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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政不服審査法

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188/274

[行政不服審査法37条・審理手続の計画的遂行]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 夕方の片桐行政書士事務所には、杉の匂いがしました。


 法律事務所として正しい匂いかどうかは知りません。


 原因は明白です。


「先輩」


「何だ」


「曲がってます」


「うるせえ」


「右が二ミリくらい下がってます」


「二ミリなら誤差だ」


「棚ですよ。積み木じゃないんですよ」


「じゃあお前がやれ」


「私は監督担当です」


「一番いらねえ役だな」


 真田善吉さんからもらった杉板。


 あれは結局、本当に書類棚になりました。


 製作者。


 相馬誠司。


 命令者。


 片桐所長。


 役に立っていないのに口だけ出している者。


 私。


 異論は認めます。


「所長」


「何だ」


「相馬先輩が、棚の完成予定時期を三日も超過しています」


「そうか」


「審理手続の計画的遂行という観点からですね」


「こはる」


「はい」


「仕事をしろ」


「はい」


 棄却が速い。


 今日も片桐行政書士事務所の不服申立制度は、迅速性だけなら非常に優秀です。


 私は自分の机に戻りました。


 目の前にはノート。


 その一番上に、大きく書きます。


 ――行政不服審査法第三十七条。


 審理手続の計画的遂行。


「……硬い」


 思わず声が出ました。


「何がだ」


 相馬先輩が金槌を置きます。


「名前です」


「法律なんだからそんなもんだろ」


「『計画的遂行』ですよ。漢字が五つ並んだだけで眠気が二割増しです」


「寝たら殴るぞ」


「労務管理が昭和すぎる」


「昭和だ」


「あ」


 そうでした。


 昭和六十三年でした。


 転生してから何度目か分からない、自分で掘った穴です。


 私はノートに線を引きました。


 ただし。


 今日勉強する第三十七条は、


 今、この時代の法律ではありません。


 未来。


 平成二十六年に全部改正され、平成二十八年から施行される新しい行政不服審査法の話です。


 昭和六十三年の真田さんの異議申立てに、


 この第三十七条は使えません。


 審理員もいない。


 異議申立てだって現役。


 それなのに。


 先日の真田さんの事件を経験したあとでは、


 第三十七条ほど、


 「ああ、だからこんな条文ができたのか」


 と腑に落ちる条文もありませんでした。


「まず事件を整理します」


「一人でやれ」


「付き合ってください」


「嫌だ」


「所長」


「付き合え」


 奥から即答。


 相馬先輩が黙りました。


 行政庁の指揮監督関係というものを、私は今日も身近に学んでいます。


「真田さんの件は」


 私はノートを開きました。


「市有地を材木の一時置場として使っていたところ、その使用許可を取り消された」


「ああ」


「理由は、道路整備事業と周辺環境保全上の支障」


「そうだな」


「それで異議申立てをした」


「旧法だからな」


「はい」


 ここ。


 まず大事です。


 現代の頭で、


 審査請求。


 と書きそうになる。


 でも昭和六十三年の旧法では、


 審査請求と異議申立てが併存しています。


 今回、市長名義の処分で上級行政庁がない。


 だから処分庁に対する異議申立て。


 期間も、


 現代の原則三か月ではなく、


 旧法では原則六十日。


「お前、もう間違えなくなったな」


 相馬先輩が言います。


「成長しました」


「自分で言うな」


「最初は三か月って言いかけましたからね」


「未来人は面倒だな」


「未来知識にも副作用があるんです」


 問題は。


 異議申立てをしたあとの審理でした。


 道路課。


 環境担当。


 総務課。


 景観。


 粉じん。


 消防。


 車両出入り。


 材木の積み方。


 資料を出せば、


