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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政不服審査法

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159/272

[行政不服審査法23条・審査請求の補正]現場編 「書き漏らしがありますから却下です」の罠。門前払いを急ぐ役所と、「直せる不備」を本案まで戻す補正命令

挿絵(By みてみん)

 書類に一つ空欄があるだけで、人の言い分まで空白になることがあります。


 住所。


 日付。


 処分の名前。


 不服を申し立てる理由。


 役所へ出す紙には、書かなければならないことが多い。


 だからといって。


 書き漏らしを見つけた瞬間、


 ――はい、失格。


 と紙ごとゴミ箱へ放り込んでいいわけではありません。


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


 その日の朝、私は一枚の紙を前にして、鉛筆を止めていました。


「……先輩」


「何だ」


「役所の書類って、空欄が一個あると急に怖く見えません?」


「お前が埋め忘れたのか」


「違います」


「じゃあ怖がるな」


「相談者が埋め忘れたんです」


「もっと怖いな」


 そうなんです。


 もっと怖いんです。


 私の机の上にあるのは、


 ――審査請求書。


 しかも。


 すでに提出済み。


 さらに。


 県から戻ってきた連絡メモには、


 ――記載不備あり。


 と赤鉛筆で書かれていました。


 向かいに座っている男性が、帽子を膝の上で握りしめています。


 榊原源治さん。


 六十二歳。


 駅裏で、小さな焼き芋屋を営んでいます。


 店といっても立派なものではありません。


 古い木造家屋の一階。


 間口二間。


 冬は焼き芋。


 春から秋は団子とお茶。


 奥さんと二人で三十年以上続けてきた店です。


 問題は店の前でした。


 店先には幅の狭い歩道があり、その端に小さな木製の日除けが張り出しています。


 昔から県道沿いに設置され、道路占用の許可を受けてきた。


 ところが今年。


 駅前再整備に伴う歩道整備を理由に、


 県の土木事務所長から、


 ――道路占用許可の更新を認めない。


 という処分が出たのです。


「日除けを取ったら、商売できないんですか」


 私が聞くと、榊原さんは首を振りました。


「できんことはないです」


「じゃあ……」


「ただねえ」


 榊原さんは少し困ったように笑いました。


「雨の日に、お客さんが店の前に立てんのです」


「ああ」


「うちは中が狭いもんでね。焼けるのを待つ人は、みんなあそこに立つんですよ」


 なるほど。


 日除け一枚。


 それだけなら、小さな問題に見えます。


 でも。


 店の中に待つ場所がない。


 雨の日に傘を差した人が歩道へ広がれば、かえって危ない。


 冬の商売では、焼き上がりを待つ時間もある。


「それで、自分で審査請求を?」


「役所でもらった紙に、不服なら県へ言えるって書いてあったもんで」


「書き方は誰かに聞きました?」


「いやあ」


 榊原さんは照れたように頭をかきました。


「見よう見まねで」


 私は審査請求書の控えを見ます。


 氏名。


 住所。


 処分の内容。


 審査請求の趣旨。


 理由。


 審査請求の日付。


 かなり頑張っています。


 というより。


 六十二歳の焼き芋屋さんが一人でここまで書いたなら、私は普通に拍手したい。


 ただ。


 一か所。


 空欄がありました。


「『処分があったことを知った年月日』」


「そこですか」


「はい」


「通知の日付は書いたんですがね」


「通知を受け取った日とは別ですから」


「ああ……」


 榊原さんが肩を落としました。


「それで駄目なんですか」


「まだ分かりません」


 私は答えました。


「県からは何て?」


「電話が来まして」


「はい」


「書類に不備があるから、このままじゃ扱えないって」


「扱えない?」


「それで昨日、市役所にも行ったんです。駅前の話だから、市のほうにも相談してみようと思って」


 嫌な予感がしました。


「誰と話しました?」


「沢渡さんっていう課長さん」


 出た。


 うちのシリーズにおける、


 役所の壁・人間型。


「何て言われました?」


「書類はちゃんと書かんと駄目でしょうって」


「まあ、そこはそうですね」


「それから」


 榊原さんは、少しだけ俯きました。


「『審査請求っていうのは正式な手続ですから、不備があれば却下されても仕方ありません』って」


 私は止まりました。


 相馬先輩も煙草を持ったまま止まりました。


「……却下?」


「はい」


「もう裁決が来たんですか」


