[行政不服審査法16条・標準審理期間]現場編 「受け付けてから考えます」の罠。止まった不服申立てと、“いつまで待つのか”を曖昧にしないための時間の物差し
役所に待たされるとき、一番つらいのは、長いことではありません。
いつまで待てばいいのか。
それが分からないことです。
一週間なのか。
一か月なのか。
半年なのか。
それとも。
机の隅で、誰にも思い出されないままなのか。
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所。
その日の朝、私は一枚の葉書をひっくり返していました。
「先輩」
「何だ」
「これ、裏も白いです」
「葉書だからな」
「そういう意味じゃありません」
私は葉書を机に置きました。
差出人。
県庁総務部。
内容。
たった二行。
――審査請求書を受領しました。
――審理の結果については、後日通知します。
以上。
本当に以上。
「後日って、いつです?」
「後日だろ」
「説明になってません」
「役所語だ。『分からん』を丁寧に言うと『後日』になる」
「偏見が年々熟成してません?」
「まだ今年しか知らねえだろ、お前」
転生者には痛い指摘です。
その葉書を持ってきたのは、
事務所の向かいで小さな洋菓子店を営む、
水野正吉さんでした。
五十二歳。
白い調理服の袖を何度もまくり直す癖があります。
店の名前は、
パティスリー水野。
……ではなく。
昭和らしく。
洋菓子のミズノ。
看板には、そう書いてあります。
ショーケースには、
シュークリーム。
プリン。
苺のショートケーキ。
そしてなぜか、
栗羊羹。
「洋菓子屋さんですよね」
初めて店に行ったとき、私は聞きました。
「親父の代からあるんだ」
「栗羊羹が?」
「うん」
「伝統って強いですね」
その水野さんの店が、いま困っていました。
二か月前。
保健所から営業に関する処分を受けたのです。
原因は、店の奥の増築部分。
数年前、水野さんが冷蔵設備を置くためにつくった小さな作業室について、
衛生設備上の問題があると指摘された。
水野さんは改善するつもりだった。
実際、排水設備の工事も発注していた。
ところが。
処分は先に出た。
一定期間、増築部分を製造場所として使用してはならない。
店全部の営業停止ではない。
けれど。
小さな店です。
作業台が一つ使えないだけで、
製造量は半分近く落ちる。
クリスマス前なら致命傷です。
「それで審査請求を?」
「ええ」
水野さんは頷きました。
「片桐先生に書いていただいて」
私は横の所長を見ました。
片桐所長は帳簿をめくったまま言います。
「一か月半前だ」
「もうそんなに?」
「四十六日」
相馬先輩が即答しました。
「数えてたんですか」
「水野さんが三日に一回聞きに来るから嫌でも覚える」
「すみません」
水野さんが頭を下げました。
「いや、そういう意味じゃねえ」
相馬先輩が少しだけ声を落としました。
口は悪い。
でも、こういうところは悪くない人です。
「県には確認したんですか?」
私が聞きました。
「しました」
「何て?」
「審理中です、と」
「いつ頃決まりそうかは?」
「分からない、と」
「目安は?」
「答えられない、と」
「……それはきついですね」
水野さんが笑いました。
笑ったというより。
口元だけ動かした感じでした。
「十二月なんです」
「はい」
「うちは十二月で、一年の売上のかなりの分を稼ぐんです」
あ。
そうか。
ケーキ屋。
今は十一月の終わり。
「クリスマスですか」
「はい」
「予約は?」
「もう始めています」
「増築部分が使えないままだと?」
「受けられる数を半分にします」
「半分」
「去年は百二十台でした」
「今年は?」
「六十が限界です」
六十台。
数字にすると軽い。
でも。
六十人分ではありません。
六十家族分です。
その売上で年を越す。
材料費を払う。
アルバイト代を払う。
来年の仕入れをする。
「審査請求が認められるかどうかとは別に」
水野さんが言いました。
「いつ頃答えが出るのかだけでも知りたいんです」
「……はい」
「十二月二十五日を過ぎてから、『あなたの言うとおりでした』と言われても」
そこで、水野さんは言葉を切りました。
「ケーキは、十二月二十六日に売れませんから」
重い。
行政法は、
後から正しさを確認できる制度をたくさん持っています。
でも。
現実には、
間に合わなければ意味が薄くなる救済もあります。
私は葉書をもう一度見ました。
――審理の結果については、後日通知します。
