[行政不服審査法44条・裁決の時期]法理編 こはるノート
夕方の片桐行政書士事務所には、栗ご飯の匂いが残っていました。
正確には。
栗ご飯が残っているわけではありません。
匂いだけです。
「先輩」
「何だ」
「証拠隠滅って、こういうことを言うんですか」
「知らん」
「柴崎さんの弁当、全部なくなってます」
「知らん」
「口の横に栗ついてましたよね」
「自然発生だ」
「栗が?」
「行政法の勉強をしろ」
逃げました。
しかも雑に。
私は机に向き直りました。
目の前にはノート。
県から届いた柴崎源一さんの裁決書の写し。
そして、大きく書いた見出し。
――裁決の時期。
その下に。
――「遅滞なく」。
私はペン先を止めました。
「先輩」
「今度は何だ」
「『遅滞なく』って、嫌な日本語ですよね」
「何がだ」
「すぐ、じゃない」
「ああ」
「直ちに、でもない」
「ああ」
「じゃあ何日なんですか」
「知らん」
「行政書士事務所の先輩なのに!」
「何日って決まってねえから知らん」
悔しい。
でも正しい。
昨日までの私は、
行政不服審査法第四十四条。
審査庁は、
一定の場合に、
遅滞なく裁決しなければならない。
はい。
暗記。
くらいに思っていました。
でも。
柴崎さんの仕出し屋。
百二十食。
年末の注文。
仕入れ。
従業員の予定。
そこまで見てしまったあとでは。
「遅滞なく」という四文字が、
妙に生々しい。
「所長」
「何だ」
「今日は裁決の時期を整理します」
「しろ」
「付き合ってください」
「相馬がいる」
「俺を勝手に教材にするな」
「もう遅いです」
相馬先輩が嫌そうな顔をしました。
私はノートに、
一。
現代法で、裁決はいつするのか。
と書きます。
「まず現行法です」
「昭和六十三年なのにか」
「比較するためです」
「また未来を見るのか」
「今回は合法的な未来視です」
「意味が分からん」
私は無視して続けます。
現代の行政不服審査法では。
審査請求がされる。
審査庁が形式面を確認する。
審理員が指名される。
処分庁から弁明書。
審査請求人から反論書。
必要な審理。
そして。
審理員が意見書を作る。
「ここまでが、審理員の仕事ですね」
「ああ」
「そのあと、原則として行政不服審査会等への諮問がある場合は諮問する」
「未来の制度ではな」
「はい」
私は矢印を書きます。
審理員意見書。
↓
行政不服審査会等へ諮問。
↓
答申。
↓
裁決。
「そして第四十四条」
私は線を引きました。
行政不服審査会等から答申を受けたときは、
審査庁は、
遅滞なく、
裁決をしなければならない。
「ここが今日の中心です」
相馬先輩が煙草を灰皿に置きました。
「答申が来たら、また半年考えていいわけじゃねえと」
「そうです」
「審理員が調べた」
「はい」
「必要なら審査会にも聞いた」
「はい」
「答申も来た」
「はい」
「だったら次は決めろ」
「その整理です」
あ。
すごく分かりやすい。
昨日の柴崎さんの件と同じです。
もちろん。
昭和六十三年の事件に、
現代法第四十四条を直接使ったわけではありません。
そこは絶対に混ぜてはいけない。
でも。
手続の感覚は似ています。
調べる段階。
意見を集める段階。
審理する段階。
それらが終わったなら、
次は結論。
「柴崎さんの件も」
私は言いました。
「県がまだ資料を集めてるなら、待つ理由はありました」
「ああ」
「追加で聞きたいことがあるなら、それも分かる」
「ああ」
「でも実際は」
