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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政不服審査法

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155/288

[行政不服審査法21条・処分庁経由による審査請求]現場編 「県庁まで今日中に持っていけなければ終わりです」の嘘。遠い審査庁と、期限ぎりぎりの申立てをつなぐ“経由”の一枚

挿絵(By みてみん)

 締切というものは、距離に容赦がありません。


 あと一日。


 あと一時間。


 あと一本、早い電車に乗れていれば。


 そんな事情を聞いて、時計が止まってくれることはありません。


 けれど。


 法律というものは、ときどき。


 その「遠い」を、ちゃんと計算に入れてくれています。


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


 午後三時四十分。


 私はお茶を淹れようとしていました。


 正確には。


 淹れるふりをして、お茶請けの栗羊羹を一切れ確保しようとしていました。


「朝比奈」


 相馬先輩が新聞から顔も上げずに言いました。


「はい」


「それ、三切れ目だろ」


「違います」


「何が」


「二切れ半です」


「半分なら無罪になると思うなよ」


「刑法じゃないんだから」


「所長の羊羹だぞ」


 私は包丁を止めました。


 それは早く言ってください。


 所有権の帰属が分かった瞬間、食欲が急速に適法化を拒否しました。


 そのとき。


 事務所の扉が勢いよく開きました。


「すみません!」


 入ってきたのは、四十代くらいの男性でした。


 作業着。


 額に汗。


 手には茶封筒。


 そして。


「今日までなんです!」


 はい。


 この言葉。


 法律事務所で聞きたくない日本語、かなり上位です。


 相馬先輩が新聞を畳みました。


「何が今日までだ」


「審査請求です」


 私は羊羹を置きました。


 羊羹どころではありません。


「座ってください」


 男性は椅子に腰を下ろすより先に、茶封筒から紙を取り出しました。


 処分通知書。


 静岡県浜松土木事務所。


 道路占用許可更新申請。


 不許可。


 申請者。


 森岡俊夫。


 駅前通りで小さな靴修理店を営んでいる人でした。


 店の前。


 公道の一部に、昔から小さな日よけと看板を出していた。


 毎年、必要な許可を取ってきた。


 ところが今年。


 駅前再整備に伴う歩道整備計画を理由に、更新が認められなかった。


「看板だけなら外せるんです」


 森岡さんは言いました。


「でも、日よけまで駄目だって」


「日よけがないと困ります?」


「雨の日に修理品を出せなくなるんです」


 店は狭い。


 修理を待つ靴。


 受け取り待ちの靴。


 革。


 工具。


 作業台。


 それだけで店内はいっぱいになる。


 今までは、日よけの下をちょっとした受け渡し場所にしてきたという。


「駅前工事が始まるなら、仕方ないと思ってました」


「始まるんですか」


「来年の秋からだそうです」


「……来年?」


「はい」


 私は通知の日付を見ました。


 今年の春。


 処分を知った日。


 そこから数える。


 嫌な予感がしました。


「森岡さん」


「はい」


「この通知を受け取ったのは?」


 日付を聞く。


 私は机の上のカレンダーへ手を伸ばしました。


 一日。


 二日。


 三日。


 数える。


 もう一度数える。


 嫌な汗が出ました。


「先輩」


「何だ」


「今日……」


「ああ」


 相馬先輩も気づいたようでした。


「六十日目だ」


 森岡さんが頷きました。


「そう言われました」


「誰にです?」


「土木事務所です」


「いつ?」


「さっき」


 私は顔を上げました。


