[行政不服審査法45条・審査請求の却下又は棄却]法理編 こはるノート
夕方の片桐行政書士事務所には、赤鉛筆が一本増えていました。
正確には。
三浦文具店さんからもらった、印字のずれた赤鉛筆です。
私の机の上。
ノートの横。
堂々と置いてあります。
「朝比奈」
「はい」
「それ、まだ持ってたのか」
相馬先輩が煙草をくわえたまま言いました。
「所長から正式に認容されたものです」
「一本だけな」
「行政庁みたいに言わないでください」
「お前が昨日から却下だ棄却だうるせえんだろ」
「大事なんです」
私は赤鉛筆を握りました。
ノートの一番上には、大きく、
――却下と棄却。
その下に、
――事情裁決。
と書いてあります。
昨日までは。
この三つが、試験問題の中でしか生きていませんでした。
却下。
棄却。
事情裁決。
全部、漢字が固い。
全部、役所の机の上にしか存在しなさそう。
でも。
三浦さんの審査請求が、
「六十日を過ぎていますね」
の一言で危うく門前払いされそうになった瞬間。
却下という言葉は、
急に人の店のシャッターみたいに見えました。
「今日は整理するぞ」
相馬先輩が椅子を引きました。
「珍しいですね」
「昨日、お前が途中までしか分かってない顔してたからな」
「失礼な」
「違うのか」
「……半分くらいは分かってました」
「半分しか分かってねえじゃねえか」
そこへ。
片桐所長が奥から出てきました。
「始めろ」
「はい」
私はノートを開きました。
まず。
いちばん基本。
却下と棄却。
「じゃあ先輩」
「何だ」
「却下って何ですか」
「また俺に振るのか」
「復習です」
「期間過ぎてるとか、そもそも申立てが不適法なとき」
「その先」
「中身まで判断しねえ」
「そうです」
私は大きく書きます。
却下。
――不適法だから、本案に入らず退ける。
「昨日の三浦さんでいえば」
私は続けました。
「もし本当に旧法上の申立期間を過ぎていて、救済される事情もなく、期間徒過で不適法なら」
「却下」
「はい」
「三浦さんの処分が不当だったかどうかは?」
「そこまで見てもらえない」
「道路占用許可の取消しに合理性があったかは?」
「原則として、その前に終わります」
そこです。
これが怖い。
中身がおかしいかどうか。
役所の判断が雑だったかどうか。
ほかの店との扱いが違ったかどうか。
そんなものを全部抱えたまま、
入口で終わる。
「だから昨日は」
私は言いました。
「まず処分を知った日を確認した」
「処分日じゃなくな」
「はい」
「封筒」
「はい」
「不在票」
「はい」
「再配達記録」
「はい」
「営業日誌」
「はい」
「切符の控え」
「はい」
「そういうのを集めた」
「はい」
相馬先輩が煙草の灰を落としました。
「法律の期間ってのは、カレンダー見て終わりじゃねえ」
「耳が痛いです」
「お前、昨日最初に日付だけ見て数えてただろ」
「一瞬だけです」
「その一瞬で人の店を門前払いにするな」
「はい……」
私は赤鉛筆で囲みました。
――却下を争うなら、まず「適法に入口へ立てているか」を固める。
次。
棄却。
「これは?」
相馬先輩が言います。
「申立て自体は適法」
「はい」
「中身まで審理する」
「はい」
「でも理由がない」
「はい」
「だから退ける」
「その通りです」
私は書きます。
棄却。
――適法に審理したが、請求に理由がないとして退ける。
「昨日の三浦さんでいえば」
「うん」
「県がちゃんと本案を見た結果」
「うん」
「道路占用許可の取消しは適法だ」
「うん」
「市の駅前整備との関係にも合理性がある」
「うん」
「他店舗との扱いの違いにも理由がある」
「うん」
「今すぐ撤去させる必要性も認められる」
「うん」
「そう判断されれば、棄却になり得る」
「そういうことだ」