私は昨日のメモを開きます。
追加主張。
なし。
追加資料。
なし。
追加聴取。
なし。
追加調査。
特段なし。
「審理として予定していたものは終了していた」
「そうだ」
「なのに『内部調整中』で止まっていた」
「そこを突いた」
「はい」
つまり。
手続が終わっているのに、
結論だけが棚の上に置かれていた。
「現代法第四十四条は」
私は言いました。
「その最後の棚で寝かせないための条文みたいに見えます」
片桐所長が口を開きました。
「言い方は雑だが、方向は悪くない」
「褒められた」
「雑だと言った」
「後半だけ拾います」
私はノートに書きました。
――必要な審理等が終わったら、裁決段階へ進む。
次。
二。
諮問がいらない場合。
「第四十四条って、答申を受けたときだけじゃないんですよね」
「そうなのか」
相馬先輩が聞きます。
「はい」
現代法では。
行政不服審査会等への諮問が不要な場合があります。
その場合には、
原則として、
審理員意見書が提出されたときなどが、
裁決へ進む基準になります。
「つまり」
私はまとめました。
「審査会に諮問する事件なら、答申を受けたあと」
「うん」
「諮問不要なら、審理員意見書が提出されたあと」
「うん」
「そこからは遅滞なく裁決」
「そういうことか」
ただし。
条文には例外的な場合も書かれています。
一定の場合には、
審理員意見書ではなく、
所定の議を経たときが基準になる。
「試験ではここ、雑に『答申を受けたら裁決』だけで覚えると危険ですね」
「また例外か」
「行政法は例外が好きです」
「お前が嫌いなだけだろ」
「両立します」
私は囲みます。
諮問あり。
答申後。
遅滞なく裁決。
諮問不要。
原則として審理員意見書提出後。
遅滞なく裁決。
「ここで大事なのは」
私は言いました。
「『審査請求があったら遅滞なく裁決』じゃないことですね」
相馬先輩がこちらを見る。
「ああ」
「審査請求を出した瞬間から、即裁決しろって話じゃない」
「当たり前だ」
「でも試験だと、言葉だけ見て引っかかるんですよ」
審査請求。
↓
すぐ裁決。
ではない。
その間には、
審理があります。
相手方の説明も聞く。
反論もある。
証拠も見る。
必要なら審査会にも諮問する。
十分に調べてから、
裁決する。
だから。
迅速に。
と、
雑に急げ。
は違います。
「柴崎さんの件でも」
私は振り返りました。
「最初から『早く決めろ』って言ってたら弱かったですよね」
「弱いな」
相馬先輩が答えます。
「なぜ?」
「まだ調べてます、と言われたら終わりだ」
「ですよね」
調べるべきことを調べている。
必要な資料を集めている。
関係者の主張を確認している。
その段階なら、
時間がかかること自体には理由がある。
でも。
昨日、私たちは順番に確認しました。
追加資料はありますか。
ない。
追加聴取は。
ない。
追加調査は。
特段ない。
「だから」
私は言いました。
「『遅い』って感情論で押すんじゃなくて」
「何が終わったかを確定した」
「はい」
「で、残ってる手続を聞いた」
「はい」
「何もねえなら、次へ進めと」
「それです」
ああ。
これが、
カタルシスの正体かもしれません。
役所へ怒鳴り込む。
ではなく。
今はどこですか。
何が残っていますか。
誰が次に動きますか。
それを一つずつ聞く。
すると、
曖昧な「検討中」が、
どんどん小さくなる。
私は次の見出しを書きました。
三。
「遅滞なく」は何日?