「さっき?」


「最初は、どうせ役所には勝てないと思ってたんです」


 森岡さんは俯きました。


「でも、商店会の人から、片桐先生のところなら相談してみろって」


「それで今日?」


「昼休みに土木事務所へ行って、審査請求したいって言ったんです」


「はい」


「そしたら――」


 森岡さんが唇を噛みました。


「『審査請求するなら、県庁ですよ』って」


 私は瞬きをしました。


「県庁」


「静岡市の」


 遠い。


 ここ湖西市からなら、電車を乗り継いでもかなりかかる。


 まして午後三時四十分。


「審査庁は県知事?」


 相馬先輩が通知を見る。


「そうみたいです」


 森岡さんが答えました。


「県庁まで持っていこうと思ったんです。でも午後の仕事があって……やっと抜けられたのが三時で」


「それで」


「駅に行ったら、今からじゃ役所の受付時間に間に合わないって」


 なるほど。


 今日が六十日目。


 審査請求先は県知事。


 県庁までは遠い。


 そして。


「土木事務所では受け取ってもらえなかった?」


「はい」


 私は止まりました。


「何て言われました?」


「『ここは処分をしたところですから、審査するところじゃありません』って」


 あ。


 頭の奥で。


 何かが引っかかりました。


 処分庁。


 審査庁。


 違う。


 それは正しい。


 審査請求は、処分庁以外の行政庁に対してする。


 昭和六十三年の旧行政不服審査法。


 処分庁に上級行政庁がある場合には、原則としてその直近上級行政庁に審査請求。


 この件では、土木事務所長の処分について県知事へ。


 そこまではいい。


 でも。


 でも。


「待って」


 私は呟きました。


「何だ」


 相馬先輩が言います。


「審査するところじゃないのは分かります」


「うん」


「でも」


 何かあった。


 絶対あった。


 受験生だったころ。


 問題集の隅。


 よくある正誤問題。


 審査請求書は必ず審査庁へ直接提出しなければならない。


 正しいか。


 誤りか。


 私は確か。


 大きな赤丸を――。


「あっ」


「何だ」


「経由」


 相馬先輩が眉を上げました。


「経由?」


「処分庁経由です!」


 頭の中で、眠っていた条文が飛び起きました。


 現代法なら第二十一条。


 処分庁等を経由する審査請求。


 でも。


 待て。


 ここは昭和六十三年。


 条文番号まで同じとは限らない。


 むしろ絶対違う。


「先輩、六法!」


「そこだ」


 私は棚から行政法令集を引っ張り出しました。


 ページをめくる。


 行政不服審査法。


 昭和三十七年法律第百六十号。


 第十四条。


 審査請求期間。


 六十日。


 第十五条。


 審査請求書。


 第十六条。


 口頭による審査請求。


 そして。


「あった!」


 第十七条。


 処分庁経由による審査請求。


 私は指で条文を追いました。


 審査請求は。


 処分庁を経由してすることもできる。


「……できる」


 声が出ました。


 森岡さんが顔を上げます。


「何がです?」


「県庁まで行かなくていいかもしれません」


「え?」


「審査するのは県知事です」


「はい」


「でも、審査請求書そのものは、処分をした土木事務所を経由して出せます」


 森岡さんは私を見ました。


 次に。


 相馬先輩を見ました。


「でもさっき、そこじゃ受け取れないって」


「それが本当なら」


 相馬先輩が立ち上がりました。


「もう一回行くぞ」


 早い。


 本当にこういうときだけ早い。


「所長!」


 私は奥へ声をかけました。


 片桐所長が出てきます。


「何だ」


 私は事情を説明しました。


 今日が六十日目。


 審査庁は県知事。


 県庁へはもう間に合いそうにない。


 処分庁の土木事務所は、


 「ここは審査するところではない」


 として受け取らなかった。


