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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政不服審査法

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176/272

[行政不服審査法31条・口頭意見陳述]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 夕方の片桐行政書士事務所には、靴下が三足並んでいました。


 黒。


 水玉。


 赤と黄色の横縞。


 行政書士事務所の机として、かなり方向性を見失っています。


「先輩」


「何だ」


「履かないんですか」


「履かねえ」


「せっかく三輪さんにもらったのに」


「派手すぎる」


「でも昨日、口頭で理由を述べる機会は与えましたよ」


「だから何だ」


「そのうえで棄却しました」


「お前に決定権はねえ」


 相馬先輩は赤と黄色の靴下を机の端へ追いやりました。


 私はそれを元の位置へ戻します。


 先輩がまた追いやる。


 戻す。


 追いやる。


「仕事しろ」


「しています」


「どこがだ」


「行政不服審査における反復継続的な意思表示です」


「論点で靴下を動かすな」


 はい。


 本題に入ります。


 私の机には一冊のノート。


 上には大きく、


 ――口頭意見陳述。


 と書いてあります。


 三輪きぬさんの道路占用許可更新不許可。


 古い現況図。


 祭りの日だけを写した写真。


 実際とは違う歩道幅。


 三軒隣の似た橋板。


 書面だけで進んでいた審査請求の中で、


 三輪さん自身が口を開いたことで、


 処分の前提そのものに疑問が出た。


 県は現地確認をすることになった。


 まだ処分が取り消されたわけではありません。


 でも。


 昨日まで紙の上だけにあった事件が、


 現場へ戻りました。


「で」


 相馬先輩が煙草をくわえます。


「今日は何だ」


「昨日の復習です」


「嫌な予感しかしねえ」


「口頭意見陳述」


「そのままだな」


「はい」


 私はノートの最初に書きました。


 審査請求の審理。


 原則――書面審理。


「まず、ここですよね」


「ああ」


「口頭意見陳述って名前だけ見ると、審査請求はみんな会議室で喋るみたいに感じますけど」


「違う」


「基本は紙」


「そうだ」


 行政不服審査。


 裁判より簡易迅速な救済制度。


 だからといって、


 毎回、


 審査請求人。


 処分庁。


 参加人。


 関係者。


 全員を一室へ集めて、


 延々、


 「では順番にお気持ちをどうぞ」


 なんてやっていたら。


 簡易迅速どころではありません。


「役所の会議室が足りなくなりますね」


「そこか?」


「違いますね」


 書面で審理する。


 主張が記録に残る。


 資料と照らせる。


 何を争っているのか整理しやすい。


 それ自体は合理的です。


「だから」


 私は書きます。


 ――審査請求の審理は、原則として書面による。


「でも」


 次に線を引きました。


 ――申立てがあった場合、口頭で意見を述べる機会を与える。


「ここが昨日の三輪さんです」


「うん」


「書面はもう出してた」


「上申書も出してたな」


「はい。でも、それで終わらせなかった」


 写真が祭りの日のものだったこと。


 普段は店先に商品や自転車を置いていないこと。


 処分の判断に使われた歩道幅が、


 改修前の図面に基づいている可能性があること。


 三軒隣には似た占用物が残っていること。


 これらは。


 書面にもある程度書けます。


 でも。


 口頭で話したことで、


 審査する側がその場で反応した。


「改修はいつだった」


「昭和五十九年」


「図面は」


「昭和五十七年」


「じゃあ数字が古いんじゃねえか、ってなった」


「そうです」


 私はノートに書きました。


 ――口頭意見陳述は、書面審理を捨てる制度ではない。


 ――書面審理を補う制度。


「これ、大事ですね」


「なんでだ」


「書面か口頭か、二択じゃないからです」


「ああ」


 紙だけで十分な事件もある。


 逆に、


 本人の説明を聞くことで争点がはっきりする事件もある。


 その両方を組み合わせる。


 なるほど。


 制度というのは、


 意外と地味にできています。


