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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政不服審査法

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154/287

[行政不服審査法20条・口頭による審査請求]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 夕方の片桐行政書士事務所には、白菜漬けの匂いが残っていました。


 正確には。


 残っているというより、


 完全に事務所を占領しています。


「先輩」


「何だ」


「法律事務所って、こんなに漬物臭くていいんですか」


「行政書士事務所だ」


「訂正するところそこです?」


「それに白菜漬けはうまい」


「論点が違う!」


 相馬先輩は湯呑み片手に、


 神谷栄吉さんが持ってきてくれた白菜漬けを、


 もう三切れ食べています。


「先輩」


「何だ」


「さっき二切れでしたよね」


「そうだったか」


「増えてます」


「時間が経ったからな」


「自然増殖みたいに言わないでください」


 私は白菜漬けの皿を、


 さりげなく自分の側へ寄せました。


 そしてノートを開きます。


 今日の見出し。


 ――口頭による不服申立て。


 その下。


 ――「口頭」とは、「記録しない」という意味ではない。


 ここに、


 二重線。


「長えな」


 相馬先輩が覗き込みます。


「まだ見出しです」


「見出しで結論言ってるぞ」


「大事なんです」


 昨日。


 神谷さんは、


 仮設市場の使用許可を取り消されました。


 理由は、


 通路に商品箱を出し、


 市場管理上の指示に従わなかったから。


 でも。


 注意を受けたのは一度。


 その日のうちに是正。


 その後は再発なし。


 さらに。


 ほかの店舗にも似たような商品陳列があったのに、


 使用許可の取消しまでされたのは神谷さんだけでした。


 そして。


 その処分については、


 条例上、


 口頭による不服申立てが認められていた。


 だから神谷さんは、


 書面ではなく、


 口頭で申し立てた。


「ここまでは昨日ですね」


「ああ」


「で、今日の主役が」


 私はノートへ書きます。


 ――録取。


 ――読み聞かせ。


 ――誤りがないことの確認。


「地味だな」


 相馬先輩が言いました。


「はい」


「ものすごく地味だな」


「はい」


「それで一話やるのか」


「やります」


「強いな」


 だって。


 昨日、


 この地味な手続が、


 実際に神谷さんを救いかけたんです。


 私はペン先で、


 録取。


 の文字をとんと叩きました。


「まず」


 私は言いました。


「現代の行政不服審査法二十条では」


「未来の話か」


「比較です」


「ならいい」


 現代。


 口頭で審査請求ができる場合。


 審査請求人は、


 書面なら書かなければならない事項を、


 口頭で陳述する。


 そして行政庁は、


 その内容を録取する。


 つまり。


 役所側が書き取る。


「ここ、昨日ちょっと感動したんですよ」


「どこに感動要素がある」


「だって」


 私は言いました。


「口頭なのに、最後は文字になる」


「当たり前だろ」


「当たり前じゃないですよ」


 普通。


 口頭でいい。


 と言われたら。


 喋る。


 聞いてもらう。


 終わり。


 そう思います。


 でも。


 行政不服審査法上の口頭申立ては違う。


 何を言ったのか。


 その内容を、


 行政庁が記録として残す。


「つまり」


 私は書きました。


 口頭申立て。


 =記録不要。


 ではない。


 むしろ。


 本人が審査請求書を書かない代わりに、


 行政庁が本人の陳述を記録する。


「ここ試験で引っかけられそうですよね」


「どういうふうに」


「口頭による審査請求では、申立内容は記録されない」


「誤り」


「はい」


「行政庁が録取する」


「そうです」


 私は丸をつけました。


「じゃあ」


 相馬先輩が言います。


「何でも喋ればいいのか」


「それも違う」


「なぜ」


「書面で出すときに必要な事項を、口で言わなきゃいけないから」


「そうだな」


 ここです。


 口頭だから、


 自由形式。


 ではない。


 口頭だから、


 必要事項がなくなる。


 でもない。


 書面なら、


 申立人。


 処分。