「さいけつ?」


「書面で『却下する』って通知が来ました?」


「いや。電話だけです」


 私は息を吐きました。


 まだだ。


 まだ門は閉じていません。


 というか。


 その門。


 役所が勝手に閉めようとしているだけじゃないでしょうね。


「こはる」


 片桐所長が奥から言いました。


「条文」


「はい」


 私は机の脇に置いてあった六法を開きました。


 ここで脳内の現代知識が元気よく手を挙げます。


 行政不服審査法第二十三条。


 審査請求書の補正。


 審査請求書が十九条に違反する場合には――。


 待て。


 私は手を止めました。


 違う。


 今は昭和六十三年。


「……またか」


 相馬先輩が言います。


「何がです?」


「お前、六法開いて三秒くらい固まっただろ」


「未来の条文番号が邪魔をしました」


「医者行け」


「行政法の症状です」


 危ない。


 現代なら審査請求書の補正は第二十三条。


 でも。


 今ここで動いているのは、昭和三十七年制定の旧行政不服審査法。


 私は旧法を確認します。


 そして。


 見つけました。


「……二十一条」


 小さく呟く。


「何だ」


 所長が聞きます。


「審査請求が不適法でも、補正できるものなら」


 私は文字を追いました。


「審査庁は相当の期間を定めて、補正を命じなければならない」


 相馬先輩が煙草を灰皿へ押しつけました。


「じゃあ話は早いな」


「はい」


 榊原さんが不安そうに私たちを見ます。


「どういうことでしょう」


 私は六法を閉じました。


「空欄があること自体は、問題です」


「はい」


「でも、その空欄が後から直せるものなら」


「ええ」


「いきなり『書類が不完全だから終わり』にはできません」


 榊原さんの顔が少し上がりました。


「直していいんですか」


「むしろ、直す機会を与えるための手続があります」


「でも、役所の人は却下になるって」


「却下になる場合はあります」


 ここは誤魔化さない。


「ただし」


 片桐所長が言いました。


「順番がある」


 榊原さんが所長を見る。


「順番?」


「直せる不備なら、まず直させる」


 短い。


 でも。


 それで十分でした。


 私は急に、頭の中の霧が晴れるのを感じました。


 そうか。


 これは、


 不備があるか、ないか。


 だけの話じゃない。


 不備がある。


 では、その不備は補正できるのか。


 補正できるなら、補正の機会を与えたか。


 それでも直さなかったのか。


 そこまで順番に切る話です。


 昨日までテキストで見たら、


 補正。


 相当期間。


 命じなければならない。


 はい、暗記。


 で終わっていたところ。


 今は違う。


 目の前に、


 焼き芋屋さんの冬がぶら下がっています。


「県へ行きましょう」


 私は言いました。


「その前に市役所だ」


 相馬先輩が立ち上がりました。


「え?」


「駅前再整備の資料を取る」


「補正の話じゃなくて?」


「補正して終わりじゃねえだろ」


「あ」


「審査請求が生き残ったら、次は中身で戦う」


 そうでした。


 書類を門の中へ入れることと、


 門の中で勝つことは別です。


 相馬先輩。


 こういうとき、妙に格好いい。


 本人に言うと一週間くらい威張るので言いませんけど。


 市役所。


 駅前整備担当。


 沢渡課長は、私たちを見るなり眼鏡の位置を直しました。


「今日は榊原さんの件ですか」


「話が早い」


 相馬先輩が言います。


「昨日いらっしゃいましたから」


「審査請求は不備があれば却下されても仕方ないと言ったそうだな」


「一般論です」


「便利ですね、一般論」


 私が言うと、沢渡課長はこちらを見ました。


「朝比奈さん。また何かありますか」


「あります」


「でしょうね」


 何ですか、その最初から面倒を予測している感じ。


 私は榊原さんの審査請求書の控えを出しました。


「空欄は一つです。処分を知った年月日」


「形式上の不備ですね」


「補正できますよね」


「県の審査請求でしょう。私に言われても」


「昨日は却下の話までしたじゃないですか」


「それは一般論です」


「一般論、万能ですね」


 沢渡課長の顔は動きません。


 相変わらず感情という部品を標準装備していない。


「旧行政不服審査法二十一条」


 私は言いました。


「補正できる不適法ですよね」


 沢渡課長の目がわずかに細くなりました。


「勉強しましたね」


「元からです」


「怪しいですね」


「何でですか」


「前に六十日と三か月を間違えかけていたので」


「覚えてたんですか!」


 嫌な記憶力。


「ともかく」


 私は咳払いしました。


「直せる不備なら、いきなり却下じゃない」


「それはそのとおりです」