 地味ですが。


 地味な制度ほど、


 人を助けるときは効きます。


「ところで」


 私はペンを止めました。


「ここからが問題です」


「何だ」


「現代法と旧法」


「またか」


「またです」


 私の頭には、


 現代の行政不服審査法第三十一条が入っています。


 審査請求人または参加人が申し立てた場合、


 審理員は、


 原則として、


 口頭で意見を述べる機会を与えなければならない。


 期日と場所を指定する。


 審理関係人を招集する。


 補佐人。


 陳述の制限。


 処分庁等への質問。


 全部、


 第三十一条。


「でも昭和六十三年には?」


 相馬先輩が聞きます。


「現代の第三十一条そのものはありません」


「当然だ」


「しかも審理員もいません」


「だから未来の役人を呼ぶな」


「呼んでません」


 私はノートを二つに分けました。


 左。


 昭和六十三年。


 旧行政不服審査法。


 右。


 現代。


 平成二十六年全部改正後。


「昨日の三輪さんの事件では、旧法第二十五条でした」


「審理の方式だな」


「はい」


 旧法では。


 審査請求の審理は、


 書面による。


 ただし、


 審査請求人または参加人から申立てがあったときは、


 審査庁は、


 申立人に対して口頭で意見を述べる機会を与えなければならない。


「ここ、現代と似てます」


「ああ」


「だから余計に危ない」


「何が」


「制度が似ているから、全部同じだと思いやすい」


 受験生殺しです。


 見た目は親戚。


 中身は別世帯。


 行政法には、こういう人たちがたくさんいます。


「現代法だと審理員が出てきます」


「昭和にはいない」


「はい」


「じゃあ誰がやる」


「審査庁」


「そうだ」


 旧法では、


 審理員制度がありません。


 処分に関与していない職員を、


 法律上独立した審理員として指定して、


 その人が審理手続を主宰する。


 そういう現代の仕組みはまだない。


「昨日も沢渡課長がいましたけど」


「あいつは審理員じゃねえ」


「はい。総務部の担当者」


「そこを混ぜるな」


「混ぜると時空が歪みます」


「お前の頭だけだ」


 私は大きく書きました。


 ――昭和六十三年に「審理員」はいない。


 赤線。


 二重線。


 星印。


「そんなに書く必要あるか?」


「私にはあります」


 そして現代。


 行政不服審査法は全面改正されました。


 原則として審査請求に一本化。


 審理員制度。


 行政不服審査会等への諮問。


 審理の公正性や透明性を高める仕組みが整えられています。


「昨日」


 私は言いました。


「三輪さんの口頭意見陳述を見て、改正理由がちょっと分かった気がしました」


「どういう意味だ」


「誰が場を仕切るかって、かなり大事なんですよ」


「うん」


 処分庁側。


 審査請求人側。


 参加人。


 資料。


 主張。


 そうしたものを整理する人が、


 原処分に深く関わった人と同じなら。


 申立人から見て、


 本当に公平なのか。


 という不安が出る。


 旧法では、


 そこが制度上弱かった。


「だから現代では、原処分に関与してない職員を審理員にする」


「そういう方向だな」


「審査庁そのものと、実際に審理手続を進める人を少し切り分けた」


「うん」


 制度改正というのは。


 ただ名前を変えることではありません。


 昔の仕組みで、


 どこが不便だったか。


 どこが疑われやすかったか。


 そこに手を入れる。


 だから新旧を並べると、


 歴史が少し見えます。


「異議申立ても消えましたしね」


「そこも書いとけ」


「はい」


 旧法。


 異議申立てと審査請求が併存。


 現代。


 原則として審査請求へ一本化。


「三輪さんの件は、県の土木事務所長の処分でした」


「ああ」


「上級行政庁として県知事がいる」


「だから審査請求」


「はい」


 もし処分庁に上級行政庁がなく、


 旧法上、異議申立てによるべき事案なら。


 処分庁自身に異議申立てをする。


 でも今回は違う。


 ここも、


 事件ごとに申立先を見ないといけません。


「未来の知識で『何でも審査請求』ってやると」


「昭和では事故る」


「はい」


 転生者、


 行政不服審査法に何度殺されかけるのでしょう。


 次。


 私は見出しを書きました。


 ――申立てがあれば、必ず口頭意見陳述?


