[行政不服審査法39条・審理手続の併合又は分離]現場編 「一件ずつ別の話ですから」の罠。同じ駅前計画から生まれた三つの処分を、ばらばらの紙から一つの問題へ戻す
役所の書類は、一人ずつ届きます。
だからといって。
問題まで一人ずつとは限りません。
同じ計画。
同じ日に出た処分。
同じような理由。
なのに窓口では、
――それは別の案件です。
――こちらはこちらで判断しています。
――他の方のことは申し上げられません。
そうやって一枚ずつ切り離されると。
本当は一本につながっている話まで、見えなくなることがあります。
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所。
その日の朝。
私は三枚の通知書を机の上に並べていました。
「先輩」
「何だ」
「これ、間違い探しですか」
「違う」
「じゃあコピー機の調子を見る試験?」
「違う」
「ほとんど同じこと書いてありますよ」
相馬先輩が煙草をくわえたまま、私の机を覗き込みました。
三枚。
どれも市長名義。
どれも駅前関係。
どれも処分日は同じ。
そして理由欄には、
――駅前環境整備事業の円滑な実施及び歩行者空間確保のため。
まるで役所の判子が文章まで押したみたいに、一字一句同じです。
「で」
相馬先輩が言いました。
「相談者は?」
「三人です」
「増えたな」
「朝から一人ずつ」
私は三枚の前に、メモを置きました。
一人目。
松永源治さん、六十二歳。
駅東口で靴修理。
小さな木箱と椅子を歩道脇に出し、二十年以上営業。
今回。
公共用地使用許可の更新不許可。
二人目。
西尾美代さん、五十八歳。
駅前で傘の修理と合鍵作り。
同じく簡易な作業台を置いている。
こちらも更新不許可。
三人目。
藤井勝さん、五十四歳。
駅北側で自転車の空気入れと簡単な修理。
こちらは少し違う。
更新不許可ではなく、
許可期間満了後は設備を撤去せよ、
という内容の命令が付いている。
「三人とも、駅前整備?」
「はい」
「場所は?」
私は地図を広げました。
「ここ、ここ、ここ」
「近いな」
「半径百メートルくらい」
「同じ担当課?」
「都市整備課です」
「処分日?」
「同じ」
「理由?」
「同じ」
「じゃあ何が違う」
「名前」
「……」
「あと業種」
「そこは最初に言え」
朝一番に来た松永さんは、ずいぶん困った顔をしていました。
怒っているというより。
どこに怒ればいいのか分からない人の顔です。
「来月から、ここで靴を直しちゃ駄目ってことですよね」
「通知だけ見ると、そうですね」
「二十年やってきたんですけどねえ」
松永さんは、節の太い指で通知書を撫でました。
「駅ができたころから?」
「いや、その少しあとです。昔は革靴が多かったでしょう。踵が減ったとか、底が剥がれたとか」
「今でもお客さんは?」
「いますよ。駅員さんとか、会社員の人とか」
大きな店ではありません。
屋根付きの小さな作業台。
椅子一つ。
道具箱。
それだけ。
「役所から説明は?」
「駅前をきれいにするからって」
「いつから工事です?」
「さあ」
「移転先は?」
「自分で探せって」
そこで松永さんは、少し言いにくそうに続けました。
「ただね」
「はい」
「俺だけじゃないらしいんですよ」
その言葉が最初でした。
午前十時。
二人目。
西尾美代さん。
机に置いた通知を見た瞬間、私は思いました。
あれ。
「これ……」
「変でしょう」
西尾さんが言いました。
「さっき来た靴直しの松永さんと」
「知ってるの?」
「はい」
「隣の通りでしょう」
「やっぱり」
同じ日。
同じ理由。
同じ更新不許可。
「役所で、松永さんのこと聞きました?」
「聞いたわよ」
「何て?」
「別の案件ですって」
出ました。
役所用語。
――別の案件。
便利なんです。
個人情報の問題もある。
処分は一人ずつ行われる。
事情も一人ずつ違う。
だから、別案件というのは間違いではありません。
でも。
便利すぎる言葉は、ときどき物を隠します。