 また新しい確認。


 説明すれば、


 別の部署から同じ質問。


 取消処分の理由まで、


 後から枝分かれしていった。


「真田さん、最後には何を争えばいいのか分からなくなってました」


「ああ」


「役所側も、部署ごとに別々に確認していた」


「そうだったな」


「だから全員を一回集めた」


「法定の手続じゃねえぞ」


 相馬先輩がすぐ言います。


「そこ大事です」


 私は二重線を引きました。


 昭和六十三年の真田さんの事件で行った、


 関係部署と申立人側を集めた打合せ。


 あれは、


 現代法第三十七条による意見聴取ではありません。


 そもそも第三十七条は存在しない。


 審理員も存在しない。


 旧法上の異議申立てを処理する中で、


 実務上、事実関係を整理するために行っただけ。


「ここをごちゃ混ぜにしたら」


「時代考証事故ですね」


「法律のほうのな」


「はい」


 私はノートを二つに分けました。


 左。


 昭和六十三年・旧法。


 右。


 現代・新法。


「じゃあ第三十七条って、何をする条文なんだ」


 相馬先輩が聞きました。


「一言でいえば」


 私は考えました。


「複雑な審査請求で、審理が迷子にならないように交通整理する条文です」


「雑だな」


「でも真田さんの事件を思い出してください」


 争点が一つ。


 証拠も少ない。


 関係人も少ない。


 そんな事件なら、


 普通に進めればいい。


 ところが。


 審理すべき事項がたくさんある。


 主張が錯綜している。


 関係者も多い。


 使いたい審理手続もいくつもある。


 そういう複雑な事件では、


 行き当たりばったりに進めると、


 かえって遅くなる。


「真田さんの件ですね」


「まさにそうだったな」


「道路の話をしてたら粉じんが出てきて」


「うん」


「粉じんを答えたら消防が出てきて」


「うん」


「消防を答えたら車両出入り」


「増殖してたな」


「行政法版もぐら叩きです」


「嫌な遊びだな」


 本当に。


 質問に一つ答えるたび、


 別の穴から論点が出てくる。


 これでは、


 丁寧に審理しているつもりでも、


 申立人にとっては終わりが見えません。


 そこで現代法第三十七条。


 審査請求に係る事件について、


 審理すべき事項が多数ある。


 錯綜している。


 その他の事情で事件が複雑。


 そして。


 迅速かつ公正な審理を行うため、


 審理手続を計画的に遂行する必要がある。


 そう審理員が認めた場合。


「審理員が動きます」


「何をする」


「期日と場所を指定して、審理関係人を招集する」


「集めるのか」


「はい」


「何のために」


「これから行う審理手続の申立てについて、あらかじめ意見を聴くためです」


 私はノートに書きました。


 第三十七条第一項。


 複雑な事件。


   ↓


 迅速・公正に進めるため計画が必要。


   ↓


 審理員が期日・場所を指定。


   ↓


 審理関係人を招集。


   ↓


 審理手続の申立てについて意見聴取。


「待て」


 相馬先輩が言いました。


「『審理手続の申立てについて意見を聴く』って何だ」


「そこですよね」


 第三十七条は、


 単に、


 みんな集まって事件について好きに話してください、


 という条文ではありません。


 ここで意見を聴く対象は、


 審理手続をどう進めるか。


 どんな審理手続を申し立てたいのか。


 そういう手続面の交通整理です。


「例えば」


 私は指を折りました。


「口頭で意見を述べたい」


「うん」


「この証拠を出したい」


「うん」


「この物件を確認してほしい」


「うん」


「参考人から話を聞いてほしい」


「うん」


「現場を検証してほしい」


「なるほど」


 現行法の第三十一条から第三十六条までには、


 審理を進めるためのさまざまな手続があります。


 口頭意見陳述。


 証拠書類等の提出。


 物件の提出要求。


 参考人の陳述や鑑定。


 検証。


 審理関係人への質問。


「選択肢が多いから」


 私は言いました。


「複雑な事件で全員がバラバラに動くと、収拾がつかなくなる」


「だから最初に相談する」