 処分を知った日。


 趣旨。


 理由。


 教示。


 年月日。


 そうした必要事項を書く。


 口頭の場合も、


 中身は同じ。


 ただ、


 書く代わりに話す。


「昨日の神谷さんなら」


 私は指を折ります。


「誰が」


「神谷栄吉」


「どの処分」


「仮設市場使用許可の取消し」


「いつ知った」


「前日」


「何を求める」


「取消処分の取消し」


「理由」


「一度注意されたが即日是正、その後再発なし。他店舗との扱いにも差がある」


「そう」


 それを、


 順番に口で伝えた。


 だから、


 神谷さんの七枚の手紙は、


 市役所では五分くらいに縮みました。


「ひどい言い方するな」


「でも本当です」


「奥さんとの馴れ初めは?」


「不服申立てには不要」


「洪水の話は?」


「不要」


「叔父さんが結婚式で飲みすぎた話」


「もっと不要」


 でも。


 ここ、


 すごく大事です。


 法律が要求する項目は、


 話を冷たく切ります。


 これは必要。


 これは不要。


 そこを分ける。


 神谷さんの人生を軽く見るわけではありません。


 ただ。


 今回、


 行政に何を判断してほしいのか。


 そこから外れる話を、


 いったん横へ置く。


「法律って」


 私は言いました。


「人の話を短くしますね」


「そうか?」


「はい」


「でも必要なところは残す」


 片桐所長が帳簿を見ながら言いました。


 私は振り向きました。


「そこです」


 短くする。


 でも。


 削ってはいけないものまで削るわけではない。


 昨日、


 神谷さんは言いました。


 ――駅前整備に反対しているわけではない。


 ――決まった日までは商売したい。


 これ。


 形式的な記載事項だけ見れば、


 なくても申立て自体はできたかもしれません。


 でも。


 事件の意味を理解するには、


 ものすごく重要でした。


「神谷さんは、再開発を止めろとは言ってなかった」


「ああ」


「今の場所を永久に使わせろとも言ってない」


「ああ」


「ただ、自分だけ予定より早く店を奪われるのはおかしいと言ってた」


「そうだな」


「だから争点が」


「開発の是非じゃなく、取消処分の重さになる」


「はい」


 口頭というのは、


 本人の言葉が出やすい。


 これ、


 実務上の面白いところです。


 こちらが書面を整えすぎると、


 どうしても法律用語になります。


 裁量権。


 比例。


 平等。


 判断過程。


 それは大事。


 でも。


 本人自身が言う、


 「工事は反対じゃない。ただ、決まった日までは商売したい」


 という言葉は、


 法律用語より一瞬で事件の形を見せることがあります。


「だから口頭申立てって」


 私は言いました。


「書けない人のためだけの制度じゃないんですね」


 所長が顔を上げました。


「そう決めつけるな」


「はい」


 文字を書くことが苦手な人。


 書面作成が難しい人。


 そういう人にとって使いやすい面はある。


 でも。


 制度の意味を、


 単に弱者向けの簡易版と考えると狭すぎる。


 正式な不服申立てを、


 法律や条例が認める場合には口頭でもできる。


 そして。


 口頭だからこそ、


 行政庁側に録取という仕事が生まれる。


 私は次の見出しを書きました。


 ――読み聞かせ。


「ここです」


「昨日、お前が一番興奮してたところか」


「興奮してません」


「『これですか!』って顔してたぞ」


「してたかもしれません」


 昨日。


 職員が神谷さんの陳述を書き取り、


 最後に読み上げました。


 そこで。


 一か所。


 違いが見つかった。


 役所の記録。


 ――他の店舗については同様の違反がない。


 神谷さんの言いたかったこと。


 ――他の店舗にも商品箱を出しているところがある。


 全然違います。


「一見似てるけど」


 私は言いました。


「法的な意味はかなり変わる」


「ああ」


「前者なら、神谷さんだけが違反してたように見える」


「後者なら、類似事例があることになる」


「そう」


「処分の均衡を比べる材料にもなる」


「そこです」


 読み聞かせ。


 ただの確認ではない。


 誤った記録で手続が進むのを防ぐ。


 本人が、


 その場で、


 それは違う。


 と言える。


「これ」


 私はペンを止めました。


「思ったより大きいですね」


「何が」


「行政側が書いた文章を、そのまま行政側だけのものにしない」


 相馬先輩がこちらを見ました。


「続けろ」


