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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政不服審査法

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[行政不服審査法24条・審理手続を経ないでする却下]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 夕方の片桐行政書士事務所には、季節外れの夏が残っていました。


 正確には。


 机の上に並んだ、


 いちご。


 メロン。


 レモン。


 三本のかき氷シロップです。


「先輩」


「何だ」


「これ、いつ食べるんです?」


「氷が手に入ったら」


「氷なんて近所で買えますよ」


「削る機械がねえ」


「松浦さんから借りるんじゃなかったんですか」


「まだ借りてねえ」


「つまり現在、甘い液体三本を事務所で保管しているだけ」


「そうなるな」


 法律事務所として、非常に意味が分かりません。


 私は三本の瓶を端へ寄せました。


 そして。


 その横にノートを広げます。


 今日の見出しは、


 ――審査請求の補正と却下。


 その下に小さく、


 ――昭和六十三年。旧行政不服審査法。


 と書きました。


 ここ大事。


 ものすごく大事。


 今回、現代の行政書士試験の教材をそのまま頭に持ち込むと、私は盛大に事故ります。


 現代法なら。


 審査請求書の補正は第二十三条。


 審理手続を経ないでする却下裁決は第二十四条。


 でも。


 昭和六十三年の旧行政不服審査法では違います。


「先輩」


「何だ」


「今日、条文番号が危険です」


「いつも危ねえだろ、お前の頭は」


「私じゃなくて法改正の話です!」


 私はノートに大きく書きました。


 旧法。


 第二十一条――補正。


 第四十条――裁決。


「現代法の二十四条を昭和六十三年で読んだら?」


 相馬先輩が聞きます。


「別の条文です」


「何だ」


「参加人です」


「全然違うじゃねえか」


「そうなんですよ!」


 怖い。


 法改正、本当に怖い。


 未来人が一番やってはいけないのは、


 昔の事件に未来の条文番号を貼ることです。


 制度の趣旨が似ていても、


 条文の配置まで同じとは限らない。


「だから今回」


 私は言いました。


「松浦さんの件を昭和六十三年の法律で整理すると、まず旧法第二十一条です」


 片桐所長が帳簿から顔を上げました。


「読んでみろ」


「はい」


 私は旧法の条文を確認します。


 意味はシンプルです。


 審査請求が不適法であっても、


 補正することができるものであるときは、


 審査庁は相当の期間を定めて、


 補正を命じなければならない。


「ここです」


 私は『命じなければならない』に線を引きました。


「できる、じゃない」


「そうだ」


「補正可能なら、補正の機会を与える」


 松浦さんが最初に出したのは、


 ほとんど手紙でした。


 看板を撤去せよと言われた。


 昔から商売している。


 困る。


 もう一度考えてほしい。


 気持ちは分かる。


 何を争いたいかも、なんとなく分かる。


 でも。


 審査請求書として必要な事項が足りていなかった。


 年齢。


 処分を知った年月日。


 審査請求の趣旨。


 教示の内容。


 審査請求年月日。


 押印。


「先輩」


「何だ」


「こういう書類を見て、いきなり却下していいですか」


「直せるなら駄目だろ」


「ですよね」


 ここが補正制度の意味です。


 不備がある。


 イコール。


 即終了。


 ではない。


「補正できる不適法」


 私は書きました。


 その横に、


 ――治せる傷。


 と書きます。


「比喩が急に医者だな」


「分かりやすいでしょう」


「まあな」


 住所が抜けた。


 年齢がない。


 求める裁決の内容が曖昧。


 押印がない。


 そういうものは、


 あとから補える場合があります。


 なら。


 まず直させる。


 それが旧法第二十一条。


「松浦さんは、期限内に補正しました」


「だから本案へ進んだ」


「はい」


 逆に。


 補正を命じられたのに、


 指定された期間内に直さなかったらどうなるか。


「却下」


 相馬先輩が言いました。


「はい」


 私は次の見出しを書きました。


 却下。


 ここで。


 今回の最大の試験ポイントが出てきます。


「却下と棄却」


「字が似てるな」


「似てます」


「意味は全然違う」


「はい」


 私はノートを真ん中で二つに分けました。


 左。


 却下。


 右。


 棄却。


「まず却下」


 手続として不適法。


 本案の中身へ入らずに退ける。