「そういうことです」


「これを先にやる。次にこれをやる。そのあとこれを確認する」


「はい」


「交通整理だな」


「だから最初からそう言ってるじゃないですか」


「お前の雑な説明が珍しく当たってたな」


「珍しくは余計です」


 私はノートに大きく書きました。


 ――第三十七条は、事件そのものの結論を決める条文ではない。


 ここ。


 試験でも大事です。


 意見聴取をしたから、


 誰かの主張が認められるわけではありません。


 審査請求が認容されるわけでもない。


 処分が取り消されるわけでもない。


 これは、


 審理をどう進めるかを整理するための手続です。


「真田さんの会議でも同じでした」


「何が」


「あの場で取消処分が取り消されたわけじゃない」


「そうだな」


「でも、何を調べるかが整理された」


 道路整備計画。


 環境への影響。


 処分時に把握していた事実。


 処分後に分かった事情。


 真田さん側が出す改善案。


 役所側が確認する資料。


 一時間ほど整理しただけ。


 それまで三週間ぐちゃぐちゃだったものが、


 一気に一本道になった。


「法律って」


 私は言いました。


「こういう地味な整理を、わざわざ制度にするんですね」


 片桐所長が帳簿から目を上げました。


「地味だから必要なんだ」


「え?」


「派手な問題は誰でも気づく」


「……ああ」


「同じ質問を三回する。終わる時期を示さない。手続の順番を決めない。そういうものは問題に見えにくい」


「でも積み重なる」


「人を疲れさせる」


 所長はそれだけ言って、また帳簿へ戻りました。


 私は少しだけペンを止めました。


 制度の冷たさが、人を救う。


 たぶんこういうところです。


 役所の人が親切なら、


 うまく整理してくれるかもしれない。


 優秀な担当者なら、


 見通しを示してくれるかもしれない。


 でも。


 誰かが親切かどうかに、


 救済手続の分かりやすさを預けてはいけない。


 だから、


 法律にする。


「次」


 私はノートをめくりました。


 第三十七条第二項。


「電話です」


「急だな」


「遠隔地にいる場合です」


 審理関係人が遠くに住んでいる。


 あるいは、


 その他相当と認められる場合。


 そんなときまで、


 全員を同じ場所へ呼びつけなければならないとしたら。


 交通整理するための会議そのものが負担になります。


「そこで」


 私は受話器を指しました。


「音声の送受信で通話できる方法」


「電話か」


「代表例としてはそうです」


 つまり。


 意見聴取のために、


 必ず全員が同じ部屋へ集合しなければならないわけではない。


 遠隔地なら、


 電話などを利用できる。


「未来は便利だな」


「先輩」


「何だ」


「昭和六十三年にも電話はあります」


「知ってる」


「今の言い方だと未来で電話が発明されるみたいでした」


「法律で使えるって話だろ」


「そうでした」


 大事なのは、


 方法ではなく目的です。


 迅速かつ公正に進めるための調整なのに、


 その調整だけで遠方から何時間もかけて来てもらう。


 それでは本末転倒。


「真田さんは近くだったから問題ありませんでしたけど」


「もし東京の本社の人間も関係してたら?」


「現代法なら、要件を満たせば音声通話による意見聴取を検討できる」


「便利だな」


「だから電話そのものを覚えるというより」


 私は線を引きます。


 ――遠隔地でも、必ず対面とは限らない。


「こっちですね」


「試験で『必ず出頭させなければならない』とか出たら」


「誤りを疑う」


「そういうことか」


「はい」


 そして。


 第三十七条で、


 私が一番好きになったところ。


 第三項です。


「好きとかあるのか」


「ありますよ」


「変わった奴だな」


「行政法を半年やれば、条文に推しができます」


「ならねえよ」


「なります」


 たぶん。


 第三十七条第一項や第二項で、


 審理関係人から意見を聴いた。


 そのあと。


 審理員は、


 遅滞なく決めます。


 何を。


 一つ。


 審理手続の期日。


 二つ。


 場所。


 そして。