「本人に返すんです」


「うん」


「あなたの言ったことを、こちらはこう記録しました」


「うん」


「合ってますか」


「うん」


「違えば直す」


「そうだ」


 ここ。


 制度の冷たさが、


 人を守るところです。


 役所の職員が悪意を持っているとは限りません。


 むしろ、


 普通は悪意なんてない。


 でも。


 聞き間違える。


 まとめすぎる。


 言葉を行政用語へ変換する。


 主語を落とす。


 意味を善意で補う。


 人間です。


 やります。


 だから。


 本人に戻す。


 読み聞かせる。


 確認する。


「悪意を前提にしなくても歯止めは必要」


 私は書きました。


「そうだ」


 所長が言いました。


 制度というものは、


 いい人が担当だから大丈夫。


 では作れません。


 人は間違える。


 だから、


 確認手続を置く。


 冷たい。


 でも。


 その冷たさが、


 担当者個人の性格から権利を切り離してくれる。


「それに」


 私は昨日の神谷さんを思い出します。


 役所が自分の言葉を読み上げる。


 本人が聞く。


 違いがあれば訂正する。


 神谷さんは、


 それで初めて、


 ――ちゃんと話を聞いてもらった気がした。


 と言いました。


「不思議ですね」


「何が」


「書面より、口頭のほうが人間味ありそうなのに」


「うん」


「その人間味を守るために、ものすごく事務的な確認をする」


 相馬先輩が鼻で笑いました。


「法律らしいな」


「ですよね」


 私は次へ進みます。


 ――現代法と旧法の違い。


「来ました」


「未来人事故防止講座か」


「そうです」


 今回は特に注意。


 教材は現行法。


 舞台は昭和六十三年。


 同じような仕組みがあっても、


 細部は同じではない。


「まず現代」


 私は書きます。


 現代の行政不服審査法二十条。


 口頭で審査請求をする場合。


 必要事項を陳述。


 行政庁が録取。


 陳述人に読み聞かせ。


 誤りがないことを確認。


「そこまで」


「はい」


「昭和は?」


 相馬先輩が聞きます。


「旧法では、そこから押印まで」


「昨日神谷さんがやったな」


「はい」


 朱肉。


 三文判。


 ぽん。


 あれです。


 未来の感覚で、


 確認した。


 終わり。


 と思っていた私は、


 相馬先輩に、


 印鑑。


 と言われて止まりました。


「未来人、弱えな」


「法改正には弱いんです!」


 でも。


 この差は試験でも物語でも大事です。


 現行法の問題で、


 口頭による審査請求について、


 行政庁は録取後、


 陳述人に読み聞かせて確認させ、


 さらに押印させなければならない。


 と出たら。


「現代では?」


「押印までは要求されていない」


「そう」


 逆に。


 昭和六十三年のこの物語では、


 旧法の方式として押印が出てくる。


「つまり」


 私は大きく書きました。


 ――似ている制度でも、時代によって最後の一手が違う。


「試験で昭和の話は出ねえだろ」


「今の試験は現行法です」


「じゃあ何で覚える」


「私が昭和にいるからですよ!」


 転生者、


 受験には不要な旧法知識が、


 生活必需品です。


 世にも珍しい状況です。


「もう一個」


 私は書きます。


 旧法。


 異議申立て。


 審査請求。


 二本立て。


 現代。


 原則として審査請求に一本化。


「今回の神谷さんは?」


「この物語上は、条例に特別の定めがあって、口頭による不服申立てが認められている」


「うん」


「でも、その前提として旧法上どの不服申立てを使う事件なのかは確認が必要」


「そうだ」


 口頭か書面か。


 それは、


 方式の問題。


 異議申立てか審査請求か。


 それは、


 手続の種類の問題。


「混ぜるな」


 所長が言いました。


「はい」


 ここ、


 大事です。


 口頭でできる。


 だから異議申立て。


 ではない。


 書面だから審査請求。


 でもない。


 何という不服申立てを使うのか。


 どういう方式で申し立てるのか。


 別の論点です。


「行政法って」


 私は言いました。


「別々の箱を、見た目が似てるからって一緒にすると事故りますね」


「お前よく事故ってるな」


「勉強中です!」


 私はノートに箱を書きました。


 一つ目。


 何を使う?


 審査請求か異議申立てか。


 二つ目。


 いつまで?


 申立期間。


 三つ目。


 どうやって?