 あっさり。


「え」


「何です?」


「もっと抵抗するかと」


「法律に書いてあることに抵抗してどうするんです」


 この人。


 本当に敵役として扱いづらい。


 固い。


 でも、筋が通ると急に開く。


「では昨日の説明は?」


「『不備があれば却下されても仕方ない』とは言いました」


「はい」


「『直せる不備でも補正させずに直ちに却下できる』とは言っていません」


「細い!」


「法律は細いところで結論が変わります」


「それを住民に伝わるように説明してください!」


「そこは反省しましょう」


 反省するんだ。


 沢渡課長は机の書類を一枚取りました。


「県の土木事務所にも確認しました。まだ却下裁決は出ていません」


「電話したんですか」


「駅前整備に関係しますので」


 そして、私たちの前へ置きます。


「それより片桐先生。こちらのほうが問題かもしれません」


 地図でした。


 駅前整備計画図。


 色鉛筆で区域分けされています。


 第一期。


 第二期。


 将来整備区域。


 榊原さんの店は――。


「……第二期?」


 私が言いました。


「ええ」


「第一期工事、いつです?」


「今年度」


「第二期は?」


「早くても三年後です」


 相馬先輩が地図を指で叩きました。


「日除け、今すぐ外す理由は何だ」


「県側の判断です」


「市から要望したんだろ」


「駅前景観整理として、一括整理を求めたのは市です」


「三年後の工事まで?」


「そこは」


 沢渡課長が少しだけ黙りました。


「再確認が必要でしょう」


 来た。


 この沈黙。


 役所側の論理に、小さな亀裂が入ったときの沈黙です。


「つまり」


 私は地図を見ました。


「審査請求書の補正が通れば、この話を審査してもらえる」


「そうなります」


「でも空欄一個で入口から追い返されたら」


「そこまで届かない」


 沢渡課長が答えました。


 私は、その言葉を頭の中で反芻しました。


 そこまで届かない。


 補正。


 地味です。


 派手さなんて欠片もない。


 処分を取り消す制度じゃない。


 勝たせる制度でもない。


 ただ。


 書き損じで、


 本当に見てもらうべき問題まで捨てられないようにする。


 そのための小さな歯止め。


「課長」


 私が言いました。


「これ、結構大事な制度ですね」


「今さらですか」


「文字で読むのと現場で見るのは違うんです」


「受験生みたいなことを言いますね」


「見習いですから!」


 危ない。


 転生者の身元が行政法から崩れそうです。


 県土木事務所。


 午後。


 榊原さんと一緒に、私たちは受付へ向かいました。


 担当者は四十代くらいの男性でした。


 机の上には、榊原さんの審査請求書。


「片桐行政書士事務所です」


 所長が名刺を置きます。


「榊原さんの審査請求について」


「はい。不備がありますので」


「補正命令は」


 所長が聞きました。


 担当者が止まりました。


「現在、確認中です」


「電話では『このままでは扱えない』と?」


「形式要件を満たしていませんので」


「それは分かっています」


 私が言いました。


「でも、直せます」


 担当者がこちらを見ます。


「処分を知った年月日の記載漏れだけです。榊原さん本人にも確認できます。通知を受け取った日も分かっています」


「書面の要件ですから」


「だから書面で補正します」


「朝比奈」


 相馬先輩が横から言いました。


「論点で喋るな」


「今、かなり論点そのものなんですが」


「榊原さんの話をしろ」


 また翻訳ですね。


 私は一度、息を吸いました。


「この人は」


 榊原さんを見る。


「期限内に審査請求を出しました」


 担当者は黙っています。


「何の処分を争うのかも書いてある。どうして納得できないのかも書いてある。住所も名前もある」


「はい」


「一つだけ、通知を受け取った日を書き忘れた」


「そうですね」


「その一つを後から書き足せるのに、それだけで中身を一度も見ないまま終わらせるんですか」


 担当者の表情が少し変わりました。


「……終わらせるとは言っていません」


「なら補正の手続をお願いします」


 私は言いました。


「相当の期間を定めて」


 所長が続けます。


「正式に」


 短い一言。


 それで空気が変わりました。


 担当者は審査請求書をもう一度見ます。


 それから電話を取りました。


 数分。


 確認。


 上司らしい人が来る。


 さらに確認。


 私は立ったまま待ちました。


 役所の五分って、どうして十分くらいに感じるんでしょう。


 時計にも行政裁量があるんでしょうか。


 やがて。


「榊原さん」


 担当者が言いました。


「補正をお願いすることになります」


 榊原さんが瞬きをしました。


「書き直していいんですか」