私はノートの中央に一本線を引きました。
左。
却下。
右。
棄却。
「ここ、試験では本当に狙われますね」
「なぜだ」
「字が似てるから」
「それだけか」
「いや、中身も混同しやすいからです!」
却下。
不適法。
入口。
棄却。
適法。
本案。
理由なし。
このセット。
受験生の頃。
私は何度も、
「請求に理由がないから却下」
みたいな選択肢に引っかかりそうになりました。
今なら。
絶対に引っかからない。
たぶん。
「本当に?」
相馬先輩が言いました。
「心を読まないでください」
「顔に出てる」
「大丈夫です!」
私はノートに大きく書きました。
――不適法なら却下。適法だが理由なしなら棄却。
「これです」
「やっと受験生らしくなったな」
「元から受験生です」
「昭和六十三年には未来の受験生だろ」
「そこ突っ込まれると弱いです」
そして。
ここからです。
事情裁決。
私はノートの下半分へ移りました。
「これが昨日、私が先走ったところです」
「かなり先走ったな」
「反省してます」
「まず制度の形から言え」
私は頷きました。
事情裁決。
普通の棄却とは違う。
「処分自体は」
私はゆっくり言いました。
「違法、または不当だと認められる」
「うん」
「つまり、申立人側の言い分に理由がある」
「うん」
「本来なら、取消しや撤廃を考える場面」
「うん」
「でも」
私は赤鉛筆を止めました。
「それを取り消すことで、公の利益に著しい障害が出る」
相馬先輩が腕を組みました。
「それだけで棄却か」
「いえ」
「ほら」
「まだ条件があります」
そう。
事情裁決は、
公共の利益。
その一言で発動する魔法ではない。
審査請求人が受ける損害。
その損害を賠償できるか。
防止できるか。
ほかに方法があるか。
その他一切の事情。
それらを考えて。
なお。
処分を取り消すことが公共の福祉に適合しない。
そう認めるとき。
例外的に。
審査請求を棄却できる。
「これ」
私は言いました。
「かなり強い制度ですよね」
「何がだ」
「処分がおかしいと認めてるのに、取り消さない」
「そうだな」
「申立人からしたら納得しにくい」
「そりゃそうだ」
「だって」
私は昨日の三浦さんの顔を思い出します。
もし。
道路占用許可の取消しが不当だった。
市と県の判断が雑だった。
近隣店舗との扱いに合理性がなかった。
そこまで認められたのに。
でも。
駅前整備全体のため。
町全体のため。
だから取消しません。
そう言われたら。
「かなり腹立ちません?」
「感情論で制度を評価するな」
「分かってます」
「でも腹は立つだろうな」
「ですよね」
相馬先輩も人間でした。
そこで。
片桐所長が言いました。
「だから例外なんだ」
私は顔を上げます。
「はい」
「処分が違法又は不当なら、原則は是正する」
「はい」
「事情裁決は、その原則を崩してまで公益を守る場面だ」
「はい」
「簡単に使うものじゃない」
そこです。
公共の利益。
という言葉は強い。
ものすごく強い。
行政が使うと、
何でも押し切れそうに見える。
でも。
事情裁決は、
ただ「公共のためです」で終わる仕組みじゃない。
「審査請求人の損害も見る」
「うん」
「補償や防止方法も見る」
「うん」
「ほかの事情も全部見る」
「うん」
「その上で、本当に取消しが公共の福祉に適合しないかを見る」
「そうだ」
私はノートに書きました。
事情裁決。
――処分は違法・不当。
――でも取消しによる公益障害が著しい。
――請求人の損害等を総合考慮。
――取消しが公共の福祉に適合しない。
――例外的に棄却。
「そして」
片桐所長が言いました。
「一番忘れるな」
「主文です」
「そうだ」
私は二重線を引きました。
事情裁決をする場合。
審査庁は。
裁決の主文で。
当該処分が違法又は不当であることを宣言しなければならない。