「原則、そうですね」


「言い切るな」


 片桐所長が奥から言いました。


 来ました。


 一番短い声で、


 一番嫌なところを突く人。


「例外があります」


「言ってみろ」


 私は現代法の整理を思い出します。


 申立人の所在その他の事情により、


 口頭で意見を述べる機会を与えることが困難であると認められる場合。


 この場合は、


 例外として、


 機会を与えなくてもよい。


「つまり」


 私は言いました。


「申立てがあれば無条件に必ず実施、ではない」


「そうだ」


「原則は義務」


「うん」


「でも機会を与えること自体が困難な事情があれば例外」


「それでいい」


 私はノートに、


 原則。


 義務。


 例外。


 困難。


 と書きます。


「試験で嫌らしいのは」


 相馬先輩が言いました。


「『与えることができる』とか出してくるやつだろ」


「そうです!」


 私は机を指で叩きました。


「そこです」


 申立てがあった場合。


 現代法では、


 審理員が気分で、


 「今日は忙しいからやりません」


 とはできません。


 原則、


 機会を与えなければならない。


 義務です。


「『与えることができる』じゃない」


「『与えなければならない』」


「はい」


 行政法の試験は、


 この、


 できる。


 しなければならない。


 努める。


 認めることができる。


 みたいな語尾で人を倒しにきます。


「助動詞で殺しに来る法律」


「大げさだ」


「受験生には大事件です」


 私は続けました。


「ただ、昭和の事件でそのまま現代法の例外規定まで当てはめるのは駄目です」


「その通り」


「法理編では比較として見る」


「現場で使うのは当時法」


「はい」


 ここ。


 転生ものでは一番大事かもしれません。


 知っている未来法は、


 理解の助けになる。


 でも。


 施行前の法律は、


 武器としては使えない。


 未来のカーナビを持っていても、


 まだ道が造られていなければ走れません。


「次」


 私は書きます。


 ――口頭意見陳述の期日と場所。


「現代法では」


 審理員が、


 期日と場所を指定します。


 そして。


 すべての審理関係人を招集して、


 口頭意見陳述を行う。


「全部呼ぶんですか?」


「現代法ではな」


「処分庁も」


「審査請求人も」


「参加人も」


「関係する者を揃える」


 昨日の三輪さんの場面でも。


 審査庁側。


 土木事務所側。


 三輪さん。


 補佐人の美恵子さん。


 関係者が同じ場にいました。


 ただし。


 あれは昭和六十三年。


 現代法第三十一条第二項を適用したわけではない。


「似た構図だったから分かりやすいけど」


「条文の根拠は分けろ」


「はい」


 制度比較では、


 ここを雑にしてはいけない。


 物語で似たことが起きても、


 法律上の根拠まで同じとは限らない。


「それにしても」


 私は言いました。


「関係人全員を呼ぶって意味がありますね」


「何だ」


「一方だけが話すより、その場で争点が見える」


 昨日。


 三輪さんが、


 歩道幅が違う。


 と言った。


 土木事務所側が、


 簡易測定ですよね。


 と返した。


 相馬先輩が、


 なら確認しろ。


 と返す。


 さらに、


 図面が昭和五十七年。


 側溝改修が昭和五十九年。


 そこまで分かった。


「同じ場にいると」


 私は言いました。


「書面の往復では三週間かかるところが、三分で崩れることがありますね」


「言い過ぎだ」


「でも昨日は近かったですよ」


 口頭の強みは、


 速さだけではありません。


 何が争点なのかが、


 その場で見える。


「じゃあ」


 相馬先輩が言いました。


「口頭意見陳述なら何時間でも喋っていいのか」


「駄目です」


「なぜ」


「事件に関係ない話まで広がったら、審理が進まない」


「そうだな」


 私は次の見出しを書きました。


 ――陳述の制限。


 現代法では。


 申立人の陳述が、


 事件に関係のない事項にわたる場合。


 その他相当でない場合。


 審理員は、


 陳述を制限できます。


「昨日の美恵子さんですね」


「ああ」