 所長は条文を一度見ました。


「書面は」


「まだ完成してません」


 森岡さんが言いました。


「下書きだけなら」


「見せてください」


 茶封筒の中から、便箋が出てきました。


 私は読みます。


 処分。


 処分を知った日。


 趣旨。


 理由。


 教示。


 日付。


 必要な材料はかなり揃っている。


「正副二通」


 所長が言いました。


「作れるな」


「はい」


「急げ」


 そこからの事務所は戦場になりました。


 ただし。


 戦っているのは人ではありません。


 時間です。


「森岡さん、住所ここで間違いないですね」


「はい」


「処分を知った日、六月二十九日」


「はい」


「求めるのは不許可処分の取消し」


「そうです」


「理由は、工事開始が来年秋なのに今年から更新不許可とする必要性が乏しいこと。それと、近隣店舗の占用は一部更新されている?」


「はい。向かいの時計屋は通ったって」


「そこ、確認できます?」


「商店会長が知ってます」


 相馬先輩が電話を取ります。


「俺が聞く」


 片桐所長は私が書いた文面を一行ずつ削っていきます。


「『長年まじめに商売してきたにもかかわらず』はいらん」


「はい」


「『あまりにも血も涙もない』もいらん」


「それ森岡さんの下書きです」


「消せ」


「はい」


「感情は事実の後ろに置け」


 鉛筆が走る。


 私は書き直す。


 道路占用許可が長年更新されてきたこと。


 駅前整備計画自体を否定するものではないこと。


 しかし工事着手は相当先であること。


 現時点で直ちに占用継続を拒む必要性が明確でないこと。


 類似する近隣占用との取扱いの差について合理的理由が示されていないこと。


 処分の妥当性について再検討を求めること。


 時計を見る。


 四時十二分。


「できました!」


「二通」


「今写します!」


「複写機使え」


「あ」


 文明。


 昭和六十三年にも複写機はあります。


 転生してから、ときどき自分の脳だけ江戸時代へ行きます。


 紙が出てくる。


 森岡さんが署名押印。


 片桐所長が確認。


「行くぞ」


 相馬先輩が言いました。


「はい!」


「俺の車だ」


「安全運転で」


「お前が言うと腹立つな」


「期限直前だからって道路交通法まで不服申立てしないでください」


「誰がするか」


 四時二十五分。


 浜松土木事務所。


 私たちは受付へ駆け込みました。


 さっき森岡さんに対応したという若い職員がいました。


「あ」


 森岡さんを見て、少し困った顔をします。


「先ほどの」


「はい」


「県庁には――」


「行ってません」


 相馬先輩が審査請求書を置きました。


「ここへ出す」


 職員が眉を寄せました。


「ですから、審査請求先は県知事です」


「分かってる」


「こちらは処分庁ですので」


「それも分かってる」


 相馬先輩。


 今日は珍しく全部分かっています。


 私は横から法令集を開きました。


「行政不服審査法第十七条です」


 職員がこちらを見ました。


「第十七条?」


「審査請求は、処分庁を経由してすることもできます」


 私は条文を示しました。


「この土木事務所が審査庁になると言ってるんじゃありません」


「……」


「審査庁は県知事です」


「はい」


「でも、審査請求書は処分庁へ提出して、そこから審査庁へ送ってもらえる」


 職員は法令集に目を落としました。


 顔が変わります。


「少々お待ちください」


 奥へ行きました。


 森岡さんが小声で聞きます。


「大丈夫なんでしょうか」


「条文上は」


 そこまで言って。


 私は一番大事なところを思い出しました。


「先輩」


「何だ」


「期限」


「今日だろ」


「違います。経由した場合の期限の扱い」


 もし。


 今日ここへ出しても。


 県知事のところに届くのが明日以降なら。


 審査請求期間を過ぎる?