「西尾さん自身については、どう説明されました?」
「駅前の歩行者空間を広げたいからって」
「作業台はどのくらい?」
「これくらい」
両手を広げる。
小さい。
「ずっと置いているんですか」
「朝出して、夕方しまうわよ」
「固定してない?」
「してない」
「工事はいつからって?」
「聞いたけど、『順次です』って」
順次。
便利な言葉、その二。
いつかはやります。
どこからとは言いません。
今必要かも説明しません。
行政語の「順次」は、未来という大きな押し入れです。
いろんなものが入ります。
「あとね」
西尾さんが声を落としました。
「向かいの宝くじ売り場、残るらしいのよ」
「……はい?」
「新聞販売台も」
私はペンを止めました。
「それ、本当ですか」
「昨日聞いた」
「誰から?」
「新聞屋さん本人」
そこへ。
事務所の戸が開きました。
「失礼します」
三人目。
藤井勝さん。
通知書を持っていました。
私はもう嫌な予感しかしませんでした。
「もしかして駅前ですか」
「はい」
「都市整備課?」
「そうです」
「処分日、今月十五日?」
「そうですが」
「理由、駅前環境整備事業の円滑な実施と歩行者空間確保?」
藤井さんが驚いた顔をしました。
「なんで知ってるんです?」
「今日三人目です」
「……三人?」
西尾さんも振り返ります。
「あんた、北口の自転車の人?」
「そうです」
「あら、藤井さんじゃない」
「西尾さん?」
狭い町です。
法律相談で同窓会が始まりそうです。
片桐所長が奥から出てきました。
「こはる」
「はい」
「全員座ってもらえ」
「はい」
事務所の椅子は四脚。
相談者三人。
私。
相馬先輩は立ちました。
「俺の椅子がねえ」
「譲ってください」
「見習いが立て」
「私、記録取ります」
「じゃあ所長が」
「おい」
片桐所長が見る。
「……立ちます」
行政法以前に上下関係が明確です。
三人の通知を並べます。
松永さん。
西尾さん。
藤井さん。
似ている。
でも完全には同じではない。
私は一つずつ確認しました。
「松永さんは、更新不許可」
「はい」
「西尾さんも、更新不許可」
「はい」
「藤井さんは更新不許可に加えて、設備を撤去するよう書かれている」
「そうです」
「撤去期限は?」
「月末です」
相馬先輩が眉をひそめました。
「早えな」
「二週間くらいしかありません」
「役所には?」
「言いましたよ」
藤井さんが苦い顔をしました。
「せめて一か月待ってくれって。でも『全体計画ですから』って」
全体計画。
ここでは一つ。
不服を言うと、
別案件。
都合に合わせて単数と複数を使い分けるの、やめてもらえませんか。
「みなさん」
片桐所長が言いました。
「駅前で長く営業している。ただし、許可の内容は全員同じではない」
三人が頷きます。
「位置も違う。設備も違う。占める面積も違う」
「はい」
「だから処分を争うなら、それぞれの事情は分けて考える必要がある」
松永さんの顔が少し曇りました。
「やっぱり別々ですか」
「別々だ」
所長はあっさり言いました。
でも。
「ただし」
そこで続けます。
「市が同じ計画、同じ基準で一斉に判断したなら、共通部分まで別々に見る必要はない」
私は顔を上げました。
共通部分。
そこです。
処分は三つ。
でも。
根っこが同じかもしれない。
「市役所へ行くぞ」
相馬先輩が言いました。
「三人でですか」
「いや」
「じゃあ?」
「俺らが先に確認する」
片桐所長も頷きました。
「何を聞くか、整理しろ」
私はノートを開きました。
「まず、三件に共通する駅前整備の基準」
「うん」
「いつ、誰が決めたのか」
「うん」
「どの区域を対象にしてるのか」
「うん」
「何を残して、何を外す基準なのか」
「うん」
「あと個別事情。松永さん、西尾さん、藤井さんそれぞれについて、なぜ不許可なのか」
「それだ」
所長が言いました。
「一緒に見るところと、分けて見るところを混ぜるな」
昨夜までだったら。
併合。
分離。
という言葉を見た瞬間、
私はたぶんテキストの余白に、
――必要に応じてできる。