「全部を書き直す必要はありません。こちらから補正すべき箇所を示しますので、定めた期間内に補正してください」


「そうすれば」


「審査請求そのものについて、手続を進めます」


 榊原さんは、すぐには返事をしませんでした。


 両手で帽子を持ったまま。


「……聞いてもらえるんですね」


 とだけ言いました。


 その声で。


 私はようやく気づきました。


 この人が欲しかったのは、


 最初から勝利ではなかったのです。


 日除けを絶対残せ。


 役所が間違っていると認めろ。


 そういうことじゃない。


 一度でいい。


 なぜ三年後の工事のために、


 今年の冬から店の日除けを外さなければならないのか。


 その話を、


 ちゃんと聞いてほしかっただけです。


「はい」


 担当者が答えました。


「補正されれば、少なくとも記載漏れだけを理由に入口で終わることはありません」


 冷たい言い方です。


 でも。


 今は、その冷たさがありがたかった。


 補正できるなら補正させる。


 それだけ。


 榊原さんが善人だからでもない。


 三十年商売をしてきたからでもない。


 焼き芋が美味しいからでもない。


 誰の書類であっても、


 補正できる不備なら、


 まず直す機会を与える。


 そう決めてある。


 条文は冷たい。


 だからこそ。


 人によって門を開けたり閉めたりしない。


 三日後。


 片桐行政書士事務所。


 正式な補正命令が届きました。


 補正すべき事項。


 処分があったことを知った年月日。


 補正期間。


 七日間。


「七日」


 私は紙を見ました。


「これなら十分ですね」


「今日出すぞ」


 相馬先輩が言いました。


「え、七日あるのに」


「七日あるから七日寝かせる奴が一番危ねえ」


「受験勉強にも刺さる言葉」


「知らん」


 榊原さん本人に確認。


 処分通知が配達された日。


 家族にも確認。


 郵便物を置いている箱の横には、奥さんの日記までありました。


 ――十一月二日。県から源さん宛て封書。昼、芋仕込み。


 生活記録、強い。


 日常って、たまに最高の証拠です。


 補正書を作り、


 榊原さんに確認してもらい、


 期限を待たず提出。


 これで。


 審査請求はようやく中身へ進みます。


 もちろん。


 まだ勝っていません。


 日除けが残ると決まったわけでもない。


 県道管理上の必要性。


 歩行者の安全。


 駅前整備との整合性。


 道路占用の性質。


 そこはこれからです。


 けれど。


 最初から審査されないのと、


 審査されたうえで結論が出るのとでは、


 天と地ほど違います。


 さらに一週間後。


 県から連絡がありました。


 審査請求の本案審理に入る。


 そして処分庁である土木事務所にも、


 不許可の根拠となった駅前整備計画との関係について説明を求める。


「来ましたね」


 私は受話器を置きました。


「ああ」


 相馬先輩が言います。


「やっと入口だ」


「入口まで長かった」


「役所の入口は階段が多いんだよ」


「比喩ですよね?」


「半分な」


 その日の午後。


 沢渡課長が事務所へ来ました。


 珍しい。


 この人が向こうから来ると、台風より警戒したくなります。


「何です?」


「市から県へ資料を出すことになりました」


「駅前整備の?」


「ええ」


 沢渡課長は封筒を置きました。


「榊原さんの店先が第二期区域であること。少なくとも今年度中に工事予定がないこと。その点は明確に回答します」


「それって」


「県がどう判断するかは知りません」


「逃げた」


「権限が違いますから」


 正しい。


 悔しいけど正しい。


「ただ」


 沢渡課長が続けました。


「市としても、将来整備区域まで一律に占用を整理する必要があったのかは、再検討します」


「つまり?」


「一度整理します」


「役所用語ですね」


「役所ですので」


 相馬先輩が鼻で笑いました。


「最初からそこを見てりゃ早かったんだ」


「審査請求がなければ、見直すきっかけもなかったでしょう」


「認めるんですね」


「事実です」


 沢渡課長は立ち上がります。


 帰り際。


 私の机の補正命令書を見ました。


「朝比奈さん」


「はい」


「形式は大事ですよ」


「分かってます」


「形式に不備があると、手続が進まない」


「はい」


「ただし」


 沢渡課長は眼鏡を直しました。


「形式は、人の言い分を聞かないための口実ではありません」


 私は少し黙りました。


「……今日、いいこと言いましたね」


「いつも言っています」


「それは違うと思います」


「では」


 行ってしまいました。


 相馬先輩が呟きます。


「あいつ、本当に役人か」


「役人だから言うんじゃないですか」


 たぶん。