 書面か口頭か。


 四つ目。


 何を伝える?


 必要事項。


 五つ目。


 口頭なら?


 録取、読み聞かせ、確認。


「こうすると」


 私は言いました。


「全然別ですね」


「最初からそうだ」


「受験生には全部『不服申立て』って塊に見えるんですよ」


「だから落ちる」


「縁起でもない!」


 次。


 口頭申立てが認められる条件。


「昨日の現場編でも出ました」


 原則。


 書面。


 例外。


 他の法律などに、


 口頭でできる旨の特別な定めがある場合。


 現代法なら、


 条例に基づく処分については条例による定めもあり得る。


「だから」


 私は言いました。


「口頭申立ての二十条だけ覚えても駄目なんですね」


「十九条とセットだな」


「はい」


 そもそも、


 口頭でできる場面なのか。


 まずそこ。


 できる。


 となって初めて、


 二十条の方法へ進む。


「試験問題なら」


 私は言います。


「審査請求人は、いつでも口頭で審査請求をすることができる」


「誤り」


「審査庁が認めれば口頭でできる」


「誤り」


「緊急なら口頭でできる」


「根拠が要る」


「法律等に口頭でできる旨の定めがある場合」


「それ」


 シンプル。


 でも、


 こういうところは一点を落としたくありません。


 私はノートに、


 ――「口頭でできるか」は本人の都合ではなく、根拠規定で決まる。


 と書きました。


「それで」


 相馬先輩が白菜漬けを一切れ取ります。


「あ」


「何だ」


「今、私の側から取りましたね」


「机に境界線はない」


「不当です」


「不服申立てしろ」


「後でします!」


 話を戻します。


 次。


 口頭申立ての意味。


 昨日。


 私は最初、


 口頭申立てを、


 書面作成が苦手な人のための、


 簡単な方法。


 くらいに考えていました。


 もちろん、


 それも一面です。


 でも。


 神谷さんの事件では、


 別の意味が見えた。


 本人の言葉。


 そのまま出た。


 そして行政が録取した。


 そこで、


 争点がはっきりした。


 駅前整備反対。


 ではない。


 営業継続を永久に求める。


 でもない。


 通路違反を一度したことも認めている。


 問題は。


 是正済みなのに、


 なぜ自分だけ使用許可取消しという重い処分なのか。


「これ」


 私は言いました。


「もし役所側が最初から『駅前整備反対の人だ』って思い込んでたら」


「話がずれる」


「ですよね」


 実際。


 処分の裏には、


 仮設市場の縮小。


 神谷さんの区画を先に空けたい。


 という事情がありました。


 でも通知には、


 通路違反しか書かれていなかった。


 だから、


 神谷さん本人も、


 何で自分だけ。


 と分からなかった。


 そこで不服申立てをした。


 録取された言葉を見直す。


 ほかの店も箱を出している。


 自分は即日直した。


 再発もない。


 それでも取消し。


 均衡がおかしい。


 調べた。


 別の事情が出てきた。


「つまり」


 私は言いました。


「口頭申立てそのものが処分を取り消したんじゃない」


「当たり前だ」


「でも」


「本人の主張が正確に記録されたことで、どこを調べるべきか分かった」


「そうだな」


 ここ、


 カタルシスがあります。


 大声で役所を打ち負かしたわけではない。


 書類を何十枚も出したわけでもない。


 ただ、


 一人の老人の言葉を、


 行政が正確に文字へ変えた。


 そして。


 その記録に沿って事実を確かめたら、


 処分の雑さが見えた。


「法律って」


 私は呟きました。


「正しく聞くための仕組みでもあるんですね」


 片桐所長が頷きました。


「聞くだけじゃ足りん」


「残す」


「そうだ」


 私はそこを囲みました。


 ――聞く。


 ――残す。


 ――本人に返す。


 これ。


 口頭申立ての三段階。


「試験の言葉に戻すと?」


 相馬先輩。


「陳述」


「うん」


「録取」


「うん」


「読み聞かせ」


「うん」


「誤りがないことの確認」


「それでいい」


 短い。


 覚えやすい。


 私は横に、


 ――しゃべる→書き取る→読み返す→確認。


 と書きました。


「受験用?」


「超受験用」


「最初からそれでいいじゃねえか」


「物語を経てから覚えると忘れないんです!」


 次。


 誰が録取するか。


「行政庁」


「そう」


 本人が自分でメモするのではない。


 同行した行政書士が書けばいい、


 でもない。


 陳述を受けた行政庁が録取する。


「じゃあ」


 相馬先輩が言います。


「行政庁が録取して終わり」


「駄目」


「なぜ」


「読み聞かせが要る」


「本人が読めば?」


 少し考えます。


「条文は、行政庁が陳述人に読み聞かせて、誤りのないことを確認する仕組み」


「そうだな」


 ここも、


 用語としては細かい。


 でも。


 昨日の神谷さんを思い出すと、


 意味が分かる。


 書いた人と、


 話した人。


 別人です。


 だから。


 書いた側の理解を、


 話した本人へ戻す。


 それが必要。


「伝言ゲームの逆ですね」


「何だそれ」


「伝言ゲームは、最後に変わって笑う」


「うん」


「これは最後に原文へ戻して、変わってたら直す」


 相馬先輩が少し考えました。


「珍しく分かりやすいな」


「褒めました?」


「気のせいだ」


「またそれ」


 私はさらに、


 昨日の市役所でのやり取りを書き出しました。


 行政の録取。


 ――他の店舗については同様の違反がない。


 神谷さん。


 ――違います。


 行政。


 ――では?