だけ書いて終わっていました。
地味です。
ものすごく地味。
行政不服審査法の中でも、
試験前日に見たら、
「まあ、そのまま覚えればいいか」
と流したくなるタイプの条文です。
でも今。
三枚の通知が机の上にある。
三人とも同じ町で商売している。
三人とも同じ計画の影響を受けている。
けれど事情は全部同じではない。
一緒に考えたほうがいいところと。
別々に考えなきゃいけないところがある。
――なるほど。
併せる。
分ける。
それだけの話じゃない。
何を一緒に見るか。
何を切り離すか。
審理の形そのものが、問題の見え方を変えるんだ。
私は少しだけ、眠かった単語が起きる音を聞きました。
市役所二階。
総務課。
そして。
「今日は人数が多いですね」
沢渡課長。
灰色の背広。
細い眼鏡。
役所の机と同じ材質でできているんじゃないかと思うくらい表情が変わりません。
「相談者三人」
相馬先輩が三枚の通知を置きました。
「駅前の使用許可」
沢渡課長が順に見ます。
「松永さん。西尾さん。藤井さん」
「知ってるな」
「総務ですから」
「同じ日に処分」
「ええ」
「理由も同じ」
「結果として同じ表現になっています」
結果として。
役所言葉、その三。
「聞きたい」
片桐所長が言いました。
「この三件、同じ基準で判断したか」
沢渡課長は少し考えました。
「駅前環境整備事業に基づく整理という意味では、同一方針です」
「方針は」
「歩行者動線の確保、景観整理、防災上の支障除去など」
「基準書は」
「内部資料があります」
「三人に共通して適用した?」
「基本的には」
「基本的には、とは」
沢渡課長が眼鏡を上げます。
「個別事情も見ます」
私は口を挟みました。
「じゃあ、一件ずつ全然別の話ではないですよね」
「全然別とは言っていません」
「窓口では『別の案件です』って説明されたそうです」
「個人ごとの処分ですから」
「でも根拠にした方針は共通」
「そうです」
「共通の資料もある」
「あります」
「同じ日に判断した」
「結果的には」
また結果的に。
結果さん、今日はよく働きます。
「朝比奈」
相馬先輩が言いました。
「追い詰めるのが目的じゃねえ」
「はい」
「聞け」
そうでした。
裁判ドラマではありません。
今やるべきは整理です。
「課長」
私は聞き直しました。
「三人について、共通して確認した資料は何ですか」
「駅前整備基本図。歩行者動線図。防災計画上の空地指定。それから現況写真」
「個別には?」
「占有面積、営業時間、設備の固定状況、周辺交通への影響などです」
「宝くじ売り場と新聞販売台は?」
沢渡課長が私を見る。
「またそこですか」
「またです」
「個別案件については――」
「他人の処分内容を聞いてるんじゃない」
相馬先輩が遮りました。
「残す設備と撤去させる設備で、どういう基準を使ったか聞いてる」
沢渡課長は少し黙りました。
「公益性、代替性、占用形態などを勘案しています」
「宝くじに公益性?」
「先輩」
「何だ」
「そこ突っ込むと別の戦争が始まります」
「そうか」
危ない。
宝くじ論争まで併合するところでした。
片桐所長が淡々と聞きます。
「藤井さんだけ撤去期限が付いている理由は」
「設備の一部が固定されているからです」
「松永さんは」
「可動式」
「西尾さんも」
「可動式」
なるほど。
ここは違う。
処分理由は同じ一文でも、
事情は完全には同じじゃない。
「つまり」
私は言いました。
「三件とも駅前整備方針の適用が問題になってる。でも、藤井さんには固定設備っていう別の事情がある」
「そうですね」
「松永さんと西尾さんも、位置や占有面積は違う」
「違います」
「じゃあ全部まとめて同じ結論にするのも変ですよね」
「当然です」
「でも共通基準の適用が適切だったかは、一緒に見たほうが分かりやすい」
沢渡課長が私を見ました。
「何が言いたいんです」
私は少し迷いました。
頭の中には。
現代法。
審理員。
複数の審査請求。
必要がある場合。
審理手続の併合。