「お父さんが亡くなってからお母さんが苦労して――って言おうとした」


「三輪さん本人が止めたな」


「はい」


 もちろん。


 生活背景には意味があります。


 処分による影響を説明することもある。


 でも。


 何を審査しているのか。


 そこから外れて、


 人生全部を語り始めたら。


 手続は終わりません。


「口頭意見陳述は」


 私は書きます。


 ――自由演説会ではない。


「答案に書くなよ」


「分かってます」


 事件との関係。


 相当性。


 そこが基準です。


「声を聞く制度なのに、喋る内容を制限できる」


「矛盾してるように見えるか?」


「最初は」


 でも。


 違います。


 話す機会を保障することと、


 話題を無限に広げることは別。


 むしろ。


 争点から外れた話を整理するからこそ、


 本当に必要な言葉が残る。


「片桐所長が言ってましたね」


「何を」


「勝つために、減らす」


 昨日。


 美恵子さんは、


 四十年店をやってきたこと。


 夫を亡くしてからの苦労。


 家族のこと。


 全部話したかった。


 でも。


 所長は、


 何を分からせるべきか。


 そこへ戻した。


 普段の写真。


 歩道幅。


 古い現況図。


 まずそこです。


「法律って冷たいですね」


 私が言うと、


 片桐所長がこちらを見ました。


「嫌か」


「いえ」


 私は少し考えます。


「冷たいから、話を整理できる」


「そうだ」


 感情を捨てるわけではありません。


 でも。


 感情だけで手続を埋めない。


 何が処分の問題なのか。


 そこへ戻す。


 それが、


 結果として本人を助ける。


 次。


 私は昨日から一番気になっていた見出しを書きました。


 ――補佐人。


「来ました」


「何がだ」


「美恵子さん」


 三輪さんは、


 役所へ行くと頭が真っ白になる。


 そこで娘の美恵子さんが、


 補佐人として付き添いました。


「補佐人って」


 私は言いました。


「代理人とは違いますよね」


「違う」


「ここ試験で混ぜそうです」


「混ぜるな」


 補佐人。


 本人と一緒に出頭し、


 本人の陳述を補佐する人。


 本人に代わって全面的に手続を行う代理人とは違う。


「本人が主体」


「そうだ」


「補佐人は横で助ける」


「うん」


 昨日の美恵子さんも。


 三輪さんの代わりに全部話したわけではない。


 写真を思い出させる。


 事実関係を補う。


 緊張した母親を支える。


 そういう役割でした。


「現代法では」


 私は書きます。


 ――審理員の許可を得て、補佐人とともに出頭できる。


「勝手に連れていけばいい、ではない」


「許可がいる」


「はい」


 ここも試験の罠。


 補佐人との出頭。


 審理員の許可。


「じゃあ弁護士じゃなきゃ駄目か?」


「いいえ」


「行政書士じゃなきゃ?」


「それも違う」


 補佐人は、


 必ずしも特定資格者に限定されるものではありません。


 その人の事情や事件内容に応じ、


 適切な者が補佐する。


「昨日みたいに娘さんでもあり得る」


「ああ」


「本人の話を一番分かってる人が助けることもある」


「そういうことだ」


 法律手続というと。


 専門家だけの世界に見えます。


 でも。


 制度によっては、


 家族や身近な人が本人を支える役割を持てる。


 そこにも少し温度があります。


「次」


 私はペン先を立てました。


 ――処分庁への質問。


「これ、昨日危なかったですね」


「ああ」


 美恵子さんが手を上げて、


 「一つ聞いていいですか」


 と言った瞬間。


 私の頭の中では、


 現代法第三十一条第五項が点灯しました。


 申立人は、


 審理員の許可を得て、


 審査請求に係る事件に関し、


 処分庁等に対して質問を発することができる。


「現代なら」


 私は言いました。


「一定の条件で質問できる」


「許可がいる」


「はい」


 勝手に処分庁を尋問できるわけではない。


 審理員の許可。


 事件との関連性。


 この二つが大事です。


「で」


 相馬先輩が言います。


「昭和では」


「現行法第三十一条第五項はありません」


「よし」


「だから昨日、私は止めました」