 そこまで考えた瞬間。


 胃がきゅっとなりました。


 でも。


 確か。


 第三項。


 私は慌てて条文へ目を戻します。


 あった。


 処分庁に審査請求書を提出した時に。


 審査請求があったものとみなす。


「……助かった」


「何だ」


「ここです」


 私は指しました。


「今日ここで出せば、期間の計算では今日審査請求したことになる」


 森岡さんが固まりました。


「県庁に届くのが明日でも?」


「はい」


「明後日でも?」


「処分庁が直ちに送らなきゃいけませんけど」


「でも、私の期限は?」


「今日ここに提出した時点で間に合います」


 森岡さんの肩から。


 本当に。


 目に見えるくらい力が抜けました。


「……よかった」


 その一言が小さかった。


 私はその声を聞いて。


 初めて分かりました。


 教科書で見たときには、


 なんでこんな細かい規定があるんだろう。


 と思っていました。


 処分庁経由。


 提出時点。


 期間計算。


 赤線。


 丸暗記。


 それだけ。


 でも今。


 県庁から遠い町に住む人が、


 締切の日に、


 処分をした役所までなら行ける。


 その一日の差を救うための条文なんだ。


 法律というものは。


 こういうところで急に血が通います。


「お待たせしました」


 さっきの職員が戻ってきました。


 その後ろに。


 灰色の背広。


 細い眼鏡。


 感情を公文書保存箱に詰めて鍵をかけたような顔。


「また朝比奈さんですか」


「沢渡課長」


 なぜいる。


 あなた市役所の人でしょう。


「今日は県の土木事務所ですよ?」


「駅前整備の合同協議です」


「ああ」


 縦軸が強い。


 町の開発計画、どこへ行っても顔を出します。


 沢渡課長は書類を見ました。


「森岡俊夫さん。道路占用許可の件ですか」


「ご存じで?」


「駅前整備対象区域ですから」


 相馬先輩が顎で受付を示します。


「処分庁経由で審査請求する」


「なるほど」


「さっきはここじゃ受け取れねえと言われた」


 若い職員が恐縮しました。


「申し訳ありません。審査庁が県知事なので、直接県庁へ提出するものだと思ってしまって」


 沢渡課長が言いました。


「審査庁と提出経路は別の話ですね」


「はい」


 さらっと言う。


 こういう人、本当に腹が立つくらい論点が早い。


「今日が六十日目です」


 私が言いました。


「処分庁へ今日提出すれば、期間の計算では今日審査請求があったものと扱われますよね」


 沢渡課長は第十七条を確認しました。


「そのとおりでしょう」


「県庁到着が明日でも」


「期間計算上は、処分庁に提出した時です」


 若い職員が、はっきり頷きました。


「受け付けます」


 森岡さんが目を閉じました。


 ほんの一瞬。


 それだけです。


 処分が取り消されたわけではありません。


 日よけが守られたわけでもない。


 県知事が森岡さんの主張を認める保証もない。


 でも。


 五分前まで。


 県庁に間に合わないから終わり。


 と思っていた道が。


 まだ閉じていない。


「受領印を」


 片桐所長が短く言いました。


 いつの間に。


「所長!?」


「来た」


「いつから?」


「さっき」


 忍者ですか。


 相馬先輩も気づいていなかった顔をしています。


 所長は提出した副本の扱いを確認し、受付日が分かるように控えを整えました。


「森岡さん」


「はい」


「今日は申立てが間に合っただけです」


「分かってます」


「中身はこれからだ」


「はい」


 森岡さんは。


 さっきよりずっとはっきり答えました。


 沢渡課長が審査請求書へ目を落とします。


「工事開始は来年秋」


「そう聞いています」


「今年から更新不許可」


「はい」


「近隣の占用は一部更新」


「はい」


 沢渡課長が眼鏡を押し上げました。


「論点にはなりそうですね」


「市側の人が言うんですか」


「私は県の処分を擁護する立場ではありません」


「ドライですね」


「合理的と言ってください」


「どっちでも大差ないです」


 沢渡課長は少しだけ口元を動かしました。


「ただし朝比奈さん」


「はい」


「経由できるからといって、提出先を適当に選べるわけではありませんよ」


「分かってます」


「本当に?」


「……たぶん」


「怪しいですね」


「今そこを掘らないでください」


 現代法の第二十一条が頭の中でちらつく。


 処分庁等を経由。


 審査請求期間は三か月。


 今は旧法。


 第十七条。


 六十日。


 異議申立ても別にある。


 審理員はいない。


 行政不服審査会への諮問もない。


 ああもう。


 法律改正、転生者の脳に優しくない。


 でも。


 今は一つだけ分かります。


「審査する役所と、書類を受け取れる役所は、同じとは限らない」


 私が呟くと。


 片桐所長が言いました。


「そこだ」


 土木事務所を出たのは、五時少し前でした。


 西日が駅前の道路を照らしています。


 工事予定地には測量杭。


 白線。


 商店街の古い看板。


 森岡さんの店も、この先にある。


「先生」


 森岡さんが振り返りました。


「はい」


「処分が取り消されるかは、まだ分からないんですよね」


 片桐所長が頷きます。


「分かりません」


「そうですよね」


「ただ」


 所長は言いました。


「今日で終わりではなくなった」