必要なら、併合したものを分離。
行政不服審査法三十九条。
――待て。
止まれ、私。
ここは昭和六十三年。
そのまま言うな。
審理員はいません。
今の三十九条を出したら未来人自白大会です。
「……朝比奈?」
沢渡課長が怪訝そうにします。
「いえ。今ちょっと二十数年後へ行きかけました」
「何の話だ」
相馬先輩が言います。
「忘れてください」
「最初から分からん」
片桐所長がこちらを見ました。
「言いたいことだけ言え」
「はい」
私は三枚の通知を指しました。
「この三人が不服申立てをするなら」
一度息を吸う。
「共通する駅前整備方針の部分は、まとめて確認できませんか」
沢渡課長は黙りました。
「同じ資料」
私は続けます。
「同じ方針」
「……」
「同じ日の判断」
「……」
「それを三回、別々に出して、別々に同じ説明をして、別々に同じ資料を確認するより」
「一緒に扱え、と」
「共通部分は」
ここが大事です。
「全部を同じ事件として扱え、じゃありません」
「ほう」
「藤井さんの固定設備みたいに違う事情は、ちゃんと分けて見る」
沢渡課長の口元がほんの少し動きました。
あ。
この顔。
たぶん、
やっと話になった。
と思われた顔です。
「朝比奈さん」
「はい」
「三人の処分を同じものだと言ってしまうと、雑です」
「はい」
「それぞれ別個の行政処分です」
「分かってます」
「不服申立ても、本来それぞれの処分について行う」
「はい」
「ただ」
沢渡課長が通知を並べ直しました。
「審理上、共通する事実関係や資料を一体として扱うことには合理性があります」
「ですよね」
「ただし藤井さんの撤去命令部分まで松永さんたちと同じに扱うべきではない」
「はい」
「そこは分ける必要がある」
来た。
併せる。
分ける。
今の法律なら、もっとはっきりした言葉で整理されている。
複数の審査請求に係る審理手続を、
必要に応じて併合。
必要なら再び分離。
でもこの時代。
私は未来の条文を武器として振り回すことはできない。
代わりに。
なぜそんな仕組みが必要なのか。
その発想なら使える。
「こはる」
片桐所長が言いました。
「期間」
「え?」
「三人の通知到達日」
「あ」
私は慌ててメモを見ました。
松永さん。
七日前。
西尾さん。
六日前。
藤井さん。
八日前。
「全員まだ大丈夫です」
「何日だ」
「六十日」
即答。
今回は三か月と言いかけませんでした。
成長。
「上級行政庁は」
「ありません。市長名義の処分です」
「なら」
「旧法上は異議申立て」
相馬先輩が鼻で笑いました。
「今日は早えじゃねえか」
「毎回未来法と事故ってられませんから」
「未来法?」
沢渡課長が聞きました。
「独り言です」
「最近の若い人は難しいですね」
「昭和の若者代表みたいに扱わないでください」
「お前、十八だろ」
「そうですけど」
中身はもう少し上です。
説明できませんけど。
片桐所長が沢渡課長へ向き直ります。
「三人とも申立てをする」
「そうですか」
「処分理由の共通部分について、同じ資料を三度出させるつもりか」
沢渡課長は少し考えました。
「申立ての内容次第ですが」
「同じ駅前整備方針の適用が争点になる」
「でしょうね」
「なら共通資料は一括して出してもらう」
「検討します」
「個別事情は」
「分けます」
沢渡課長が答えました。
「松永さん、西尾さんについても位置や面積の差がありますし、藤井さんについては固定設備と撤去期限があります」
「それでいい」
片桐所長が言いました。
それだけ。
でも。
市役所へ来る前は。
三人の話は三つの封筒に入っていました。
役所側も、
別件。
別件。
別件。
相談者側も、
自分だけが困っている。
と思っていた。
今。
共通する問題と、
個別に見る問題が、
初めて分け直された。
全部まとめる。
でもない。
全部ばらばら。
でもない。
その中間。
必要なところだけ、一緒に見る。
必要なら、また分ける。
地味です。
ものすごく地味です。
でも。
法律の手続って、
こういう地味な整理で急に強くなるんだ。