「珍しく正しかったな」


「珍しくは余計です」


 旧法の口頭意見陳述と、


 現代法の口頭意見陳述。


 基本の発想は似ています。


 でも。


 現代法では、


 口頭意見陳述の手続がより細かく条文化されています。


 補佐人。


 陳述の制限。


 処分庁等への質問。


「ここ」


 私は言いました。


「改正の意味が見えますね」


「どういうことだ」


「何ができるか、誰が許可するかが、前よりはっきりしてる」


「うん」


 手続が曖昧だと。


 担当者次第で運用が揺れる。


 質問していいのか。


 誰を連れていけるのか。


 どこまで話せるのか。


 その辺りが明確なら。


 本人も使いやすい。


 行政側も整理しやすい。


「公正さって」


 私は言いました。


「結果だけじゃないですね」


「当たり前だ」


「どういう手続で結果にたどり着くか」


「そこも含む」


 だから。


 審理員制度。


 第三者機関への諮問。


 口頭意見陳述の手続整備。


 そうしたものが、


 全部同じ方向を向いている。


 行政が、


 自分で自分の処分を見直す。


 だからこそ。


 手続を見える形にする。


「旧法の課題が、現代法の条文になってる」


 私は呟きました。


「全部そう単純じゃねえぞ」


「分かってます」


 でも。


 受験生としては。


 改正前。


 改正後。


 を丸暗記するより、


 何を改善しようとしたのか。


 そこを見ると覚えやすい。


「じゃあ試験問題」


 相馬先輩が言いました。


「え」


「現代法で、審査請求人から口頭意見陳述の申立てがあった。審理員は必要と認めた場合に限り、機会を与える」


「誤り」


「理由」


「必要と認めた場合に限る、ではなく、申立てがあれば原則として機会を与えなければならないから」


「よし」


 次。


「補佐人は自由に同伴できる」


「誤り。審理員の許可が必要」


「口頭意見陳述では、申立人はどんな話でも制限なくできる」


「誤り。事件に関係のない事項など、相当でない場合は審理員が制限できる」


「申立人は処分庁へ自由に質問できる」


「誤り。審理員の許可が必要。しかも事件に関する質問」


「口頭意見陳述は、審査請求人しか申し立てられない」


 私は止まりました。


「あ」


 相馬先輩がにやりとします。


「引っかかったな」


「参加人も」


「そうだ」


 私は急いでノートへ書きます。


 ――審査請求人又は参加人。


「危ない」


「誰が申し立てられるかまで見ろ」


「はい」


 行政法。


 主語が怖い。


 語尾も怖い。


 例外も怖い。


 もはや文章全体が罠です。


「まだあるぞ」


「まだ?」


「期日と場所を決めるのは」


「現代法では審理員」


「誰を招集する」


「すべての審理関係人」


「よし」


 私はノートに小さく、


 口頭意見陳述セット。


 と書きました。


 申立人。


 原則義務。


 期日・場所。


 全審理関係人招集。


 補佐人は許可。


 無関係な陳述は制限可能。


 処分庁等への質問も許可。


「一覧にすると楽ですね」


「最初からやれ」


「事件がないと頭に入らないんですよ」


 本当に。


 昨日までなら、


 この六項目を見ても、


 ただの箇条書きでした。


 でも今は違う。


 原則義務。


 三輪さんが、


 「話したい」


 と申し立てた場面。


 補佐人。


 美恵子さんが隣に座った場面。


 陳述の制限。


 亡くなった夫の苦労話ではなく、


 歩道幅へ話を戻した場面。


 質問。


 美恵子さんが手を上げ、


 私が未来法を思い出して止めた場面。


 全部、


 人の顔がついている。


 眠かった条文に、


 勝手に配役がついていきます。


「所長」


 私は聞きました。


「口頭意見陳述って、結局何のためなんでしょう」


「条文に書いてある」


「そうじゃなくて」


 所長は少し考えました。


「書面で落ちるものを拾う」


 短い。


 でも。


 昨日の事件そのままです。


 写真の撮影日。


 改修前の図面。


 普段の店先。


 隣の橋板。


 書面に書けなかったわけではありません。


 ただ。


 書類を読む側には、


 重要性が伝わっていなかった。


「つまり」


 私は言いました。