 三つ。


 審理手続の終結予定時期。


「ここです」


 私は三つ目を丸で囲みました。


「終結の予定時期」


「真田さんが一番欲しがってたやつだな」


「そうなんです」


 いつ終わるのか。


 もちろん、


 予定です。


 絶対にその日に終わるという保証ではない。


 複雑な事件なら、


 後から事情が変わることもある。


 追加調査が必要になることもある。


「だから予定時期を変更したときは」


 私は続けます。


「それも審理関係人に通知します」


「変更できるのか」


「できます」


「だったら最初から適当に言っときゃいいじゃねえか」


「それじゃ意味ないでしょう」


「予定は予定だろ」


「でも、黙って延ばすのとは違います」


 私は先日の真田さんの言葉を思い出しました。


 ――何を出せばいいか分かっただけで、だいぶ楽です。


 ――いつ頃返事が来るかも分かった。


 真田さんにとって、


 結論はもちろん重要でした。


 でも。


 それまでの三週間で一番苦しかったのは、


 負けるかもしれないことだけではなかった。


 次に何を求められるか分からない。


 いつ終わるか分からない。


 電話が鳴るたび、


 また何か言われるのではないかと思う。


 あの状態です。


「予定時期って」


 私は言いました。


「行政側からすれば、ただの予定かもしれません」


「うん」


「でも待ってる側には、生活の予定になるんですよね」


 資材置場をいつまで使えるのか。


 代替地を探すべきか。


 取引先へ説明するか。


 従業員にどう話すか。


 設備を動かすか。


 お金を借りるか。


 廃業まで考えるか。


 行政の審理が終わらない間も、


 生活の時計は止まってくれません。


「だから通知する」


 片桐所長が言いました。


「予定でもか」


「予定だからだ」


 私は所長を見ました。


「どういう意味です?」


「確定していないなら、確定していないなりに見通しを示す」


「……なるほど」


「変われば知らせる」


 短い。


 でも。


 第三十七条第三項そのままの発想です。


 私はノートに書きました。


 ――予定は保証ではない。しかし、見通しも公正な手続の一部。


「じゃあ確認するぞ」


 相馬先輩が言いました。


「第三十七条の意見聴取をしたら、審理員は何を決める」


「審理手続の期日」


「うん」


「場所」


「うん」


「審理手続の終結予定時期」


「それを?」


「審理関係人に通知する」


「予定時期を変更したら?」


「それも通知」


「よし」


「何で先輩が先生側なんですか」


「お前が間違えるからだ」


「今日は間違えてません」


「じゃあ次だ」


 嫌な予感。


「第二十八条」


「う」


 来ました。


 このテーマ最大の、


 字面が似すぎ問題。


 行政不服審査法第二十八条。


 ――審理手続の計画的進行。


 第三十七条。


 ――審理手続の計画的遂行。


「進行」


 相馬先輩。


「第二十八条」


「遂行」


「第三十七条」


「違いは」


「……似てます」


「説明になってねえ」


「教材でも、そこはまとめて覚えて大丈夫なくらい似てるんです!」


「開き直るな」


 私はノートの上に、


 進行。


 遂行。


 と書きました。


「第二十八条は大きな基本姿勢として」


 審理関係人と審理員が、


 簡易迅速かつ公正な審理を実現するため、


 審理手続が計画的に進むよう協力する。


 そんな土台になる規定。


「それに対して第三十七条では」


「複雑な事件で?」


「はい。必要があると審理員が認めた場合に、具体的な交通整理へ踏み込む」


 意見を聴く。


 日程を決める。


 場所を決める。


 終結予定時期を決める。


 通知する。


「ざっくり」


 私は書きました。


 二十八条。


 計画的に進めましょう。


 三十七条。


 複雑なら具体的な工程を組みましょう。


「試験答案にそのまま書くなよ」


「分かってます」


「だったら最初からちゃんと覚えろ」


「記憶には雑な言葉のほうが残るんですよ」


 行政書士試験というものは、


 似た言葉を並べる能力だけは妙に高い。


 進行。


 遂行。