「ここですよ」
「さっきやっただろ」
「まだやってません」
「何日って決まってねえ」
「はい。そこをちゃんと整理します」
私はノートの中央に、
遅滞なく。
と大きく書きます。
似た言葉。
直ちに。
速やかに。
遅滞なく。
「こういう言葉、行政法受験生を殺しに来てますよね」
「大げさだ」
「問題文で入れ替えてくるんですよ」
「で?」
「『遅滞なく』は、正当な、あるいは合理的な理由による遅れまで一切許さないという言葉ではない」
「うん」
「でも、理由もなく放置していいという意味でもない」
「うん」
「だから、『何日以内』と機械的に決まっているわけじゃない」
「それだ」
片桐所長が言いました。
「柴崎さんの件でも三日だった」
「はい」
「だから、すべての裁決が三日以内という意味ではない」
「もちろんです」
「一週間なら必ず違法とも限らない」
「はい」
「見るのは、理由だ」
私は頷きました。
裁決書の作成。
内容確認。
必要な内部手続。
送達準備。
そういう合理的な事務処理はある。
でも。
審理が終わっている。
審査会の答申も受けている。
追加で調べることもない。
なのに。
何となく会議待ち。
誰かの決裁待ち。
忙しいから後回し。
それが延々続く。
それでは、
「遅滞なく」と書いた意味が薄くなる。
「所長」
「何だ」
「『遅滞なく』って、結局何を縛ってるんでしょう」
所長は少し考えてから言いました。
「理由のない放置だ」
短い。
でも分かりやすい。
私はそのまま書きました。
――「遅滞なく」は、理由のない放置を許さない。
相馬先輩が覗き込みます。
「試験答案でそのまま書くなよ」
「分かってます」
「お前、気に入るとそのまま書くからな」
「信用がない」
「実績がある」
悔しい。
次。
四。
昭和六十三年の柴崎さん事件と、現代第四十四条は同じなのか。
「ここ、絶対混ぜちゃ駄目ですね」
「ああ」
「柴崎さんの事件で、私は未来の第四十四条を根拠に照会したわけではない」
「当たり前だ」
「昭和六十三年には、平成二十六年改正後の仕組みはありません」
「うん」
この時代。
旧行政不服審査法。
審理員制度はない。
行政不服審査会への諮問制度も、現代法の形ではない。
さらに。
不服申立ての仕組みそのものも違います。
異議申立て。
審査請求。
二本立て。
処分庁に上級行政庁がない場合などには、
処分庁自身への異議申立て。
上級行政庁がある場合などには、
上級行政庁への審査請求。
申立期間も、
原則六十日。
「現代だと?」
相馬先輩が聞きます。
「原則として審査請求へ一本化」
「期間は」
「三か月」
「審理員」
「いる」
「昭和六十三年」
「いない」
「審査会への諮問」
「現代法の仕組みは、ない」
「よし」
私は眉をひそめました。
「先輩」
「何だ」
「普通に先生みたいになってません?」
「お前が間違えるからだ」
「優しいですね」
「気持ち悪いこと言うな」
はい。
いつもの先輩です。
でも。
ここで不思議なのは。
未来の制度を知っていると、
旧法の不便さがよく見えることです。
「旧法って」
私は言いました。
「どこで誰が審理してるか、現代より見えにくい場面があったんでしょうね」
「そうかもな」
「処分庁自身が異議申立てを受けることもある」
「ああ」
「審理員もいない」
「ああ」
「現代みたいに、審理員意見書が出た、答申が出た、だから次は裁決だ、って手続の節目が見えやすくない」
「それで?」
「だから制度改正で」
私は矢印を書きました。
旧法。
処分庁自身による異議申立て審理。
不服申立ての種類が複雑。
公正性への疑問。
手続の節目が外から見えにくい。
↓
現代法。
原則として審査請求に一本化。
審理員制度。
行政不服審査会等。
そして、
裁決の時期も段階と結びつけて規定。
「全部が第四十四条のために改正されたわけじゃないですけど」
「当たり前だ」
「でも、流れとしては分かります」
行政不服審査制度を、
分かりやすくする。
公正にする。
どこまで進んでいるかを見えやすくする。
そして。
必要な審理が終わったなら、
いつまでも結論を寝かせない。
「制度って」
私は呟きました。
「後から見ると、前の時代でどこが詰まってたかが分かりますね」
片桐所長が言いました。
「改正には理由がある」