 神谷さん。


 ――他店舗にも箱を出しているところがある。ただし注意されたかは分からない。


 ここで記録修正。


「これだけで」


 私は言いました。


「主張の質が変わりますね」


「ああ」


「神谷さんは、他店が違反してるって断定してない」


「見た事実だけ言ってる」


「行政から注意されたかは知らない」


「そこを分けた」


「はい」


 これも法務の基本。


 知っていること。


 推測。


 評価。


 分ける。


「神谷さん、思ったより慎重でしたね」


「お前よりな」


「比較対象がひどい!」


 でも確かに。


 本人に読み聞かせるからこそ、


 自分の発言も整理される。


 ――そこまでは知らない。


 ――そこは自分が見た。


 ――これは自分の意見。


 そう修正できる。


 口頭申立ては、


 ただの発言録ではありません。


 主張を確定する工程でもある。


 私は次に、


 ――書面申立てとの違い。


 と書きました。


「大きな違いは?」


 相馬先輩。


「誰が文字にするか」


「それだな」


 書面。


 申立人側が審査請求書を作る。


 口頭。


 申立人は必要事項を陳述。


 行政庁が録取。


「でも最終的には」


「どっちも内容が特定される」


「はい」


 だから。


 書面と口頭。


 入口は違う。


 でも。


 曖昧なまま進めていいわけではない。


 口頭だから、


 形式ゼロ。


 ではない。


 ここ、


 本当に大事です。


「口頭のほうが簡単ですか?」


 私は聞いてみました。


 所長が答えます。


「人による」


「ですよね」


 文章を書くのが苦手な人なら、


 口頭のほうが使いやすい。


 逆に。


 話すのが苦手な人なら、


 書面で整理したほうがいい。


 口頭には、


 その場で言葉をまとめる難しさもある。


 だから神谷さんも、


 事前に私たちと整理しました。


「制度上できることと」


 私は言いました。


「本人に向いてる方法は別ですね」


「そうだ」


 これ。


 実務っぽい。


 法律上使える。


 だから必ずそれを使う。


 ではない。


 本人の事情。


 事件の内容。


 期間。


 記録。


 証拠。


 それを見て、


 使いやすい方法を選ぶ。


 ただし。


 今回のように、


 条例で口頭が認められていて、


 本人の言葉が争点を見せる事件では、


 口頭にも意味があった。


 私はノートを少し見返しました。


「じゃあ、試験向けに一気にやります」


「来たな」


「問題一」


 審査請求を口頭でする場合、


 審査請求人は必要事項を陳述しなくてもよい。


「誤り」


「必要事項は陳述する」


「問題二」


 口頭による審査請求を受けた行政庁は、


 その内容を録取する必要はない。


「誤り」


「録取する」


「問題三」


 行政庁は録取した内容を陳述人に読み聞かせ、


 誤りがないことを確認しなければならない。


「正しい」


「現行法なら?」


「そこまで」


「旧法の昭和六十三年なら?」


「さらに押印」


「よし」


「問題四」


 口頭による審査請求は、


 本人が希望すれば常に認められる。


「誤り」


「根拠規定が必要」


「問題五」


 口頭申立てなら、


 審査請求の趣旨や理由は不要。


「誤り」


「必要事項を口で述べる」


「完璧」


 私は満足して頷きました。


「先輩、行政書士試験受けません?」


「嫌だ」


「即答」


「仕事増やしてどうする」


「資格の意味!」


 そこへ。


 電話が鳴りました。


 私が出ます。


「はい、片桐行政書士事務所です」


『神谷です』


「あ、こんにちは」


『昨日、市役所行ってきました』


「再整備の説明ですか」


『はい』


「どうでした?」


『ちゃんと説明してもらいました』


 神谷さんの声は、


 思ったより明るい。


『代わりの区画も見せてもらいました』


「使えそうです?」


『今の店よりちょっと狭い』