後日。
便利な二文字です。
明日も後日。
一か月後も後日。
桜が咲いても後日。
もはや時間のブラックホールです。
「先輩」
「何だ」
「審理にかかる標準的な期間って――」
言いかけて。
止まりました。
頭の中に、
現代の行政不服審査法が立ち上がります。
標準審理期間。
審査庁となるべき行政庁は、
審査請求が事務所に到達してから、
裁決まで通常要する標準的な期間を定めるよう努める。
定めたら、
公にしておかなければならない。
そう。
あれです。
十六条。
受験生時代には、
「努力義務」
「到達から」
「定めたら公表義務」
の三点セットで覚えたところ。
私は勢いよく顔を上げました。
「そうですよ!」
「何がだ」
「標準審理――」
そこで。
片桐所長がこちらを見ました。
「こはる」
「はい」
「今、何年だ」
「昭和六十三年です」
「もう一度」
「昭和六十三年です」
「その制度はあるか」
「……」
脳内で。
現代法の条文集が、
静かに閉じました。
「ありません」
「そうだ」
「ですよねえ……」
危ない。
また未来法を役所に投げつけるところでした。
行政法の転生者殺し。
第二弾です。
「何の話だ?」
水野さんが不思議そうに聞きます。
「いえ」
私は慌てて首を振りました。
「未来では便利な制度が――」
「朝比奈」
相馬先輩が睨みます。
「はい」
「水野さんを余計に混乱させるな」
「はい」
でも。
私は引っかかりました。
現代なら、
少なくとも、
通常どれくらいかかるのか。
標準的な期間を定めるよう努める制度がある。
それはなぜできたんだろう。
目の前の水野さんを見れば、
理由はかなり分かる気がします。
不服申立てをする。
受理される。
審理に入る。
そのあと。
いつ終わるか全く見えない。
それでは、
権利救済の道があっても、
生活の予定が立たない。
「所長」
「何だ」
「県庁へ行きませんか」
「何を聞く」
「期間です」
「さっき水野さんが聞いただろ」
「『いつ終わりますか』じゃありません」
私はノートを開きました。
「今、どこまで進んでるかを聞きます」
相馬先輩がこちらを見る。
「具体的に言え」
「審査請求書が届いた日」
「うん」
「形式上の不備があるのか」
「うん」
「補正を求める予定があるのか」
「うん」
「処分庁から記録は上がってるのか」
「うん」
「まだ何も始まってないのか、それとも審理途中なのか」
「それで?」
「『いつ終わるか分かりません』と、『どこまで進んでいるか分かりません』は別です」
相馬先輩の口元が少し動きました。
「続けろ」
「結論の日を約束させられなくても、今の位置は確認できます」
「そうだな」
「それが分かれば、水野さんも十二月の予約数を判断できます」
片桐所長が立ち上がりました。
「行くぞ」
「はい」
県庁は、市役所より空気が広い。
廊下も長い。
天井も高い。
そして。
待たされる椅子も多い。
「県庁って」
「何だ」
「待たせる前提で建物作ってません?」
「余計なこと言うな」
相馬先輩に止められました。
案内されたのは、
不服申立てを扱う総務関係の一室でした。
机の向こうにいたのは、
三十代半ばくらいの職員。
名札には、
高梨。
その横。
見慣れた灰色の背広。
「……沢渡課長?」
「朝比奈さん」
「なんで市役所の人が県庁にいるんですか」
「処分庁側の資料提出です」
「なるほど」
沢渡課長は相変わらず、
感情を五段階評価したら常に二くらいの顔をしています。
「今日は水野さんの審査請求ですか」
「そうです」
「市の件ではないので、私は口を挟みませんよ」
「珍しく公平ですね」
「私はいつも公平です」
相馬先輩が小さく鼻で笑いました。
聞こえてますよ。
絶対。
片桐所長が高梨さんへ言いました。
「水野正吉さんの件だ」
「ああ」
高梨さんが書類棚を見ました。
「審査中です」
出ました。
役所界の万能呪文。
審査中。
「いつ裁決が出る」
相馬先輩が聞きます。
「申し上げられません」
「なぜ」
「案件ごとに事情が異なりますので」
「今月中は」
「何とも」
「年内は」
「お約束できません」
「標準的にどれくらい――」
私が言いかける。
片桐所長が横目で見る。
「……かかるものなんでしょうか」
危ない。
標準審理期間という言葉を飲み込みました。
高梨さんは少し困った顔をしました。
「本件については、特に期間を定めておりません」
ですよね。
昭和ですもの。
「じゃあ聞き方を変えます」
私は言いました。
「審査請求書が県庁に届いたのはいつですか」