「はい」
「新しい条文だけ覚えるな」
「はい」
「何を直した条文なのか見ろ」
私はペンを止めました。
それ。
受験生時代の私に聞かせたい。
法改正。
面倒。
旧法。
捨てる。
新法。
覚える。
そう思っていました。
でも。
古い制度の現場に立つと。
なぜ変えたのか。
が見える。
そして、
変えた理由が分かると、
新しい制度も覚えやすい。
次。
五。
「遅滞なく裁決」と「すぐ勝てる」は別。
「ここも重要ですね」
「誰がそんな勘違いする」
「受験生じゃなくて、相談者側です」
不服申立てをした。
審理が終わった。
なら、
早く自分に有利な裁決を出せ。
とはならない。
「柴崎さんも」
私は言いました。
「全面取消しにはなりませんでした」
「ああ」
「一部取消し」
「うん」
「処分庁に改めて判断させる部分が出た」
「そうだ」
「つまり、第四十四条が保障しているのは」
私は言葉を選びました。
「早く勝たせることじゃない」
片桐所長が頷きます。
「結論を出すことだ」
「はい」
ここ。
大事です。
不服審査制度は、
申立人の希望をかなえる機械ではない。
審理を尽くした上で、
審査庁が判断する。
棄却もある。
却下もある。
認容もある。
でも。
審理が尽くされたのなら。
結論を出さずに宙ぶらりんにしておくことは、
申立人にとって別の負担になります。
「柴崎さんが言ってましたよね」
私は思い出します。
駄目なら駄目で、早く言ってほしい。
「あれが一番分かりやすい」
相馬先輩が言いました。
「そうですね」
「結果が出れば次を考えられる」
「はい」
「負けたなら負けたで、次がある」
「はい」
再度の対応。
処分庁での手続。
訴訟を検討することもある。
営業の仕方を変えることもある。
設備を直すこともある。
でも。
結論が出ないと。
何も始められない。
だから。
裁決の時期そのものが、
救済の一部になります。
私はノートに書きました。
――救済は、内容だけではない。時期も重要。
「お」
相馬先輩が言いました。
「何です?」
「それはいい」
「褒めましたね」
「今日はよく食いつくな」
「珍しいので」
私は次の見出しを書きました。
六。
行政書士試験の引っかけポイント。
「ここから試験っぽくなります」
「最初から試験の話だろ」
「物語が強かったので」
一つ目。
第四十四条のキーワードは、
遅滞なく。
「『直ちに』ではない」
「ああ」
「『速やかに』でもない」
「ああ」
「条文どおりの言葉を押さえる」
「そうしろ」
二つ目。
答申を受ける前から裁決義務が発生する、
と雑に覚えない。
諮問が必要な事件では、
行政不服審査会等から答申を受けたとき。
諮問不要の場合には、
原則として審理員意見書が提出されたとき。
一定の場合には、
所定の議を経たとき。
「つまり」
私は丸で囲みます。
何をきっかけに、
遅滞なく裁決する段階へ入るのか。
そこを見る。
三つ目。
「遅滞なく」は、
具体的な日数を定めた規定ではない。
「三日以内」
ではない。
「七日以内」
でもない。
合理的な事務処理の時間まで許さないわけではない。
ただし、
正当な理由なく引き延ばすことを許す言葉でもない。
四つ目。
審理員制度と行政不服審査会等は、
現代法の制度。
昭和六十三年には持ち込まない。
「お前向けだな」
相馬先輩が言いました。
「一番大事です」
五つ目。
旧法の不服申立期間。
原則六十日。
現代法。
原則三か月。
「今日のテーマじゃないですけど、新旧比較をすると必ず出てくるので」
「ついでに覚えとけ」
「はい」
私はノートを見返しました。
現代法の流れ。
審査請求。
審理員。
弁明。
反論。
審理員意見書。
必要なら諮問。
答申。
裁決。
そして。
答申等を受けたら、
遅滞なく。
「なるほどなあ」
私は言いました。
「何がだ」
「条文だけだと」
遅滞なく裁決する。
それだけです。
「でも柴崎さんの事件を挟むと」
私は壁のカレンダーを見ました。
年末の注文。
百二十食。
返事は明後日。
役所の内部調整。
時期未定。
その間で、
一人の商売が止まっていた。
「『時期』も救済なんですね」
所長がこちらを見ます。
「続けろ」
「はい」
「救済っていうと、取消しとか変更とか」
「うん」
「結論の中身ばっかり見ます」