事務所へ戻ったあと。
三人には午後にもう一度来てもらいました。
机の上に駅前の地図。
三人の通知。
写真。
それぞれの許可証。
「じゃあ、一緒に申し立てるんですね」
松永さんが聞きました。
「正確には」
私は言いました。
「三人それぞれ、ご自分の処分について申し立てます」
「別々?」
西尾さんが不思議そうにします。
「はい。でも」
私は地図を指しました。
「市が三人に共通して使った駅前整備の方針や基準については、共通の問題として確認してもらうよう求めます」
「一緒だけど、別?」
藤井さんが言いました。
「そうです」
「難しいな」
「私も昨日までだったら嫌いな言い方でした」
「おい」
相馬先輩が睨みます。
「行政法嫌いを相談者に告白するな」
「元です。元」
「今も怪しいだろ」
「今は複雑な愛情があります」
「もっと悪い」
片桐所長が三人の書類を手に取りました。
「大事なのは」
三人が所長を見ます。
「同じところは同じとして見ること」
一枚置く。
「違うところは違うとして見ること」
もう一枚置く。
「役所に都合よく三人をまとめさせない」
三枚目。
「こちらに都合よく三人を同じにもさせない」
静かな言葉でした。
でも。
すごく大事なことを言っています。
相談者側だって、
三人とも同じ理由なんだから全部同じだ。
と決めつけたくなる。
そのほうが話は簡単です。
でも。
簡単だから正しいとは限らない。
藤井さんには固定設備がある。
撤去命令もある。
松永さんと西尾さんだって、場所も面積も違う。
一緒にしたほうが公平な部分と。
分けなきゃ不公平になる部分がある。
「じゃあ」
西尾さんが言いました。
「三人で役所と喧嘩する、っていうのとは違うのね」
「違います」
「団体交渉みたいな感じかと思った」
「それも違います」
「じゃあ何?」
私は少し考えました。
「三人の話を」
言葉を探す。
「役所の都合でばらばらにさせない。でも、私たちの都合で一つにも潰さない」
三人が黙りました。
相馬先輩が横から言いました。
「珍しく分かりやすいな」
「珍しくは余計です」
数日後。
三件の異議申立書が完成しました。
形式上は三通。
申立人も別。
対象処分も別。
しかし。
共通する主張には、
同じ駅前環境整備方針の内容。
基準の策定時期。
対象区域。
残存を認めた設備との区別基準。
歩行者動線上、本当に撤去が必要なのか。
そうした点を並べました。
そのうえで。
松永さんには、
可動式で占有面積が小さいこと。
西尾さんには、
営業時間が限定され、毎日撤去していること。
藤井さんには、
固定設備ではあるが、撤去期限二週間が必要性に比して短すぎないかという点。
それぞれ別の事情を入れる。
「三枚なのに」
私は書類を見ながら言いました。
「一冊みたいですね」
「逆だ」
相馬先輩が言いました。
「一冊に見える話を、必要なところで三枚にしてる」
「……なるほど」
「感心すんな。お前が作ったんだろ」
「言語化されると急に賢そうに見えるので」
「お前の頭が?」
「先輩の発言が」
「喧嘩売ってんのか」
提出の日。
沢渡課長は三通を順番に確認しました。
「三件とも異議申立てですね」
「はい」
「共通資料については、一括して確認してほしいと」
「はい」
「個別事情は各件ごと」
「はい」
「藤井さんの撤去命令部分については、別途重点的に審理を求める」
「そうです」
沢渡課長が書類を閉じました。
「分かりました」
あっさり。
「え?」
思わず声が出ました。
「何です」
「もっと抵抗するかと」
「朝比奈」
片桐所長が低く言いました。
「すみません」
沢渡課長が眼鏡越しに私を見ます。
「合理的な整理なら、わざわざ非効率にする理由はありません」
「じゃあ三件まとめて?」
「共通部分は」
沢渡課長が訂正しました。
「全部を一緒にしないでください。個別事情まで混ぜると、かえって判断を誤ります」
「……はい」
「特に藤井さんの撤去期限は別に見る必要があります」
「はい」
「何でもまとめれば効率的、という話ではありません」