「口頭意見陳述は、書面を否定する制度じゃなくて」


「うん」


「書面の読み方そのものを変えることがある」


 所長が頷きます。


「そうだ」


 なるほど。


 昨日。


 県の担当者は、


 同じ図面をすでに持っていました。


 昭和五十七年の現況図。


 でも。


 三輪さんが、


 幅が違います。


 と言ったことで。


 初めて、


 その図面が古い可能性を見るようになった。


 紙が変わったわけじゃない。


 紙の意味が変わった。


 それが、


 人が喋る力なのかもしれません。


「でも」


 私は言いました。


「本人がうまく喋れないこともありますよね」


「だから補佐人がいる」


「はい」


「専門家を使うこともある」


「はい」


「書面で先に整理もできる」


「そうですね」


 口頭意見陳述は、


 話が上手な人だけの制度ではない。


 むしろ。


 うまく話せない人にも、


 その人の言葉が手続へ入る道を用意する。


 そのために。


 補佐人。


 資料。


 争点整理。


 そういうものがある。


「三輪さんも」


 私は言いました。


「最初は『何を言えばいいか分からない』って言ってました」


「うん」


「最後は自分で、『それは今日の話じゃない』って言いました」


「ああ」


 あれは。


 法律知識を覚えたわけではありません。


 でも。


 自分の事件の争点を、


 本人が理解した瞬間だった。


 普段は邪魔していない。


 道幅が違う。


 ちゃんと測ってから決めてほしい。


 それだけ。


 法律用語にすれば。


 事実認定。


 判断過程。


 裁量。


 そんな言葉になります。


 でも。


 本人は、


 そんな言葉を知らなくてもいい。


「法律家の仕事って」


 私は言いました。


「本人に法律用語を喋らせることじゃないんですね」


「今さらか」


「今さらです」


 片桐所長が言います。


「本人の言葉を、法的な争点に乗せる」


 はい。


 それです。


 依頼人が、


 事実を話す。


 こちらが、


 何が法的に大事なのか整理する。


 そして。


 必要なら、


 本人自身の声を手続の中へ戻す。


 そこに、


 行政書士の仕事がある。


「試験だと」


 私は言いました。


「口頭意見陳述って、誰が申し立てられるとか、許可がいるとか、そんな問題ばっかり見ますけど」


「試験だからな」


「でも実務だと」


「何だ」


「人に喋らせるための準備のほうが大変ですね」


 何を話すか。


 何を削るか。


 どの資料を見せるか。


 何を質問したいか。


 どこが処分の前提と違うか。


 昨日、


 三輪さんに三枚の紙へ絞った意味が、


 今さらよく分かります。


「しゃべる制度ほど」


 私は言いました。


「事前に整理が必要」


「そういうことだ」


 相馬先輩が赤と黄色の靴下を持ち上げました。


「じゃあ、これについて口頭意見陳述してやる」


「どうぞ」


「まず、色が悪い」


「事件と関係あります」


「派手すぎる」


「関係あります」


「俺の服に合わない」


「それも関係あります」


「履きたくない」


「それは主観です」


「十分だろ」


「でも三輪さんの好意という行政目的があります」


「行政目的にするな」


 片桐所長がぽつりと言いました。


「陳述を制限する」


「所長!」


「事件と関係がない」


「事件そのものです!」


「業務と関係がない」


「それはそうですね」


 敗訴。


 私はノートへ戻りました。


 最後に。


 現代法と旧法の違いを、


 もう一度だけ整理します。


 昭和六十三年。


 旧行政不服審査法。


 異議申立てと審査請求が併存。


 審査請求期間は原則六十日。


 審理員制度なし。


 行政不服審査会への諮問制度なし。


 審査請求の審理は書面が原則。


 申立てがあれば、


 口頭で意見を述べる機会を与える。


 三輪さんの事件はこちら。


 そして現代。


 原則として審査請求へ一本化。


 審査請求期間は原則三か月。


 審理員制度。


 行政不服審査会等への諮問。


 口頭意見陳述は第三十一条。


 審査請求人または参加人の申立てがあれば、


 原則として機会を与える義務。


 期日と場所を審理員が指定。


