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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政不服審査法

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218/272

[行政不服審査法52条・裁決の拘束力]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 夕方の片桐行政書士事務所には、赤飯の匂いだけが残っていました。


 正確には。


 赤飯そのものは残っていません。


 匂いだけです。


「……所長」


「何だ」


「本当に全部食べたんですか」


「ああ」


「一人で?」


「ああ」


「相馬先輩の取り分も?」


「ああ」


 強い。


 裁決も不服申立ても通用しない顔で言い切りました。


「先輩」


「何だ」


「訴えます?」


「誰をだ」


「所長を」


「どこに」


「……県?」


「何の上級行政庁だよ」


 ですよね。


 行政法で世の中すべてを解決しようとすると、こういう事故が起きます。


 私はため息をついて机に戻りました。


 目の前にはノート。


 その横には、坂井隆一さんの件で増えた三枚の紙。


 最初の不許可通知。


 県の取消裁決。


 そして最後の、条件付き許可通知。


 たった一つの申請から生まれた三枚です。


 昨日までは。


 ただの紙の山に見えました。


 でも今なら分かります。


 真ん中の一枚。


 県の裁決書。


 あれには、


 「前の不許可を消す」


 だけではない意味があった。


 私はノートの一番上に書きました。


 ――裁決の拘束力。


「先輩」


「嫌だ」


「まだ何も言ってません」


「勉強会だろ」


「そうです」


「嫌だ」


「所長」


「付き合え」


 片桐所長が即答しました。


 相馬先輩が煙草をくわえたまま黙る。


「所長の処分には拘束力ありますね」


「お前も拘束されてるだろ」


「私は自主的参加です」


「さっき所長呼んだの誰だよ」


 細かいことは置いておきましょう。


 私はノートを開きました。


「まず、昨日の坂井さんの事件です」


 坂井さんは食堂の店先に長椅子や丸椅子を置くため、市へ申請した。


 市は不許可。


 理由は、


 ――歩行者通行の安全確保上、支障があるため。


 でも。


 その前提となった現地認定がおかしかった。


 市は、実際には通路ではない店先の空地まで歩行者通路のように扱っていた。


 坂井さんは審査請求。


 県は市の不許可処分を取り消した。


「ここまではいいですね」


「ああ」


「問題は、そのあと」


 市はもう一度。


 同じ申請について。


 また不許可にした。


 しかも理由まで、


 ――歩行者通行の安全確保上、支障があるため。


「コピー」


 私は言いました。


「ほぼな」


「行政処分の再放送」


「言い方が軽い」


「でも、あれが許されたら困りますよね」


 私はノートに矢印を書きました。


 不許可。


 ↓


 審査請求。


 ↓


 取消裁決。


 ↓


 同じ理由で再不許可。


 ↓


 また審査請求。


「無限です」


「そうだな」


「ずっと終わらない」


「だから拘束力がある」


 片桐所長が言いました。


 私は大きく丸をつけました。


 そこです。


 裁決の拘束力。


 現代の行政不服審査法なら、第五十二条。


 裁決は、関係行政庁を拘束する。


 たったそれだけ読むと。


「関係行政庁を拘束する」


 何となく分かる。


 何となく怖い。


 そして試験の翌日には忘れそう。


 昔の私なら、蛍光ペンを引いて終わりでした。


 でも。


 坂井さんの事件を挟むと。


 意味が急に生々しくなります。


「簡単に言えば」


 私は言いました。


「行政庁が、裁決を無かったことにできない」


「まあ、それでいい」


「認容裁決で、この判断は駄目だ、とされた部分を無視して、同じ処分を繰り返せない」


「そこが大事だ」


 片桐所長が言いました。


 私は書き足します。


 ――拘束されるのは、裁決の趣旨。


「結果だけじゃないんですよね」