「簡単に言うと?」


 相馬先輩が聞きます。


「入口で駄目」


「雑」


「でも覚えやすいです」


 次。


 棄却。


 手続自体は適法。


 ちゃんと審理した。


 しかし請求には理由がない。


 だから退ける。


「つまり?」


「中まで見たけど駄目」


「やっぱり雑だな」


「試験直前はこれで十分です」


 片桐所長が言いました。


「ただし、本番では言葉を戻せ」


「はい」


 そう。


 覚えるための言葉と、


 法的に正確な言葉は分ける。


 却下。


 不適法だから、本案判断に入らず退ける。


 棄却。


 適法な不服申立てについて審理した結果、請求に理由がないとして退ける。


「松浦さんの場合」


 私は言いました。


「最初の書類には不備があった」


「うん」


「でも補正できた」


「うん」


「指定期間内に補正した」


「だから、少なくともその不備だけを理由に入口で終わる話ではなくなった」


「そうだ」


 そこで初めて。


 看板撤去処分は妥当だったのか。


 という本題へ進める。


「逆に」


 私は続けました。


「補正期限を過ぎても何もしなかったら?」


「不適法のまま残る」


「はい」


「で、却下」


「そうです」


 私は丸をつけました。


 補正制度は、


 請求を勝たせる制度ではない。


 請求を、


 審理できる形まで整える制度。


「ここ、松浦さんも最初勘違いしかけましたよね」


「補正したら勝てるのかって言ってたな」


「はい」


 補正成功。


 イコール。


 本案勝訴。


 ではありません。


「行政不服審査で勝訴って言うな」


「雰囲気です」


「裁決だ」


「はい」


 直しました。


 補正した。


 だから審査請求は適法な形になった。


 そこから。


 処分に違法または不当があるか。


 請求に理由があるか。


 そこを審理する。


 そして。


 理由がなければ棄却される。


「つまり」


 私はペンで矢印を書きました。


 不備。


 ↓


 補正可能。


 ↓


 補正命令。


 ↓


 期限内に補正。


 ↓


 本案審理へ。


 その横に別ルート。


 不備。


 ↓


 補正命令。


 ↓


 期限内に補正しない。


 ↓


 不適法のまま。


 ↓


 却下。


「分かりやすいな」


 相馬先輩が言いました。


「でしょう」


「珍しく」


「最後の一言いります?」


 そして。


 もう一つ。


 もっと重要な分岐があります。


「所長」


「何だ」


「補正できない不適法ってありますよね」


「ある」


「そこです」


 私はノートに、


 補正不能。


 と書きました。


 例えば。


 単なる記載漏れではどうにもならないもの。


 そもそも不服申立ての要件を満たしていない。


 法定期間を経過していて、救済される事情もない。


 審査請求の対象にならないものを争っている。


 そういう場合です。


「名前を書き足せば直る、みたいな話じゃない」


「そうだ」


 片桐所長が言います。


「形ではなく、入口そのものがない」


「なるほど」


 補正可能な不備。


 直せば入口へ立てる。


 補正不能な不適法。


 直しようがない。


 ここを分けなければならない。


「現代法では」


 私はノートの反対側に書きました。


 第二十三条。


 審査請求書が法定の記載要件に違反する場合、


 審査庁は相当の期間を定めて補正を命じる。


 そして第二十四条。


 補正期間内に補正しなければ、


 審理手続を経ないで却下裁決ができる。


 さらに。


 審査請求が不適法で、


 補正できないことが明らかな場合も、


 同じく審理手続を経ずに却下できる。


「現代法だと、ここの構造がかなり見えやすく書かれてるんですね」


「昔は?」


「旧法では条文が分かれています」


 旧法第二十一条。


 補正可能なら補正命令。


 旧法第四十条第一項。


 審査請求が法定期間経過後にされた場合その他不適法な場合は、


 裁決で却下。


 そして同条第二項。


 審査請求に理由がないときは、


 裁決で棄却。


「つまり」


 相馬先輩が言いました。


「今の法律だと、補正しなかったら審理手続を経ず却下できる、って流れが条文上かなりはっきりしてる」


「そうです」


「昔は補正の条文と裁決の条文をつなげて読む」


「そういう感じです」


 ここ。


 転生者としては面白い。


 同じような考え方が、


 制度改正によって、


 整理され、


 条文上も見えやすくなっている。


「でも」


 私は言いました。


「今回の昭和六十三年の事件で、現代法第二十四条をそのまま使ったことにはできません」


「当たり前だ」


「まだ存在してませんから」


「未来の条文で昔の役所殴ったら化け物だろ」


「言い方」