 受験生を一文字で転ばせる気満々です。


 でも。


 本質は、


 漢字当てゲームではありません。


 なぜ計画するのか。


 迅速で公正な審理のため。


 どんなとき具体的な調整をするのか。


 事件が複雑で必要なとき。


 何をするのか。


 関係者の意見を聴いて、


 日程と出口の見通しを作る。


 そこを掴んでいれば、


 条文番号の記憶もだいぶ楽になります。


「で」


 相馬先輩が言います。


「第三十七条の意見聴取は、複雑な事件なら絶対やらなきゃならんのか」


「いい質問です」


「偉そうだな」


「条文では『行うことができる』です」


「ああ」


「だから必ずではありません」


 審理員が、


 計画的に遂行する必要があると認める場合。


 そのうえで、


 意見聴取を行うことができる。


 義務的に全部の複雑事件で開催する、


 という仕組みではありません。


「つまり試験で」


 私は書きます。


 ――複雑な事件では、審理員は必ず審理関係人を招集しなければならない。


「これは?」


「誤り」


「そうです」


「じゃあ意見聴取をしたあと、日程や終結予定時期を決めて通知するのは?」


「そっちは……」


 相馬先輩が少し考えます。


「しなきゃならん?」


「はい」


「前半は『できる』。やったあとの第三項は?」


「通知まで進む」


「なるほどな」


 ここ。


 受験生が引っかかりやすいところです。


 意見聴取そのもの。


 必要があると認める場合に、


 行うことができる。


 しかし。


 その意見聴取を行ったなら、


 その後は遅滞なく、


 期日。


 場所。


 終結予定時期。


 これらを決め、


 審理関係人へ通知する。


 予定時期を変更しても通知。


「『できる』を見つけて安心して、全部任意だと思ったら負けですね」


「試験はそういうところを突くのか」


「ものすごく楽しそうに突いてきます」


「作る側の気持ちになるな」


 次。


 誰がやるのか。


「第三十七条の主語は?」


 私は聞きました。


「審理員」


「正解」


 ここも大事。


 処分庁ではありません。


 審査請求人でもない。


 参加人でもない。


 現代法では、


 審理員。


「真田さんの事件と一番違うところですね」


「ああ」


 昭和六十三年。


 旧法。


 真田さんがしたのは、


 処分庁への異議申立て。


 処分をした側が、


 その処分を見直す。


 沢渡課長たちが、


 自分たちの処分を検討する。


「やっぱり独特ですよね」


「何が」


「自分で出した答案を自分で採点し直す感じ」


「またその例えか」


「分かりやすいんです」


 今回。


 沢渡課長は、


 道路課から事情を聞き、


 環境担当を集め、


 こちらの意見も聞いて、


 結果的に処分を見直しました。


 それはうまく機能した例です。


 でも。


 制度として考えるなら、


 処分した側がそのまま見直す仕組みに、


 申立人が不安を感じるのは当然です。


「だから現代法では」


 私は言いました。


「不服申立てを原則として審査請求へ一本化して、審理員制度が導入された」


「その審理員が第三十七条でも交通整理する」


「そうです」


 原処分に関与していない職員が、


 審理員として審理を担当する。


 そして複雑な事件なら、


 その審理員が、


 関係人の意見を聴きながら工程を整理する。


「真田さんの件を経験すると」


 私は言いました。


「審理員制度って、公平っぽく見せるためだけじゃないんですね」


「どういうことだ」


「審理を一人の視点で交通整理する役割も大きい」


 道路課は道路を見る。


 環境担当は粉じんを見る。


 処分庁は処分を維持する事情を見る。


 申立人は生活への影響を見る。


 それぞれが、


 自分の担当だけ見れば、


 全体は簡単に迷子になります。


 そこで、


 審理全体を見る人がいる。


 誰に何を出してもらうか。


 何を質問するか。


 どの手続を使うか。


 どういう順番で進めるか。


 全体を組み立てる。


「だから『審理員』なんだな」


 相馬先輩が言いました。


「はい」


「未来の役所、大変そうだな」