「ここ、試験で出しやすそうですね」
「どういう間違いが出る」
「理由中に書けばいい、とか」
「うん」
「処分が違法でも宣言不要、とか」
「うん」
「事情裁決だから処分は適法扱いになる、とか」
「全部違う」
「はい」
私は大きく囲みました。
――事情裁決でも、処分が正しかったことにはならない。
「むしろ」
私は言いました。
「違法又は不当だと宣言するんですよね」
「そうだ」
「処分は悪い。でも取り消さない」
「うん」
「かなり特殊」
「だから名前にも事情が付いてる」
「事情を見て、例外的に結論を変える」
「そういうことだ」
私は赤鉛筆を回しました。
ここで。
昨日の三浦さんの事件が教材として効いてきます。
「もしですよ」
「また先走る気か」
「仮定です!」
「言ってみろ」
「仮に」
私は机の上に指を置きました。
「三浦さんの道路占用許可取消しが、不当だと認められたとします」
「うん」
「でも、その店だけ取消処分を取り消すと」
「うん」
「同じ道路沿いのほかの店舗も全部戻さざるを得ない」
「うん」
「結果、駅前整備の歩道拡張が止まる」
「うん」
「通学路の安全対策も止まる」
「うん」
「すでに工事契約や交通規制まで進んでいて」
「うん」
「取消しで町全体に大きな混乱が起きる」
「うん」
「一方で三浦さんには、移設費の補償や代替陳列場所の確保ができる」
「……それくらいまで行けば」
相馬先輩が言いました。
「事情裁決を考える余地は出るかもしれんな」
「ですよね」
「ただし」
所長が言いました。
「昨日の事実では、そこまで行っていない」
「はい」
そこ大事。
工事時期は未定。
三浦さん一軒の占用許可を見直しただけで、
駅前整備が崩壊するとも分からない。
ほかの店舗の状況も未確認。
公益への障害が、
「著しい」
とまで言えるかも分からない。
だから。
昨日の段階で、
事情裁決だ。
と騒ぐのは早い。
「公共の利益って言葉を見たら」
私は言いました。
「すぐ事情裁決に飛ばない」
「そうだ」
「公の利益に著しい障害」
「うん」
「損害の程度」
「うん」
「賠償や防止の方法」
「うん」
「その他一切の事情」
「うん」
「それを踏まえて公共の福祉に適合しないか」
「そうだ」
「かなり絞られてますね」
「例外だからな」
なるほど。
昨夜まで。
事情裁決は、
「公益優先で棄却できる」
くらいにしか見えていませんでした。
でも。
それだけ覚えると危険です。
公益。
という大きな言葉の陰で。
申立人個人の損害まで、
ちゃんと見ろ。
と要求している。
それが面白い。
「所長」
「何だ」
「制度の冷たさって、こういうところなんですかね」
「どういう意味だ」
「行政目的が大事だから、個人は我慢しろ、では終わらない」
「うん」
「逆に、個人が困るから全部取り消せ、でも終わらない」
「うん」
「両方を材料にして、最後まで切り分ける」
「そういうことだ」
法律は。
誰かの味方だから冷たいわけじゃない。
どちらか一方の感情に飲まれないために冷たい。
だから。
公共の利益を理由に処分を残すときでさえ、
その処分がおかしかった事実は、
おかしかったと宣言させる。
そこが。
妙に潔い。
私は次の見出しを書きました。
――旧法と現代法。
「来たな」
相馬先輩が嫌そうな顔をします。
「転生者コーナーです」
「勝手に名付けるな」
昭和六十三年。
私たちが使っているのは旧行政不服審査法。
今の制度とは大きく違う。
「まず」
私は書きました。
旧法。
審査請求。
異議申立て。
二本立て。
「昨日の三浦さんは?」
相馬先輩。
「県土木事務所長の処分で、上級行政庁に審査請求する形」
「そうだ」
「以前の川瀬さんは?」
「市長名義で上級行政庁なし」
「だから異議申立て」
「はい」
ここ。
本当にややこしい。