「ああ」


 坂井さんの件なら。


 県は、


 「市は坂井さんを必ず許可しろ」


 と命じたわけではありません。


 問題にしたのは、


 歩行者通行への支障があるという市の判断過程。


 現場の状況を十分確認していない。


 図面と現況の関係も怪しい。


 その前提で不許可にした。


 そこが駄目だとされた。


「だから市がやるべきだったのは?」


 相馬先輩が聞きます。


「現地をきちんと確認する」


「うん」


「坂井さんの補足図面を見る」


「うん」


「隣の店との位置関係も確認する」


「うん」


「つまり、裁決で問題にされた点を踏まえて、もう一度審査する」


「そうだ」


 私はノートに書きました。


 取消裁決。


 =必ず申請どおりの処分をしろ。


 ではない。


 取消裁決。


 =裁決の趣旨に従って、改めて判断せよ。


「ここ、試験で引っかかりそうですね」


「どう引っかかる」


「取消裁決が出たら、処分庁は必ず申請を認めなければならない」


「間違いだな」


「はい」


 例えば。


 申請を不許可にした。


 その不許可が、


 手続上の問題を理由として取り消された。


 なら。


 処分庁は手続をやり直し、


 改めて申請に対する処分をする。


 その結果。


 別の適法な理由によって、


 再び不許可になる可能性まで否定されるわけではありません。


「ただし」


 私はペンを立てました。


「同じ事実関係のまま、裁決で否定された理由をそのまま持ってきて、また不許可」


「それは駄目だ」


「裁決の拘束力に反する」


「そういうことだ」


 分かりやすい。


 行政法なのに分かりやすい。


 怖い。


 私は次の見出しを書きました。


 ――誰が拘束されるのか。


「処分庁?」


 相馬先輩が言います。


「処分庁だけじゃありません」


「じゃあ誰だ」


「関係行政庁」


 裁決は、


 関係行政庁を拘束する。


 だから。


 直接処分をした行政庁だけではなく、


 その裁決に関係する行政庁も拘束される。


「ここ、条文がわざわざ『処分庁』じゃなくて『関係行政庁』なんですよね」


「ああ」


「裁決を出した審査庁と処分庁の間だけの内輪話じゃない」


「そうだ」


 行政の内部で正式に出された裁決。


 それを、


 関係する別の行政庁が、


 「うちは聞いてません」


 では済まない。


「つまり」


 私は呟きました。


「裁決って、申立人への返事だけじゃないんですね」


 片桐所長がこちらを見る。


「そうだ」


「行政内部に対する命令みたいな側面もある」


「命令という言い方は雑だ」


「ですよね」


「だが、裁決の内容に従わせる力はある」


 私は訂正しました。


 ――裁決の拘束力は、行政内部にも効く。


 次。


 ここで私は少し迷いました。


「所長」


「何だ」


「取消裁決が出たら、元の処分って消えますよね」


「ああ」


「それも拘束力ですか?」


 所長が私を見る。


 数秒。


「違う」


 やっぱり。


「そこ、混同するな」


「はい」


 来ました。


 受験生が嫌いな、


 似ているけど違うシリーズ。


「処分を取り消す裁決が出たことで」


 私は整理しました。


「原処分そのものが消える」


「ああ」


「それと」


「関係行政庁がその裁決に従わなければならないことは別だ」


「ですよね」


 私はノートを二つに分けました。


 左。


 取消裁決によって原処分の効力が消える。


 右。


 関係行政庁が、その裁決の判断に拘束される。


「前者を、一般に裁決の形成力として説明することがあります」


 相馬先輩が嫌そうな顔をしました。


「また単語増やすのか」


「増やしたのは私じゃありません」


「行政法だろ」


「行政法に文句言ってください」


「誰にだよ」


 そう。


 ここは大事です。


 取消裁決が出た。


 その結果、


 前の不許可処分が取り消される。


 これは、


 裁決そのものによって法律関係が変動する場面。


 一方。


 その後、市が再度判断するとき、


 裁決で示された判断を無視できない。


 これが拘束力。


「坂井さんの件なら」


 私は言いました。


「最初の不許可が消えたのが一段目」


