。
困っている。
だけでは足りない。
処分日。
知った日。
教示内容。
相談経過。
担当者発言。
期間。
それぞれに分ける。
そして。
どこに法的意味があるのかを見る。
それが。
論点整理。
「昨日の一番痛快だったところって」
私は言いました。
「異議申立書を出した瞬間じゃない気がするんですよ」
「じゃあどこだ」
「三枝さんの『話し合ってたから大丈夫だと思ってた』を」
私はノートを指しました。
「相談と不服申立ては別です、って切り分けたところ」
相馬先輩が少しだけ頷きます。
「そこが分かれば、次に動けるからな」
「はい」
理不尽な空気というのは。
だいたい。
いろんなものが混ざっています。
話し合っている。
だから争ってはいけない。
役所が検討中。
だから待つべき。
不服申立てをすると角が立つ。
だから期限ぎりぎりまで様子を見る。
でも。
一つずつ分ければ。
相談は相談。
申立期間は申立期間。
処分は処分。
感情は感情。
そうすると。
急に道が見える。
私は次の見出しを書きました。
現代の「再調査の請求」。
「これ」
相馬先輩が言います。
「異議申立てと同じなのか」
「同じではないです」
ここ。
試験で混ぜると危ないところ。
旧法の異議申立てが、そのまま名前を変えて現代の再調査の請求になった。
そんな単純な話ではありません。
平成二十六年の全部改正後。
不服申立ては原則として審査請求へ一本化された。
そのうえで。
個別法に定めがある場合に。
処分庁に対して再調査の請求ができる仕組みがある。
「つまり」
私は書きました。
旧法。
異議申立てが一般的な不服申立ての一つとして存在。
現代法。
異議申立ては廃止。
原則は審査請求。
再調査の請求は、法律に定めがある場合に行う制度。
「ここ大事です」
「ああ」
「現代の受験生が」
再調査の請求。
イコール。
昔の異議申立て。
と雑に覚えると危ない。
「似てるところはあるんですよ」
「処分庁に見直しを求めるところとか?」
「はい。でも制度上の位置づけが違う」
「なるほどな」
そして。
現代の再調査の請求について。
今回のテーマが。
第五十四条。
請求期間。
三か月。
一年。
正当な理由。
「何で再調査の請求に、一年の期間まであるんです?」
相馬先輩が聞きます。
「法的安定性です」
「また固い言葉だな」
「じゃあ普通に言います」
いつまでも。
何年前の処分でも。
本人が今知りました。
だから今日から三か月です。
と争えることになると。
行政上の法律関係がずっと不安定になる。
だから。
処分から一定期間たったら。
原則として。
もう再調査の請求はできない。
という外側の線を引く。
「一年」
「ああ」
「冷たいな」
相馬先輩が言いました。
「はい」
「でも線がねえと困る」
「はい」
ここ。
昨日と同じです。
制度の冷たさ。
期限。
それは。
住民を排除するためだけのものではありません。
法的安定性。
行政関係をいつまでも宙ぶらりんにしない。
そういう役割もある。
でも。
その冷たい線の内側にいる人を。
ちゃんと手続へ乗せる。
それが実務です。
「期間制限って」
私は言いました。
「制度の扉を閉める仕組みですけど」
「うん」
「同時に、閉まる時刻を明示する仕組みでもあるんですね」
片桐所長が顔を上げました。
「そうだ」
「いつ閉まるか分かるから」
「その前に動ける」
「はい」
なるほど。
期限がある。
怖い。
でも。
期限が明確だから。
専門家は確認できる。
依頼人に警告できる。
今日出しましょう。
と言える。
冷たい数字が。
救済の段取りになる。
「条文は冷たいけど」
私は呟きました。
「冷たいから、急げって教えてくれるんですね」
相馬先輩がこちらを見ました。
「急に詩人になるな」
「いいところだったのに」
「試験に出る言葉でまとめろ」
「はいはい」
私はノートに整理します。
現代法・再調査の請求。
一。
主観的期間。
処分があったことを知った日の翌日から三か月。
二。
客観的期間。
処分があった日の翌日から一年。
三。
どちらか一方でも経過すれば、原則として請求できない。
四。
正当な理由がある場合は例外。
五。
誤った教示などが、正当な理由の問題になりうる。
「よし」
相馬先輩が言います。
「試験問題」
「え」
「俺が出す」
「先輩が?」
「昨日から偉そうに教えてるからな」
「どうぞ」
「処分が一月一日」
「はい」
「本人が処分を知ったのが十一月一日」
「はい」
「再調査の請求を十一月十日にした」
「はい」
「どうだ」
私は考えます。
知った日からは三か月以内。
でも。
処分日から。
一年以上?