「昔も今も大変だと思います」


「そこは変わらんか」


「たぶん」


 でも。


 大変だから制度を省いていい、


 とはなりません。


 行政側の効率。


 申立人の負担。


 公正な審理。


 迅速な結論。


 全部を少しずつ両立させる。


 第三十七条は、


 そのための、


 ものすごく地味な条文です。


 でも、


 ものすごく実務的。


「じゃあ」


 片桐所長が突然言いました。


「真田の事件で、第三十七条的な発想が役立った場面を言え」


「第三十七条そのものを適用した、ではなく?」


「当然だ」


「はい」


 試されている。


 私は姿勢を正しました。


「まず、争点が多数で錯綜していたこと」


「うん」


「道路整備、粉じん、景観、防火、車両出入り、資材の積み方。役所側の主張も整理されていなかった」


「次」


「関係者を一度集めて、どの事項を確認するか整理した」


「次」


「真田さんが出す資料、市側が確認する資料、それぞれの担当と期限を決めた」


「次」


「資料が揃ってから二週間程度を目安に結論を出すという見通しを示した」


「次」


「遅れるなら連絡することも確認した」


 所長が頷きました。


「それだ」


「はい」


「制度が違っても、困りごとの形は同じだ」


 私はその言葉をノートの端に書きました。


 制度が違っても、


 困りごとの形は同じ。


 昭和の旧法には第三十七条がない。


 でも。


 複雑な事件で争点が散らかる。


 関係者が疲れる。


 何をすればいいか分からなくなる。


 いつ終わるか分からない。


 そういう困りごとは存在した。


 そして。


 将来の制度改正は、


 そうした問題に対応するため、


 より公正で分かりやすい審理の仕組みを整えていく。


 旧法から新法を見ると、


 条文が増えたように見える。


 覚えることが増えた。


 試験範囲が面倒になった。


 受験生だった私は、


 そんな見方ばかりしていました。


 でも。


 現場から見ると違う。


「先輩」


「何だ」


「法律が細かくなる理由って」


「うん」


「誰かが細かいところで困ったからなんですね」


「全部が全部そうとは言わんが」


「はい」


「少なくとも、意味もなく増えたと思うな」


 相馬先輩が完成した棚を手で揺らします。


「この棚だって同じだ」


「え?」


「最初は板を壁につけりゃいいと思ってた」


「危険思想」


「だが書類が重い。だから支えを増やした」


「はい」


「落ちると困る。だから金具をつけた」


「はい」


「使ってみて問題が出りゃ、また直す」


 私は棚を見ました。


「制度改正みたいですね」


「だろ」


「先輩」


「何だ」


「今日一番分かりやすいです」


「今日だけかよ」


 私は笑いながらノートへ戻りました。


 最後。


 試験用に整理します。


 第三十七条。


 審理手続の計画的遂行。


 キーワードは、


 複雑。


 審理員。


 招集。


 意見聴取。


 遠隔なら音声通話も可能。


 その後、


 期日。


 場所。


 終結予定時期。


 通知。


 予定変更も通知。


「で」


 相馬先輩が言います。


「一行で書け」


「来ましたね」


「お前の『一行の覚え書き』だろ」


「考えます」


 ペンを持ったまま、


 少し止まります。


 第三十七条は、


 処分を取り消す条文ではありません。


 勝たせる条文でもない。


 誰の主張が正しいかを、


 その場で決める条文でもない。


 ただ。


 複雑な審理に、


 道順を作る。


 人を集める。


 意見を聞く。


 予定を決める。


 出口の見通しを知らせる。


 それだけ。


 でも。


 真田さんは、


 それだけで随分救われました。


 私は書きました。


 ――複雑な審理ほど、先に道順を決める。三十七条は「迷子にしない」ための交通整理。


「長い」


「内容優先です」


「もう少し削れ」


「では」


 その下に書きます。


 ――複雑なら、聴いて、組んで、終わりを見せる。


 相馬先輩が黙りました。


「どうです?」


「まあ覚えやすい」


「勝った」


「何にだ」


「行政法に」


「まだ早えよ」