「ああ」


「そのあと、市が裁決の趣旨に従って審査をやり直さなきゃいけないのが二段目」


「そうだ」


「一段目だけだったら」


 私は矢印を書きます。


 不許可消滅。


 ↓


 また同じ不許可。


「これができちゃう」


「ああ」


「だから二段目の拘束力が要る」


 なるほど。


 昨日まで、


 形成力。


 拘束力。


 という二つの言葉を見たら。


 脳の中で、


 似た漢字の親戚。


 くらいにしか認識していませんでした。


 今なら違います。


 形成力は、


 前の処分を消す。


 拘束力は、


 その後の行政を縛る。


「雑に言えば」


 相馬先輩が口を挟みました。


「消す力と、蒸し返させない力か」


「それ、すごく覚えやすいです」


「試験答案には書くなよ」


「先輩も私と同じこと言うようになってます」


「お前のせいだ」


 次。


 私はノートに大きく書きました。


 ――申請に対する処分が取り消された場合。


 ここが坂井さんの事件に直結します。


 申請した。


 拒否された。


 その拒否処分が、裁決で取り消された。


 そこで終わりではありません。


「処分庁は?」


 相馬先輩。


「裁決の趣旨に従って、改めて申請に対する処分をする」


「そうだ」


 坂井さんの場合。


 店先に椅子を置きたい。


 という申請そのものは、


 最初の不許可が取り消されたからといって消えたわけではない。


 だから市役所が最初にやった、


 「不許可が取り消されたので案件終了。あとは新規案件として扱います」


 という処理はおかしかった。


「私、あのとき言いましたよね」


 私は少し得意になりました。


「最初の申請が役所の机の上に戻ってきたんじゃないですかって」


「言ったな」


「いい比喩でしたよね」


「自分で褒めるな」


「誰も褒めてくれないので」


「所長は?」


 見る。


 片桐所長は帳簿を見ています。


「聞いてませんね」


「聞いてる」


「じゃあ褒めてください」


「続けろ」


「はい」


 行政書士事務所の人事評価制度は厳格です。


 私は続きを書きました。


 申請拒否処分取消し。


 ↓


 申請は未処理の状態へ。


 ↓


 裁決の趣旨に従い、再度処分。


「ただし」


 所長が言います。


「何でも再処分義務が同じ形になると思うな」


「はい」


「処分の種類を見ろ」


「申請に基づく処分かどうか」


「そうだ」


 今回の教材の中心でもあります。


 申請に基づいてされた処分。


 その処分が、


 手続の違法または不当を理由として取り消された。


 あるいは。


 申請を却下した処分。


 申請を棄却した処分。


 それが裁決で取り消された。


 そういう場合。


 処分庁は、


 裁決の趣旨に従い、


 改めて申請に対する処分をしなければならない。


「ここで」


 私はペンを止めました。


「手続の違法や不当が理由ってところも大事ですよね」


「ああ」


 例えば。


 必要な手続をしなかった。


 考慮すべき資料を見ていなかった。


 判断過程に問題があった。


 そういう理由で取消しになったとき。


「今度は正しい手続でやり直す」


「そうだ」


「だから結果まで必ず逆になるとは限らない」


「ああ」


「坂井さんは、やり直した結果、許可になった」


「結果としてな」


 あくまで結果として。


 裁決が最初から許可を命じたわけではない。


 市が現場を測り直した。


 前回の図面がおかしいと判明した。


 適切に審査し直した結果、


 条件付き許可になった。


 ここを、


 「審査請求に勝ったので自動的に許可」


 と理解したら間違いです。


 私は四角で囲みました。


 ――取消し=申請認容ではない。


 ――取消し=裁決の趣旨に従ってやり直せ。


「ここ試験に出たら取れます」


「そう言って落とすなよ」


「縁起でもない」


 次です。


 私はノートに、


 ――拘束力が生じる裁決。


 と書きました。


「認容裁決」


「そうだ」


「棄却裁決には?」


「同じ意味での拘束力はない」


 ここ。


 かなり面白いところです。


 例えば。


 誰かが、


 「この処分は違法だ、不当だ」