現代の私は、
不服申立て。
と聞いた瞬間、
審査請求。
と考えます。
でも昭和六十三年は違う。
「申立先を間違えると?」
相馬先輩が聞きます。
「致命傷になりかねません」
「論点で喋るな」
「すみません」
制度が二本立てということは。
入口そのものが複雑ということ。
誰に出す。
何を出す。
期間はいつまで。
そこを間違えると。
中身に入る前に却下の問題が出てくる。
「だから」
私は言いました。
「却下と旧法の複雑さって、相性が悪いんですね」
「どういう意味だ」
「利用する側が入口を間違えやすい」
「そうだな」
処分庁へ異議申立てなのか。
上級行政庁へ審査請求なのか。
特別法はあるのか。
期間は。
教示は。
そういう入口の複雑さ。
そして。
異議申立てなら。
処分した行政庁自身が、
自分の処分を見直す構造。
「現代では」
私は書きます。
原則として審査請求へ一本化。
異議申立ては一般制度として廃止。
さらに。
審理員制度。
行政不服審査会等への諮問。
「昭和六十三年には?」
相馬先輩。
「ありません」
「行政不服審査会は?」
「現代制度の仕組みとして今ここへ持ち込んだら駄目です」
「審理員は?」
「未来人の妄想です」
「よし」
なぜ。
現代でそんな改正がされたのか。
受験生時代。
私は、
制度が変わりました。
覚えましょう。
くらいで処理していました。
でも。
今なら。
少し見えます。
旧法は。
入口が複雑。
異議申立てと審査請求が併存。
そして。
場合によっては、
処分をした側が自分で審理する。
「公正さに不安が出ますね」
「そうだな」
「昨日の三浦さんみたいに、入口で期間の話になったときも」
「うん」
「制度を知らない人には、それだけで圧がある」
「そうだ」
「だから現代は」
私は言いました。
「入口を原則として審査請求に一本化し」
「うん」
「処分に関与していない職員を審理員にする仕組みを置き」
「うん」
「第三者機関への諮問も用意して」
「うん」
「公正さや透明性を高めた」
「未来の制度としてはな」
「はい」
もちろん。
現代制度だから完璧。
なんて話ではありません。
でも。
制度改正の方向は分かる。
なぜ変えたのか。
旧制度の何が使いにくかったのか。
現場に立つと、
改正理由がただの説明文じゃなくなる。
「次」
私は書きました。
――申立期間。
相馬先輩が笑いました。
「お前が一番危ないところ」
「今日は間違えません」
「言ってみろ」
「昭和六十三年。旧法。原則六十日」
「うん」
「現代。原則三か月」
「うん」
「昨日の三浦さんに三か月を持ち込んだら」
「未来人失格」
「行政書士見習いとしても失格です」
「分かってるならいい」
私は赤鉛筆で、
六十日。
と大きく囲みました。
制度の新旧を間違える。
これ。
試験なら一点失うだけ。
現場なら。
人の権利救済そのものを逃す。
「だから法改正って怖いですね」
「今さらか」
「受験生の頃は『旧法は試験に出ない』で済ませてたので」
「ここじゃ出るぞ」
「毎日出ます」
昭和六十三年。
行政法の旧法知識。
転生者にとっては、
参考書の余白が本番です。
私は次に、
事情裁決と普通の棄却。
と書きました。
「ここも試験で混ぜられます」
「違いを言え」
「普通の棄却」
私は指を一本立てます。
「請求に理由がない」
二本目。
「事情裁決による棄却」
処分は違法又は不当。
「つまり」
相馬先輩が言いました。
「結論はどっちも棄却」
「はい」
「でも理由は真逆に近い」
「そうです」
普通の棄却。
あなたの主張に理由はない。
事情裁決。
あなたの主張には理由がある。
処分もおかしい。
それでも。
公益との関係で取り消さない。
「これ、同じ棄却って言葉だから怖いんですよ」
「裁決理由を読めって昨日言われたろ」
「はい」