 すべての審理関係人を招集。


 補佐人は審理員の許可。


 無関係な陳述などは制限可能。


 処分庁等への質問も、


 審理員の許可が必要。


「これ」


 私は言いました。


「旧法と現代法を混ぜた問題が出たら嫌ですね」


「今の試験は現行法で答えろ」


「はい」


「昭和の実務は昭和の法律でやれ」


「はい」


「未来人だからって欲張るな」


「はい」


 相馬先輩に三回も正論を言われました。


 今日はもう帰っていい気がします。


「まだ終わってない」


 片桐所長が言いました。


「一行」


「あ」


 忘れていました。


 一行の覚え書き。


 私はノートの一番下へ線を引きます。


 何を書くか。


 少し迷いました。


 口頭意見陳述。


 本人の声。


 書面審理。


 補佐人。


 質問。


 制限。


 新旧法。


 全部入れたら一行では済みません。


「長くするなよ」


 相馬先輩が言います。


「分かってます」


 考える。


 そして。


 書きました。


 ――口頭意見陳述は、紙に埋もれた事実を、本人の声でもう一度審理へ戻す。


「長い」


「でも気に入ってます」


「試験用なら?」


「試験用なら……」


 もう一行。


 ――申立てがあれば原則義務。補佐人と質問は許可、脱線は制限。


 相馬先輩が黙りました。


「どうです?」


「まあ、使える」


「褒めた」


「気のせいだ」


「今日はその逃げ方多いですね」


 私はノートを閉じました。


 窓の外はもう暗くなり始めています。


 三輪洋品店では。


 まだ橋板が残っています。


 県はこれから現地を測る。


 その結果。


 処分が取り消されるかもしれない。


 条件付きで許可されるかもしれない。


 やっぱり不許可になるかもしれない。


 まだ分かりません。


 口頭意見陳述は、


 勝利を保障する制度ではありません。


 喋れば処分が覆る。


 そんな魔法ではない。


 ただ。


 行政が一度出した答えに対して、


 「その紙の前提、本当に合っていますか」


 と、


 本人の口から言える場所を残す。


 そして。


 行政側にも、


 聞かなければならない場を作る。


 そこに意味があります。


 話を聞く。


 日常では、


 あまりにも普通のことです。


 でも。


 権限を持つ行政と、


 一人の住民が向き合うとき。


 その普通のことを、


 善意だけに任せない。


 申立て。


 義務。


 許可。


 期日。


 場所。


 そんな冷たい言葉で囲って、


 「聞く機会」を制度にしておく。


 だから。


 担当者が忙しくても。


 面倒でも。


 もう書面に書いてあるでしょう、


 と思っていても。


 本人の声が入る余地を消しきれない。


 条文は冷たい。


 でも。


 冷たいからこそ、


 誰かの気分で、


 「聞く・聞かない」


 を決めさせない。


 それが。


 昨日の三輪さんに、


 もう一度店の入口を守る時間を与えた。


 私は机の上の水玉靴下を鞄に入れました。


「先輩」


「何だ」


「明日は?」


「何が」


「赤と黄色」


「履かねえ」


「では、口頭意見陳述を」


「もうした」


「再審理を」


「ない」


「異議申立てを」


「相手は誰だ」


「三輪さん」


「本人が棄却した」


「じゃあ審査請求」


「上級行政庁は誰だよ」


 私は奥を見ました。


「所長」


「棄却」


「まだ理由を言ってません!」


「書面に書いてある」


「何も出してません!」


 相馬先輩が吹き出します。


 片桐所長は黒い靴下を持ち上げました。


「こはる」


「はい」


「これ、履き心地は悪くなさそうだ」


「所長、履くんですか?」


「もらったからな」


 相馬先輩を見る。


「お前も履け」


「嫌です」


「命令だ」


「不服があります」


「口頭で言え」


「今言ってるだろ!」


 私は笑いました。


 どうやら片桐行政書士事務所では。


 口頭意見陳述の機会だけは、


 現代法よりずっと簡単に与えられるようです。


 ただし。


 結論が変わるかどうかは、


 やっぱり別問題でした。

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