高梨さんが書類を確認します。
「十月九日ですね」
「十月九日」
「はい」
「その日に受け付けたんですか」
「いえ」
止まりました。
「え?」
「受付処理は十月十三日です」
「四日違う」
「休日を挟んでいますから」
「では、書類そのものは九日に着いていた」
「そうです」
私はノートに書きました。
十月九日。
到着。
十月十三日。
受付処理。
現代法の十六条が、
頭の中で派手に手を振っています。
起算点は、
受理してからではない。
事務所に到達してから。
もちろん。
今はその条文を使えません。
使えない。
でも。
なぜ未来の条文が「到達」を基準にしたのか。
私は少し分かった気がしました。
役所内部でいつ受付印を押したか。
そんな事情で、
住民から見た時間の始まりがずれるのはおかしい。
水野さんは九日に出した書類が届いた。
その日から、
待っている。
「その後、補正は?」
私は聞きました。
「ありません」
「形式上の不備は」
「特に」
「処分庁へ資料提出を求めたのはいつですか」
「十月二十一日です」
「資料はいつ来ました?」
「十一月四日」
私は止まりました。
「今日、十一月二十八日ですよね」
「そうですね」
「十一月四日から今日まで、何を?」
高梨さんの顔が少し硬くなりました。
「内容を検討しております」
「二十四日間?」
「他の案件もありますので」
「それは分かります」
私は言いました。
本当に分かります。
役所だって暇ではありません。
不服申立ては水野さん一件だけじゃない。
担当者も一人ではないでしょう。
でも。
「処分庁から資料が来たあと、追加照会はしました?」
「していません」
「水野さんへ質問は?」
「していません」
「口頭意見を聞く予定は?」
「今のところありません」
「じゃあ今は」
私はノートを見ました。
「判断待ちなんですね」
高梨さんは少し黙りました。
「まあ」
「資料が足りないわけじゃない」
「現時点では」
「補正待ちでもない」
「はい」
「他庁への照会待ちでもない」
「はい」
「単純に、判断する順番を待っている」
「……そういう面はあります」
空気が変わりました。
これです。
いつ終わるか分からない。
その巨大な霧が、
少しずつ分解されていく。
四十六日間ずっと審理していたわけではない。
十月九日に届いた。
十月二十一日に資料請求。
十一月四日に資料到着。
そこから。
二十四日。
机の上で順番を待っていた。
「高梨さん」
片桐所長が言いました。
「水野さんの営業事情は記録に入っているか」
「営業事情?」
「十二月の売上だ」
高梨さんが書類をめくります。
「増築部分が使えないことによる売上への影響は書かれています」
「クリスマス時期については」
「……具体的には」
「入ってないな」
「はい」
相馬先輩が私を見る。
「朝比奈」
「はい」
「水野さんの予約表、持ってきたな」
「あります」
私は鞄から紙を出しました。
前年十二月。
製造数。
売上。
今年の予約受付数。
作業台一つが使えないことによる製造能力。
水野さんと一緒に整理したものです。
「提出します」
高梨さんが受け取ります。
「これは?」
「今の処分状態がいつまで続くかで、実際の損失が大きく変わる資料です」
「審査請求の違法性判断とは直接――」
「直接ではないかもしれません」
私は言いました。
「でも、急いで判断する必要がある案件かどうかには関係しますよね」
高梨さんが黙りました。
横で沢渡課長が、
私のほうをちらりと見ます。
「十一月中に裁決してください、と言ってるわけじゃありません」
私は続けました。
「結論を約束してくださいとも言いません」
「では?」
「放っておいても来年まで同じ案件と、十二月二十五日を過ぎたら救済の意味が大きく減る案件を、同じ順番で置く必要がありますか」
高梨さんの指が、
予約表の上で止まりました。
「……事情は確認します」
「いつ?」
相馬先輩。
容赦がありません。
「確認します、じゃまた後日になる」
「相馬さん」
「こっちは四十六日待ってる」
「ですが――」
「裁決日を言えとは言ってねえ」
先輩が机を指で一度だけ叩きました。
「いつまでに、この資料を見て、処理順を再検討する」
高梨さんは数秒考えました。
「今週中には」
「今日が月曜だ」
「金曜までに」
「結果を連絡してもらえるか」
「処理状況について、ですね」
「それでいい」
私は思わず相馬先輩を見ました。
なるほど。
裁決の期限は取れない。
でも。
次にいつ確認するか。
そこは決められる。