 として審査請求する。


 でも。


 審査庁は、


 「いや、この処分で問題ありません」


 として棄却する。


「じゃあ処分庁は、その処分を未来永劫取り消せない?」


「そんなことはない」


「ですよね」


 処分庁があとから、


 やっぱり自分たちの処分に問題があった。


 と気づいた。


 なら。


 職権で処分を取り消せる場合がある。


 棄却裁決が出たからといって、


 「この処分は絶対に正しい」


 という鎖で処分庁を永久に縛るわけではありません。


「これ、最初ちょっと不思議でした」


 私は言いました。


「認容裁決なら拘束するのに、棄却裁決なら処分庁があとから自分で取り消せる」


「なぜ不思議なんだ」


「裁決したのに、結論変えていいのかなって」


「誰のための制度だ」


 片桐所長が言いました。


 私は少し考えました。


「国民の権利利益を救済するため」


「なら」


「……棄却裁決を、行政自身の自己修正を妨げる壁にする必要はない」


「そうだ」


 あ。


 きれいにつながった。


 私はノートに書きました。


 認容裁決。


 行政に是正を求める。


 →関係行政庁を拘束。


 棄却裁決。


 申立人の不服を認めない。


 →処分庁が後から職権で処分を取り消すことまで妨げない。


「有名な判例も、この考え方ですね」


 処分を維持する棄却裁決があったとしても。


 処分庁が後に職権で処分を取り消すことは妨げられない。


「つまり」


 相馬先輩が言いました。


「棄却されたら、役所は絶対にもう直せない、じゃねえ」


「はい」


「行政があとから間違いに気づいたなら、自分で直せる余地は残ってる」


「そうです」


 私は大きく書きました。


 ――棄却裁決は、誤りを永久保存する制度ではない。


「また試験答案に書けない文章だな」


「覚え書きです」


 でも。


 こういうところにも。


 制度の冷たさと優しさが同居しています。


 一度棄却された。


 だから行政自身が間違いに気づいても、


 もう直せません。


 では困る。


 法律はそこまで意地悪じゃない。


 次。


「公示」


 私は見出しを書きました。


「急に話変わったな」


 相馬先輩が言います。


「まだあります」


「もう十分だろ」


「条文は許してくれません」


 現代法では。


 法令の規定によって公示された処分が、


 裁決によって取り消されたり変更されたりした場合。


 処分庁は、


 その処分が取り消された、または変更されたことを公示しなければならない。


「なぜだ?」


 相馬先輩。


「最初の処分だけ世間に知らせて、取消しを知らせなかったら困るから」


「例えば?」


「営業停止処分」


 ある店に営業停止処分が出た。


 それが法令に基づいて公示された。


 世間には、


 あの店は営業停止だ。


 という情報が広がる。


 そのあと。


 審査請求で営業停止処分が取り消された。


「でも取消しを誰にも知らせなかったら?」


 私は聞きました。


「ずっと営業停止した店だと思われる」


「ですよね」


「信用にも関わるな」


「そうです」


 だから。


 処分の取消しや変更まで公示する。


 最初の行政処分だけ大声で発表して。


 間違っていたときは小声。


 では困る。


「行政法、意外とそこちゃんとしてますよね」


「意外とは何だ」


「偏見です」


「認めるの早いな」


 私はノートに書きました。


 公示された処分。


 ↓


 裁決で取消し・変更。


 ↓


 取消し・変更も公示。


「一度外へ出た行政情報は」


 私は言いました。


「訂正も外へ出す」


 片桐所長が頷きました。


「それでいい」


 次。


 通知。


 法令の規定により、


 処分の相手方以外の利害関係人にも処分内容が通知されていた。


 その処分が裁決で取り消されたり変更されたりした。


「その場合?」


「最初に通知を受けた者にも、取消しや変更を知らせる」


「そうだ」


 例えば。


 営業停止処分が出た。


 法令上、その事実が一定の利害関係人にも通知された。


 そのあと。


 営業停止処分が取り消された。


 あるいは。


 営業停止から、より軽い別の処分へ変更された。