「ああ」


『でも水場が近い』


「それはいいですね」


『それと』


「はい」


『今度は、言われたことを全部メモしてきた』


 私は笑いました。


「成長が早い」


『朝比奈さんに言われたからな』


「私?」


『自分の言ったことがどう記録されたか確認しろって先生が言ってただろ』


「あれ所長です」


『そうだったか』


「私は横にいました」


『じゃあ朝比奈さんも言ったことにしといてくれ』


「記録を勝手に変えないでください!」


 電話の向こうで笑い声。


『でもな』


「はい」


『役所の人も、前より話が早かった』


「どういう意味です?」


『こっちが何を聞きたいか、最初に言った』


「なるほど」


『代替区画の広さ。いつ移るのか。今の店はいつまで使えるのか』


「はい」


『そしたら向こうも、その順番で答えてくれた』


 私は、


 少し胸が温かくなりました。


 不服申立てをしたから、


 役所に勝った。


 だけではない。


 神谷さん自身も、


 話の仕方を覚えた。


 何が知りたい。


 何を求める。


 どこが違う。


 そこを切り分ける。


 法律を使うって、


 こういうことかもしれません。


 条文を唱えることではない。


 自分の困りごとを、


 相手が答えられる形にする。


『それでな』


「はい」


『白菜、もう食ったか』


 急に生活に戻りました。


「食べました」


『相馬さんに全部食われてないか』


「危なかったです」


「聞こえてるぞ」


 相馬先輩が横から言いました。


『やっぱりか』


「やっぱりって何だ!」


 電話越しに神谷さんが大笑いしています。


『また持ってくよ』


「ありがとうございます」


『今度はきゅうり』


「先輩には少なめでお願いします」


「おい」


『分かった』


「勝手に合意すんな!」


 電話を切りました。


 事務所に、


 少し笑いが残ります。


 私はもう一度、


 ノートを見ました。


 陳述。


 録取。


 読み聞かせ。


 確認。


 どれも、


 単語だけなら地味です。


 ものすごく地味。


 行政書士試験でも、


 ものすごい大論点ではないでしょう。


 でも。


 神谷さんの事件では、


 その地味な確認が、


 一つの誤記を止めました。


 そして。


 本人の言葉を正確に行政の記録へ残した。


 その言葉を手がかりに、


 処分の本当の背景が見つかった。


 仮設市場縮小。


 駅前再整備。


 神谷さんの区画を先に空けたい事情。


 ばらばらだったものが、


 一本につながった。


「所長」


「何だ」


「録取って、証拠を作る作業でもあるんですか」


 所長は少し考えました。


「結果として残る」


「結果として?」


「目的を広げすぎるな」


「あ」


「まずは申立て内容を正確に記録する手続だ」


「はい」


「それが後で確認材料にもなる」


「なるほど」


 大事。


 何でも格好よく言い換えればいいわけではありません。


 録取のまず第一の役目は、


 口頭による申立ての内容を記録にすること。


 そして、


 読み聞かせによって、


 本人の陳述と記録がずれていないか確認すること。


 その結果。


 後に、


 何を主張していたか、


 という重要な記録になる。


「目的と効果を混ぜるな」


 相馬先輩が言いました。


「先輩まで先生みたいなこと言う」


「白菜食わせてもらったからな」


「授業料が安い」


 私は最後のページを開きます。


「一行の覚え書き」


「今度こそ一行にしろ」


「分かってます」


 考えます。


 口頭。


 必要事項。


 録取。


 読み聞かせ。


 確認。


 そして。


 言葉を残す。


 私は書きました。


 ――口頭申立ては、話して終わりじゃない。行政が記録し、本人が確かめて、初めてその言葉が手続に残る。


 相馬先輩が覗き込みます。


「長い」


「一行には入ってます!」


「字が小さい」


「物理的な話しないでください!」