無期限の「後日」が、
金曜日まで。
に変わる。
たったそれだけ。
でも。
水野さんにとっては全然違います。
「高梨さん」
沢渡課長が初めて口を開きました。
「何ですか」
「ひとつだけ」
「はい」
「届いてからかなり経っていますね」
「沢渡課長?」
私は思わず見ました。
「市役所側が県庁を刺すんですか」
「事実を言っただけです」
「珍しいもの見た」
「朝比奈さん」
「はい」
「行政内部でも、遅れているものは遅れていると言います」
「合理的だから?」
「合理的だからです」
ぶれない。
この人。
県庁を出るとき、
私は少し振り返りました。
廊下の奥で、
高梨さんが水野さんの資料を別の机へ運んでいます。
「先輩」
「何だ」
「標準的な処理期間って、あると便利ですね」
「また未来の話か」
「はい」
「今はねえぞ」
「分かってます」
「なら今ある制度で仕事しろ」
「でも」
私は言いました。
「ないからこそ、必要になった理由が分かる気がします」
相馬先輩は何も言いませんでした。
代わりに片桐所長が言います。
「覚えとけ」
「何をです?」
「時間も手続の一部だ」
私は足を止めました。
時間。
処分が正しいか。
審査請求が認められるか。
それだけじゃない。
いつ答えが出るのか。
どこまで進んでいるのか。
いつまで待つのか。
それが曖昧なままだと、
救済制度は少しずつ使いにくくなる。
「はい」
私は頷きました。
三日後。
金曜日。
午後四時十三分。
電話が鳴りました。
「はい、片桐行政書士事務所です」
『県庁の高梨です』
来た。
「水野さんの件ですか」
『はい』
私は相馬先輩を見る。
先輩が煙草を灰皿へ置きました。
片桐所長も帳簿から顔を上げます。
『提出いただいた資料を確認しました』
「はい」
『審査の順序を繰り上げます』
「……え?」
『来週中に担当課内の検討を終えます。その後、必要な決裁に回します』
「裁決は?」
『日までは約束できません』
「ですよね」
『ただ』
高梨さんが続けました。
『年内に結論を出せるよう処理します』
年内。
私は時計を見ました。
十二月まで、
あと三日。
「クリスマス前は?」
『そこまでは……確約できません』
「分かりました」
『でも』
少し間がありました。
『この案件が時期によって救済効果を失う可能性があることは、記録に明記しました』
私は、
少しだけ息を吐きました。
「ありがとうございます」
『まだ結論は出ていませんよ』
「分かってます」
『審査請求が認められるとも限りません』
「それも分かってます」
『では』
「高梨さん」
『何でしょう』
「この前、聞き方がきつくてすみませんでした」
『……』
「急かしたかったわけじゃなくて」
『分かっています』
「はい」
『こちらも』
高梨さんが言いました。
『処理中、とだけ答えるのは簡単ですから』
電話が切れました。
「何だって?」
水野さんが立ち上がりました。
今日は金曜日なので、
約束の時間になる少し前から事務所で待っていたのです。
「年内に結論を出すよう進めるそうです」
「年内」
「クリスマス前とは約束してくれませんでした」
「そうですか」
「でも、審査の順番は繰り上げます」
水野さんは、
しばらく黙っていました。
そして。
「じゃあ」
小さく笑いました。
「今年の予約、八十まで受けてみます」
「六十じゃなくて?」
「はい」
「大丈夫です?」
「全部駄目になったら、夜通しで作ります」
「それはそれで保健所に怒られません?」
「あ」
「衛生管理は守りましょう」
「はい」
そこ大事です。
法的救済を求めながら別の違反を生み出してはいけません。
「ただ」
水野さんが言いました。
「何も分からないまま待つのと、年内には答えが来ると思って待つのでは違います」
「はい」
「仕入れもできます」
「はい」
「予約を断る数も減らせる」
「そうですね」
「それだけで助かります」
結論はまだ出ていません。
処分が取り消されたわけでもありません。
水野さんの主張が認められたわけでもない。
それでも。
四十六日間、
ただ「審理中」と言われていた案件に、
現在地ができました。
次の予定ができました。
時間の輪郭ができました。
それだけで、
人は少し前へ進めます。
「そうだ」
水野さんが大きな箱を机に置きました。
「これ、どうぞ」
「何です?」
「試作品です」
箱を開ける。
苺のショートケーキ。
四つ。
「うわ」
「クリスマス用」
「食べていいんですか?」
「そのために持ってきました」
相馬先輩の動きが速かった。