「一月一日の翌日から一年なら、翌年一月頭までは――」
「今年の十一月だぞ」
「あ」
「まだ一年経ってねえ」
「普通に間に合ってます!」
「危ねえな」
「今、一年一か月って勝手に読みました」
「問題文読め」
「行政書士試験の基本を殴ってくる」
相馬先輩が笑います。
「じゃあ次」
「はい」
「処分が去年一月一日。知ったのが今年三月一日。請求が三月五日」
「知ってから三か月以内。でも処分から一年を超えてる」
「で?」
「原則できない」
「正解」
「ただし」
「正当な理由」
「はい」
よし。
頭に入ってきた。
「次」
私が言います。
「今度は私から」
「来い」
「処分庁が、再調査の請求は知った日から四か月以内と教示しました」
「うん」
「本人はそれを信じて、三か月半で請求しました」
「本来の三か月は過ぎてる」
「はい」
「でも誤った教示がある」
「はい」
「正当な理由が問題になる」
「正解」
「よし」
なぜか。
二人で少し嬉しい。
試験勉強とは。
人を妙な連帯感で結びます。
「ただし」
片桐所長が言いました。
「覚え方を雑にするな」
「はい」
「誤教示なら必ず全部救済される、と決めつけるな」
「はい」
「個別事情を見る」
「はい」
重要です。
正当な理由。
という言葉は。
魔法の逃げ道ではない。
具体的事情の問題。
どうして期間を守れなかったのか。
本人の責任なのか。
行政側の説明なのか。
避けられない事情だったのか。
そうしたものを見て判断される。
だから。
試験では。
「正当な理由があるときは例外」。
実務では。
その正当な理由を支える事実を集める。
「昨日の三枝さんなら」
私は言いました。
「結局、正当な理由に頼る前に出せた」
「それが一番だ」
「はい」
ここで。
電話が鳴りました。
「はい、片桐行政書士事務所です」
『総務課の沢渡です』
最近。
声だけで分かるようになってきました。
「お疲れさまです」
『三枝さんの件です』
私は姿勢を正します。
「はい」
『担当課で再検討した結果、使用許可取消処分をいったん取り消す方向で調整します』
「……え?」
相馬先輩がこちらを見る。
私は受話器を押さえました。
「取消すって」
「マジか」
沢渡課長が続けます。
『正確には、取消処分を維持する合理的必要性が現時点で十分整理されていないという判断です』
「第二期工事だから?」
『それもあります』
「他の施設との扱い?」
『それもあります』
「じゃあ、三枝さん営業再開できます?」
『再度の使用条件を整理してからになりますが、少なくとも現在の取消しをそのまま維持する処理は見直します』
「分かりました」
『それから』
「はい」
『駅前整備課の窓口対応についても、内部で確認しました』
「窓口?」
『相談中であることと、不服申立期間が進行していることが、住民に十分伝わっていない例があるようです』
私は黙りました。
『通知書には教示があります』
「はい」
『ですが、それとは別に、相談を継続する場合の説明方法は見直します』
「……三枝さんの件がきっかけで?」
『そういうことになります』
またです。
一人の申立て。
一件の日付確認。
それが。
役所の運用そのものへ戻っていく。
「課長」
『何でしょう』
「昨日、期間を一日過ぎてたら」
『この見直しも、同じ形では始まらなかったかもしれませんね』
「怖いなあ」
『だから期限は確認してください』
「はい」
『朝比奈さん』
「はい」
『行政書士になるなら、相談内容より先に日付を見る癖はつけておいた方がいいですよ』
「課長が受験指導しないでください」
『では』
切れました。
私は受話器を置きます。
「何だって」
相馬先輩が聞きました。