くっ。
未来の三十九条の解説を、昭和の沢渡課長に先回りされた気分です。
「課長」
「何です」
「二十数年後、そういう条文できますよ」
「また未来の話ですか」
「独り言です」
「朝比奈」
相馬先輩が頭を軽く小突きました。
「今の制度で仕事しろ」
「はい」
二週間後。
役所から連絡がありました。
三件すべて取消し。
――ではありませんでした。
世の中、そんなに都合よくありません。
でも。
変化はありました。
まず。
駅前整備方針について、三件共通の確認が行われた。
その結果。
市が使っていた「歩行者空間確保」の対象図には、
一部、二年前の交通量調査が使われていることが分かりました。
その後。
バス乗り場が移設され、
人の流れが変わっていた。
松永さんと西尾さんの場所は、
市が考えていたほど歩行者動線を妨げていなかったのです。
二人については、
設備面積を縮小すること。
繁忙時間帯には一時撤去できるようにすること。
その条件付きで、六か月間の更新を再検討。
一方。
藤井さん。
こちらは違いました。
固定された設備が、
緊急車両の進入経路にかかる。
ここは市の判断に理由があった。
ただし。
撤去期限二週間。
これについては、
近くに代替場所を確保するための期間として短すぎるとして、
二か月延長。
移設候補地を市と協議することになりました。
三人とも同じ勝ち方ではありません。
むしろ。
同じにしなかったから、
それぞれ一歩進めた。
「俺だけ許可は戻らないんですね」
藤井さんは結果を聞いて、少し寂しそうに言いました。
「はい」
私は答えました。
「ただ、撤去自体には理由がありました」
「そうですか」
「でも二週間で全部どかせ、は見直されました」
「二か月か」
「その間に移転場所を探せます」
藤井さんはしばらく黙っていました。
それから。
「それなら、まあ」
と笑いました。
「二週間じゃ、工具置く場所も決められなかったからな」
松永さんも言います。
「俺らと一緒に全部戻せって言ってたら、逆に話こじれたかもしれんな」
「そうですね」
私は頷きました。
もし。
三人とも同じ処分理由だから、
三人とも同じように取り消せ。
としか言わなかったら。
藤井さんの固定設備という違いが、こちらの主張を弱くしたかもしれない。
逆に。
三件を完全に別々に扱っていたら。
古い交通量調査を共通して使っていたことに、気づくのが遅れたかもしれない。
併せることで見えること。
分けることで守れること。
どちらもある。
「法律って」
西尾さんが言いました。
「もっと、白か黒か決めるものだと思ってた」
「私もです」
「お前は行政書士見習いだろ」
相馬先輩が言います。
「昔の話です」
「昨日までの顔だったぞ」
「失礼な」
でも。
本当にそうでした。
法律は、
一つにまとめる。
別々にする。
どちらかを決めるものだと思っていた。
でも実際には。
一度まとめたものを、
必要ならまた分ける。
逆に。
別々に出てきたものを、
必要なら一緒に見る。
手続は固定された箱ではありません。
問題を正しく見るために、
箱の仕切りを動かすことがある。
その日の午後。
三人が帰ったあと。
事務所に大きな紙袋が三つ残りました。
「……何ですか、これ」
私は一つ目を開けました。
靴磨き用の布。
二つ目。
傘。
三つ目。
自転車のベル。
「なんでこうなるんです」
相馬先輩がベルを鳴らしました。
チリン。
「うるさいです」
チリン。
「先輩」
チリン。
「やめて」
「いい音だな」
「事務所で鳴らす音じゃないでしょう」
片桐所長が傘を広げました。
「所長!」
「確認だ」
「室内ですよ!」
「壊れていない」
「それは分かりますけど!」
相馬先輩が笑っています。
「三人分まとめて届いたな」
「差し入れまで併合しないでください」
「じゃあ分離するか」
相馬先輩は紙袋を三つに離しました。
「はい。松永、靴布」
右。
「西尾、傘」
中央。
「藤井、ベル」
左。
「審理手続じゃないんですよ」
チリン。
「ベル鳴らさないでください!」