「主文もな」
「はい」
特に事情裁決。
主文で違法又は不当を宣言。
これが重要。
「もし」
私は言いました。
「裁決書に『棄却する』としか書いてなかったら」
「普通の棄却なのか事情裁決なのか分からねえ」
「そうです」
「だから事情裁決なら主文で宣言させる」
「はい」
私はノートに。
大きな四角を書きました。
――同じ「棄却」でも、理由を読む。
そして。
その横に。
――事情裁決なら「違法・不当」の宣言を主文で確認。
相馬先輩が覗き込みます。
「お前、今日ノート長くないか」
「論点が多いんです」
「あと何個ある」
「試験注意点」
「まだあるのか」
「大事です」
私は次のページへ。
試験での引っかけ。
まず。
不適法なのに棄却。
違う。
却下。
次。
請求に理由がないのに却下。
違う。
棄却。
次。
事情裁決では処分は適法と扱われる。
違う。
違法又は不当。
次。
事情裁決では処分の違法・不当を理由中で述べれば足りる。
違う。
主文で宣言。
次。
公益に少し影響があるだけで事情裁決できる。
違う。
公の利益に著しい障害。
さらに諸事情を総合考慮。
公共の福祉に適合しないと認めること。
「これ」
相馬先輩が言いました。
「事情裁決だけ条件が多いな」
「例外だからです」
「例外は要件を絞る」
「そういうことですね」
制度が強いほど。
使える条件を狭くする。
それも。
法律の冷たさのひとつかもしれません。
大きな権限に、
大きな条件を付ける。
「所長」
「何だ」
「昨日の三浦さんの件」
「うん」
「今の段階では、どう整理します?」
片桐所長は少し考えました。
「第一」
指を一本。
「審査請求が適法か」
「期間」
「そうだ」
「第二」
二本目。
「本案に理由があるか」
「道路占用許可取消しの違法・不当」
「そうだ」
「第三」
三本目。
「仮に違法又は不当でも、取消しが公益に著しい障害を生むか」
「事情裁決」
「そうだ」
私は思わず頷きました。
「三段階ですね」
「そう考えればいい」
第一関門。
入口。
却下。
第二関門。
本案。
通常の棄却か認容か。
第三。
例外。
事情裁決。
いきなり三段目へ飛ぶから混乱する。
「なるほど」
私は言いました。
「試験問題も」
「うん」
「どの段階の話をしてるか見ればいい」
「そうだ」
「手続が不適法なのか」
「うん」
「中身に理由がないのか」
「うん」
「中身には理由があるけど公益上取り消せないのか」
「そうだ」
急に。
全部が一本の線になりました。
昨日。
三浦さんが不安そうに言った。
却下でも棄却でも、負けは負けでしょう。
あの言葉。
違う。
全然違う。
どの段階で。
何を理由に。
どう退けられたのか。
そこが違えば。
次の動きも違う。
入口で止められたなら。
適法性を立て直す。
本案で負けたなら。
処分の違法・不当を再検討する。
事情裁決なら。
処分のおかしさは認められている。
そのうえで。
公益と個人の損害をどう調整するかが次の問題になる。
「法律って」
私は呟きました。
「負け方まで分類するんですね」
「嫌な言い方するな」
「でも本当に」
相馬先輩が煙草を消しました。
「分類するから、次が分かるんだろ」
「……そうですね」
その一言。
妙にきれいに入ってきました。
分類するから。
次が分かる。
法律は、
人を箱に押し込むために分類するんじゃない。
曖昧なまま終わらせないために分類することがある。
却下。
棄却。
事情裁決。
全部。
「駄目でした」
でまとめれば一行。
でも。
法律は一行にしない。
なぜ駄目だったのか。
どこまで審理したのか。
処分は正しかったのか。
公益上残しただけなのか。
そこを分ける。
そのしつこさが。
次の救済につながる。
私はノートの最後のページを開きました。
「一行の覚え書き」
相馬先輩が言いました。