 森岡さんは。


 少し笑いました。


「それだけで十分です」


 この「十分」は。


 本当に十分という意味ではありません。


 日よけを残したい。


 店を続けたい。


 駅前整備がどうなるのか知りたい。


 争うことは山ほどあります。


 でも。


 話を聞いてもらう入口さえ閉じれば。


 中身を争うこともできない。


 期限。


 提出先。


 手続。


 そういうものは、とても冷たいです。


 一日遅れた。


 場所を間違えた。


 それだけで、本案まで届かないことがある。


 だからこそ。


 法律は、ときどき。


 入口の冷たさを、別の冷たい条文で少しだけ和らげています。


 処分庁を経由してもいい。


 そこへ出した時点で、期間上は間に合う。


 感情はありません。


 でも。


 その無表情な仕組みが、


 今日。


 一人の商売人から、


 「もう遅い」


 を取り除きました。


「朝比奈さん」


 森岡さんが言いました。


「これ、店で売ってるものじゃないんですけど」


「はい?」


 鞄から、小さな紙袋が出てきました。


「何です?」


「妻が持たせた栗羊羹です」


 私は固まりました。


 相馬先輩が笑います。


「運がいいな」


「先輩」


「何だ」


「法律って人を救いますね」


「今のお前は羊羹に救われてるだけだろ」


「両方です」


「現金な奴だ」


 事務所へ戻る。


 机の上には。


 私が切りかけた所長の栗羊羹。


 そして。


 森岡さんからもらった栗羊羹。


 二本。


「増えました」


「だから何だ」


「栗羊羹が処分庁経由で審査庁へ送付された感じですね」


「全然違う」


 相馬先輩が即答しました。


「じゃあこれは正本で」


「食うな」


「副本を私が」


「食うな」


「処分庁が直ちに送付を――」


「お前の胃袋は審査庁じゃねえ」


「厳しい!」


 片桐所長が椅子に座りました。


「こはる」


「はい」


「今日の論点は」


 私は羊羹から手を離しました。


 そこは大事です。


「審査請求先が処分庁と違っても、処分庁を経由して審査請求できる」


「それから」


「処分庁は、受け取った審査請求書を審査庁へ送る」


「それから」


「期限の計算は、処分庁に提出した時点」


 所長が頷きました。


「忘れるな」


「はい」


 私はノートの端に書きました。


 ――遠い審査庁に間に合わなくても、処分庁への提出で道がつながることがある。


 そして、その下。


 小さく。


 ――ただし昭和六十三年は旧法第十七条。現代法第二十一条と混ぜるな。


 転生者には、これがいちばん大事です。


 その夜。


 事務所を閉める前に電話が鳴りました。


「はい、片桐行政書士事務所です」


『浜松土木事務所です』


「はい」


『本日受領した森岡俊夫さんの審査請求書ですが』


 私は少し緊張しました。


「何か不備が?」


『いえ。審査庁である県知事宛てに送付する手続を取りました』


「もう?」


『処分庁経由ですから』


 なるほど。


 受け取ったら。


 処分庁の机で寝かせるための制度ではない。


 審査するのは別の行政庁。


 だから、そこへ回す。


「ありがとうございます」


『それと』


「はい」


『受付担当にも、同様の申立てがあった場合の扱いを周知することになりました』


 私は少し黙りました。


「今日の件で?」


『ええ』


「森岡さん一人のための話じゃなくなったんですね」


『同じ案内ミスを繰り返す必要はありませんから』


 電話を切る。


「先輩」


「何だ」


「土木事務所、受付方法を見直すそうです」


「そりゃそうだろ」


「一件で」


「一件あれば十分だ」


 片桐所長が言いました。


「制度は、使われて初めて穴が見える」


 私は窓の外を見ました。


 駅前へ続く道。


 その先に。


 今日、ぎりぎりで閉じなかった入口があります。


 法律の入口は狭い。


 期限もある。


 書類もいる。


 提出先だって決まっている。


 でも。


 決まっているからこそ。


 窓口の人の思い込みで、


 勝手に入口を消してはいけない。


 今日の教訓。


 審査する場所と、提出できる場所を混同しない。


 遠いから諦める前に、


 経由できないかを確かめる。


「こはる」


「はい」


「羊羹」


 所長が言いました。


「はい!」


「森岡さんのを切れ」


「喜んで!」


「俺のは触るな」


「そこ区別するんですか」


「処分庁が違う」


「羊羹に行政庁概念を持ち込まないでください!」


 相馬先輩が吹き出しました。


「お前が先に持ち込んだんだろ」


「そうでした」


 私は森岡さんの栗羊羹を切りました。


 一切れ。


 二切れ。


 三切れ。


「朝比奈」


「はい」


「今三切れ取っただろ」


「違います」


「何が」


「一切れ目を処分庁経由で二切れ目に送付して――」


「返せ」


「直ちに?」


「直ちにだ」


 旧行政不服審査法第十七条。


 処分庁は、受け取った審査請求書を審査庁へ送る。


 そして。


 どうやら片桐行政書士事務所では。


 私が受け取った栗羊羹も、


 直ちに共用皿へ送付しなければならないようです。


 こちらには、


 不服申立てのみちは。


 今のところ、なさそうでした。

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