そこへ電話が鳴りました。
私が受話器を取ります。
「はい、片桐行政書士事務所です」
『沢渡です』
出た。
「お疲れさまです」
『駅前の三件について、一つ連絡です』
「はい」
『今回使っていた交通量資料ですが』
「はい」
『ほかの更新判断にも使われていました』
私は背筋を伸ばしました。
「何件くらいですか」
『七件です』
「七件」
『すべてを同じ結論にするつもりはありません』
「はい」
『ただ、共通資料に問題があった以上、それぞれ確認します』
私は少し笑いました。
「まとめて?」
『共通部分は』
「分けて?」
『個別部分は』
即答でした。
「課長」
『何です』
「その考え方、未来でも使いますよ」
しばらく沈黙。
『朝比奈さん』
「はい」
『あなたは、ときどき何を言っているか分かりません』
「よく言われます」
『ただ』
沢渡課長が続けました。
『今回については、三人一緒に持ってきたのは正解でした』
「珍しく褒めました?」
『一緒にしすぎなかったことも含めてです』
その言葉で。
私はやっと、今日の答えが一つにまとまった気がしました。
全部をまとめることが正義じゃない。
全部を分けることが丁寧でもない。
同じ原因を見落とさないために、併せる。
違う事情を踏み潰さないために、分ける。
手続の整理というのは、
紙を束ねる話じゃありません。
何を共通の問題として見るのか。
何を一人の事情として残すのか。
その線を引くことなんです。
「こはる」
片桐所長が言いました。
「今日の教訓は」
「はい」
私は少し考えました。
そして言いました。
「同じだから、まとめるんじゃない」
「うん」
「違うから、分けるんでもない」
「うん」
「正しく見るために、必要なところを併せて、必要なところを分ける」
所長が頷きました。
「それでいい」
昨夜まで。
私にとって、
併合。
分離。
なんて。
試験で一問出るかどうかも怪しい、
地味な手続用語でした。
でも今は違います。
三人を一つに潰さないための分離。
三人に共通する役所のミスを見逃さないための併合。
そう考えると。
ずいぶん人間くさい仕組みです。
法律の手続は冷たい。
名前。
処分。
申立て。
審理。
全部、一件ずつ番号で管理される。
でも。
冷たい仕組みだからこそ、
「この三人は同じだから一緒」
という空気にも、
「別人だから全部別」
という空気にも流されず、
必要な線を引き直せる。
その線一本で。
見えなかった共通原因が見えたり。
一人だけ違う事情が守られたりする。
たぶん。
制度の冷たさが人を救うって、
こういうことでもあるのでしょう。
「朝比奈」
相馬先輩が言いました。
「はい」
「この傘、お前使え」
「何でです?」
「三本ある」
「三本?」
西尾さんの紙袋を見る。
本当に三本。
「事務所用。所長用。お前用」
「先輩のは?」
「俺は傘嫌いだ」
「子どもですか」
「濡れりゃ乾く」
「昭和の男、雑すぎません?」
片桐所長が傘を一本取ります。
「こはる」
「はい」
「これはお前のだ」
「ありがとうございます」
「こっちは事務所」
「はい」
「残りは相馬」
「いらねえ」
「決定だ」
「異議がある」
「却下」
「早えよ」
私は吹き出しました。
「先輩」
「何だ」
「申立て、私と併合します?」
「何でだ」
「所長の一方的な業務命令に対する不服として」
「お前も何かあるのか」
「あります」
「何だ」
私は机の端に置かれた自転車のベルを指しました。
「それを鳴らすのやめてほしいです」
相馬先輩が。
チリン。
「却下」
「あなた処分庁じゃないでしょう!」
所長が傘を閉じました。
「二件は分離しろ」
「そこだけ手続が早い!」
三人の事件は、
一緒にしたから見えたものと、
分けたから救えたものを残して終わりました。
そして片桐行政書士事務所では。
傘とベルをめぐる不服だけが、
どうやら併合される見込みはなさそうでした。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