 制度の壁を一番よく知っている人は、


 制度の扉がどこにあるかも知っています。


 問題は。


 そこまで辿り着く人が少ないことです。


 夕方。


 榊原さんが事務所へ来ました。


 大きな紙袋を二つ抱えて。


「お世話になりました」


「まだ終わってませんよ」


「分かってます」


「日除けが残るかどうかもこれからです」


「はい」


 それでも榊原さんは笑いました。


「でも、ちゃんと話を見てもらえることになったんでしょう」


「それは、はい」


「なら今日はそれで十分です」


 紙袋を机に置く。


 ふわっと。


 甘い匂い。


「まさか」


 相馬先輩の反応が早い。


「焼き芋です」


「よし」


「何が『よし』ですか」


「今日の差し入れは当たりだ」


「相談者の前で当たり外れを判定しないでください」


 紙袋の中には、


 新聞紙に包まれた焼き芋が何本も入っていました。


「こんなに?」


「補正ってのをしたんでしょう」


「はい」


「だからこっちも補正です」


 榊原さんがもう一つの袋を開きます。


「何です?」


「団子」


「増えてる!」


「焼き芋だけじゃ不備があるといかんで」


 相馬先輩が吹き出しました。


「親父さん、分かってきたじゃねえか」


「何を教えてるんですか」


 片桐所長が焼き芋を一本取ります。


「所長まで」


「冷める」


「まだ営業時間です」


「焼き芋に営業時間はない」


 行政書士事務所の実務に、


 焼き芋の適時処理という新しい概念が加わりました。


 私は一本受け取りました。


 熱い。


 半分に割る。


 黄色い湯気が立つ。


「甘い」


「今年は出来がいいんですよ」


 榊原さんが嬉しそうに言いました。


「日除けの件がどうなってもね」


「はい」


「話だけは、ちゃんとしてきます」


「はい」


「三年後に工事するなら三年後でもいい。安全のため外せっていうなら、それも聞きます。でも」


 榊原さんは少しだけ表情を引き締めました。


「書き漏らし一個で、『あんたの話は聞きません』ってなるのは、やっぱり寂しいからねえ」


 私は頷きました。


 そのとおりです。


 審査請求書には形式がある。


 書かなければならない事項もある。


 守らなくていいわけじゃない。


 でも。


 形式は、


 人を落とすための穴ではない。


 話をきちんと審査するための枠です。


 だから。


 直せるなら直させる。


 それから中身を見る。


 順番を飛ばさない。


 今日の教訓は、たぶんそれでした。


 私は焼き芋を食べながら呟きます。


「条文って、思ったより優しいですね」


 相馬先輩が眉を上げました。


「どこがだ」


「『補正を命じなければならない』ってところです」


「命令だぞ」


「だからです」


 お願いでもない。


 気が向いたらでもない。


 親切でやってあげてもいい、でもない。


 直せる不備なら、


 直す機会を与える。


 役所側にそう命じている。


「冷たい言い方なのに」


 私は言いました。


「その冷たさが、人を門前払いから守ることもあるんですね」


 片桐所長が焼き芋の皮をむきながら言いました。


「法律は、人を選ばない」


 短い。


 いつものことですが。


 今日はいちばん腹に落ちました。


 私は机の隅に置いてあった自分のメモを見ます。


 そこには午前中、


 勢いで書いた文字がありました。


 ――空欄=却下?


 私は鉛筆を取り、


 大きく横線を引きました。


 その下へ書き直します。


 ――直せる不備なら、まず補正。中身を見るのは、その先。


「こはる」


 相馬先輩が言いました。


「お前の団子、一個もらうぞ」


「嫌です」


「四本あるだろ」


「私のです」


「補正しろ」


「何をですか」


「俺の分が欠けてる」


「それは不備じゃありません」


「相当の期間を定める。三秒」


「勝手に補正命令を出さないでください」


「三」


「短すぎる!」


「二」


「相当期間じゃない!」


「一」


「却下します!」


「お前が却下するのかよ」


 榊原さんが腹を抱えて笑いました。


 片桐所長は無言で団子を一本取りました。


「あっ」


「所長!」


「補正した」


「それ、ただの現物強奪です!」


「一本減ったな」


 相馬先輩が言います。


「不備が増えた」


「増やしたのそっちでしょう!」


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


 どうやらここでは、


 補正を命じる前に、


 まず差し入れの管理方法を補正する必要がありそうです。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

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