「取消処分、見直す方向です」
「おお」
「それから」
私は少し笑いました。
「窓口対応も見直すそうです」
「どういう意味だ」
「相談してるうちに不服申立期間が過ぎる人が出ないように、説明の仕方を確認するって」
片桐所長が帳簿を閉じました。
「それでいい」
昨日。
三枝さん一人が。
期限に間に合った。
それだけだった。
でも。
今日。
その一件が。
別の人の期限徒過を防ぐかもしれない。
行政不服審査。
やっぱり。
一人の救済だけでは終わらない。
行政が自分の運用を直す。
そこまで届くことがある。
「こはる」
片桐所長が言いました。
「まとめろ」
「はい」
私はノートの最後を開きました。
今日の一行。
まず書きます。
――相談していても、不服申立期間の時計は止まらない。
「長い」
相馬先輩。
すぐ言う。
「じゃあ短くします」
消す。
もう一度。
――不服申立ては、主張より先に期限を見る。
「それだな」
「でも今回、現代法の第五十四条も入れたい」
「欲張るな」
「大事なんです」
私は少し考えました。
そして。
最後に書きました。
――三か月と一年、どちらの時計も見る。例外より先に、期限内に動く。
相馬先輩が覗き込みます。
「昭和の事件なのに三か月か」
「これは未来の私向けです」
「今のお前には?」
私はその下に、小さく書き足しました。
――昭和六十三年は六十日。未来法で依頼人を殺すな。
「物騒だな」
「効きます」
「試験会場で見せられねえぞ」
「自分用ですから」
窓の外。
駅前の灯りがつき始めていました。
三枝さんの小屋は。
まだ閉まっています。
明日すぐ再開できるわけでもない。
駅前再整備だって。
なくなるわけではありません。
でも。
昨日まで。
期限ぎりぎりだった一枚の紙が。
今日。
処分を見直すところまで進んだ。
そして。
その一枚のおかげで。
役所側も。
相談と申立期間の説明を見直す。
法律の期限は冷たい。
三か月。
一年。
六十日。
誰かが困っているからといって。
気を利かせて止まってはくれない。
けれど。
その冷たい数字を知っていれば。
閉まりかけた扉の前で。
まだ間に合う。
と誰かを引き戻せる。
たぶん。
行政書士という仕事は。
大きな正義を振り回す仕事ではありません。
日付を確認する。
封筒を見る。
通知を読む。
相談と申立てを切り分ける。
そんな。
ものすごく地味なことを積み重ねて。
一日を残す仕事です。
でも。
その一日が。
誰かの商売を残し。
誰かの申立てを残し。
役所の運用まで変えることがある。
私はノートを閉じました。
「終わったか」
相馬先輩が言います。
「はい」
「じゃあ残りのおにぎり」
「駄目です」
「何でだよ」
「一個は私です」
「二個あるだろ」
「もう一個は明日の朝」
「保存期間は?」
「そこ法律で攻めます?」
「期間が大事なんだろ」
「食品衛生と行政不服審査を混ぜないでください!」
奥で。
片桐所長が小さく言いました。
「正当な理由があれば食えるかもな」
「所長まで乗らないでください!」
相馬先輩が吹き出します。
「じゃあ明日、腹壊したらどうする」
「不服申立てします」
「誰に」
「三枝さん」
「差し入れ主にするな」
「じゃあ先輩に」
「却下」
「早い!」
「期間内だ」
「本案審理してください!」
窓の外。
駅前の灯りが一つずつ増えていきます。
明日になれば。
また何かの期限が一日減ります。
だから。
今日見る。
今日数える。
今日動く。
法律の時計は止まりません。
でも。
止まらないからこそ。
私たちが走ればいいのです。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