 私は大きく囲みました。


 ――昭和六十三年の事件は、旧法第二十一条+第四十条。


 ――現代の試験では、第二十三条+第二十四条+第四十五条。


「第四十五条?」


 相馬先輩が聞きます。


「現代法で、処分についての審査請求の裁決です」


 審査請求が不適法なら、


 却下。


 理由がなければ、


 棄却。


「じゃあ教材の二十四条だけ覚えて終わりじゃねえな」


「そうです」


 第二十四条は、


 審理手続を経ないで却下できる場面を定めている。


 でも。


 最終的な、


 不適法だから却下。


 理由がないから棄却。


 という基本整理は、


 裁決の条文と合わせて理解する必要があります。


「ここ試験で出ます」


 私は言いました。


「どう出る」


「『審査請求に理由がない場合、却下する』」


「誤り」


「はい。棄却です」


「『不適法な審査請求は棄却する』」


「誤り。却下です」


「『補正可能な不備がある場合、直ちに却下できる』」


「誤りです」


「なぜ」


「補正可能なら、まず相当期間を定めて補正を命じる」


「じゃあ補正期間内に直さなかったら」


「却下できる」


「補正不能なら?」


「最初から審理手続を経ずに却下できる」


「よし」


 なんでしょう。


 完全に口頭試験です。


「先輩」


「何だ」


「私、仕事してるんですか、受験勉強してるんですか」


「両方だろ」


「効率いい」


「給料は一人分だ」


「急に現実!」


 私はノートへ戻りました。


 もう一つ。


 現場編で重要だったこと。


 補正と本案を分ける。


「所長、昨日『分けろ』って言いましたよね」


「言った」


「これ、本当に大事ですね」


 松浦さんの件では、


 二つの問題が同時にありました。


 一つ。


 審査請求書に不備がある。


 二つ。


 看板撤去処分そのものに問題があるかもしれない。


 この二つを混ぜると、


 話がおかしくなる。


「最初の請求書が雑だった」


 私は言いました。


「だから看板撤去処分も正しい」


「そんな理屈にはならん」


「逆も同じですよね」


「何がだ」


「看板撤去処分が明らかにおかしそうだから、書類の不備は無視していい」


「それも違う」


「はい」


 手続は手続。


 本案は本案。


 補正すべき不備は直す。


 そのうえで、


 処分の適法性・妥当性を審理する。


「制度って冷たいですね」


 私は言いました。


「また始まった」


「でも褒めてるんです」


 松浦さんが、


 商売に困っています。


 看板がなくなったら客が減る。


 長年営業している。


 かわいそう。


 だから書類が不完全でも通してあげよう。


 ではない。


 逆に。


 書類が不完全だ。


 だから看板撤去処分の中身なんて見る必要はない。


 でもない。


「直せる不備は、直させる」


「うん」


「直ったら、本案を見る」


「うん」


「本案に理由がなければ棄却する」


「そうだ」


「本案に理由があれば、それに応じた裁決をする」


「そういうことだ」


 人に同情したから順番を曲げるのではなく。


 順番を守るから、


 人の言い分が雑に捨てられない。


 そこが、


 制度の冷たさが人を救うところです。


 私は次の見出しを書きました。


 旧法と現代法。


「ここから転生者ゾーンです」


「嫌な名前つけるな」


「でも毎回ここが危険なんです」


 昭和六十三年。


 旧法。


 審査請求と異議申立てが併存。


 審査請求期間は原則六十日。


 審理員制度なし。


 行政不服審査会への諮問制度なし。


 松浦さんの場合は、


 県の出先機関の処分について、


 教示に従い県知事へ審査請求。


「現代なら」


 私は別欄へ書きます。


 不服申立ては原則として審査請求へ一本化。


 期間は原則三か月。


 審理員制度あり。


 原則として行政不服審査会等への諮問制度あり。


「補正の考え方そのものは残ってる」


「はい」


「でも制度の周りがかなり変わってる」


「そうなんです」


 ここが面白い。


 旧法から現代法になって、


 不服申立ての入口が整理された。


 異議申立てと審査請求が並んでいた複雑さを減らし、


 原則として審査請求へ一本化。


 そして。


 審理の公正さを高めるため、


 審理員制度などが導入された。


「松浦さんの件だと」


 私は言いました。


「県の審査担当が処理するとはいえ、昭和六十三年ですから、現代の審理員が出てきたら駄目」


「だから誰なんだ、その審理員って」


「未来の人です」


「未来人はお前一人で足りてる」


「私もそう思います」


 制度改正というのは。


 昔の制度が全部間違っていたから、


 突然新しくした。


 という話ではありません。


 実務で出てきた分かりにくさ。


 公正さへの疑問。


 手続の複雑さ。