「短くしろ」


「じゃあ」


 その下。


 ――しゃべる、書き取る、読み返す。口頭でも不服は記録にする。


「まあいい」


「褒めた」


「気のせいだ」


 今日もそれです。


 窓の外を見ると、


 駅前の空が少し赤くなっていました。


 あの向こうで。


 神谷さんは、


 あとしばらく今の店を続けます。


 そのあと。


 少し狭い代替区画へ移るかもしれない。


 店構えは変わる。


 客の流れも変わる。


 商売が同じように続く保証はありません。


 でも。


 少なくとも、


 何も説明されないまま、


 通路違反を理由に、


 自分だけ先に追い出されることは避けられそうです。


 大きな勝利ではありません。


 駅前再整備そのものが止まったわけでもない。


 行政計画は進みます。


 町は変わります。


 それでも。


 一人の商売を動かすなら、


 その人が何を言っているのか。


 行政はちゃんと聞く。


 聞いたなら残す。


 残したなら本人に返す。


 違えば直す。


 たったそれだけ。


 でも。


 その「たったそれだけ」がないと、


 人の言葉は、


 行政の都合のいい言葉へ、


 簡単に置き換わってしまう。


 法律の言葉は冷たい。


 陳述。


 録取。


 読み聞かせ。


 確認。


 少しも温かくありません。


 けれど。


 その冷たい手順が、


 誰かの言葉を勝手に丸めない。


 誰かの不満を、


 ただの苦情として消さない。


 そして。


 「私はそういう意味で言ったんじゃない」


 を、その場で止められる。


 それは。


 たぶんかなり優しい仕組みです。


「こはる」


 所長が言いました。


「はい」


「白菜」


 見る。


 皿に一切れ。


「最後ですね」


「分けろ」


「三人で?」


「そうだ」


 相馬先輩が言います。


「俺、大きいところでいいぞ」


「何でですか」


「年長者」


「所長のほうが上です」


「じゃあ所長が一番小さくていい」


「理屈が崩壊してる!」


 片桐所長が包丁を取りました。


 三つに切ります。


 どう見ても。


 一つだけ大きい。


「所長」


「何だ」


「大きさ違いますよね」


「誤差だ」


「異議があります」


「口頭で申し立てるか」


「はい!」


「必要事項を陳述しろ」


「申立人、朝比奈こはる!」


 相馬先輩が新聞の裏を出します。


「録取する」


「またやるんですか」


「処分の内容」


「白菜漬けの不公平配分!」


「知った日」


「今!」


「趣旨」


「均等にしてください!」


「理由」


「見れば分かるでしょう!」


「論点で喋れ」


「白菜に論点を要求しないでください!」


 相馬先輩が新聞の裏へ、


 さらさらと書きます。


「読み上げます」


「どうぞ」


「申立人朝比奈こはるは、自分だけ白菜漬けを多く食べたいので――」


「違います!」


「誤りあり」


「最初から悪意しかない!」


「訂正します」


「本当にしてください!」


 所長が、


 大きい一切れをさらに半分にしました。


「これでいい」


「あ」


 均等。


 私は黙りました。


 相馬先輩も黙ります。


「所長」


「何だ」


「申立て、通りました?」


「違う」


「じゃあ何です?」


「面倒だから直した」


「行政の適正な運営として最悪の動機!」


 相馬先輩が吹き出します。


 所長も、


 ほんの少しだけ口元を緩めました。


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


 口頭による不服申立ては、


 ただ喋ればいい制度ではありません。


 しゃべる。


 書き取る。


 読み返す。


 確かめる。


 そして必要なら、


 直す。


 どうやら。


 白菜漬け一切れでも、


 手続の核心は、


 意外と変わらないようです。

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