「今日はちゃんと一行にしろよ」
「分かってます」
少し考えます。
却下。
棄却。
事情裁決。
三つ全部を入れたい。
欲張る。
でも一行。
私は赤鉛筆で書きました。
――却下は入口、棄却は中身、事情裁決は「処分は悪いが公益上残す」という例外。
相馬先輩が見ます。
「長い」
「一行です」
「文字数の話だ」
「内容が大事です」
「試験直前に見づらい」
「じゃあ短縮版」
私はその下に書きました。
――不適法は却下、理由なしは棄却、事情裁決は違法・不当でも公益で棄却。
「それでいい」
「褒めました?」
「普通だ」
片桐所長が、私のノートをちらりと見ました。
「もう一つ足せ」
「何です?」
「事情裁決は主文」
「あ」
私は最後に小さく書き足しました。
――主文で違法・不当を宣言。
「これでよし」
所長が言いました。
ちょっと嬉しい。
そこへ。
電話が鳴りました。
相馬先輩が取ります。
「はい、片桐行政書士事務所。……ああ。三浦さん」
私は顔を上げました。
「……そうか。分かった。明日持ってこい」
電話を切る。
「どうでした?」
「県から連絡」
「はい」
「追加資料を正式に受け取るってよ」
「本案、進むんですね」
「ああ」
「却下じゃない」
「今のところはな」
私は思わず赤鉛筆を握りました。
たったそれだけ。
本当に。
たったそれだけです。
処分が取り消されたわけじゃない。
三浦さんの店が救われたわけでもない。
事情裁決なんて、
まだずっと先の話。
でも。
審査請求の中身を、
ちゃんと見てもらえる。
昨日まで。
入口で閉まりかけていた扉が。
開いている。
「こはる」
「はい」
「浮かれるな」
「分かってます」
「本案はこれからだ」
「はい」
「行政法は入口開けてから長いぞ」
「嫌なこと言わないでください」
「事実だ」
でも。
それでいい。
行政不服審査は。
一枚の紙で全部ひっくり返す魔法じゃない。
まず入口。
次に中身。
それから。
必要なら公益との調整。
一段ずつ。
人の言い分を、
制度の言葉に変えていく。
法律の言葉は冷たい。
不適法。
却下。
理由なし。
棄却。
著しい障害。
公共の福祉。
どれも。
人を慰めるための言葉ではありません。
でも。
冷たいからこそ。
「役所が駄目と言ったから駄目」
を許さない。
入口で駄目なのか。
中身で駄目なのか。
中身は正しいのに公益で残すのか。
理由を分ける。
それは。
負けた人に。
次の一歩を残すことでもある。
私はノートを閉じました。
すると。
相馬先輩が、机の上の赤鉛筆を一本取りました。
「あ」
「一本借りるぞ」
「それ私のです」
「三浦さんの差し入れだろ」
「所長から私に認容されました」
「一本くらいいいだろ」
「不服です」
「却下」
「理由は?」
「俺が使うから」
「それ、本案まで判断してます」
「じゃあ棄却」
「理由なしです!」
「理由はある。俺が使う」
「同じじゃないですか!」
片桐所長が帳簿を閉じました。
「相馬」
「はい」
「返せ」
「……はい」
赤鉛筆が私の机へ戻ってきました。
「所長」
「何だ」
「今のは認容ですか」
「違う」
「じゃあ何です?」
「業務命令だ」
「不服申立てできます?」
「却下」
「だから理由!」
「上級行政庁がない」
「それは異議申立てを考えるところでしょう!」
相馬先輩が吹き出します。
「未来人、元気だな」
「そこ笑うところじゃないです!」
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所。
どうやら。
却下と棄却の違いは理解できても。
所長の業務命令に対する救済制度だけは、
今日も整備されていないようです。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