 なのに関係者が、


 古い通知だけ持ったまま。


 では困ります。


「行政処分って」


 私は言いました。


「本人だけの世界で完結してないことがあるんですね」


「ああ」


「だから、処分を取り消すなら、周囲に残った古い情報まで直す」


「そういうことだ」


 これも。


 法律用語だけなら眠い。


 公示。


 通知。


 でも現場に置き換えると分かります。


 間違った処分を取り消した。


 なのに。


 世間にはまだ、


 あの人は処分を受けた。


 という札が貼られたまま。


 それでは半分しか救われていない。


 処分を消すなら。


 処分が外へ残した影も消さなければならない。


「……これ、かなり大事ですね」


「何がだ」


「取消しって、本人の紙一枚だけ消せば終わりじゃない」


「そうだ」


 私は二重線を引きました。


 ――公にした処分を取り消したなら、取消しも公にする。


 ――他人に通知した処分を変えたなら、変更も知らせる。


「筋が通ってます」


「法律だからな」


「先輩が急に法律を信頼し始めた」


「俺は最初から法律を馬鹿にしてねえ」


「役所の通知はだいたい感じ悪いって言ってましたよね」


「文章の話だ」


「逃げた」


 さて。


 ここで最大の問題です。


 昭和六十三年。


 私は今いる時代を思い出しました。


「また未来人の顔になったぞ」


 相馬先輩が言います。


「未来人ではありません」


「じゃあ何だ」


「現代法を知ってる昭和人です」


「もっと分からん」


 そう。


 今回の教材は、


 現代の行政不服審査法第五十二条。


 でも。


 私が今いるのは昭和六十三年。


 この時代には、


 現在の平成二十六年全部改正後の制度はありません。


 審理員。


 ありません。


 行政不服審査会への原則的な諮問。


 ありません。


 不服申立ての原則一本化。


 まだです。


「今の時代は」


 私はノートを二つに分けました。


 昭和六十三年。


 旧法。


 異議申立て。


 審査請求。


 二本立て。


「坂井さんは?」


「審査請求」


「理由は?」


「今回の処分には上級行政庁があったから、そちらへ審査請求した」


「そうだ」


 一方。


 処分庁に上級行政庁がないような場合。


 旧法では、


 処分庁自身への異議申立てが問題になる。


「前にやった川瀬さんの花売り台ですね」


「ああ」


「あれは市長名義の処分で、上級行政庁がなかったから異議申立て」


「そうだ」


「今回は、上級行政庁へ審査請求」


「そうだ」


 ややこしい。


 受験生だった頃、


 旧法の制度表を見て、


 昔の人はよくこれで迷わなかったな。


 と思ったことがあります。


 たぶん迷っていたから改正されたのでしょう。


「現代なら」


 私は続けます。


「原則として審査請求に一本化」


「異議申立ては?」


「一般的な制度としては廃止」


「期間は?」


「現代は原則三か月」


「昭和六十三年は?」


「旧法の原則六十日」


「審理員は?」


「いません」


「行政不服審査会は?」


「今みたいな仕組みはありません」


 完璧。


 少し嬉しい。


 相馬先輩が煙草を灰皿へ押しつけました。


「何でそんな嬉しそうなんだ」


「新旧制度を間違えずに言えたので」


「仕事中に何と戦ってるんだ、お前」


「時代です」


 転生者は時代と戦うのです。


「でも」


 私はノートを見ました。


「制度は変わっても、裁決を意味のあるものにするには拘束力が必要なんですね」


 片桐所長が頷きました。


「そこは変わらん」


 そう。


 手続の形は変わる。


 昭和六十三年には、


 異議申立てと審査請求。


 現代は、


 原則として審査請求。


 審理員制度もできた。


 第三者機関への諮問も整備された。


 公正さや透明性を高める方向へ制度は変わった。


 でも。


 せっかく不服申立てをして。


 原処分がおかしいと認められて。


 それでも処分庁が、


 「はいはい。では同じ処分をもう一度」


 で済ませられたら。


 制度そのものが意味を失う。


「だから拘束力って」


 私は言いました。


「不服申立て制度の最後の留め金みたいなものですね」