 そういう積み重ねが、


 今の制度につながっている。


 だから。


 新旧を並べると、


 単なる暗記ではなく、


 なぜ変わったのかが見えてくる。


「先輩」


「何だ」


「補正制度って、旧法にも現代法にもあるじゃないですか」


「あるな」


「ここは制度として捨てられなかった」


「必要だからだろ」


「ですよね」


 請求人は法律の専門家とは限らない。


 むしろ普通の人です。


 処分を受けて、


 納得できない。


 でも。


 審査請求書に何を書けばいいか分からない。


 そこで。


 小さな記載ミス一つで全部終了。


 では救済制度として厳しすぎる。


 だから。


 補正できるものなら、


 直す機会を与える。


「ただし」


 所長が言いました。


「期限は守る」


「はい」


「補正命令を放置していいわけではない」


「そこ重要ですね」


 補正制度は優しさですが。


 無期限の優しさではない。


 相当の期間を定める。


 その期間内に補正する。


 しなければ、


 却下の可能性が出る。


 つまり。


 救済の道を残す制度である一方、


 手続をいつまでも宙ぶらりんにしない制度でもある。


「行政側だって永遠には待てない」


「そうだ」


「だから期間を区切る」


「そうだ」


 この辺り。


 行政法らしい。


 人を救う。


 でも。


 手続も進める。


 両方を制度で調整しています。


「じゃあ問題です」


 相馬先輩が言いました。


「急ですね」


「松浦さんが補正命令を無視して、三か月後に来た」


「まずいです」


「何が」


「指定された補正期間を過ぎている」


「でも本人は、『忙しかった』と言ってる」


「事情は確認しますけど、当然に何か月でも待ってもらえるわけじゃない」


「補正しないままだったら?」


「不適法な審査請求として却下され得る」


「じゃあ」


 先輩が煙草を指で回しました。


「補正命令を出す前から、どうやっても直せない不適法だと分かってる」


「現代法なら第二十四条二項」


「昭和なら?」


「旧法第四十条第一項で、不適法な審査請求として却下」


「補正命令は?」


「直せないんだから、補正を命じても意味がありません」


「よし」


 私はノートに書きます。


 補正は万能ではない。


 直せる不備を直す制度。


 直せない不適法を魔法で適法に変える制度ではない。


「これ、試験で引っかけやすいですね」


「どういうふうに」


「『すべての不適法な審査請求について、必ず補正を命じなければならない』」


「誤り」


「はい。補正できる場合です」


「補正不能なら?」


「却下へ」


「じゃあ『不備があれば直ちに却下』」


「それも誤り。補正できるなら補正の機会を与える」


「よし」


 私はペンを置きました。


「先輩、今日すごい試験官ですね」


「お前が間違えるからだ」


「まだ間違えてません」


「未来の二十四条持ち出しかけただろ」


「それは認めます」


 私はノートの下へ、


 大きく三段階を書きました。


 一。


 適法性を確認する。


 二。


 不備が補正可能なら補正させる。


 三。


 入口を通ったら本案を審理する。


「これでいいですか」


 所長を見る。


「もう一つ」


「何です?」


「結果を混ぜるな」


「あ」


 私は書き足しました。


 入口で不適法。


 ――却下。


 本案まで審理したが理由なし。


 ――棄却。


 本案に理由あり。


 ――認容方向の裁決。


「そこだ」


 片桐所長が言いました。


「似た言葉で覚えるな」


「構造で覚えろ、ですね」


「そうだ」


 なるほど。


 却下。


 棄却。


 字面で覚えるから混乱する。


 手続のどこにいるのか。


 入口なのか。


 中身なのか。


 そこから考えればいい。


「門前か、中身か」


 私は呟きました。


「それで覚えろ」


 相馬先輩が言います。


「却下は門前」


「はい」


「棄却は中身」


「はい」


「じゃあ、かき氷は?」


「何の話ですか」


「食うか食わねえか」


「本案関係ないでしょう!」


 でも。


 先輩はもうレモンの瓶を持っています。


「所長」


「何だ」


「先輩が勝手に開けようとしてます」


「止めろ」


「却下ですか」


「違う」


「棄却?」


「審理するまでもない」


「それ却下寄りですよ」


「こはる」


「はい」


「遊ぶな」


「すみません」


 私はノートへ戻りました。


 最後。


 今日の一行の覚え書き。


 いつものところです。


 最初に思いついたのは、


 ――直せる不備は直す。直らなければ却下。中身に理由がなければ棄却。


「長いな」


 相馬先輩が言います。


「まだ書いてる途中です!」


「顔に書いてある」


 この事務所、読心術師多すぎません?