 確かに。


 行政法は一条理解したくらいで勝利宣言すると、


 次のページから別の例外を投げてきます。


 油断できません。


 私はノートを閉じました。


 そのとき。


 奥から片桐所長が出てきました。


 完成した棚を見る。


 右を見る。


 左を見る。


 少し離れて見る。


 相馬先輩の顔が険しくなりました。


「何です」


「相馬」


「はい」


「右が下がってる」


 私は勢いよく顔を上げました。


「ほら!」


「二ミリだ!」


「二ミリでも下がってます!」


「書類は落ちねえ!」


 所長が一言。


「直せ」


「……いつまでです」


「明日」


 相馬先輩が私を見ました。


「朝比奈」


「はい」


「意見がある」


「どうぞ」


「その期日は無理だ」


「では審理関係人として、意見聴取します」


「俺だけだろ関係人!」


「場所は?」


「ここだよ!」


「終結予定時期は?」


「知らねえ!」


 私は首を横に振りました。


「駄目ですねえ。第三十七条を見習って、見通しを示してください」


「昭和六十三年に第三十七条はねえ!」


「おお」


 私は思わず拍手しました。


「完璧です、先輩」


「何がだ!」


「新旧法の区別」


「誰のせいで覚えたと思ってんだ!」


 片桐所長が、


 ほんの少しだけ笑いました。


 窓の外では、


 製材所のある山のほうへ、


 夕日が沈んでいきます。


 真田さんの異議申立ては終わりました。


 取消処分は見直され、


 条件付きで資材置場を使い続けられることになった。


 でも。


 私が今回いちばん覚えているのは、


 結果が出た瞬間ではありません。


 あの会議のあと。


 まだ結論も出ていないのに、


 真田さんが少し安心した顔で言った、


 あの言葉です。


 ――何を出せばいいか分かっただけで、だいぶ楽です。


 法律による救済というと、


 どうしても最後の結論ばかり見てしまう。


 取消し。


 変更。


 棄却。


 認容。


 でも。


 結論へたどり着くまでの時間も、


 人の生活です。


 いつ呼ばれるか分からない。


 何を求められるか分からない。


 いつ終わるか分からない。


 そんな状態で何か月も待たされれば、


 最後に正しい結論が出ても、


 その途中で人が疲れ切ってしまう。


 だから。


 現代の行政不服審査法は、


 複雑な事件について、


 審理の道筋そのものまで整えようとする。


 審理員が関係人の意見を聴く。


 何をするか決める。


 いつするか決める。


 どこでするか決める。


 そして、


 いつ頃終わるのか知らせる。


 予定が変われば、


 それも知らせる。


 派手ではありません。


 むしろ、


 行政法の中でも相当地味です。


 でも。


 法律の冷たさというのは、


 こういうところで優しい。


 大丈夫ですよ。


 ちゃんとやりますよ。


 もう少し待ってください。


 そんな曖昧な言葉ではなく。


 何をする。


 いつする。


 いつ頃終える。


 それを決め、


 知らせる。


 人の善意ではなく、


 手続にする。


 だから、


 担当者が誰でも、


 同じように見通しを作ろうとする。


 私は机の新しい棚を見ました。


 相馬先輩がぶつぶつ言いながら、


 右側の金具を外しています。


「先輩」


「何だ」


「終結予定時期は?」


「今日中」


「変更したら?」


「お前に通知する」


「完璧ですね」


「うるせえ」


「場所は?」


「ここ」


「期日は?」


「今!」


「意見聴取は?」


「もう十分聞いた!」


 私は笑いました。


 第三十七条。


 審理手続の計画的遂行。


 昨日までなら、


 「進行と遂行、紛らわしいなあ」


 で終わっていた条文です。


 でも今は。


 一行の覚え書きだけで十分です。


 ――複雑なら、聴いて、組んで、終わりを見せる。


 結論だけではなく、


 そこまでの道筋も人を救う。


 それが今日、


 私のノートに増えた、


 もう一つの行政法でした。

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