「留め金?」


「はい」


「審査請求で勝った」


「うん」


「処分が取り消された」


「うん」


「でも、そのあと処分庁が裁決を無視したら全部ほどける」


「そうだな」


「だから最後に、裁決の趣旨に従えって行政を縛る」


 所長が少しだけ頷きました。


「悪くない」


 来た。


「今、褒めました?」


「続けろ」


「褒めましたよね?」


「続けろ」


「先輩、聞きました?」


「聞いてねえ」


「絶対聞いてた!」


 この事務所。


 賞賛の証拠収集が難しすぎます。


 私はノートに戻りました。


 最後の整理。


 今日の試験ポイント。


 まず。


 裁決は、関係行政庁を拘束する。


 次。


 認容裁決の拘束力が重要。


 裁決で示された判断を無視して、


 同じ事実関係の下で、


 同じ理由による処分を蒸し返すことはできない。


 次。


 申請に対する処分が、


 手続の違法・不当などを理由として取り消された場合。


 あるいは、


 申請を却下・棄却した処分が取り消された場合。


 処分庁は、


 裁決の趣旨に従って、


 改めて申請に対する処分をしなければならない。


 でも。


 取消裁決が出たからといって、


 必ず申請どおりの処分をしなければならないとは限らない。


 そして。


 棄却裁決が出たからといって、


 処分庁が後に職権で原処分を取り消すことまで禁止されるわけではない。


 さらに。


 公示された処分が取り消し・変更されたなら、


 その旨も公示。


 処分の相手方以外の利害関係人に通知されていたなら、


 取消し・変更も必要な相手へ通知。


「多い!」


 私はペンを置きました。


「何が」


「一条でやることが多いです」


「第五十二条だろ」


「現代法ではですね」


「細かいな」


「時代設定を守ってますから!」


 そう。


 昭和六十三年の私が、


 現代法第五十二条をそのまま条文として市役所へ持ち込むことはできません。


 今使うのは、


 当時の旧法。


 でも。


 未来の制度と比べることはできます。


 むしろ。


 旧法の現場を知るほど、


 なぜ後に制度が変わったのかが見えてくる。


 処分庁自身への異議申立て。


 上級行政庁への審査請求。


 分かりにくい二本立て。


 それが現代では原則一本化された。


 原処分に関与していない職員による審理員制度も導入された。


 行政内部の救済だからこそ、


 より公正に。


 より分かりやすく。


 そう変えようとしてきた。


 でも。


 どれだけ審理制度を整えても。


 最後の裁決を行政が無視できるなら。


 全部意味がない。


「なるほど」


 私は呟きました。


「何だ」


 相馬先輩が聞きます。


「拘束力って、地味ですけど最後に一番効くんですね」


「地味とか言うな」


「だって名前が地味なんですよ」


「法律用語に華やかさ求めるな」


「『絶対服従裁決パワー』とか」


「一気に頭悪くなったぞ」


「じゃあやめます」


 私はノートの最後に、


 今日の一行の覚え書き。


 と書きました。


 しばらく考える。


 そして。


 ――裁決は、処分を消すだけじゃない。その後の行政にも「同じ間違いを繰り返すな」と効く。


「長い」


 相馬先輩。


「またですか」


「一行ではあるけどな」


「じゃあ短縮版」


 私は書き直しました。


 ――認容裁決は、行政の「やり直し方」まで縛る。


 相馬先輩が少し考えました。


「まあ、それなら覚えやすい」


「よし」


 私は四角で囲みました。


 そのとき。


 電話が鳴りました。


「はい、片桐行政書士事務所です」


『坂井です』


「あ、坂井さん」


『今日から椅子、出しました』


「本当ですか」


『ええ。まだ夕方だけですけど』


 声が弾んでいました。


『一番最初に座ったの、誰だと思います?』


「常連さん?」


『市役所の人です』


「え」


『二人来て、うどん食べて帰りました』


 私は吹き出しました。


「担当課だったりして」


『そこまでは聞きませんでした』


「聞かなくていいと思います」


『女房がね』


「はい」


『役所の人も座れる椅子なら、安全なんだろうって笑ってました』