「先輩」
「何だ」
「まだ所長が」
「四つある」
「人数も四人です」
「なら問題ねえ」
「配給の公平性を守ってください」
「苺が一番でかいのは俺だ」
「今から不服申立てします」
「どこに」
「所長に」
片桐所長は、
ケーキを見て言いました。
「朝比奈」
「はい」
「一つ取れ」
「所長からどうぞ」
「いい」
「じゃあ遠慮なく」
私は一番手前を取ります。
「あ」
相馬先輩が言いました。
「何です?」
「それ、苺でかいぞ」
「行政庁の裁量です」
「お前は行政庁じゃねえ」
「では先着順です」
「いつ到着した」
「私の皿にですか?」
「起算点が大事なんだろ」
私は止まりました。
相馬先輩。
たまに、
未来法を知らないくせに妙に核心を刺してきます。
「確かに」
私はフォークを置きました。
「届いた時点を基準にするのって、大事かもしれませんね」
「何の話だ」
「こっちの話です」
昭和六十三年。
この時代の行政不服審査制度には、
私が未来で覚えた「標準審理期間」の仕組みはまだありません。
審査請求が事務所に届いてから、
裁決まで通常どれくらいかかるのか。
それを行政庁があらかじめ定めるよう努める。
定めたなら、
外から分かるようにしておく。
そんな未来の仕組みを、
いま役所へ要求することはできません。
でも。
今日、水野さんが困っていたことを見れば、
なぜそんな仕組みが後に必要とされたのか。
少しだけ分かります。
不服申立てには、
入口だけあればいいわけじゃない。
出口まで、
どれくらい歩くのか。
分からないままでは困る。
しかも。
役所が受付印を押した日からではなく、
住民の書類が役所へ届いた時点から時間を見る。
その感覚も。
今日なら分かる。
住民は、
役所が内部で何日に帳簿へ書いたかなんて知りません。
書類を出し、
届き、
そこから待っています。
「朝比奈」
片桐所長が言いました。
「考えながら食うな」
「はい」
「クリーム落ちるぞ」
「はい」
私は慌てて皿へ目を戻しました。
苺。
生クリーム。
スポンジ。
法律用語より、
圧倒的に人を幸せにする組み合わせです。
「所長」
「何だ」
「今日の教訓、分かりました」
「言ってみろ」
「救済には、答えだけじゃなくて、答えまでの時間も必要です」
所長は少し考えました。
「悪くない」
「やった」
相馬先輩が横から言います。
「ならケーキ食うのも標準時間決めとけ」
「何分です?」
「三分」
「短い!」
「努力義務だ」
「その言葉どこで覚えたんですか!」
「お前がさっきぶつぶつ言ってた」
聞いていたらしい。
怖い。
しかも妙に応用が早い。
「じゃあ先輩」
「何だ」
「三分で食べるよう努めてください」
「嫌だ」
「努力すらしない!」
水野さんが笑いました。
今度は、
ちゃんと笑っていました。
窓の外では、
商店街の菓子屋が、
少し早いクリスマス飾りを吊り始めています。
まだ答えは出ていない。
まだ勝ってもいない。
でも。
いつになるか分からない。
から。
年内を目指して進める。
へ。
たったそれだけ。
けれど。
時間に物差しが一本入るだけで、
人は予定を立てられる。
注文を受けられる。
材料を買える。
明日の仕事を決められる。
法律の手続は冷たい。
到達。
期間。
審理。
裁決。
そんな言葉ばかりです。
でも。
冷たいからこそ、
「そのうちやります」
という曖昧な言葉に、
何日経ったのか。
どこまで進んだのか。
次はいつ動くのか。
と線を引ける。
未来の私は知っています。
いつか行政不服審査法には、
その線をもっと見えやすくする仕組みが置かれることを。
けれど。
昭和六十三年の私は、
まだその条文を使えません。
だから今日は。
使える制度の中で、
止まっていた時計を少しだけ動かしました。
「朝比奈」
「はい?」
相馬先輩が私の皿を指しました。
「もう五分経ってるぞ」
「何がです?」
「標準ケーキ期間」
「勝手に制度化しないでください!」
「定めたから公にしとく。事務所内三分」
「しかも公表義務だけ妙に守る!」
片桐所長が珈琲を飲みながら言いました。
「相馬」
「はい」
「お前は二分だ」
「何でですか」
「食うのが早い」
「個別事情で標準期間変えないでください!」
今度は私が笑いました。
どうやら。
行政の審理期間が透明になる未来より先に、
片桐行政書士事務所では、
ケーキの審理だけが異様な速さで進みそうです。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