「うん」
「でも正しい結論でも、一年後に出されたら」
「意味が薄れることがある」
「はい」
人の生活には、
役所とは別の時計があります。
契約期限。
営業日。
入学。
建築。
補助金。
営業許可。
仕事。
生活。
行政が時間を使う間にも、
現実は進みます。
「だから」
私は言いました。
「審理が終わったあとの『遅滞なく』って、地味ですけど大事なんですね」
「地味な条文ほど現場で効く」
片桐所長が言いました。
私は頷きました。
そう。
派手ではありません。
何かを許可する条文でもない。
処分を必ず取り消してくれる条文でもない。
ただ。
ここまで来たら、
次へ進みなさい。
そういう条文です。
でも。
その一言がなければ。
手続は、
最後の机で眠れる。
私はノートの最後に線を引きました。
――一行の覚え書き。
「来たな」
相馬先輩が言います。
「今回はちゃんと一行にします」
「前回二行だったからな」
「覚えてたんですね」
「嫌でも覚える」
私は少し考えました。
そして書きます。
――審理を終えたら、結論を寝かせない。「遅滞なく」は救済の時計を動かす言葉。
「長い」
「またですか」
「もっと削れ」
「内容が」
「試験直前に見て分かる形にしろ」
むう。
私は書き直しました。
――答申等の後は、遅滞なく裁決。終わった審査を寝かせない。
相馬先輩が覗きます。
「それでいい」
「採用」
私は四角で囲みました。
そのとき。
事務所の扉が開きました。
「こんばんは」
柴崎さんでした。
「あれ?」
「どうしたんです?」
「これ」
手には大きな風呂敷包み。
相馬先輩が立ち上がります。
「弁当か」
「先輩、反応が早い!」
「今度の百二十食の試作です」
「やった」
「何で先輩が一番喜んでるんですか」
柴崎さんは笑って、
包みを机に置きました。
「工場さんから、正式に頼まれました」
「百二十食?」
「はい」
その声が、
前に相談へ来たときよりずっと軽い。
「朝四時から仕込みです」
「大変ですね」
「大変ですよ」
柴崎さんは笑います。
「でも、仕事がある大変さはいいです」
私は少し黙りました。
その言葉。
たぶん今日のどんな条文説明より、
分かりやすい。
結論が出た。
だから。
仕入れができる。
人を呼べる。
朝四時に起きられる。
百二十個の弁当を作れる。
行政不服審査法第四十四条。
裁決の時期。
受験テキストでは、
数行です。
でも。
その数行の向こうには、
こういう朝四時がある。
「これ」
柴崎さんが折詰を開きました。
「今日は人数分あります」
相馬先輩が私を見ます。
「聞いたか」
「何です?」
「人数分」
「昨日の反省してください」
「昨日の件は裁決済みだ」
「確定してません」
「不服申立期間は?」
「何を申し立てる気ですか!」
片桐所長が玉子焼きを取りました。
「所長!」
「何だ」
「また一番最初!」
「遅滞なく食べただけだ」
「そこに第四十四条使わないでください!」
柴崎さんが笑いました。
相馬先輩も笑う。
片桐所長まで、
ほんの少しだけ口元を緩めました。
私はノートを閉じました。
法律の言葉は冷たいです。
裁決。
答申。
意見書。
諮問。
遅滞なく。
どれも、
百二十個の弁当箱とは縁遠く見えます。
でも。
冷たい言葉だからこそ、
役所にも順番を求められる。
調べるなら調べる。
聞くなら聞く。
考えるなら考える。
そして。
終わったなら決める。
人の生活を、
「内部調整中」という名前で、
いつまでも棚に寝かせない。
それだけの話です。
でも。
柴崎さんにとっては、
その「それだけ」が。
年末の百二十食になりました。
「朝比奈さん」
柴崎さんが言いました。
「はい」
「食べないんですか」
「あ」
見る。
玉子焼き。
あと一個。
その向こうから、
相馬先輩の箸が伸びます。
「待って!」
「遅滞なく」
「それ私のです!」
「決めるのが遅い」
「裁決の時期ってそういう意味じゃありません!」
私は慌てて玉子焼きを確保しました。
どうやら。
行政不服審査法第四十四条を学んだ結果、
片桐行政書士事務所で一番迅速になったのは、
夕食の意思決定だったようです。
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