「それは強いですね」


 電話を切る。


 私は少しだけ笑いました。


 あの椅子は。


 最初、


 危険だから置けない。


 と言われた。


 坂井さんが不服を申し立てた。


 裁決が出た。


 それでも市は同じ不許可を出した。


 そして。


 裁決の意味を一つずつ確認して。


 現場を測り直して。


 ようやく椅子が置かれた。


 たかが椅子です。


 長椅子二つ。


 丸椅子三脚。


 世の中を変えるような話ではありません。


 でも。


 行政法が守る生活って、


 案外こういうものなのかもしれません。


 店先に椅子を置けること。


 明日も商売ができること。


 役所に一度駄目だと言われても、


 おかしければ見直してもらえること。


 そして。


 見直した結果が出たなら、


 その結果を役所自身にも守らせること。


 法律の言葉は冷たい。


 裁決。


 拘束力。


 関係行政庁。


 再処分。


 どれも温度のない言葉です。


 でも。


 冷たいからこそ。


 役所が、


 「やっぱり前と同じで」


 と空気で押し戻すことを許さない。


 誰が担当者でも。


 誰が課長でも。


 裁決で決まったことは、


 行政組織として受け止めなければならない。


 人の善意ではなく。


 制度で。


 それが。


 誰かの店先に、


 長椅子を二つ置くことにつながる。


「こはる」


 片桐所長が言いました。


「はい」


「終わったか」


「終わりました」


「なら帰るぞ」


「はい」


 相馬先輩が立ち上がりました。


 そして冷蔵庫を開けます。


 無言。


 閉める。


 また開ける。


「先輩」


「何だ」


「何回開けても赤飯は復活しませんよ」


「分かってる」


「取消裁決でも無理です」


「分かってる!」


「じゃあ職権取消し――」


「食った事実は取り消せねえ!」


 片桐所長が靴を履きながら言いました。


「相馬」


「何だよ」


「明日」


「何だ」


「坂井の店へ行くぞ」


「仕事か?」


「昼を食う」


 相馬先輩が止まりました。


「奢りか?」


「各自だ」


「却下」


「お前に処分権はない」


「じゃあ異議申立て」


「上級行政庁は?」


「知らねえよ!」


 私は笑いながらノートを閉じました。


 今日の最後の一行だけは、


 たぶん忘れません。


 ――認容裁決は、行政の「やり直し方」まで縛る。


 一度、


 間違いだと正式に認められたのなら。


 同じ間違いを、


 何食わぬ顔で繰り返させない。


 たったそれだけ。


 でも。


 その「たったそれだけ」がなければ、


 不服申立てで勝った人は、


 永遠に同じ扉の前へ戻されることになります。


 裁決の拘束力。


 それは、


 勝った人をもう一度スタート地点へ戻さないための、


 行政法の小さな歯止めなのでした。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜
宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜
名探偵 藤原彰子の宮中事件簿 ――『転生皇后 藤原彰子』スピンオフ外伝
転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜
新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜
新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件〜
美しき女帝 北条政子 〜 婚約破棄どころか強制結婚!? 平家のエリートに嫁がされそうになったので、豪雨の山を越えて愛する無職の元へ走ってみた 〜
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箴言・格言・名言集 〜頑張るあなたへ、今日を乗り越えるための一言〜
拝啓、愛読者様。― 想いを少しだけ 謹呈 条文小説
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜
コミックス「六道輪廻抄〜戦国転生記〜」
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