 私は少し考えました。


 そして。


 大きく書きました。


 ――却下は入口、棄却は中身。直せる入口は、まず補正。


「どうです」


「悪くねえ」


「褒めました?」


「気のせいだ」


「またそれ」


 片桐所長がノートをちらりと見ます。


「一つだけ覚えておけ」


「何です?」


「補正は、粗探しの制度じゃない」


 私はペンを止めました。


「本案へ進めるための制度だ」


 短い。


 でも。


 今日の全部がそこにありました。


 松浦さんの書類は、


 完璧ではなかった。


 むしろかなり足りなかった。


 それでも。


 直せるなら直す。


 直ったなら、


 看板撤去処分そのものを審査する。


 役所が勝つか。


 松浦さんが救われるか。


 それはまだ分からない。


 でも。


 少なくとも。


 字が足りなかった。


 欄が埋まっていなかった。


 押印がなかった。


 そういう直せる理由だけで、


 人の言い分全部を捨てない。


 法律の言葉は、


 今日も冷たい。


 不適法。


 補正。


 却下。


 棄却。


 どれも、


 松浦さんの看板よりずっと無愛想です。


 でも。


 冷たい言葉だからこそ、


 順番を守れる。


 何が足りないのか。


 直せるのか。


 直せないのか。


 入口を通ったのか。


 中身まで見たのか。


 感情ではなく、


 手続の位置で判断する。


 だから。


 書類を書くのが上手な人だけが、


 救済制度を使えるわけではない。


 最初につまずいた人にも、


 立ち直れる場所が用意されている。


 補正という言葉は地味です。


 多分。


 行政法用語人気投票をしても、


 かなり下です。


 でも。


 松浦さんにとって。


 あの補正命令は、


 「書類が駄目です」


 という死亡通知ではありませんでした。


 むしろ。


 ――まだ直せます。


 という紙だった。


 そう考えると。


 少しだけ、


 見え方が変わります。


 そのとき。


 事務所の電話が鳴りました。


 私が取ります。


「はい、片桐行政書士事務所です」


『松浦です』


「あ、松浦さん」


『今、県から連絡がありまして』


「はい」


『道路管理課から弁明書が出たそうです』


 私は姿勢を正しました。


「つまり」


『これから、中身を見るそうです』


 その声が。


 少し嬉しそうでした。


「よかったですね」


『まだ勝ったわけじゃないでしょう?』


 私は笑いました。


「はい」


『でも』


 一拍。


『やっと看板の話になりました』


「……はい」


 それでいい。


 今はそれでいい。


 私は受話器を置きました。


「松浦さん?」


 相馬先輩が聞きます。


「はい」


「どうした」


「弁明書が出たそうです」


「本案入りか」


「はい」


 私はノートの最後に、


 もう一行だけ足しました。


 ――人を救うのは、勝ち負けだけじゃない。まず中身まで話を届けること。


「一行増えてるぞ」


「これは感想です」


「一行の覚え書きは?」


 私は指差しました。


 ――却下は入口、棄却は中身。直せる入口は、まず補正。


「よし」


「採点者ですか」


「で」


 相馬先輩が言いました。


「かき氷どうする」


「まだ言ってる」


「松浦さんから連絡来ただろ」


「だから?」


「機械、借りられる」


「法律相談からかき氷機借用に話をつなげないでください!」


 片桐所長が静かに言いました。


「却下」


 相馬先輩が止まりました。


「何がです?」


「かき氷」


「理由は?」


「寒い」


 私は吹き出しました。


「先輩」


「何だ」


「これは不適法ですかね」


「知らん」


「補正できます?」


「夏まで待て」


「補正期間、長いなあ」


 窓の外では、


 秋の風が古い看板を小さく揺らしていました。


 松浦金物店の看板が、


 来年もそこにあるかは分かりません。


 でも。


 少なくとも今は。


 入口で終わってはいない。


 それだけで。


 昨日より少しだけ、


 先へ進んでいました。

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